翌朝。8時。
まだレムは不眠症から完全に立ち直っていないせいか、あまり眠れ無かった様子だった。
だが昨夜のあの殺人事件を目の当たりしてしまったのだ。その後でぐっすり眠れてしまうほうが余程怖い。
敬虔なる信者が住む街。
光の都ウィンバリアシオン。
この街の住民はとある宗教を信仰の対象にしている。
それはこの世界が滅びの時を迎えた時、現れるある『女神』の存在だ。その名は『混沌の女神』。
しかし、『闇の戦乙女』が生贄の血を集めて儀式を開いて現れるような存在ではない。
既にその存在は、この世界に保護されている。正しくはこのパーティに居るのだ。
それは誰か?
リリアである。
彼女こそ『混沌の女神』と呼ばれる存在で、そして『混沌の女神』はある力を与えられているという。それはどういった物なのかはわからない。
しかし、彼女が世界に現れるという事態は、この世界が確実に滅びの運命の道を辿ってしまっていると解釈出来るのだ。
そして、光の都に着いた早々に起きた殺人事件。
謎の宗教集団『闇の戦乙女』。
これはただ事ではない…。
レムはそこで教皇フューネラルに謁見することにしていた。
フューネラル教皇から円卓会議で語られた『闇の戦乙女』。どうやら彼も気になっているらしいし、教皇とも方がその宗教集団に危険な何かを感じているのなら、それは早く対処した方がいい問題だ。
レムは洗面台で顔を洗って、髭の手入れをしつつ今日の予定を立てていた。
鏡に自分の顔が映った。今の瞳の色は薄紫色。いつものレムがそこにいる。大丈夫なはずだ。せめて教皇フューネラルの前では"薄紫色のレンブラント"でいたい。
せめて”薄紅のレム”だけは教皇フューネラルの前では表に出ませんように……。
彼は祈る気持ちで鏡に映る自分に、内側に眠る自分自身に祈る。かつて自分自身が現実から逃げる為に隠した本来の自分自身である、”薄紅のレム”。
それをやっと受け入れてくれた人が現れてくれたのだから。
彼は髭の手入れを済ませると軽く頷いて部屋から出た。
宿屋の1階のダイニングルームでは朝食を食べている3人がいた。
レムレースとは違った街の朝。
敬虔なる街の朝食は、かなりのヘルシーメニューだ。
穏やかな朝。しかし、何処かそこは闇を感じるのか、彼らも調子が出ない様子だ。
昨夜の殺人事件からまだ数時間経過しただけの朝。いつものように明るい朝を迎える気にはなれないだろうな。
彼はそう思う。自分ですら殺人事件のショックから立ち直っていないのだ。それを忘れて朝から陽気になれというのは酷な話だ。
レムレースから来たパーティは早々に、ウィンバリアシオンの洗礼を受けてしまった。
荘厳なる光の都は、レムレースとは正反対の宗教都市である。
大聖堂や図書館。時計塔などどれもが造りは白を基調とした清廉なる造り。
特に時計塔は名物でもあり、素子でこの世界の時間は、現実世界の時間より2時間多い、26時間で動いている。
これに驚きを隠せないのはやはり異世界からの客人である翔子だ。
「ここって1日が26時間なのですか?」
「そうだよ。気付かなかったかい?」
「全然気付きませんでした。元いた世界では24時間が普通というか、そう決まっていたので。ビックリです」
「なんでも、昔の伝説によるとこの『2時間』は『神が贈った時間』とも言われています。そこでこの光の都では昼に1時間、夜に1時間を神に捧げる時間として礼拝をしたりお祈りをしたりする為の時間として設けられているんです」
「アドニスは元々、ウィンバリアシオンの生まれでね、詳しいんだよ。だろう?」
「ええ。まあ…」
「アドニスさんは光の都出身なんだ」
「それがまた何でレムレースの街の騎士をしていたの?」
「そのあたりの話は後でしてあげます。今はフューネラル教皇の謁見を済ませましょう」
「アドニスの言う通りだ。さあ、大聖堂に向かおう。そこにフューネラル教皇がいる」
光の都の表通りを歩き、辿り着く場所はウィンバリアシオン名物の大聖堂だ。荘厳なる光の都の中心にして、最も光が強い所。
