声もなく互いに見つめ合う。それでも、先に動き出したのは私だった。
そっと両腕を伸ばしたまま立ち上がり、その身体に触れる。脈打つ身体が、ゾンビとか幽霊の類では無いのだと教えてくれるから、声が喉を震わせるのを止められない。
「ロシー……良かった、生きてる……」
「ナミ……心配と、苦労、かけちまったな」
ゴメンでも、アリガトウでもない。なのに、両方だと伝わる困り果てた声。
泣きそうになりながら、でも無事に歩いて喋るロシーにそっと腕を回す。そんな私の頭に手を置いて、優しく撫でるのは今はもう大人であると示す為なのかな。
「この後の予定と、これまでに起きた事を……教えて貰えると助かる」
静かな、けれども真剣な声が頭上から降る。それに小さく頷いてから、私はソファに座るよう促した。
キッチンに声をかければ飲み物が滑車台で運ばれて来る事になってるので、私はそれを利用してロシーの為の軽食と飲み物を頼み、自分用にも飲み物を頼んだ……のに、何故かサンジ君が運んで来た。でも、冷静に考えたら、私に届けるのは、サンジ君の楽しみの一つなのだから当然なのかも。
あれ?でも、ロビンとフランキーの時は滑車使ってるわよね?
悩む私の目の前に飲み物とデザートが差し出される。それを受けて、まじまじと見てしまうのはご容赦頂きたい。
「こちらはナミさんに、温かい紅茶と二杯目に味を変えて楽しめるようミルクをご用意致しました。本日のデザートは蜜柑マフィンです」
見ればマフィンの上に蜜柑が乗っていて、種類がわかりやすい。最近は無いけど、過去に私においたをした贖罪のつもりか、それともローちゃんにされた事を知っていての癒しのつもりだろうか。
サンジ君の場合どちらでもなく、ただ私を喜ばせたくて作ってくれた可能性もあるわよねと思う。それにしても、写真映えしそうな素敵なマフィンだわ。
そんな事を思いながらありがとうと言って受け取り割ってみると、中からも蜜柑が出て来て思わず息をとめてしまう。蜜柑の香りが広がり、誘惑しているように感じられるほど。
そっと口に含めば、上にのった蜜柑はジューシーで中の蜜柑はジャムのようでとろりと甘い。蜜柑を堪能できるマフィンに、頬が緩むのを感じる。
「美味しい……」
「先日弱り始めているからと収穫していた蜜柑をジャムにしておきました。それで作ったんですよ」
「上は普通の蜜柑よね。なんで焦げてないの?」
「クッキングシートで焦げないように守りました」
その言葉になるほどと……納得して同時に笑ってしまう。本当に美味しい。
幸せに浸りつつ紅茶を口にすれば、優しく微笑むサンジ君。そんなサンジ君から同じマフィンとホットミルクを用意されていたらしいロシーも、モグモグと食べている。
巨大なクマが林檎を頬張るような愛らしさについ吹き出せば、ロシーは小首を傾げる。そんな仕草が昔と変わってなくて、微笑ましい。
「ふふ、ロシー……こぼさないように食べるのよ」
「うん、大丈夫だよ、姉う……っ!?いや、その……!」
「ロシーも子供の頃の口調が時々出るのね」
ロシーの返事が可愛くて笑ってしまう。そっと口の周りについてるカスを取ってあげつつ頭を撫でると、また腰を下ろして私も食べるのを再開する。
用意された紅茶にホッと息を吐き出せば、嫌そうな顔をするサンジ君。どうしたのかしら?
