その中で最初に動いたのは、イゾウさんだった。突然帯を解いたと思ったら、その着物を私にバサりと被せて、驚く私に着物越しに言葉を落とす。
「涙は女の武器だろ。そんなに簡単に、見せるもんじゃないよ」
言われてから、着物にシミが出来てる事にも合わせて気付き、泣いていたと知ってそれを外そうとしたけど、頭の上で抑えられてしまっている為にそれが叶わない。犯人はと考えた時、エースの声が聞こえて来た。
「今は、そのままで……聞いてくれ」
その声に、言葉に、私は動きを止める。すると妙に静かな声でエースは言う。
「マルコ、イゾウ、心配かけてごめん。俺、ナミと行くよ。半年後、迎えに来てくれるだろ」
「「エース!!」」
「大丈夫。ナミは、俺をそういう意味では甘やかさない。俺が死んでいた未来では時期もわからずにティーチと戦ってたんだろうし、俺だけじゃなくて多分サッチもいなかった。だからその未来では負けたんだとしても……分かっていて準備していたら……未来は変わるかも知れねェ」
エースの声が真剣で、言ってる事もおかしくは無い。確かにその未来では、エースもサッチさんも、居なかった。
「その為にも、足を引っ張らない為にも、俺は〝絶対に見つからない〟場所で修行をつけるべきだと思ってる」
「まァ……正論だな。俺としちゃナミを手放したくはねェが、大切な家族が絡んだ時のナミの頑固さは筋金入りだ。……今回は手放すさ」
シャンクスの声が聞こえる。続いて、ベックが言う。
「お頭が離さないと言えば、俺が今回ばかりは敵になるつもりだったから、良かった」
「おい、ベック!」
「可愛い〝妹〟の為なら、邪魔な虫は排除するのが〝兄貴〟の役割だろ」
「……物騒な兄貴だよぃ」
そうして私は巫女様が迎えに来てくれたら、その時にエースと共に空島へと帰る事が決まった。それ迄の残り時間は、せめてゆっくり過ごせと甘やかしてくるベックにありがとうと言って、それから涙で濡れた着物に視線を落とすだけ。
……これ、どうしたらいいの。下手に洗えないし。
「あの……」
「……干しといておくれな。後で回収に来るよ」
イヤでも、着物だよ!?これ、相当な値打ち物じゃないでしょうね!?
この世界でワノ国の物がどれだけの価値があるのかわからない以上余計な事言えないけど、弁償とか……しないと不味いんじゃ……。
「あの、弁償を……するとしたら、その」
「俺が勝手にやった事で金をせびったら、相当な悪徳だろう。いくら海賊でも、その辺は弁えてるつもりさね」
「イゾウさん、すみません」
頭を下げるとそっとイゾウさんが私の顎に触れて、顔を上げさせた。驚く私にイゾウさんはフッと笑うと目尻に唇を落として、その流れで耳元に唇を移動させると囁きを落とす。
「俺が他の男に、涙を見せて欲しくなっただけさね。気にしなさんな」
思わずイゾウさんを突き飛ばしてしまったけど、イゾウさんはなんだか楽しそうだ。何が、楽しいのよ?
内心泣きそうになりながら、務めて冷静に言葉を紡ぐ。瞳を閉じて深呼吸したら、何故かシャンクスとベックが少しその空気を変えたけど、あまり気にせずに皆に視線を向けていく。
「分かりました。イゾウさん、ありがとうございました。……シャンクス、ベック、マルコさん、3人に渡しておきたい物があるの」
私の言葉に3人が視線を向けて来る。それに小さく頷いて、まだ巫女様しか持っていない〝私のビブルカード〟を3人に手渡す。
「名前は、各自で記入してください。……私の、ビブルカードよ」
「……良いのかよぃ?」
「エースの所へ何かあった時来るのは、空を飛べるマルコさんでしょ?なら、必要になる筈。私のいる予定の島は、移動するから」
「……ありがたく、受け取るよぃ」
マルコさんはそう言ってイゾウさんと共に部屋を出て行き、エースが不満そうに私を見る。でもね……。
「エースは、私と行くんだからいらないでしょ」
「俺、ナミの〝弟〟なんだろ?くれてもいいと思う」
「あら?私を〝姉〟として見た事無いんでしょ?」
そう言ってプンッと顔を背けると、エースが慌てて、そのやり取りをドアの前で聞いていたらしい2人の兄に諦めろと言われて連れ出される。やはりエースも、まだ本調子では無かったのだろう。
素直に従うエースに、安静にしてなさいと声をかけたら困ったような顔で笑われた。本当は、渡すつもりだったけど、何だか怖くなったのだ。
エースのビブルカードは、あの時、ルフィの目の前で燃え尽きた。それはエースが火だからなのか、それとも素材が紙だからなのだろうか。
どちらにしても、今はもうエースのビブルカードは存在しない。だからかな……エースには交換でしか渡したくなくて、本当に我儘だと思うけど、私はエースのビブルカードが欲しい……!
