ルフィは静かに顔を上げると、空をじっと見詰めて、唇を動かす。それはいつもナミがしていたのと同じように、想いを乗せた歌の題名を告げる声。
「まばたき」
だが、いつもナミの歌を聞いている仲間はこの場に居ない。突然放たれたルフィの言葉の意味を、理解しろという方が無理のある話だ。
何事かとルフィを見る人達の視線を気にもせずに、ルフィは歌い出す。ナミが譜面を描く時に口ずさんでいた歌声を思い出しながら……ブルックが完成したそれを1人演奏していた曲を思い出しながら。
「ーーー」
少し意識して、このフレーズだけはとの思いでナミの声に近付くように、高めに歌い出した。それだけで、本当にナミがそう言って笑う顔が見えた気がしたんだから、不思議なもんだよな。
「ーーー」
後悔してる。そんな言葉を言わせたい筈もないのに、そんな言葉しか言わせられない自分がいたから。
「ーーー」
驚いた時、想定外の事が起きた時、ナミは瞬きを繰り返す。それこそ、不自然なくらいに。
「ーーー」
いつも見てきたから、嘘をつく時の癖は知ってる。演じてる時も、無理していればしてる程その癖は出てるって事をナミは分かってねェ。
「ーーー」
いつも俺は思い返す。これで、間違ってなかったかなって。
「ーーー」
ちゃんと俺はナミを正しく愛していただろうか。愛を奪い尽くすだけじゃなくて、傷付けるばかりじゃなくて、求めるばかりじゃなくて……ちゃんと愛を与えられたのかな。
「ーーー」
自分ではもう止める事も出来ず、何をしている時も変わらずに、溢れてくるんだ。ナミへの想いが、俺を今の俺にした。
「ーーー」
ナミの傍の他には、俺の行く場所なんて何処にもないんだ。何処に行くにも、ナミが導いてくれたから俺は進めているだけなんだから。
「ーーー」
いつでも、どんな時でも、ナミの側に居たかった。傍で……涙を拭ってやりたいよ。
「ーーー」
俺が2年の修行を終えてナミの元へ行く時、俺は今度こそナミを守れるようになってる。もう、いつまでも守られている訳にはいかねェし、その未来は見えて来てると確信できた。
本来なら間奏に入る筈のその間にも、音は無い。けれど誰1人声を出さずにルフィを見ている。
1人空を見て歌うルフィのその姿に、その場にいるそれぞれが何かを思い、そして複雑な表情となる。ルフィはその視線の先に愛する女がいると確信しているかのように、ただ空を見詰めて……再びそっと唇を動かし始めた。
「ーーー」
別れる時、最期かもって分かっていて、そうだろうと思っていた癖に笑ったナミの少し悲しそうな顔を思い出す。俺の意識が無くなった戦場では、ナミの方が酷い壊れ方してたんじゃねェのかな。
「ーーー」
俺はいつも何も守ってやれない。守られてばかりで、ごめんな、ナミ……。
「ーーー」
肝心な時はいつも格好良い事なんか言えなくて、気が付いたらいつも俺が甘えてた。本当に伝えたいと思ってる言葉は、伝え損ねた言葉は今何処にいるんだろう。
「ーーー」
その時ふと思い出したのは、俺の大切な仲間達の顔。思い出せば溢れてくる想いが、俺の身を突き破るんじゃないかって気持ちにさせられる。
「ーーー」
行くあてのないこの想いを、どうしたらいいのか分からなくなる。あァ、だからナミもブルックも、想いを乗せて歌っていたのか。
「ーーー」
いつでも、何があっても、俺達はずっと側にいられると思っていた。1緒にいても寂しそうに笑うナミから離れたら、壊れちまうのなんか分かりきってたのによ。
「ーーー」
もう少しだ。2年後に、皆がこの空の下で揃う。
ナミは待ってくれると伝えてくれた。俺の決めた事に、ナミはいつでも肯定的だ。
皆もそうだろう。そしてきっと、ただボーッと待つ奴は居ないと確信出来る。
「ーーー」
今思い返してみると、俺は皆に助けられてばかりで、何を返せていただろうか。沢山愛してくれて、楽しい時間をくれた皆に、俺の愛も届いていたかな。
「ーーー」
溢れ出る想いを止められなくて、泣きそうになる。必ず強くなって、今度こそ誰も失わずに済むように、守れるように強くなるよ。
「ーーー」
そう決めなかったら、この溢れ出た想いの行き場所が無くなる。俺から溢れる想いを、受け止めて笑いながら返してくれる皆に、早く会いたい。
「ーーー」
いつでも、どんな時でも、ずっと皆の側に居たかった。居られると信じていたんだ。
「ーーー」
そんな当たり前を取り戻して共に居られる未来が、見えて来た。だからもう、俺は止まらない。
「ーーー」
止めどなくずっと、苦しい程に溢れる想いを……無理に止めようなんてもう思わない。俺はこの想いをそのままに、強くなる。
「ーーー」
