船は順調に航海を続ける。偉大なる航路に入った当初に起きた、突然の気候変動はまるで無かったかのように安定している。
そんな時はそれぞれがのんびりと釣りをしたり、遊んだり、料理したり、遊んだり、修行したり、また遊んだりして過ごしている。私はルフィの麦藁帽子を預かって紐を取り付けて、先程それを返した所なので、今は航海日誌を広げつつ、医学書の編纂を甲板で行っている。
そんなそれぞれの姿にビビはイラついたりしている様子だったけれど、いつの間にかその風景に馴染んでいるのだから相当なものだろう。それに先日手にした新聞に書いてあった事を鑑みれば、気にする事はないなんて私には言えなかった。
私はサンジ君を呼び止めると大切な蜜柑を数個渡す。流石はベルメールさんの蜜柑だけの事はあって、こんな天候の中でも平気で生きていてくれる。
強くて優しい所がベルメールさんと良く似ている。そう思うから余計に蜜柑が愛しくなる。
「これで、ビビに何か飲み物あげて。この暑さであまり汗かいてないみたいだから、あまり良くない感じなのよね」
「ナミさんは良いんですか?」
言われてから少し考えて、テーブルに荷物を残して蜜柑の木の元へ向かうと更に何個か良さそうなのを採る。それを下にいるサンジ君に投げ渡すと、器用に受け取ったサンジ君が微笑みを浮かべた。
「私の分は任せるわ」
サンジ君は蜜柑を見て、やはり優しい顔になったので出来の良い食材に対しての、その表情は料理人だからなのだろうかと思わされる。それからどこか楽しそうな足取りで船内へと入って行き、私は蜜柑の木に軽く触れてまたチェアへと戻り編纂を続けようとしたけど、筆が進まない。
仕方無く気分転換にと思って笛を取り出して、そこで逡巡する。私はこの世界の曲をそれ程多くは知らない。
だからと言ってビビには宝玉だと教えてないのに、地球の曲を演奏しても良いものだろうか。
それに何より、穏やかな今の気候に合いそうなものが思い浮かばないのだ。何をするにも今は自分が中途半端で、定まらない。
その理由はと問われれば、恐らくは色々な事が起きすぎて混乱しているのが主なそれだろうと思う。偉大なる航路は天候がすぐに変わるから気が抜けないなんて、そんな事じゃない。
アーロンから解放されてから現在まで、ゆっくりと何かを考えるような余裕のある時間が無かったから、気にならなかったと言うだけで、有り得ないような出来事が連発して起きている。ドラゴンさんには会ったし、サボにも会った。
そしてサボは記憶を取り戻して、その為にこの先何がどう変わるのか読めなくなった。ラブーンの事、ブルックの事、クロッカスさんの事があったし……鷹の目に会ったのは大きい。
思っていたよりも強い衝撃となり私を襲ったのは、即座に逃げようとするだろうと予想していた私の考えを裏切り、逃げる事を選択する事さえできない実力差を痛感させられた事。そして、思っていたよりは普通に話せたけど、初対面の時の数倍怖いと思ってしまった臆病な自分の情けなさ。
……襲われた事が、怖かったらしい。それなのに、ペンを見たらつい意識が全てペンに向けられてしまった自分の活字に対する執着心の強さに呆れてしまう。更にその直後に、知識で分かっていてもやはり衝撃的だったイガラムさんの爆発。
どうしたら良かったのだろう。私に何が出来ただろう。
後悔なんかしても無駄だけど、今後に活かせる何かを得なければ経験した意味が無い。……あぁ、そうだ白髭の所に手紙も出さなくちゃ。
そう思って部屋からレターセットを持ち出して、それに文字を書いていく。サッチ隊長に死なれたら、困るのよ。
エースには白髭の所で、生きていて貰わなければいけないのだから。そうしなければ、悲劇が待っているのは嫌という程に分かるし、あの戦争に私が乗り込んで何ができると言うのか。
いや、それ以前にどうやったら乗り込めるというのか。そう考えたら、手紙で注意を促すしか今は出来はしない。
手紙を書き終えると封をして顔を上げる。目の前に広がる海と、そんな中でも微かに感じる蜜柑の香りが気持ちを少し楽にしてくれる。
「蜜柑、海、船……よしっ」
