もし千葉くんがエロゲの主人公だったら 作:miyakokat
桃の花の時間
「なあ千葉、お前部活決まったのか?」
担任の長話で延びたホームルームがようやく終わり、急いでカバンを手に立ち上がると、ふいに前の席の男子が俺を呼び止めた。
───四月。
速水に気の早いプロポーズをしてちょうど三ヶ月が経ったその日、俺は志望校だった都立川立高校に無事入学した。
超生物を暗殺した俺たちE組の生徒は、賞金300億の大半を殺せんせーの遺したアドバイスに従って国に返したことで、世間から大きな称賛を浴びた。
対照的に椚ヶ丘学園は、生徒を危険に晒しただけでなく、落ちこぼれを差別する教育システムをしていたことが大きく問題となり、浅野理事長は経営権を手放すことになった。
責任者の退場でネタを失ったマスコミは、潮が引くように一連の事件に興味を失い、おかげで俺たちは新しい高校生活を想像してたよりも穏やかに迎えることができた。
しかし俺個人はどうかというと、新しい環境に馴染めているとは到底言い難いのが正直なところ。珍しいものを見るかのような周囲の視線にいまだ苛まれ続けている。
だからこうして突然話しかけられると、つい身構えてしまうのだ。
「…いや、まだ決めてねえけど?」
反応の遅れた俺を気にする様子もなく、目の前の男はさらに畳み掛けてきた。
「ならさ、いっしょに軽音入ろうぜ。お前椚ヶ丘でバンドやってたんだろ?ここの部な、メンバーが揃わないと入れてくれねえっつってんだよ」
「…は?なんでお前、俺がバンドしてたの知ってんだ?」
「何でも知ってんだよ、この俺様は」
「なんだそれ、キモいな」
「うるせえ、お前のその邪魔な前髪全部引っこ抜くぞ!」
こいつの名は橘ヒロキ。
前原陽斗に少し似たハンサムな男だ。まともにしゃべったのは今のが初めてだけど。
もちろん俺も高校に入ったことだし、またバンドをやれたらいいなぐらいには思っていた。誘ってくれるのはうれしいけど、パンク好きの俺とこのチャラそうな男とでは、目指す方向が違う気がする。
「なんで俺なんだ、経験者なら他にもいるだろ?」
「ツレないこと言うなよ、同じクラスの仲じゃねえか。それにお前じゃなきゃダメな理由がちゃんとあるんだよ」
「なんだそりゃ」
「それはだな…」
急に小声になった橘は、俺にそっと耳打ちした。
「お前さ、めちゃくちゃモテるじゃん?天才ギタリストのこの俺様と組めば、すんげえ人気出ること間違いなしだぜ?」
「はあ?俺がモテる?なに言ってるんだお前、んなわけないだろ」
すると橘はいかにもあきれたように両手を広げてため息をついた。
「おいチバ、お前はご隠居か?目も耳も悪いお年寄りか?ボーッとしてないでたまには周りを見てみろよ」
「なに…?」
…めんどくせえな。
仕方なく言われるがまま辺りを見渡すと、なぜかクラス中の女子が談笑しながらさりげなくこっちを見ている。
…あ、こ、これ、マズい…。
この生暖かい雰囲気、本校舎の女子と同じだ。
そ、そうか、なんか周囲の視線がおかしいなと思ってたけど、そういうことだったのか…。
「みんなお前のことが気になってしょうがねえんだよ。椚ヶ丘から来た『前髪王子』がな。気がついてねえだろうからついでに言うと、お前のその髪で隠した顔も学校中にもうバレてんだぞ?」
な、な…、なんだってーッ!?!?
「ところでな、俺がこの学校に来た理由聞きたくねえか?」
「は、はあ…」
「なんだその気の抜けた返事は。川立の女子がレベル高えんで有名なのはお前も知ってんだろ?」
「そ、そうなのか…?」
「…お前と話すとイチイチ調子狂うな。で、この三年間でどれだけかわいい子とヤれるか、この俺と競わねえか?」
「はああ…!?」
「なんだ、お前だって椚ヶ丘で女の子をさんざんフってきたらしいじゃねーか。カッコつけやがって、この遊び人のクソ野郎が!」
「うるせえ!俺は遊び人じゃねえ!」
それにフったんじゃねえ!丁寧にお断りしたんだ!