今はまだ行く宛のない想いだけど、会えばまた受け止めて返してくれるだろ。それを俺は知っているんだ。
「ーーー」
今は遠く離れていても、いつでもずっと、皆の側に俺の心はある。ただ、ほんの少しだけ〝海賊〟の俺はお休みするよ。
「ーーー」
もうすぐ皆と共に〝海賊〟として進む未来が、やって来るから。俺はそれをこの手で掴み取る。
「ーーー」
止める事もなく、いつまでもずっと想ってる。俺を正気に戻させてくれた、大切な皆の事を……。
歌い終えると、皆が俺の脳裏で笑顔を見せてくれた。笑顔で、優しく名を呼んでくれる。
俺はもう大丈夫だぞと、その笑顔に心で語りかける。なんでかな、そうしないと心配し続ける気がしたんだ。
「……ふぅ、スッキリした!よし、じゃァ詳しい事教えてくれよ、おっさん!」
「全く……君には驚かされるな。だがその前に1つ」
歌い終えたからか、その空気が変わり、いつものルフィになった。それにレイリーは何処か懐かしそうに瞳を細めたかと思った直後、悪戯な笑みを浮かべてルフィに言葉を向けたのだ。
「今回ルフィを鍛えようと考えたのは、当然私の意思だが……それには小さな詫びも含んでいる」
「詫び?俺、おっさんに助けられただけだろ?」
「……私は、ナミを抱いたよ」
その瞬間、ルフィの空気が変わるのをその場に居た誰もが感じた。ルフィは何も言わずにただ、レイリーの言葉を待っている。
「あれだけの能力と容姿で、心が酷く甘い。だと言うのに、それを守るべき男達は弱過ぎる。だから、教育として、貪らせて貰った」
「……ナミは、抵抗した筈だ。アイツは俺しか……!」
「あァ、ルフィを呼んで、直後に頼ろうとする弱い自分を恥じていた。そう言えば……〝快楽〟を覚える事は罪だと、誰かに刷り込まれている様子だったな」
「ナミの最初の男は俺じゃねェから、その時か……?」
少し考えるような仕草を見せるルフィに、レイリーは呆れた様子を見せる。ルフィ相手の時はどうやら素直らしいと周りに知らしめてしまった、ルフィの無防備さがそんな顔をさせたのだろう。
「そんな、短い期間では普通ああはならんよ。彼女の場合……まァそれはいい。さて、本題はナミが美味しかったとか、名器だとか、そんな話ではなく……そんな相手にルフィは教えを乞えるのかという話だ」
「……ナミも、頼んだんだろ。おっさんにただ抱かれて泣き寝入りする女じゃねェ。……俺が弱いのが悪いんだ。だから頼む!俺に……
レイリーはルフィの言葉に息を飲み、フッと笑った。僅かに懐かしそうにその瞳を揺らして。
「……参ったな。完敗だ」
「え?」
「……本気で扱くぞ。私はそういう意味では甘くない。覚悟は出来ているな」
「おう!当然だ!」
こうしてルフィ達は暫しの休憩を挟みつつ、仲間に2年後の集合に変えて欲しいと伝えるべく動き出した。もう、ルフィには何の迷いも存在していない。
その頃ナミはと言えば、ハレダスを筆頭としたお爺ちゃん達を何とか宥め、エースと共に修行をしたり、ハレダス達から天候の化学について学んだりする日々を過ごし始めていた。エースとナミの修行は既に常人の域を出ており、これで何故隠れての修行が必要なのかと呟いた巫女様の声は、誰にも届かないままに空気に溶けた。
麦藁の1味が各地で、戦争が在った事とそれによりルフィとナミに何が起きたのかを知ったのも、丁度この頃であった。それぞれがルフィからの連絡のない今、ルフィの元へ帰ろうと焦り、努力を始めたそんな時、本来とは少し変わった運命に巻き込まれた者が居た。
それは、ニコ・ロビンである。革命軍に保護されたニコ・ロビンは、本来とはほんの少しだけ違う運命の中で、新聞を読み知った事実に隙あらば泣き崩れそうになるのを必死で耐えていた。
それでも新たな情報が入らない中では、幾度同じ新聞を読み返しても、得られる情報が変わる事はない。周りに居るのは味方ではないとわかっていて、その動揺を隠せない程に、ロビンは取り乱していた。
「ルフィ……ナミ……!!」
「ドラゴンさんの息子と、宝玉ですね。戦争で大暴れした後の安否は……現在不明でして……」
「……2人の身体は無事よ。死んでる筈が無いわ」
いつもは最悪の状況のみを想定しているニコ・ロビンも、それは間違いないと断言する。何故ならば、ナミが傍にいてルフィが死ぬ未来は起こりえないと知っているからだ。
そして、戦争を止めに来た男……四皇、赤髪海賊団。彼等はルフィとナミの知古であり、2人を可愛がっている現実がある。
それを知っていて、2人の死を予想する事は難しい。それでも……〝エースの死〟は、2人の心を壊すのに充分過ぎる。
知っているのだ。2人がどれ程、火拳のエースを家族として愛しているのかを。
