目が覚めると珈琲の匂いが漂って来た。その元を辿るように視線を動かすけど、身体はギシギシいっていて上手く動けない。
そんな私の様子から、目覚めた事に気づいたらしい男が当然のように歩み寄って来る。唯一の救いは、こやつが裸族ではない所だろうか。
考えてみれば、私の周りって裸族率高くない?
「声はでるか?」
「……に、くぃ……」
「そうか、とりあえず荷物を持って来るから、必要な対処は自分でやれ。……渇きを与えてあるから、不快感は無いだろ」
そんな使い方できるんだ、その能力……とか、本気で思う。乾燥する冬なら困るけど、それ以外の季節ならどんな気候でも過ごしやすいだろうなぁ。
羨ましいと思う反面、悪魔の実の能力は、その人の心を映してるんじゃ無いかなと思わされる。ルフィは、大切な人を誰も取りこぼさないように、どこまでも腕を伸ばせるように。
クロコダイルは、寂しさを、飢えを、渇きを満たそうと人から潤いを奪うのかも。ドフィだって、孤独を拒んで、傍に縛り付ける能力だわ。
ロシーは、悲しい現実を見たり聞いたりしたくないと願ってしまうくらいには、優しくて、だからこそ弱い。ロビンは自らの分身を作り、隠れていられるように……その人の心の傷をサポートする能力なのかもしれないわね。
そんな事よりも、私確かに〝憎い〟って言ったのに無視ですか。そうか……ああ〝声が出しにくい〟と解釈されたのかも。
「……これの中に色々あったのは見たが、どれが使えるのかはわからねェ」
そう言って気遣うような眼差しと共に、グラスを差し出された。それを口にして、渇いてた事を自覚しながらもその言葉に答える。
「水、ありがとう。……薬は身近な物しか分からないものよ。風邪をよくひく人は、風邪薬ならどれを飲めば良いのか自分の症状から判断できるけれど、骨折した時の鎮痛剤を選ぶ知識が足りないのと同じ事」
「なるほど」
鞄を差出したと思ったら、クロコダイルは気に入っているのか、ソファへと腰を降ろして目の前の壁を見詰める。そして、聞き取れたのが奇跡とも言えるような小声で言葉を発した。
「窓もねェとか、監獄を思い出すな」
そうだった、この人捕まってたんだったわ。それも確か最初はインペルダウンじゃない監獄に居たのに、脱獄しようとして牢を破壊したからってインペルダウンへと輸送されたと記録されてる。
だからって、それまではインペルダウンですらない所に入れていた人を突然、名目上では最下層って事になってる所に押し込める必要は無かったと思うのよね。まぁ、寧ろあの階の方が住みやすいのかも知れないけど。
暑さに強いし、寒さにも特に何かを感じる要素は無さそう。まぁ、監獄を思い出すとか言ってるけど、確実にこの部屋の方が清潔感もあってお気に入りらしいソファもあるんだから、快適だと思うけどね。
でも、そうなるとドフィが心配だわ。知識が無いから分からないけど、悪魔の実の能力を使えなくされて、鎖に繋がれて……トラウマは発動したりしないかしら。
そう考えたら、脳裏に浮かんだのは小さなドフィ。俺も連れて行くえ!!と中途半端に天竜人言葉が残ってた頃のドフィが鎖で縛り上げられてしまえば、泣きそうにもなる。
「……ドフィ……」
「んあ?……今、桃色の阿呆鳥を呼んだか?」
「…………その言い方やめてくれる?うちの弟は、賢くて優しいいい子なのよ!!」
「……やつの方が歳上だろうが。そもそも、確かに賢いだろうが奴の賢いの言葉の前には狡がつくだろうし、優しいいい子が海賊を長年できる筈もねェ。更には二つ名で〝悪のカリスマ〟なんぞつくかよ」
鼻で笑うクロコダイルに、ついムキになってしまう。ドフィは可愛くて良い子だもん!
