シャンクスから手を引けと言われたマルコさんが名を呼ぶだけで唇を引き締めるようにして黙れば、シャンクスは決して大きくは無いのに良く通るその声で、戦場に向けて言葉を告げる。その様子は明らかに王者のそれ。
「これ以上欲しても、両軍被害は無益に拡大する1方だ……!!まだ、暴れ足りねェ奴がいるのなら、来い……!!俺達が相手をしてやる!!」
その言葉に合わせるように、幹部がシャンクスの後ろに並ぶ。打ち合わせしてた訳でも無いだろうに、その姿、壮観の1言に尽きる。
「どうだ。ティーチ……!!いや……〝黒髭〟」
「……ゼハハハ、やめとこう……!!欲しい物は手に入れたんだ。お前らと戦うにゃあ……まだ、時期が早ェ……!!」
そう言って去って行く黒髭を私は見送る事しか出来ない。どう足掻いても私に勝ち目は無いし、この場で暴れる事を、私のプライドが許さない。
理性と感情が全く違う答えを出す。でも、それを全て経験と知識が抑え込み、動きを止めた私は……掌に爪がくい込み血が滴る程に強く拳を握る事で、体の動きを止める。
今回の全ての哀しみを生み出した男の、1人勝ちだ。私は、なんでここに存在しているのだろう。
けれども、去って行くと思われた黒髭がピタリと動きを止めれば、戦場の視線は黒髭へと注がれる。その時黒髭は私を見て、にんまりとした笑みを浮かべた。
「お前ェ……〝麦藁のルフィ〟の傍にいた、あの気の強いお嬢ちゃんじゃねェか?〝空島〟はあっただろう」
「……えぇ、あったわ。貴方も私もそれを知っていた。ただそれだけの事」
「麦藁のルフィの首を取るつもりだったが、運命はそれを阻止した。あの日、弟の首を取りに行くと聞かされたエースは退路を絶たれたって訳だ」
知ってるわ。だからこそ、ルフィが生きる為にはこの戦争を止めるのは難しいと言うのも確かにあった。それでも……勝てないとはあの時点では思わなかったのよ。
あの時点ならば、グラグラの実の能力も無かったし、マルコさんも居た。勝てると……そう思えたのに……。
「その上エースは、俺の1言が切っ掛けで理性を失っちまった。それじゃァ勝てる戦いも勝てる筈ねェ」
「……エースが、理性を?」
何を言ったの。傍に居る仲間の為にと残るのは有り得ても、大切な人の命を守る為に戦っても、理性までは失わない筈よ。
「エースも災難だよな。俺を逃がせば白髭の名を汚すだけでなく、弟の命も喪う。……そして、その弟の首を取ったあかつきには〝麦藁のルフィの傍に居た、オレンジ色の髪の女を俺のモノにする〟そう言った瞬間だ。理性を失ったのは」
ルフィの傍に居る女は、仲間と呼べる女は全員髪の色が違う。オレンジ色の髪の女は、私だけ。
ある程度有名な人達を見ても、オレンジの髪は珍しく、記憶では私だけだわ。という事は……私、の、せい?
「どう可愛がってやるつもりなのかを語ってやれば、エースは読みやすい動きしか出来なくなった。思考が止まっちまったんだろうなァ……!だが!!そんなになってまで庇った女は、命をかけて守った女は、単なる阿婆擦れだ!こりゃァ傑作だよ!!」
エースが、負けたのは……私の、せい。私は、やっぱり、産まれてきてはいけなかったのよ。
「今回の戦争の間に、何人に襲われた?いくら女海賊とは言え〝咥え込むにも限度がある〟だろう!!ゼハハハハハハ!!とんだ尻軽の売女だな!」
エース、どうして……。どうして私なんかの為に、犠牲になろうとしたの?