私は脳内で蜜柑の花が咲いていると歌いながら、笛を口元に運ぶと静かにそれを吹き始める。その音は船にいる全員に聞こえているのか、表にいる人にのみ聞こえているのかは分からない。
けれど、ルフィは私が笛を吹いたり歌ったりするのを喜ぶし、嫌がる人も特にいないから気兼ねなく音楽に触れられる。呼吸をするように自然に、私は歌に、曲に触れて生きてきた。
他に感情を吐き出す手段を持たなかったからと言うのは確かにあるけれど、それだけでもない気がする。多分本質的に私は歌や曲が好きなのだと思う。
短いその曲を吹き終えると、ビビが近付いてきた。いつもだとそれはサンジ君かルフィだから、なんだか不思議な気持ちで何を言うのか待ってみる。
「ナミさん、私その曲初めて聞きました!その曲に歌詞はあるの?」
「あるわよ」
そう言ってまた、蜜柑の花が咲いているの所を吹いて笛から口を離す。笛と言っても普段は武器として使ってるから、傷だらけなんだけどね。
「今の所が『蜜柑の花が咲いている』って歌詞の所よ。短い歌だけど、歌詞に興味があるなら書くわよ?」
短い曲だから宝玉として出版はしてないけど、すべて覚えてるので書き出す事は苦にならない。なのでそう聞いてみたけれど、ビビはどちらとも返事をしないで笛を見つめている。
「それ、歌ってみてもらえたりしない?」
笛を吹きながら歌うのは人として不可能だと思うわけよ、お姫様。そう思った私はどう断ろうかと考えていたが、そこにルフィが参戦してくる。
「ナミ歌うのか!楽しみだ!」
歌うなんて言ってない!と返したらまたビビは気落ちするのだろうかとか考えて、溜息をつく。なんと言うタッグなのか、可愛い女の子と、可愛いルフィが相手で私が逃げられる筈も無い。
やらなければいけない事も、やるべき事も、やりたい事も沢山あるのに……この2人に言われたら逆らえる気がしない。何か……何かを言わなくては。
「私、あまり歌は得意じゃないのよ。だから、ごめんなさい」
1番無難な断り方を私はした筈だった。確かに……した、筈。
「そうか!歌ってくれるのか!」
「ありがとうナミさん!」
こら待てお前らと、本気で思ったけどそこは言わずに抑えた。誰か褒めて。
「ナミは酒場で歌って日銭稼いでたって前に話してたじゃねェか、それで得意じゃねェとか無理があるだろ」
突然割り込んで来たゾロの声に、キッと睨みつけてみるけど無意味。ルフィとビビの中で、私が歌う事は既に確定している。
そして2人の盛り上がりにおされて、私は渋々歌い始める。しかし、途中まで歌うと次の音が思い出せなくなり、笛で頭から吹き音を確認しようとしたところでルフィに止められた。
「俺はナミの歌が聞きたい!」
なんだそのワガママは。私は仕方無く、事情を説明してから笛を吹く。
演奏しながらとは違いアカペラで歌うのは流石に気恥しい。それをウソップがなんだか微笑ましそうに見ているのもまた、この恥ずかしさを増長させる。
船は順調に進む。曲は優しく響く。
ルフィは笑い、ビビも笑う。なんとなくお似合いだなぁとか思いながら演奏して、緩やかな時を楽しむ。なんで2人がお似合いに見えたのか考えて、ルフィは弟のようで、ビビは妹のように思える言動が多いからだと気付く。
そして、それにより小さく疼く胸に、苦笑してしまう。つい先日、ルフィからあれだけわかりやすい告白を受けたばかりだと言うのに、私はすぐに不安になる。
ルフィがビビの方が良いと言い出したら、きっと私はそれを引き止める事もできはしないだろうと、どこかで分かっているからなのだとは思うけど。……憎しみとか、苛立ちとかは無いのよね。
それがあるならば嫉妬してるのかと思えるのだけど、全くそんなものは無い。ただ……寂しいのかもしれないとは思う。
それに、ビビのように1人で全てを抱え込んでしまうタイプの子には、無理矢理奪ってでも荷物を受け持ってくれるルフィみたいな存在は必要だと思う。落ち込む事の多いビビだから、背負うものが大き過ぎるお姫様だから、明るくて強い王子……王子か?うん、それは良いとして、そんな存在になり得るルフィはやはり似合いだと思えてしまう。
