握手の後、そろそろ良いだろうと判断して手を離そうとした。けれども何故かその瞬間に手を握る力が強まり、そのまま引き寄せられてしまう。
そうなれば当然、シャンクスの胸にダイブする事となってしまう。咄嗟に覇気を纏う事で受身を取れば、覇気の塊と化した私を受け止める事となったシャンクスが呻く。
「ナミ、おまっ!何して……っ?」
「え、咄嗟に、受身?」
悪気は無いのよ。悪気は。
でも、突然引っ張ったシャンクスが悪い。なので謝罪ではなく、真実のみを伝えたけど、それに対してシャンクスが妙な事を言い出した。
「大好きな船長に久々に会えたんだから、そこは喜んで抱き着いて良いんだぞ!?」
「私の船長は、ルフィだけよ」
「……何度も言うようだが、俺はナミを仲間から外してねェからな」
「シャンクス……」
困った子ね。何度言えば理解してくれるのかしら?
そう思ってシャンクスを見れば、どうやら伝わってしまったらしく怒り出す。まぁ、本気で怒ってる訳じゃないのは理解してるけど、ちょっと鬱陶しい。
それでも、真実はいつもひとつ!この場合の
とか、言ってやりたいけど、絶対通じないからやめておく。こんな時、巫女様とかがいたらなぁ。
そんな事を考えつつ、ごちゃごちゃと騒ぐシャンクスを適当に聞き流しながら、まだ発売してない物でシャンクスが喜びそうな物を考える。何か喜びそうなものを与えれば、興味はそちらに移り、私は自由になれる筈よ。
……そうだわ!
今この島の周りを回った事で測量は終わってるからと、私はその場を後にして図書室へと向かう。途中で蜜柑をひとつもぎ取り、製図台へと向かえば挨拶代わりは丁度いい筈よねと心が浮き立つ。
そうして蜜柑に小さな麦藁帽子を被せてペン立ての横に並べてから、インク壺の蓋を開けた。その先は楽しくも大切な時間。
数枚の海図と地図を描き上げた所で軽く伸びをすれば、いつからいたのかシャンクスとベックが真剣な顔で先に描きあげて干していた海図を見ていた。ベックは困ったように眉間に皺を寄せて、シャンクスは何故かキラキラと輝いている。
何と声をかけようかと逡巡している間に、二人は何やら会話を始める。その様子は楽しそうではなく、寧ろ邪魔する事が難しい様子な空気。
「……やっぱり、返して欲しいな」
「何度も言ってるだろう。ナミは既にルフィのクルーだ」
「何度も言うようだが、俺はナミの下船は許したが、仲間から外してねェ。
僅かにシャンクスから漏れ出す覇気。それは、きっと目で見えたならば美しいのだろうなと空気から伝わるもの。
それに対して、いつもの呆れた様子ではなく、疲れた様子でもなく、真剣な様子で対応するベック。ともすればそのまま戦いを始めてしまいそうな空気が、船室に漂っている。
「ナミの意思はどうなる」
「ナミは、俺に相変わらず惚れてる。攫っちまえば、じきに落ち着くだろ」
「……本当に、厄介だな。アンタって人は」
「私は、ルフィの航海士であり、ルフィの女よ。もう、幼かった赤髪の女神は消え失せたわ」
「「ナミ」」
私の存在を忘れていたのか、ずっと机に向かっていた私に驚いた様子を見せる二人。それにしても、シャンクスは本気で私が帰る事について諦めてないらしい。
困ってしまうわ。……本当に、シャンクスの言葉が間違っていないからこそ、困ってしまう。
「……その海図と今描きあげたこの島の地図は、シャンクス達にあげるわ。私の能力は現在こんな感じよ。……船医の派遣と、薬等を分けてくれる事への対価として相応と判断できる?」
話題を二人が見ていた海図に移せば、先程の不穏な会話を無かった事にできないかと少し期待してしまう。それを理解したのか、それとも素直に海図の価値を優先したのかは不明だけど、シャンクスは頷いてくれた。
「測量士としての能力を見込んで、他にも描いて貰いたい地図がいくつかある。それと、歌って貰いたい。頼めるな?宝玉先生」
