身体中が小刻みに震えているから、膝が笑い続けているのは立たなくてもわかる。情けない程に私は震えて、力無く甲板に座り込んでいる状態から、1切の身動きが取れなくなっていた。
呼吸さえ、苦しい。どうしてこんな事になったんだろう?
夢の中で優しく笑っていたロシーが、男の顔で覆い被さってきた事実に打ちのめされ、いざとなれば戦えると思っていた自信さえも、もう残されていない。力が、違い過ぎた。
こんなにも非力で、私に何が出来るというの……?
怖かった。でも、それよりも、何よりも、ただ悲しかった。
でも、それが未来の私が何かをしてロシーを傷付けた代償ならば、それを責める権利は私にはない。未来で私はロシーに、何をしてしまうのだろう。
その上で……襲って来た筈のロシーから、悲鳴が聞こえるようで、叫びが聞こえるようで、許す他の選択肢を私は持ち合わせてはいなかった。ごめんね、ルフィ……弱くて、ごめん。
未来の欠片を知っていても正しい道は選べないし、力では役立てないで守られてばかり、その上知識までもが中途半端。私は、なんの為にここに存在してるんだろう。
その時ふと皆の顔が脳裏に浮かんだ。それによりロビンやウソップが心配になり、気持ちが落ち着かなくなる。
……ロビンは、どうしてるかな。酷い扱いは、受けてないかな。
ウソップはどうしているだろう。ちゃんと大人しくしててくれたかな。
それなら、そろそろチョッパーがウソップ抱えて帰ってくる頃かな。あの3人がいれば、フランキー1家程度ならぶっ飛ばすのもわけないと思えるから、私は気持ちを切り替える。
だって今ここで私が、いくら泣いても嘆いても何にもならないのは確かな事だもの。ならば私に出来る事をしよう。
今は何が出来るかなと考えて、スープを完成させようと決める。立とうとしても上手く動かない体を叱責しつつ、お腹に力を入れる。
産まれたての子鹿のような震えを気合と根性で押さえ込んで、キッチンに入ってスープ鍋に火を付けてから、肉の仕込みをして行く。その時ふと思い出して、紫蘇を肉の間に挟んで揚げ焼きにしてあげたらルフィも自動的に野菜を食べられるのではないかなと気付いた。
挟むものとしてキャベツの千切りも悩んだけど、サンジ君も食べる事を考えたら千切りじゃなくて百切りみたいな私の腕では、キャベツは恥ずかし過ぎて使えない。赤紫蘇と青紫蘇のそれぞれで作れるように用意して、スープの味を整える。
スープの方でキャベツをふんだんに使い、胃に優しい感じにしておく。後は体調に合わせて、それぞれがどうするか決められるようにとお握りを作る。
余談だけど〝お握り〟と〝お結び〟は時代と共に呼び名が変わってるだけで同じ物なのよ。握り飯から〝お握り〟と呼ばれるようになったのが最初。
それを葉……正確には竹の皮で包み上から結んで持ち歩くようになり、その上から紐で結ばれるからと言う理由で〝お結び〟と呼ばれるようになりました。そして、竹の皮で包む事をやめて箱に入れられて持ち運ばれるようになると、結ばないからと言う事でまた名は戻る。
当初の握ってるからと言う理由で〝お握り〟に戻ったのよ。最近の日本では形に押し込んでいる物を販売されていたから、その内〝押し飯〟とかにその内名前変わるのかしらと思っていたの。
だけど、変わる前に私は死んでこの世界に生まれ変わりました。まぁ、実際問題〝押し飯〟じゃなくて〝ライスボール〟とかになら変わるかも知れないけど、私には知りようのない話だわ。
脳内でキリッとか言っていたら皆の気配が近付いてきたのを感じて、肉を揚げ焼きにし始める。皆に揚げたてを提供できそうな様子で、本当に良かったわ。
帰って来た皆を見れば、ウソップの他はほぼ無傷で砂埃等が洋服に僅かに残っている程度だと分かれば、何とも言えない気持ちになる。ウソップも、これでは確かに気落ちもするわよねと。
「お帰りなさい。とりあえず手を洗って。簡単な物用意したから、お腹に入れてから話をしましょう」
「えー!?ナミさんが作ってくれたのォー!?」
サンジ君の反応で、そう言えばサンジ君に食べ物を作った事が無かったと今更気付く。そんな私やサンジ君の様子に気付いたらしいチョッパーが、安心させる為なのかナミの料理優しくて美味いぞなんて言ったもんだからサンジ君がおかしくなった。
チョッパーは責められない、けど狡いなんて葛藤からかルフィやゾロに詰め寄ったサンジ君。けれどもルフィから迄も、ガキの頃から何度も作ってもらったと言われ泣き崩れてしまった。
更に追い打ちをかけるようにゾロが、サンジ君が仲間になる迄は料理の担当が私だった事を告げれば、サンジ君がそうだった!と言ってムンク作の叫びを連想するような状態になる。……サンジ君、帰って来て。
