「この子を助けて……!この子を助けて…!この子を助けて!!きゃあーーッ!!」
「お願い…!この子だけは………!きゃああっー!!」
「アドニス……!アドニス…!あんたね……まだ小さいから、自分の力で生き方を決める事が出来ないの…!だから……自分自身の力で生き方を決める事が出来るまで、生きて……!生きるの…!アドニス…!」
真夜中。真っ赤な月が浮かぶ夜。ウィンバリアシオン郊外の森。今宵も略奪行為が横行し、力無き人々が命を落とす凄惨な夜が訪れる。彼の記憶はこの夜から始まる。脳裏に焼き付いて離れないこの言葉。彼が襲われたのは野盗の群れだった。そこに偶然、あのレムレースの盟主が通り合わす事からこの物語は始まる。
「残念だったなぁ。坊主。お前も仲良くあの世送りだ……!」
そこに彼が現れる。恐ろしいまでの速さで剣を振り、野盗を肉の塊に変えて行く。野盗が思わず名前を尋ねるが帰ってきた答えはこうだ。
「これから死ぬ奴に教えても無駄なんだよ。さっさと死んでくれ」
今度は野盗の叫びが響く。男は、いや盟主は容赦無い速さで剣を振り野盗を全て皆殺しにした。夜目にも鮮やか過ぎる鮮血の色と盟主の銀髪の色がアドニスの目に焼き付いて離れない。彼は目を見開き茫然と腰を抜かしている事しか出来ない。
やがて野盗の群れを一切の容赦なく斬り殺した彼は、腰を抜かして茫然自失する彼に優しく声を掛けた。
「ここに通り合わせたのも何かの縁。仇は取ってやった。ここで泣いても悔やんでも、死んだ者は戻って来ない。お前だけでも助かった事を良しとすべきだ。この辺りには教会が数多く存在している。坊主一人なら教会も面倒みてくれるだろう……」
彼はそれだけ言いつつ、背を向けて夜を歩いた。こう嘆きながら。
(よくある話だ。野盗に追われて犬のように命を奪われるのも地獄。女はそのまま女郎に堕ちて生きていくのも地獄。よくある話だ)
「……随分と昔の事を思い出してしまったじゃないか。おい。いつまで倒れているつもりだ?お前が起きないなら余計な事を思い出し続けるぞ。例えば……お前が最後にお漏らし垂れたのは9歳の頃とか、余りの空腹に耐えかねて、その辺りに生えていたワライダケを食べて死にかけたとか…」
己の恥ずかしい過去を面白そうに話すこの目の前に居る師匠にアドニスは慌てて起き上がり、思わず睨みつける。
そしてアドニスなりにこの目の前に居る師匠もとい盟主の人物像を話した。
「レムレースの盟主、レム・レンブラント。剣の腕は間違いなく超一流。しかし、性格は陰険」
「何だと…?」
「人間嫌い。鼻柱の高い自信家。おまけに口が悪く、女たらし。他人の恥を本人が忘れている事すら覚えているという趣味の悪さ」
「あのな、あの時、修行中のお前が飛び出してそれきり連絡を寄越さないで、あれから10年近く経って出戻りして来た弟子の稽古に付き合ってやっているんだ。こんな義理堅い師匠は他にいないぜ?」
今の舞台はレムレースの街の一角だ。アドニスは一度、彼、レムの下から去って戦乱に身を投じた事があった。かれこれ15年以上も昔の事だが。だが戦乱に身を投じた結果、アドニスは非常に不安定な剣士になって戻ってきた。己の若さ故の過ちで数多くの人間を斬り殺して、最後には一度は愛した女性をその手で殺してしまったのだから。そのアドニスに剣を教えたのは他でも無い。このレム・レンブラントである。
遡る事、20年前。
あの時の夜に野盗に襲われた子供のことが気掛かりだった彼はあの夜から一夜経った後、近くの教会を訪ねていた。そして昨夜の子供が保護されていないか確認している。だが……。
「ここには来ていない?」
