心を落ち着けられたかは定かじゃないけど、身体は清めてから涙で腫れてない状態を作った私は風呂を後にする。室内に戻れば、そこには軽食を用意して優雅に寛ぐレイリーさんがいた。
髪から滴る水滴と戦っている私に、穏やかな声が向けられた。視線は、こちらに向けられる気配も無いと言うのに。
「少し食べて休みなさい。もう、私に教えられる事は無いだろう」
「……なら、もう襲わないでくれますか?」
「約束は出来ないな。ナミちゃんは、美しい」
そう言って笑う顔に、襲うつもりが無いと書いてあり私は漸く安堵の息を吐き出して向かいに腰を降ろす。すると私の目の前でパンにナイフを入れてハムや卵を挟むと、それを徐に半分に切ってそれを差し出して来た。
右側にあったパンを手に取ると、左側のパンをレイリーさんが齧り、自分の飲みかけのラム酒をグラスに注ぐと、それをひと舐めしてから差し出して来た。その行動にまさかと思いながらも受け取れば、可笑しそうに笑われてしまう。
「ナミちゃんは、何処の王族かな?」
「冗談が過ぎますよ。私は、単なる戦災孤児です」
私の言葉にレイリーさんは微かに驚いた様子を見せてから、ゆっくりと眼を伏せてそうかと1言呟いた。この人の中できっと戦災孤児やそれに近い境遇で育った多くの人達の顔が浮かんだんだろうと思えば、なんとも不思議な気持ちになる。
そう言えば、エースの幼少期の境遇と海賊王のそれは近かったと聞いた事がある。ならば、今この人の脳裏を過ぎったのは彼だろうか?
世界最強と言われる白髭も、近い生活を送っていたと聞いた気がする。そこから這い上がり、そして……強さと共に得た優しさで、彼等は仲間を集めこの海を〝自由〟に生きた。
私は、そんな強さは無い。彼等のような優しさも持ち合わせては居ないわ。
それでも、守りたい者がいて、守りたい場所がある。その為にも、私は覚悟を決めなければいけない……もう、逃げる事は許されないわ。
「……戦災孤児から、海賊となり、奴隷に堕ちて、海賊へと戻る。それをその若い身空で経験して尚、その美しさか……希少種だな」
「馬鹿にしてます?」
「いや。褒めているよ」
そう言って笑った顔は穏やかで、声も優しい。私の過去を恐らくハチ辺りから聞いたのだろう。
それにより、シャンクスからの話と、私の話を元にすれば確かに疑う余地もなく私のこれ迄の人生なんて見えてくるのだろう。だけど、なんでそんなに……優しい眼差しを向けられるのかはわからない。
「私も含めて、ナミちゃんと近い境遇で生きた者達はもっと荒ぶれていたよ。……女は、壊れていた。特に奴隷に堕ちた等という経験等無かったと言うのにね」
「……私は、通常の奴隷とは、少し違いましたから」
「何が違う?……同じだろう。人質を取られて、憎い相手に媚へつらい、主人の喜ぶ自分を演じ続けなければ生きられなかったのだからね」
まるで私の当時を見ているかのように、レイリーさんは言葉を続ける。それによりふと思い出す。
奴隷として生きた、女帝の過去をこの人は救い守ったのだったなと。だからこそ、分かるのだろうか。
「自尊心等を持てば苦しむばかり、個人の自我さえ持つ事は許されない道具として扱われ、何処が普通の奴隷と違うと言える?それも、妙な薬も散々使われたそうじゃないか」
「……それは、そうですけど、SMILEを食べさせられたり麻薬を使われた訳でも無いですし……〝私の村〟は、それ程死人も出てません」
「……隣の村は滅ぼされ、近くの島は消滅し、それを〝魔女〟のように愉しそうに妖艶な笑みを浮かべて見詰めていたと聞いている。……つらかったな」
そう言ってレイリーさんは私をその腕に抱き込むと、よく頑張ったと言って背を軽く叩く。それにより、心と身体が弛緩する。
友がすまない事をしたと、助けたかっただろうにと言葉が続けば、私にはもう涙を堪えるなんて出来なかった。声を出して泣く方法なんて、もう忘れてしまっていた筈だったのに、必死で抑えないと嗚咽がもれそうでそれが情けない。
でもきっと、ルフィに盛大に甘えたあの時、私は声を出して泣く事を思い出してしまったのだろう。私が、甘えていい筈もないのに……。
「強がりで、脆く、儚い。心優しく、何も知らぬ無垢な少女にしか見えないというのに……不憫なものだな」
「……っ!!……」
「暫くそうしていなさい。今は、泣いて心を休ませるべきだろう。……誰も、見てはいない」
そう言ってマントのようなローブのような物で私を包むと、布越しに声を落とす。これで何も聞こえなくなった……と。
