エースが雲の中に倒れて、傷だらけになる。これをもし地上でやっていたなら、今頃見事な泥団子になっているだろう。
それでも手を出すなとエースは言うし、マルコさんも見てるのが私には充分修行になるという。確かに見ているだけで勉強になるのは確かで、でも、言い方悪いけど見てるだけなら人身御供なんて言葉使う必要無かったんじゃないかな……なんて思っている。
そう思った直後、起き上がらなくなったエースにマルコさんの低い声が落ちる。起きろ……と。
その声は冷たく、いつもの優しいお兄さんの雰囲気は微塵も感じられない。でも確かに、マルコさんは海賊なのだと、その様子から少しだけわかった気がした。
「すこし、やすませ……て、く「なら、死ぬしかねェなぃ。そうすりゃ永遠に休めるよぃ」」
マルコさんの言葉にくやしそうにしながらも、ふらりと立ち上がったエースだけど、左腕が2ヶ所、既に折られている。その他に肋も数本逝ってるのが分かるから、時間が無いとはいえ厳し過ぎないかと少しばかり思ってしまう。
マルコさんは危機感が足りないとは言ったけど、怪我をしたなら戦いに出られなくなるし、その分筋トレとかに支障もきたすじゃない。どうして、そんな怪我をさせてしまうのだろう。
「……エース、次にお前が倒れたら、休んでいいぞ」
「え?」
「休んでる間、ナミを俺は好きに扱う」
「「は?」」
私とエースの声が重なる。それに対してマルコさんは暗く嗤う。
私は信じたくなくて、マルコさんを凝視する。エースはどうやら、はなから信じてないように見える。
「危機感が足りないと言ったろぃ。……エースが休みたいなら休んでて構わねェ。その間、つまり、エースが俺を止めていられない間は、俺はナミを犯すなり辱めるなり、拷問するなりして過ごす。お前が立ち上がる間は、挑む間だけは俺はエースの対応するからナミは無事だ」
「巫山戯んな!!ナミに何の関係があるんだよ!!」
その言葉を信用は出来なくても、言われた言葉は不快だったのだろう。不愉快そうなそれを隠そうともしない。
腹芸ができないなんて、そんな可愛いものじゃない。これは、確かに不味いかもしれないわね。
素直な事も、無邪気な事も、武器になり得る。でも、同時にそれはリスクも伴うのだ。
「エースが戦い負けた時、ナミはお前を生かす為なら身を売るくらいするだろうさ。それがどういう事か、考えたか?」
マルコさんの言っていた、人身御供の意味が私にも漸く分かった。もし、マルコさんが本当の敵なら、そして私が例えば毒とかで動けないからと今エースが戦っているのなら……この状況になるもの。
マルコさんは兄だから、マルコさんは仲間だから、そんな甘えとかロギアの能力に無意識で頼ろうとする所があるから、こんな事を考えたんだろう。マルコさんの言動はいちいち、正しい。
反論する隙さえ見つけられない。冷静にならなければならない時に熱くなるから、だからエースは全てを失いかけた。
大切な人を傷付けた、喪った、その事があっても……突然冷静に対応なんてできるようになる筈も無い。それでも、冷静になれないのなら、この先に待つ戦いでは足手纏いにしかなれないだろう。
「ナミはそんなの「分かりました。エースが休む間、私を好きにしてください」」
マルコさんの言う、人身御供とはこういう事か。エースが強くなるのに必要ならば、エースがそれにより冷静に戦う事ができるようになるのなら、構わない。
覚悟は決まった。痛みにも屈辱にも、耐えてみせる。
……勿論、ただやられるつもりは無いけど。それでも、逃げる事はしないつもりよ。
「……本当に、何かを守る時、女は強いねぃ。ナミは、弟の為なら、命も惜しくないとはわかっちゃいたがね」
呆れたようなそれが少し混ざってるけど、どうやらマルコさんは本気らしい。でも……エースが意識を失うまで戦ったらとりあえず今日は終わるだろう。
怠けさせない為に言ってるのだろうから。本当に、家族を守る為にマルコさんも必死なんだ。
なら、私が甘やかす事はできない。それに、その戦いに私は参加出来ないもの。
もし万が一にも、そこで私が死ねば……ルフィが困る。戦争に参加して、エースの代わりに死んだのならばまだしも、そんな死に方では……ルフィに顔向けできないわ。
ならば、私に助けて貰えると思わせてはいけない。私は、エースを助けられる程の強さは無いのだから。
