間違いなく、ドアは粉砕された筈なのに、その残骸が私に降る事は無かった。狙ったかのように全てシャンクスに当たり、それを平然と成した人物が不愉快そうに歩み寄る。
そして、有無を言わさずに私をシャンクスから引き抜くと自らの着ていた物を脱いで、私を包む。そのまま抱き上げて浴室を後にするけど、背後からシャンクスの手が伸びる。
それを軽く蹴り飛ばして、これ迄に聞いた覚えもない程に低い声で、威圧した。それは恐らく、彼が現役時代に出していた声なのだろう。
「この子は、返してもらう。……ここまで子供だとは思ってもみなかった。残念だよ、シャンクス」
「レイリーさん!巫山戯「巫山戯ているのは、君だ。……ナミを殺すつもりかね」」
なんで、ここにいるのとか、どうして助けてくれたのとか、聞きたい事は沢山あるのに……何も、言葉には出来なくて。ただ、涙が頬を伝って流れ落ちていくのを感じていた。
そんな私を労わるように見詰めると、私へと手を伸ばすシャンクスの手を軽く蹴り上げてそのまま肩に踵を落とす。そうしてシャンクスが膝をついた隙に、その場を後にしてしまった。
それからどう移動したのか、私にはよく分からない。真綿で包むように優しく私を介抱してくれたのはわかったけど、声を出すのも今は辛くて……。
ベッドに寝かされたのはわかったけど、意識を保つので精一杯。私は、甘えてばかりだわ。
自分を責めていたら、私に向けてでは無い言葉が聞こえて来た。誰に、話してるんだろう。
「これで良かったのかな?」
「……船長への裏切りじゃないかと言う意味なら、構わないですよ。貴方が居てくれて、良かった」
「負けてた分を肩代わりしてくれたのだから、このくらい当然だろう」
その会話に驚いて視線を向ければ、優しく笑うベックがいて……読めてきた。ベックが、レイリーを私の為に呼んだんだ。
ベックから見たら、シャンクスは大切な船長だろうに、どうして……。どうして、私なんかの為に、そんな事してくれたの?
「ベック……ど、して……?」
「俺はもう、後悔するつもりは無い。……少し手遅れ感もあるが、無事で良かった」
「ベック……ベック……!」
「お頭の事は心配いらない。あの人は、嫉妬で狂ってただけだ」
ベックに手を伸ばせば、当然のように手を握り返してくれる。優しく頭を撫でて、幼い子供を甘やかすようにベックは私を甘やかしてくれるけど……。
シャンクスが、嫉妬で狂ってたってどういう事?
聞いてもいいのかと迷って視線をさ迷わせれば、ベックは私の額にキスを落としてゆっくりと話してくれた。私と再会する前に、何があったのかを。
「このカジノは基本的には招待制だ。勿論、ある程度名が通ってるなら無くても大丈夫だが、他は招待状を奪ってここに来る事になる。このカジノが移動してるから……と言うのが大きな理由だ」
それは周知の事実だから分かってる。なのでそれには素直に頷く。
すると、私のビブルカードを取り出してベックは苦笑した。つまり、招待状じゃなくて私を追ってきたって事になるのかな?
でも、考えてみれば当然なのかもしれない。慌ただしく別れた私を、それも抜け出すような形で消えた私を、シャンクスが探さない訳も無いのだから。
それは彼等が逃がしたとバレる訳にもいかないのも理解できる。そうなれば、必然的にシャンクスを抑えるのは難しかった事だろう。
「シャンクスが、怒って、探したの?」
「お頭がナミに逃げられた事で、嘆いて、反省して、謝りたいと言うから追い掛けたが……到着した時に案内された部屋で見せられたのが英雄殿との行為だろ?お頭切れちまってな……」
「ごめんなさい」
思わず謝れば、ベックが優しく微笑んでくれた。視線を合わせて、宥めるように言葉を紡ぐ。
「ナミは、悪くねェ。ただ、どうせまた仲間達を守る為とかだろうと分かるからこそ、俺達の傍にいればそんな目にはあわせないのに……と、こちらに引き取ろうとの事になっただけだ。なのに、お頭を抑えられなくて、悪かった」
「そんな事な「お頭が、ナミにそこまですると思ってなかった俺達のミスだ。だから、今は休め」」
そう言ってベックは私の頭を優しく撫でる。その手を掴んで頬に押し当てながら、ありがとう……と呟いたらベックが何かを口にした。
何だろうと思った直後、重なる唇。喉の奥に押し込まれる錠剤に吐き出そうとするけど、唇を離して貰えずにそのまま嚥下させられてしまう。
