意識が戻ると、私は図書室のソファに寝かされていた。着衣は乱れなく整えられていて、ただ、私を腕に抱いた状態で眠る男が居る現実に違和感があるだけ。
窓から外を見れば、朝焼けと呼ぶにはまだ少しばかり早いのか、まだ赤くすらない水平線が見えた。この位置は高いので、太陽が登るのを甲板より少しだけ早く目視できると言う利点がある。
夜が、明ける。慌ただしかった昨日が終わり、新たな1日が始まろうとしてる。
汗と潮にまみれながら駆けずり回り、結局私は何も出来ないままにローちゃんを奪われた情けない1日が終わった。そう言えば、私ドフィとの戦いで大怪我してたと思ったのに……この身体本当に回復力高いわよね。
特に治療された記憶もないのに……。不思議。
大人が二人並んで寝るには狭過ぎるのはソファなのだから当然として、離さないとばかりに抱き締めているサンジ君の体温を感じる。私はまだ眠りの中にいるサンジ君の顔を、目を細めて見つめてしまう。
この後は忙しくなるし、昨夜の事を考えたら表立って甘やかす事もできない。それならば、今の内に飽きる程見ておこう。
前髪が料理人とは思えない程に長いサンジ君は、目元が隠れると急激に子供っぽい顔になる。……ああ、ロシーの子供時代とどことなく似てるから、そう思っちゃうのかな?
いや、サボかも。どちらにしても、私には弟や息子枠だけど。
愛しい……と、想う心は確かに有るけれど、これは恋愛感情ではないと理解してしまっている。だからこそ、胸が痛いのかしらね。
「何を見てるんですか?」
眠っていると思っていたサンジ君が、目を瞑ったまま唐突に口を開いた。でもその様子や声の調子から、まだ眠いのだと伝わる。
「サンジ君の寝顔よ。……そろそろ起きないと、朝食の仕込みとか大丈夫か心配になるわ」
「昨夜の内に必要な事は終えてから、ナミさんを貪りました」
「……つまり、計画犯だったのね?」
私の言葉を受けてサンジ君は狸寝入りを辞めて、半眼を開けた。それに合わせて上半身を起こす私に、サンジ君は少しだけ寂しそうな顔をする。
「当然でしょう。……それにしても、ここは本来嘘でも〝サンジ君の寝顔に見蕩れてたわ〟って言うところじゃありませんか?」
「嘘は、苦手なのよ。家族みたいな人に、そんな事したくないわ。……子供っぽくて可愛いとは思ったけど」
そう言えば、ルフィは寝てる時の方がかっこいいと思う。無邪気に輝くあの瞳が閉ざされる為に、普段は見えない素のカッコ良さが出るのかな。
敵を目の前にしてる時のルフィは、それこそ獣のように美しくカッコイイ。普段の子供っぽい姿が演技なんじゃないかと疑いたくなるくらいには、惚れ惚れしてしまう。
うっとりとルフィの事を考えていたら、肩に腕が回って来た。そのまま胸の中へと連れ込まれる。
どうやらモーニングキスをしようとしているらしいサンジ君の厚い胸を、私は今度こそしっかりと押し返す。眼差しを厳しくした私を前に、サンジ君は意外そうに目を瞬かせた。
抵抗した事が意外なのかとその顔を覗き見るようにすれば、サンジ君が微かに眉を寄せて心配そうな声を出す。その声が紡ぐ言葉に、思考が僅かに止まりかけたのはある意味当然と言える筈。
「まだ、腕に力が入りましたか。そろそろ薬切れてると思ったんですけど」
「……は、い?」
薬って、何?
サンジ君は食事とかに薬入れたりしないわよね。なら、どういう事?
「昨日ナミさんが譜面書いてる間に、チョッパーが注射してたんですよ。なので、昨夜良い子にゆっくり寝ていれば今日はもうほぼ回復してる筈でしたが……悪い子なナミさんは昨夜起きていましたから、今日は動けないと思いますよ」
「サンジ君!?」
それってサンジ君が原因よね!?
