その日の航海日誌には『飴時々水飴』なんて天気を書き込み、お昼は綺麗になった甲板でとの事になった。それを食べ始めた瞬間、海ダヌキが出現して、ルフィが化けるぞ逃げろと号令をかける。
それから逃げ回り息を吐き出した時に、またルフィが楽しそうな声を出すので、今度はなんだ!?と思って視線を向ければ丸虹が見えた。通常高い位置からしか見えない筈のそれに、本当にこの海は理屈が通用しないわねと笑ってしまう。
「今日の航海日誌の天候は、歴史に残りそうね」
思わず口に出せば、ロビンが本当にねと笑う。そこで漸く1息入れて、ブルックの演奏を楽しみつつロビンと航海日誌について話をしていれば、ルフィとウソップが遊び出して、サンジ君が飲み物を提供してくれる。
チョッパーは薬草を干して、ゾロは私とロビンが見える範囲でダンベルを動かしている。フランキーは飴玉で傷付いたサニーの修理をしてくれて、本当にずっとこうしていたいと願わずには居られない。
夜になり、そろそろ寝ようかって頃になってからサイクロンが襲って来て、私は指示を飛ばしつつ皆はそれに従って動いている為に全員で完徹となる。それから交代で睡眠を取りつつも、偉大なる航路らしい天候に翻弄され、安眠できる時間は与えて貰えない。
それでも、笑い声が絶えないまま、私達は船を進めて行く。そして、数日ぶりに落ち着いた夜を迎えた。
コニスに貰ったハープを手に、ブランコに腰掛けて、私は月を見上げて演奏を開始した。それにゾロが珍しく反応を見せる。
お酒の相手かな?
それを求める時は、演奏の途中でも声をかけてくる事がある。酒呑みは総じて、誰かと呑むのを好む傾向があるのよね。
ゾロに視線を向ければ、今し方まで修行をしていたのが分かる。その意気は珍しく荒く、汗が流れているから。
傷が治りきらない内に修行を開始するゾロが、少し心配で演奏を辞めて見詰めてしまう。するとゾロは芝生に腰を下ろして、先程の私と同じように月を見上げた。
「今日の月は綺麗だな」
「……っ……そう、ね」
違う世界の言葉だし、ワノ国出身でもないゾロがそれを知ってるとは思わないけど、正直動揺した。だってほら〝月が綺麗〟は〝あなたを愛しています〟だから。
「……何か、歌ってくれないか」
聞いている体を取りながらも、疑問符のないその言葉は、私に歌えと命じている。それに従う理由は無いけど、今日は笛じゃなくてハープだから、叶えられてしまうのが少し悔しい。
何より、楽器も理由だけど、断る明確な理由も無いのが悔しさを増すのかも知れない。ブルックに頼みなさいよと思うのだけは、どうにもならないけどね。
「リクエストはあるの?」
この世界の曲だと、知らない事も多い。でもゾロは、私の出した曲から選んでくれるだろうと、何となく分かっているのだ。
ゾロは月から視線を外し、じっと見透かすように私を見て意味ありげに笑う。それが野獣っぽくて、ゾロのファンが大喜びしそうな顔だわと少し思った。
「ラブソングを頼む」
「……なに、企んでんのよ」
妙な事を言い出したゾロに、深い溜息で返しながらも少し考える。歌や曲なんてものは、半分以上が恋愛ソングだからだ。
しかも今回は明確にどんな感じのラブソングが良いのかは言われてないのだから、困るのも無理らしからぬ事と思って欲しい。その時ふと思い浮かんだのは、まだ宝玉として出していない曲の1つ。
この歌は、素直になれない秘めるしかない想いを抱く人の歌。私は、それを眼を伏せて脳内で1度演奏してみる。
……やれそうね。
「〝長い間〟」
私が声を音にすると、ゾロが妙に優しい顔でこっちを見た。その瞳に宿る熱が、私を焼くような気がしたのは何故なのか。
「ーーー」
海賊やってると待たされる事より、待たせる事が多い。それでも、仕事を海軍に追われる事と思えば、案外合うかもしれないわね。
「ーーー」
歌い始めたからか、ドアの開閉音が聞こえた。誰かが甲板に出て来たのだろう。
でもその人物は、特に話しかけてくるでもなく静かにしているから、私は気にせずに歌い続ける。ゾロは何故急に、こんなリクエストしたんだろうと微かに疑問を抱きながら。
「ーーー」
この世界にも電伝虫がいるのだから、受話器のままで問題ないだろう。そう思ったけど、これってなんだか、2年の修行を経た後で想いを自覚した人がいたら合いそうな曲だわと歌いながら気付く。
「ーーー」
逢えた時、笑ってくれたら確かにそれだけでいい様な気分にはなる。どうして人は、簡単に愛情に溺れてしまうのかしらね。
ハミングを入れながら間奏を演奏していたら、煙草の臭いがしてきてどうやらサンジ君が表に出てきたらしいと分かる。恐らく歌い終わったら、飲み物でも出してくれるつもりなのだろう。
「ーーー」
ロビンが小さく声をもらしたのが耳に届く。どうやら私からルフィへの想いだとでも、思われてるらしい。
歌っているから、それを否定する事は出来ないけど。ロビンはどうしてか、ルフィに時々恐ろしく冷たいのよね。
「ーーー」
ブルックがバイオリン片手に降りてくるのが、視界の端に映る。どうやらこの先の流れに、予想が付いたらしい。
ブルックは私が歌い出すのに合わせて、共に曲を奏で始める。それは譜面を知らないとは思えない程に完璧で、天才には敵わないなと思い知らされてしまう程。
「ーーー」