歌い終えた私は、再び笛で演奏をしていたがルフィが何処かつまらなそうな顔をしたので、ワンピースの主題歌を吹くという暴挙を行い、力尽きた。笛だけでは、難し過ぎたわ。
それでもルフィはそれを気に入ったようで、何度も求められるが、コレは笛だと難しくてツライと言って断れば、ルフィは待ってろと言って違う楽器を持って来た。どうやらルフィは、学習出来る生き物だったらしい。
数曲ルフィが好みそうな物を弾き語りよろしく演奏しつつ歌えば、ビビも楽しそうにしていてそれならば良いかとつい歌い続けてしまう。そこへサンジ君が姿を見せて、休憩してはどうですかと言ってくれる。
差し出された飲み物を受け取り、当然それは他のメンバーにも振る舞われて、私としても暫しの休息となる。私が休んでる間にルフィはウソップと遊ぶ為に動き出して、ビビは私の向かい側に腰を下ろした。
机の上に広がる資料が邪魔かと手を伸ばした所で、ビビがそれを制するような動きを見せる。それに視線を向ければ、申し訳無さそうな顔をしているのが分かった。
「忙しいの分かってたのに、邪魔してゴメンなさい。でも、悪気は」
そう言ってビビは俯くから、その額にデコピン1発入れて笑いかける。それにより、涙目で私を見てくるビビの可愛い事。
「ビビは気を遣いすぎ。そもそも王位継承権を持つ唯一無二の人間が国を飛び出した事に、私は憤りを覚えるわ。ビビに何かあったら、アラバスタの王家は世継ぎもなく絶えてしまうのよ」
「え?」
ビビは不思議そうに私を見て首を傾げる。それにどうしたのかと思った私はおかしくはない筈。
でも、続いたビビの言葉に私は混乱する事となる。
「私は唯一無二どころか、王位継承権は2位だもの、問題ないわ」
亡き王妃の生き写しとしか思えない、ビビ王女だけじゃ……ないの?
え?
私の記憶違い?
いやまさか、そんな存在が他にいたのならば、確実に覚えてる。不細工ならば何故ビビの血縁者が不細工なのかと騒ぎになるだろうし、美形ならばそれこそ薄い本が大量に作られている筈。
では、ビビが嘘を?
それも無い。そんな事をする必要が無いもの。なら、何が起きてるの?
「お兄様がいるから、私は安心して何処へでも飛び出せたのよ。幼い頃から神童と言われていて、今既にお父様の補佐を務めている位優秀で……優しくて、カッコよくて、穏やかで、賢くて……」
その後も続く兄の表現を聞いて、心から思った。あぁ、この子ブラコンだと。
……違うっ!そうじゃない!
それからやっとの思いで聞き出せた情報を纏めると、ビビの2つ歳上の兄は、ビビ男版で髪を下ろしてしまえば姫で通る美貌を持つ優秀過ぎる人材。そして、宝玉のファンだと言っていたらしいけど、その説明をしていたビビが聞き捨てならない単語を口にしていた。
「お兄様が〝この人も転生者か〟って呟いてたのを聞いた事があって、転生者って何?って聞いたのにお兄様ったらそんな事言ったかな?って誤魔化したのよ!酷いでしょ!?」
この人〝も〟転生者。ならば、私の知らない、原作に居ない筈の〝お兄様〟は、やはり私と同じく記憶を持つ転生者なのだろうか。それでも、私とは違い誰かの人生を奪った訳じゃない。
それが少し羨ましくて、少し……切なくなる。産まれた年が私と同じである事も、少し気になる。
その年に何かがあったのだろうか。だから、私やその人はこの世界に産まれたのだろうか。
18歳の美しく優しい王子と、16歳の美しく活発な姫……アラバスタは本来ならば盤石な筈だったのかと思えば、クロコダイルのしている事は許せるような事ではなくなってしまう。妹を溺愛している様子の王子が、ビビを送り出す事を止めきれなかったという事は、知識が足りてないと考えるべきだろうか。
もしも話の流れを知っていたならば、クロコダイルが黒幕だとして証拠集めだけを行えば良く、それならばビビにBWへの侵入なんてさせる必要も無いのだから。それでも、単純にこの話を知らない人間であった可能性もあるのかと思い至り、頭を抱える。
出口の見えないトンネルに無理矢理暴走列車で突入させられたような心持ちで、私はビビを見つめ、ビビの語る大好きなお兄様の話に耳を傾ける。今は少しでも情報が欲しいから。