全てが計画通りに進み、残るはいつビビが顔を覗かせるか。それだけだと言うのに、ビビは顔を出さない。
いつもの様に可愛い笑顔で、もしくは晴れやかな笑顔で、解決したと言ってくれるのを今か今かと待っていると言うのに。ビビ……何があったの……?
恐らくは残り時間も1分を切っただろう。そんな状態で漸くビビが顔を出した。
その顔は青ざめていて、震えている様子だ。そんなビビが泣きそうな声を響かせる。
「大変皆!〝砲弾〟が時限式なの!」
「「「「「なにィー!?」」」」」
下にいた仲間全員の声が重なった。私は即座にクリマタクトを利用して、何とか飛べないだろうかと考える。
今ビビを1人にしたくないし、飛べるなら私が砲弾を抱いて離れればいい。でも、先程ウソップ達を持ち上げたのと同じようにしたところで、時計塔の半分迄だって上がれないのは分かってる。
ビビ、ウソップ、チョッパーの体重だった事を考えて……それでも、僅かに届かない。どうしたらいい、今私に何が出来る。
時計塔を見上げて全員が声を上げる。それは悲しみとも怒りとも取れる声で、けれども諦めようなんて誰1人言わない。
私はその時大きな鳥が飛んでくるのを見た。そして……思い出す……ここで何が起きるのかを。
時計塔の入口に止まった巨大な鳥は、その姿を人に変える。実際に私がその人物の姿を目にするのは初めてだった。
それでも〝彼〟が誰であるのかは分かる。涙が、零れ落ちる。
ここは……現実だ。あの〝作品〟とは、所々で差異がある。
あの〝物語〟の中では助かったその命が、確実に助かる保証なんて何処にもない。それなのに、その危険過ぎる道を回避する方法が私には分からない。
もしかしたら、ルフィを乗せて飛んでいた時に、すれ違ったりしたかも知れない。それでも、私は今まで気付く事は無かったのだから、はじめて見る相手であると言っていいと思う。
こんな、1方的に見てるだけなのだから、初対面だとさえ言えるのか分からない。それなのに……。
「ペル……。この国で、最強と呼ばれる存在よ……」
声は自然と零れ落ちる。涙と1緒になって、私の意志を無視して。
描かれていた作り物の彼は何度も見て来た。穏やかに笑い、ビビを慈しむその姿は好意的な意味で私の記憶に残っている。
実際に生きて動いている彼は、想像していたよりもずっと美しく、力強い。アラバスタの守護神と呼ばれるのも、わかる気がする。
読んでいた頃に、ビビを任せるなら彼だと強く思った事を何故か今、鮮明に思い出す。それ程迄に彼は、王家を愛して、ビビを大切に想っていて……守り抜いた。
必ずしも話の流れが同じになるとは限らない。それでも……彼がこれから何をするつもりなのかは、知っている通りに行動するのだろう事は分かる。
ビビが高い所にいて、泣きながら声を届けようとする事は覚えていたのに、それがここだと言う事を思い出す事さえ出来なかった。だから当然砲弾の位置も、どうやって登ったのかも覚えてはいなかった。
なんて……中途半端で役に立たない記憶と知識なのか。それなのにどうしてか、窮地に陥ったビビを彼が助ける事だけは覚えていたのだから、情けないとしか言えない。
ビビを窮地に陥らせる事をそもそも避けたかったのに、結局このザマ。私はなんの為にここに産まれてきたのだろう。
ナミちゃんの人生を奪ってまでここに産まれてきた理由は、いったいどこにあるというのだろう。私に、いったい、どんな価値があると言うのか……。
その時脳裏にルフィの顔が浮かぶ。優しく暖かく、私を呼ぶ声と共に。
……こんな時まで何を、甘えてるのか。泣いても、何にもならないわ。
脳裏に浮かぶルフィに、甘えてごめんと謝ってから涙を拭って上を見る。時間にしたら僅からだろうという間に、恐らく会話をしたのだろうと分かる。
微動だにせずにいた彼が姿を再び鳥に変えて、姿が見えなくなった直後に砲弾を足で持って姿を現した。それを見た誰もが、声を出す事も出来ずにそれを見詰める。