疑問符をつけてはいても、決定である事が嫌でもわかる。だから私は、素直にその言葉に頷いた。
それから二日程、私は皆に事情を説明した上で赤髪海賊団の船にて与えられた資料を元に地図を描いていく。途中何度か食事をしろと叱られたけど、その程度だ。
その間、何故か歌う事を強要される事はなかった。寧ろ私の方から何を歌えば良いのかと問い掛けたのに、落ち着くまで構わないと言われたのだから、不思議な気持ちになったのは当然だと思う。
そんな日々を過ごしていた同じ頃、ルフィ達は……。戦いを終えて眠った所だった。
ルフィが寝ている間に、さっさと荷造りをしてしまう義兄にゾロは視線を向ける。ルフィとエースはどことなく似ていたが、サボは似てる要素が見付からない。
どちらも血の繋がりは無いのだから、そんなのは余計なお世話なのかもしれないが。そうして二人が静かに会話を始めた丁度その時、海軍に捕らえられたドンキホーテ・ドフラミンゴは目を覚ました。
結局すれ違い、揃って会う事の叶わなかった三兄弟の戦いの話はまた別な機会に語られるかもしれないが、今は割愛させて頂こう。ただ、捕らえられたドフラミンゴがインペルダウンの最奥に入れられる直前、運ばれる船の中で妙に静かな声で、おつるに問い掛ける声が響く。
「俺のファミリーは、どうなった」
「……もう、アンタには関係の無い話しさ」
「俺の
「……恩赦が認められるような事があれば、教えてやるさ」
ドフラミンゴはその言葉で、大体の所を察して黙る。彼は、この世にはどうにもならない事が多々ある事を知り過ぎてしまっていた。
その時ふと、彼は思い出した曲があり、小さく笑う。その様子におつるは怪訝そうな顔をするが、ドフラミンゴはそれに応える事なく小さく題名を告げた。
「〝立ち入り禁止〟」
俺の言動に対し、おつるが怪訝そうな顔をするのが妙に愉快だ。突然思い出したこの歌は、初めてその譜面を見た時ナミが俺の過去を元に書いたのかと疑った程だった。
恐らくそうでは無いのだろう。分かっていても、この曲は妙に共感する所が多い。
もしもナミがそんな嫌味を世界に発信できるような女なら、俺はこんなにも求めはしなかった。長い戦いの終止符は、打たれてしまったのだ。
もっと早い段階で戦えば、間違いなく簡単に倒せただろう。もしくは相手がローだけならば、この結果になる事は有り得なかったと断言出来る。
だが……これは俺の慢心が招いた結末。それでも、後悔は無いのだから不思議なものだ。
伴奏も何も無い。しっかりと歌う体力も気力も無いから、口遊む程度に誰に聞かせるつもりでもない歌声が喉から飛び出し、空気を震わせた。
「ーーー」
残念ながらこの歌とは違い、俺は少年だった。そして、守るべきものがあったから、ただ無口なままではいられなかったんだ。
この歌と俺の相違点は、その程度。その他は、嫌になる程に俺の過去を連想させる。
「ーーー」
興味なんて何も無かった。あったのに自覚さえしていなかった愛憎は、人波に揉まれて歪んだのだろう。
全てが俺のもので、叶わない願いや望みはなかった。なのに、突然落とされた地獄が俺の心を破壊したと考えている。
「ーーー」
誰の影にも隠れられず、隠す立場にいた俺を救ったのはナミだった。煩悩にまみれて、陶酔して、俺の為にと傷付く姿に愉悦さえ感じる幼くも醜い俺の内心。
そこへ甘く微笑み手を差し伸べ、その背に庇い胸に抱くナミと言う残酷な存在。俺の心に立ち入りを禁じても、時すでに遅し。
……気付いたら、住み着いていた。もう、逃げられねェよ。
「ーーー」
幽霊のように、無口に歩くしか許されず、そうしていてもなお、罵声と暴力が襲い来る。ロシーを連れての逃避行は中々に難しく、嫌いだと石を投げられる日々。
俺が何をした!幼いロシーが何をしたと言うんだえ!?
