顔色はブルックが指摘した通り、青ざめるどころか土気色になっている事だろう。熱は恐らく38度前後。
胃痛も酷いから、多分もう放置すれば暫くは固形物は喉を通らないだろうとわかる。世間的に見れば体力の多い身体でも、この海で名を馳せる男達と同じ程度の体力があるかと問われたらそれはNOなのだ。
チョッパーの治療を素直に受ければそれ程問題にはならないかも知れない。でも、簡単に治ってしまったら……これは、繰り返されるんじゃないの?
そう思って考え込んだ私の耳にルフィの怒号が響く。でも、それに衝撃を受ける余裕さえ無く目の前でやり取りが進む。
「俺は!ナミを襲ったゾロを殴ってたんだぞ!?なんで俺まで「殴るより先に、何故チョッパーさんやロビンさんにナミさんを託さなかったのですかっ!」」
甲板には遮る物がない。なのに、響き渡る。
それは、ブルックが音楽家だかなのか。それとも、その心が震えているからなのかな。
「……何故、これ程弱っているナミさんを一人、放置したのですか。一人で、この体調で入浴なんてさせて、一歩間違えたらその生命は喪われていたかも知れないのですよ」
「ナミ、庇うなよ。今回はルフィとゾロが悪い。流石にやり過ぎだし、俺も許せねェよ」
私がブルックの言葉に反応して腕を動かそうとしたら、それを掴んで止めたのはウソップだった。静かな瞳が、私を貫く。
ルフィの言葉を遮って怒りを滲ませるブルックは、その後で静かに問い掛ける。ウソップもまたブルックの言葉に続くようにして、小さな声で言う。
それにより私が黙り腕を下ろせば、ルフィも少し考えるような仕草をした。そんな状態で、ブルックの言葉が続く。
「顔色がこれ程悪くなるまで放置するとは……それでも恋人ですか、ルフィさん……!」
「ごめんなさい」
素直に頭を下げるルフィに対して、ゾロは嫌そうな顔をするだけ。その様子を見ながら、私は己の性格の悪さを自覚する。
ゾロは今、不愉快で顔を歪めてるんじゃない。私が倒れる程に酷くしたつもりが無くて、なんと言って良いのか分からなくなっているのだとわかるのに……今は、その心を傷付けてしまいたくなるの。
私は私の今の肉体が恐ろしい程に、頑丈で健康だと知っている。それでも、毎日休み無く仕事があって、夜も昼も汗みどろになってSEX三昧で過ごし、それが適度な運動になってかえって食欲が増す……なんて、そんな都合のいい事は流石に無い。
確かにブルックの言うように、私は健康的な生活には縁がない。それどころか、自分の生体活動そのものに余り執着が無いのよね。
体力の限界を超えて、殆ど気絶するように睡魔に引きずり込まれてしまうまで、眠気なんて感じたくも無い。悪夢を見るだけの睡魔なんて、何の役に立つと言うのか。
仕事に没頭してしまえば、食べる事さえ忘れてしまえる。気が付くと4~5日ろくに食事も取らず、立ち上がる事さえできなくなった挙句、二年前はアーロンに、空島では巫女様やおじいちゃん達に発見されて点滴を入れられた事も何度もあったのだから。
最近では限界も分かってきたのと、私を攻撃しないと安心出来る仲間達に囲まれて来たから、倒れる事は無くなっていた。でも……その仲間であるゾロとサンジ君の暴挙と、ルフィの行動に、私はこれでも怒っているのよ。
ギルドテゾーロで身体が発していた危険信号を、気の所為と処理した。ゾロやサンジ君の前では、ワザと空元気を出していたのも間違いない。
その実、蓄積した疲労の為、一人になると食事は全て戻したり冷汗を垂らしながら身動きを取れなくなっていた。そうやって計算づくで、極限の状態に自らを追い込んだ。
だから、今の症状も何となく想像がつく。チョッパーには悪い事したけど、二人にはいい加減反省して貰いたいの。
「ここの所、確かに食慾も減ってましたね」
心配そうな顔で、全てをわかってるような様子で問い掛けてくるサンジ君に、少し溜飲が下がるけど……。それだけで許せるなら、船長って何の為に居るのよと思う。