「そんな女庇って死ぬとはエー「黙れ!!」」
黒髭の言葉を遮って拳を入れたのは、ガープさんだった。何が起きたのか分からずに見ていると、その場に座り込んでいた私の肩にサボがそっと手を置いて、溜息を落とす。
「……後少し爺ィが動くの遅けりゃ俺が行ってたな。……白髭を貶めた、それだけでも許せねェのに、俺の大切な兄弟まで……」
「サボ、そう、よね。エースの事「だけじゃねェよ。ルフィもエースもそうだけどな、ナミを侮辱した事が俺には何より許せねェ」」
意味が分からずにサボを見上げると、顎でガープさんを示される。そちらに視線を向ければ、ルフィとエースの事があってか大暴れするガープさんが見えて、凄まじいそれに誰1人身動きが取れない。
「儂の孫達を……よくも……愚弄しおったなァッ!」
「麦藁のルフィの祖父だったか!残念だ「ナミちゃんは、孫達の嫁候補、つまりは孫じゃー!!」」
……そんな馬鹿な。そう思って少し体から力が抜ける。
そんな私の肩を強く握ったサボは言う。酷く、優しい声で。
「ナミは綺麗だ。世界の誰よりも、優しいと思う。俺の……自慢の姉だ。忘れるなよ」
「サボ……」
「ナミ、エースの事
そう言って私を強く抱きしめると、そっと耳を塞ぐ。そして唇の動きだけで、今は何も聞かなくていいと言うと、黒髭がその姿を消すまでその手を離さなかった。
そっとサボが離れると、またなと言って歩き出すその背に、私は声をかけることさえ出来ずにいる。その向かう先に顔の大きな人が見えれば、そう言えば同じ革命軍だったわと思いホッと息を吐き出した。
その後突如として時が動き出す。ガープさんの暴れた粉塵が落ち着くより先に、また戦いを始めようとした者達の為に。
けれどもそれは、シャンクスの声で動きが止まる。白髭さんのいない今、この場を支配しているのは四皇の頭であるシャンクスだった。
「全員……この場は、俺の顔を立てて貰おう」
嘆きと悲しみ、怒りと恨み、憎しみと憎悪。言葉に出来ない多くの負の感情が、その場に渦巻いているのを感じる。
「〝白髭〟〝エース〟二人の弔いは、俺達に任せて貰う。戦いの映像は、世に発信されていたんだ……!!これ以上、そいつらの死を晒す様な真似はさせない!!」
「何を!?この2人の首を晒してこそ、海軍の勝鬨は上がるのだ」
シャンクスの言葉に海兵の1人が返した言葉。それにより咄嗟にエースに飛び付くようにして、私はそれを庇う。
エースを傷付けさせない。この命賭しても、エースは守り抜いてみせる……!
けれども直後に構わんとの声が聞こえて顔を上げれば、センゴク元帥とシャンクスは互いに会話を僅かにした後、センゴク元帥の言葉により戦争は集結した。響き渡るその声に、私はエースに抱き着いたまま、その場を動けずにいる。
……かくして〝大海賊時代〟開幕以来最大の戦い。〝マリンフォード頂上戦争〟は、ここに幕を閉じ……歴史に深く刻まれる……。
頂上戦争の舞台。マリンフォードの沖に浮かぶ、7隻の船……。
新たなる海賊時代を担う〝彼等〟が、この重大な歴史の節目を見逃す筈も無かった。大海賊時代の〝秩序の立証〟マリンフォードより立ち上がる戦塵をじっと見据え……殺気立つ時代の流動を、肌で感じ取っていた……。
〝東の海〟〝西の海〟〝南の海〟〝北の海〟そして〝偉大なる航路〟……。例えば歴史がそうであるように、情報は巡る程に削ぎ落とされ……海軍『勝利』その二文字が海風に踊る。
世界はこの大事件に浮き足立つ。人々は気付かない。
海軍の勝利。……その戦争の結末が齎す物は、必ずしも平和だけではなく〝白髭の脅威〟という抑止力を失った海は……次第に大きく荒れ始める……。
白髭海賊団と赤髪海賊団は揃って偉大なる航路にあるとある島を目指し、白髭の亡骸とエース、そして、それから離れようとしない1人の少女を乗せて出航した。少女はただエースの眠るその場所に寄り添い、手を握り続け、既に5日の時を過ごしている。
「ナミ、そろそろ寝ろ。お前が駄目になるぞ」
代わる代わる声をかけたりしてみるものの、エースの手を握ったまま動きを見せないナミに、男達はやるせない思いを抱く。けれどもそれを、いつまでも看過しては居られないのも事実なのだ。
もうずっと、眠ってもいなければ飲食も1切していない。まだ医者として動いている彼等は飲食だけは交代でしている分
そんな中で1人の男が動いた。肩を叩いても、声を掛けても反応の無いナミに心を痛めていたのも、神経をすり減らしていたのも、全員同じではある。
その中で彼は人を纏める立場にあった。それに何より、ナミを強く愛してやまないのだ。