私に声が届くのだから、聞こえない筈はない。だけど、レイリーさんは続けて少しおどけた様子で言うのだ。
「最近歳のせいか、耳が遠くなってきてね。うむ、どうやらナミちゃんは寝てしまったようだな。……私も少し寝るとしようか」
そんな事を言いつつも、背中を撫でる手は優しく続く。私の涙や鼻水で服が汚れてるのに気付かない筈もないのに、頭を離そうとすると背中を撫でていた手が頭に移動して、撫でつつも頭を預けているようにと合図してくる。
甘やかしてもらう理由なんて無い。甘えられる関係でも無い。
それでも、今は……泣きたい。よく分からない多くの感情が複雑に絡み合って、ゴチャゴチャしてるのを感じながら、私は大声で泣き出した。
1頻り泣いた後、待っていたのは羞恥で、しかも冷静に考えればレイリーさんだって強姦魔の1人の筈で……。なのに、どうして甘えてしまったのかと後悔さえする。
「ナミちゃん、ほら」
言葉と共に差し出された温かなタオルにありがとうございますと声を出して、それを目元に当てれば頭を撫でてくるその手の感触に絆されてしまう。後悔しても、何しても、色々な意味できっと私はレイリーさんに勝てはしないだろう事は間違いない。
色々な事が落ち着き身支度を整えれば、ヒョイッとレイリーさんに抱き上げられてしまい焦ってその顔を見れば、妙に優しい眼差しが私を貫く。何処か労る様な視線に、そんな顔するくらいなら初めから手を出さないで欲しかったと思ってしまう。
「ナミちゃんは、その怪我でよくもあれだけ抵抗したものだな」
「なに、よ。その言い方」
「褒めているよ。恐ろしい程の精神力だ。だが……ルフィ達の元に戻るまでは、少し休んでいなさい」
その言葉に息を細く吐き出して、小さく頷く。そうして運んでもらう形でルフィ達の元に帰れば、最初に私に手を伸ばしたのはロビンだった。
「お手数お掛けしました。彼女はこちらで引き取ります」
「ロビン」
「ナミ……お帰りなさい」
レイリーさんからロビンに移動した私は、その首に抱き着きロビンにソファまで運ばれる。その様子に、ロビンと小娘は何なんだと呆れたように視線を向けて来るフランキーがいたけど、そこは気にしない方向で。
次に飛びつくような様子で飛び付いてきたのはチョッパーで、心配そうに色々確認しながら診察されるけど、ルフィの声が聞こえなくてつい視線を彷徨わせる。そんな私にサンジ君が、何故か壁にめり込んだ状態から復活して声をかけてきた。
「この3日、生きた心地がしませんでしたよ。無事で良かった」
「……3日?」
ルフィを除く全員がそれから口々に話し始めて、これまでの事を簡単に話してくれた。それを纏めてしまえば、ケイミーを助ける為に暴れたあの日から、私が合流した今日で3日の時が経過していたらしい。
ケイミーを助けたその日は特に問題にならず、レイリーさんが海賊王の右腕だった事等を聞いたのだと言う。その時、麦藁の1味の金銭管理を行っているのが私だとの話になって、帰ったら金額交渉をと言う話になったらしい。
けれども私が帰ってくる筈の翌日、現れたのは見覚えのない金髪の大男。それが私が攫われたのだと告げて、ルフィに深く頭を下げた。
暴れそうになったルフィを含めたメンバーを宥めすかして、とりあえずと言って呑ませた酒に睡眠薬を含んであったと言う。それにより皆揃って寝てる間に、レイリーさんはシャクヤクさんに伝言を残して私を助けに来てくれた。
更にその翌日に当たる今日、順次目覚めた彼等にシャクヤクさんが説明してくれたらしい。なのでもし、今日中に私が戻らなければ飛び出す算段だったと聞かされる。
「それで、ルフィはまだ寝てるって訳ね。……皆ゴメンね。まさか大将に出くわすとは思ってなくて」
「ナミが無事で、本当に良かったわ。それで、大将って誰だったの?」
「青雉よ。他にも黄猿が居るみたい」
ロビンの言葉に答えれば、それは厄介そうだねとレイリーさんは笑った。それから私を見ながら、金額交渉が上手くてねなんて笑いつつシャクヤクさんから酒を受け取っているのが見えれば、奥さんに悪いと思わないのかと1瞬考えてしまう。
でも、今回の事を知ったら、何も悪くないシャクヤクさんが悲しむ可能性は高いわよねと思う。そう思ったら、助けを求める事は出来ないと気付かされる。
それと同時に、女の敵は女と言う言葉も思い出してしまえば、余計な事は口に出来ずに俯いてしまう。そんな私を見て、シャクヤクさんは笑った。
「ナミちゃん、だったわよね?」
「え?は、はい」
「シャッキーって呼んで」
「シャッキー?」
「愛称よ。……ウチの人が少しいじめたかしら?」