私に手を出すという事は、即ち船長たるルフィへの裏切りも意味してる。普段は心優しい彼等だけど、肉欲に溺れてその事を失念してるとしか思えない。
なら、反省を促して何がおかしいだろう。そう思って、少し低い声で、答えた。
「毎日お腹の中を散々掻き回されて、食べられると思ってるの?」
低く怒りを込めて出した筈の声は、嫌味たっぷりになる筈が、自分でも驚く程に生彩が無かった。でも、それを受けてルフィ、ゾロ、サンジ君の顔が強ばっていく。
人間は意外な程に強い。その反面、案外脆いのだ。
化け物みたいな体力の男には想像できないかも知れないけど、あれこれ注意してなければ、簡単に壊れる人間がいるって事も知っておくべきよ。必死で声を掛けてくる三人に、私は無言で無理だと伝える為に首を横に振る。
「ナミ!何か食えよ!」
「どんな物なら食べられそうなんですか?」
「とりあえず、酒でも呑むか?」
「いま、飲食したら……吐く……」
ルフィ、サンジ君、ゾロの順番で問い掛けられる。チョッパーは無言で私を見ているから、私の体調を確認してるんだとわかった。
そんな時、小首を傾げてルフィが問い掛けてくる。真実を見抜くその瞳で、迷い無く真っ直ぐに見つめながら。
「なら、どうしたらいいんだ?」
「ほっといたら?穴としての私にしか、皆興味無いんでしょ。私、そんなの目的にこの船にいる訳じゃないもの。……それなら、このまま衰弱死する方が良いわ」
何の感慨もなく言ってみる。ルフィが声を失い、ゾロが苦渋に満ちた声を絞り出す。
ほぼ重なった三人の声は、誰が何を言ったのか判別するのも難しい。でも、それが分かるくらいに私達は共に生きて来た。
「……やめろっ……!!」
「ナミさん、俺が悪かった……!」
「ナミ、本気で言ってんのか」
憤りからか、三人の両手が震えている。でも、何に怒ってるの?
ほぼ重なっていたけど、ゾロ、サンジ君、ルフィの順番で向けられたその言葉が、私の頭を冷やして行く。ルフィはそれでもまだ良いのよ、恋人で船長だもの。
でも、他の二人は?怒る権利なんて無い。
私がこうなるまで分からなかった、己の愚かさに怒ってるなら良い。でも、私の発言が理由なら、怒る権利さえ無いわ。
今更殊勝な顔をする位なら、少しは手加減すれば良かったのに。基本的にいつも許すしかしない私だから、傷付けるのを嫌がって耐えるから、欲を満たすのに便利だとでも思ってたんじゃないの?
こうなってしまえば、やはり三人とも子供なのだとわかる。他の船を拠点にしてる男達は〝仲間〟では無いのだから、奪ったり殺したりするのも含めて〝戦利品〟をどう扱おうと当然と言えるけど、この三人は私を〝同等な相手〟として認めている筈なのよね。
なのに、この子達は突進するしかできない。まだ19歳と21歳の子供達。
「ゾロ、サンジ君……こうなる事を、望んでたんでしょ」
弱々しいなりに嘲笑の視線を送ってやる。ここにルフィの名前を入れなかった意味を、三人は即座に理解したらしい。
恋人であり、船長。でも、それ以前に生命をかけるに相応しいと信じてる男だから、その男に殺されるなら……私は構わない。
でもね。こうなる事を想定も、想像もしてなくて、その結果を目の当たりにしたからって怒る権利は無いのよ。
「笑いなさいよ。そこで、息絶えようとしている私を見て、やり切ってやった……!って……!ざまぁみろって……!!」
もう、仲間達は誰一人声さえ出せない。自分のした事が何だったのか、漸くわかったのだろう。
哀れな程狼狽え、視線をさ迷わせる。私も一人で戦った前世があるから、アーロン一味にいた期間があるから、この程度の事ならいつでも言えたのよ。
それでも、傷付けたくなかった。皆に心配かけたり、悲しませたりしたく無かったわ。
でも、いい加減辛い。私は、ルフィ以外に触れられたくないと幾度も伝えて来たのに、聞いてくれなかったのは誰?
