宴は翌日も続き、それでも船は泊まる事なく進む。そうして島が双眼鏡で確認できる位の距離となって、漸く宴はお開きとなったのだけど……へべれけに酔った男達と、空になった酒瓶の転がる甲板はどう考えても汚い。
思わずクリマタクトをクルクルと回し始めると、それに気付いたサンジ君がチョッパーを抱えて船内に入り、ブルックは楽器を抱えて船内に入る。それと同時に赤髪海賊団の音楽家メンバーも、パンチとモンスターに連なるように楽器を運びながら船内へと移動して行く。
それを確認して、楽器の無事を確認したらもう問題は無い。クルクルと回してふぅ……と息を吐き出しつつ技名を告げる。
「〝レイン・テンポ〟!!」
昔と違い改良されて
それにより雄叫びを上げて飛び起きた面々が文句を言ってるけど、アルコールでベタついた甲板がこれで掃除しやすくなるんだから感謝して欲しい位よ。何より、放置するとお風呂に入らない汚いメンバーが綺麗になるのだから、文句なんてないと思うのよね。
「……仕方ないわね。そんなに文句があるなら、ちゃんとしてあげるわ」
そうして自分のポーチに入れてあった蜜柑洗剤を使用して、洗剤水のレインテンポに切り替えてあげれば、悲鳴の種類が変わる。さっきの対応で文句言うなら、これでいいだろう。
お風呂に入らなくて済んで良かったと、喜んで貰える筈よ。だって、ルフィ達は手間が省けて良いと言ってたもの。
「今のはシャンプーだから、頭洗っちゃってー」
「ふっざけんなっ!いい加減に」
「はーい!流すわよー!」
何故か満足してない風の声を無視して、普通のレインテンポを振り注げば泡が流れていく。トリートメント効果は無いから、甲板を洗うのにも特に問題は無い筈なので、ブラシやモップを船内にいた面々が投げ付けて、けれどもそれに文句を言いつつも掃除を始める飲兵衛達。
そんな事をしてる間に島に近付いていたみたいで、呆れたような声が聞こえて来て私はレインテンポをそのままに声の主の元へと駆け出す。それを引き止める者はなく、微笑ましそうに見てくれる濡れてないメンバーと、必死で掃除を続けるメンバー、そして降りる為の準備に取り掛かる仲間達がいた。
「なんで、四皇の船にだけ雨がピンポイントで降りながら、着岸されてんだよ……」
「ローちゃーん!!お待たせー!お薬、貰ってきたわよー!ロシーは?どんな感じ?」
「どんな……って、今は解熱剤が効いてるから眠ってるが、切れると苦しさで目覚めるのを繰り返してる状態だ。それと、何度も言うようだが、いい加減にローちゃんは辞めろ」
幼い頃から変わらない軽口に、成長無いわねと小さく笑う。けれども視線を動かした時、近くに居る筈の他のメンバーが居ない事に不安感が強くなって行く。
見聞色の覇気で確認できれば良いのだけど、実際それは難しい。今の私は、絶賛体力切れであるから。
「そっか……モモちゃん達は?」
「薪になりそうなもんとか、拾いに行ってる。それでもこの騒ぎだ。すぐに戻るだろ」
「皆が無事で……良かったわ」
薬も間に合ったみたいだとホッと息を吐き出せば、背後から仲間達を引率するようにしてベックが降りてきた。そのままローちゃんに事のあらましを説明してくれたベックは、その先をチョッパーに引き継ぎ、二人で薬についての確認を開始するのを眺める。
ホッとしたからか、それともこれでシャンクスに襲われなくて済むと思ったからか、膝から力が抜けてしまう。そのまま崩れ落ちそうになった私を片腕で軽々と支えてくれたのは、付き添いよろしく私の隣に立って見守っていたベック。
視線を動かすと、サンジ君は病人でも食べやすい物を……と料理を始めている。その様子と現状に肩から力が抜ければ、本格的に身体がズルリと崩れそうになってしまう。
けれども座り込む前にヒョイッと抱き上げられ、いつの間にか火の傍に用意されていた椅子に降ろされる。気遣うように私の顔を覗き込み、私の背を支えたまま、逆の手で私の掌を指の腹で揉むように押し始めた。
何をしてるのかと見ていると、途中で妙な痛みを感じてビクリと肩が揺れた。それによりベックは揉むのをやめて、納得したように頷く。
「ナミ、目が疲れてる。少し目を閉じて見ろ」
言われるままに目を閉じると、ズキズキと確かに痛む気がして、どうして開けてる時は痛くなかったのにと考えていたら唇に柔らかいものが触れた。それに驚いて目と口を開いたら、当然のように入り込んで来る舌。
思考停止……。え、人工呼吸?