「お頭……部屋は用意してあるな」
「あるが、どうやって引き剥がすつもりだ」
「……鷹の目がやったのと同じ事だ」
鷹の目がナミにした事、それもまた世界に映し出されていた。当然赤髪海賊団のメンバーはそれを見ていた訳で、心中穏やかではない。
白髭海賊団としても、突然現れたエースの姉であり、エースの弟である麦藁のルフィのクルーだという美少女の存在を、多少では無く持て余している。そのエースの傍には、不死鳥マルコも付きっきりでいるのだから、その2人を休ませるのは確かに急務であると言えるだろう。
不死鳥はそれでも、言えば休むだろうが……それはナミが休む事が前提である。2人の関係性を間近に見ていた彼には、ナミが休むまでは己も休めないと頑なに拒否を続けていたのだ。
そんな事をしても、エースを含め誰も喜びはしないだろう。そんな事は、赤髪も白髭も含めたどちらの海賊団に所属する者達全員が理解はしている。
それでも止める事が出来ないのだ。あの戦場で戦うナミの姿は鮮明に脳裏に焼き付いており、今もエースを想い壊れている姿を目の当たりにして、傷付けるような事は出来ないと判断せざるを得ないからである。
赤髪海賊団副船長ベン・ベックマン。彼に関する情報は、苦労人である事や実力に関する事を除けば限りなく少ない。
ただ、彼がナミと言う少女を溺愛している事は誰の目にも明らかであり、戦場でそうなっていたように、人形を思わせる様子のナミを放置できないのも、理解出来る。だからこそ、それぞれが複雑な想いを抱きつつも、ベン・ベックマンの言ったそれを受け入れるしかなかった。
「ナミ……そんなにも、エースが大切なのか。俺が、分からなくなる程に……大切なのか……」
切なく揺れる声が、どこかから聞こえた気がする。そして、唇に触れた温もりが身体から力を抜く。
平衡感覚を失い倒れる自らの身体に驚き、それを支えてくれる腕に懐かしさを感じれば、目の前にあるその顔に息を飲んだ。戦争のその場所で、エースにこれ以上誰も傷を付けないようにと抱き着いた後の記憶が、殆ど無い事に気付くのと同時に、あの時まともに挨拶もしていなかった大切な人達の存在を思い出した。
「べっ……く……」
声が掠れて、上手く出せない。引きつったような痛みを喉に感じて、直後に視界が歪む事に気付く。
そんな私の目の前でグラスの中身を口に含み、唇を降らせて来たベックと唇が合わされば、器用に雫をこぼす事なく私の口内に流し込み、私がそれを飲み込むまで唇を離さない。それによりその水分を飲み込めば、漸く離れた唇。
その舌先が水滴を私の唇に落として離れて行くと、私の手をグラスに触れさせる。けど握ろうとしても力が入らない事に気付き、その為にこうして水分を取らせたのかと気付く。
たったの1口、水分を口にしただけで身体がそれを求めていたと気付かされて驚いていたら、腕と掌で私の身体を傾けた状態で身体を固定して、グラスを口元まで運んでくれる。身体に力を入れようとするだけで、震えてしまう事に驚きを隠せない。
「これを飲み干すまで、自力で飲むか。それとも今みたいに飲まされるか、どちらがいい。もう、声は出る筈だ」
「じぶん、で、のむ」
「分かった」
ベックは明らかに、最初からそのつもりだった癖にそう言って頷く。だから、支えてもらいながらそのグラスを空にする迄必死にそれを飲んで行く。
そうして漸く飲み干すと、グラスをその場に残してベックは私を抱き上げた。そして、当然のように部屋を出ていこうとするから、嫌だと首を横に振る。
「やだ……!私、エースの、傍に」
「1度寝ろ。ナミも不死鳥も、このままだと死ぬぞ」
言葉の途中で、けれども歩みは止まらなくて泣きそうになりながら力の入らない手で、必死になってベックのシャツを掴む。そんな私に足を止めると、ベックは突然方向転換してシャンクスのいる甲板まで私を連れ出した。
恐らくはシャンクスに言われれば従うと思われたのだろう。でも、今の私は明らかに冷静では無い。
「ベック、私、が……本当は、死ぬ筈だったのよ」
「庇われたんだ。受け入れろ」
「違う……!そうじゃない」
叫ぶように声を出せば、ベックがその足を止めて私の顔を覗き込む。その瞳は穏やかで優しい色を宿している。
「ん?」
「エースじゃないのよ。この世に産まれてはいけなかった存在は。そんな存在、本当は私しか居ないの。喪われて良い命なんて私しか無いのに……」
私の言葉に甲板にいた皆の視線が集まるのが分かる。私は、急激に霞む意識の中で、言葉を紡いで行く。