私がそれを飲み込んだのを確認して、ゆっくりと離れた唇が再び重ねられると、今度は水を流し込まれて……。多分、治療の意味があるのだろうけど……と、少し恨めしく思ってしまうのは当然。
水を与えてくれた後の唇が離れた時、文句を言おうとした私の唇に、今度は薬も水もないベックのそれが重なる。苦しくない程度に、でも少し荒々しいキスはベックが色々抱えているからなんだろうなと思う。
静かに離れた唇が、笑みの形を作るのを見て、怒れなくなってしまった。文句も言わせてくれないなんて、狡いと思うのよ。
「これで、宿る事は無い。少し休めば、回復する筈だ。……いい子に寝てろよ」
「ベック……助けてくれて、ありがとう」
「残念ながらナミを助けたのは、俺じゃないけどな」
そう言ってまた額にキスを残して去って行くベックは、シャンクスの事を対応するのだろう。殴るのか、宥めるのか、その様子によって変わるのだろうけど……。
そう思ってその背に笑いかけていたら、深い溜息の音が聞こえて慌てて顔をそちらに向けた。怒ってる様子はないけど、実際に助けてくれたのはレイリーなのにと思えば今更ながら冷や汗が出る。
「ご、めんなさい」
「ナミ」
「助けて下さって、ありがとうございました」
名を呼ばれた時に走った緊張。それを受け入れつつ、日本人ならではと言いたくなる程に綺麗な角度で頭を下げる。
それを受けてか、レイリーは少しの沈黙。その後でこれみよがしな溜息を落とした。
「……貸しだよ、これは」
「返せません」
この私が、どうやってレイリーに貸しを返せばいいと言うのか。そう思って見上げれば、そっと瞼に手を置かれて強制的に伏せさせられる。
そのまま少し寝なさいと言われてしまえば、身体がそれに従い落ちていく。落ちて行く意識を感じながらも思考は働き続けて、皆と早く会いたいと……そんな事を強く願っていた。
目が覚めた時には日が傾いていて、どれだけ眠っていたのかと焦って飛び起きる。けれども身体はまだ休息を求めていたのか、腰に鈍痛が走ってそのままベッドに戻ってしまえば笑い声が聞こえて来た。
「おそよう、ナミ」
「レイリー……居てくれたんですか」
「ベックマン君にナミを頼まれたからね。……林檎でも食べるかい?」
「ありがとうござ「ほら、ちゃんと食べて回復しなさい」」
言葉が終わる前に口の中に押し込まれた林檎を咀嚼すると、レイリーは自分の分は剥く事さえなく丸齧りを始めた。まぁ、この世界でさえ無ければ寧ろそれが正しいのだけど。
大航海時代は、水を船に乗せる事は不可能だったので、衛生面での問題もあり、腰にあるヒラヒラしてるやつ……と言えば想像がつきやすいと思うけど、アレで林檎等の皮を拭いて丸かじりしてしまう方が、下手に切ったりするよりも衛生的だったのだ。火を使った料理をするならまだしも、そのまま食べるのであれば不浄な手や刃物を用いての料理よりは、丸齧りが安全と言う現代人ならあっと言う間にお陀仏してしまう世界観だった。
この世界では水は当然のように使えるので、普通に衛生的な生活ができるのだが、やはり男性達には皮を剥いたりするのは面倒なのだろう。……でも、なら、なんで私のは剥いてくれたのかな。
「……もう少し食べなさい」
その言葉に頷くと、指先で摘んだ林檎の一切れを私に差し出して来る。それを咀嚼しながら部屋の様子を見れば、それなりに上質な、けれども普通レベルのホテルだと気付く。
いくら負けてたのを助けられたのかは分からないけど、とりあえず良かったわ。レイリーは賭事に弱いのに、すぐに手を出すのが唯一の悪癖だと思うのよね。
「運もあって、実力もあって、洞察力もあるのに……どうして負けるのかしら?」
「……戦いとは違い、気を抜いて遊んでしまうからだろうな。稼ごうという気概がないのだよ」
声に出していたらしい私の疑問に答えてくれるから、少しだけ恥ずかしくなる。そうして他愛ない会話を繰り返しながら林檎を食べきる頃には、私としては満足したのだけどレイリーは不満そう。
そして、妙な事を言い出した。それはもう、本当に妙な事を。
「何故ナミには問題が起きないのかな?」
「ふぇ?」
「私が同じようにされた時は、滾って仕方なかったんだがね。……効果は変わらない筈だが、ナミは平然としてるな」
何言ってんの。この人。
え、てか、私に何したの。信じちゃいけない人だったのかな?
