ウェイバーは帰りたかった。ここ、埠頭の女の子のアジトじゃないか。
あの幼女と遊んでいる人が母親なのか? 確かに色白と褐色の姉妹に似ている。となるとこの女性がアインツベルンかも。なるほど、姉妹もアインツベルンの魔術師だったのか。
では、金髪と黒髪は誰だ? 金髪は徒弟だろうか。黒髪はマトウ? こうして落ち着いて見ると、この二人もかなりの魔術師だとわかる。時計塔の学生でもここまでの奴は居ないぞ? そして黒い長髪の男。この人が旦那か?
何よりアーチャーとセイバーと呼び合っていた奴らは何者だ? だって、驚くべき事にセイバーにはステータスが無いんだ。なのにアーチャーにはステータスがある。どういう事だ?
ウェイバーは知らない。この時バーサーカーは、まともなモノが食べられない雁夜の食事介護に就いて別室だったのだ。つまりエルヴァの方のランスロット卿を父親と思い込んでいたのだ。そして誰がマスターかは一切不明だった。
(レベルの高い魔術師だらけだ。それに裏で手を組んでいるだけじゃない。どれだけの人員や戦力を投入しているんだ?)
「良しできた。食事にしよう」
ウェイバーは、え? っと思ったが、腕時計は5時半だった。
「悪いな。幼い子が居るのでね。夕飯が早いのだ。君達の分も用意した。当然、食っていくだろう?」
「え~?」
「坊主、用意したと言っとるのだ。下手な遠慮は却って失礼になる」
「お前が言うな!」
テーブルに並ぶ料理に感嘆する大王。
「おお! お主、やるな? ウマそうな飯だ」
「ああ、お褒めに預かり光栄だが、その賛辞は食べてからにしてくれたまえ。君は酒も呑むだろう?」
「応よ。わかっとるではないか」
メニューはシンプルな肉野菜炒めと、秋ナスのオランダ煮、ブロッコリーと甘酢しょうがの和え物、さんまの塩焼き、当然大根おろし添え。そしてお漬物に、ゴボウと小松菜とニンジンの味噌汁だった。全員で頂きますと唱和する。
大王の『イタダキマァ~ス』が可笑しい。どこに行ってもそこに馴染む才能は伝承通りだ。
「大王は箸が使えたのか!?」
驚くアーチャー。が、直ぐ様聖杯の知識があったと思い直した。セイバーですら箸を使っていたのだから。
「応よ。今で言うインドの上まで行ったからな。箸を使う部族もおったぞ?」
アーチャーは二度驚いた。だが甘い。この人は生前ガンダーラに行ったんだぞ? どこかにあるユートピアに本当に行っちゃったんだぞ? エルヴァはエルだった頃、そっちに驚いたものだった。
ただ残念ながら、エルの知る大王は楼蘭を知らなかった。当時は都市の名が異なっていたらしい。また、何度も調べたが部隊の一部が素通りしたか、既に滅んだかしていたようだ。
シルクロードは遠い。けれどシンセなら神々の詩だろうと思うエルヴァだった。あの壮大な自己紹介は大王にこそ相応しい。
「アパ~ナァガ~~エルヴァ~」
「突然何だ!?」
「いえ……。では皆様、どうぞご遠慮無くご賞味下さい」
「おう。ほぅ~、旨い! お主、良い腕だな? 余に仕えんか?」
「有り難いヘッドハンティングだが、私より料理の上手い者は大勢居るよ。それが現代だ」
「そうか。十分に余の時代とは隔絶した旨さなのだがなぁ。そんなにも居るのか?」
「ああ、居るとも。世界は広いぞ? 君の時代の何十、何百倍もの人が居るよ」
「むぅ~。世慣れしとるな、お主は?」
「聖杯の知識が入る量にも、個人差があるらしいぞ?」
「ほぅ~」
そこへ、ツツツとエルヴァが大王の横に寄って来た。
「大王はお酒の辛口と甘口では、どちらがお好みですか?」
「ほぅ。なら辛口が良いな」
「では、寒梅のひやおろしを燗で行きましょう」
『ひやおろし』とは『冷や卸し』の意で、秋に収穫した日本酒用の米を醸造し、絞った後に火を入れ、ひと夏寝かした酒をいう。味に丸みが出るので楽しみにしている愛好家は多い。
9月に出回れば『夏越し酒』。10月に出回れば『秋出し一番酒』。11月に出回れば『晩秋旨酒』という。今回エルヴァが用意した酒はこの『晩秋旨酒』だ。
なにせこの第四次の開催は11月なので、『ひやおろし』のシーズンなのだ。それでコペンハーゲンで前もって四種類ほど手に入れていたのだった。
「む、ちょっとツンと来るな。しかし、旨いではないか。いや、これは……意外と料理に合うな?」
「でしょう? ウェイバーさんもどうぞ。こちらの安東水軍は甘口ですから。人肌程度のぬる燗にしています」
「ちょっ、僕はお酒は……」