「エース、ナミを俺に奪われたくなければ……守って見せろぃ。本気だと言うなら、出来るだろぃ」
「身体中の骨、粉々に打ち砕いてやるよ!!」
エースはマルコさんからの安い挑発にのり、叫びながら駆け出した。でも、甘い。
明らかに常人とは思えない身体能力だけど、これ迄に多くの戦闘を目の当たりにしてきたのと、シャンクスとベックが運動と称して手合わせしていたのがあり、無意識で比べるからなのか……粗しか見えない。でも、だからこそ、これは必要なのだと分かる。
容赦無く蹴り出してるように見せながら、マルコさんの動きは怪我をしている所を器用に避けてるし……基本的に足でのみ攻撃してる。それだけの実力差があるのだ。
世界最強の男と呼ばれた白髭。その白髭の右腕……。
そう、呼ばれるだけの事はあるわよね。実質的No.2と呼ばれるマルコさんのそれは、確かにシャンクスのそれに近いところがあるわ。
これで戦闘員では無くて、医者だと言うのだから天は二物も三物も与えるものだわねと1人頷いてしまう。そうして2人が戦っていた時間は、どれ程だろうか。
肩で息をしながら膝を震わせながら、それでも立ち上がるエースにマルコさんは冷たく問い掛ける。それは、鬼以外の何者にも既に見えない程。
「それで、終わりか?降参だと言うなら、エースは今夜はもう休んで構わねェよぃ。……ナミに続きは相手をして貰うだけだ」
「巫山戯、んな!ナミは……っ!マルコはナミの意思を尊重するんじゃ無かったのかよ!?」
「そのナミが、エースを選んだんだよぃ」
「え?」
叫ぶエースと、酷く落ち着いた様子のマルコさんは本当に温度差があり過ぎる。それだけの差があるのだ。
勝てる筈が無い。エースにも、私にも、今のマルコさんに勝てる要素が無いわ。
でも、今のエースでは共同戦線を張ることもできない。確実に今の精神状態のエースでは、私が庇って戦う事になる。
それでは、単独で戦う方がマシになる。だからこそ、余計な事は言えない。
そうなると残るは、エースに本気を出させる他無い。だから私はマルコさんが紡ぐ言葉に、ただ耳を傾ける。
「エースが強くなる事を信じて、その為なら死んでも構わないと覚悟の上でナミは好きにしろと言った。それに対してエースの覚悟はその程度か?」
その時、エースが覇気を撒き散らした。エースの覇王色の覇気は……真っ直ぐで、淀みがない。
けれどもそれは同時に、大切な人を守る事しか考えていない諸刃の剣。相手を傷付けるのと同時に、自らも傷付けるだろう凶暴な覇気。
捨て身の攻撃は、能力値が拮抗している場合にのみ有効で、この場合は益々追い詰められると分かる。だからこそ、胸が痛い。
それよりも……お爺ちゃん達が、気絶してそう。大丈夫かしら?
でも、夜でよかったわ。寝ている可能性もあるもの。
そう思って息を吐き出した直後、エースが倒れて動かなくなった。見ていない間にマルコさんにより意識を奪われたらしい。
そっと駆け寄ると、マルコさんが診察して治療を施していて……その様子に肩から力が抜ける。どうやら今夜の修行は終わったらしい。
「完全に意識がねェなぃ」
「……感情に振り回されなくなる事が、求められるんですね」
「分かるか」
「あれだけワザと煽ってるのを聞けば分かりますよ。……さて、エースを運びましょうか」
笑いかけるとマルコさんは困ったように笑い、それから……その場で私の視界が反転した。大地が雲である為に痛みはないけど……土の部分は抉ると困るから雲のところで修行してたから当然だけど……何が、起きてるの?
「マルコさん?」
「好きにして、良いんだろぃ?」
「冗談は辞めてください。エースの意識は無いんですよ」
「本気だと、そう言ってるつもりだがねぃ?」
空気が変わった気がした。マルコさんが纏うそれもそうだけど、風そのものも突然冷たくなったような、そんな気がした。
覇気を醸し出してるとか、そんなんじゃない。私はそれでも努めて冷静にマルコさんに言葉を向けた。
「……エースを本気にさせるとか、感情を抑えて戦えるようにとか、そう言うのと、危機感持たせる為に言っただけですよね?」
「甘いな、本当に……」
その声に、ゾクリとしたのは何故なのか。だって、エースの意識はないんだからこれ以上何がする必要なんてないでしょ?