支えるという名目で抱き締めたまま、唇を吸われ、熱い男の蜜を溢れる程注がれて、混乱の極みに陥る。そんな予兆は少しもなかったから。
「……行ってきますの、キスだ」
「ベック……?」
「目眩がしそうな程、ナミは美しい。抜き身の刀のような美しさだ」
「そんな事な「美しい分、強く、恐ろしく、そして……壊れやすい。だから決めている」」
言葉を遮られて告げられた言葉に、聞いてはいけないと思いつつも聞いてしまう。途中で切られたその言葉の続きを。
ベックは女の扱いに長けてると知ってるのに、どうしても聴きたくなる。それくらいの魅力を、たれ流されているのだ。
「何を?」
「俺が、守る。ナミが抜き身の刀ならば、俺はその鞘となる。これが結局何も生み出せない愛なのだとしても、可能な限り、俺は全力でナミを守ると……そう、決めているんだ」
「それが、唇を突然奪った理由?」
「たまには、良いだろ。俺もご褒美を貰いたくなった」
ベックに守られてるのも助けられてるのも確かだから、キスだけで良いならと思ってしまうのは確かな事。でも、それさえやはり浮気だろうと思うから、答える事はできなくて……。
だから、行動する。黙って引き寄せて、言葉の代わりに唇を重ねた。
どんな顔をしてるのかと、気にならないと言えば嘘になるけど……。それでも、今はいつものお礼を兼ねて、甘く、優しく、蕩けるようなキスを貴方に。
ベックは素直に唇を開き、迎え入れる。舌を絡め、深く深く差し入れて、互いを想う気持ちを伝え合う。
太い首に腕を回し、大切な人だと伝える為に。感謝と、信頼を込めて。
そのままどれ程の時間そうしていたのか。そっと唇を離して、互いに真っ直ぐ見詰め合う。
それに優しく笑う形で空気を変えたのは、ベックの方だった。耳元に唇を寄せて、小さくありがとうと言ったかと思うと、スっと立ち上がり頭を軽く撫でてその指に私の髪をひと房絡める。
見上げている私と視線を合わせたまま、そっと髪にキスをして名残惜しそうに髪を手放すと、またなと言うから、つい声をかけた。確認したい事があったから。
「待ってベック!私の目が疲れてるって言ったのは……「事実だ。目が疲れてる時はな、目を閉じて3~5秒で痙攣したり痛みを感じる。そんな時は少し瞼を温めてやれ」」
返事を受けて頷くと、ベックは今度こそ背を向けて歩き出す。その帰りに、シャンクスを含む赤髪海賊団の面々を拾って行くのだから凄いと思う。
いつも、守られてる。恐らく、空と海にあるそれぞれの故郷にいる家族を除けば、ベックが誰よりも私を守ってくれてるわ。
そう考えたら、依存してしまいそうになるのも仕方ないのかも……なんて、甘えた事を考えてしまう。そんな私の方へとチョッパーとローちゃんが戻って来て、ロシーの容態が安定して来た事を伝えてくれた。
それにホッと息を吐き出したら、ローちゃんが真剣な顔で言う。まるでそれが当然であるかのように。
「ナミは一刻も早く、コラさんを連れて〝ゾウ〟に向かってくれ」
「……その言い方だと、ローちゃんはどうするつもりなの?ここでルフィ達と、待ち合わせしてからの移動でも「いつここに誰が攻めてくるか分からねェ。知っての通り、ゾウは動いてる島だ。居場所の割れてるここより、そっちの方が安全だろう」」
そう言われてしまえば確かにその通り。ローちゃんと錦えもんは少なくとも残って、状況確認をして向かうのがいいだろうけど……。
そうなるとモモちゃんをどうしたらいいのか。父親と離れるのは嫌だろうと思うし……悩ましい、わよね。
何より、あの、変なお絵描きする人の扱いに困る。彼とはそれ程時を共に過ごしてないから、判断に困ってしまうのだ。