「私だけが、この世に産まれてはいけなかったのよ。存在しては、いけないの。だから、せめて大切な人が死なないように、少しでも、傷つかないように、運命に抗って来たのに……」
「ナミ」
「どうして、上手くいかないんだろう。私は奪って産まれて来たのに、なのにどうして、救えないの……?変えられない、運命なんて、無い筈なのに……。どうして、エースが……」
そうして私の意識は闇に沈んだ。目覚めると身体が妙に重く感じて、でも、腕にある管を見れば点滴をされているのだと分かる。
どうやら、あのまま意識を失ってしまったらしいと気付き、皆に心配かけた事と迷惑掛けた事を内心で反省しながら、身体を起こそうとした時、部屋のドアが開いた。見ればそこに居たのはエースを助けようとした私に無言で協力してくれたリーゼント……ならぬ、サッチさんだ。
「起きたのか。良かった。食事用意してきたんだが……食えそうか?」
「ありがとうございます。……改めまして、私麦藁の1味にて航海士をしております。ナミと申します。弟達の事、大変にお世話になりました。心より感謝致しております」
「ご丁寧にどうも。俺は白……いや、知ってるか。〝空色の手紙〟の送り主だよな。ナミちゃん」
真っ直ぐに見詰められると、嘘も誤魔化しも通じないと分かり頷く。それにサッチさんは困ったように笑うと、机にトレイを置いてから震える指先で私の髪に触れた。
そして、そっとその髪に口付けてから、私に泣きそうな顔を見せる。大人である筈の男の人のそういう姿に、私は弱い。
見捨てる事も、突き放す事も出来ないのだ。だから、そっとその頬を挟むようにして触れると、心からの言葉を口にしていた。
「……生きていてくれて、ありがとうございます」
運命を変える為、その為だけに生きて欲しいと願った。それでも賭けだったのだ。
彼が生きて居てくれる確率なんて未知数でしかなく、まずそもそも手紙を欠片も信じて貰えない可能性もあったのだから。でも……彼は生きていてくれた。
それはつまり、その分だけでも悲しみを減らせたという事に他ならない。エースも、白髭さんも、マルコさんも、嘆く回数が少なくて済んだと……そういう事だ。
「ナミちゃんは、エースの為に俺を生かしたって聞いてる。ゴメンな、それなのに俺達は止められず、この戦争を……」
「いいえ、いいえ……!!私が、引き止められたら良かったのよ!何度も会ったのに、その度に引き留める事に失敗して……ごめんなさい!力不足で、本当に、ごめんなさい……!」
頭を下げようとした所で、肩を掴まれて阻止されてしまう。そして、壊れ物を扱うようにふわりと抱き締めてくるその腕が、身体が、震えていると気付く。
そして、聞き取れたのが奇跡のような声で、ごめんと謝られてしまえば何も言えなくなる。何も、謝られるような事はない筈なのに。
「助けられたのに、今、本気で思うんだ。……あの時、俺は死んでた方が良かったんじゃねェかって、そうすれば……俺は待ってりゃ良かったんだって、そう思っ「生きててくれて、私は嬉しいです。それに、白髭さんも、喜んでました」」
言葉を遮ったのは悪かったと思うけど……でも、その言葉を他の誰かがもしも聞いてしまったら、きっとその人が傷付くから。そんな傷付け方、この人は望まない気がした。
見ず知らずの人だから、だからこそ言える事もあるのだ。顔も知らない人だから言える本音なんてのもあるのと同じで、きっと……。
「サッチさんが生きていてくれた事を、白髭さんは喜んで、私にお礼を言ってくれました。エースを蘇生させようとしていた私の事も、手伝ってくれましたよね。……本当に、ありがとうございます。私1人では、どうにもなりませんでした」
「……っ、悪い。弱って、変な所見せたな!」
そう言ってサッチさんは、食事をベッドまで運んでくれる。それを手にして、でも、私はそれを食べる事が出来なくて困ってしまう。
「ナミちゃん?嫌いな物でもあった?」
「……あ!そうじゃ、無いんです。ごめんなさい!まだ、その、体調的に、少しボーッとしてしまって」
慌てて誤魔化してみたけど、スプーンに手を伸ばすのも嫌だと心が悲鳴をあげる。食物が、妙に怖い物に見えてしまう。
「そっか。焦らないでいいから、まずはスプーン持ってみようか」
「えぇ、ありがとう」
私はこの時、ドアの前に誰が居たのかを分かっていなかったし、食べるまでサッチさんが部屋を出るつもりがないなんて知らなかった。笑顔で武装して、でも、何かを食べる事が前よりも怖いと思うようになっているなんて、気付いてもいなかったのだ。