「ん?……待てよ?なら、なんでチョッパーは食った事があるんだ?ルフィは幼馴染だし、マリモは俺より先にナミさんと出逢っていたから仕方ねェとわかる。だが……チョッパーはどういう事だ?」
「空島で海老に連れ去られた時に、ナミがスープ作ってくれたんだ。お腹に何か入れないと、良くない考えしか浮かばなくなるからって。今回もそうだろ?いつもナミは皆の事、考えてくれてて優しいよな!」
「ナミさんが優しいのなんか、知ってるけどなァあぁああ!」
……とりあえず、皆が会話したり手を洗ってる間に料理とか並べときますか。そのついでに、薬も飲んでおけば皆の前で倒れるなんて醜態は晒さずに済むと判断して、水で薬を流し込む。
スープとお握り、豚肉の紫蘇の挟み揚げをテーブルに並べて行く。それが並んでから、チョッパーにウソップの様子を聞けば今は意識が無いという。
「臓器はやられてないから、目覚めれば普通に食べられると思うけど、ウソップの分も揚げてあるのか?」
「まだよ。ウソップのだけ肉じゃなくてアジにしてみたのもあって、起きてから揚げた方が良いと思ってたの」
「ナミの料理早く食いたい!腹減ってたんだ!」
「ふふ。動いたからルフィならそうなってるかなと思ってたのよ。だから、肉も用意してあるでしょ?ウソップの他は、怪我人も出なかったみたいで良かったわ。……それで、お金は?」
私の言葉にチョッパーとゾロがビクリと肩を揺らして、サンジ君が料理に集中して無言を貫き、その中で先に食べ始めていたルフィが口に肉を頬張りながら平然と答えて来た。
「ふぉへがふぉ!ふぉほふぁふぇふぁ(それがよォ!もー金は)」
「……食べ終わってからでいいから、お行儀の悪い事しないで」
皆の様子からやはりお金は取り返せなかったかと思いながら、それでもそれはそれで仕方ないかと思う。大丈夫、皆生きているんだもの、なんとでもなるわ。
1応簡単な計算はしてあるから、それもルフィには後で話しておこうと思う。私は食欲がどうしてもなくて、スープだけ何とか胃に入れながら皆にお代わりは自分でよそってねと言いつつ、ウソップの分を別に確保しておく事は忘れなかった。
鍋に残しておいたらルフィに食べ尽くされるのは目に見えているし、チョッパーはスープを、ゾロはお握りを、サンジ君は肉紫蘇揚げを妙に気に入ってる様子。だから、思ったよりも早く無くなりそうねと思いながらヤカンを火にかける。
お茶の準備をしながら、興味津々といった様子で紫蘇肉揚げを食べているサンジ君に内心怯えつつも、楽しそうな皆の様子に少し癒されている。本当に、皆温かい。
最後の1滴まで食べ続け、鍋の中身を綺麗に空にしたルフィが、そのお皿に乗せた食事を完食し終えた。それにより落ち着いたのを見計らい、お茶をそれぞれの前に出しつつお金の事について確認する。
皆がフランキーハウスに到着した時には、既に〝兄貴〟たるフランキーにより2億ベリーは持ち出されてしまった後だったらしい。結局フランキーの行先も、何も分からなかったのだと言われればそっかと言う他ない。
「皆、ありがとう。お疲れ様」
「……良いのかい?ナミさんは、もっと怒るかと思ってたよ」
サンジ君は意外そうに言うけど、冷静になって考えて欲しい。ここで取り返しに行った人達を責める権利は頼んだ立場にある私には当然無いし、それはそもそも不可抗力としか言いようがない。
そして、2億ベリーを奪われたウソップは……私が応急処置をする前よりズタボロになっている。それなのに、どうしてこれ以上責められるというのか。
それを全て言葉にして伝える事はしないけど、サンジ君は私がウソップを見ているそれだけで悟ったのかそれ以上何も言わない。新たな煙草に火をつけて、煙を吐き出した他は特に何もアクションさえ無い。
「今回1番傷付いてるのはウソップよ。そして、私は怒ってない訳じゃないわ」
「……ウソップを叱るのか?」
チョッパーが不安そうに聞いてくるから、笑ってその頭を撫でつつお茶を1口飲む。うん、美味しい。
「動くなって言ったのに動いた事は、叱るわよ。でも、お金に関しては、悪いのはフランキーとその子分。怒ってるのはそっちに対してよ」
「ウソップは、取り返そうとしたんだ!だから、叱らないでやってくれよナミ」
「チョッパー、私はね、怪我の状態を見て〝動かしたら不味い〟と判断したのよ。それなのに動いて挑んで……もし、喧嘩慣れして無いのが相手なら殺されてたかも知れないのよ!?どうしてそれを叱らずにいられるのよ!」
フランキー1家は喧嘩とかの荒事に対して初心者じゃ無いから、だから命だけはあった。でも、もしもこれが喧嘩慣れして無い人間が相手だった場合……何処までやると危険なのかが分からなくて、殺人になるケースが多いのよ。
