構えたまま向かい合い、身動きを取らない二人の間を少し冷たい風が通り抜ける。互いの長い髪が風に靡く。
合図はいらない。互いに、分かっているのだ。
同時に床を蹴り、そして全く異なる動きをする。舞うように動き、曲芸師のように跳ねる私と、動きその物が雷を思わせるライムジュース。
時が長く空いたとは思えない程、互いの呼吸が分かる。あの頃は巨大で力も妖怪じみて感じたけど、身長が近くなった今、そんな事は思えない。
あの頃と同じように距離を取り、再び構える。そのタイミングさえ、あの頃から変わらない。
「……ガキの頃と動きが変わらねェな。重くなった分、鈍くならなきゃ可笑しいだろ」
「距離が縮まり過ぎて、違和感は強いわよ?」
「あの頃は受け止める為かと思ったその構えも、今なら……威圧する為だとわかる。あの頃から化け物じみた能力だとは思ったが……変わらねェな」
「……ライムにぃが、意地悪!」
「なっ!?」
甘えを含んだいじけモードの時に言ったそれを、意識して高い声で言えば、それだけでライムジュースが動揺して隙ができる。そこをついて鳩尾を電撃を纏い攻めれば、呼吸が止まったのか降参のポーズ。
これには見ていたメンバーも笑うしかない。今回のこれは実力では無く、使える相手の限られた卑怯な勝ち方だから。
「そんな勝ち方ありかよ!ライムジュースお前、ナミに弱過ぎだろ!!」
パンチが爆笑すれば、ルーもそれに合わせるように笑い出す。これは酷いと笑い転げる二人を呆れたように見るのはヤソップで、スネイクは私を真っ直ぐに見てから破顔した。
その視線は胸と下半身に向けられている。それでも、なんでかいやらしく感じないのだから、慣れとは恐ろしい。
「強くなったな!それだけ成長して、邪魔な肉がついてもその動きができるなら、曲芸師として生きられるぞ!!」
「嬉しくないわ。……って、今の発言は、太ったって言いたいのかな?」
「いや、大人の女になったって意味だ。……そのたわわに実った物とかな」
言われて、視線を落とす。確かに、ナミちゃんの身体だからたわわに実ってる。
でも、大きいと肩が凝るってのは嘘ねーって思う。下着のサイズが合ってれば、肩こりに繋がらないもの。
何より本当に便利なアイテムだと思う。使っても減らないし……むしろ少しなら減ってもいいと思うくらいだけど、それは贅沢なのかも。
「……便利よ?物入れられるし、台に使えるし、誘惑したり油断を誘えるもの」
「ルーは女苦手だから、それは不利かも知れねェぞ」
「ルー……ナミが大人になっちゃったからナミの事、嫌いになっちゃった?」
キュルンって感じでルーに問い掛けたら、弾丸のように移動してきて強く抱き締めてくれる。ルーは女が苦手だけど、子供には甘いのよ。
頭を撫でながら、そんな訳ないと言うのは優しいと思う。このお腹、脂肪じゃないのねと、近付いてからしみじみ感じた。
つまり、お相撲さんと同じ原理。丸くて脂肪の塊に見えるけど、本当は筋肉ってやつ。
「ナミとウタは、何があっても大切な家族だ。嫌いになんてなれるかよ」
「ルー……だって、スネイクが……」
「ウチの女神をいじめてんじゃねェよ」
低く言うルーの隙間からスネイクに視線を向けて、ベーってやればスネイクの頬が引き攣った。それからスネイクが私相手に青筋立てるから、不安そうに瞳を揺らしてルーを見詰める。
ルーからは、振り向いたら睨まれて怯えてる私にしか見えないはず。それを分かっていての言動であるから、正直スネイクに勝ち目は無い。
「ルー……」
「守ってやるから、安心してろ。海上でコックに逆らう事の恐怖を、分かってねェみたいだな?」
「海上で航海士に逆らう意味も分かってねェな?……ナミ、覚悟しとけよ」
「ルー……スネイクがいじめるー!」
「子供を虐めるとは、海賊の下風にも置けねェ」
「ルーはナミに絆されすぎだろ!?」
そのまま二人が戦い始めたのを横目に、いつの間にルーは戻ってきたのかなと答えを知ってそうなベックの元へと移動する。するとわかっていたのか、軽く笑って答えてくれた。
いつも質問する前に答えてくれる。それがなんとも言えない程の安心感をくれるのと同時に、ベック七不思議の一つでもあると思う。
「ナミの所のコックが、他のコックと料理対決を始めた事で暇になったルーが、甲板の様子見に戻って来たタイミングだっただけだ」
「そっか。ごめんね、迷惑掛けて」
「少なくとも俺は……ナミにかけられる迷惑なら、寧ろ嬉しい。もっと迷惑かけてみろ」
「ベック……」
そっと抱き締めて、頭を撫でてくれる骨ばった手。いつもの煙草の匂いが、何だか落ち着かせてくれる。
この一味に限って言えば、本当に安心できるのはきっとベックの傍だけ。そう思ってそっと首に腕を回して、その頬にキスをすれば優しく笑ってから、強く腰を抱かれた。