「なあ、それよりお前の彼女の写真見せてくれよ」
「はあ…?」
「ナイショにしとくからさ。タラシの彼女なら、さぞかしべっぴんなんだろ?」
げ…、めんどくさいことになった。
写真なんか見せたらこいつ絶対「会わせろ!」と言い出すに決まってる。こんなヤバい奴、速水に近づけるわけにはいかん!
「だめだだめだ!絶対にだめだ!」
「おいなんだケチか、あきれたわ。席が前と後ろの誼(よしみ)だろ?違うか?」
なんだよその「席が前と後ろの誼」って。そんな言葉聞いたことねーぞ!
「ここまで頼んでも見せねえって、お前ほんと義理も人情もないんだな。よーし気に入った。軽音に入れ」
「だからなんでそうなるんだ」
「ねえねえ、二人でなに楽しそうに話してんの?」
ふいに声をかけてきたのは、橘の左隣の席の佐倉ミオ。ショートボブのおとなしい子だ。
「ミオ、千葉が俺らのバンドに入るってよ」
「えっ…!?いいの?千葉くん」
「な、千葉、そういうことだからよろしく頼むぜ」
「ちょ、ちょっと待てよ。まだ決めてねーだろ!」
「往生際が悪いなチバは」
「うるせえな。それより、佐倉もこいつと同じバンドなのか?」
「うん、わたしはキーボード担当。千葉くんは楽器なにしてたの?」
「俺か?俺は…ベースとボーカル…かな」
「すごっ…!よかったじゃんヒロキ」
「だろ?」
佐倉は倉橋さんに似て、笑うと彼女の周りだけ日向のように雰囲気が明るくなる。聞けば橘とは幼稚園のときからの幼なじみだという。
…あ、やべ!そんなことよりもうこんな時間。
「すまん、俺今日急ぐから帰るわ」
「明日は楽器持ってこいよ、千葉」
「よろしくね、千葉くん!」
「…お、おう」
なんだかんだで丸め込まれちまったけど、俺がハードコアパンク好きなのがわかったら、あの二人はどうするんだろう。ま…それはいっか。
俺はバタバタと校舎を飛び出し、走って5分ほどの川立駅に向かった。
改札口に着くと、柱にもたれてスマホの画面を見ている愛しの彼女とすぐに目が合った。
──速水凛香。
明るくふわりとしたセミロングの髪に、睫毛の長いキリッとした瞳。
紺のブレザーに赤のネクタイ、チェックのスカートがスタイルのいい彼女にめっちゃよく似合っている。
…あ、やべ、ちょっと怒ってんな(汗)
一年間ほぼ毎日一緒にいたから、わずかな仕草で何考えているのかだいたいわかる。クールビューティーのお姫様はいまご機嫌斜めだ。
「遅い…L○NEしかけた」
う…かわいい…、そのちょっと上目遣いで拗ねたような甘えた顔、反則だぞ…。思わず俺の心臓がキュンとなる。
「す、すまん…ホームルームが延びちまって」
「いい、それより行こ?」
おっと、大胆にも自分から恋人つなぎをしてくるとは!分かりやす過ぎるだろ、このツンデレめ。
そのまま二人で駅の喫茶店に入り、構内に面した窓際の席に座ると、すぐに彼女は困ったような顔をしてため息をついた。
「はーあ…」
「なんだ、学校でなんかあったのか?」
「うん…」
「話せよ、気になるだろ」
速水は、あー…とか、んー…とか言いながら、ミルクティーが運ばれてくるまで、コップの氷をしばらく見つめていた。
「…千葉はさ、部活決まった?」
「ああ、さっき無理やり入らされた。また軽音」
「…え!うれしい、また千葉の歌が聴けるんだ」
「まだわからんけどな、速水は?」
「うーん…迷ってんのよね」
「ほう」
「最初はダンス部に入ろうと思ってたんだけど、体験入部したらあんまり楽しくなさそうで…」
「ふむ」
「そしたら隣でチアリーディングの練習やっててね、そっちのほうが面白いかなって…」
「へえ」
速水がチアガールか、そりゃ楽しみだ。
「でも…」
速水はそこで一区切りおいた。
「ほんとは千葉と二人で射撃練習したいなって…」
「……ああ、ほんとだな」
くー…うれしいこと言ってくれるぜ。
今も授業中にふと、教壇に立つターゲットを狙うあのピリピリと張り詰めた感覚を思い出すことがある。