大きな扉を開け、目の前に広がるのはまるで地球にある大聖堂そのままの世界。
天井には大きな宗教画。
人類創世を描いたと思われる絵画が描かれている。
どことなくあの『ヴィーナスの誕生』にも似ている絵画だ。
まさか異世界でこういう宗教画を目にする機会が巡って来るとは思って無かった翔子は息を呑んでその宗教画を見入る。
他にもパイプオルガンやこの時間は聖歌隊のミサが行われているのか聖歌が歌われている。
どうやらこの大聖堂は光に満ちた場所のようだった。
彼らはとりあえず、フューネラル教皇も参加しているミサが終わるまで、席に着いてそれを見守る。ミサの最後にフューネラル教皇が今日1日の平和を神に祈る言葉を捧げミサは終わった。
「フューネラル教皇。おはようございます」
「レム盟主。おはようございます。今日も神は我々に良い導きを捧げでくれましたな」
「我々が今日ここに来ることは知っていたということかな?」
「はい。神からのお告げがありました。どうぞ。こちらへ。話は奥の客室で伺いましょう」
彼らが導かれたのは豪華な客室だった。部屋には数種類の宗教画が飾られている。
「昨夜、また例の殺人事件が起きたのは知っているかな?」
「はい。警察本部から情報が寄せられました。『闇の戦乙女』の仕業である、と」
「それで…『闇の戦乙女』とはどういった宗教集団なのかね?」
「彼らを導く指導者は実はこう呼ばれている者なのです。『漆黒のラーズグリーズ』と」
「漆黒のラーズグリーズ?」
「なんですか?そのラーズグリーズとは?」
「皆さんは知っていますか?この世界には死に行く魂を神の世界へ導く女神を?」
「
「そうですね。ですがもう1つ、別の呼び名が有ります。それが『ラーズグリーズ』。もっぱらこの呼び名は我々の都では別の意味で使われております」
「どういう意味で?」
「北の海から来る「悪魔」という意味です」
「北の海?ウィンバリアシオンから北の方角はレムレースだな」
「だから私は、『漆黒のラーズグリーズ』というのは実はレムレースの盟主であるあなたのことではないかと思っております」
「私は『女神』ではないが?」
「ラーズグリーズというのは何も女神のことを指すだけではありません。「北の海から来る悪魔」という意味もあるのですが、何よりあなたは女神の加護が与えられているように見えます」
「女神の加護?」
「ラーズグリーズの悪魔はこういうくだりが有ります」
歴史が大きく変わる時、ラーズグリーズはその姿を現す。初めには漆黒の悪魔として。悪魔はその力でもって大地に死を降り注ぎ、やがて死ぬ。しばしの眠りの後、ラーズグリーズは英雄として姿を現す。
「それがラーズグリーズの悪魔の伝説?」
「古い御伽話にある伝説。しかし私はただの伝説とは思いません。あなた方が来た事でこの伝説が真実になる。私はそう思ってなりません」
「なるほど……。まあ私がその悪魔かどうかはさて置いて、『闇の戦乙女』は儀式を開こうとしているのだろう?何か心当たりあるかな」
「儀式……。そういえば、明日の夜、真夜中の25時に『女神復活の儀式』を忘れられた墓所でするという情報があります」
「それだ。奴らはその儀式の為に生贄の血を集めていたんだ」
「忘れられた墓所……。場所は判るか?」
「ええ」
「ですが、奴らのことですか。きっと何かの合図でそこに集まるはずです。無闇にそこに向かっても徒労に終わるでしょう」
「街の人々に情報の提供をお願いするといいでしょう。ウィンバリアシオンの人々は善意の旅人に協力的です。力になってくれると思います」
「ありがとう。そうしてみよう」
フューネラル教皇はレムが去るその際に『漆黒のラーズグリーズ』に関する情報を話した。
「ラーズグリーズは『北の海から来る悪魔』と話しましたが、私はこう解釈しています。その者は、まだ覚醒していない普通の人間。しかし旅の連れに『混沌の女神』を同伴させた、薄紅色の瞳の男性だと」
「……そうか……」
それ以上の答えを今のレムには言えない。
彼はただ黙って、その場から去ることしかできなかった…。