私の意識が浮上した時には、清潔なベッドに寝かされていた。身体は重だるかったけど、動かせない程じゃなくて、軽く頭をふりつつ様子を見れば近くのソファに座っていたマルコさんが私を見て苦笑した。
そっと歩み寄り、私の額に触れると熱は無いねぃなんて呟くから本当に昨夜のそれはエースの為だけだったのだと思いそうになり、囁かれ続けた言葉を思い出す。惚れてるんだと、繰り返し言われたのだから疑う方が難しい。
声も出せずに赤くなった私に、マルコさんは首を傾げる。それからあァ……と納得した様子で頷いた。
「……悪かったねぃ。途中でエースが来たのに気付いて、そのまま利用させて貰ったよぃ」
「エース、は……?」
「小一時間でダウンしたよぃ。……だからそのまま転がして来て、ナミの方を優先させて貰った。薬はあるか?」
その薬が何を意味しているのかはわかったので、素直に頷くとグラスに飲み物を入れて持って来てくれた。支えられながらそれで薬を飲めば、少し休むように言われてしまう。
「でも、勉強しないと……まだまだ学ぶ事が……」
「今朝まで俺に貪られていて、今行為が終わった……って事になってるのを忘れるなぃ」
そうだったと思って口を噤んだ時、ドアを誰かが開ける気配を感じた。けど、それに反応するより早くマルコさんの唇が私の唇と重なった。
「んぅ……んっ……!!」
「マルコ!?もう、時間は過ぎただろ!辞めてくれ……!!まさか、今までずっと……?」
絶望的な声が聞こえて、それがエースだと言うのは見なくてもわかった。でも今私は、エースを見られそうにない。
行為をしたのだと、分かるようにしておくつもりではあったし、それが必要だとも判断したけど……行為を見られるなんて考えても見なかったのよ。マルコさんを奪ったと、私から求めたのだと、そう思われるのではないかと考えたら怖くて……。
いつ罵詈雑言が飛んで来るかと思って小さく震えると、唇を離したマルコさんが優しく笑って頭を撫でてくれた。それから、私を抱きしめた状態でエースに振り向いて言う。
「当然だろぃ?エースが俺に捧げてくれたんだからねぃ」
「マルコ!!巫山戯んじゃねェ!!」
エースの怒号が谺響する。それを受けてマルコさんは冷ややかにエースを見据えた。
そのままそっと私を寝かせると、布団を被せて休んでるといいなんて言ってからエースを表へと連れ出して行く。恐らくそのまま、エースとの修行タイムに入るのだろう事くらいは理解出来る。
……何処までが演技で、どこからが本気なんだろう。マルコさんの読めないその行為に、私は1人深い溜息をついた。
少し休ませて貰ってから身体を起こせば、どういう事なのか不明だけど、動こうとしたら普通に動けて驚いてしまう。よくよく見てみればベッドだけでなく身体も清められていた。
こうなると、どうしてこれでたった今まで私が襲われてたと思えたのか。エースはもう少し、冷静な視野を持つ必要がありそうね。
とりあえずそれでも何となく自分でお風呂に入りたくて、私は呑気にシャワーを浴びてから着替えてお爺ちゃん達の元へ向かう。私の顔を見て、少しホッとした様子を見せたお爺ちゃん達に、もしかして知られてるのかなと思えば苦笑してしまった。
「……今日は何を教えてくれるの?」
「おいおいおいおいおい、先に食事じゃろ!?」
「え?別に毎日3食なんて食べなくても、死なないと思うんだけど?」
最近食べ過ぎな気がするから、寧ろ食べない方が良いような気がするわ。胃腸が驚いちゃう。
そんな事を考えていたら、お爺ちゃん達から猛抗議を受けてしまった。……解せぬ。
「暴れとる馬鹿共に島を破壊される前に、飯で気を引いてくれ!!」
「食事で気を引けるとしたら、エースだけだと思うけど……わかったわ」