「ロビンは何にも悪い事してないのに〝悪魔の子〟って呼ばれてるじゃない!ルフィだって優しい良い子だし、ドフィは家族想いで優しいいい子なの!ちょっと素直になれない所はあるけど、にぱって笑った時なんて天使みたいだったんだから!!」
「待てお前、アレが天使とか頭おかしいだろ」
「ドフィは天夜叉だもの!天使で何が可笑しいのよ!!」
既に論点がおかしいが、そこはもう突っ込みも入らず、クロコダイルが深々と溜息を落とす事で落ち着いた。どうやらこの不毛な会話は、ここまでで終了らしい。
代わりと言わんばかりに、ドレスを投げ寄越されて私はそれを無意識で受け取る。白のドレスは、ある意味でウエディングドレスと言われたら納得できそうな程の代物。
ただ、ダンスドレスだから花嫁感は少ないけど。それでも、細やかな刺繍などの彩飾が施されていて、恐らく動きに合わせて違う顔を見せるような事になるだろう。
「これから人が来る。それでも着とけ」
「人って?」
「化け猫だ。天竜人関連にしか手に入らない物が欲しいんだろ。繋ぎはしてやる」
その言葉に驚いてクロコダイルを凝視したけど、それ以上の情報はくれる気が無いらしい。その代わりに、嘲るように笑って、挑発して来たけど。
「ピンクの極楽鳥が鳥かごに押し込まれた事で、不便になったみたいだな?宝玉お姉ちゃん?」
「確かに、ドフィに言えばなんでも揃えてくれたとは思うけど……。でも、私は今回の薬に関してはドフィを頼らなかったと思うわ」
今回薬が必要な理由はロシーで、それを求めているのがローちゃんで、その原因がドフィなんだもの……。頼れる筈も無い。
私は、結局選べないのだ。ドフィも、ロシーも、ローちゃんも、今は仲違いしてるけど……元々は仲のいい私の大切な弟達だもの。
……いつも、私は選べないのよね。ルフィを誰よりも愛しく思うのに、シャンクスの事も愛してる。
大切な兄であるベックも、師匠であるレイリーも、私には大切な人。ミホークだって、シキだって、何度も私を助けてくれて……マルコはエースだけでなく私にとっても兄に近い。
この中の誰かと誰かが争った時、私は誰の事も選べない気がするの。……卑怯よね、本当に。
そう思ったら、突然脳内に曲が流れ始める。それを咄嗟に取り出したペンでメモし始めたら、左腕に装着した金色の大きなフック型の義手……私は鉤爪と呼んでる物で頭を強打された。
「……っ……!!」
「まず先に薬を飲め。……俺の子を宿したいなら、歓迎してやるが?」
「飲ませて頂きます!」
慌てて薬を飲むけど、頭、こぶとかできてないでしょうね。本当に痛かったんだから。
そもそもクロコダイルの鉤爪は危険である。鞘となっているフック部分の下に猛毒が塗られた一回り小さな鉤爪が仕込まれており、更には付け根の球体部分にもナイフが内装されているなど中々多機能な代物。
その上その容姿も、海賊と言われても素直に納得したくないような感じがする。それは、高級感溢れるフォーマルウェアの上に分厚い毛皮のロングコートを羽織り、右手には大きな宝石のあしらわれた指輪を複数はめているなど、その出で立ちは海賊というよりマフィアのボスを彷彿とさせるからだろう。
艷やかな黒髪のオールバックに、顔面を横断するように走る傷跡が特徴の壮年男性である所は、海賊らしいと言えなくも無いし、その鉤爪形の義手は永遠の少年と戦い殺された海賊を連想させる。因みにだが、地球の大航海時代においてはこの義手をつけている人は多かった。
壊血病や怪我が元になった感染症等が理由で片腕を無くす人は多く、現代のような手の形をした義手は存在しなかったのが理由にある。手の形の義手があったとしても、指を自由に動かす事はできないのだから、鉤爪形の方が利便性が高かったのが大きな理由だろう。
その鉤爪の下に剣を仕込んでるケースも本当に多くあった事から、クロコダイルの義手はそれを元にしたのではないかと推察している。勿論、私の勝手な考えではあるけど。