「大人なキスを返されたいか?」
「嫌よ。親愛を込めてのキスだもの、お礼なんていらないわ」
笑って言えば、そっと私の前髪を弄り、優しく額にキスを落とされる。それが気恥ずかしくて、顔が赤くなってしまう。
そんな私に、気持ちがわかったかと笑うベックは、少しだけ悪戯な顔をしていた。それにコクコクと頷けば、良い子だと笑って解放してくれる余裕。
……この先も、ベックにだけは勝てる気がしないわ。色々な意味で。
「ナミ……なんで俺には甘えてくれないんだ。ここは、俺の船なのに」
「甘えたら犯される気がして」
思わず本音で返してしまってたけど、本来この船の責任者でもあるシャンクスにそんな事を言う事は許されない。でも、シャンクスは笑うばかり。
この余裕が、時にイラつくのよね。まぁ、実際昔はこの余裕が格好良く思えたのも確かなんだけど。
「シャンクス……ありがとう」
「ん?」
「仲間も含めて歓迎してくれて、私が縄張り荒らしても怒らないで居てくれてる」
優しいと思う。そして、許される事を分かっていて、私はここに来たのだ。
ナワバリを荒らしたと叱られる事は無い。責められたり、攻撃される事も無いと分かっているからこそ……甘えさせてもらってるのだ。
そんな私を妙に優しく見詰めてきたシャンクスは、可笑しそうに笑う。幼子を見るような表情で、でも確かに宿る熱を隠しもせずに。
「怪我人を匿うくらい、荒らす事にはならねェさ」
「知ってたの?」
「自分の縄張りだからな」
普通は分からないわよとは、心の中で。でも、シャンクスも四皇であり、謎多き人だから……わかると言うなら分かるのだろうな、とも思う。
赤い髪が風に靡く。それだけで、違う……と思うのに、この赤もまた愛しい矛盾した現実。
愛しているのは間違いなく、色としての赤ではなくて、魂としての赤なのに。どうしてこんなに、惹かれてしまうのかな。
「……シャンクス……」
「ん?」
「シャンクスは、どうして……」
その先は言葉にならない。そんな私に、シャンクスは困ったような顔をして言う。
頭に乗せられた手は暖かい。優しくて、頼り甲斐もあるのに……その残忍さは時に私へと向けられる。
大切なのに、信じられなくて。愛しいのに、怖いの。
「愛ゆえに惑い、愛ゆえに誤ち、愛ゆえに……狂う」
甘やかしてくるのも、守ってくれるのも、束縛するのも、虐めてくるのも、全てが愛ゆえだと言うなら……愛とは何だろう。その相手を慈しむのが愛では無いのかな?
けれども確かに、愛故に殺してしまうとか、傷付けてしまうケースもある。ともすれば愛とは、簡単にバランスを崩してしまう恐ろしいものなのかも知れない。
「守り、慈しむ事が愛だと思ってたわ」
「男と女の違いだな」
「え?」
「……母は子供を守る為その身で庇い、父は子供を守る為その腕を引き寄せ抱き締める。そんな言葉を聞いた事があってな。つまりそれが、愛し方の根本的な違いじゃないのかと思う」
「根本的な違い……」
同じように抱き締めるのに、相手に駆け寄り合わせてしまう女。そして、自分の方へ引き寄せて動かない男。
同じ人間でも、男女では身体の構造から仕組みまで違う。だから当然、考え方も異なってくる。
庇い、守り、身代わりになってでもと考えるのか、それとも守れる範囲に囲い込み、双方の安全を確保するのか。どちらが正解とかは無いけど、それもまたひとつの考え方でありやり方なんだろう。
「……ナミ、好きだぞ」
「私も、好きよ。でも、諦めて」
「諦められるなら、海賊なんてやってねェよ」
穏やかな声で、なのに少しだけ嘲りを含んで笑うシャンクスが、何故か泣いてるように思えた。こんな関係は、どちらにとっても良い事なんて無いのに……。
私は二人いないし、シャンクスは諦めない。私を求める人の数に私が分裂できる訳もないのだから、ここは諦めて貰う他ないのよ。
……もしも私が分裂できたとして、実際それぞれ別れようってなった時、大喧嘩になりそう。皆ルフィルフィ!って騒ぐ気がするわ。
そうなったら、ルフィもルフィで、全部俺の!とか言いそう。そうなったら分かれるだけ無駄よね……。
「ナミ?」
「ああ、ごめんなさい。今少しではなく不毛な事考えてたの。……私が増えられたら良いのにって考えて、でも、増えても結果変わらないわって」
「そうだな。増えたら、譜面書くのと、海図描くのと、地図描くのに別れるだけで何も解決しないだろうな」
「え、そっち?」
まさかの答えに笑ってしまえば、働いてる私しか想像出来ないと言われてしまう。するとシャンクスは少しだけ気が抜けた様子で笑うから、首を傾げてしまった。