長々とした抗議が終わったのもあり、仕方ないわねと肩を竦めて見せれば、何故か胡乱な眼差しを向けられてしまい首を傾げる事となった。簡単に朝食を用意して皆を呼べば、ズタボロなエースと着衣に乱れさえ無いマルコさんが姿を見せる。
その状態で私の用意したそれをエースは無言で食べ始め、マルコさんは少し心配そうに近付いてきた。そのまま額に触れたと思ったら小さく、後で話し合おうと言われる。
それに頷きつつ朝食を手渡せば、マルコさんはありがとうと言って席についた。……どんな時でもちゃんとお礼を言えるのって、凄い事だと思うのよね。
その後私は勉強したり食事の支度をしたりして過ごしたけど、午後にある筈のエースとの手合わせはエースが泣きそうな顔で、今日は不戦敗で良いから無理しないでくれ!と言い出した為に中止となった。
それからごめんと謝るから、その頭を撫でる。エースは分かりやすく震えていて、荒療治が過ぎたかなと心配になる程。
「エースは悪くないわ。気遣ってくれてありがとう」
「俺が悪くないなら、誰が悪いんだよ!もう、ナミに甘えたりしねェから、強くなるから……」
甘えてくれて構わないのに。でも、それを言ったらダメなのはわかる。
何よりも、罵詈雑言が飛んで来ると思ってたから、そうならなかった事が有り難い。エースやサボに、ローちゃん、そしてドフィやロシーに嫌われるのは、苦しいもの。
皆大切な、愛しい弟であり……私が勝手に息子のように想ってしまってる相手だから。駄目よね、あの子が息子であった保証はないし、娘だったかも知れないのに。
幼い少女と関わる機会が無かったからってだけなのはわかってるけど、そんな事を思って……それを誤魔化すように言葉を向ける。それに、気になっていたのよね。
「期待してるわ。エースならエースの望む未来を引き寄せられるって信じてる。それよりも……ねぇ、骨は大丈夫なの?」
「牛乳飲んだから治ったぞ?」
「ブルータス、お前もか……」
「だから誰だよ、ブルータスって」
ルフィだけ……って、いや、ブルックもだったから、悪魔の実の能力者特典なのかも。だってブルックはDの1族じゃないもの。
マルコさんは不死鳥の能力で治っちゃうから不明だけど、ウソップやゾロは折れたのが簡単に治ったりして無かったから、能力者特典って考えたら良いのかも。……でも、今エースは能力者じゃ無いし……うーん?
「まぁ、気にしないで。それより、無事で良かったわ」
「……ナミって、俺の事本当に大切にしてくれてるよな」
「弟だもの。当然でしょ」
「……ありがとう。やっぱり俺はナミを姉としては見れねェけど、どんな形でも愛されてるのは嬉しいから……もう、俺を守ろうなんて思えないくらい強くなってみせる」
それは壮大な夢だわと思って、でも、そうなったら嬉しいからと笑えば何が壮大なのかと首を傾げるエースの姿が少し幼い。そんなエースの頭を撫でながら、シャンクスの事も何かあれば庇っちゃうのよと言えばエースが天を仰いだ。
どうしたのかと思ったら、膝枕を要求されたのでそれに従う。ゆっくり休んで欲しいとその髪を撫で付けながら考えていた私は、エースがその時から本気で修行に取り組むという事の意味を理解しきれていなかったのだ。
マルコさんとその後話してみたら、エースが1時間で沈んだのはそれでも予想外に粘ったとの事だった。5分で沈めて、私の対処を思っていたのに悪かったと言われてしまい、そんなの気にしないで欲しいと言い募る他選択肢が見つけられなかった位だもの。
それからの期間は本当に時の流れが早かった気がする。身体を鍛える事、改良されたクリマタクトの扱い、短剣を使う事に対する怯えを克服してエースやマルコさん……ううん、マルコとの訓練も必死にやっていった。
勉強については学ぶ事について限りなんて無くて、いくら学んでもまだまだ分からない事、知らない事に出会うから尽きないそれに瞳を輝かせる事になった。そして、私が生きている事の証として宝玉としても活動して行く。
