これからの進路
クロッカスさんは大量の本や資料を手に戻って来ると、それを私に渡さずに何故か直接メリーに運んでくれた。そして、部屋を視線で問われたので素直に案内すると、私の部屋にそれらを容赦無く積み上げてくれる。
この老齢としか言えない年齢になって尚、クロッカスさんの筋力は素晴らしいものがありテキパキと動ける様子に思わず感嘆の息がもれる。この世界の人って、老若男女問わず基本的にアグレッシヴよねとその姿を見ていて思う。
それから室内を見たクロッカスさんがふっと笑って私の頭を突然撫でるから、何事かと思い見詰めると髪を掻き乱したその手が当然のように、本棚にあった1冊の本を手にして私を見た。それから妙に落ち着いた声で、問い掛けてくる。
「……この本が、ブルックの話か?」
示されたのは皆の過去を元に書いた1つ。指摘の通りブルックの過去を題材に使った物で、私はそれに頷く事で答える。
それを見たクロッカスさんはそうかと言って本を戻すと小さく、教えてくれた事に感謝すると言って、即座に立ち去ろうとするから、思わず声を掛けてしまった。
「……今は!」
クロッカスさんの足が止まる。私は今これを伝えないと後悔する気がして、必死になって言葉を紡ぐ。
「今はまだ、仲間という光にも、希望にも出逢えていません。けれど、私の船長がその光になると信じています。この海の怖さは分かってます。だから、数ヶ月でなんて言いません。何年かかるかも分かりません。それでも……」
何を言いたいのか自分でもよく分からない。でも、ここで何も言わずにいたら絶対に後悔する。
それだけは分かるから、少しでも伝わって欲しくて言葉を音にする。言葉は言霊だから、音にすれば必ず相手に何かを伝えてくれると信じてるから。
「……どうか後数年、待っていてください。きっと彼はここに帰って来ます。仲間達との約束と共に」
「…………もう、50年待った。後数年くらい、待ってやるさ」
背中しか見えないけど、声も泣いては居ないけれど、クロッカスさんが泣いているのだと何故か分かってしまう。私は、余計な事をしたのだろうか。
罪悪感に押しつぶされそうになった時、クロッカスさんが振り向き、1瞬で間合いを詰めるとその勢いのまま私を強く抱き締めてくる。その腕の微かな震えが、心の震えだと分かってしまう。
「ありがとう。これでまた奴らを〝待つ〟事が出来る。……奴らの数年とは、随分と……」
「……そう、ですね」
何も言わない事も考えたけど、頭上から雫が落ちてくるのを感じてしまえば、私は動く事も出来ずにただそうですねと言葉を繰り返す事しか出来なかった。……大切な人達だったのだろう。
例え共に居た時間は短くても、彼等はクロッカスさんにとってもまた、大切な人達だったのだろう。勿論そこにラブーンへの想いが詰まっているのは分かっているけれど、それだけで大人の男が、子供相手に涙を見せるなんて出来る筈もないのだから。
それから少しした時、爆発音が響いた。それにより私が先に船内を飛び出してサンジ君に声を掛けると、後からクロッカスさんが出てきたのを感じ取る。
「サンジ君、今の爆発音の中に女の子の悲鳴みたいなのが聞こえたんだけど」
ビビを殺す訳にはいかないと声を掛ければ、サンジ君とルフィが海岸に近付いて行った。これで先へ進むルートが決まると思い、私は微笑ましく2人を見送りながらラブーンに視線を向ける。
待たせてごめんね、何年かしたら、きっと戻るから。心でラブーンに声を掛けて、私は静かに微笑んだ。
それからルフィが行き先を決めたので、新たに2人を乗せてからクロッカスさんに別れを告げて船は動き出す。次の島をを目指し、波間の向こうへと。
船は行く。今日の天候は冬、時々春。
リバースマウンテンの麓双子岬を出た船は、1路ウィスキーピークを目指す。甲板に積もる雪で遊ぶルフィとウソップを眺めながら、客のように振る舞う居候2人を叱り飛ばしていた私は、空の変化を目の当たりにして息を呑む。
「分かっていたつもりだったけど、確かにここは難所のようね」