実際日本でもオヤジ狩りと称して大人を襲っていた少年達は、武術を嗜んでいた男に反撃され怖くなり、その男が意識を失った後も暴行を続けて殺害に至ったなんて事件も多数起きている。他にも集団リンチ等での殺害も、喧嘩などをした事の無い加減を知らない奴等が起こしている。
1度動けなくした筈なのに動いて来たのを確認してしまえば、普通の集団暴行よりも加減は難しくなる。ウソップが生きているのは、ある意味で奇跡に近い。
「……そうだよな。ナミは、死を間近に見続けてきたんだから、怖かったよな」
そう言ったのはルフィで、そして……いつ移動してきたのか分からないけど、強く、私を抱き締めて来る。今心が苦しいのはルフィの筈なのに、大丈夫だと言いながらルフィは私を守るように抱き締めてくれる。
「ルフィ……」
「大丈夫だナミ。ウソップは、生きてる」
泣きそうになるのを耐えながら、私はルフィに縋り付く。そんな私をルフィはただ、抱き締めていてくれた。
ルフィが優しく抱きしめ続けてくれている中で、先程のロシーの件もあって私は声も出せずに震えている事しか出来ない。そんな震える私をルフィは大丈夫だと言いながら、抱きしめる腕の力を少しだけ強めた。
それから私の震えが落ち着いた頃、サンジ君が肩にショールを掛けてくれて、ホットミルクを差し出してくれる。それを受け取りつつルフィから離れると、サンジ君は既に食器等の後片付けを終えてくれていたようだった。
後片付けを押し付ける形になってしまった事で、少し申し訳無い気持ちになりながらホットミルクを口にすると、ゾロが視線を向けて来た。ゾロも色々考えたりしてるんだろうなと思えば、私の口は少しばかり軽くなってしまう。
「ロビンは、何か連絡とか来たか?」
「何も、無いわ。でも……生きてはいる」
「どういう事だ?」
「私もロビンも捕まってもすぐに殺される事は無いから、生きてる筈よ。そして、ロビンを捕まえられる相手は限られる」
私とゾロの会話を聞いて、サンジ君が言いにくそうに口を開く。それは、情報が少ないからこそ、口にしておくのが本来あるべき疑問だとわかるけど、何だか悲しかった。
「脅迫状みてェなのも来てねェんなら、ロビンちゃんが自分の意思で出て行った可能性はありませんか?」
「無いわ」
「ホントか?ロビンは俺達の事、嫌いになったとか」
「有り得ないわ」
サンジ君の言葉に続いて不安そうに言葉を口にしたチョッパーだけど、即座に両方を否定した私に男達は黙り、そして何故かそうだよなと納得した。なんだと言うのか。
「ロビンは、私を裏切らない」
「……そうだな。ロビンはナミを傷付けねェ。それにナミが言うなら、間違いはねェよ」
ルフィが肯定してくれた事が私には不思議で、どうしてルフィは私を疑わないのかなと心から思う。でも、それを尋ねるだけの勇気を私は、持ち合わせてはいない。
それから船のカタログをルフィに返して、実際お金的にはギリギリだけど最新型の船を新品で用意して改良してもどうにかなるのだと伝えれば、中古にするか新品にするかも含めて検討しないとなと皆で空笑いする。だって、本当は誰1人メリーから乗り換えたくは無いのだから。
けれども状況がそれを許さない。だから、私達はカタログに書かれている金額を見て、何が必要なのか考えないと等と言うしか出来なかったのだ。
そんな事をしている間に時は過ぎて夕方となり、ウソップが意識を取り戻した。それに皆が喜ぶ中で、ウソップは謝り続ける。
とりあえず話は何か食べてからにしましょうと笑いかけても、ウソップは首を横に振るばかりで、受け入れる事は無い。そんなウソップの様子に、叱るつもりだった気持ちは萎み、無事で良かったと言うのが精一杯な私にチョッパーとゾロが笑い、サンジ君がせめて飲み物をと全員に配ってくれる。
そんな中でウソップはルフィに問い掛ける、メリーはそれでも直せそうなのかと。1瞬固まる空気を敏感に感じ取ったウソップは、慌てた様子で口を開く。
そうして必死で言葉を重ねるウソップに、ルフィは1度だけ眼を伏せて、それから明るく笑って見せた。多分、ルフィの作った笑顔を私はこの時生まれて初めて見たのだと思う。
「船はよ!乗り換える事にしたんだ。ゴーイングメリー号には世話になったけど、この船での航海はここ迄だ」
ルフィはそう言ってから、意味がわからないって顔で混乱してるウソップを置き去りにして話し続ける。ルフィも余裕なんて無いから、メリーが沈むと言いたくないからだとは分かるけど、そんな事したら揉め事になってしまう。
慌てて口を開きかけた時、ルフィはカタログを見ながら中古にするか新品にするかなんだけどよと言葉を口にして、ウソップがそれに待ったをかけた。それを私は、口も挟めずにただ、見ていた。