宴は盛大に盛り上がり、ブルックはこれ迄知らなかった筈の多くの曲を演奏して楽しそうにしている。私はそれを聞きながらゾロの額に指を当てて、熱の有無を確認してホッと息を吐き出した。
これだけの怪我だし、熱を出せば危ないと思っていたからこそ、無事を確認出来て本当に良かったと思う。宴で盛り上がるその場所はロビンに任せて、私はこっそりと会場を抜け出しサニーへと戻ろうと足を進める。
けれど、サニーまで後少しというところで動けなくなってしまった。痛みもあるけど、重だるい感じがしてそれもつらい。
……情けないわね。今も動けないし、この怪我だって、無駄としか言い様がない。
私は結局、皆に迷惑をかけただけだった。私1人ではルフィのそれを受け切る事も出来なかったのだし、ゾロは今もまだ意識が戻らないのだから、ゾロの苦痛は減らせなかったと考えるべきだろう。
ルフィを守ると言っても、口先だけで意識を失い、皆に心配かけた上に、身動きが取れなくなった。それなら何もしないで大人しくしていた方がまだマシだったんじゃないかって、そんな事を考えてしまう。
……情けない。私は自分が、何より情けない!
今も1人では身動きすら取れなくて、熊相手の時は戦う事も満足にできなくて……。その上私は、誰一人守る事も出来なかった。
私はあんなにも頑張ってくれたルフィの苦痛の内、ほんの1部でさえ、受けきれない。私……このままじゃただのお荷物だわ。
それだけのダメージをいつも……ルフィは背負ってる。このままだとルフィは、永くは生きられない可能性だってある。
私はルフィの苦痛の、ほんの1部で死にかけてしまうくらいに弱い。何が……ルフィを守る……よ。
守られて、甘やかされて、私はなんの為に1緒に居るんだろう。私はただ……迷惑かけてるだけじゃない。
思考の迷路に迷い込む私は、突然抱き上げられて驚きの視線を向けてしまう。腕が明らかにルフィでは無いから、誰だろうと思ったのもある。
「ナミさん……泣いて……たんですか」
言われて気付く、ただ弱いだけでは飽き足らず、ただ心配かけるには物足りないとでも言うのか私は!自分に対する怒りと、泣いていた羞恥から顔を隠そうとすればサンジ君の言葉が降ってくる。
「……痛みますか?」
「大丈夫よ」
痛むのは、自分の情けなさに対する心だから。体の痛みは、これくらい慣れてるから大丈夫。
そんな事は言えないから、心の中で呟くに留めたけれど。顔を背けて言ってみても、サンジ君からは丸見えだろうと分かっていて、居た堪れずに居る私にサンジ君は言う。
「ナミさんに、こんな怪我負わせて、すみませんでした。俺が油断してたからですね」
サンジ君の言葉に私は首を大きく横に振る。何を言っているのか、分からない。
「違う!サンジ君は悪くない!私が勝手にやって、勝手に……動けなくなってるだけよ……。状況を理解して、ルフィから離れるだけでも少しは違った筈なのに、私は愚かにも全て受ける事なんて出来ないのに、離れる事も出来なかったのっ……!」
中途半端な事をするくらいなら、何もしなければ良かったのに。どうして私は……こう、愚かにも迷惑ばかりかけてしまうのか。
せめて泣きやもうと思うのに、涙の止め方さえ今はわからない。サンジ君に甘えてはいけないと思うのに、体は涙を流し続ける。
責められるべきは私なのに、サンジ君は私に謝る。あの時、サンジ君もゾロと同じ覚悟を持って意識を朦朧とさせながらも、熊に挑もうとしてくれていたと言うのに。
「……ナミさんは、悪くありませんよ。マリモの阿呆もナミさんが肩代わりした分があるから、生きてるようなものです。それに、ナミさんが何も出来なかったと言うなら、俺こそ何も出来なかった」
「サンジ君……」
自嘲するサンジ君の姿に私の涙は止まる。体を僅かにでも動かそうとすると痛むけど、私は泣くに泣けないという表情をするサンジ君の事を放置できなくて、そっとその頬に指先で触れた。
ピクリと反応したサンジ君の表情は、自嘲的なものから苦笑へと変わる。そして、甘い声で囁かれたのは短い言葉。
「そんな事すると、漬け込むよ?」
珍しく敬語じゃないサンジ君に、そんな事って?と、問うより早くサンジ君の唇が降ってくる。けれども抱き上げられている状態ではどうする事も出来なくて、ただ合わさる唇に呼吸を飲まれた。