そう思った私が言葉を続けるよりも早く、サンジ君は言う。まるでそれが当然の事実であるかのように。
「朝食後、航海士としての最低限の指示出しを終えたら、チョッパーからの治療タイムです。銃弾が身体に残ってるそうですよ?」
「うっ……」
言葉に詰まったのは、謎の回復力を自分の身体のスペックが良すぎるからだと疑いもしなかった自分に恥じたから。でも、そっか、私……治療されてたんだ。
……どの道、昨夜散々に抱かれた身体は、あちこちギシギシと軋むように痛んでる。勿論その前からの連続コンボの影響と、戦闘の影響はあるけど、間違いなく昨夜のそれはトドメになったわ。
なら、堂々と休ませて貰えるのはある意味物凄く助かることかも知れない。でも……そうよね、ロビンも居ないからベッドでできる仕事もあるし、動けないってのも役立つかも知れないわ。
「……まだ、休んでいてください。起きるには早すぎる。……ベンさんが、少し怖いな」
「ベックは、優しいわよ?」
「…………ナミさんには、ね?」
少し考え事をしている間に突然向けられた言葉に、即座に返事をしたけど返ってきた言葉の意味が分からなくて首を傾げる事になる。するとその動きに耐えられなかったのか、首と肩が悲鳴を上げた。
それにより呻くと、そっと身体を支えながらソファに寝かせてくれて、サンジ君は静かに離れて行く。昨夜の暴挙が夢幻だったのではないかと思わされる程の、自然な動き。
「朝食の支度してきます。……いい子で休んでてくださいよ」
「子供扱いして……」
「ナミさんは俺より歳下ですし、無理に動こうとする所は、子供扱いされて当然と言えますよ。……朝食の希望はありますか?」
「たまご、食べたい」
「オムレツ、作りますね」
サンジ君は時々こうして、皆から希望を聞く。今日のはたぶん、昨日のお詫びとかが混ざってるんだろうけど。
それを理由に許してはあげられないけど、怒り続けたり憎む事も私にはできない。だから、じっと見つめて溜息と共に言葉を吐き出した。
「蜜柑ソース、かけてね」
「……かしこまりました。我等が女神様」
「その、女神って言葉、大嫌いよ」
シャンクスのせいで私の代名詞みたいになってるそれに、少しでは無い溜息が落ちる。そんな私に小さく笑って去って行くサンジ君を見送ってから、私は少しだけ休もうとソファに倒れ込み……静かに眠りに落ちていく。
そう言えば、蜜柑ソースだけは……ベルメールさんのが世界一美味しいのよね。サンジ君が作ったのより、美味しくて……私はレシピ知ってるのに上手く再現できない謎のソース。
そんな事を考えていたからか、誰もいない筈のその場所で寝たのに、夢は酷いものではなかった。ただ、夢を見たのかさえ覚えていないから、確実でもないけれど。
「ナミ、ナミ、大丈夫か?」
「んっ……?チョッパー?」
「朝飯、出来たってサンジが……。起きられるか?」
「ええ、ありがとう。軽くシャワー浴びたら行くから、先に食べてて」
「……分かった。早く来いよ!待ってるから!」
私は今、先に食べててと言った筈である。……うん、言った。
それでも待たせるのは本意では無いので、急いでシャワーを浴びるんだけど……なんか、痛い。え、呼吸もつらいって、どういう事?