ルフィも、私が弱ってるのはわかってた筈だわ。なのに、分かっていて本来よりも激しく暑かったのは自覚してる筈。
その瞬間、三人は揃ってガバッとその場に土下座した。床に額を擦り付けるようにして、シンクロした動きと言葉で、私に許しを乞う。
「「「ごめんなさい!!」」」
「誰でも惹き付けるナミに、苛立って、他の男の影に怯えて、妬いて、無理させた。何も、気遣えなくて、ごめん」
「好きだと言うのを大義名分にして、甘えていました。何をしても許してくれると、傲慢に振る舞いました。申し訳ありません」
「俺を見て欲しいと、男であるとわかって欲しいと、押し付ける事しか、求める事しかして無かった。悪かった……!」
ルフィ、サンジ君、ゾロの言葉に見守る皆が呆れたような視線を向ける。私はチョッパーに支えて貰いながら、唇を動かす。
これを言えば傷付けると分かっていて。私は、醜い。
「良いのよ……。私は、皆にとって、都合の良い……穴だっただけの事よね」
「「「違うっ!!」」」
三人の声が揃う。その瞬間、その口に大量の手が襲い掛かり塞いだと思ったら、冷たい表情のロビンが姿を見せた。
先程ゾロとルフィが降ってきたのは、そうよ、ロビンが落としたんだわ。つまり、ロビンは怒りにその身を燃やしている。
「どの口が〝違う〟なんて言ってるの?……ルフィはナミの恋人よね?でも、体力を考慮しないで、迷惑かけて倒れるまで追い詰めた事に間違いはないわ」
「……おい、フランキー、ロビンをイザとなったら止めろよ」
「スーパー……無理だ」
少し離れたところで、ウソップがフランキーに何か言うけど、秒殺されてる。ロビンにも聞こえてる筈なのに、何も言わない。
怯えてる二人と、表情の読めないブルックが言葉もなく、何故か直立不動で顔色を悪くしてる。ロビンは怒ってても美人なのに……どうしてかしら?
「ゾロ、サンジ、二人はナミが本当に自分から望んだ事があると言いきれるの?……無いわよね。だって、いつも嫌がってたもの。甘くて、大切な人を攻撃できない事は分かってて〝どうせ許して貰える〟と甘えて押し込んだ二人に、ナミの言葉を否定する権利は無いわ!」
その言葉の後、ロビンは三人から視線を外して私を見る。そして、心配してるのだとその眼差しで伝えて来た。
そっと頬に触れて、顔を近付けて、額と額を触れ合わせる。互いに瞳を閉じて、額を触れ合わせて、これで言葉では無い物で気持ちを伝え合えたら良いのに。
そっと額を離れさせると、向けられた真摯な瞳。決意の篭ったその眼差しは、私を心配する切ない表情でもって私の心を解いてしまう。
「ナミ、駄目よ。ナミの怒りと悲しみは当然のものだけど、それでも……自分の身体を使った意趣返しは、間違ってるわ」
「だって……ロビン……」
「ナミ、わかってる筈よ。〝でも〟や〝だって〟は、本当は自分が間違ってるって理解してるって事は。それは、言い訳を口にする為の枕詞よね」
わかってる。でも、だけど、だって……認めたくない。
無理だって、嫌だって言うのに、聞いて貰えない。だから、せめて少しくらい傷ついて欲しかったの。
なのに、この程度で、許してしまうの?
そんな事をしたら、この先、変わらないんじゃないの?
