いくら脱衣場に立てこもってみても、たった1枚だけ隔てた薄い木の扉の向こうにいる男に、効果なんてある筈も無い。覇王色の覇気を扱えて、見聞色の覇気を使えないなんて事がある筈もないのだから。
「いつまで座り込んでるつもりだ。出て来い」
「……着替えがないのよ」
「ジョーラが用意させたと……まさか!?」
そうして私の抵抗虚しく開け放たれた所で私の姿を見たドフィが、そのまま硬直した。私もまた対応に困りドフィを見上げるけど、そのまま何故かサングラスの内側に手を入れて目を覆うのだから分からない。
「ジョーラの奴……俺の好みを……よくわかってやがる」
妙な呟きを聞き流して、とりあえずこうなっては仕方ないので部屋へと戻るとベッドにある毛布をタオルの代わりに身体に巻き付ける。そんな私を見て分かりやすく舌打ちしたドフィに、それをしたいのは私の方だと心から思う。
けど今はそんな事を言える状況でもない。そう思って、ドフィから可能な限り距離を取ってから問い掛ける。
「それで、何が目的で私をここに案内させたの?」
「いくつか確認したい事があるだけだ。それが確認できれば、望みを叶えてやっても構わねェ……破格の待遇だろう?」
「……望み?」
思わず素直に叶えられる筈もないと言いそうになり、何とか言葉を飲み込んだ。そんな私を見てドフィは糸を差し向けてくるけど、短剣が手元にない今、対抗措置が取れないので躱すのが精一杯。
そんな私の動きにドフィは荷物をどうしたと聞いてくるので、持ち去ったのはドフィの指示じゃ無かったらしいと気付く。ならば、返してくれと言うのが望みになるのだうか?
「ベビー5にお風呂に入るように勧められて、入って出たら荷物は無くなってるわ、着られる物もこれだけだわで困ってたのよ」
「……最高に唆られる姿だがな」
「ドフィの趣味?」
どんな目で私を見てるのかは知らないけど、背筋がゾワゾワする。毛布着てるから見えてない筈だけど、見聞色の覇気で見えたりするのかしら?
「そうだと言ったら、その毛布を外してくれるのか?」
「私の荷物を返してくれるなら、ね」
正直に言って、短剣とかその他諸々の武器は返して欲しい。クリマタクトと短剣に、私の精神は思ってた以上に頼っていたらしいとこうなって初めて気付く。
その後ドフィの問い掛けに幾つか素直に答えていたら、ドフィが疲れた様子でソファに座りお茶を入れるように命じて来た。命令する事に慣れたその様子に、そうよねと1人で納得して動き出す。
それにしてもドフィは、私が毒を仕込むとか考えないのかしら?
「……ドフィは、私が毒を「それは無いと判断した。妙な気は回さなくていい」」
「どうして?私とドフィには、何の関係性も無い上に、何かあるとするなら敵対関係にある筈でしょう」
私の問い掛けに対してドフィは口角を上げる事で笑みを形作り、それから馬鹿にしたように笑った。なのに、続いた声に嘲りは含まれてはいない。
器用なものね。ドフィは笑顔1つで怒りも喜びも楽しさも悲しみも表現する。
素直に泣いたり怒ったりする事は、殆ど無いのだと気付いたのはいつだっただろう。それはこんなにも前からだったのかと思えば、少し切なくなる。
そんな私の顔を見ていたドフィが、何故か困ったような顔をしたのが分かり視線を向ける。すると暫く黙っていたそれが、何だったのかと思う程流暢に言葉を紡ぎだす。
「お優しい海兵さんは、荷物の全てを奪われている。つまりは荷物に毒物があったとしても使う事は不可能。毒を身体に隠していた場合、風呂にも入った今問題無く動ける筈もねェ。集約しちまえば……物理的に不可能って事になるだろ」
「まさか……その為に、荷物を?」
「まァ、それはあるだろうな。恐らくベビー5にその指示を出したのは、トレーボルだろう」
名前を言われてもイマイチ顔と名前が1致しない。こんな時巫女様なら、全てを瞬時に理解できるのかな。
でも、ここに巫女様は居ないし、いてもそういう知識は与えるつもりがないと言っていたのを思い出して気持ちを切り替える。確かその名前は……そうよ〝ドフラミンゴ〟が悪魔の実と銃を渡された相手の名前だわ。
ドフィを闇に落した諸悪の根源だと、私は見てる。初代最高幹部の面々が、絶望と怒りに震える少年を人の道からそれさせたのだと。
それにしても……この頃のドフィって服装がまともだわ。なんで十年ちょっとの時を経て、あんなおチャラけた姿になっちゃったのかしら?