透明人間にされそうになった時のような、ゾワゾワとした嫌悪感は無い。でも、いつもとは違う唇に体は敏感に違和感を感じ取って小さく震える。
優しいのに情熱的なそれを受けて、私は力の入らない体でサンジ君の胸を押す。やめてという意思を持って。
サンジ君はそれに気付いた筈なのに、何故か深く合わせられてしまえば、自分が出してるとは思いたくない声が微かに聞こえるだけになる。
「も……やめ……サン、ジ……く……」
口付けの合間に言えば、サンジ君は仕方なさそうに私から顔を離す。荒い呼吸を調えていたら、サンジ君は悪びれも無く言葉を放つ。
「隙があればって、宣言しておいたのに隙を見せたナミさんが悪い。だから、俺は謝らねェ」
理不尽な言葉に固まっていたら、何処か楽しそうにサンジ君は笑って歩き出す。どうやらサニーへ送ってくれるつもりのようだと分かるけど、もう離して欲しいと心から思って足掻くと落ちますよなんて言われてしまう。
落ちてもいいからと抵抗していたら、怪我人にこれ以上は何もしませんよ。なんて信用していいのかわからない言葉を告げられた。
でも、サンジ君の言葉を信じてみようと思い、体から力を抜くと困ったように笑われてしまう。直後に到着した部屋の入口で、そっと私を下ろしてくれたサンジ君にお礼を言ってから部屋に入れば、ドアを閉めた瞬間に足から力が抜けた。
……これも、浮気なのかな。ルフィ、怒るかな。
緊張感から解放されて、それでも動けなくなって部屋の真ん中で座っていた私の背後でドアが開く音が聞こえた。ロビンかと思って振り向けば、今脳裏に描いていたルフィがいる。
ドクリと心臓が鳴る。冷や汗が出る。
見られていたのだろうか。嫌われたのだろうか。
他の船の人や敵にと言うのならば我慢できても、仲間にってのは我慢できない気がした。女は相手の女に敵意を向けて、男は自分の女に殺意を抱くなんて聞いた事あるし。
不安は限りなく溢れて、今にも泣きそうだわ……。それを耐えて、声を震わせないように気を付けながら声を掛ける。
「ルフィ……?」
ルフィに呼び掛けるもルフィは私を見て肩から力を抜いた様子で、軽い足取りで近付いてくる。そのままヒョイっと抱き上げられて、私は当然のようにベッドへと運ばれた。
「ルフィ?」
再び声をかければルフィは私をベッドの中に無理矢理押し込んでから、ベッドの端に腰掛けて私の髪を弄り始める。何も答えてくれないルフィに、何かあったのかなと不安に瞳を揺らした時、ルフィとは思えないくらい落ち着いた声で言葉が発せられた。
「……急にナミの姿が見えなくなったから、どうしたのかと思って飛び出したんだよ。そしたらサンジがサニーまでナミを抱えて登るのが見えたんで、後追ってきたら部屋の前でサンジが帰ったから……」
不意にルフィの言葉が止まる。ルフィは私の髪を少しだけ引っ張るから、地味に痛い。
でも、なんか髪の毛弄ってるその姿がイジけてるように思えて、減るものじゃないしとそのままにさせる。イジけてるにしても、甘えてるにしても、私としてはただルフィが可愛いって現実しかないから。
「……寝てんのかと思ったんだけどよ、その……顔だけ見ようとしたら座ってて……。なんつーか、動けねェなら、俺に声掛けろよ」
最後は少しだけ萎れた様子で言うルフィが可愛くてしょうが無いとか、私は駄目なやつだわ。ついさっきまで、ルフィに嫌われるかもとか、色々考えてたのが嘘みたいに心が晴れていく。
「ルフィ……」
無理矢理押し込められたベッドからルフィに手を伸ばすけど、届くのは腕か服くらいなものだから、体に触れるのは諦めてその服に触れる。そのまま服の裾を握ると、ルフィが瞳を揺らしながら私を見てくれた。
悲しませたい訳じゃない。苦しめたい訳でもない。
だからと思って私はそっとルフィに笑いかける。でも、きっと変に歪んだ笑顔だろうなと言う事は分かっていて、切なくなってしまう。
「邪魔、したくなかったの。ルフィは、宴を楽しんでるみたいだったから……」
言えばルフィは少し驚いた顔をしてから、私の頭をぐしゃぐしゃに撫で回した。髪が乱れるのにそれに怒りを感じなくて、ルフィに溺れてると自覚するばかりだ。