その為に歌ったりする私のそれが、なんだか癒しの時間として認識されていて、妙に気恥しい。歌えれば譜面には出来るけど、細かい音を確認しつつになるから繰り返し歌う事にはなるのよね。
実際紙に書き出そうとした時にも、歌詞が思い出せないと歌うしかないから、どうしても歌わない日が無いのは問題かも。歌うと歌詞が出てくるのに、ただ書こうとすると思い出せないのはどういう事なのかな。
そんな訳で私は充実した日々を過ごしていた。それと、料理のレパートリーも底をついて、必死に思い出したからレシピ本も結構出せたのが大きいと思う。
ただ、どうしてもエースを騙してる形になる事と、それに伴い何度かマルコと関係を持ったのは胸が痛い。マルコとエースがこれで仲違いでもしてしまったらとか、ルフィに知られたらと思うと怖くて仕方ないのだ。
マルコは行為の時恐ろしく優しいか、泣いても許してくれない程に意地悪かのどちらかで……どちらもキツい。なのに、あの蒼い炎で私を癒してくれるから身体は明らかに体力を付けていたし、必要な事だとわかってもいるから責める事は出来ないのだ。
拒めないのは理由を考えれば当然で、だからこそ情けなくなる。そのなんとも言えない感情を発散するのにも、マルコやエースへの攻撃は鋭さを増してる気がするけど、マルコはそれでいいと笑うばかり。
少しも勝てる気がしないのよね。だけどエースの方も日々恐ろしく実力を伸ばしてるから、勝てる回数が目に見えて減っている。
情けない……わね。こんな状態でルフィを好きとか言う権利は、私には無いような気がするわ。
「ルフィ……ごめんなさい」
「ナミが捨てられる事は有り得ねェから、そこは安心していいよぃ」
突然かけられた声に驚いて視線を向ける。1人になりたくて島の外れまで来たのに……。
どうして、マルコは私にこんなに優しいんだろう。私は傷付けてばかりなのに。
そう思うのに、私を好きだと言ってくれるマルコに泣き言を口にしてしまう。そんな私を愛しそうに見詰めるその瞳から、視線を反らして逃げてしまう私は卑怯だろうと分かってはいるのよ。
「知られたら、嫌われる、と思うの」
「この程度で嫌う男なら、ナミの方から捨てちまえ。女海賊の恋人になるには早すぎたって事だよぃ。……俺とエースの件も気にしなくていい。連れて降りる時、ちゃんと真実は話す」
「……信じるかしら?」
「あァ、エースは人の感情の機微に聡いから理解するよぃ。なんでも無条件に信じるってのとは違うがねぃ。お陰で嘘つくのは案外難しい分、真実は違えずに理解する。そんな所がエースの凄いところだよぃ」
その言葉にホッとする。ルフィに捨てられる恐怖は拭えないけど、エースの方はもう大丈夫ね。
そう思っていた時、マルコが言った。それは天気の話でもするような気軽さで。
「明日、ここを発つよぃ」
「え?」
「ティーチが動き出したらしくてなぃ。ナミは、修行相手が居なくなるが、大丈夫だねぃ?」
「そんなのはいいけど、降りるって事は、もう戦争が?」
血の気が引く。折角助かったのに、どうしても戦わないといけないのだろうか。
わかってる。ケジメなんだって。
理解してる。許してはいけないのだと。
でも、死なないで欲しいと、傷付かないで欲しいと願ってしまう。そんな私の頭をマルコは当然のように撫でて、視線を合わせてくる。
「本来ならば俺達が惨敗した戦いだとはわかっている。だが、それにはサッチもエースも居なかった。そして……遠くから集まろうとする海賊船の1部は、赤髪が弔い兼ねて沈めてくれると約してくれている。未来を変えに行くよぃ」
「マルコ、気を付けてね。エースの事も、お願いします」
「ナミを泣かせるのは、ベッドの中だけにしたいからねぃ。気を付けるよぃ」
「マルコ?」
真剣なその言葉に、視線を離せない。その時マルコがふわりと笑った。