「……納得いかねェ。話は聞いてるが、なんでナミさんが姉上なんだよ!?」
「色々あったのよ。ロシーは昔からいい子で「ナミさんの良い子はあてになりません」」
私の言葉を遮り、カッと目を見開いて怒るサンジ君に、えー……と声を出すけど断固拒否されてしまう。どうやらサンジ君から私への信頼は、地に落ちているもよう。
そんなやり取りの中でも、ちゃんとこれまでの経緯とこの先の目的地について話せば頷いてくれる。そして、ロシーは納得した上で言った。
「ゾウには、ローと俺の仲間達が先に行ってる。うちの航海士が、ゾウの出身なんだ」
その言葉により浮かぶのはシロクマ君。オレンジ色の繋ぎを着た、可愛いのに巨大な喋る熊さん。
うん。可愛かったわ。
原作でも航海士だって紹介されたのかな。全く覚えてなかったけど。
「……引き抜いていい?」
「ダメに決まってるだろ。それに、航海士としての自信を打ち砕かれる未来しか見えないから、ベポの為にもやめてくれ」
「ケチー。可愛い子だったのに」
「ローの、幼馴染だ。離れやしないさ」
そうしてローちゃんの幼少期について……つまり、私と別れてからの話しを聞けば最初は苦労も多かったみたいだけど、途中からは平穏で安心できる話だった。幼なじみと呼べる仲間との出会いは微笑ましく、ベポ君がローちゃんを慕う理由も嫌という程に理解できてしまう。
「そっか……良かった……」
「そうだな。ナミを探すのだけどうにもならなかった事を除けば、平穏に生きて来たと言えるだろう」
追い掛けられ続けて、息を潜めて、略奪や暴行に怯えながらの生活ではなかったらしい。それだけでも救いだわ。
ロシーやドフィのような痛みや苦しみが、ローちゃんに幾度もなくて良かった。自らドフィの元へ向かう前のような悲惨さや、ロシーと共に巡った時の哀しみはもう、味わって欲しくなかったの。
家族と友人が、大切な人達が騙され殺された。悲劇はそれだけでも十分すぎる。
「苦労したのに、真っ直ぐに優しい子に育ってくれて良かったわ」
「いや、優しいのは優しいだろうが、ひねくれまくったと思うぞ」
「そうですね。あの野郎は、明らかにひねくれてますよ」
「二人とも、ローちゃんをなんだと思ってるの?大きくなったのは身長だけで、昔から変わらず真面目で優しくて素直ないい子よ」
「「ナミ(さん)こそ、誰を見てん(ですか)だ」」
副音声のように重なる声にむーっと膨れつつ、いじけてみせれば焦った様子でマフィンを追加して来るサンジ君に、釣られないわよと笑いつつ受け取る。そんな私にロシーも気が抜けたように笑った。
その後チョッパーが検診に来てくれて、それを受けてサンジ君は食事の支度をする為に降りて行く。それを見送り、チョッパーがロシーの治療をするのを聞きつつ作品を仕上げてしまう。
そうしてロシーの手当が終わった時、チョッパーが私の横に来たので視線を向ける。小首を傾げれば、チョッパーから心配そうな視線を向けられてしまう。
「ナミ、顔色悪い自覚あるか?」
「無いわ」
「そうか。あるんだな。……なら、これ飲んでくれ」
「今、私、無いって……「ナミが即答した時は、隠したい時だからって、ゾロとウソップが言ってた」」
……彼奴ら……!と、少しばかり怒りを漲らせてみるけど、今目の前に居ない相手にどうする事もできはしない。
細く息を吐き出して、そっと頷き薬を受け取れば、サッと差し出されるグラス。どうやら、最初から飲ませる予定だったらしい。
それを受け取りつつも少し甘えた声を出す。チョッパーも頼られたい男の子なのだ。
「チョッパーのいけずー」
「ナミの返事次第で、違う薬出すつもりだったぞ」
「結局飲むのね」
その返事にクスクスと笑いながら言えば、チョッパーは困ったようにその顔を歪める。心配ばかりかけて申し訳ないと思いつつ、その頭を撫でれば頭上から影が降る。
何事かと顔を上げるとロシーで、そっと私がしたように頭を撫でて来るから、なんともむず痒いような気持ちになってしまう。そんな私の顎に指が移動してきて、喉を撫でても音は出さないわよと言いながら再び顔を上げるとロシーの顔がアップになった。
そのまま唇が重なれば咄嗟に押しのけようとしてしまうけど、大怪我をした病人である事を思い出せば突き飛ばすなんてできない。でも、何だろう突然と思っている間にも、舌は縦横無尽に口内を掻き乱す。
鼻で息はしているのに、苦しくて、でも離れたら私が消えるとでも言わんばかりに重なる唇をロシーは離そうとしない。殴る事も、突飛ばす事もできない私の両手は、握り拳を作ったままロシーの胸に縋るように添えられているだけ。
「ナミさん、今夜のメニューなんです、が……?」
突然聞こえて来た声はサンジ君のもの。それに慌てる私とは違い、むしろ深まる口付け。
行動で抵抗できない私から、抵抗の声を消す為とでも言わんばかりのそれに視界が白く明滅していく。明らかに酸欠だと分かるけど、それでもロシーを突き放せないのは、私の弱さなのかな。
明滅がおさまると視界が暗くなり始め、意識が遠のくのが分かった。グラりと傾く身体を、大きくて太い腕が支えたと思ったら、何故か挑発的な言葉が聞こえて来る。
「見て分からないか。取り込み中だ」
「ナミさんは、同意してねェだろ」