頭上から降り注ぐシャワーに打たれながら膝をついた時、お風呂場のドアが開いた音が聞こえた。でも、それに反応する余力が無い。
「……こんな事だろうと思った。……ナミ、意識はあるか」
「んっ……」
聞こえて来る声に何とか返事らしい物をすれば、脇の所に腕を通す形で抱き締めてくる優しい人がいる。因みにこの抱き方は腕に力が入る場合は物凄く有効な運び方でもあるので、足を怪我している人や転んで立てなくなってる人には使いやすい技術です。
「腕は動かせるか?」
「んっ……!」
「船医の所まで運ぶが、このままだと不味い。首に掴まって居てくれ」
言われるままに首の後ろに腕を回して、抱きつくような形になれば後は左腕だけで私を支えてベックが立ち上がる。そうして脱衣所に置いてあるタオルを私にかけると、私の衣服等が入った籠を持って風呂場を後にした。
移動経路は梯子なのにどうやって?と、思わなくもないけど、そこはベックだからで納得しておく。そんな私はそのままチョッパーの診察室へと運び込まれて、ベッドへと寝かされてしまう。
「大人しくしてろ。いいな」
「ベック……」
「すぐ、船医を連れて来る。飯も船医が大丈夫と言えばここまで運ぶから、無理に動くな」
「この程度、馴れてる……から、大丈夫、よ」
「……なんだ?俺にルフィを殺して欲しいのか」
「は!?なんっ……ぅ……!!」
何でそうなるのよっと言いながら飛び起きた筈が、激痛に声を詰まらせてしまう。そんな私に、続きはまた後でなと笑いながら去って行くベックを、呼び止める事さえ私にはできなかった。
そうして動けずにいると、可愛い足音と共に診察室に飛び込んで来たチョッパーから、じっと探るような視線を向けられてしまう。診察してるにしては、何かおかしいと思うそれに、内心で首を傾げた時チョッパーが確認するように口を開いた。
「昨夜、酒呑んだか?」
「え?……お酒?」
「俺が昨日打った薬がさ、アルコールと合わさると良くないんだよ。……だから、呑んだか?」
「昨日のは……呑んだ内に入らな「呑んだんだな?酔いが凄い回ったと思うんだけど、その辺はどうだ?」」
「え?ああ、麦酒1本呑み終えてないのに、酩酊状態に入っ「そうだよな。そりゃ、痛くもなるよ。1日続く筈の効果を半日にするんだ。その代わり、その半日は痛みと無縁に近くなるけど」」
……つまり、サンジ君とやってる時鎮痛がしっかり効いてたから、私は何も痛みを感じなかったけど、今になってその分が来てる……と?
でも、ちょっとそのままだと聞けないわよね。どうしよう。
「……とりあえず、鎮痛剤だと間に合わないから、麻酔入れるぞ。朝食はなしで、点滴な。それが効いたらそのまま手術に入る」
「はい!ドクター!質問です!」
「うむ!なんだね、ナミくん!」
ドヤァってなってるチョッパーが可愛い。抱き締めたいけど、今は我慢よ!
「点滴で栄養と麻酔入れてる間に、航海士の仕事したいのですが、許可頂けますか?」
「……歩かないなら良いぞ。俺とかに抱かれて甲板に行く感じで」
「なら、その方向でお願い。後、ロシーの治療はどう?」
「手術が必要なものはもう無いから、大丈夫だぞ。後は定期的に怪我の手当だけして、他の所は安静にしてれば数日で杖歩行なら可能になるから、安心してくれ!」
「良かった……ありがとう、チョッパー」
歩けるようになったら、リハビリしていけばいいなんて言われると、肩から力が抜けるのが分かった。そうして力が抜けると痛みが増して、意識が朦朧とする。
その為に自分が呻いていたのも分からなかったけど、これはどうにもできる気がしない。そんな私の治療をチョッパーがしてくれた事で、少しだけ呼吸がしやすくなった。
「ありがとう、チョッパー」
「身体に銃弾入ってるの、自覚してくれよ。……家族として好きなんだったら、なんでこんな事できたんだろうな」
私からのお礼に対して、チョッパーは悲しそうに呟く。それは、私への問い掛けでは無かったのかも知れないけど、私はその答えを知っている。
だから、言葉は勝手に飛び出してしまう。ドフィは……他の生き方を選べなかったのよ。