クロコダイルは、ハの字型の下がり眉に垂れ目と、一見人の良さそうな目元をしている。だが、相手を威圧する際の鋭い眼光は、途轍もない恐怖心を一般人には抱かれる事だろう。
「それで、俺を恨めしそうに睨んでるが……礼はねェのか?」
「仲介に関しては、私の身体で支払ったでしょう」
寧ろ押し売りに近い。暴利を貪られたと言っても過言ではない筈よ。
支払い方法はコンビニ払いか、代引きか、はたまたクレジットカードかを選べる時代を生きてきた私には、納得致し兼ねる結果。支払う物も金額も交渉くらいさせて貰いたい所よね。
なのにも関わらずクロコダイルは鼻で笑う。小馬鹿にしたような笑い方が、本当に良く似合う男である。
「はっ……!俺が、満足させてやったと思ってたんだが、違ったか?」
「私は、望んでないもの。勝手に奪い取るような形で楽しんでおきながら、その言い分は随分と……男として、情けないんじゃない?」
互いにそこからは無言で、表面的には笑みを浮かべての睨み合い。けれども、それを唐突に辞めたのはクロコダイルの方だった。
私が殴られた時に落としたメモ帳を手にして、訝しげな顔でそれを眺める。その気持ちは分からなくもないけど。
メモ帳には、皆に伝えないといけない事は勿論、思い出した小説や童話の題名、歌の歌詞の一部が書かれていてこの時点で意味が分からない筈。そこにプラスして、航海日誌に書いておくべきと思われる事をチマチマとメモ書きで綴ってるし、天候や気圧、海流についても書いてたりする。
そうなると統一感のないコレを見てなるほど!と頷く事ができる人なんている筈も無い。でも、そんな顔されても私の物を勝手に見てるのが悪いのよ。
「これ、盗まれるなよ」
「なんで?」
予想外の言葉に目を丸くしてしまう。突然なんだと言うのか。
そもそも落書きみたいなこんな物を、盗むバカがいるとは思えない。それに盗むとしたら、私以上の腕前が無いと無理よ。
「宝玉の覚書なんぞ、いくらの値がつくかわかったもんじゃねェぞ。下手すれば戦争になる」
「え、嘘でしょ」
「未発表は勿論、発表された作品のネタも書かれてるからな。その他にお前の一味がどんな事をやり取りしてたのか……つまり、宝玉の日常を垣間見る事ができるとなれば……ファンにはヨダレもんだろ」
その言葉で巫女様の反応を思い出す。これが尾田っちの覚え書きなら……うわぁぁぁ……。
殴り飛ばしてでも強奪しようとするとか、有り得るかも。持ってるのが戦いとは無縁そうな女だもの、無いとは言えないわ。
「うん、気を付けるわ」
全力で頷けば、クロコダイルが小さく笑った。そんな顔できたのかと驚いて見れば、即座にいつもの無愛想なそれに戻ってしまったけど。
それからメモ帳の一部を示して問い掛けてきた。襲われたし、答えてあげる義理はないけど他意の無さそうなそれには絆されてしまう。
「これを、歌う予定か?」
「ううん。コンサートで歌うには向かないから、歌うのは別な曲。これは、さっき突然思いだ……思い付いたから、書き留めてたのよ」
「宝玉先生の仕事を、邪魔しちまったか」
嫌味なのか職業病なのか、その判断の難しい言い方で問い掛けてくる。それが何だか少し落ち込んでるようにも見えて、なんと言えば良いのか分からなくなってしまう。
もしや、この男……私の出してる作品のファンかな。偉大な人達の作品目白押しだから、分からなくはないけど。
そう思ったらなんか、虐めるのも良くない気がしてそっと笑みを浮かべていた。次の作品を待っていてくれると言うなら、安心させてあげたいし。
「ううん。ここまで書けてれば、譜面に直すのはそこまで大変でも無いから大丈夫よ」
「なら、完成を待つから聞かせてくれと言ったら……聞かせてくれるのか」
あまりにも予想外なその言葉に、けれどもこの曲はルフィに聞かせられないしと思えば、頷いてしまった。この曲をルフィが聞いたら、きっと不安に思ってしまう。
私は、ルフィを傷付けたくない。……と、言いながら、私が傷つきたく無いだけかもしれないけど。
