皆から向けられる期待の眼差しに折れた私は、でもそれならばと思ってピアノが欲しいわと口にする。それに対して即座にフランキーがピアノを運んでくれて、ブルックが楽譜を求めているのが分かればもう抗うだけ無駄と覚悟を決めるしか無くて、ハイハイとそれを素直に差し出す。
それだけで表情なんて分からないのに、ブルックが楽しそうにと言うか嬉しそうにしているのが伝わってくれば、私に勝ち目なんて無い。ブルックの様子に思わず笑いながら、参加してくれるかと問いかければ、うんもすんもなくバイオリンとドラムに視線を向けて困った様子を見せている。
「分かりました!じゃぁ、演奏しますよー!」
「「「よっ!待ってました!」」」
ルフィ、ウソップ、チョッパーがはしゃげば先程までの暗い雰囲気は霧散する。でも、この歌はそんなに明るいものでもないんだけどなぁなんて内心で呟きながら、私は静かにピアノの前に腰を下ろす。
その瞬間ブルックはドラムの前に座り、お任せ下さいなんて言うので、流石は天才と思わず唸りそうになる。1音目と第1声が重なるこの歌は、初心者には優しくないけど天才であるブルックならば問題無いわよねと小さく笑い、ゆっくりと唇を動かした。
「題名は『海の幽霊』です。……1、2、3、4!」
これ迄1人でやってきた為に無かった、テンポを取る為のそれに皆が驚いたような視線を向けて来る。私はそんな視線を感じていながら、妙に静かな気持ちで鍵盤に指を走らせていた。
「ーーー」
歌い出しには何とか成功したとホッとした気持ちで、歌声を甲板に響かせる。ここの歌詞だけならば、船で生活する全ての人が色々な事を想像できるんじゃないかなと思うようなものであると感じているのもあるけど。
「ーーー」
この歌詞の〝あなた〟が生きている人を示して居るようには、私には思えなかった。だからこそ、この歌は私の中でブルックの歌としか思えなくなっているの。
「ーーー」
ブルックに会ったら話してみたい事が沢山あった。なのに、実際に会ってみたら何を話せば良いのか分からなくなったの。
「ーーー」
この世界の夜は、本当に星の海が広がっている。でも、その光までは海に反映される事が無くて、海は漆黒の闇に思えてしまう事が多い。
貴方に会えたその時の事を、私は忘れる事なんて出来ないだろうと思う。ずっと……会いたかったんだから。
ルフィ達を裏切る形で離れた時も、ブルックは私の心にいた。その時はまだ出逢っていなかった仲間達に、私はずっと……そう、皆に逢いたいと願っていたのよ。
「ーーー」
会ったら話したかった事も、伝えたかった事も沢山あるのに、言葉にならなくて……。どうでもいいような、他愛無い言葉ばかりが私の唇の動きに合わせて紡がれていた。
皆に出会ってからの僅かな期間が、私にとってどれ程の衝撃だったのかは……きっと誰にも分かりはしないだろうなと思う。皆が生きていてくれる現実が、どれ程幸福に思えるのか、彼等には分からないだろう。
「ーーー」
思いがけずにいた、漆黒の海の中でも光る存在。それがきっと仲間達であり、ブルックなんだろうなと思う。
「ーーー」
今別れてきたばかりの人達もまた、歌っているだろうか。お墓の元に残して来た花が、ブルックの仲間達の歌声の代わりにいつか、花弁を散らすのだろうか。
「ーーー」
会った事の無い、ブルックの仲間達が笑う声を聞いた気がしたの。ブルックが
そして今、その笑い声は、生きている今の仲間達のそれと重なり、混ざり合うような感覚に陥る。……安心してください、ブルックは皆様との約束をきっと叶えるから。
見守っていてください。貴方達の大切な仲間を。
「ーーー」
何も見たくないと思っても、絶望しか見えない現実に瞼を閉ざす事さえ許されないブルックは、どれほど苦しい想いをその胸に抱いているのだろうか。私は……私達は恐らくまた、この先でブルックを苦しめてしまうと言うのに。
「ーーー」
離れ離れになっても信じられる絆を、どうやってあの短期間でブルックは築いたのかな。でも、今はどうか少しでも良いから、共に叫びたい〝今は幸せ〟と。
「ーーー」
大切な事程、言葉にならない。ルフィと言う光に、私は甘え過ぎている気がするわ。
「ーーー」
ブルックに会えた時、言葉を交わせた時、そして共に演奏した時の事を私は忘れられないだろうなと思う。それくらい、長い間私はそれを待ち望んでいたから。
「ーーー」
いつか会えたならば……そう思いながらアーロンの元で過ごしていた。私の知る限りでは、仲間はブルックが最後だからかな?漸く全員が揃った気がするの。