でも、その答えを教えて貰えないままシャンクスは私の大切な仲間達に挨拶すると言って歩き出す。正確には、ルフィの仲間である筈だけどね。
その背中を見送ってから、私は繋いであるサニーへと視線を向ける。何かある度に傷付くのに、メリーとは違って治して貰えるから今も元気に海を割って進む事ができているのだろう。
正直、メリーでは今の海を進む事は難しかった筈だもの。そして、サニーもまたメリー同様可愛くて仕方ないような気持ちになって久しい。
「サニーは、まだ一緒に過ごした時間ってそんなに多くないのよね。長い事、ひとりぼっちで待たせてただけだもの」
「ナミ?どうしたんだ?」
可愛い声に振り向けば、小首を傾げるチョッパーがいた。トテトテと近付くチョッパーの頭を撫でてから、そっと視線を合わせるためにしゃがむとチョッパーは嬉しそうに笑ってくれる。
本当に愛しい。ルフィとは違った意味で。
「メリーとサニーって、比べるのはおかしいけど、旅をしてる期間はまだサニーの方が少し短いんだなぁって思ってたの」
「俺は……同じくらいだぞ」
「そっか、チョッパーから見たら同じくらいなのね。盲点だったわ」
そう言って笑い合い、どちらからともなく腕を伸ばして抱きしめ合うと同時に今夜は宴だと聞こえて来た。本気で歓迎してくれてるのか、それとも宴をやりたいだけなのかはともかくとして、この場にウソップとルフィがいない事に僅かばかりの罪悪感が芽生える。
けれども準備で慌ただしくなれば、それどころでは無い。余興は何か必要だろうかとか、そんな事ばかり考えてしまう。
「ルー!食材は問題ないの?」
「四人位なら、増えても対して変わらねェから気にすんなっ!」
手伝いをしたくて声をかけたけど、ルーはそれをわかってて大丈夫と笑う。ルーはすぐに感情が顔に出るし、アワアワする事が多いんだけど、私を甘やかす事に関しては慌てたりしないし余裕を見せる。
私とウタはいつもセットで、赤髪海賊団では扱われ守られて来た。この船に乗ってしまうと、そんな幼い頃に心だけ帰ってしまいそうになるの。
「……ルー、私もお手伝いしたいなー……」
「だめだ!」
「なんで!?」
「ナミが動くとお頭もついてきて邪魔になる。それに今は客なんだ。ゆっくり休んでろよ」
「うー……。分かった……」
しょぼんとしつつも頷けば、頭を撫でられる。その手が優しいから、子供に戻ったような感覚に陥ってしまうのだ。
そんな私達のやり取りをいつから見ていたのか、料理対決を終えたらしいサンジ君が軽食と飲み物を差し出して来た。それと同時にルーから示されたのは、昔は無かった筈のガーデンチェアセット。
「料理の手伝いは俺がやりますから、ナミさんは航海日誌を書いたり海の測量したりして過ごしててください」
「皆が私を甘やかして、駄目な人にしようとする」
「おお、いい機会だ。少し駄目な人になってみろ。ほら、ペンだぞー」
笑いながらペンを差し出して来たのはライムジュースで、おちょくられてるなー……と思いながらもそのペンを手にしてしまう。胸元に入れてあるペンは確かに便利だけど、携帯用だから使いやすさだけで見ればマイナス点も多い。
だからこそ手にしたペンの持ちやすさについ、物を書き始めてしまう。私の部屋やロビンの部屋には私が吟味して採用した愛しいペンがいるのだけど、赤髪の船にそれを持って来るつもりは無いのだ。
海の状態、空の様子、気圧等をメモしていく。メモの横に略図的な海図を描くのは、後で海図を描き起こす時にその特徴から思い出せるから。
手帳に家族で買い物に行った。と、書かれていたらしばらく経ってからでもその日の事を思い出せるのと理屈は同じ。
旅行に行ったと書かれていたら、温泉心地よかったとか、ご飯が美味しかったとか思い出せるのと同じようなもの。だから、特徴的な事を記載しておく。
海図は後で描くとしても、航海日誌は確かに書いてもいいかなとサニーへと戻り航海日誌と読みかけの本を手にして戻れば、用意された軽食と飲み物に舌鼓を打ちつつ作業と読書に没頭してしまう。肩を叩かれて、宴の用意がほぼ整ったのだと気付いた。
「あら、もうこんな時間?」
「この後、音楽家として頑張って貰うんだからそろそろ準備してくれ」
「パンチはどうするのよ?」
赤髪海賊団が誇る音楽家は、パンチとモンスターである。だと言うのに、今は部外者である私に丸投げはさせないわよ。
そう思って睨むようにしたら、頭を撫でながら勿論全員で演奏だと笑う。どうやらブルックも含む音楽家達が、総出で宴の間演奏をするらしい。
勿論交代で食事や休憩はするみたいだけど。それを楽しそうに話すメンバーにウタが居ない事が何だか物悲しく感じて、どうしてるかなと見える訳も無い海の向こうへと視線を向けた。