俺と速水は、互いにどのタイミングでどこにどう撃つのか、黙っててもわかる仲だった。
こうして知り合いのほとんどいない高校に通ってみると、困ったとき、判断に迷ったときに彼女が、そしてわかり会える仲間がそばにいてくれたことが、どんなにありがたいことだったのか、痛いぐらいによくわかる。
「みんなに会いたいな…どうしてんのかな」
「ああ…」
『…いつまでも後ろを向いていてはいけませんよ。自分の足で立って、しっかりと前を向いてください』
殺せんせーがもし生きていたなら、今の俺たちにやさしくそう言ったに違いない。
俺は殺せんせーの代わりに速水の頭にポンと手を置いて、話題を変えることにした。
「ところでチア部って、実際どうなんだ?」
「んー…、練習がハードで勉強と両立するのが大変だって聞いて、それも困ったなって…」
「休みの日はでもちゃんとあるんだろ?」
「うん、一応水曜日と日曜日は部活休みなんだけど、なにせ出る課題がハンパなくってね…」
彼女の通う私立新宿高校は宿題が多いので有名だ。
速水は運動神経がいいし真面目だから、先輩からすぐアテにされてしまうにちがいない。だけど俺と同様、責任感から独りで抱えこんじゃうタイプだから、あんまし無理はさせたくないんだよなあ…。
「ちなみに年間だと、どんだけ忙しいんだ?」
「見る?」
速水はカバンからチアリーディング部の予定表を取り出して、ついでにスマホで動画まで見せてくれた。
「こんな感じ」
うおっ!?…や…ヤバい。
映っていたのは、どこかのイベントの舞台で踊っているシーン。青と白のコスチュームがすんげーかわいい。
うは…!おへそ出てるし、あんなに大胆に脚を開くのか…!うう~アンスコがめっちゃエロい…。
うおおお…!チア最高…!!
「速水、チアに入ってみ……うああッッ!?」
「ど、どうしたの、千葉?」
し、しまった、油断してたあああッッ…!!
気がつくと窓の外に橘ヒロキと佐倉ミオが立って思い切りこっちを見ている。橘はなぜか憤慨してるし、佐倉は両手を合わせてゴメンのポーズ。
や、やられた…。
明日から相当イジられるな…。覚悟しとこ。
☆☆ ☆☆ ☆☆
〈矢田桃花 視点〉
「ん…ん…、あむ…、は、ん…」
チュ…!クチュ…、チュプ…。
わたしは今カルマくんと公園のベンチに腰かけてキスをしている。ゆっくりと沈んでいく夕陽が、静かに二人を赤く染めて、ちょっとだけ幻想的な気分になる。
まるで世界は今この瞬間、わたしと彼しかいないかのようだ…。
……
…
『ごめん、俺たちさ、イチからやり直していい?』
卒業式の帰り道。
突然の言葉にびっくりしたわたしは、一瞬だけフられちゃったのかと勘違いしてしまった。
『…そ、それって、ど、どういう意味!?』
耳から入ってきた彼の言葉を、頭のなかで並べ直して反芻し、戸惑いながら問い直す。
『そ、その…、と、桃花のことが俺、本気で好きなんだ。だから、明日から、いや今からもう一度やり直したいなって…』
ちょっとなに言ってるのかわからない。
わたしとカルマくんは去年の夏前から付き合っている。わたしの勘違いじゃなければ、だけど。
『俺さ、お前と付き合ってるの、みんなにナイショにしてるでしょ?』
『う、うん…』
たしかにそう。
でもみんな知ってるけどね。
『これからは学校も別々になるし、もう隠さなくていいかなって思って』
『それはわかるけど、なんでもう一度、なの?』
『それは…』
珍しく照れくさそうな顔でカルマくんは話し始めた。付き合ってることをみんなに隠していたのは、彼なりにE組のみんなに気を遣っていたからだ、という。
もう一度と言ったのは、自分の気持ちに素直になって、最初からやり直すくらいのつもりでわたしと向き合いたい、という意味なんだと。
…なにそれ、やっとわたしと本気で交際する気になったって、そう言いたいわけ?
