何が起きるか分からないのは、偉大なる航路に入ってすぐの頃の海を思わせる。即ち、それと近い場所に今私達はいるのだという事を理解する他ない。
だからこそ、私は甲板で算盤片手に眼鏡をかけている。船内に居ては対応が遅れてしまうものね。
あの頃は、私は偉大なる航路について、何も分かってなかった。そして、ビビが敵としてこの船にいたのよねと、少しだけ懐かしく思う。
現在サニーにある金額は、スリラーバークでの儲けも有り、順調に増えている。スリラーバークでは使わずに、得るだけだったのが大きい。
魚人島に関する事が記載されてる書物を幾つかロビンに頼んで持って来て貰い、それを読み漁りながらコーティングの必要性を痛感する。そうなると、嫌でもそこで億の金が動く事になるわね。
仮眠を交代で取っていても、1人3時間程度な上に、安眠から程遠い状態にある為、時折目の前が歪む。それでも航海士としてはそれくらい耐えられなければやっていられないわと、頬を両手でパンと叩くと他の減っている物について計算して行く。
布や食器、洗剤類に食料、医療品と燃料はどうしたって足りなくなるアイテムだ。その他釘とか板とかは、海戦等がどの位有るかにもよるけどそれなりに消費する。
でも、フランキーとウソップがそれはどこかで安く得て来てくれるので、そこは結構助かってる。普通ならこれの数倍はかかる筈だもの。
ウソップがウソップ工場で作る物についても、原材料費は纏めて請求してもらうようにしている。私のインクと紙もそうだけど、必要な経費として計算しないと平等じゃないと言われてしまったので、甘えさせて貰ってるの。
それと皆の必要な本についても、小説等の娯楽についてはお小遣いから出して貰ってるけど、資料や辞書等については必要経費枠。そうするようになって、実際計算は楽になったのだから、皆には助けられて甘えてばかりだなと思うのも当然の事だと思う。
魚人島に行って、そこで冒険が終わる訳じゃないから、出来るなら後少し余力が欲しい。各島でもスリは行う予定だけど、どれだけ稼げるかは分からないから。
海賊が多く居る島なら可能な範囲で懐の物を貰って、変装して海軍に差し出して得てる賞金を含めて計算に入れて、それで何とか固定で消費する金額くらいはこれ迄も稼げてたとは思うけど……。やっぱり執筆速度上げないと、そろそろ無理があるかしら?
色々な意味で情報も足りないわ。特に不安を煽るのは、私が頭痛を発現させない時は、私の命に危機が迫る可能性が高い所にある。
前みたいに、いつ死んでもいいなんて思えないから、どうしたって……不安になる。私は……皆と冒険したいし、何よりも〝ルフィの航海士〟として生きていきたいの。
皆に〝遺される苦しみ〟を味合わせたくはない。私としても、皆の傷として遺るのは……嫌だわ。
ルフィの恋人である現状は幸せだけど、それよりも、
「ナミ……大丈夫?」
「ロビン、ありがとう。でも、もう少しだから大丈夫よ」
「……もう少しで、半周なのね」
「その筈よ。……でも、今夜は少しゆっくり寝たいわ」
「そうね、ナミの集中力が落ちすぎてるものね」
困ったように笑ったロビンがそう言えば、私もまた笑ってしまう。頭に霞がかかったみたいになっていて、それでも今はまだ寝てしまう事が許されないから……。
その上案外やる事は目白押しで、しかも海は少しも休ませてはくれない。ただ蓄積した疲労は、私の三半規管に変調をきたしてしまった様子だ。
目が回り、吐気がしてきた事で限界を感じるけど……後少しだけと思い、強制的に目を覚ます為にシャワーを浴びに向かう。そんな私をチョッパーとウソップが心配そうに見ている事さえ、私は気付けていなかった。
お風呂上がりに今見張りがゾロだからと、話をしたい様子だったのを思い出して、サンジ君からゾロへの差し入れを預かりつつ天体観測をしてくるわと言って上に登る。当然のように、私の分も用意してくれたそれに感謝して笑えば何故か、心配そうな顔をされてしまったけど。
ゾロはどんな用事があるのかしら?