「今こうして、俺に甘えてるんだ。同意してるのが分かるだろうに」
呆れた……とでも言わんばかりのそれに、意識が朦朧としてる私は返事もできない。今はただ、酸欠でつらい身体に酸素を取り入れなければ。
そんな私を見聞色の覇気で認識したらしいサンジ君が、剣呑な空気を纏う。それには気付いていたけど、どうにもできない。
「弟なら、姉に心配と迷惑ばっかりかけてんじゃねェよ。今のそれもただの我儘と暴走だろうが。守られるだけで満足なのか」
「……何が分かる。目の前で姉と慕う相手が消えて、その度に生死さえ分からず、遅れてそれが恋だと気付いたとして……次に出逢うと、己を知らない愛しい相手がこちらの想いを少しも理解してくれないと言うのに」
ロシーの言葉に、んんっ!?となって顔を見詰めた私。その近くで痛ましいものを見るような顔でサンジ君がロシーを見てから、私にチラリと視線を寄越す。
それからそっと私こ肩を叩いたと思ったら、真剣な顔をされる。とりあえず、逃げたい。
なんでかな。味方がいない気がしたのよ。
「……ナミさん、今回のキスは甘んじて受け入れて上げてください」
「なんでよ!?庇いに来てくれたんじゃないの!?」
「今夜のメニューを聞きに来ました」
「サンジ君の馬鹿っ!裏切り者ー!!」
怒ってポカスカと殴りかかってみても、当然肉体は無傷。それに私も本気では殴ってないので、じゃれ合いにしかなっていない。
それなのに殴れば殴る程、サンジ君の顔が変な形に歪んで行く。私が殴ってるのは、胸なのにである。
「……サンジ君?」
「ナミさん、可愛い……」
とりあえず殴る気力すら奪われた私は、味方なんていないんだといじけた気持ちで航海日誌を胸に抱えて部屋を飛び出す。癒しは蜜柑畑のみなのかも知れない。
聞いてよー!と、答える筈もない蜜柑に心で語りかければ、慰めるように葉が揺れて一枚頭に降ってくる。それに小さく笑ってお世話を始めれば、いつの間にか葉っぱや枝まみれになってしまっていた。
そんな姿のまま、手にした蜜柑をカゴに入れる。それによりそれなりの重さになったのを確認して、ルフィいなかったんだった……と、内心で焦ってしまう。
そんな私の髪に何かが触れた。それにより視線を向ければ、ロシーが枝を丁寧に取ってくれていると気付く。
「ロシー?」
「さっきは、突然悪かった。あのまま、また船医殿に治療して貰っていて、謝罪が遅くなっちまった」
「そっか。もう、大丈夫そうなの?」
「ああ、日常生活は問題ない」
そんな会話の間も、ロシーの手は止まる事はない。蜜柑の葉や枝を器用に取りながら、謝罪をして来る。
その声は声優さんの声そのままだからか、異様に優しい上に美声。狡い……と、思ってしまう。
泣きそうな顔で、優しい声で、謝られたら許すしかないじゃない。そう思って細く息を吐き出せば、叱られるのを待つ子供のように肩を揺らす。
その瞳が怯えて揺れてるし、捨てられた子犬みたいに見えて来た。垂れ耳と、シュンとした尻尾の幻覚まで見えそう。
「ナミ、怒ってる……よな?」
「貴方達三兄弟は、私の同意なく私を襲いすぎよ」
「……三兄弟?」
「ドフィ、ロシー、ローちゃんの三兄弟」
私の返事に対し、暫し黙るロシー。どうしたのかと首を傾げれば、妙な言葉を返された。
「……俺は、ローの父親代わりのようなイメージでいたんだけどな」
「ローちゃんの方がしっかりしてるわよ」
私の返事に落ち込むロシーを見れば、捨てられて弱った大型犬に見えて来る。そんな事を思う時点で、きっと私はロシーに勝てないという事なのだろう。
相手が可愛く見えた時点で、勝ち目なんてある筈も無いのだから。だから私は、潔く負けを認めて苦笑してしまう。
「そんなおドジで優しいロシーを、いつまでも怒ってなんて居られないわ。……あなたは私の、大切な弟よ」
「……残酷な女」
「え?」
「鈍感で、残酷で……なのに、甘くて暖かい。俺の大切な姉であり、愛しい憧れの人。……勝手に想う事だけは、許して欲しい」
穏やかな表情と空気を纏い、けれども真剣な声と眼差しで私の動きを封じてしまう。最後の葉を取り、そっとそれに口付ける姿さえ絵になるのだから憎らしい。
原作ではほぼ描かれなかった素顔のロシーは、幼い頃の姿をただ成長させたとしか見えない。自然な動作で蜜柑の葉を捨てたロシーは私の髪をひと房持つと、そっと口付けして笑う。
「……夜更かしせずに、早目に寝ろよ。疲れてると航海士としての仕事が必要な時に、起きられなくなるからな」
「ロシーも、無理しないで早く寝るのよ」
軽く持ち上げる程度だったのだろう。だから、私が動けば髪は私の元へと戻って来る。
無理にそれを引っ張り痛みを与える事は無い。愛しい、可愛い、私の弟。
「この蜜柑は、俺がサンジの所へ運んでおくから、ナミは用事を早く済ませちまえよ」
そう言って笑うロシーに、ハイハイと空返事をしつつ背を向ける。そのままシャワーを浴びに行けば少しだけ気持ちが落ち着いて来た。
ロシーの想いが、言動の端々から伝わってきてしまう。私は、弟や息子以上に愛する事はできないのに。
罪悪感と切なさで胸が痛む。それでも、今の私にはロシーという選択肢は無いのよ……と、心で言って静かに目を伏せた。