その言葉に息を飲めば、やっぱりねと笑ってからレイリーさんに視線を向ける。そして、お酒を取り上げるとそれをシャッキーが呑んでしまう。
「シャッキー?私の酒を奪う事は無いだろう」
「こんな可愛い子を虐める人に、お酒は不要よ」
そう言ってから私を手招くから怖々近付けば、まるでロビンがそうするように強く抱き締められる。それに戸惑っていたら、蹴り潰して構わないわよなんて耳打ちされて、それが出来る実力があれば苦労しませんと本気で思ってしまった。
「あ!そうだ!ナミ、レイリーのおっさんから海賊王の最後の話聞いたんだよ!」
「……自首だった事?」
ウソップの声に首を傾げて言えば、なんだ知ってたのかと肩を落とすから、慌ててしまう。そんな私に、レイリーさんが不思議そうに問い掛けてきた。
「何故それを知っているんだ?」
「……シャンクスから、聞いてたので」
「そうか。……それでも、アイツを慕って処刑場に赴いた訳か」
「今でも……その背を、面影を追いかけていますよ。シキなんて今もその存在に囚われて居ますし」
「……シキ?知ってるのか。そう言えば奴も、脱獄して長いな」
そうして私達がシキを知ってる理由について尋ねられれば、ロビンやフランキーが簡素に纏めて説明し、ブルックはその間にバイオリンの調律を開始していた。チョッパーは私とハチの間を往復していて、ウソップは小さく親父……と呟いている。
シャンクスの話題が出れば、どうしたってウソップはそのクルーとして生きているヤソップを思うだろう。どうして実の親子であるウソップでは無くて、私が共に船に乗っていたのかと考えればウソップもやるせないだろうな。
そう思えば心から申し訳無く思う。けれども何度やり直せても、私はシャンクスに師事するだろうと分かってるからそれ以上は何も言えなかった。
あの時の私に、他の選択肢は無かったし、悪いなとは思っても私はベルメールさんに生きて欲しいと願うから。その為ならば、何度でも同じ道を選ぶだろうと思うの。
「レイリーのおっさんに海賊王は『俺は死なねェぜ、相棒』って言ってから自首したらしい。これから死に行く事になるんだって、分からねェ筈もねェのにな……」
「……海賊王が、そう、言ったの?」
私はウソップの言葉に思わず聞き返していた。だって、私の知識という記憶が正しければ、サボを喪って悲しみに暮れる中でエースもルフィにそれを言ってる。
ルフィもエースが死ぬかもと教えてしまった時に、エースは死なねェって言ったんだと私に教えてくれた。この言葉には、どんな意味があるの?
蘇る暗示だと言うのならば、もうとっくに海賊王は蘇っている筈だわ。なら、いったい他にどんな意味が……?
考えても出ない答え。その中でふと思った言葉が、音となる。
「親子、揃って……大切な人に同じ言葉を口にするなんて……」
「おいおいナミ、その言い方だと海賊王に子供が居るように聞こえるぜ?それも、ナミはその相手を知ってる感じによ」
驚いた様子で言うウソップに笑う。ウソップも会ってるわなんて、まだ言えないけど。
「会った事あるもの。海賊王の子供に」
「生きているとするならば、アンちゃんか?」
スっとその眼を眇めたレイリーさんが会話に口を挟む。それに視線を向けて、いいえと首を横に振りながら答えればその唇がその唇がまさかと音もなく動く。
「……気付きましたか。何故、海軍が血眼になって、リスクを背負ってでも……それを決断したのか。……力を、貸しては貰えませんか」
「白髭が動くのだろう。なら、私が動くのはお節介と言うものだよ」
普通に考えたら、それはそうだろう。年齢だけならビッグマムやカイドウだって同じだけ歳を重ねていて、そんな彼等よりも白髭は高い懸賞金である事を思えば、手出しは無用に思える。
でも、それでも……。世界は〝ルフィの為〟に、エースと白髭を殺すのだ。
白髭と言う通り名を知った瞬間、嗚呼死ぬんだなと……漠然と思わされたのだから。大海賊であり、残忍で残酷、非道であり仲間さえ戯れで手にかけるような、恐怖の代名詞とも言える大航海時代を代表する黒髭。
そんな彼を元に作られたであろうと分かるその名前から、大きな影響を残して、黒髭に殺されるだろうと……予想出来ていた。でも、それは読者だった時の話。
今この世界に産まれて、生きてきてきた。だからこそ、少なくとも私はそんな運命は受け入れたくないし、認められない。
それが例え、ルフィの成長に必要なのだとしても。まだ、変える方法は分からないけど、変えてみせると決意を新たに私は顔を上げた。