門の前で車から降りて荷物を取り出した私達は、車を車庫に入れるのをオタに任せて門に手をかける。その時、聞き慣れた声が私の鼓膜を揺らした。
幼い頃からずっと傍に居てくれた、信頼していた人。でも、この人が求めているのは私ではないとも……本当はずっと前から気付いてたの。
「お嬢様……跡目様……どうして、私を拒むのですか?」
血走った目で、正気か疑うような言動で、ふらり、ふらりと歩み寄るその姿は、随分と風貌を変えてはいても、間違いなく運転手だった。それに恐怖心から動けなくなっていた私の手を掴み、王子が家の中へ向かって駆け出す。
それに化猫が付き添い、でも、ヅカが1人で残ってしまう。それにより、嫌な予感がした。
「や、嫌よ!辞めて!」
「相手は刃物を持ってる。ここは私に任せてく……っ」
言葉は、そこで途切れた。私達に注意を向けた隙に刺されたヅカは、それでも、懸命に戦い……その体から血を流しながらもそれを捕らえてくれる。
化猫が駆け戻り紐で縛り上げて、王子が警察に通報しつつ救急車の手配を頼んでくれたので、救急車が来るまではと家の中でヅカの応急処置をしながら待つ事にした。でもヅカは血管を傷付けたのか、出血がなかなか止まらない。
「たいしたこと、ないさ。そんな顔しないで。天使を泣かせたら、他の皆に……叱られて……」
「今は喋らないで!腹部を刺されてるから、喋ると血が余計に……!」
「そうだよ。僕を遺して行く気か?僕は1人だと3日も生きられないぞ!」
オタがそんな事を自慢気に言いながら顔を出せば、青い顔でヅカが笑った。後少しで警察と救急が来るから、もう少しだからと自分に言い聞かせるようにしていた私は、ふと……窓から入る明かりが明る過ぎる事に気付く。
「なに、なんで……こんなに明るいの……?」
家の周りが、燃えていた。それは灯油臭いそれにより理解する。
つまりは誰かが灯油をまいてから火をつけたのだ。これでは救急車がヅカを迎えに来ても、入って来られない。
それにより王子とオタがヅカを支えながら玄関に向かい、脱出しようとした。けど……玄関が近付くにつれて嫌な臭いが強まる。
「駄目よ!ガスが充満してる!」
化猫の言葉に全員が足を止めて、窓からの脱出に切り替えようとした時、声が聞こえて来た。それは、リビングに放置している運転手のものでは無い。
「そうだ……初めから、こうすれば良かったんだ!産まれてきた事が罪なんだから、死ねば良かったんだよ!!よくも俺達を陥れたな!この、淫乱女がぁああ!!」
「この声……まさか……」
「あの男ね。だとするなら……車庫を経由して表に出ましょう。窓は割ると音が出て気付かれるけど、車庫の扉は裏口になってるから玄関からは見つかりにくい筈よ」
動揺する私を見て、化猫は笑う。こんな時に冷静な判断ができるのは、流石だと思わざるを得ない。
移動した所に、ヅカから流れ出た体液が落ちる。ぽたぽた、ぽたぽたと、落ち続けるのだ。
「ナミ、そんな顔、するな。私は大丈夫だ。今度落ち着いたら、また何か作ってくれ」
「何かって……」
「ロールキャベツとかいいかもな。いや、ビーフシチューも捨て難い……」
「う、ん……!!なんでも、作るからっ!!」
泣きそうになるのを耐えながら家の中を移動して行くと、ダイニングに差し掛かった所で玄関から物凄い熱量を感じて振り向く。その瞬間受けた衝撃に驚くより先にリビングへと転がり込む事になり、顔を上げた時……何が起きたのかを理解した。
王子が、爆発の中に1人……取り残されてしまったのだ。なら、あの時感じた衝撃は……?
