爆音や銃声等の喧騒が、もう私には聞き取れない。聞こえて来るのは、ただ、エースの声と、その息遣いだけ。
「……そうだ。お前、いつか……ダダンに会ったら……。宜しく言っといてくれよ……。何だか……死ぬと、分かったら……あんな奴でも、懐かしい……」
ルフィの声も聞こえない。何も、言葉を口にしてないのかも知れないけど。
「心残りは……1つ、ある……。お前の……〝
エースの背中から、蒸気が立ち上ってる。マグマにやられたんだから、それはそうだろう。
サボが、エースの横で地面に拳を打ち付けている。止めないと、手を痛めてしまうと思うのに、身体が動かない。
「……昔……誓い合った通り……俺の人生には……悔いはない!!」
「嘘だ!!嘘つけ!!」
荒い呼吸の中でエースは嘘じゃねェと言って、けれどもルフィの頭を撫でてやる事も、抱き締め返す事もしない。もう、力が入らないのだろう。
視界の端で、サボが立ち上がるのが見えた。それを見て、何処に行くのかと問い掛けることさえ私には出来ないでいる。
ただ、立っているだけなのに、何処か遠くへ行こうとしている気がする。背を向けて、エースにその涙を見せまいとしているのだろうか。
「……俺が本当に欲しかったものは……どうやら〝名声〟なんかじゃ、無かったんだ……。……俺は〝生まれてきてもよかったのか〟欲しかったのは……その答えだった」
エース……。エース……!!
手を伸ばそうと思うのに、身体が動かない。瞬きさえ、出来ない。
エースも、サボも、ルフィも、何故か恐ろしく遠く感じる。私は、どうしてここで呼吸しているのだろう。
何も出来ない私には、そんな権利無いのに。どうして、ここに存在しているのだろう。
「もう……大声も出ねェ……。……ルフィ、俺がこれから言う言葉を……お前、後から皆に……伝えてくれ」
こんなの、聞きたくない。この運命を変える為に、私は生きてきたのに。
どれ程私が手を尽くしても、この運命は変えられないって事なの?
「親父……!!皆……!!サボ……!!ナミ……!!そして、ルフィ……」
ルフィの身体が大きく震えた。エースの声は、こんな時なのに、よく通る。
「今日までこんな、どうしようもねェ俺を。鬼の血を引く、この俺を……!!愛してくれて……ありがとう!!」
エースがルフィの腕をすり抜けて倒れる。その表情は穏やかに微笑んでいて……でも、だけど……。
その瞬間、ルフィとナミの精神が同時に
衣服は赤黒く染まり、動いていないのにも関わらずその色は時と共に濃くなる事で、怪我をしているのだと誰の目にも分かるようになる。それが無ければ、ナミが生き物であるとさえ認識できないだろう。
大地は血で満たされ、空気は怒りや嘆きに満ちて行く。映像がその臭いを、感情を、覇気を、届けない事が映像を見ている者達から正気を奪わぬ唯一の理由だろうか。
その状態は全てが海軍の意志とは無関係に放送され、それを傍受する全ての画面に映し出されている。ルフィを狙う赤犬の魔の手から庇ったマルコがジンベエにルフィを託すと、ジンベエは動き出した。
その時赤犬の背後から襲いかかったのは、白髭その人である。怒り、憎しみ、恨み、怨み、そして……絶望。
それらを込めたであろう1撃が赤犬に入り、地は割れて、空気は……いや、世界が揺れた。そんな中で、それ迄白髭海賊団を相手に戦い続けていた筈の1人の男が、その場に歩み寄って来る。
誰もが警戒した。けれどもその男は何も気にした様子を見せず、ただ1人だけを睨むように見詰めるばかり。
「……ナミ」
少女に反応は無い。世界の全てを遮断するように座り込み、何も映さず、何も聞かぬと、その場に座っている姿は余りの美しさも相俟って人形のようでもある。
しかしそれに不愉快そうに眉を寄せた男は、少女の前で膝をつく。するとその細い身体を自らが血に濡れる事を厭わずに抱き寄せ、まるで自らが血を流しているかのような表情を浮かべつつ、強くその瞳を閉じた。