捕まったと、そう知っただけで壊れかけた心優しい妹のような、母のような不思議な親友と、それは無いと断言して支えた船長の姿を思い出して震える。そんなニコ・ロビンの元に差し出されたのは、新たな新聞だった。
それを手にしたニコ・ロビンは、そっと手に取り記事を読むと嬉しそうに笑った。そしてそれ迄頑なに共に行く気も無ければ、ルフィの父であるドラゴンに会うつもりもないと言っていた彼女は意見を翻したのだ。
船に乗りバルティゴへと向かう事になったその時、その通信の中でとある連絡が入り、その前に寄るべき場所があると経由地が追加された。それは〝カマバッカ王国〟である。
「〝ニコ・ロビンか?〟」
電伝虫が問い掛けてくるそれにニコ・ロビンが是と答えれば、電伝虫はサボと名乗る。そして、現在麦藁の1味を名乗る、金髪の、手配書には無い人物が共にいると伝えられれば笑ってしまったのも無理は無いだろう。
……確かに、あの手配書にサンジ本人を思わせるものは無いわね。仲間達は似てると笑っていたけれど、どうしたって似てはいないと思うのよ。
まず、バルティゴに帰るより先にこのカマバッカ王国にて、参謀総長サボを回収し、それからバルティゴへと聞かされたニコ・ロビン。彼女は船内に入る事は頑なに拒みつつも、サンジと情報共有をしたくてその頬を緩ませる。
ある程度の距離を保ったまま、ニコ・ロビンは船の中で宝玉が最新で出した譜面だと言うそれに手を伸ばす。そして譜面にある歌詞等を見て、思わず声を出していた。
「これは……あの晩に……」
フランキーが見張りの夜……眠れないと呟いたニコ・ロビンを見て、私も今の内に描いて置きたい譜面があるのと笑い、ランプに火を灯したナミが、机に向かいペンを手にした。その状態で彼女が描く為に音を、歌詞を確認する為に歌っていた声が、その姿が脳裏に蘇る。
「……ご存知、なのですか?」
「ええ、これを〝宝玉〟が描いてる時、私はベッドに転がっていて、少し歌っては違うわなんて呟いたりしてたのを聴いていたもの。……私への子守唄代わりのつもりが、途中から本気で描き始めちゃう辺りが、ナミらしいけど」
初めは〝宝玉〟と話し始めたのに、最後には〝ナミ〟と言ってしまうくらい、ロビンにとってその少女が身近な存在なのだとそれを聞いた誰もが気付く。穏やかな、優しい顔で譜面を見ているが、その視線の先にいるのは恐らくその少女なのだろう。
「仲が、良いのですね」
「えぇ……私の、大切な人よ」
そう言って微笑むニコ・ロビンに、誰もが言葉を失う。誤解をわざと与えるように口にする事で、自衛しているのもある。
しかし、それと同時にその言葉に嘘偽りはない。ロビンにとって、ナミは確かに〝大切な人〟なのだから。
ルフィの為に強くなりたい。そして、今度こそ私が大切だと思う人達を、ただ泣きながら喪うなんて未来だけは回避してみせる。
そう決意して、それ迄の自分との考えの違いにロビンは小さく笑った。そんな中で到着したカマバッカ王国にて、サンジとの再会を果たしたニコ・ロビンは、このまま2年のその期間は革命軍と行動を共にしてみようと思っている事を伝える。
それにサンジは頷くと、自分もこのカマバッカ王国にて強さと料理のレシピを手に入れてみせると笑う。それから2人は同時に、未だ正確な安否の分からない仲間の名を口にした。
「「ナミ」さん」
「ナミなら、無事だ。……初めまして、革命軍参謀総長のサボだ。宜しく。……そして、ルフィの兄であり、エースの片割れであり、ナミの弟だ」
互いに顔を見合わせた直後に割り込んできたその言葉に2人が視線を向けて挨拶を返せば、サボが2人に言う。繰り返すようにナミは無事だと。
それを問い詰めようとするサンジをロビンが諫めれば、サボは笑いながら赤髪が保護したのを確認した事と、白髭海賊団にその後の事を頼んだ事を伝える。それにより肩から力を抜いたサンジに対して、ロビンはそれでもエースの死がナミの心を壊したのではないかと、身体を震わせた。
それに対してサボは、声を潜めて他言しないように言ってから、エース生存を2人に告げる。戦場にてナミがエースを蘇生させた事を告げるサボに、とうとうロビンは泣き崩れ、サンジはその肩を支えるように抱き締めながら、やはり静かに涙を落とした。
そんな姿に、会話の届かぬ革命軍のメンバーは首を傾げ、それでも立ち入れないそれにより微動だにせず見守るしかなかった。ルフィもエース生存は知らないだろうと言いながらも笑うサボに、2人はナミの面影を見て血の繋がりはない筈なのにと、小さく笑い合う。
血の繋がりはないのに、ルフィとエースがよく似た兄弟だと言うのなら、ナミとサボもまた、同じようによく似た姉弟なのだろう。小さな仕草が、2人はどこか重なって見えた。