「ゾロ……?」
展望室へと登り声をかけると、そこでは足だけで何キロあるのか不明なダンベルを持ち上げている阿呆がいた。いや、うん、なんか……凄いわよね。
そのゾロから流れ落ちる汗が、ゾロを人間なのだと教える。これで汗もかいてなければ、現実だと認識するのも、私の脳は拒否したかもしれない。
私が呼び掛けた事で動きを止めたゾロに、差し入れよと言って預かって来たフォカッチャと飲み物を差し出す。それに体勢を整えるから、私はタオルを持って来てた熱いお茶で軽く湿らせて、強く絞った。
お茶には殺菌効果があり、熱いから汗も落とせると言う意味で効果が相乗効果で現れる筈。そうして用意したタオルをゾロに投げれば、見もしないでそれを受け取り体を拭き始める。
これでまだ見聞色の覇気は使えないというのだから、恐ろしいわよね。武装色はたまに出現するけど、いつでも自在にって訳じゃないとボヤいていたのは記憶に新しい。
同じような事をルフィも言っていたけど、サンジ君は見聞色の覇気の方が少し使えるようになりつつあるらしく、武装色が全くで悔しそうにしていた。それを思い出してふふっと笑うと、ゾロは静かな声で言う。
「ありがとう」
ゾロのそれがどんな意味を持つ言葉かはわからないけど、とりあえずタオルと食事に関してかなと首を傾げる。そして、ソファに腰を下ろしてゾロを眺めながら飲み物だけ貰って飲み始めれば、ゾロはちゃんと二人分の食事を自分用と判断して食べてくれた。
1瞬で平らげるそれを眺めて、ルフィとは違うけどやっぱり体育会系の男の子なんだなぁとしみじみ思う。ルフィ達のような大食漢も、この世界だと結構居る。
それに比べたら少ないけど、やっぱりゾロもよく食べる方だとは思うのよね。そんな事を考えながらゾロを眺めてると言うか、観察してるというか……。
私としては、別段筋肉フェチとかじゃないつもりだけど、ゾロの筋肉や首筋は綺麗だなと素直に思う。無駄に色気を振り撒いてるから、サンゾロとかゾロサンとかでのお話が大量に生産されてたんだろうなぁ。
ルフィも可愛いから、よくそっちで使われてて人気あったけどね。でも、ルフィは船長で我儘だから、こうして1緒にいるとしみじみ、猫にはならない気がするわ。
「ナミ、何見てんだ?」
「ゾロの腹筋」
首筋は綺麗だけど、それよりも腹筋の見事さは無い。この世界の男達のこの肉体美は、他の少年誌と比べても群を抜いてると思うわ。
そんな事を考えながら素直に答えたのに、何故かゾロは動きを止めた。どうしたのかな?
「……楽しいか?」
「ミホークにやられた傷だけ治らないのね」
ゾロの問い掛けに、答えにならない答えを返せばゾロが残っていた差し入れを食べ尽くし、飲み物を1気に飲み干した。それから直ぐにゾロは立ち上がると、私の目の前まで移動してくる。
「ナミは、あの時居なかったよな?鷹の目から聞いたのか?」
「ううん、未来を見た中にそのシーンがあったの。それに、ミホークがそんな事自慢したりする筈無いじゃない」
アーロンパークでミホークから受けた傷により、身動きを取るのも辛い状態だったゾロ。その傷を情け容赦なく殴ったのを、今更だけど謝っておく。
そんな私にゾロは溜息をついた。そして私の隣に座ったゾロは、唐突に話し始める。
「ルフィに熊の件、話してないのか」
「熊が来たって事は知ってて貰った方がいいと思ったから話したわよ。でも、その時に何が起きたかは話してないわ」
実際私は覚えてないし、たまたま話を聞いただけだからどちらにしても、話す権利は無いわよ内心で呟く。ゾロが気にしていたのはそれかと思いつつゾロに視線を向ければ、ゾロはそっと肩から力を抜いた。
「誰が知ってる」
「当事者だったゾロの他は、見ていたブルックと、他に見ていたと言う海賊から話を聞いたサンジ君と、その会話を盗み聞きしていたロビンって所ね」
ゾロは成程と言って、自嘲的な笑みを浮かべた。その表情だけで、ゾロが本当にルフィの事を大切に思ってくれているのだと分かる。
私はどうなんだろう。ルフィも皆も大切だけど、守られてばかりだわ。
「……また、馬鹿な事考えてんだろ」
「馬鹿って何よ!?」
思わず言い返した私にゾロは、これみよがしな溜息を落とす。それに頬が引き攣るのを感じる。
何よ、私が何も役立ててないからってそんな顔する?!私だって好きで、こんなにただ皆から守られる存在でいる訳じゃ無いのに!