それは周り中に恐ろしい程の衝撃を与えたが、当人達にはそれは全く伝わってはいない。男は少女の現状、その全てが苦しいと、痛いとでも言わんばかりではあるが、他等気にしてはいないのだから当然でもある。
「ナミ!俺はそんなに弱い女を愛した覚えはない!正気に帰れ!!」
王下七武海〝鷹の目〟の男、ジュラキュール・ミホークがそう叫び、人形のようになっている少女ナミの唇を奪う。それは1瞬のようでもあり、永遠のようにも思えるものだった。
少女はそれにより、指先をピクリと動かすと、静かに涙を流す。瞬きさえせずに、ただ、涙を流し続ける。
「ナミ……聞こえるな」
「ミホー……ク……」
「この後、主はどうしたい」
「エース、が」
「……〝火拳〟は、死んだ。主と〝麦藁〟の2人を庇ってな。その命、無駄にするつもりか」
その瞬間、少女はその瞳に色を戻す。ゆっくりと動いたその腕が鷹の目の胸を押せば、そっと離れるそれに誰もが言葉を失っていた。
「エース……私が、死ぬ筈だったのに……どうして……」
私は動くようになった身体でエースの亡骸に近付き、そっと触れる。すると、まだ温もりがある事に気付く。
……蘇生の確率は1桁。でも、まだ可能性は、ある。
腰にしていた手荷物から医療道具を取り出して、その背を簡易的に治療してからエースの身体の向きを変える。首の所に荷物を挟み、気道確保してから胸の所で手を合わせると即座に体重をかけてマッサージを行う。
諦めない。諦めて、たまるもんですか……!
思い出せ、やり方は知ってる筈よ。そう、私は教えてくれた人に、そんな事したら肋骨が折れるんじゃないですか?って聞いたわ。
それに対して、死んだらそれで終わりですから、肋骨折ってもいいからまずは心臓を動かしましょうって、爽やかな笑顔で言われたのだ。それは恐らく、ナミとして生まれ直すより以前の事。
電気ショックを与える医療道具は、何一つこの場には無い。けど、私にはクリマタクトがある。
理屈上は、AEDの代わりになる筈よ。だって、エネルは死んでからその能力で自らに電気ショックを与えて蘇生したもの……!
「……誰か、手伝って!」
叫ぶように言った私の前に、エースを挟むように特徴的な髪型のその人が座り、無言で指示を待ってくれる。私のやった事をそのまま繰り返して欲しいと言って、私はエースの唇に自分の唇を合わせると息を吹き込む。
今の私は、病気も無いし、虫歯も無い。知らない相手でもない。
人工呼吸を忌避する理由を何1つ持っては居ない。心臓マッサージと人工呼吸を同時に行う為にも、クリマタクトをチャージする為にも、最低1人はサポートが必要なのだ。
私は心臓マッサージをして貰っている間に、クリマタクトで電気をチャージして、タイミングを数えてから声をかける。これで巻き込んでは、この先に続かなくなるから。
「離れて!」
エースに電気ショックを与えて、その脈を首でとる。……まだ、戻らない。
これを繰り返しても戻る確率は恐ろしく低い。それでも、何もやらないで諦めるなんて事は、私には出来ない。
だって、エースはマグマの腕に
繰り返すその行為に、注目するのは僅かだった。ここは戦場であり、戦いはまだ終わっていないのだ。
それでもその行為を初めは見ていた者達も存在した。エースが蘇生するかはこの先、戦争を続けるかどうかの大きな問題でもあるし、何よりエースの存在は色々な意味で大きい。
けれども鷹の目と赤犬のやり取りを見聞きし、その後に始まった白髭と赤犬の戦闘……。更にはその後に続いた白髭と金獅子の二人と海軍、そして黒髭の戦いがあれば気にし続ける者など差程居る筈もなく、映されているのは白髭と金獅子の戦いの方になるのも当然と言えるだろう。
ただ、ナミがこれを続けられるのはひとえに、鷹の目のミホークが近付く事を誰にも許さなかったからでもある。それは、赤犬が白髭に追い詰められる前ではあったが、いくら赤犬が鷹の目を恫喝しようとも意に介されなかったのだから相当であろう。
「退かんか!おんしは、七武海じゃろうがっ!」