逆なら分かるのよ。若い頃はっちゃけてて、歳と共に落ち着いて行く感じで……。
なんで逆行してるの。意味がわからないわ。
そんな事を考えながらティーセットを用意して、置いてあった茶葉を確認してそれに合わせた淹れ方をしていたら、ドフィが妙に穏やかに笑う。それに意識を向けつつ、紅茶をドフィの目の前にあるテーブルに運んだ直後、無言のままに腰を抱かれる形で抱き締められてしまった。
逃げるべきだろうと分かる。なのに、何故か縋られている気がして、動きが取れなくなってしまう。
「……今ならまだ、間に合う。オペオペの実は、コラソンかベビー5に食わせると初めから決めていた」
「どうして?ロシーは実の弟で、ベビー5の事は妹のように可愛がっていたでしょう?」
「そうか、ナミはオペオペの実が持つその能力を理解しているのか。それは……侮っていて悪かった」
覇王色の覇気が容赦無く向けられる。それに対してこの時のドフィになら、まだ勝てる可能性を私は残しているのだと気付かされた。
覇気だとは分かるけど、それだけなのだ。シャンクスの放つそれに比べたら……まだまだ弱い。
時期が違うのはあるだろうけど、四皇の恐ろしさが今になってわかった気がする。シャンクスに慣らして貰ってた頃は、私も子供だったと言うのもあって強大に思えたけど、今ならばあの頃のシャンクスになら、両手を使わせられるのかも知れないと気付けば嬉しくなるのも仕方ない事だと思う。
そんな私の様子にドフィは覇気を使うのを辞めて、何故か抱き締めるその腕の力を増してきた。それが地味に苦しいからと動こうとしたら、ドフィが言う。
「……実の弟だからこそ、そして甘いからこそ、俺の為に簡単に死ぬだろうと判断した。ベビー5は〝役立つ〟事が存在理由だ。俺の為にならば、喜んで死ぬ」
ドフィからのその答えに、泣きたくなる。自分の為なら簡単に死ぬ者しか愛せないのだと、そんな生活を強いられて来たのだと気がついてしまったから。
本来ならば私が関われる筈もないドフィの姿に、妙なものねと小さく笑ってしまったのは仕方ない事だろう。ソファに座っているドフィと、立っている私の身長差がそれでもドフィの方が大きいと言う謎に苦笑して、それでも今突き放せないのはどうしてかな。
こんなにも身体は大きいのに、どうして小さく感じてしまうのかな。そう思いながら、そっと頭を撫でればドフィが僅かに身体を揺らす。
それだけ、ドフィは身も心も傷付けられて、苦しめられてきたのだ。誰も悪くなんて本来は無かった筈なのに。
憎しみの連鎖は、無関係とも言えるドフィ達家族に降りかかり、そうなるとわかっていて見捨てた海軍の非道さに反吐が出る。明らかに力の無い彼等を攻撃した〝弱い〟人間達の残虐性が、集団になった時の人間の狂気が、恐ろしくも悲しい。
善意には善意を、悪意には悪意を返されるのは……双方の関係が同等かそれに近い時にしか起こりえない。もしくは上の者から下の者へ善意が向けられた時、下の者がそれに反応するのだ。
しかし、集団になった時、人間は自分達は正しく強いと妄想し、暴走する。そうなった人間を止める手立ては、解明されていない。
「ドフィ……つらかったね……」
心で思っているだけのつもりだった言葉が、唇の隙間から零れ落ちている事に私は気付いていなかった。ただ、この大きな少年が抱える、痛すぎるその過去に、何も出来ない自分が悔しくて、情けない。
人にはそれぞれ生きて来た過去があり、それを変える事は本来出来ないのだと知っているの。それでも、叶うならばその過去を痛みではなく、苦痛ではなく、糧と出来たらいいのに。
そう思って、その頭を撫で続けていたら何故かドフィに身体を持ち上げられて、妨害される。どうしたのかと問いかけようとした所で毛布を奪われて……しげしげと見られれば、何なのよと思った私はおかしくない筈。
「……お前、何処かで会ったか?」
「ミニオン島で会ったから、ここに連れてこられたんでしょ?」
頭を撫でただけで、頭を殴った記憶は無い。なのに、ドフィはいつの間にか頭に妙な衝撃でも受けていたのかと心配になる。
そんな私の思考を読み取ったらしく、青筋をたてたドフィがそうじゃねェよといきり立つので、短気よねと思わず苦笑してしまう。今手元に武器は無いし、さて、どうしたものかしらね。
武器があったところで、勝てそうにもないけど。小さくない筈の、ただ若いだけのドフィに、何故か幼い傷付いた少年の面影が見えてしまっては対応に困ってしまう。
「……お前の名乗った名は、本名か?海軍将校に、ナミと言う名は記載が無かったが」
「あら、それを
最高幹部の1人が、ドフィの傍を離れて……ロシーとは真逆の事をしていた。そうよね、本来ロシーを瀕死になる迄追い詰めたのは、その幹部だった筈。
曖昧過ぎる記憶が、今更ながらに断片的に戻る。過ぎてから思い出しても意味なんてありはしないのに。
「名前くらい、本当のものを教えろ」
「何故?」
「……抱く女の名前を呼ぶのが、案外好きなんでな」
この子、何言ってるの?