そんな内心を押し殺して、私は残った2人に私は笑いかける。色々思う所はあるけど、やっぱりある意味でこの二人は〝特別〟だから。
「師匠であり、尊敬する先輩であり、私が上司として認められる人達でもあるから……渡しておきたいの。それが存在する内は、私は〝生きている〟って事になるから」
「……良いのか。俺に、居場所を知られても」
戸惑うシャンクスに、笑ってしまう。だって、もう……どうしたって私は、シャンクスを拒みきれないと思い知らされてしまったから。
私は、きっと最低な浮気者なのよ。そう思いながらも、この想いをとめる手立てがない。
「シャンクス……ベック……私は、2人の事をちゃんと愛してるし、信頼してる。甘えてばかりだけど、本当に……感謝してるし、大切に想ってるわ」
それでも、私はルフィの隣にいたい。我儘で悪いとは思うけど……それでも……。
「私は、未来の海賊王を導く航海士。ルフィの航海士なの。ルフィが望むならなんでもすると決めてるわ。だから……ごめんなさい。〝そういう意味〟では、愛せません」
愛してる。強く……深く、2人の事も想ってるわ。
でも、だからこそキッパリと告げなくては。私は、1人しか存在しないのだから。
「……分かった。だがな、ナミ。俺はそれでもナミを愛してるし、いつでも甘やかす。……いつでも、甘えてくれて構わねェ。寧ろ、甘えろ。俺の為に」
「ベック……」
そんな言葉が返される予定は無かった。だからこそ戸惑う。だからこそ苦しい。
それに今度はシャンクスの言葉が向けられる。それにより、泣きそうなる自分を律しているだけで精一杯。
「俺は、諦める予定は無い。……が、ナミをこれ以上傷付けるつもりもねェ。……ルフィに愛想尽かしたら、俺の所に来ればいい。俺の命が続く限り、俺はナミを愛してる」
「シャンクス……」
突き放しても、離れてくれない2人に私はこれ以上何が言えるだろう。甘えてくれるだけでいいのだと言ってくれるベックと、何があっても愛していると言ってくれるシャンクスに、私は何も言えなくなって、耐えていた筈のそれを抑えきれなくてただ……泣き崩れた。
シャンクスに抱きしめられて、ベックに頭を撫でられて、泣き疲れて眠るまで……ただそうして私は甘やかされていた。目覚めると既に日は落ちていて、アレだけ泣いたのに目が腫れてないから、ベックにそんな所まで世話になったのかと思うと情けなくなる。
どうして、私なんかを愛してくれるのかな。どうして……私を、求めてくれるのかな。
確かに身体は美しいし、顔も可愛いけど……それだけで愛される筈もない。なんで……
甘やかされてる事を自覚して、深く溜息を落とす。無意識に紡いだのは、心からの1言。
「私……もう、大人なのに……」
「……お姫さんは、大人過ぎるんだろうと思うよ?」
突然聞こえた声にビクリと身体が震えると、驚かせたかい?と悪びれもなく笑う人がその場にいる事に気付く。揶揄うような眼差しは私を値踏みしていて、信用なんかしてないと告げている。
「……こんばんは、イゾウさん。お借りした着物を受取にいらしたのですか?」
「そのつもりで来たら寝ていたから、どうしようかと思って様子を見ていただけさね。まさか、驚かせる事になるとは思わなかったが……悪かったね」
自分の船長がいる船では無い。そして、どれ程世話になろうとも、同盟を組んでさえ居ない別な船。
同盟を組んでいても危ないのが海賊であるのに、傘下では有り得ない……本来ならば敵船である筈の船で気を抜いていた事を揶揄されている。そこに加えて、今は白髭海賊団のメンバーもいるのに、女海賊が無防備過ぎると……そういう話だろう。
溜息を落とせばイゾウさんはその意味を正しく受け取り、人の悪い笑みを浮かべる。その姿が窓から差し込む月明かりに照らされて、妙な色香を放っているように見えた。
「……頭は、悪くないようだね」
「喧嘩なら、買いますよ」
