騒がしくも楽しい食事を無事に終えた私達は、進路の確認を兼ねての、気晴らし音楽会を甲板で開く事にした。これは当初ブルックと二人での小さな演奏会に私の鼻歌が乗るような物か、音楽に関する情報交換会みたいなものになる予定だったのだけど、こればかりは仕方ない。
楽器を選別しつつ、ブルックが問い掛けてくる。その声はどことなく楽しそうで、なんとなく微笑ましいような気持ちになってしまう。
「明るい曲が良いのな「ナミさんの歌いたい物でお願いします。気持ちの乗らない歌は何も発散できませんから」」
ブルックは言葉を遮りそんな事を言うから、それに私は小さく頷いた。やはり年長者は言う事が違う。
「なら、候補を絞るから選んでくれると嬉しいわ」
そう言って数十曲の曲目をメモに記載して渡せば、ブルックは図書室に譜面を見に行く。そうしている間に、私は航海士としての職務を行う事にした。
波は穏やかで風は向い風。帆船だからどうしても風の影響は避けられないけど、全く動かないと言う事も無い。
この様子なら必要な事は少ないけれど、皆無な訳でも無いからと皆に指示を出して行く。それに素直に従ってくれる皆にホッとしつつ私を抱いて移動する事にのみ参加して他は手を出さない徹底ぶりを見せるベックに小さく笑う。
本来この船にいるべき人では無いからなのか、本当に必要最低限しか手を出そうとしない。まぁ、私が危なっかしくて傍を離れられないのかも知れないけど。
視線を海に向ければ海面が光の反射で輝き、いっそ眩しいほどに感じる。潮風が頬に触れて、髪を揺らすのを感じながら心は海へと吸い寄せられてしまう。
海は、決して人に優しくはない。けれども、特定の誰かだけを攻撃したり、理不尽な要求をしてくる事も無いのよね。
海は、私達を拒まない。ただ、受け入れる事もないだけ。
そんな海に魅入られた愚かな私達が、勝手にその領域を犯しているのだから……何かあるとしたならば、それは魅入られた私達の実力不足。それを理解しているからこそ、海の優しさと偉大さに気付き恩恵に預かる事もできている。
「やっぱり……私は、海が好き」
「……航海士は、特にそうだろうな。勿論、海賊なんてのは、海に恋した愚か者の集団なんだから当然だろう。だが……見慣れている俺達でも、日々ハッとさせられるような美しさと厳しさが垣間見えて、離れられなくしてくる」
「ベックも、海に魅入られた愚か者なのね」
ベックの言葉にクスクスと笑ってしまうのは、許して欲しい。だって何だか、他人事みたいな言い方するんだもの。
笑う私に穏やかな微笑みを向けて、ベックは言う。それは己に対する肯定や否定では無かった。
「……シャンクスやルフィは違うみたいだがな」
「……何が、違うの?」
「あいつらは、海じゃなく……冒険や旅、スリルなんかに恋しちまってる。冒険できる手近な所が海だから海にいるだけで、尽きせぬ大陸があれば奴らは単なる冒険家になってだろうさ」
「確かに……」
世界政府や、海軍、陸軍、天竜人等から認められた船だけが、航海を認められている。それの他は近海のみ航行する漁船は認められてるけど、他は全てが海賊船の枠。
だからこそ、考古学者でしかない彼等も海賊と呼ばれた。それだけ、世界政府は人を海に行かせたくはないと思っているのだろう。
隠された、空白の歴史。ロビンの追い求めるそれを、隠し通したいと願う政府の思惑がこんな所でも透けて見える。
地球の歴史でも、海賊船に乗船して航海士として共に過ごしつつ世界地図を描いた人がいた。そして、空白の歴史を紐解き、世界に真実を発信した人が居たわ。
世界は違うけど、恐らく私やロビンはその役目を担っているのだろうと推察出来る。それが推察出来てしまうからこそ、真っ直ぐに突き進みその役目は果たさなければならないと思う。
「ナミさん、選んで来ましたよ」
ベックと共に海を見詰めていたらかけられた声。それに振り向き笑えば、ブルックがそっと譜面を差し出して来た。
差し出されたそれを迷いなく受取り、私は目を疑った。候補の曲に書いてはいたけど、本当にこれを選ばれるとは思っていなかったから。
「理由、聞いてもいい?」
「いくつもの世界線があるような、それを確信しているような歌詞に惹かれました。……歌声を、お聞かせ願えますか?」
やうやうしく私の手を取るブルックに、笑ってしまう。彼は海賊になる前は、それなりの身分や地位に居たのだろうとこんな仕草から伝わって来る。
「わかったわ。でも、演奏するのはダメって言われてるから、私は歌うだけよ?」
「私はピアノを演奏しますので、可能な範囲の歌声を聞かせてください」
こうまで言われては逃げられない。私は覚悟を決めて頷く。
その瞬間に、サンジ君が神業のような素早さでセッティングしてくれたサマーチェアへとベックが運んでくれたので、私は素直に腰をおろした。そこには譜面を置く為の台……譜面台も用意されていて、どこにあったんだろうと少し思う。