言葉にならない位の幸福と、この先が分からない不安が、何かを伝える事に恐怖を抱かせる。今ある幸福を、失いたくなくて。
「ーーー」
何があっても変わらないのは、きっとこの場に集まっている誰もがルフィという光を求めているという現実。何があっても、ルフィだけはと誰もが思っているだろうと言う真実。
「ーーー」
どれ程絶望しても、どれ程離れても、きっとまた私達はこの潮風の香る場所で、何度でもまた会えるわ。何度も苦しめてしまうだろうと思えば、ブルックには申し訳無い気持ちになる。
けれど、私の幸せの場所はブルックも含めた麦藁の1味全員が揃ってる現実という場所だと知っている。だから、私は傍にいて欲しいと残酷にも願ってしまうの。
歌い終えるのとほぼ同時に、演奏も終わる。私が静かに頭を下げるとフランキーが納得したように頷いた。
「歌が上手いのは知っていたが、本当に小娘が作詞作曲してたんだな。……良い、歌だったと思うぜ」
……私の歌じゃないとは、もう死んでも言えない。元々この曲は天才と呼び声の高い人が作った作品だもの、いい歌に決まってる。
それでも、この道を選んだのは私だし、きっとやり直せても同じ事を選択するのだから、罪悪感で表情を歪めるなんて許されない。私は細く息を吐き出してから、頭を上げると同時に、微笑んでみせる。
笑え……私。震えるな、声……!
「海の歌だから、何か感じるところが皆あるんじゃないかなって思ってるわ。さぁて……ここからはブルックに任せるわね。私もまだまだ本調子じゃ無いし、本業じゃないから気後れしちゃうもの」
「ナミさんは、誰にも気後れ等する必要も無い程に堂々としてましたよ。ヨホホホホホホ」
ブルックの言葉にありがとうと笑って、フランキーにピアノ戻しておいてと言おうとした所で、ブルックにそのままでと言われてしまう。曲により楽器を変えながら宴の合間に知らない曲を練習したいと言われれば、練習でも充分すぎる程に上手いブルックならば皆賛成する以外の選択肢はない。
バックミュージックよろしく奏でられる音楽は、皆の耳に心地よく響く。そんな時にチョッパーが試薬だけどと言って、私とゾロに薬を差し出して来た。
「怪我とか疲労を1時的に消し去ってくれるんだ。代わりにその薬が効いてる間は実際の回復が止まる。ただ、まだ調整段階だから、2人に試してほしいんだ。個体差の違いも知りてェし……頼むよ」
それを私が受け取ると、ゾロもそれに続くように受け取った。見れば明らかに粉で、せめてカプセルに入れて欲しかったなと思う。
「どの位の間、効果が出るの?」
「それもわかんねェんだ。しかも効果がいつから出るのかも、いつまで出るのかも含めて何もわからなくて……だから、海の上にいる今の内に試してほしいんだ。陸に着けばまた戦いになるだろ?」
真剣な顔をするチョッパーに、私はそういう事ならと薬を飲む。それを見ていたゾロは溜息を1つ落として、薬を同じように口にしてくれた。
それを見て不安そうにしているチョッパーに、私は笑いかける。実際私が飲んでみた感想としては、特に苦い訳でもなく飲みやすいというものだったので、それと同時に即時痛覚や体調に変異は無いという事を伝えていく。
チョッパーは真剣な顔でそれをメモしてるから、私は副作用や薬効が出た時に言えば良いのだろうと判断して皆の所へ戻る。適当にお酒を口にしていたら、ルフィが踊っているのが見えて平和な今を楽しむ事にした。
今私は何も出来ない。エースを助けるには、条件が足りないわ。
……潜水艦を持つローちゃんに頼む?
無理よ。私から見たら初対面と同じだし、ロシーは私を憎んでいたのだから、ローちゃんだって同じと考えるべきだもの。
詳細は覚えてないけど、確かナミちゃんは空島へ1人で行く事になった筈。そこから地上に降りる技術を、その島の老人達は持っている。
なら、勝負は飛ばされてから。私は……諦めない。
目の前に広がる幸福な現実に意識を戻せば、今日も宴は盛大で、楽しいものになっている。いや、今までもよりもずっと楽しいものになっていると感じられた。
ルフィがずっと望んでいた音楽家は、こうして新たな仲間として行動する事になり、私は長い事夢見ていた仲間の揃った状態に自然と頬が緩むのを感じている。不安がないと言えば嘘になるけれど、このメンバーが揃った今だけは、無敵なんじゃないかと少し思えていた。
波間の向こうを目指して、サニーは進む。新たなる冒険へと。
スリラーバーク編―完