「ちょっと、嘘で……しょ?ねぇ、なんで、なんでこんな時だけ……男らしい事なんか!似合わないわよ!起きて!はや、く……!!」
火の中に戻ろうとする化猫を必死に背後から抱き締める。……もう、助からない。
巻き添えになるだけだと、分かっていて行かせられない。私達四人を時飛ばして、王子は爆発の中でその命を終えた。
私が怨まれたから。私が憎まれたから。
死ぬべきは、私だった筈なのに。ごめんなさい……ごめんなさい……。
「……皆、生き延びるわよ。後で回収して、弔ってやりましょ。あいつの好物並べて、目の前で食べながら〝あんただけ食べられないなんて残念ね〟って……そうっ……笑って、やる、んだからっ!!」
大粒の涙を落としながら前を睨み付けて言う化猫に、私達は言葉なく頷く。炎の熱で、喉が焼けそうに痛む。
私達はこの時、明らかに前後不覚に陥っていた。そして……私に大きな影がかかった時、何かが私の上に覆い被さったのだけが分かる。
低い、呻き声に良く似た怒号が響いて、何が起きたのかを理解するより早く私の頬に触れる指先。唇が、ゆっくりと動くのに、それは音をなしてはくれない。
「『無事だな?怪我はしてないか?』」
そして、私の横に倒れ込んだ身体は、動きを止めた。必死に呼びかけても、手を握っても、薄く開いたままのその瞳が私を映していないのがわかる。
「『アイツ遺すと、何しでかすか分からないんだよな。困った奴だよ』」
唇がそう動いて、彼女から流れ出るそれで私と化猫の衣服が染まって行く。叫ぶような声が微かに聞こえ続けて居て、緩慢な動作で振り向けばオタが……運転手に馬乗りになりその体を運転手の持っていた得物で幾度も突き刺しているのが分かった。
でも、オタ自身からも返り血では有り得ない量のそれが流れ出ていて、乱闘の末に今の形になったのだと気付く。運転手が痙攣さえ終えた時、オタはボタボタと流れるそれを押さえもせずに振り向き、笑った。
「悪い、僕は、先にいくよ。……君が居なけりゃ、3日、生きられないって……言ったろ……。僕もさ、ついて、いくよ」
半狂乱で2人に抱き着く私を化猫が引き剥がす。引き摺るようにして進む先には、脱出予定の車庫があるのだ。
けれども火の回りきった建物は、平然と私達の上に崩れ落ちて来る。私もこのままここで動かずにいれば、皆の所へ逝けるわよね。
そう思ったのに、強く抱き締められた温もりと、背中を打ち付ける痛みを感じた後、身体を起こした時に見えたのは化猫が燃える梁の下にいる姿。炎と煙で喉は焼けて、既に何の音も出さない。
どうして、私だけがここにいるの。どうして……私なんかの為に皆が傷付き死んでいくの。
どうして……?どうして、私は何も出来ないで見ているしか出来ないの!?
私が、皆を、殺してしまった。私は、独りになってしまった。
髪や服についた皆の体液が、火を払うようにして私を守る。でも、私はそんなの望んでない。
皆、酷いよ……独りにしないって、言ったのに。もう、嫌だよ。
私の命で、魂で贖うから……皆をここに、返して下さい。私の存在なんて消えて構わないから……!!
その時、キッキンのガスに引火したのか、至近距離からの爆風を感じる。そして……私の意識は、消失した。
「……戻ったか」
「……ここ、は?」
眩しい人がそこにはいた。そして、ぼろぼろと涙を落とす私につまらなそうな声を出す。
「死んですぐに来た時も、同じ顔をしていた。そもそも初めから、さっさと自殺でもしてここに来れば誰も犠牲になどならなかったものを」
「え?」
「お前達が揃ってここに来た時にも、今と同じ言葉を伝えた。そうしたら勝手についてきた四体が騒いでな……。人の生をなんだと思ってると騒がれたので、やり直しをさせてやった訳だ。だが、余りにも目に余る言動があり、賭けをする事にした」
そうして話を聞いてみれば、詳細はこうだ。私を殺して手元に戻したかったのに、私が死なないからと私の近くにいると負の感情が増すようにした。
それにより、彼等は私を貶め、辱めた。そうなれば自殺でもするだろうと考えて。
誰も救いの手を差し伸べないように、和解できないように負の感情を増やされていた祖母は助けにはならず、それにより絶望し、私は自らここに来る筈だった。だが、四人が支え続け、あろう事か私を狙った数々の攻撃を全て身代わりになってしまったと。
……つまり、全ての責任は私にあったのだと落ち込み絶望した私に、四人は怒り狂い、神を名乗る光の塊に抗議をした。ならばお前達が好きだと言った世界に蘇らせてやろうと言われて、喜べる筈も無い。
特殊な能力もなく、ただの民として苦しめばいいと、生まれ直した世界でまた会えるとは思わない方が良いと……そう言われた彼等を庇うように、私と王子が前に出て、彼らの人生を弄ばないで欲しいと願った。それにより、私と王子はこの前世の記憶を全て失う事となり、転生なのか、成り代わりなのかは人により異なる事、会えるチャンスは残す事、そして……私以外はそれ程大きな苦難は与えないと約束してくれた。
暇であるが為に、気に入った者を早々に殺して連れて来ては、遊び相手をさせていたと言うそれに、神ならば生物の親と同じなのだから子を愛するべきだと叫んだ化猫に、返されたのはキツイ言葉だった。
「人の親も、動物の親も、我が子を殺す事は良くある。人の親など、痛めつけ、苦しめ、それでも死を許さず永遠に苦しめる事さえあるだろうに……何故、ただ1人にさえそれをやる種族が、億では収まらぬ命全てを愛せなどと無理を言うのか」
「それ、は……でも!神ならもっと人を愛しても!!」