つい今しがたまで、怒っていた者も、嘆いていた者も、悔やんでいた者も、誰1人例外なく。その全てが身動きさえ出来ずにそれを見上げている。
その中で唯1、大切な者を喪いたくなくて手を伸ばしたビビは……けれどもその選択の他に、この国と国民を守る術が無いと分かっていて……。ただその手を伸ばした他は引き留める事さえ出来ずに、悲鳴としか思えないような声を響かせる。
もしも引き止めれば、大切な多くの者を喪うのに、それでも本能に従い何も零さないようにと手を伸ばすビビの甘さや、優しさが……その矛盾が……私には愛しい。私は、ビビが可愛くて、そんなビビに何も出来ないことが口惜しくて堪らない。
彼の姿は何処までも高く、遠くまで登って行く。そして……上空の彼方で彼は砲弾と共にその姿を消した。
それにより起きた爆風に見舞われ、人々は1度その動きを止めた。だからこそ、ここにいた誰もが戦争は終わったのだと……そう思えた。
「あの野郎」
サンジ君が言葉を詰まらせる。彼もまた、優しい。
この1味にいる人達は、例外なく……優しい。例えその優しさの形が違ったとしても、総じて優しいと思う。
「国とビビを、守ったのね」
私がそうサンジ君の言葉に続けた直後、人々は爆風から立ち直り、動き出した。けれどもそれは、戦いの終わりを告げるものでは無く、その手にはそれぞれが武器を手にしている。
それは……明らかなる〝狂気〟。
戦争とは、始めるには易く、終わらせるには難しい。多大の犠牲を払い、それでも尚心の中に何かを燻らせ続けてしまうものである。
ゾロは納得しているのか、そうなる事を予想していたのか、動揺の色は無い。サンジ君は悔しそうに眉を寄せる。
ウソップとチョッパーは目の前の現実に打ちのめされて、呆然とそれを見詰める。そんな時に、微かに声が聞こえた。
それはビビの、切なる声。それは掠れて、引き攣って、乾いていて……決して聞き取りやすいものでは無いけれど、確かに聞こえる、魂の叫びであり、祈り。
諦めるなんて言葉は知らないとでも言うかのように、今は仲間にしか届かないその声を……懸命に迸らせる。
「戦いを、やめて下さい!」
渦巻く感情に名前なんて、付けられそうにない。ただ、呆然と立っているだけなんて、私には出来そうにもない。
「……何してるのよ!殴ってでも、蹴ってでも、気絶させてでも良いから、1人でも多くの人を止めるのよ!犠牲者を減らしなさい!」
私が叫ぶように男達に言うと、その肩が揺れた。言葉を放ちながら、私もまたクリマタクトを手に狂気の中へと身を投じる。
気絶させてでも彼等を、犠牲者にも加害者にもしないですむように。彼等の目覚めが今より少しでも、優しくなるように。
ビビは戦う。その喉が張り裂けようとも、構わないとでも言うように。
だからこそ、私達も、また戦う。犠牲者を1人でも減らす為に……ビビの、為に。
「おい、あれ!」
誰が言ったのか。先程爆発のあったのと同じ空に、人影が見える。
宮殿が人々の目の前で崩れ落ち、雄叫びのような声が響く。砂塵が下を覆い尽くし、視界は空の他は恐ろしく悪い。
瓦礫と共に落ちてくる人影には力無く、瓦礫の1部のようでさえある。その人物は、私がどうあっても勝てないと思わされ、ルフィでさえ1度は負けたと言い切った相手。
この国の英雄として人々を騙し続けた、賢すぎる海賊。サー・クロコダイル。
BW社の社長であり、今回の騒動の引き金を生み出した男。そんなクロコダイルが瓦礫と共に、大地に叩き付けられるように落ちる。
それを待っていたかのように、ポツリと、1滴の雫が空から落ちてきた。その雫は、緩やかに、けれども確実に数を増やして、雨となる。
巻き上げられた砂が砂塵となり人々の視界と耳を塞ぎ、絶望と言う現実の中で心さえも塞ぐ中で、雨は確実に大地を濡らし、潤す。その偉大なる雨は、砂塵を抑え、狂気さえも抑える。
「もうこれ以上、戦わないで下さい!」
