私から己を抜き去り、私の体を簡単に清めてから、身支度まで整えたサンジ君が、漸く私を解放した。あの日……悪夢に魘されていたサンジ君に見た時に感じ取った幼い心は、まだサンジ君の中に強く残っているのだと、今回の1連の流れで痛感してしまった。
だからと言って本来ならば許してはいけない事は分かっていて……。仲間としての信頼を破壊する行為でさえある筈なのに、泣いている子供を突き放す事が出来ない。
「ナミさんの村の宴で、俺は随分呑まされて、悪夢を見たんです」
突然そんなふうに言葉を口にしたサンジ君に、私は視線を向ける。本当は今すぐ皆を探しに行かないといけないのは分かってるのに、私には……今ここでサンジ君に背を向ける事は出来そうにない。
恨む事も、憎む事も、できる気がしない。……だからと言って、愛して許すなんて事も出来なくて、自分の居場所が分からないような、迷子のような心持ちになる。
「天候の悪い日や、呑みすぎた日とかに、魘されるんですが……そんな時は必ず、朝目覚めるまでそれは終わる事のない悪夢として続くんです。ですが……あの日だけは違った」
サンジ君は私を真っ直ぐに見て、言葉を続ける。その瞳が微かに揺れていて、泣きだしそうなのかと気付いてしまう。
「夢の中に天使が出て来て、優しく包んでくれました。それから夢も見ずに眠り、朝にはいつもには無い爽やかさがあった」
サンジ君の表情は真剣で、口を挟む事は恐らく許されない。だから、大人しく言葉を耳にし続ける。
「……あの時、俺を抱き締めてくれたのは、ナミさんですね」
「それは……」
言葉が上手く続かない。恐らくサンジ君の様子では確信してるし、誤魔化すのもおかしいけど、認めるのもなんだかおかしい気がして、声を出せなくなる。
「……あの天使からも、柑橘系の香りがしていました。そして、抱いた時の温もりが、あの日のそれと同じでした」
「それを、確かめる為に抱いたの?」
「まさか。俺が欲しくて我慢できなかったんですよ。何より……想いを伝えたかった」
「馬鹿ね。普通なら逆効果よ」
言い捨てるように言葉を向けた私に、サンジ君は確かに笑った。けれどもその表情は暗くて……。
「……私は今のところ、サンジ君を仲間以上には想えそうに無いわ」
そう言いながらサンジ君の元へ足を進めて、その頬を叩く。多少の覇気を込めたから、痛みは強い筈。
でもそれを甘んじて受け止めたから、私は今回の件をそれ以上引き摺るつもりは無い。弱さを暴走させた相手が、たまたま私だっただけだとわかるから。
ううん、そう思わなかったら、2度と立ち上がれないような気がするの。それに……ビビを襲った訳じゃ無かったし、だから……私で良かったと思って諦めるしかないと考える。
「……これで、今回の事は許してあげるわ。次は、ないと思ってて」
「ナミさん!」
「外で!突然!無理矢理!なのよ。反省しなさい」
真っ直ぐに睨み付ければ、しょんぼりと落ち込むサンジ君に、まったくもうと思ってしまうのは、中身がオバチャンだからだろうか。それとも、見え隠れする傷付いて叫び声を上げ続ける少年の為か。
そっとサンジ君に両手を伸ばして、強く抱きしめる。君の居場所は、ここにあるよと。
「寝るのがつらい時は、抱きしめてあげるから……望むなら、子守唄も歌ってあげるから……もう、こんな事はしないで」
「いや、男としてそれは……」
「私は、ルフィのものよ」
この言葉の意味が分からないほど、サンジ君は馬鹿じゃない。だから私は言い切る。私の事は諦めてと伝える為に。
そして、そっと手を離して、皆を探しに行くから2手に別れましょうと言って背を向けた。サンジ君がそれを追いかけてくる事は無かったようで、気配が離れた所で膝から崩れ落ちる。
……どう表現したら良いのか分からない感情が渦巻いて、勝手に涙が溢れるのと同時に、体が震える。怖かったのか、悲しかったのか、怒ってるのか、自分の感情さえ確かでは無くて……誰かにすがりつきたいような気持ちになるのに、それができるような性格でもなくて。
ただ……苦しい。
愛を語り続けられたら、巫山戯るなと怒る事も出来た。捌け口にされたのならば、仕方ないと諦めるか悲しむ事も出来た。
でも、あんなのは卑怯だと思う。弱った子供の面を見せられたら、怒る事も悲しむ事も出来なくなる。
私が大人になるしか、道は残されてない。そんなのは、狡い。
その時ふと、ルフィの声が聞こえた気がして、近くに居るのかと思えば泣き顔は見せられないと涙を拭って歩き出す。……叩いて終わりにしたんだから、引きずるなと自分に言い聞かせながら歩き出せば、少し開けた所で戦っている面々を発見した。
どうしたものかとミラージュテンポで姿を隠して、堂々と様子を伺う。ゾロとビビは大ピンチ。ウソップとルフィが戦ってて、ルフィは1番の苦手分野たる暗示にかかってるとわかる。
……本当に、困ったキャプテンだわ。
クリマタクトを手に、小さく笑ってから私はそれを振るう。まずは落雷でルフィの服を焼いてしまえばいい。
「あ!動ける!って、今の技は!ナミ、いるのか!?」
「いるわよ。姿見せるつもりは無いけど」
答えてから次の絵の具からは、レインテンポで落としてサポートしていく。そして、ゾロとビビの足元にヒートボールを投げ付けて下に2人が落ちてくるように仕向けて行けば、ウソップの大活躍とルフィの奮闘によりその場からは面倒な敵の2人が姿を消した。
なので残ってる敵と対峙する為に姿を見せるけど、ミラージュテンポの蜃気楼の方を使って私が大量発生する形をとる。だって、相手は爆発させてくるのよ?