「傲慢にも程があるな。人とて同じだろう。鶏や牛を家畜として育て、卵を、乳を得られぬ雄は種として残す者を除き肉として売り捌く人間に、他種族を愛せと言われるとはな」
言葉に詰まった私達を見て言う。傲慢にも程があろう、と……命など数字でしかないと。
それでも本当に私を手元に置きたいと思う程度には気に入っていたのだと言うそれに、私は甘えるように言葉を口にした。せめて私の大切な人達を苦しめないで欲しいと。
「新たに人生をやり直して見て、それでもまだ互いを大切だと、記憶がなくとも他人を思い遣り続ける事が出来ると言うなら……やって見せろ。それが出来たなら、記憶を戻してやろう」
それが賭けとなった。私か王子のどちらかが、他人の為に運命を捻じ曲げ、その報いを受けて尚それを辞めずに突き進めたならば、言葉に偽りが無かったとして……記憶を戻して、世界に適応させてやろうと言う。
その賭けに、運命を変え続けた私はどうやら勝ったらしい。なら、王子も……思い出したのかな。
「……だが、未来を知っているとこの先も変えられてしまう。未来を知る事で与えられた苦痛もあっただろう。それも踏まえて、その能力は回収する。……原作知識と呼ばれる部分に関してのみ、記憶と知識の没収を五人全員に施す」
「そんな……!……分かりました。ただ、何故過去の名前が同じナミだったのでしょうか?」
名前が同じだったとは考えにくい。でも、私には今のナミで呼ばれていたように思う。
「記憶を戻す時に、シンクロしやすいようにした迄。元の名は……知らん。名など、符号に過ぎぬ」
可哀想な考えだなと思う。名を呼ばれるだけで、どれ程心が満たされるのか、震えるのか、きっと知らないのだ。
自分にだけ与えられた、誰にも奪えない、自分である証。生きている事を認めてくれた存在が、例えひとときでも存在した証なのに。
「お前が運命を変えすぎた代償は、その身で受けただろうからな……後は残りの代償を支払いながら生きれば良い。もう、此方からは手出しせぬ。……死ににくいようには、しておいてやる。これまで通りな」
その言葉でまさかと思う。そうだ、拷問を受けても、何しても、ギリギリで生き返ったのは……でも、まさか、そんな事を?
「あぁ、此度は周りの感情を操作せずにいた他に、過去に死にやすくした償いとして、死ににくくはしておいた。想定外の結果があり、楽しませて貰っている。生き足掻け。どの道を選ぼうと、見守っている。……我が愛しき人形よ」
その言葉に、私はもう人形なんかじゃないと言おうとしたのに、音にならず……光の渦に呑まれるような感覚に襲われる。そして、視界がクリアになった時……私は砕けた天候ボールの目の前に、座っていた。
ただ、その時に着ていた服は……過去の私が死んだ日に着ていた、皆からプレゼントされた洋服で……。焦げてもいないし、破けてもいないし、汚れも無い。
オロオロする私に弾丸のように飛び付いてきたのは、やはり、あの日の服を着た巫女様で……。あぁ、やっぱり巫女様が化猫だったのだと思う。
姿形は違うのに、中身が変わらないから……。そして、化猫ならこの世界の主要人物に抱き着くくらいするだろうと、そう理解できてしまったのだ。
「ナミ!ナミ……!!」
「ただいま、巫女様……」
「思い出した、のね。服が突然変わって、5日間も姿が無くて、でも、なんでかここに居るのがわかったのだから私急いでここに来「ちょっと落ち着こうか。ね?」」
そう言った筈だ。言葉を遮って、落ち着くようにと。
なのに、巫女様は私に抱き着くと、身体を震わせて泣き出す。その腕の力が強くて、縋るようで……。
「巫女様……」
「お帰りなさい。私達の天使……。苦しめてごめんね。ずっと、守ったつもりだったの。助けられたと、信じていたのよ。なのに、傷付けて、苦しめてるだけで、だからあの炎の中で……私達は声も無く泣くナミに、触れる事も出来ずに、取り囲むしか出来なかったの」
あの時炎が私を焼かなかったのは、やっぱり守ってくれてたのかと思う。その事実に、嬉しくなる。
「ありがとう。……愛してくれて、私は幸せよ」
「っ……!!今度こそ、幸せになるのよ!ならなかったら、許さないんだから!」
「あらヤダ、それ、私の台詞よ。……アラバスタに、王子が居るわ……ね?分かるでしょ?」
私の言葉に真っ赤になった巫女様は、どうしていつも人の事しか考えないのよと叫ぶように怒鳴り、その声にエースやお爺ちゃん達が集まって来る。私と巫女様を見て、彼等はホッとしたように笑うと、お帰りと言って笑ってくれた。
きっとここは第二の故郷となるだろう。ベルメールさん達の居るココヤシ村と同じくらい、大切な場所として、私の中に深く刻まれる事だろうとわかる。
運命を変える代償はまだ終わりではないらしい事を言われたのを思い出して、でもそれ程代償らしいものは多くなかったよねと思って巫女様にその話をしたら……巫女様が憤怒の表情になった。……怖い。
「ナミが男達に貪られてるのが、代償でしょうよ!?望んでない相手なんだから!!」
「……あぁ、成程!」
「こんの、お馬鹿ぁああ!!」
叫ぶ巫女様を宥めながら、でもだとすると、この先もそう言う事があるのかと項垂れると、無意識で篭絡してるナミにも責任はあるわよと言われてしまう。でも、本当に嫌なら切り落としなさいなんて爽やかな笑顔で言われると、血の気が引くような思いをするばかりである。
こうして私の経験した過去への旅は終幕した。私はこれから漸く、未来へ向けて動き出す事となるのだろう。