航海士の〝女〟と呼ぶには、まだまだ若すぎる上に弱過ぎる。手元に置くならば、幹部を誰か1人は常に傍に置いて守らせる必要があるだろう。
話をしてみれば賢さだけはあると分かる。知的な光を宿す瞳は、触れれば切れそうな危うさをも示しているが故に、多少憐れに思う。
食事に盛った睡眠薬は常人ならば1口目で倒れる筈の物だが、暫くは普通に食事をしている様子からこれ迄の生活が多少は見えようというもの。ベィビーちゃんが目の前で倒れるのを眺めていれば、即座にナイフを掴み迷いなく自らに突き刺そうとしているのが見えて、思わずその腕を掴む。
その時に向けられた眼差しが軽蔑していると伝えて来て、唇がどういうつもりなの?と動いたのが妙に印象に残った。瞬時に状況を判断して、躊躇無く自らを傷付けようとしたのは賞賛すべきかどうなのか、叱るべきなのか。
敵の目の前で倒れるリスクを理解しているのは、平和ボケしている訳では無いと分かり、仲間にしてからの教育と言う面では助かりそうだが……。自己犠牲が過ぎる所はやはりベィビーちゃんとしか言い様がないかと思うのと同時に、ロジャーの前で微笑んでいたルージュを思い出して1瞬思考が止まる。
……何処か似てる気がするのは、まだ俺が追い求めていると言う事なのか。ロジャーが憎いと思うのは、勝ち逃げの形で先に死なれたからか、それともルージュの事があるからか。
稀有な能力を持ち、世間的には美しい筈の女であるベィビーちゃんは、自らの美しさに対して余り自覚を持っていない様子だ。倒れた衝撃で、髪が覆い被さるようにして顔を隠す。
それが少し勿体なく思えて髪を退かせば、瞳を閉ざしただけで印象を大きく変えた女がいた。強気で知的な瞳と、生意気な口調で恐らくは多くの事を誤魔化していただけなのか。
本当の所では、まだまだ本当にベィビーちゃんなのだと思わされる。そうなって初めて、これ迄必死になって守って来たであろう小僧共の苦労が垣間見える気がした。
『その時ロジャーがね』
『……お前、二言目にはロジャーだな』
『そりゃそうよ。私、ロジャーを愛してるもの』
脳裏で笑う女と、目の前に倒れている女の共通点なんてのは、髪型位なものだろう。なのにも関わらず、ベィビーちゃんを見ているだけで、ルージュを思い起こしちまう。
瞳を閉じるだけで途端に幼く感じるその姿に、遠い昔に捨てた筈の罪悪感が僅かに疼く。抱き上げれば見た目よりも軽い事から、筋肉がほぼ無い事を再認識させられる。
そう言えば、これ迄ずっとロジャーの事ばかり気にしていたが、ルージュは今どうしているのだろうか。その時ベィビーちゃんが身動ぎ、小さく呟いた。
「……ル、フィ……」
助けを求めたのか、抱き上げる俺の腕を勘違いしたのかは知らないが……。そう言えば連れ去る時も、ルフィ、皆……と呼んでいたのを思い出せば、どうやら信頼か恋愛かの詳細は不明としてもベィビーちゃんが心の中で頼りにしているのは、あの小僧なのだと分かる。
まだまだベィビーちゃんとしか思えない女だが、これは相当いい女だ。数年後には、世界の名だたる男共が放っては置かなくなるだろう。
……いや、もう既に奪い合いは始まっていて、このベィビーちゃんだけが理解していないのかも知れないなと気付く。ルージュが、そうであったように。
そんな〝いい女〟が何故あんな小僧を支えにしているのか、全く理解できない。ベィビーちゃんをベッドに下ろせば、無防備な寝顔が背徳感を刺激する。
……良くもこれまであの小僧の元にずっと居られたものだと感心しつつ、部屋を後にする。生意気にも海賊旗を掲げていたのだから、恐らくあの小僧にも幾許かの懸賞金くらいはかかっているのだろう。
だが、それを知りたいとは思えない。それに何よりも、あの小僧はロジャーを思い起こさせる。
だからこそ余計に気に食わない。その小僧を信頼と愛しさを乗せて呼ぶベィビーちゃんが、俺に膝をついて仲間にしてくれと懇願する様は恐らく、何とも心地良いものになるだろう。