「英国は保護者が立ち会う家の中なら、5歳からでも飲めますよ?」
「坊主。男ならグッと行け。こんな可愛いオナゴに薦められて呑めんとなると、将来が心配じゃわ」
「わーったよ! 一杯だけだぞ?」
「先生、可愛い」
「先生って僕かよ?」
実のところエルヴァは、立場を得て堅物になったロード・エルメロイⅡやウェイバー・ベルベット先生は苦手だが、ウェイバー・ベルベット個人は気に入っていた。特に何も知らない、この第四次の頃は。
左腕を切り落とした自分と同じくらい、イケイケの愛すべき馬鹿だと思う。しかも、やる事は大胆なのに小心者で、自らの弱さを自覚してもいる。それなのにみみっちい判断を捨て、賢い選択ができる稀有な人なのだ。
ただ、大王に憧れては駄目だ。見ていれば良いコンビだと思うが、大王の生き方は現代では不可能だ。糧とするのは良い。踏み台にするのも良い。だけど10年も20年も引き摺ってはイケない。ウェイバー先生にはウェイバー先生の人生があるのだから。
そして誰しもが己の心を領土とする王なのだ。それがあるから雇用関係で金銭という対価をやり取りできるのだ。ランサーと違い、相手を知った上で忠誠を誓う分にはマシだけれど、報酬無き忠誠はエルヴァにとって嘘であり悪だった。
傍で見ていると、耳あたりの良い言葉で騙されて、英会話の教材や化粧品のローンを組まされる若者にしか見えない。
それでも、友人ならフィフティだ。ギブアンドテイクでお互いに影響を与え合えば良い。これがエルヴァのもう一つの狙いだった。
「ささっ、どうぞ」
「ああ。あ、美味しい。甘いし、何て言うんだ? 果実酒みたいだ」
「ね? フルーティでしょう? お米だけで造ったお酒ですよ」
「へぇ~、ライスの?」
「某国の国家安全保障担当大統領補佐官ではありませんよ?」
「それ、ライス違いだろ!」
「フフフ……」
「ハハハ……」
褐色の少女と意気投合する純な少年。
「むむぅ。そっちの方が旨いのか? 余にも注いでくれ」
大王はちょっぴり嫉妬した。だけど、少女とウェイバーはお似合いだとも思った。何より少女ならウェイバーを守れる。
「娘、お主は幾つだ?」
「今度の誕生日が来れば18歳です」
坊主は確か19だ。良いではないか。ググッっと注がれた酒を煽った。
「うほぅ~、こりゃ旨い!」
目が丸くなる。甘過ぎな気もするが旨い。何よりこの料理とよく合う。大王はコップ酒と料理で大満足だった。だから、ウェイバーの佳き出会いを祝して野暮な質問はしない。
エルヴァは思った。埠頭の事を一切問われないのは何故だ? きっと何か面白い事になっている。
次にキンキンに冷やしたワイングラスに竹葉 純米 夏越え生原酒を注いだ。お店のラスト1本だった。
「うおおお! こいつも見事だ!」
これを聞きたかった。そこでアーチャーさんに目配せだ。
「牡蠣があるが食えるか?」
「おお、この貝は喰った覚えがあるぞ? マケドニアは海があるでな」
出された貝を見て、大王は食べた経験があると話した。現在のマケドニアは内陸国であるが、大王の時代はギリシア北部までが領土で、エーゲ海に国土が面していたのだ。いわゆるエーゲ・マケドニアである。内陸側の方は北マケドニアと言った。
「そうか。なら、出そう」
「アーチャーさん?」
「何だ?」
「数があるなら一部を白ワインとオリーブオイルで蒸し煮にして、おろしにんにくとカットレモンを添えて下さい。それと茹で卵と刻んだピクルスに酢とマヨネーズを和えた自家製タルタルソースを添えたカキフライ。これは欧州人なら、誰でもハマりますから」
「なるほどな」
英雄王よ、あなたの神酒でも酢牡蠣やカキフライを出してやろう。ククク……。こちらにはまだ菊泉 吟醸酒 星見月夜があるのだから。
ほとんどのメンバーが食事を終えると、エルヴァとアーチャーは洗い物に取り掛かった。桜は凛がお風呂に連れて行った。
エルマはちびちびとウィスキーを飲んでいた。本坊の駒ヶ岳だ。エルマとエルヴァはこれと白州の12年を5本ずつ用意してあった。
セイバーとアイリスフィールさんに姉さんもお酒を飲んでいた。こちらはワインだ。甲府のシャトー酒折の白を10本と、山梨は登美の丘の赤を5本用意してある。
お酒とおつまみを出せば大王の口も滑らかになる。歯止め役のウェイバー先生はエルヴァに何度も注がれベロンベロンだ。だけど視線は洗い物をするエルヴァをずっと追っている。
坊主、こりゃ本気で惚れたな?