「お待たせ、皆!」
そうして笑顔で爆発人間に向かうと、電撃を放ち感電させる。見える電撃は幻もあるから、視覚的にも怖いと思うのよね。
近くに来てしまったら仕方ないから殴ると言う地味で、かつ有効な攻撃を繰り返していたら、ゾロとビビがありがとう助かったと声を掛けてきてくれたので、つい嬉しくなって振り向いた。その時……爆発人間が幻全てと私を1斉に攻撃するという暴挙に出て、私は爆撃をモロに食らって吹き飛ばされてしまう。
体が重く感じて、少し嫌な感じだわと思った直後、その爆発男はゾロが動けない間の鬱憤を晴らす為として楽しそうに斬り倒した。こうなるなら、私必要なかったんじゃないかと本気で思うけど、とりあえず皆が無事で良かったと思う。
残念ながら覇気を纏った攻撃をしていなかった私に問題があるのは、分かってるのだ。でも、少しばかり先程の事で体力が足りなかったのと、ミラージュテンポ等と併用できる程の精度を持っていないのよね。
防御では体力が残ってれば無意識的に使えるけど、攻撃は意識して覇気を纏わせないといけなくて、それをやると纏わせてる間は無防備になってしまう。これは改善しないといけないところよね。
軽く咳き込みながら立ち上がると、ビビもゾロもそして私自身も、衣服が燃えて悲しい姿になっているのが分かる。けれど……生きている。誰1人欠ける事なく。
「後はルフィを待つだけね」
ルフィは残りの2人を追い詰めるように、ジャングルへと入って行って少し時間が経過している。少し心配ではあるけど、ルフィを喪う未来だけはないだろうし、そうなりそうになったら……何を犠牲にしてでも守り抜くと決めている。
待っている間にウソップは巨人と話をしており、いつの間にか仲良くなったらしいゾロもそれに加わっていた。けれどもその足は何故か傷が放置されており、咄嗟に私はビビに指示を飛ばした。
カルーもいるから、船から荷物を持って来るくらい出来るだろうとの判断だ。胸元から取り出した紙とペンで必要な物を書き出して、ビビに持ってくるように言えば少し不思議そうな顔をされてしまう。
だけど説明してる時間も暇もありはしない。急いでくれと頼んで、とりあえずスカートを破いてゾロの傷口よりも少し上で縛る。
それを見てウソップが大仰な悲鳴を上げるのをBGMにしながら、足首を動かせるのかをゾロに確認する。痛みは尋常ならざるものがある筈なのに、顔を顰める事なく動かして見せる馬鹿に少しの安堵と大いなる悲しみの感情でもって、少し大人しくしててと言い捨てる。
その直後に帰って来たビビが私の書き出した物全てを持って来た事を確認して、お礼を伝えると即座に治療を開始する。オキシドールを直接傷口にかけて、流石に悶絶してるのを見て神経は無事だと確認してから、糸と針をオキシドールの中に漬け込む。
お湯を沸かし、清潔な布を自らの左肩に乗せると糸を持って針を火に放るようにして焼いていく。数回そうして焼いてから、アルコール度数の高い秘蔵のウォッカの中に針を落として熱を取り、ゾロに視線を向ける。
「ゾロ、私の肩に噛み付いて」
「……俺は吸血鬼とかじゃねェんだがな?」
「麻酔無しで縫うから、歯を食いしばると奥歯が砕けるのよ。だから、私の肩を噛んでて」
私の言葉にゾロは嫌そうに顔を顰めると、私の肩にあるタオルを取ろうとする。私が汚れてるから衛生面の為に、ゾロの為に置いたものだけど、汚れた肩に乗せたタオルを使わせてたまるか。
「それなら、タオルでいいだろ」
「どの程度の痛みかを判断して、縫うのを中断したりするから大人しく言うこと聞いて。自分でやるならそれでいいけど、ゾロが自分でやったらガタガタになって治るものも治らなくなるでしょ!」