「少しは俺にも甘えろ!……俺、ナミの〝彼氏〟だろ。〝彼女〟に遠慮されるなんて、嫌だ」
その声は怒って等いなくて、何となく照れ隠しだと分かる。だから今度からねと笑えば、小さく、卑怯だぞその顔なんて言われた。
だけどもしも卑怯だとするなら、私じゃなくてルフィの方だと思う。笑ってるだけで安心させてくれて、そばにいるだけで暖かい気持ちにさせて、弱くても良いと甘やかして来るから、私はどんどん弱くなってダメな奴になって行ってる。
お願いだから甘やかさないでよ。私は、ルフィの荷物になりたくないんだから。
少しでも良いから、役立ちたいし、ルフィの事を守りたい。無駄に長く生きてるんだから、少し位はお姉さんぶってみたいと思うじゃない。
「ルフィ……大好き……」
そんな風に思うのに、言葉になるのは甘えたようなこの1言だけ。ルフィの顔を見た安心感からか、私は襲い来る睡魔に負けて眠りに落ちる。
その時ルフィの何故か怒ったような声が聞こえた気がしたけど、理由はよく分からない。それに、聞こえた気がしただけで……夢だったのかも知れないし。
「言い逃げとか、狡ィ……。ナミお前、起きて、回復したら覚えてろよ」
言葉を口にしてみても、起きる気配のないナミの頭をそっと撫でる。それだけで嬉しそうにその表情を緩ませるナミに、ルフィは顔を微かに赤らめて何処か悔しそうな表情になった。
それから小さく本当に何もわかってねェなんて呟いたルフィの心情は、当人にしか分かりえないだろう。そっと布団の中にナミの体を入れて、ルフィは後髪どころか全身を引かれる思いを抱きつつも部屋を後にする。
実際生きてるのか不安になる程に冷たかったその体は、今しがた抱き上げた時には人並みの体温があった。でも、泣いていたと分かるその顔を見て、どうしてこんなに弱ってても俺に甘えてくれないのかと少しだけ苦々しく思っちまう。
生きて、笑ってくれる。俺を1番に愛してくれる。
それなのにまだ足りないと、その愛を貪ろうとする自分が少しだけ嫌になる。きっと、おれがこんなんだからナミは、俺に甘えられねェんだよなとサニーを振り向いて溜息を落とした。
宴の会場に戻ると、ロビンがフランキーと何やら話し合っていた。ルフィを見付けると手招いてくれた後で今後の行動について話をしていたと言う。
いつもはこれをナミが1人で行い、選択肢を幾つか用意してから最終決定だけさせてくれていたのだ。……と、ルフィはここに来て初めて気付く。
「俺、ナミに甘やかされてる」
「何だ麦藁、お前ェ今頃気付いたのかよ」
「まさか……ナミは、ルフィに相談しないで決めてたの?」
「ナミは、俺が選びそうな選択肢だけ幾つか用意して、最後に選ぶだけにしてくれてたんだ。んで、俺がその中から選ぶとすぐに皆に指示出して、話とか全部進めてくれっから、俺は食べたり遊んだりしてた」
素直にルフィが答えればフランキーとロビンは呆れたような困ったような顔をしてから、今度ナミにもちゃんと言わないとなんて言う。ナミが居ないと進めないのは、何も航海術だけが理由じゃないのだとこの時になってルフィは思い知る。
食事を作るのはサンジでも、食料を得る為の金銭管理はナミがやってる。食料調達は陸に居る時はサンジがやって、船に居る時はナミがやってた。
他にも多くの事がナミ任せで、フランキーが仲間になった時少し話し合ってナミの仕事を減らした。けどやっぱり、ナミ無しじゃどうにも動けねェんだと知る。
「ブルックも仲間になったし、ゾロが起きたらナミ無しで少し話し合おう。全部ナミに任せたら、ナミが壊れちまう」
「……気付けただけ良しとするか。皆には俺様から伝えといてやるから、ロビンは小娘ん所帰れ」
「そうね。そうするわ」
ルフィの言葉にフランキーが兄貴の顔で笑い、その勢いでロビンに優しく声をかけると、ロビンもまた素直に頷いてナミの部屋に向かう。正確にはナミとロビン2人の部屋なんだけど、何となくずっと長く船に居るのがナミだからかナミの部屋って気がしちまう。
それどころか、実際サニーになってからは、測量室がナミの部屋みたいなもんなのに、変だな。そんな事を思いながらも、今はもう少し宴を楽しもうとルフィは人の輪の中に自然と溶け込んで行った。