「人っ子1人来ていませんよ」
「こちらの教会にもそのような方は……」
尋ね歩く内に彼は思う。世を儚んで自ら命を断ったのではないかと。それもよくある話だ。
自らの信念に従って剣を振るったところで誰も助けられ無かった事はよくある話だ。なら…国へ帰る前にせめてもの手向けに、犠牲者の骸を弔ってやる事が自分のするべきことか。そう思って昨夜の現場に向かうと…。
「!?……こ、これは……?!」
そこは墓場になっていた。
アドニスが1日かけて作った墓場だ。しかも自分を襲った野盗の分の墓まで作っていた。レムは驚きの声を上げて彼に歩み寄った。
「まさか、親の墓だけでなく野盗の墓まで作ってやるとは」
「野盗じゃなくてただの人買い。親は去年、流行り病で死んだ。だけど……親だろうと人買いだろうと死ねばただの骸だから…」
「墓を作ってやった……と。その3つの石の墓は?」
「ジェシカさん。ユールさん。クリスさん。会ってまだ1日だったけど、男の子は自分1人だけだからといって…みんな…。だから、命を捨ててでも守り抜かなきゃって思ったけど、みんな…僕の盾になって…。親はもういないし、せめてこの子だけはってみんなそう叫んで、死んでしまったんだ。だから、せめて良い石をと思って探したけど、こんな石しかなくて添える花も無いんだ」
「良い酒の味も知らないで成仏してしまうのは勿体無いからな。俺から手向けをさせてくれ」
レムはそう優しく言うと、持っていた極上のワインをその場で開けてくださいね彼女らの墓にそれを手向けにした。
そうして彼は名前を訊いた。
「坊主。名前は?」
「アドニス・アルトマン」
「アドニスか。剣士として良い響きの名前だな。アドニス。お前はその3人から大事なものを託された。命を守る使命を授けてしまった。お前はこれから強くならなければならない。お前自身が生き延びる為にも。なら……俺のとっておきを教えてやる…!」
(あれから20年か。月日が経つのは意外に速いものを感じるな)
「さぁ……もっと打ち込んでこい!お前の訛った剣を甦らせてやる!」
「はああーっ!!」
(確かに腕は訛っているが目の輝きはあの時のままだ。けして曇る事の無い真っ直ぐな瞳…)
彼らは剣を交えて、まるで一組の舞踏家のように剣の舞を披露している。レムとしてはその時間は楽しいものだった。ただただ弟子との剣の舞を繰り出すこの稽古が。
「それでこそ、お前だ!イビリ甲斐があるってものだぜ!」
「あなたも年齢重ねて、更に意地悪になっていますね!」
「ほら!気をやると剣以外のものも飛んでくるぞ!」
「くっ!魔法か!うわっ!」
飛んできたのは蹴りだった。みぞおちに蹴りが入る。
「そうやって決め付ける癖は直せよ!闘いでは何が飛んで来るのかわからないんだぞ?!」
「今日の訓練も俺から一本取るまで続けるからな!」
「はい!」
(いい眼だ。俺から全てを得ようとする活気に満ちた瞳。そういう眼の奴を見ると限界まで試したくなる)
レムはアドニスをかつて"バカ弟子"と呼んで自分自身の下から旅立ちを許した。彼も彼なりに世界を案じて…いや目の前で悲しむ人を増やしたくないからかつて戦乱に加わった。彼が会得した剣は何十人もの人間を彼に殺させた。それを悔やんで自分自身の下にもう一度戻ってきた。
なら…今度こそ、そんな過ちは許す訳にはいかなかった。だから、彼はアドニスを鍛える。
かつての自分自身が出来なかった事を果たせる為に。そして本当に護りたい人が現れた時に守り抜けるように。
「男の子は自分だけだから、命を捨ててでも守り抜かなきゃって思ったんだ……」
「アドニス。お前には、俺のとっておきをくれてやる」