ふ、ふっざけんなああああッ…!!!
『…なーんか、勝手だね。赤羽くんは』
内心吹き荒れる嵐とは反対に、わたしの声は極限まで冷たく落ち着いていた。
『…え、なに、怒ってんの?…な、なんで?』
おっと、これはレアなカルマくん。焦った顔がとってもかわいいぞ。
…けどわたし、容赦しないからね。
『やり直したいとか、それってカルマくんの勝手な考えでしょ…?わたしは最初からずっと真剣だったのに…。もしかしてそんなの知らなかった~、とでも言うの?』
『え…?あ、ご、ごめん…(汗)』
『そりゃあね…わたしから告ったんだから、仕方ないかなって、そう思ったこともあったけど…』
あ、やば、涙出てきた…。
『…わ、わたし、ずっと淋しかったんだから…!わたしばっかり好きなのかなって……ずるいよ、ずるいよカルマくんは…!(ぐすっ)』
『…ご、ごめん、ほんとごめん…』
『う、う…、うえーん、うえーん!』
『お、おい、泣くなって…』
ここは住宅街のど真ん中。
昼下がりの奥様たちがこっちを見てヒソヒソと何か話している。よし、これはチャンスだ!
『うわーん!わたし悲しいいいいいいいい!』
ちょっぴり芝居がかった感じでカルマくんの胸に抱きついたわたしは、彼のシャツがびしょびしょになるまで泣き続けた。
『…ごめん、ほんとにごめん。言い方が悪かった』
『ヒック、ヒック…、い、言い方なんかの問題じゃない…!!』
『な、なんつーか、そ、その…俺、真剣に桃花のこと好きなんだ、本気で愛してる。だからごめん、本当に悪かった。お願いだから赦してくれ…』
カルマくんの腕がわたしの頭をぎゅっと抱きしめる。
…ふーむ、そろそろいいかな。
わたしはずっと秘めてきた思いを口にすることにした。
『お願いがあるの…』
『な、なに…?』
涙を拭きながら彼を見上げる。
『あのね、カルマ…』
『…ど、どしたん?』
『…もう誰ともケンカをしないって誓って?もう二度と危ないことはしないって、今ここで約束して?…それができるなら、赦してあげてもいいかなって…』
『へ…?』
『へ?じゃないでしょ、お返事は!?』
『…お、おっけー』
『なんか真剣さが足りない!』
『わ、わかった。もうケンカしない。約束する』
『本当に、本当でござるか!?』
わたしはグッと彼の胸ぐらをつかんだ。カルマくんは焦ったようにしばらく目を泳がせていたけど、観念したようにため息をついた。
『ご安心召されよ、拙者二度と桃花を心配させたりしないでござる、…って、これでいい?』
『よーし、承知つかまつった!』
……
…
はああ…カルマくんのキスって、ほんと気持ちいいよ…。食べられてしまうかと思うほど唇と舌を求められると、意識がポーンとどこかに飛びそうになる。
カルマくんの手がわたしのブラウスの胸に延びてきた。くう…ん…、あ、さ、触り方が、すごく上手…。
「ん…んんっ…、は、あ…」
そのままやさしく胸をまさぐられて、彼の手がスカートのなかに延びてきた。直に指先でくすぐられるとビクッと太ももが跳ねる。
「ん、んん…!はああ…!」
いつもならこのままベンチに押し倒されて、いたずらっぽい瞳で見下ろされる…はずだった。
「わーい!こっちこっち」
「こーら、待ちなさい!」
突然茂みの向こうから、駆け回る親子のはしゃぐ声が聞こえてきて、急いでお互いに離れる。
「…今日はこれでおしまいね」
「ちぇ…」
「続きはまた今度」
「あーあ、つまんね…」
少し尖った彼の口がかわいい。
「もう、子どもみたい…」