「無論。だがコレは俺の女であり、政府からの手配書も〝生け捕りのみ〟だ。俺はこの女を、誰にも害させるつもりは無い。……勿論、殺させるつもりは皆無」
「鷹の目の、女じゃとォ!!」
「……俺がこの世で唯一愛した女が、自らの弟の死を受け入れるその時まで、好きにさせる事に何か問題があるとは思えぬ」
そんな会話がなされていたとは知らず、ナミはただ蘇生させる為に全力を尽くし……そして、突然動きを止めた。それにより文字通り飛んで来た不死鳥が火拳の身体に触れると、優しくも悲しげな表情を浮かべる。
離れたその場所で震える少女の、その細い身体を抱き締めた不死鳥は、酷く優しい声で言葉を紡ぐ。その背を、頭を撫でながら……。
「もう、良いだろぃ。もう……充分だ。ナミは良くやったよぃ。頑張ったな。だから……もう、
そうしている間に、麦藁のルフィは海峡のジンベエと、英雄クロコダイル、道化のバギーの協力の元1隻の船へと辿り着いていた。その間にあった壮大な戦いは、世界中に放送されていたが、その詳細を語るのは無粋というものだろう。
最後に男が遺した言葉は、世界政府も海軍も言われたくはない言葉だった筈だ。それでも、それは放送され、世界に伝わる。
「〝
そう叫んだのを最期に、男はその命を終えた。長い道のりを、この戦争で共に散った多くの者達と共に歩んで行くのだろうか。
〝白髭〟死す!!
死してなお、その身体屈する事無く……。頭部半分を失うも、敵を薙ぎ倒すその姿、まさに〝怪物〟。
この戦闘によって受けた刀傷、実に……二百六十と六太刀……。受けた銃弾、百と五十二発……。
……その誇り高き後ろ姿には……。或いはその海賊人生に、1切の〝逃げ傷〟なし!!
瞬く間に世界に広がる大ニュース。
〝白髭海賊団〟ロジャーの息子エース救出失敗。そして、船長〝白髭〟の死……。
末々に語られるこの歴史的大事件を、その目に映した者達は……今は、ただ、声を呑むだけ。享年七十二歳。
かつてこの海で〝海賊王〟と渡り合った男……!!白髭海賊団船長〝大海賊〟エドワード・ニューゲート。
通称〝白髭〟。マリンフォードにて勃発した、白髭の海賊艦隊VS海軍本部、王下七武海連合軍による頂上決戦にて、死亡。
エースの身体から引き離された私は、背後から聞こえる声に視線を向ける。そこに居たのは、懐かしくも愛しい兄達と、師匠達だった。
けれども今、そこへ駆け寄る事は出来ない。見ればルフィはローちゃんの船へと運び込まれているところで、シャンクスの手には、ルフィの麦藁帽子があるのが見えた。
「この戦争を、終わらせに来た!!」
それからも追撃を受けつつ、ルフィを乗せたローちゃんの船は無事に出航した。それを見送り大丈夫だよなと心配する人達声の中で、私はフラリと立ち上がる。
そっとエースの頬に触れると、近くに居た白髭海賊団の船医達にエースを任せて、ゆっくりとシャンクスの方へと歩き出した。バギーの声が、酷く耳障りに思える。
「宝の地図は嘘だと!?てめェェ!!」
「咄嗟だったんだ。……バギー、久しぶりだな」
「何が久しぶりだァ!!俺ァてめェに恨みさえある事を忘れんな、シャンクス!!この俺様をタダで使いやがって!!」
「……ルフィから、宝の地図受け取ったでしょ。それでチャラに出来るんじゃないの?バギー」
突然会話に割り込んだ私に、バギーは視線を向けて来る。私はそんなバギーを冷たく睨み付けた。
「……てめェは〝泥棒猫〟!!あん時ァよくも俺様の宝を!!」
「……海賊が、宝盗まれた事を恥じたら?あの時は、私まだ単独で動いてたのよ。……それとも、小娘に出し抜かれた事を世界に知らしめて恥の上塗りでもしたいのかしら?……随分と珍しい趣味ね」
「あんだ「バギーがルフィを殺そうとした事、今も許してないわ。例え本人が許していてもね。……その手をシャンクスから離して」」
睨み合う私とバギーに周りはざわめくけど、シャンクスは私に何故か視線も向けない。そこへマルコさんが歩み寄り、シャンクスへと話し掛けて、会話が始まれば私もバギーも自然と黙る事となった。