でも、どの道この状態では、もう、これ以上責める言葉も紡げない。だから、不本意ながら休戦協定を出す。
「……っ!……経口補水液、持って来て」
「経口補水液?」
私の言葉に最初に反応したのはゾロで、それを受けてチョッパーが紙をサンジ君に向けて差し出すと同時に言葉を放つ。それを半分無意識で受け取ろうとしたサンジ君のそれよりも早く、ルフィが口を開いた。
「作り方書いたから、用意してくれ。サンジなら分かるだろ」
「いや、俺が行く。ナミに、作り方教えられてるから。……蜜柑、貰うぞ」
「蜜柑?」
チョッパーが不思議そうに首を傾げる。それにルフィは少しだけ寂しそうに瞳を揺らす。
傷付けたのだ……と、それだけで強く認識させられる。ちゃんと、反省してくれてるのだと、その声だけで分かってしまう。
「ナミの飲み慣れた経口補水液は、蜜柑を使うんだ。……俺が、作るぞ」
「うん」
蜜柑で作ってくれるなら、確かに飲みやすい。そして、まずは脱水症状から回復できる予定だわ。
固形物が無理なら、固形物じゃないものを飲めばいい。だから、ルフィに仕事を取られて困りきった顔をしてるサンジ君へと視線を向ける。
「野菜のスープ、温かい物をお願い」
「あ……分かりました。すぐに!」
「俺に、できる事は?」
ゾロが珍しく自分から働こうとする。その事が分かるから、冷静に考えて仕事を頼む。
何もしなくていいと言うのは、今は贖罪の機会さえ与えたくないと言ってるようなもの。私は、そこまで怒ってないもの。
「熱下げないといけないから、氷枕……用意して」
「なら、俺は解熱剤を投与するよ。……後で、三人の事はちゃんと俺達が叱っておくから……今は、我慢してくれると嬉しい」
慌てて動き出した三人は、足をもつれさせていて……責める事さえ許されない気持ちになる。そんな時気遣ってくれるチョッパーに、ごめんねと謝ったのは……私の体調変化により、一番苦しんだのが彼だから。
なのに、チョッパーは私を責めない。寧ろ、今にも泣き出しそうな顔で、声を震わせるのだ。
「ごめんね……」
「違うよ、ナミは、悪くないんだ。ナミ……俺、もっと早く助けたら良かったな」
「チョッパーは、いつも私を助けてくれてるわ」
「俺の部屋に行こう。大丈夫、守るから」
巨大化してそんな事を言うチョッパーに笑う。ロビンとの部屋に帰るのが私としては正解に思えたけど、可能な治療の内容を考えるとチョッパーとしては、診察室に居てもらう方が良いらしい。
……でも、前にメルヴィユでちょっと頑張ってみて死にかけた時は、ロビンとの部屋で治療して貰ったのに……。今は、ロビンの部屋じゃダメなのかな?
「チョッパー……お部屋、ロビンの「そっちの方が守りやすいのと、女部屋は安静にしててもらいやすいけど、今回は反省を促す為にも治療の様子見てもらわないとなんだよ」」
そう言われてしまえば、さっきまで責め立てていた私にそれを拒む権利は無い。だからと思って素直に頷けば、チョッパーが優しく笑って、その後をフランキーが着いてくる。
「安心しろ、ナミ。……今回は流石に俺様も簡単に許す気はねェからよ」
「あ、それは俺もだぞ」
「私もです。ヨホホ!ゆっくり休んでてくださいね」
続いたウソップとブルックの言葉にゾクッとしたものが走ったけど、その理由がイマイチ分からない。声も出せない私に3人が任せとけと笑うから、よく分からないままに頷いてしまっていた。
ここで頷いた事で、後に三人がどのような目に合うのかを私は理解していなかった。そして、それを私には分からないように行う程度の経験と知性を、ウソップと大人組は持ち合わせているのだ。
この時、姿を見せなかったロビンが三人に何をしていたのかは、ご想像にお任せする。何せ、それについては全員が口をつぐみ、点滴治療を受けていたナミには真相が掴めない話なのだから。