初めて出会ったころのカルマくんはいつもピリピリしていて、常にだれかに突っ掛かってはケンカをする相手を探しているような、そんな危ない子だった。
まるでナイフの刃先の上を歩くような、そんな彼を見ていると、自信に溢れた表情の裏にとても脆い部分を抱えている気がして、なぜだか目が離せなくなる。
聞けば両親はいつも不在で、ほとんど一人で暮らしてるという。淋しくないの?ってきくと「平気」って簡単に答える。
昔からわたしはカルマくんみたいな子が気になるところがあって、お母さんみたいにぎゅっと抱きしめてあげたくなるのだ。
一見粗野で他人を見下した態度をとる割に、意外とクラスメートには迷惑をかけないし、特に女の子には紳士でやさしい。気がつくとそんな彼に惹かれていた。
付き合うようになってからも飄々としたところは変わんなくて、本心がわからないわたしはとても悩んだ。
関係を変えたくて、卒業式の日に彼とケンカ…というか一方的にわたしが怒って泣いてから、人が変わったように彼はわたしに甘えるようになった。
実のところ、彼もそのタイミングを測っていたのかもしれない。
「はいこれ、プレゼント」
「え?…あ、ありがとう」
それは小さなオオカミのぬいぐるみの付いたキーホルダーだった。
「この紐を引っ張ると、すんげーおっきなブザーが鳴るから、もし危ないことがあったら使って?」
「わかった。かわいいね。でも防犯ブザーって小学生みたい…」
「アハハ」
「なあ桃花」
「なあに?」
「俺さ、怖かったんだ」
「なにが?」
「俺って、いろんな連中から恨みを買ってるじゃん?そのせいでいつか桃花に危害が加えられちゃうんじゃないかって…」
「え…?」
「だから付き合ってることを誰にも知られたくなかったんだ。桃花とちゃんと向き合うことから逃げてた。ほんと、ごめん」
「そ、そっか…」
そうだったんだ…。
「俺、約束ちゃんと守るから」
「う、うん……」
しっかりと繋いできた彼の手がとても恥ずかしくて、二人で黙ったまま公園を出て、そのまま並木道を歩く。
ああ…いまのわたし本当に幸せだ。この繋いだ手を一生握っていたいと、心からそう思う。
「今度のゴールデンウィークね、みんなで集まりたいねってメグと話してんの」
「おー、いいね」
「みんなどうしてんのかな…」
「それなりにうまくやってんじゃない?」
そういえば凛香と千葉くん元気かな。神崎さんと杉野くん、うまくいってんのかな。
歩道橋の階段を上がり、椚ヶ丘駅のほうへと向かう。
…あ、あれ?
あの人、なんか…ヤバくない?
街灯が暗くてよく見にくいけど、向こうから身体の大きなガッチリした男が、こっちに向かってまっすぐ歩いてくる。
年齢は30代くらいか、全身に全く隙がない…。格闘家というよりは冷静な軍人タイプって感じ。
「ねえ、そういえばさ、今度渚たちと遊ぼうよ」
「え?それってもしかしてダブルデート?」
歩道橋の上は狭くてすれ違うのがやっと。あ…この人外国の人なんだ。ニット帽とマスクで顔はよくわからないけど、目の辺りでわかる。
卒業前に旧校舎の裏山で戦った、あの傭兵たちと雰囲気が似ている…。わたしの脳内アラームがけたたましく警報を鳴らした。
「そーだね、ダブルデート」
わたしはカルマくんの手をぎゅっと強く握る。たとえ何かされたとしても、まともに相手をしないでねという合図だ。
「じゃ、水族館とかどう?」
「いいねー」
近づくと、見上げるほど身長のある男がニヤニヤとこちらを見て笑っている……こ、怖い。
わたしもカルマくんも平静を装おって、その男をやり過ごそうとした、そのときだった。
ブンンッッ…!!!