「ーーー」
残念な事に、俺達は人間と天竜人のどちらにも所属する事を許されず、どちらからも迫害され、産まれたのが
「ーーー」
誰も彼もに否定され、救いなんてどこにも無くて、力を持たない自分を呪う日々。俺は、存在する事さえ罪だとでも言いたいのだろうか。
「ーーー」
痛みと呪いは呪縛となるから、立ち入り禁止だと叫んだ所で何の意味もない。どこまでも、何もできやしない己が存在するだけ。
「ーーー」
優しさを突き撥ねちまう俺に、消えない愛を縫い付けた女。痛い、苦しい……淋しい、心が……ナミと言う優しさで麻痺していた心臓が役割を取り戻しちまった。
……どうして、思い出させた。どうして、消えるなら俺達に甘さだけを植え付けたんだ!?
恨んでも、憎んでも、それでも与えたられた愛を手放せない。だからこそ、壊したくて、守りたくて、心が悲鳴をあげている。
「ーーー」
故に、立ち入り禁止する。それができないなら、俺のものになれよ、ナミ。
傍に居ることを拒むなら、間違って……殺しちまいそうだ。だから、拒むなら全力で逃げてくれよ。
「ーーー」
喪いたくなくて、遠ざけた事で全て消え失せた。無口に歩き、生きている意味を見失う。
俺は誰かに愛された記憶を失い、その喪失感から虚空を埋める為に天夜叉となる。そして、新たな孤独を埋める相手としてファミリーを作り上げたが……それの、何が悪いってんだ?
「ーーー」
だから、空虚な心は閉じた。気に入らないなら近付かなければ良かっただろうに、近付いた敵は……全て、破壊する。
やられて嫌な事はしないのが〝人間〟の大前提ならば、やられたいのだろう?返してやるよ、俺達がされた絶望。
「ーーー」
俺はそうして、怒りと憎しみに、何よりも憎悪に震えて歩く。罵声と暴力、逃げた所で石を投げられるなら、投げるその存在を破壊して何が悪い?
同じでは足りないだろう。そうされる事を望む奴らに与えるのだから、必ず……俺達が受けた苦しみの数倍は返してやらねェとな。
「ーーー」
嘆く両親と弟のすすり泣き。産まれた意味を
だが……脳裏にチラつく影は誰なんだ。砂糖とは違う甘さの、けれども誰よりも甘ったるい、残酷な影。
「ーーー」
思い返す程、愛された事は無い。……本当に?
寄り添って良いと思える程に、心を許せない。……前に、寄り添っていた存在が居なかったか?
分かり合える程、言葉を話せない。……そう、話していた相手の存在が消えたから。
今日もまた、全てを諦めた心が邪魔をする。……壊れていく、俺の全て。
「ーーー」
どんな想いの伝え方も俺は知らない。近寄るなと武器を振りかざした時、その扱い方を何故知っているのかと疑問が過ぎった。
「ーーー」
全てを思い出した後、必死で伝えたこの愛は……ナミの心に届いているだろうか。ただ、俺はあの頃のままの心を抱えているかも知れねェな。
「ーーー」
その甘さを立ち入り禁止にできないのならば、どこまでも無力なこの俺にひとつだけくれないか。ただ、ひとことだけでいい。
「ーーー」
生きていいのだと、教えてくれ。それができるのは、ナミだけなんだ。
生きる術を、知恵を、教養を、力を、与えたのはお前だろう。大好きだと、愛してると言ったそれは、偽りでは無いだろう?