最近は譜面台だと堅苦しいからと、譜面スタンドと呼ぶ人達も居るらしい。和楽器用の譜面台は木製で高さ調整できないものが多いけど、この世界ではそんな譜面台は少ないので洋物の譜面台を私のいるチェアに合わせた高さで、見やすいようにセッティングしてくれている。
そこにプラスして、飲み物等も用意してくれているし、チョッパーが私の横でダメそうになったら辞めさせるぞって言ってるから、とりあえず気晴らし兼ねた音楽会は問題なく開けそう。そう思い、無意識でドラムスティックに手を伸ばす。
私は基本的にアメリカンスティックと呼ばれる持ち方をしているので、握り方もそれになる。まずは、人差し指にスティックを載せる所から始まるのが、わかりやすいかな。
持ち方は、スティックの中心よりやや下に支点を持って行きます。そうすると、ゆらゆら~とスティックが揺らせるようになる筈よ。
支点は親指と人差し指でスティックを支える場所になるの。スティックを揺らしても、スティックが落ちない場所を探しましょう。
スティックを掌の生命線に沿うような感じで、中指と薬指、小指を添える。これが基本の持ち方になるから、やりたい人は覚えておいてね。
「ナミ……演奏は駄目だって、言ったろ?」
ひょいとドラムスティックを奪われながら言われた言葉に、あっ……と小さく声が漏れる。その瞬間、チョッパーの少し呆れたような表情が見えて、同時にその瞳が心配そうに揺れている事に気付く。
「……ごめんなさい」
「ナミって、狡いよな。そうやってすぐにちゃんと謝るから、怒り続ける事もできねェ」
「ありがとう、チョッパー」
「……本当に、狡い」
謝ったら狡いと言うから、その優しさに感謝を伝えてみたのにそれもダメとは……困ったものだ。そう思って笑えば、私の横に自分で椅子を持ってきたモモちゃんとロシーが腰掛ける。
その姿はあまりにも違い過ぎる体格のために、巨人と小人のように見えてしまうのだから面白い。でもきっと、モモちゃんも大きくなるのだろうと分かるからなんだか感慨深い。
……そう言えば、ドフィやロシーも昔は小さかったわ。この世界の食べ物が、人を大きくする作用でもあるのかしら?
例えば甲殻類の殻とか、魚の骨とか、普通は出汁取りが精々で基本的には捨てられる筈の部位を食べるかどうかで変わる……とか?
いや、それなら何故ルフィはこの世界基準で小さいままなのかが、分からなくなるわ。ドフィも殻食べてたから、有力な理屈かと思ったけど……ルフィがそれに当てはまらない。
勿論、ルフィは地球基準なら標準かそれ以上の身長あるんだけどね。寧ろこの身体が女の子としてみたら高身長過ぎる位……の、筈なのに……。
ロビンを思い浮かべてこの世界と地球を比べるだけ無駄なのだ……と、少し冷静になる。海に関わると身長が伸びていくのだとしたら、まぁまぁ理解できるから、この世界の海が特殊なのだと思っておく事にした。
ブルックがピアノを運ぶのをベックが手伝い、サンジ君が全員分の飲み物を用意してくれる。チョッパーは私を見守る体制に入っているし、怪我人と幼子は大人しく座っていてくれているのだから、ある意味で完璧な空間だろう。
ピアノが用意された後、私の様子を伺うブルックの姿が見えた。なので私は細く息を吐き出して、気持ちを整える。
この曲は、作詞作曲をしたその人本人が歌う前に、友人へと送った物。それを後に本人も歌い、同じ歌詞、同じ曲なのに別な物にしか聞こえない奇跡を起こした。
どちらかが音痴とか、そんな話ではない。歌い手によりこれ程違うのかと人を驚かせたと言う、ただそれだけの話。
「なら、始めましょうか。……『まちがいさがし』」
私の言葉に合わせて1度頷いたブルックが、ピアノの鍵盤に指を滑らせる。この曲は、作詞作曲をした人が歌った物だと先に音が流れるけど、作ってもらった人は音の無い所に先に歌声が入り、後から曲がついてくるスタイル。
だからこそ、私の声が始まりの合図となる。脳内で1音目を確認して、少し低めの声で歌い出す。
「ーーー」
ずっと、私の存在するこの世界線は〝間違い〟なんだって思ってた。本物のナミちゃんが正解で、私は存在そのものが間違ってるんだって……。
「ーーー」
でもね、まちがいさがしの正解の方なら、私はここに居る誰にも出会えなかった。私にとっては、この世界線が正解の世界なの。
「ーーー」
私には相応しくない。笑いあえる事、涙が出る事、その全てが……私には許されない出会いだったと知っているのよ。
「ーーー」
それでも、初めてルフィの視線が私を貫いたあの瞬間に、私の胸は確かに動き出した。あの日から何もかもが動き出して、変わり果ててしまった。
「ーーー」
風に飛ばされてしまいそうな、他愛ない存在でしかない私の傍にいて、退屈なんて言葉を知らない日々にしてくれた。私がその世界に存在する理由をくれたのは、ルフィだったわ。