私は外に飛び出すと全員に指示を出していく。勿論居候達にも。
それでも、船はその場を回転したりと忙しなく、なかなかに前へ進んだ気がしない。疲れ果て、倒れ込んでも休む暇はまだ無い。
……ゾロを除けば。
そんな中でも、苦労や努力はいつか報われる。そう。
「島が見えたぞー!」
目的の島に、到着出来たのだから。しかし、上陸の直前で2人の居候はその姿を消してしまう。
それは手品のように鮮やかに。それを見送り呆然とする男達を眺めてから、私は深い息を吐き出す。
これから始まる筈の、厄介事を少し思い出してしまったから。勿論それは大歓迎で私達を迎え入れる人達の怪しさに関するものではなく、その更に後ろに控えるサー・クロコダイルの案件の方。
こんな雑魚達はどうでもいいのよ。取り敢えずただ酒と食料にありつく事が第1で、その後の事は寝たフリでもしながら考えたら良いのだから。
それにしても、ビビをどうやって助けたものかしらね。出来るだけ国民の被害も少なく、か。
大歓迎で迎えられて、ウソップは踊り、ルフィは食べて、サンジ君は鼻を伸ばし、ゾロは呑む。私はそれぞれを適度に楽しみながら、思考の渦に嵌りかける。
難しすぎるビビの願いに頭を悩ませつつも、とりあえずは飲み尽くせるだけ飲んでやろうと決めて、酒に手を伸ばす。それにはわかりやすく睡眠薬が盛られていて、これだからと思いつつ様子を伺う。
この程度の薬じゃ、眠れないのは自分が1番よくわかってるけど、薬入りだと分かってて飲むのも何だか嫌だったりする。でもね、お酒もタダじゃないのよ?
そう考えたら呑んどくべきなのかしら?少し、悩ましいわね。
「もう、呑まないの?」
「このお酒、薬品臭くて。何か間違えて入ったんじゃないかしら?」
取り敢えず呑まない理由を伝えつつ牽制してみると、慌てた様子で酒を取り替えたので、この場にいる全員が分かっていて呑ませようとした事は明白となる。ヤダわ、コイツらの程度が低過ぎる。
クロコダイルが下の方に該当する部下への扱いが、適当になるのも分かろうと言うものだ。この程度の奴ら相手にどうにも出来ないような海賊が、この海を進むなんてそもそも烏滸がましい。
歓待を受けてそれぞれが思い思いの時を過ごす中で、時々ゾロの視線が気になったけど、何か用事があるのかと適当に流す。そうして頃合を見て、怪しすぎる歓待の中で、それなりにお酒を楽しんだ後で酔い潰れたように見せかけて寝た振りをすれば、それから程なくしてゾロが暴れ出した。
ゾロが此方を見ていた理由は不明だけど、そんな事は今はどうでもいいのよ。ゾロが暴れ出したのを期に、人が居なくなった為私は何か金目の物は無いかと物色しつつ、今後について思案する。
ここでビビを〝保護しない〟と言う選択肢は無くて……でも〝保護する〟とあの子のドジ属性で命が危険になる。今の私にBWのメンバーと戦えるだけの強さがあるのかは不明だけど、そんな事よりも今は可能な限り平穏無事に過ごして、医学書の編纂や地域ごとに海図を纏めて地図帳作りを行いたい。
今回通って来た辺りの海図と、クロッカスさんの所の地図も描いてしまいたいし……。でもやっぱりビビを可能な限り安全に、アラバスタまで連れて行きたい。
相手側にロビンがいる時点で、全てを希望通りになんて難しいのは分かってるんだけどさ。うちには女に甘いサンジ君と、女は斬れない剣士と、ロビン大好きな私がいるから……。
そんな事を考えながら、私は集めた金品を船に置きに戻りつつ、どうしようかなと考えつつ再び島へ行ってみる。その時突然掴まれた腕にゾクリとして、それを振り払うと1気に距離を取る。
油断した、この程度の奴らなら考え事してても大丈夫だと思っていた。私が油断なんか出来るだけの実力を持ってる筈もないのに……。
内心で自分に舌打ちしながら敵に視線を向ければ、それは鷹の目で……私は呼吸を止めてその姿を凝視する。冷や汗が流れる。
なんで、こんな所に居るのよ。今頃とっくにシャンクスの所に到着してる頃でしょう!?