「ルヴィア、凛が上がったら、一緒にお風呂に入ります?」
「ええ、宜しいですわよ」
「ウェイバー先生も入られますか?」
「な、な、な、何で女の子と入りゃりゃきゃならなんだお!」
「今夜は泊まって行って下さい。飲酒運転で確実に捕まります」
「え!? そうだゃ! ライダー、飲酒だ!」
宝具で空を飛ぶのに誰が捕まえますの? そう思うルヴィアは笑いを噛み殺した。
一方、大王は温かい目で若者達を眺めていた。
「時に、お主。セイバーと呼ばれておったろう? ありゃ、どういう意味だ?」
暗にステータスが見えないのはどういう事だと聞いているのだ。だから、インパクトのある答えでその疑問を吹き飛ばす。
「ああ、私は騎士王だ。名はアルトリア・ペンドラゴン。アーサー王だよ」
「なんと!」
「へ? アーサー王だゃって!?」
目が座っていてもアーサー王と聞けば返すのが英国人だなぁ。
「セイバー、勝手に真名を話しちゃ……」
「アイリスフィール、申し訳無いが私はここの聖杯戦争とは関係ありません。我がマスターであるエルヴァが、大聖杯を使わずに喚び出した者です。あなたのセイバーは、今頃街を徘徊していますよ」
「ええッ!」
彼女はセイバーが別人だと今の今まで気付いていなかったのだ。マスターでは無いのでステータスが見えないのだった。ただ、垢抜けた服装をしているなとは思っていたが、道理で。
「ご安心下さい。明日にはあちらに、あなたをお返ししますから」
「そうなの? てっきり迎えに来たものだとばかり……」
驚いたのはウェイバーだった。
「そ、そんにゃ事ができゃるのか?」
先程から呂律が回っていない。
「英霊召喚は難しいですよ。サーヴァントほど簡単には行きません。ですが、やりようはあります」
「それだけの術式構築(ぢゅつちゅきこうちゃく/こんな感じの英語だった)ができて、膨大な魔力を持っていりゃって事か……」
征服王はウェイバー先生の髪をワシャワシャと撫で、セイバーに向き合った。
比較的謙る(へりくだる)丁寧な語調のセイバーが、吐き捨てるような口調に変わった。これよりは酒を肴にした問答になる。作戦はセイバーの今の感じ方を主体にして素直に話す方向でと、念話で打ち合わせ済みだ。
「お主は聖杯が欲しいとは思わんのか?」
「思わんな」
「願いは無いのか?」
「江戸前屋の回転焼きもたい焼きも、コンプリートできたしなぁ。……そうだな。マスターと旅に出たいかな」
「何とも欲がないな? 何かあるじゃろ?」
「生前の……終わった願いを引き摺っても意味は無いだろう? けれど、そうだなぁ。贅沢だが、フェラーリというクルマが欲しいな。マラネロという名だが」
おっと。生前の願いを話すと墓穴を掘る。上手く躱した。
「何じゃ、それ?」
「高級なシュポーツキャーだよ。17万ポンドはひゅるぞ?」
ウェイバー先生はいい加減寝ろよ。慣れていないだけで、やはりお酒に強いのは白人だからか。もう何杯も注いでいるのに、一向に潰れない。
「ほぅ。結構俗物的よな」
「征服王? クルマが欲しい、バイクが欲しい。国が欲しい、大地が欲しい。共通するものは何だ?」
「何じゃ?」
「わからんか? 人が営み、人が栄えてこそ、文化や産業が産まれる。クルマも国も人が造りしものだ。大王はそういった文化や、まだ見ぬ国々を見たいのであろう? 征服の根本にあるのはそれではないのか?」
「む。いや……。根本か。ま、そうよな」
「しかし、今の世で軍を纏め他国を落とすなど不可能だ。そこは気付いているのだろう?」
「むむ……」
「ならばこその冒険だ。許可がいる場所はあるかも知れんが、誰も文句は言わない。その冒険の第一歩がバイクでありクルマなのだ。ライダーである貴様がそこに気付かんでどうする?」
「おお、つまり騎士王はその乗り物で世界を巡ると?」
「そう、それが今の私の夢だ」
「だがな、騎士王よ。その願いは今のような稀人では不可能だ。受肉してこそだぞ?」
「そうだな」
「ならば、聖杯が必要であろう?」
「ほぅ? 熱いな? もしや貴様の願望は?」
「応よ。聖杯に受肉を願う」
「おみゃえ! そんにゃ!」
だから、寝てろ!