それはどこか少年のようにも思えて、切ない。ねぇ、そんなに優しくしないで。
行かないでと、死なないでと泣きそうになるから。エースの家族だからってだけじゃなくて、やっぱり大切な人の1人である事には違いが無いのよ。
「……エースは勿論だが、ナミは俺に何かあっても泣くだろぃ。こんなにも甘いとは、予想を越えられたよぃ。……ナミ、愛してる。また、会おう」
発つのは明日だと言っていたのに、今言われたそれに驚いた時、重ねられた唇。そして押し込まれた薬に抵抗しようとしたけど、上手くいかなくて……強制的に飲まされたそれに恨みの視線を向ける。
そんな私に毒じゃねェよぃと笑ってから、2、3日寝てろぃと言葉が続き、私の意識は暗転した。最後にマルコが、見送られたら帰れなくなると呟いた気がしたのは気の所為だろうか。
目が覚めると流星錘と鉄扇らしき物が、近くに置かれていた。でもそれは私のいつも使っていた物ではなくて、見覚えのない物。
いつものは腰につけたままだし。なら、これは何だろう。
その時ハレダスさんから差し出されたのは、1つの封筒。2日寝ていたらしい私を気遣うようなそれに苦笑して、手紙を受け取る。
『ナミへ。
見送られると、連れ去りたくなると思って寝かせた。悪かったねぃ。それと、世話になった礼としてその2つを受け取って欲しい。
流星錘は攻撃する為の飾り玉をエースが、紐は赤髪から貰っていたらしく、それを武器職人に頼んで流星錘にして貰った形だ。何故か海楼石の剣でも切れない紐だから、安心していいよぃ。
飾り玉はジョズに能力で作って貰ったらしく、ダイヤモンドだからそうそう壊れねェ筈だぃ。俺からは鉄扇だよぃ。
着色と透かし彫りはしてあるからそうとは見えないだろうが、海楼石で作られてる。その為に、鉄扇とは呼べない物になっちまったとは思うがねぃ。
まァ、それにより壊すのは至難の業だから武器として使えると思うよぃ。ちゃんと斬れ味も保証する。
親父の事を気にする必要は無い。ナミは充分過ぎるほどに力を貸してくれた。
それは、誇っていいよぃ。サッチとエースを生かしてくれて、ありがとう。
また会えたなら、その時は可能な限り俺も力を貸す。恩は必ず返すし、俺はナミに惚れてるから何かしたいと勝手に願ってるんだよぃ。
愛しい人へ。マルコ』
マルコからの手紙を読み、私は流星錘と鉄扇を自分の荷物入れに片付けて今貰ったそれと付け替える。折角だから、使わせて貰おう。
そうして私は1年の修行時間を残した状態で、新たな武器を手にして立ち上がった。いくらここで私が、白髭海賊団の事を心配しても何も出来ない。
ならば新しくなったこの子達を扱いきれるように、訓練しなければ。昔から変わらないのは、鉄笛だけになったわねと小さく笑う。
次に会った時、失望されない為にも私は前を向いて進むしかない。大切な人達に貰った武器を手に、私はお爺ちゃん達に頭を下げる。
「これからも御指導御鞭撻の程、宜しくお願いします」
「……修行の方はどうするつもりじゃ?」
「舞います。……舞って実は武術に通じるんですよ?」
そう言った私に皆が笑ってくれたから、私はそれにホッと息を吐き出して今までと殆ど変わらない時間配分で勉強と修行を続ける事になった。……巫女様は、未だ帰らない。
波間の向こうを目指して飛び立った大切な人を想い、私も1年後にまたそれを目指すのだと心に誓う。ルフィと共に波間の向こうを目指す旅に出る為に、今出来る事を精一杯やろう。
運命を変え続けた代償として失った未来に関わる知識。でも、今の私はそれを怖いとは思えなかった。
思い出せた事、知らない世界の知識、未熟な自分。それらを理解して私は漸くスタートラインに立てたような、そんな気がしているから。
知識を高め、力を得て、後1年したら必ず帰ろう。大切な人達がいる海へと。
運命を変える代償編─完