間奏に入るけど、ここは短いからと軽く息を整えてチョッパーに笑いかける。それによりチョッパーは安心した様に頷いてくれたから、私は続きを歌い出す。
「ーーー」
間違いが生んだ存在であると自覚しながらも、今存在する自分と言う歪なそれを認めてくれる皆と笑い合う。くだらない話で笑い、怒り、生きている現実。
「ーーー」
正しくありたいと願うけど、正しくあれない寂しさが何を育むのか。少しでも、本来の彼女のように、強く優しくあれたらと願うけれど、私に彼女は遠過ぎる光なの。
「ーーー」
知らない世界をひとつずつ知るように、彼女のいる本当の世界との違いを探し当てては心の軋む音を聞く。起きがけの子供がぐずるように泣きそうになる私を、そっと支えてくれるのは皆の優しさ。
「ーーー」
不安に震える私に触れる、優しくも力強い手。それにそっと指を重ね合わせたら、それが正解か間違いかだなんてどうでも良くなったのよ。
「ーーー」
瞬く間に落っこちた絶望の世界で、先の見えない靄の中を彷徨うようにしていた私を導いてくれたのは、間違いなく大切な仲間達だった。だからこそ、私には彼等でなければならないと、強く思うだけ。
そうして長い間奏に入る。その間は私は少しだけ休めるけど、ブルックはずっと演奏を続けるから休む間は存在しない。
それなのに、ブルックは楽しそうに演奏していて、本当に音楽が好きなのだと伝わってくる。そんな様子を微笑ましく眺めていたけど、その視線を動かせば皆の様子も確認する事が出来た。
ベックは私を微笑ましそうに優しく見詰めていて、それに気付いてしまうと照れくさくなってしまう。それとある意味対極なのがサンジ君で、ハート振り撒いてる姿に少し気持ちが安定する。
モモちゃんは驚きの顔で硬直しているけど、その近くにいるロシーは心配そうにオロオロと私を見ていて、そんな壊れ物のように扱わないでと言いそうになるのを耐える。するとチョッパーだけは珍しく真剣な顔で私の様子を見ているから、お医者さんモードなのだなと気付いた。
当たり前のようで、幸福な時間。そんなものを感じながらのんびりと皆を見つめ直して、私は歌い出しのタイミングが近い事に気づく。
そっと唇を開けば皆の視線が集まるのを感じて、その中でチョッパーが小さく頷いた。だから私はそれにより問題がないと理解して、小さく笑う事で応えるとゆっくりと歌い始める。
「ーーー」
大切な人達の眼差しが、私の胸を真っ直ぐに貫いた。そうなってから、私の中の何もかもが変わったの。
「ーーー」
風が吹く度に揺れる木の葉のように、誰かに何かを言われる度に戸惑い、身動きを取れなくなる私に、そのままでいいのだと教えてくれた。春のような暖かさで包み込み、大切な人にしか見せない笑顔で私を支えてくれる優しい人達。
「ーーー」
暗闇の中で何も見えない時でさえ、その温もりを与えるように皆の手が触れていた。それに指を重ね合わせたら、間違いか正解かなんて気にするのも馬鹿らしくなったの。
「ーーー」
瞬く間に落っこちたのは、淡く優しい皆の優しさに包まれた世界。この仲間達じゃなきゃ何処にも行けないと、ただ強く思うだけ。
私が歌い終えると、ブルックの伴奏もそれに続くように、ほんの僅かな時を置いて曲を終える。そうして僅かな余韻を残して終えた音楽は、この場にいる仲間達の他は目の前に広がる偉大なる海だけが聞いていた。
「相変わらずナミはすげェなァ!」
キラキラと瞳を輝かせてチョッパーが言えば、それにモモちゃんが激しく頷く。でも、凄いのは本来の作詞作曲をした人と、演奏をしていたブルックだと思うのよね。
でも、それは言えないから……だから曖昧に笑って視線を逸らす。すると甲板は暖かいのに、ホットレモネードを差し出してくるサンジ君に驚いてしまう。
「喉を使ったなら、少しは癒してあげてください」
「ありがとう。……んー、でも、甘いデザートも欲しいなぁ」
「喜んでェー!!」
ワザと甘えるように言ってみれば、足が竜巻状態になってハートを振り撒きつつ返事をされてしまう。本当にサンジ君は、残念なイケメンだと思うわ。
そんな事を思って小さく笑った時、チョッパーが挙手しつつ声を上げる。それは本当に微笑ましい。
「俺も俺も!」
「拙者も!」
「それならワタクシも!」
チョッパーに続いたのはモモちゃんで、その流れでブルックも加われば途端に賑やかになる甲板。そのままその様子を笑いながら見ていたロシーが加われば、その後にベックまで参加してくれちゃうのだから私が笑い転げたのは当然の事。
「ついでだから俺も貰いたい」
「この船のコックは腕が良いな」
「野郎共はクソ五月蝿ェ!今用意してやるから、少し待ってろっ!」
そうして去って行くサンジ君の背中を見て、甲板に残った私達はクスクスと笑い出す。今日のサニー号は、船長不在を感じさせない程に賑やかであり、平和である。