何があっても、笑顔だけは忘れないわ。それさえ出来ないのならば、皆の傍にいる権利は無い。
「ーーー」
笑ってる皆の傍にいて、私はやっと私になれる。皆の前では、素直で居られるの。
肌を寄せ合っている時にしかルフィにも中々言えないけど、本当に愛してるのよ。皆にも中々言えないけど、私はこの1味に居られて良かったと思ってるわ。
「ーーー」
ここからはサビであり、ラストスパート。そっとブルックに視線を向ければ通じたらしく、繰り返し同じ物を演奏する。
私の演奏と少しのズレも無いのだから、ブルックの才能は本物だと感心する。言葉にしなくても、伝わってくれる事が胸を暖かくするの。
「ーーー」
締めの部分を演奏をして曲を終えると、ロビンが楽しそうに笑いながら降りてくる。それに続くように、フランキーも降りてきた。
サンジ君は予想通り私に飲み物を差し出してくれたからそれを受取り、お礼を言ってそれを飲む。ブルックがそんな様子を見て、静かな曲を引き続く様に何曲か弾きはじめた。
ゾロはその間ただ無言で月を見上げていて、何も語ろうとはしない。何か話でもあったんじゃないかと視線を向けると、ゾロも私に視線を投げつけるように向けて来て、声を出さずに唇だけをそっと動かした。
『明日、上に来い』
私は了解の意味を込めて頷くと、直後にロビンに視線を向ける。ロビンはその視線を受けて私に近付くと、側に立って月を見上げた。
波の奏でる音楽と、星の囁かな煌めきが心に何かを訴えて来る。このまま何も変わらずには居られないのだと、変化の時は近付いているのだと、変わる空気が教えて来ているのに、私は気付きたくないと静かに首を横に振った。
「ナミ?」
「……今が幸せ過ぎて、不安になったの。大丈夫よ。それと……今の歌はルフィへの想いじゃないからね」
「あら、私はまだ何も言ってないわ」
ロビンは悪戯に笑うと、私の誤魔化しに乗ってくれる。賢くて優しい大切な親友。
笑ってくれるようになった。でも、その変化の大きなところは私やルフィじゃなくて……フランキーに寄るものでしょ。
それが分かってるからこそ、私は安心して笑える。この先で万が一の事が起きても、ロビンを支えてくれる人がいると言う真実が心を落ち着かせてくれるの。
「顔に書いてあったわ」
わざと少し膨れて言えば、ロビンはクスクスと笑う。それにプイッと顔を背ければ、そっと頭を撫でられる。
そんな時上から声が降りてきた。どうやら今夜の見張りはルフィだったらしい。
「ナミー!変な雲があるぞー!」
異変を感じなかったわ。何かしらと見れば、それは危険な物ではなく単なる自然現象のレンズ雲だった。
「問題無いわ!自然現象よ!珍しい物だから楽しんで!」
普通なら見られない物だとか、そんな事を言っていたらこの海では生きられない。気象学も何もかもがこの海では役立たない。
でも……違う方向から近付くこれは……。
「……竜巻……?皆、竜巻が来るわ!9時の方角に逃げて!」
寝ていたウソップがそれにより起きて来ると、本当にゆっくり寝る事も出来ねェなと皆で笑い合ってから、ウソップは私にこれが落ち着いたら少し寝ろよと言う。チョッパーまでもがそれに頷き、目の下に隈が出来てると言うから、仕方ない事だわと笑っておいた。
その騒ぎが落ち着いて食堂にてハニーオレンジを飲んでいたら、ルフィが不思議そうな顔で私に問い掛けてきた。それは、本当に当然の疑問であるかのような様子で。
「ナミは俺に抱かれてる時とか、よく愛してるって言ってくれるのに、なんであんな歌……歌ってたんだ?」
「黙らっしゃい!」
「でもよ「あの歌は、キスもした事ない関係の2人の歌なの!ルフィは関係ないのよ!」」
「ナミの場合……それ、該当者いねェじゃんか」
「五月蝿い!」
言いながらルフィの首をギリギリと締めれば、サンジ君が灰になりウソップとチョッパーが慌てて、大人3人組が穏やかに笑って……ゾロは寝ていた。そんな中でも、その喧騒が愛しく思える私は随分感傷的になってるのだと気付く。
この精神状態は確かに問題だからと、仮眠を取り少し休めたかと思ったのも束の間、ルフィの悲鳴で目覚める。何事かと上着を引っ掴んで表に出れば
この世界特有の現象に、けれども私に超えられない海なんて無いわと強気に笑ってみせる。不安なんて仲間の誰にも、抱かせるもんですか!
「何の!乗り越えろー!」
「1曲行きますかー?」
「よーし!唄うぞー!!」
「歌っててもいいから働けー!」
叫ぶように言う私に皆が笑う。ブルックの演奏をバックに歌いながら乗り越えてしまえるこの1味は、色々な意味で相当強いと思うのよ。
その他はその日に限って言えば目立った事もなく、航海日誌にも遊蛇海流を歌いながら乗り越えたと記載する程度で済んでいる。だから私は滅したと思われていた曲達を、ブルックに1言言って譜面に直す。
よく分からない場所についてはブルックに演奏して貰いつつ、欠けてしまってたり滲んでしまってるそれを復活させれば新たな曲達が生み出される。〝喪われし音楽〟と後に呼ばれるようになるこの出版物は、60代から上の人達には感涙と共に受け入れられるのだが、そこは割愛しよう。
そうして私達は1つの区切りとなる場所へとサニーを進めていた。もう少しで見える筈のそれは、まだ微かにさえ見えてはいなかったけれど。