そう思った時、ゾロがその瞳を微かに細めた。それにより、距離が随分近くなっているのだと今更に気付く。
「ナミ無しで、どうやって俺達がこの海を進むんだよ。お前は航海士、俺やルフィは戦闘員。航海士を戦闘員が守るのは当然だ。気にすんな」
なんで分かるんだろう。私が落ち込んだりすると、いつも……どうしてゾロは気付くんだろう。
ゾロを見上げると呆れたような表情が見える。なのに、その瞳は心配するように、優しい色を宿していて……。
「ナミは結構顔に出る。自己評価低すぎんだよ、お前は。……あァ、そうだ」
「何?」
何かを思い出したような態度で言葉を止めるから、気になってゾロの顔を真っ直ぐに見つめる。ゾロはそれに対して、真っ直ぐに見つめ返して来た。
「命を捨てるような事はすんな。ナミが絶対に敵わないと分かってる相手を挑発する姿は、見てるしか出来ない時は特に、心臓に悪過ぎる」
肩が震えたのは、どうしてだろう。この先で私は、命を捨てるような事をする予定は無いと思うのに。
なのに何故こんなにも、後ろめたい気持ちになるんだろう。ルフィや仲間を守る為に、命を捨てるような事をするのは皆同じなのに、何故私はいつも叱られるのかな。
怪我の頻度は、他の皆に比べたらいつも少ない方なのに、どうして……?
考えていたらゾロの腕が伸びてきて、髪に触れた。何だろうと思ったら、そのまま頬に添えられる。
暖かいその掌に、お風呂上がりの私より体温高いんだなと思うと笑えてしまう。掌まで筋肉質なんだなと思えば、何だか微笑ましい。
「男は良いんだ。怪我は勲章だったりするからな。だが……女はダメだ。だから、少なくとも俺は同じ船に女を乗せるなら、確実に守れなけりゃならねェと思ってる」
「勝手ね。私はゾロ達と行動を共にするようになる迄もずっと1人で戦い抜いてきたのよ。傷なんか今更……なんだって言うのよ」
「ナミが海賊歴も長く、1人で海を生き抜いて来たのも、人の命の重さを苦しい程に知ってのも分かってる。だが、今は俺の仲間でルフィの……女だろ」
少しだけあった僅かな間と、その声の震えが気になってじっとゾロを見上げれば、スっと視線を逸らされてしまった。その為に、ゾロの考えが読み切れない。
本当は分かってるのよ。私が守られてる事が彼らのプライドに関わる部分であり、彼等は守りたいと願ってくれているのだと。
そしてそれをわざわざ言ったという事は……恐らく私が気に病まないようにという事だろう。だけど、私は覇気を使えるし、剃や月歩を使える為に、下手をすれば彼等と同じくらいの戦闘力を持ってると自負してる。
……問題は、私が情けないから、傷付ける事を怖がってしまう所よね。だから、戦力になり得ないというところが情けなくて、でも変えられなくて、それが苦しい。
ねェ、ゾロ……こんな私じゃ皆の足手纏いにしかなれないのは知ってるのよ。だからお願い、私を甘やかそうとしないで……!
この先何が起きても、私はルフィを泣かせたくない。その為なら、多少の無理は無理じゃない。
だって皆、多少の無理をして助け合ってる。私1人だけがそれをしないなんて、考えられないもの。
決意を込めて微笑めば、ゾロは肩を落として小さく呟く。それは、本当に誰かに聞かせるつもりはないと言うような小さなもの。
「……厄介な奴に惚れたもんだよ。俺も」
「え?」
それでも聞き取れたそれに、私はつい笑ってしまう。そっか、ゾロはそんなにもルフィが大切なんだ。
そうよね、命をかけるくらい、惚れ込んでるんだもんね。それに確かにルフィは厄介だわ。
そう思って私は笑った。何だか、幸せな気持ちになりながら。