「モモちゃんは……?」
「連れて行け。女子供病人とその護衛に、そっちの黒足屋とホネ屋を連れて行って、船医であるトニー屋も行くと良いだろう」
「なん、で……?」
今名前があかったのは、全員私と同じルフィのクルー。ここに残るのは、ある意味寄せ集めみたいなものになってしまう。
何よりここは、シャンクス達の縄張り。それでも突っ込んで来るとなればそれなり以上に実力か自信、ともすればその両方を兼ね揃えてる相手となる。
危険過ぎる。そう思って言葉を続けようとしたら、ローちゃんは真剣な顔で私を真っ直ぐに見て言う。
「あの船はナミ達の船だ。そうなるとナミ達が先に行くのは自然だ。それに、麦藁屋達に説明する為にも、ある程度は残るべきだ。だが、場所を考えれば戦える者だけが残るのは大切な判断だ」
その言葉に、私は小さく頷く。サニーは確かに、他人に簡単に操縦するのは無理だもの。
私とフランキーが揃ってるから問題ないだけで、そもそも操舵手が居ないのだ。ここで航海士の知識がある私が残るのは無理があり過ぎるし、シャンクス達が去ったと言う事は……この島を目指してると気付かれたり、ルフィ達が追われて来てしまった場合を考慮したら、病人や子供がいるのは確かに望ましくない。
理性と感情がせめぎあう。そんな中で、けれども感情側には言い返せるアイテムが無いのも事実で、理性が感情を鎮めて行く。
「……昔からしっかりしてたけど、前よりちゃんとしてきたわね。ありがとう、気付かせてくれて」
背伸びをしつつそっと頭を撫でると、呆れたように溜息を落として、好きにしろとばかりにその場に座ってしまう。こうなって漸く、良く知る身長になってくれたローちゃんの頭を昔のように撫でていたら、チョッパーが何故かローちゃんの肩を叩いた。
「ナミが、阿呆でごめんな。これは、治せないんだ」
「治せるものなら、俺がとっくに治してる。ナミの阿呆とコラさんのドジは、不治の病だ」
「生命には関わらないなら、そのままにしておくしか無いのかもな」
そのまま二人は視線を合わせると頷き合う。何なんだと少しむくれるけど、何だろうこの二人……こうしてる姿が妙に微笑ましい。
でも、ロシーに薬が効いたのを確認しないと、流石に出られないわね。そう思って顔を上げたら、森の奥からモモちゃんが飛び出して来て咄嗟に受け止める。
ただその場で受け止めると転んでしまいやすいので、こんな時は軽く受け流す意味も込めてクルクルってその勢いのまま回るのが実は安全。数日離れてただけなのに、何だか妙に懐かしい。
「おナミー!この島、変な生き物が多過ぎるでござるっ!!」
「あら、なら食料調達には問題なさそうね」
「……おナミも、やはり海賊なのでござるな」
確かにこの肉体は恐ろしく可愛く、魅惑的。だからこそ、言い分はよく分かる。
海賊には見えないわよね。モデルとか、役者とか、歌手だと言われた方がシックリ来るような見た目だもの。
「そうね……私、モモちゃん位の歳にはもう海賊やってたから……。どんなに私が可愛くて、海賊に見えなくてもしっかり海賊なのよ?」
「うむ、おナミはボケなすなのでござるな」
「何ですって!?」
チョッパーとローちゃんだけでは飽き足らず、モモちゃんまで……という事は、数日離れてる間にローちゃんに毒されたに違いない。ローちゃんったら、なんてダメな子なのかしら。
そう思ってローちゃんを睨んだら、肩を竦めてチョッパーと二人で何やらブツブツ言い始める。その様子に疎外感を感じながらも、モモちゃん達にも離れる事を納得してもらう為にもまずは皆で食事をしつつ情報交換をしようとの話になった。