この女の能力が欲しい。あの小僧が、嘆き苦しむ様を見てやりたい。
その2つの思いが、ロジャーに負けたあの日を思い起こさせ、同時にロジャーが死んだと聞いた時の絶望を思い出させる。憎んでも憎みきれない程の執着は、既に妄執に近いと分かっているんだ。
それでも止められずに暴走する心を持て余しながら、俺は今でもロジャーに心が囚われている事を自覚する。彼奴は……最高で最低な男だよ、本当にな。
それにしても、髪が濡れたままだな。……面倒だが、風邪でもひかれては厄介か。
どうして俺がと思わなくも無いが、必要な事だからとその髪にタオルを巻き付けて水気を取ってやる。その時ふわりと漂って来た柑橘系の香りに、髪の色だけではなく香りまでそれかと思わされてつい笑ってしまう。
毒気を抜かれそうになる自分を自覚し、そっと寝台へと寝かせ直してやれば薬の為に無防備な姿を晒す若い女だと認識出来てしまう。……この甘いベィビーちゃんと、気の強かったルージュが似ているように思えるとは、俺も焼きが回ったもんだ。
これ以上留まれば、ベィビーちゃんに何をするか解らねェなと自嘲して、俺は部屋を後にした。1人にしたその部屋で、ベィビーちゃんが目覚めるのはいつになるのか……薬を摂取した量を考えれば、10日は目覚めないなんて事も考えられるかと思えば、少しばかり気が重くなった気がして溜息が落ちるのと同時に、俺の背後で今出て来たばかりのドアが完全に閉ざされた。
「っ……ぅ……」
意識が浮上して体を起こしてみると、頭が妙に重い。それでも自らの体を確認しておかなくては不安で、意地で体を起こしてから、服を着ている事を確認してホッとする。
それから洗面所へと移動して顔を洗って髪を調えると、漸く頭が活動を始める。まだ頭は重いけど、そんなの気にしていられないわ。
部屋の外へどうやって出ようかと考えながら部屋に戻った時、廊下に続くドアが開かれて中に金獅子が入って来た。そして私の姿を見て、驚きの表情を浮かべるのを見れば、あの薬がどれ程の強さを持っていたのか分かろうというもの。
「……起きてたか。……昨夜は驚かせて悪かったな、ベィビーちゃん。気が立って眠れないかと思ってな」
「……それにしては随分と強い睡眠薬だったわね」
軽い睡眠薬なら私には効かないし、速効性が相当高くなければ食べている途中でなんて有り得ない。今のルフィと私の毒に対する耐性は、恐らく私の方があると考えられるから、気付かない間に毒を盛られていた可能性は無いと言える。
マゼランの毒に晒されてからのルフィには勝てないだろうけど、今のルフィと私の毒耐性レベルは恐らく同等。……その中で考えれば、睡眠薬に限れば明らかに私の方が耐性が強い。
その私が即効で眠らされた薬なら、常人なら数日は目覚めない筈の物と考えるしかない。つまり下手をすれば、死ぬ可能性も充分に有り得たって事。
これで私を害するつもりが無いとは、笑わせてくれる。目的が見えて来ないわね。
でも、だからこそ金獅子も、私が起きてる事に驚いたのだろうと分かる。……今分かってる事は、金獅子は味方では有り得ないと言う1点のみ。
「……私を仲間にしたいというのは、ルフィに何か怨恨でもあるのかしら?」
「ベィビーちゃんは、自分の価値を知らなさ過ぎるようだな。その気象センスは稀有なものだ。より高度な技術とセンスを持つ航海士が俺には必要だと言うのは、わかり易い現実だろう」
「何言って……?私は確かに天才だけど、ルフィに比べたら価値なんて……」
「あの小僧に価値?」
訝しげに私を見据える金獅子の視線が、何も知らないと告げている。もし、つい最近までインペルダウンに居たのだとしたら、情報は入っていた筈。
それなら、この浮いた状態で何十年も居たのではないかと考えられる。それは、なんの為に?