断った筈よね。うん、断ってるわ。
そう思って呆れを隠さずに言葉を口にすれば、ドフィの表情が微かに引き攣る。顔面神経痛とかじゃないと良いけどと思う程に、ドフィの頬が引き攣っているのが確認できてしまう。
「なら、余計に教えたくないわ。私、ドフィに抱かれるつもりは無いもの」
「海賊に囚われた女海兵が、何事も無く過ごせると思っていたのか?……俺に抱かれたいと懇願する女は、腐る程いるんだぜ?」
フッフッフッと独特の笑い方で挑発するように言うそれに、本当に可哀想な子だわと思う。私は本気で心の底からドフィに抱かれるつもりなんて無いし、同時に本気でドフィが生きて来た環境が呪わしく思える。
もしも本当にドフィの幼少期に関われるのなら、変えたいと心から願う程度には、私の中でドフィの存在は大きいらしい。どうしても、幼い少年のように思えてしまうのよね。
「自ら望む人が沢山いるなら、その人達を相手してあげてよ。私はルフィしかいらないんだから」
「……ルフィ?」
「私の男」
「聞いた事ねェな」
ドフィの言葉に内心でそうでしょうねと思う。確かここは14年前の時間軸の筈。
つまりこの時、ルフィは3歳で、私は4歳。まだ、どちらも海にさえ出てはいない時期なのだから、知っていたらそれこそ脅威よ。
今頃幼い私は、ベルメールさんやノジコと武術の訓練しながら蜜柑を育てているのかな。叶うなら遠くから、その頃のベルメールさんやノジコを見てみたい。
そんな事を本気で考えながら、ルフィについてどう説明したら良いかなと思う。ただ、それにより思い浮かんだのはただの真実でしかない。
「ルフィは……未来の、海賊王よ」
私の言葉でドフィの纏う空気が変わった。ドフィは海賊王の処刑を見ていた1人であり、トップに登り詰めた彼をある意味で尊敬もしていたのだと知っている。
だから、それを不思議には思わない。でも、海賊王の血を継いでいるのは、ルフィじゃなくてエースなのよね。
「未来の、海賊王?……なんだお前、まさか未来でも見えるのか?」
独特の笑い方をするドフィに、どうかしらねと笑えば突然その笑みを引っ込めて真面目な顔で私を見る。それから徐に私の淹れた紅茶を飲むと、驚いたような顔をして私を見た。
変な物を入れた記憶はないのに。どうしたのかしら?
「お前、天竜人に関わった経験はあるか?」
「……それに答えたら、そろそろ私の願いってのを聞いてくれる?質問には充分過ぎるくらい答えた筈よ」
「お前のそれは、誤魔化してばかりで真実は含まれてねェだろう」
「あら、確認を取れないから嘘だなんて……そんな幼稚な事を言うつもりなの?良い大人が恥ずかしくないの?」
小馬鹿にしたように言葉を紡ぎながら、実際嘘はついていないものと内心で舌を出す。私は名前も年齢も偽ってはいないし、オペオペの実をローちゃんに
真実を偽りに聞こえるように、わざとらしく話しただけだから、責められる謂れはないわ。私が着いた嘘は、海兵であると名乗った事くらいなものよ。
他は明言なんてして無いし、託した悪魔の実を食べさせたのは私では無くてロシーだもの。私は、それを伝えていないだけ。
そんな屁理屈を脳内で繰り返しながら微笑みを浮かべれば、ドフィは舌打ちして私をその糸で操ろうと手を動かす。それを躱していけば、ドフィは頭をかいて私を睨みつけて来る。
「確かに民間人では有り得ねェ動きだ。基礎もちゃんとしてるから、訓練は受けたんだろうな」
「あら、私の言葉を漸く信じる気になったの?」
「お前の戦い方や動きが、奇妙な程俺と近いのが気に掛るんだよ。……上司の名は?」
「ベック……あ、何でもないわ」
思わずと言うか反射的にと言うか、名を告げてしまったけど……これは流石に不味い。上司と言われて最初に浮かんだのがベックだったのは確かだけど、この時既に赤髪海賊団はある訳で……短剣についてるチャームからベックが誰なのか調べられてしまう可能性もあるのに。
抜かったわと思った所で、1度口から飛び出した言葉は還らない。掴んで口に戻して飲み込むとかって芸当は、誰にも出来ないのだ。
ならば、その後どうやって意識を別な所へ向けるか、もしくは誤魔化すかよね。そう思っていたらドフィが楽しげに笑い始めた。
「フッフッフッフッフッ……。名前を言いかけて辞めたか。……お前、案外素直なんだな」
「五月蝿いわね。あ、ドフィは食事とかどうするの?」
そう言えば約1日以上、何も食べてなかったと思い出して問い掛けるとドフィはとうとう呆れを隠さなくなった。それから糸で戸棚を開けると、中から果物を取り出して糸で移動させてくる。
「便利な能力ね。羨ましいわ」
その能力があれば、机の前から1歩も動かずに生きていけそう。そう思ってつい、キラキラとした眼差しを向けてしまったのは不可抗力だと言わせて欲しい。