「…………何を、したんです?」
「ははは!」
そうしてレイリーは、軽く笑いながらとんでもない事を語る。レイリーは、一服盛られた所で女を相手にして、本来なら女はレイリーの物を色々持って逃げようとしていたらしいところを、腰砕けにしたら法外な金額請求という形で対応変更されてしまったと。
その時の手段が、ナイフの柄に媚薬を入れておき、何かを切るとそれが切った物に付着するようになっていると言う簡単なもの。切らないで食べられる物なら、問題がないという安全確保もできるシロモノらしい。
まぁ、私、媚薬殆ど効かないからそういう意味では良いけど。身体に負担はかかるからやめて欲しい。
「……私、毒とか媚薬とか、そう言うの使われ過ぎてあまり効果がないの」
「残念だよ。乱れたナミを弄ぼうかと思ったのにね」
「サイテー……」
そう言って葡萄に手を伸ばしてそれを食べ始めれば、レイリーは可笑しそうに笑った。それにしても、レイリーが媚薬で滾ってた所で相手にしたのなら……相当なものだっただろうに。
私の身体でさえシャンクスに簡単に壊されかけたのだから、レイリーのそれなど考えたくもない。それも海賊でもない民間人がやったのなら、今生きているのかさえ未知数だと思わされてしまう。
私はこれでも武器を扱って戦うし、海で生きている以上その辺のお嬢さんの数倍体力もある筈。なのに、こうなっているのを考えたら……ただの美人局にこの人を受け入れられるとは思えない。
念の為殺してないかを聞こうとした時、心臓が妙な音をたてた。何が起きているのかと考えるより先に、視界が反転して背中がベッドに押し付けられてしまっている。
目の前に見えるレイリーが、可笑しそうに笑いながら私の肩を掴んでいるのがどうにも現実感を奪ってる気がしてならない。あの、葡萄……刃を入れてないのに、どうして……?
「林檎を切り終えてから、柄の中にあった原液を他の果物にかけておいたのだよ。まさか、皮ごと食べられる葡萄を選んでくれるとは……僥倖だ」
「な、んで……」
レイリーなら、こんな事しなくても私を言いくるめるのも何でも簡単にできる筈なのに、どうしてこんな事を選択したの?
そう思って見つめるけど、それ以前に……!これ、上級じゃなくて……粗悪品じゃない!?
「くるし……っ……!」
「すまないが、私のが抜けてないから前座に時間をかけられそうもなくてついな」
困ったように笑うレイリーを見て、でも、それなら私が寝てる間にどうとでもできたでしょうと思う。なのに、それを言葉にする余裕もない。
この媚薬特有の暑さは耐えられるけど、心臓の動きが激し過ぎるのはつらい。ジワジワと全身が汗ばみ、それが流れれば敏感になった肌が反応する。
それも、警戒心を解いた相手が目の前にいるから、強がるのも難しくて……。助けて欲しくて……いない筈の人に救いを求めてしまう。
「ルフィ……」
その刹那、私を包んでいた掛布が取り払われて、寝ている間に身体を清められていたのか、何も着てなかった為に生まれたままの姿を晒す事となった。泣き叫んでも結果は変わらないなら、せめて……声だけは出すまいと誓って、考えの読めないレイリーを見詰める。
先程の言葉には矛盾があるから、何か理由があるのだろう。そう思った瞬間、レイリーが困ったような顔をした。
「……そう、信頼されてしまうとこそばゆいな。……ナミ、この状態で全力で抵抗してみなさい」
「へ?」
「武器無しで、どう抵抗するか。私が相手だからね、怪我をさせる事は有り得ない。安心して全力で抵抗してみなさい」
安心して全力で抵抗って何。と言うか、本当に何が目的なの。
駄目、思考が定まらないわ。キッつい。
「……なんで?」
「抵抗しないなら、私が全力でお相手するが……壊れても本望だね?」
「やだっ!!レイリーなんか、もう、知らないっ!!」
「…………シャンクスばかり、責められんぞコレは」
全力で拒絶する言葉を選んだ筈なのに、レイリーは呆れを隠さない。そして、私の足を掴もうとするから、膝を内側に折ってその反動を利用して首を狙う。
掴まれそうだった足はそれにより掴まれる事はなくて、上手くいけば意識を奪える。目の横、コメカミの辺りを蹴れば目眩を誘発できるのでイザと言う時は案外使えるのだけど、私は首を狙う。
高い位置を狙うと、手で掴みやすいと言う難点があるから。単なるサカってるオスなら、棒……傘でも杖でも振り回して狙えば撃退できるけど、相手がレイリーではそんなのは役に立たない。
でも、首に入った筈の足をそのまま頭を傾けて肩を少し上げて挟まれると、それだけで動きを封じられてしまう。携帯を耳の所に挟む感覚でやられたそれなのに、抜く事どころか微動だにしない。
小さくない舌打ちひとつで、その様子を伺えば捕まった足を優しく撫でてながら足首にその指を移動させると強く掴まれてしまう。それにより血管が圧迫されれば、上手く力が入らなくなる。
そんな私の足から首を動かして、唇が足に触れると身体が反応して震えてしまう。その唇の隙間からちらりと出した舌で、そっと舐めるようにしながら顔が太腿へと移動して来た。
フルフルと震えてしまうのは仕方ないとして、近付くのを待っていた私はその鳩尾を空いてる足で蹴り上げる。それには当然覇気を纏っていたけど、それは覇気を纏い返されてしまって双方無傷。
睨み付ける私をレイリーは楽しそうに見詰めて、内腿にそっと吸い付いたかと思うとそのまま跡を遺した。何がしたいのかと思いながらも、今の私には全力で抗う他の選択肢はないのだ。