再会してまだ、ほんの数日しか経過していない父親とその友人。その人達と離れて、よく分からない私達と先に移動しろなんて……酷な事とは分かってるのよ。
それでも、それにより僅かにでも安全性を高められるならその方がいい。薬を受け取った以上、シャンクス達から離れた後は島にいる病人や怪我人を抱えていると思われるのは必然。
どこかから見ていて、連絡されて、それから敵が仲間や艦隊を率いて来るなら、戦えない者は明日ここを立つのが良いだろう……。と、頭では分かってるのよ。
なのに、切り出し方が分からない。なんと言えば悲しませずにすむか……なんて、そんな事ばかりが頭の中をグルグルしていた。
「……俺が話すから、ナミは悩まなくていい」
「ローちゃん?」
「同盟相手とはいえ、俺もまた船長だ。……そっちの船長が不在なら、俺の言が一番有効だろう」
……ローちゃんの優しさと判断は、通常なら正しい。でも、このメンバーでその理屈が通るかと問われたらどうなのか。
うちのメンバーは兎も角、侍組がどう出るかよね。そんな事を思いながらも頷く。
今はもう、任せるしかないから。他の案があるなら兎も角、無いなら仕方ないもの。
「ローちゃん、ありがとう」
「俺の説得が効かなければ、ナミや黒足屋に任せるしかねェから、そこはどうにか考えてくれよ」
少しだけ困ったように言うローちゃんに、うちのメンバー個性が強くてごめんねと謝れば……何故か優しく微笑まれた。それは僅かな時間で、幻かと思う程すぐにいつもの顔に戻ってしまったけど。
子供の頃から、ツッコミ体質で真面目で賢い子だったけど……今もそこは変わらないのね。身体は大きくなっても、あの頃と変わらず優しいし面倒見もいい。
元々妹がいたからか、それともお優しいご両親の影響か。どちらにしても、そんな幼少期を過ごしたからこそ、この子は絶望で人が変わってしまった。
それは、ドフィのそれとも通じる。だからなのかな、二人とも妙に似てるのは。
今も、インペルダウンの中でドフィは良い子にしてるのかな。……心配なんてしちゃいけないのはわかってるのに、やっぱりローちゃんを見ていると思い出してしまう。
ローちゃんも、ドフィも、ロシーも、どうしたって可愛い弟のような、息子のような存在なのよ。だから、見捨てきれない。
悪い事をしたのに。許されない事をして、多くの人を傷付けて、人生を狂わせたのに……やっぱり、心配なの。
「ナミ、今俺を通して、俺じゃない誰かを見てたろ」
無言で考え込んでたつもりだったのに、そんな事を突然言われて息を飲めば、ローちゃんは即座にその顔を歪めて、嫌そうに溜息を吐き出した。どうやら、バレたらしい。
傷つけたくなんて無い。でも、ルフィ達三兄弟を弟として愛しく思うように、ドフィ達もまた三人の息子のような存在なのよ。
「……っんなに、似てるか?」
「うん、ごめんね。……生い立ちが近いからかな。なんとなく、やっぱり似てるのよ。……当然ロシーとも似てるわよ?」
「そんな慰めみたいな追加の言葉はいらねェよ。俺も自分で分かってる。……俺はドフラミンゴと、似てる」
「ローちゃん……」
そっとその頬を両手で包んだのは、その瞳が傷付いていたから。憧れて、尊敬して、感謝して……だからこそ、憎んだ。
救いであり、呪いだった存在。似てるのが、忘れられない理由のひとつなんだと、分からない筈もない。
なのに、そこから救い出す手段を私は持たないのだ。情けない程に、私は無力だと痛感させられながらも、目だけは逸らさないと決めて真っ直ぐにローちゃんを見詰めた。