そこに来て漸く、血を吐くようなビビの叫びが、国に響いた。
拡声器を用いている訳でもない、1人の少女でしかないビビの、血を吐くような尊い祈りを乗せた声は、漸く……人々の耳に届き始める。私はその声を聞きながら、クリマタクトを胸元に片付ける。
ビビの祈りに応えるように、彼等はその手から武器を落としていく。ビビを見付けた人々は、口々にビビを呼ぶ。
それは神聖な儀式のようで、けれどもそれは用意されていた演出等では無くて、奇跡のような現実だ。今、正に目の前で起きている紛れも無い現実。
「今降っている雨は、昔のようにまた振ります。悪夢は全て、終わりましたから」
ビビは雨に濡れたその姿を惜しげも無く晒す。けれども、人々の怒りや嘆きはそんな事では解決しない。
耳に届いたビビのその声も、心までは届かない。1度荒んだ心は、簡単には癒せないのだと、思い知らされる。
傷付いた心は、やり場のない感情は渦巻いて、その捌け口を求めるように大きなうねりとなる。その捌け口に選ばれたのは、王族として姿を見せたビビだった。
口々に叫ぶ人々の声は怒りや悲しみを乗せていて、それを聞いた人々に連鎖して行く。けれどもそんな人の声を止めるのもまた、人の声なのだ。
1度ビビの声を聞く事が出来るようになった、狂気から開放された彼等には、他の人の声だって届くようになっている。だからこそゆっくりと現れた〝奇跡〟のような〝真実〟を伝える使者をその目に、心に映す事が出来た。
誰もが死んだと思っていたイガラムさんが、真実を知ってそれを伝えられなかったと嘆く子供を抱いて現れた事で、心を開く。閉ざされていた彼等の心が、長く閉ざされ続けていた彼等のやり場のない苦しみの心は、ここに来て漸く微かな光りを見付けて開かれていく。
全てを滅ぼしても止まらないと思えた〝狂気〟から開放された彼等の心は〝和解〟と言う、暖かくも険しい道へと、歩み始める。それは即ち、ビビをビビの国へと送り届ける事に成功した事を意味している。
私達、麦藁の1味の役目は終わったのだと、誰が言わずとも分かる。だから私達は無言でその場を立ち去る。
この国の歴史に、部外者でしか無い海賊がいるべきでは無い。私達はただ、迷子のお姫様を送り届けただけなのだから。
後は宮殿にて、約束が果たされるのを待つだけだと。それは誰かが何かを言った訳では無いけれど、迷い無く同じ方向へと向かい歩き始める私達は、宮殿を目指していた。
多くの人々が待ち望んだ雨の降り注ぐ中で、ただ、真っ直ぐに。そんな時正面からルフィを背負った男性が1人、歩いてくるのが見えて揃って足を止める。
サンジ君がルフィを受け取ろうとしたその時、後ろからビビが慌てた様子で駆け寄って来てその人物をパパと呼んだ。それは即ち、この男性がこの国の王だという事で。
眠るルフィを見ていたら、緊張が解けてしまったらしく足が突然悲鳴を上げた。呼吸さえ止まりそうな激痛に、ふらりと近くの壁を背にして、私はその場で座り込む。
先程までは大人しくしていた痛覚が、突然これである。ルフィにどれだけ私は頼っているのか、酷いものねと内心で苦笑する。
ビビと国王を広場に戻そうとそれぞれが口を開く。ビビはそこへ私達も連れて行こうとするけど、勘弁して欲しい。
ビビの前ではこの程度の痛みなら平然としていたいし、優しいお姉さんでありたいのよと思い、小さく笑ってからビビを宥める言葉を口にする。それを受けてサンジ君も援護射撃してくれて、皆が頷けばビビと国王は納得したように頷いてくれた。
2人がその背を私達に向けて歩き出したのを確認した所で、ドサッ、ゴトッと言う音が聞こえた気がしたのと同時に、私の意識も暗い闇の中へと落ちて行く。音の原因は、大切な仲間達だろうときっと全員分かっている。
雨は降り注ぐ。勝者にも、敗者にも、意識ある者にも、無き者にも変わらず平等に。
後に歴史に刻まれる戦いと、決して語られる事の無い戦いが、終結した。