そんな事を思いながら、男性が歌ってたのと、女性が歌ってたのと、どっちが良いのだろうかと考えてしまう。歌詞も音程もリズムも同じだけど……雰囲気が変わってくる。
とりあえずは、譜面に起こす所からよねと机に向かう。そこで身支度を整えて、腰から鉄笛を取り出す。
これがあれば、描きあげるのに時間はそれ程かからないだろう。問題は、この曲に需要があるとは思えないところ。
地球ではそれなりに人気もあったけど、この世界の人達はきっとこんな事で迷わない。迷ってたら生きられないような、そんな世界だもの。
そんな事を思いながら、私は音を確認しつつ譜面にして行く。それをクロコダイルは邪魔するでも急かすでもなく眺めているけど、その視線さえ途中から忘れて没頭してしまう。
そうして私の記憶にある曲を描きあげて、念の為に笛で演奏して確認し終えた時に気が付く。笛だと歌か演奏しかできないと。
……他の楽器用の旋律も書き足したいし、その間にどうにかして貰えないか聞いてみようかな。聞きたいって言ったクロコダイルは、見た目からしてもお金持ちだし。
「クロコダイル」
「なんだ」
「笛で演奏してると歌えないから、何か楽器用意してくれない?その間に、他の楽器用の所も描いとくから」
「……ピアノで良いか?」
「うん。助かるわ」
私が素直に頷くとクロコダイルもまた頷いてくれて、私の意識が譜面に向く頃にはクロコダイルが何処かに電話をかけているのが確認できたけど、それを聞いてる余裕はない。そう言えばこの電伝虫って、自動的にスピーカー設定なのよね。
そう思うと、スピーカー機能しか無い上に盗聴するのが容易い携帯って事になるから、個人情報の取り扱いって本当に難しいわ。私はそんな中で、ベックの事さえ騙してる形になるのよね。
私が転生して成り代わっていると言う事実は、巫女様達以外には知り得ない話となってる。私は幼い頃から、夢で見るとか言ってきたから。
それに、光源体から原作の知識を奪われる前は、思い出す時頭痛がしてたからそれの目撃者も多いので、それが正直助かったとも言えるわね。そう考えたら、あの光源体は私を守ってくれてたのかも知れない。
……感謝はしないけど。寧ろ次会ったら、全力で攻撃すると誓ってるのよ。
「ふふふ……」
「突然笑うな。地味に怖ェ」
「その顔よりは怖くな……え?」
思わず言い返した時、目の前に立っていたピアノを担いでる人物に息を飲む。だって、そんな、馬鹿な事があると誰が思うのよ。
全身がゾクリと震えた。頸椎に噛み付かれた記憶は、身体が鮮明に覚えてるから。
でも、同時にクロコダイルの言っていた相手なのだと即座に判断出来る。だって、確かに彼ならば何でも手に入れられると分かるもの。
CP9は事実上壊滅したと言えるけど、それでも彼程の実力者を居ないものには出来ないだろう。ならば、過去の経験から権力を手にしていると考えるべき。
「ロブ・ルッチ……久しぶり、ね」
「親しく歓談するような間柄では無かったと記憶してるが……違ったか」
蔑むような視線で、小馬鹿にしたような声で、嫌味ったらしく笑みを浮かべられた。それに軽くイラッとするけど、状況が分からない以上は何も言えない。
ただ、相変わらず肩にいるハットリは可愛い。ルッチの衣装変化に合わせて、ハットリの衣装も変わってるのがまた良い。
本当に、ハットリだけ置いて行ってくれないかな。ハットリを久々に撫でたいわ。
「そこに置け。そうすりゃ、生演奏つきの歌声が聞けるぞ。……可能ならと呟いた時点で、望んでたんだろ」
「対価がこの楽器運びだけなら、対等以上の報酬だろうが……何が望みだ」
「〝宝玉〟が、欲しい物を用意してやれ。その代わりに、新曲を演奏して貰える。まだ未発表であり、誰も聞いた事のない歌だ。……悪くない取引だろう」
クロコダイルの言葉に分かりやすく溜息を落としてから、そっとピアノを下ろした。こんな時、皆力持だなぁと本気で思ってしまう。
そんな呑気な事を考えていたのも、現実逃避の一環なのかも知れないけど。とりあえず、弾き語りライブをする事が決定事項となったのだけは、間違いようのない現実。