……嫌な、予感がする。正体のわからない不安に押しつぶされそうな気になるけど、結局私には何も答えを導き出せない。
だからこそ、言葉を口にする。それがどんな結果を産むかなんて分からないけど、未来を変えると決めた私には、何故かそれが必要だと思えたから。
「……海賊王に息子が居るのはご存知ですか」
「あの小僧が!?」
「いいえ、ルフィは海賊王の息子と義兄弟の盃を交わしていると言うだけです」
「……ロジャーの息子なら、名は〝エース〟か?」
「え?」
声を失った私に、金獅子は1つ頷いてその瞳を微かに細めた。そして1人納得した様子で微かに微笑むと、私を静かに見据えた。
「ルージュも元気か?」
「……いいえ、エースを産む時に無理をしたので、そのまま儚くなりました」
「……っ!?そうか……エースは、22歳か?」
「いいえ、エースを守る為にルージュさんがお腹に長く留めていてくれたお陰で、現在20歳です」
その瞬間、金獅子は高笑いを響かせた。その声は何処か切なく、そして何処か暖かく感じられた。
「父親もなく、母親も無く、独り生き抜いたのか。流石はロジャーの息子だな」
「……今は〝白髭〟の息子です」
「……あの野郎、ロジャーの息子だって知ってんのか!?」
「えぇ、勿論」
暫しの沈黙の後、金獅子は小さく何かを呟いてから間合いを1気に詰めると突然私を抱き上げた。何事かと慌てる私を、金獅子は楽しげに眺めてからベッドへと投げ飛ばした。
咄嗟に覇気を纏い無事に着地したけど、何をしたいのか全くもって理解出来ない。長い沈黙が流れて、私は金獅子を睨み付ける。
「俺の、女になるか?ベィビーちゃん」
「お断りよ!私の全てはルフィのものなんだから!」
「……乳臭いガキよりは、
そう言って私の顎を掴んだ金獅子は、当然の様に私の唇を塞いで来た。嫌だと抵抗しようにも、流石は元剣士なだけあり腕力も胸筋も恐ろしく発達していて、勝ち目が見い出せない。
逃げる隙さえ見当たらず、足をばたつかせて見ても全力で殴ってみても効果が無い。喉の奥まで差し込まれた舌が、口内を自らの
「……っ!やっ……ぁ!うっ……んんッ!?」
舌を噛んでやろうとした所で解放されて、私はそれを腕で拭いながら金獅子をこれでもかと言う勢いで睨み上げる。そんな私に金獅子は肩を揺らし、思ったより慣れてるななんて言うから少し驚く。
ナミちゃんの容姿だから、慣れてるのが当然とこれ迄思われてきたのに……そう言えば、フランキーも私を何も知らないと思ってたっけ。見た目と言動で誤魔化されてくれる相手と、そうでは無い相手がいる事に、私はこうして気付かされる。
そうか……先入観を持たせやすい容姿でも、ちゃんと見ていればわかる人には分かるんだ。この人は、ちゃんと本質を見られる人なのね。
そう思えば少し冷静になれて、金獅子が言っていた言葉も多少は理解できる気がした。金獅子はふわふわの実の能力者……だとするならば、風に弱いのは分かる。
それが理由なら、私を求める事も分からなくはない。サイクロンの発生を、私もナミちゃんと同様に感じられるのだから。
でも、それ程に必要ならば、何故そんなに強い睡眠薬を投与したのか。こうなると、私に何をするつもりだったのかと言う疑問が脳裏に浮かぶ。
例えば寝ている間に点滴を入れて、それに麻薬を仕込めば嫌でも仲間に出来る。そういう事なのかな。
ゾワリとしたものが全身を駆け巡るけど、海賊の世界では、卑怯なんてものは無い。そう考えれば、我が身を守れないでいつもルフィ達に守られている私に、全ての責任があるのよ。
何が金獅子の目的であったとしても、このまま泣き寝入りするつもりもないし、仲間になる気なんて欠片もない。私の帰るべき場所は、ルフィの所だけだから。