「ドフィはね、守るべきものを決めていて、その為に邪魔となるのであれば、それがどれ程自分にとって大切であるかは度外視した上で、殺す事を選択するの」
「なにも、殺さなくたって……!」
「……生きていれば、何度でも牙を剥くかも知れないでしょう?1度でも裏切った人は、何度でも裏切る。嘘をついた人は何度も嘘をつく。万引きもそう、捕まって、二度とやりませんと心から誓っても……何かの弾みでまた繰り返す。性犯罪者なんかは同じ性犯罪を繰り返す確率が物凄く高いわ。場合によっては、ただの性犯罪だった筈が、今度はバレたくない、捕まりたくないと思って、強姦殺人にパワーアップするなんて事もある」
私の説明は多分、淡々としてる。これは地球の統計であり、この世界の統計ではないけど、きっとこの世界でも似たような所はあると思う。
「それを、ドフィが知識として知っているかはともかくとして、本能的な所では理解してるのよ。だから、改心させるなんて不可能な事を考えないで、殺して終わりにしようとするの」
「でもっ……!」
チョッパーは私の言葉に涙を滲ませる。ウルウルとしたそれは、物凄く心に突き刺さるけど……ドフィのこの考えを私は否定できない。
賛成はできないし、私にはできない選択肢でもある。でも、この世に正しい答えは多く存在するのよ。
多くの正しい答えがあって、その正しい答えがけれども100パーセントでは無い。だからこそ、誰かにとっての正しさが、誰かにとっては悪となる。
家族を守る為、他人を襲い金品を奪う事は、守られている家族にすれば、正しい答えだわ。でも、奪われた人達にして見れば正しくない。
真面目に働け!なんて言う人もいるけど、ならばその働き口を用意してくれるのか?って話になる。口先だけで真っ当に生きないからだと責める事が、果たして正しいのか。
これも見方によっては正しいだろうけど、正しいと思うから言うのだろうけど、言われる側からしたら正しくない。単なる無責任。
そうして多くの正しい答えがある為に、人は争う。そして、勝った側の意見が通り、勝者が正義として歴史に名を残すのだ。
「それでもアイツは、何度もナミを傷付けて、ナミの意思を無視して来た。愛してるって言いながら、傷付けてる!」
「……チョッパー……?」
「俺、アイツ嫌いだ!ナミをいっぱい傷付けた!俺が知ってるのだけでも、二回ある!……本当はもっとあるんだって、分かってる。俺が会う前にも、メリーが最期に悔やんでたから、だからあったってわかる!」
チョッパーは声を怒りに震わせる。けれども、その瞳に涙はない。
私はメリーとの別れを思い出して、あの時メリーが私の為に紡いでくれた言葉に胸が痛くなる。でも、チョッパーを宥めなきゃ……!
「……っ!メリーが言ってたのが、ドフィとは限ら「分かるよ!ルフィの態度とか、ゾロとロビンが怖い顔してボソボソ話してたのとか、ウソップが練習の的にしてる名前見てれば、分からない訳ないだろっ!」」
ぐうの音も出なかった。これで、その時に襲って来たのは、ドフィだけじゃなくてミホークもでしたなんて言ったら……チョッパーが余計に怒る気がして私は口を噤む。
その場で無言のまま、壁に寄りかかるベックの存在も怖い。本気で、怖い。
「空島に行く直前と、ウォーターセブンでカジノ船に乗った時……ナミの動きとナミについてる臭いで分かってた。……アイツと、同じ臭いがあった!」
そうだ、チョッパーって、臭いに敏感な野生動物だったわ。……正直舐めてました。
「他にもいるの分かってるけど、ナミが今寝込むしかない原因も分かるけど、とりあえず俺は、ナミがどんなに庇っても……アイツが嫌いだっ!!」
「うん、分かった。ごめんね、チョッパー」
「……なんで、なんでっ……!ナミが謝るんだよっ!ナミ、悪くないのにっ!いつもそうた、ナミ、全部自分のせいにするっ!!」
「チョッパー……」
泣きながらつのられるのが、本当に困る。私は誰にも傷ついて欲しくなんてないのに。
私が我慢すれば解決するなら、きっとそれが1番幸せな解決方法なのに。どうして、上手くいかないんだろう。
「ナミのばぁかぁ~!!」
泣くチョッパーをそっと抱き締めて、私はごめんなさい……と繰り返す。その間もベックは微動だにせず、無言で私達を見詰めていた。