今ここにチョッパーとか、せめて他に医療知識のある人がいるならば任せるけど、いないのだから仕方ない。麻酔なんて危険なものは流石に持ってないし……。
ゾロは溜息をつき、私を真っ直ぐに見据えた。その表情は真剣で、けれども何処か労わるような色を含んでいる。
「ナミの肩は、んな事して大丈夫なのか」
「多少の出血はあると思うけど、問題ないから。左肩、噛んでて。何か握ってる方が良ければタオル渡すけど、いる?」
「……いらねェ」
ゾロの答えに少し笑って、私は震えそうになる手を深呼吸で抑える。何度もやって来た治療ではあるけど、それは自分に対してであって……仲間に行うのは初めての事。
赤髪海賊団のクルーが受けた毒を抜く為に切ったりした事はあるけど、縫ってはいないし最終的な所は船医がやってくれると思えばこそ心は楽だった。でも今はそんな強力な助っ人も居ない。
緊張してるし、不安もある。だけど……必要な事だから。
ゾロの歯が肩の布に触れるのを確認して、私は声をかけるとその傷口に針を刺していく。小さく呻く声が、耳元であるが故に聞こえてくる。
ゾロの皮膚をプツリと針が貫くのと同時に肉と傷口を刺激しているのだから、痛くて当然だ。それも範囲と深さを鑑みれば、回数も数針ではすまない。
肩に噛み付くゾロのそれにより、痛みの度合いがわかる。ゾロの呼吸が落ち着くのを待って次の針を入れる事を繰り返し、最後まで抜い終わるとゾロはその場で仰向けに倒れ込んだ。
でもゴメン、まだ終わりじゃないのよ。傷口に焼酎を吹き掛けたり、傷薬を塗り込んで包帯を巻いてと、痛みも地味にある行為を勝手に行う。
仰向けの状態で地味に荒い呼吸を繰り返しているゾロに、治療が終わるのと同時に笑みを向ける。
「お疲れ様。この包帯を勝手に外さないなら、とりあえず今日はこれで終わりよ」
「……ナミも早く、その肩治療しろよ」
心配してくれているのが伝わるから、素直に頷いて私も巨人の人との会話に加わろうとしたら、ビビに頭を叩かれた。何だろうと思って視線を向けると、ビビと1緒にウソップまでもが怒りの形相で仁王立ちしている。
「「今治療するって言ってなかった?」か?」
語尾は微妙に違うけど、見事なハモリにおぉ!と感嘆の声をあげたらゾロにまでさっさと治療しやがれと言われる。……皆心配しすぎだと思う。
タオルを退かしてオキシドールをかけてガーゼに薬を付けてベタりと貼り付けるように乗せると、それを見ていた3人が顔色を青ざめさせた。治療方法としては間違ってない筈なのに、なんだと言うのか。
最後にガーゼが動かない程度に包帯を巻けば終わりだと、簡単に治療を終えた私を見て何故かビビが泣き出して、ウソップが痛みは!?とか聞いてくる。
「慣れてるもの、この程度なら大丈夫よ」
「……ナミ、治療助かった。ありがとう」
私の言葉が終わるのと同時に向けられたゾロの言葉に、私がホッとして笑うとゾロが微かに眉を寄せた。それから私の右肩を掴んで抱き寄せるから、どうしたのかと思っていたら小さく呻くように怪我させて悪かったと言われる。
「こうなるのは分かってたし、思ったより傷も浅かったから問題ないわ。何より、言い出したのは私じゃない」
笑顔で言えばゾロは感情を霧散させる為としか思えないような溜息を吐き出して、1度強く私を抱き締めてから解放した。その時上手く聞き取れなかった何かを呟いていたのはわかったけど、何だったのだろうか。
ともかくこうして、この島での戦いは終息を迎えようとしていた。