エースの大切な家族だからと、敬意は払って来たつもりよ。尊敬するに足りる男の愛する息子だとは知ってるけど、エースの家族である事の他には何の関係性の無い男に侮辱される謂れはない。
ルフィの隣にいる為にも、ベックの名を汚さない為にも、私は馬鹿だの愚かだのと言う評価に関してだけは、甘んじる予定等無いのだ。そう思って睨めば、イゾウさんの気配がスっと切り替わる。
突然向けられる穏やかで優しいその雰囲気に息を飲むと、イゾウさんは静かに頭を下げて来た。それは、明らかに謝罪の意味を持っている。
「試して、申し訳無かった。……エースがその命をかけた相手を、赤髪海賊団総出で守ろうとする相手の本質を見定めたかった」
「……結果は?」
「これ迄は少し、弱り過ぎておかしくなっていただけで、本来は女王の気質とは思いもしなかった。……ナミと、言ったね?」
「えぇ……」
頷くと同時に真剣な様子でイゾウさんは妙な言葉を口にする。それは、考えた事さえないような奇妙なもの。
「ナミはこれ迄に、自分に覇王色の片鱗を感じた事は無いかい?」
「……私が?ある訳無いでしょう。ウチの船長は覇王色を持ってますし、エースも持ってます。でも、実際血の繋がりのない私にそれは遺伝しません」
「覇王色の覇気は、血筋で受け継ぐものとも限らない。同じ親から産まれても、覇王色を持たない場合の方が圧倒的に多いんだからね」
そうは言われても、普通に有り得ない。私は、サポートする事だけで精一杯で、王になんてなれる筈も無ければ、そんなつもりもないのよ。
そう思って顔を上げると距離を詰められていて、それに驚いたのと同時に肩を掴まれてベッドに沈められれば、敵襲かと気を引き締めたのも仕方ない事だと思う。息を詰めて敵の気配を探る私に、イゾウさんは何故か身体を震わせて突然目元を手で覆うようにしている。
「まさか……押し倒して、この反応とは……!鈍いのはあの時の言動で分かっていたつもりだがねェ」
「イゾウさん?」
「まァ……どちらにしても、1度出し始めたこの手を引っ込める予定は無いがね」
意味が分からずに首を傾げると、イゾウさんは艶やかな笑みを浮かべた。それにぞわりと全身が総毛立つのと同時に重ねられた唇が、遅れて気付いたその行為の意味に対する悲鳴を吸い込まれてしまう。
百花繚乱の艶やかさに呑まれてる場合じゃないけど、この色気は思考を止めさせられそうになる。あまりの美貌に、隠微なまでの色香を漂わされて見惚れないなんて有り得るだろうか?
離れた唇に浮かぶのは艶然とした、何かを企むような魔性の笑み。いつも求められる側にいる者の余裕でもって、けれども私はそれを睨み返す。
「成程ね……。これはスペシャル級だ」
「なに、言って……」
「女は抱かれるしか身体の作り的に不可能だがね、抱かれるのも才能が必要なんだと言う事を、まさか本当に知らないのか?」
「そう、なの?」
首を傾げる私にイゾウさんがニンマリと妖しく笑う。その手がゆっくりと伸びて来て、しなやかな指先が頬に触れる。
「望まない相手の時は特に、挿れられた方は通常それこそ痛いなんてもんじゃない。けど、そんな相手に挿れた方もそんなに楽しくは無いんだ。ギュウギュウと締め付けられるだけだからね。……そんな状態でも相手を楽しませられる身体ってのは、そんなに多くも無い。それは才能だよ」
「そ……んな、才能、いらない。私、ルフィにしか、触れられたくない」
「稀に見る名器だろうに……さて、お喋りはここ迄だよ」
そう言って獰猛で美しい肉食獣を思わせる眼差しで、勝ち目の見えない力の差で簡単に抑え込まれてしまう。でも、そんな簡単に受け入れるつもりは無い。
私の心はルフィのものだし、私はイゾウさんという人をそんなに知らないのだから。でも、こんな時こそレイリーさんの言葉を、教育を活かすべきなのかな。
混乱する心を、感情を、何より思考を落ち着かせて、1度深く息を吸い込む。そして私は、迷い無くイゾウさんのその首に自分の膝を叩き込んだ。