「ナミは、エースに嘘がつけない」
「そんな事ないわ!!演技をする事は可能「見破られるよぃ。エースは、馬鹿じゃねェ。長年想ってきた相手の嘘は、簡単に見抜く」」
その言葉に、あの時襲われたそれに演じて見せようとしたのが無駄だった事を思い出す。でも、それでもやり方はあるわ。
エースの為なら、拷問にだって屈辱にだって耐えられると思うけど、それは、相手が敵だから。優しくしてもらっていて、心を既に許してる相手に何処まで強がれるかなんて……そんなの、難し過ぎるわ。
「なら、会わなければいい。エースには、マルコさんが上手く言って騙して、私は教材持って部屋に篭っていたら良いじゃない!」
「無理だろうねぃ。エースはナミの部屋に突入するだろうし、見聞色の覇気はエースも使える。様子くらいわかるよぃ」
マルコさんは私言葉を聞いた上で言い切る。でも、私もそれなら別の案を出せばいい。
私に何がする事をマルコさんだって望んでない。それくらいは分かるつもり。
「でも、それなら、ベッドで休んでるようにして、そこで読んでたら問題無いでしょ」
「エースが部屋に入れば、ナミが何も言わなくてもバレるからダメだねい」
そんなに私は態度に出しているのかな。嘘だと簡単にわかる程に?
でも、それならここまで生きられた筈は無い。私の演技力はそれなり以上にある筈よ。
過去に親族と対面する時の為に培った演技力は、私の中に染み付いていたらしく、ずっと誤魔化せてきた。それに、レイリーさんにも合格を貰えたくらいだから、演技力は明らかに並では無い筈だわ。
そう思って口を開こうとしたら、マルコさんは困ったような顔で唇を動かした。その瞳は、呆れを含んでいるけど、同時に泣いてもいる。
「ナミは、体温上昇に伴い香りが強くなる。性行為は運動に該当する為、ナミの香りは強くなるんだよぃ。そして……ナミは悲しみや痛みを押さえ込もうとして、無理に笑う。だから、誤魔化せねェと言ってるんだよぃ」
「におい……」
そうだ、ルフィもそれは言ってた。匂いが変わるからすぐ分かるんだって……。
でもそんなの、どうしたら……。なら、他に選択肢は無いのかな。
マルコさんだって、そんなの望んでないのは分かるの。エースを本気にさせて危機感持たせられれば、充分な訳だし、何か他に……。
「だが……しなくてもいいよぃ」
「本当に?」
「あァ、別なやり方を考える。エースにとってナミは起爆剤に使えるというだけだからねぃ。ナミがエースの為に自分を犠牲にする必要はない。勿論、ナミが本当にされたとなればエースは本気にもなるだろうし、俺が脅してる訳じゃないと危機感を強めるのには役立つだろうが、俺としても……他に手段があるなら、それを選びたいからねぃ」
……待って、今、他に手段があるならって、言った?
なら、今は他に代案はないって事、よね?
「代案候補は、あるんですか?」
「……今は無い。これからもう1度考えるよぃ」
エースに残されている期間は、残り1年まで無い。そうなると……エースが修行できる時間に限りがある。
能力があった頃よりも明らかに落ちてる戦闘能力により、色々と不便な状態にあるのは知ってるわ。だけど元に戻るのでは足りない。
あの頃よりも強くなり、厄介な味方の増えた黒髭を相手にする事を考えたら……迷ってる時間は無い。代案が無い以上、エースを鍛えるのに……他に有効な作戦が無いのだから。
なら、せめて……。これくらいの我儘は許して欲しい。
「……部屋で、お願い、します」
「ナミ?」
「外は、嫌です」
「ナミ!!」
マルコさんの必死な顔が、驚愕に彩られた瞳が、私に向けられる。賢いからこそ、その意味を間違える事なく素直に理解してくれた。
自分から提案した癖に、抑え込んでるその手が強く私を掴む。それにより与えられる痛みが、これが現実なのだと私に教えてくるから、妙に冷静になる。
「……っ!!どう考えても、時間が無い。足りない。黒髭の元に居るのは、インペルダウンの最下層にいた極悪囚の中から、厳選された人達なのよ!?」
マルコさんは当然知っていたのだろう。悲しげに眉を寄せるばかり。
だけど、わかってるなら話は早い。私には戸惑ったり、この案を拒絶するだけの時間は無いのだ。
「実際、黒髭1人でも、手に余るわ。黒髭の持つヤミヤミの実は悪魔の実の能力を無効化する。だからと言って、能力を持たなくなりそれに伴い退化してしまったエースが勝てるとは思えないの」
「……ナミは、そんなにエースが好きかよぃ?」
苦しそうに問い掛けられて、私はそれに驚く。なんと答えるのが正解なのか分からなくて、でも、嘘をつきたくなくて私は笑った。
何を誤魔化したいのか、それすらも既に分からない。勿論誤魔化したいと思って誤魔化せるような相手では無いのだから、逃げない事くらいしか私には出来ないのだけれど。