さっきまでカルマくんの頭があった場所に、男の重たい拳が飛んできて空を切った。
男は「おや」という顔を一瞬だけして、すぐに不遜な表情で構え直し、ゴキリと首を鳴らした。
…こいつ本気で向かってくるつもりだ。
バシッッ…!バシッ!ドカッ…!!
素早い蹴りが立て続けにカルマくんに飛んでくる。さすがの彼も、ガッチリしたその太い脚で次々繰り出される重いキックを受け止めるのがちょっと苦しそうだ…。
プシューッ!!
カルマくんが素早くポケットからスプレーを取り出して男の顔に吹きかける。
相手も素早い身のこなしで避けたので、あまり効果がなかったみたい。それでも怯んだ分だけ多少の隙ができた。
「行くぞ桃花!」
「うん!」
急いで歩道橋を駆け降りると、男も負けじと追いかけてくる。なにこの人しつこい…!
わたしもカルマくんもついこの前までE組の生徒、階段の手すりを飛び越え、ぴょんと地面に飛び降りる。この手のフリーランニングなら誰にも負けないはずなのに、なにこいつ…、まだ追いかけてくる!
あっ…!わたしの腕がガシッと掴まれた。ヤバい…!男に無理やり横の路地に引っ張り込まれそうになる。
「てめえッ…!!!」
怒ったカルマくんにタックルされて体勢を崩しながらも、男はすぐにカルマくんを強引に建物の壁に押し付けて、殴りかかろうとした。
「だ、だめッ…!!」
とっさに男の腕をつかんだけど、バシッと振り払われた。あ!そうだ…!!
わたしはさっきカルマくんからもらったばかりのキーホルダーを、急いでカバンから取り出して紐をぎゅっと引っ張った。
ビリリリリリリリリッッ…!!!
うはあ、すごい音…!
さすがに辺りの人がびっくりしてこっちを見る。
「チッ…!」
男は急に何事もなかったようにカルマくんの胸ぐらから手を離すと、元来た歩道橋に足早に去っていった。
「はあ…、はあ…、カルマくん大丈夫…?」
「大丈夫。それよりさ、まさかこんなに早くそれを使うことになるとはね…」
「ケンカ、辛抱してくれてありがとう…」
「どういたしまして」
ふー…よかった。安心してふと手の中のキーホルダーを見ると、あれこのオオカミ、カルマくんにちょっと似てるかも…。
「…ねえ、このキーホルダー、他にも種類ある?」
「あー、たしかウサギもあったかな」
「あ、じゃあわたしがそれをプレゼントするから、カバンに着けてね?」
「え…!俺がか!?」
「…なあに?いやなの…もしかして…」
「い、いえ、着ける。着けます…」
「プッ…あはは!」
ウサギのキーホルダーをカバンに着けた彼を想像して、おかしくて思わず笑ってしまった。
しかし、突然殴りかかってきたあの男はいったい何者なんだろう。…すごく気になる。
「…あ、俺の知ってるやつとか、そんなんじゃないからね」
「うん…」
たしかにあいつは計画的にわたしたちを狙ってきたようには見えなかった。けど、本当にそうだろうか。
むしろ、通りすがりの相手を適当に選んだかのように見せかけただけかもしれない…。
もしわたしたちが狙われるとしたら、それは元E組だからだろうか。この一年いろんなことがあったから、いつどこでだれの逆恨みとか、やっかみを受けていても不思議はない。
ぎゅっ…
わたしの不安を見越したように、ふいにカルマくんの腕が伸びて、わたしは彼の胸の中に抱かれた。
〈続く〉
うう~!矢田さんかわいい!(だまれ)