「ーーー」
教えてくれ、何一つ手元に残せないまま全てを捨て去ったこの俺に。生を受け、虐げられ、なのに〝生きたい〟と願い足掻くのは何故なのか。
「ーーー」
痛い、辛い、淋しい。心が、ナミの優しい声に期待して全てを取り戻してしまう。
届かない光なら、帰らない温もりなら、知らなければ良かった。そう思うのに、やはり1度得たそれを……失うのはつらすぎる。
「ーーー」
だからどうか、俺を愛せないと言うならば……。俺の心への、立ち入りを禁止する。
歌い終えた時、その声を聞いていた人間は自分だけだと思っていたのに、近過ぎて聞いてしまったらしいおつるさんに気付く。痛々しそうにその眉間に皺を寄せて、俺を揺れる瞳で見詰めるその様は、ナミが年老いた時こうなるのではないかと思わされるもの。
助けようとしているのだと、その手段を考えているのだと伝えてくる眼差し。だが、大切な同期殿は……俺の息がかかったヤツらにより、絶望し未来を狭めたのだから、恨んでいるんだろ。
そう問い掛けようとして、声を出せなくなる。それは、甘過ぎる蜜柑の香りが、感じられたような気がしたからだろう。
「……なんで、海兵じゃねェんだろうな」
海賊という職業が、これ程似合わない女もそうは居ないだろう。そんな事を思い、呟いたそれさえ聞こえちまってたみたいでおつるさんに変な顔される。
「私は昔から海兵だよ」
「おつるさんの事じゃねェよ。……俺が愛してる、この世で最も美しく優しく、誰よりも残酷な、賢いくせに馬鹿な女の事だ」
「……宝玉、だね」
確信を持って問い掛けるおつるに、けれどもドフラミンゴは答えない。それが何よりの答えになる事を互いに知っていながら、言葉を音にする事が出来ないでいる。
その状態から、ドフラミンゴは話題を変える為に別な言葉を口にする。鎖により縛り上げられていなくとも、怪我もあり動ける筈もないと言うのに。
寧ろ動けるならば、この程度の鎖に何の意味があるというのか。海軍には、海楼石が足りないのだろうかとドフラミンゴは内心で嗤う。
「フッフッフッフ!藤虎だ。あいつは馬鹿だぜ、おつるさん。最後のチャンスだったんだ……!!〝もし〟俺に加勢して
「情けない話をするんじゃないよ。〝もしもあの時〟なんて酔狂な世界は存在しない」
つるの言葉にドフラミンゴは薄く笑みを浮かべる。その、有り得ない筈の〝もしも〟を叶えて、俺を助けた馬鹿がナミなのだから。
だが、それを親切に教えてやるつもりなどドフラミンゴには無く、おつるの言葉を遮る気もない。どうしたってナミと似ている存在に、ドフラミンゴは本気で傷付ける事はできないのだから。
「この結果だけが〝現実〟さ。お前は負けたんだ」
ドフラミンゴはその言葉に笑い、おつるは表情を変えずにドフラミンゴを見詰める。見張りの為にいるおつるは、ドフラミンゴが〝いいこ〟である事を知っていても、この場で逃がしてやるつもりは無いのだ。
ドフラミンゴとて、本当は分かっている。勝てなかったのは己の慢心と、己が麦藁を殺したと知った時に嫌われる事を恐れたが故であると。
「まったく、あんたにゃ適わねェ……!!」
そう言って笑うドフラミンゴに、おつるは細く溜息とも吐息ともつかないものを吐き出す。ただ、家族という存在に憧れる迷子がそのまま大きくなった事を、おつるには嫌という程分かっているから。
確かに、ドフラミンゴがこれ迄にやったのは明なる非道。ドフラミンゴの為に、おつるの同期であったゼファーは海軍を辞めた。
その他にも多くの人達が傷付けられ、苦しめられた。だがそれは、逆を言えばドフラミンゴの事をそこまで傷付けたのもまたこの世界であり、自分達海軍である事も分かっている。
……普通に考えれば、ドフラミンゴ達を解き放った島が最悪だった。あれは、なるべくしてなった事。
だからこそ、長すぎる反抗期におつるは仕方ない……と思うしかない。過去の真実を知り過ぎているおつるには、ドフラミンゴを責める事などできはしないのだ。
おつるはそれでも、聞いてみたかった。ドフラミンゴが幼少期から探していた筈の優しい女であり、ベガパンク夫婦が親友だと語る女が、歳若い宝玉と同一人物である謎について。
だがそれについて、彼等が語る筈も無い事もまた、よく分かっていた。だから、おつるはドフラミンゴに問い掛けらられた爆弾のような言葉に息を飲み、そのまま無言を貫いたのだった。