「数日ぶりだが、久しく感じるな。その後どうだ」
掛けられた声に体が震えそうになる。でも、まだルフィ達に助けを求めるだけ無駄だもの。
自力でどうにかしないと……誰も、巻き込めない。震えるな、私。
「特に変わりはない……と言いたい所だけど、今は正式に仲間と呼べる人達がいるわ」
「そうか……。それで肩のそれが変わったのか」
その言葉で、やはりあの時見られていたのかと溜息を落とす。そんな私を鷹の目は興味深そうに見ていて、殺気も感じない事から何か話があるのだろうと、攻撃態勢をといてけれどもいつでも逃げられるようにと、警戒だけはしながら対峙する。
そんな私に鷹の目は何かを投げて寄こした。 それを咄嗟に受け取ると視線で開けてみろと言われるので、手の中に収まった小さな袋を開けてみる。
中からは小さな携帯型のペンが出て来て、よく見ればインク補充形だと分かる。使う時にインクをつけて使う物ではなく、地球のボールペンのように使えるそれはまだこの世界では珍しい。
小型の万年筆を独自改良してあるような感覚だろうか。小さいのに持ちやすく、使いやすそうだ。
「……気に入ったか」
「これ、は……?」
戸惑いつつ鷹の目を見れば、小さく笑われる。進路だってそう、ここに来たのは確率的には奇跡のように低いものなのに……どうして鷹の目は。
「……あの日は随分酷く扱った。反省も後悔もしてはいないが、詫びはしたいと思い考えたが、宝石は動きを阻害しそうだとか、売って金にでもされそうだと思ってな」
……どれに突っ込みを入れたらいいのか、既に分からない。酷く扱った自覚あったのかと驚くべきか。
それとも反省や後悔してないのかよと怒るべきか。そんな状態でも詫びはしてくれるのかと、素直に受け取るべきか。
いやいや、私の何でも売り飛ばす癖を何故知られてるのかと言うべきか。混乱の極みにいる私には、どうしたらいいのか正確な判断がつかない。
それでもこのペンは正直凄く欲しい。使いやすそうだし、机で使う物としては不便も多いだろうけど、外でメモを取るには美味しいアイテムだと思う。
「……あの日の事は、お金で解決したと思ってたけど、このペンは正直嬉しいわ。ありがとう」
素直にお礼を伝える事にした私を、鷹の目はじっと見据えた後、帽子の鍔を少し低くしてから小さな声で答えてくれる。それが戸惑いか照れか分からないけれど、微かな動揺を含んでいるのが分かり、鷹の目も人間なのだなと妙な事を思う。
「……詫びに対する礼など、おかしなものだ。気に入ったならば良い。赤髪にはこれから会うが……蜜柑農家として平穏に暮らしていたと伝えて良いのか?」
確かめるようなその言葉に、ここで会えたのだからと私は少し考えてから訂正する事に決める。色々謎はあるけど、鷹の目の善意を疑うのもおかしな話だと思えばこそ、甘えさせてもらいたい。
「……訂正するわ。シャンクスには〝ルフィのクルーとして共に約束を果たすつもりだ〟と伝えてください」
私の言葉に小さく頷いた鷹の目は、その大仰なマントを翻しながら伝える事を約してくれた。その背を見送り、私は深く深く息を吐き出す。
恐ろしい程に緊張していたと、今更気付く。体が震えるのを自覚して、その場に座り込み自らを強く抱き締める。
そうして、情けなくも震えがおさまるのを待つ事しか、この時の私にはできなかった。