「なるほど。大地に真実の肉を以て、足を下ろしたいよな?」
「わかっとるではないか」
「マスター? だ、そうですよ?」
良しッ! さすがは私のセイバー。ここまで上手く回した。
「はいはい。どうぞ、差し上げます。サーヴァントを受肉させるクスリですよ」
「何じゃと!?」
そうしてライダー組は聖杯戦争から降りた。ウェイバー先生が止めるのも聞かず、豪快に一気飲みしたのだ。
ウェイバー先生は、最後まで隠れて無事にこの期間を逃げ切れば勝ちなのだ。そのためにケイネス先生を失脚させたのだから。
そして私の知るケイネス先生の願いは、敷かれたレールの上とは異なる人生を歩んでみたかった……だ。少し可哀想だが、あの人はあの才覚でどこででもやって行ける。プラハでもどこでも良いのだ。
対するウェイバー先生は、攻めには弱いが何かを護らせると一流だ。大王を伴って時計塔に帰れば一躍時の人だろう。私はここを受肉した大王に巧く言い含めた。
残るはアーチャー組、セイバー組だけだ。明日はエルマ達に大聖杯調査を敢行して貰う。証拠を突き付け、アインツベルンを突き上げる方法を教えれば遠坂も落ちるだろう。英雄王には何らかの娯楽が必要だが。
そこでエルマの出番だ。『王の財宝』を初ゲットさせてみせる。裁定者としての英雄王には誠意が必要だが、慢心したAUOならやりようはある。
翌日、二日酔いのウェイバー先生とライダーが帰った頃、深山町の武家屋敷前に1台の黄色いロードスターが停まった。
NA型でサンバーストイエローのJリミテッドIIだ。第四次用にと先生とエルが用意したもので、今回先生がエルマに預けていたクルマだった。
イルマの手でファイン・チューンしてある。ファイナルは4.1から4.3に替えてあり、足回りはクァンタムの車高調、ホイールも15インチのBBSに替えてあった。オプションのABSやスポイラーも付き、LSDは機械式に変更してある。
「ここね?」
「うん、ここよ」
「じゃ、呼ぶわね。キリツグ~!」
屋内からドタドタした音が響く。
「舞弥、窓の隙間から見えるか?」
「はい。こちらからは確実に。写真の通りの奥様です」
「何かの罠か?」
「そうも考えられますが。もう一人も女性です」
「不味いな。セイバーは出ているし。令呪で喚ぶか……」
「それが、もう一人も奥様そっくりな女性です」
「何? となると、アインツベルンの別働隊か? まさかアイリを救ってくれた? もしそうなら有り難いが、痛い失点がバレてしまったな」
ドンドンドン!
「キリツグ! 早く開けなさい! 隠れてばっかりで本当に情けない!」
「ちょっ?」
そして観念して開けると、確かにアイリだったんだ。そしてアイリは舞弥を見るなり引っ叩き、「泥棒猫」と言い、僕まで思いっ切り引っ叩かれた。宥めようにも「浮気者」の一点張り。ドイツに帰ってイリヤと暮らす、キリツグは要らないとまで言われた。
そしてアイリを連れて来た女性の冷たい眼差し。「呪いの泥に塗れて死ね」と吐き捨てられた。何故だ? と言うか誰だ?
「ね? お母様。娘に愛情が無いから、気付かないのよ。私なら子供の姿がどんなに変わってもわかるわ。お母様もそうでしょう?」
「ええ。本当に愛想が尽きたわ。キリツグ、今日はサヨナラを言いに来たの。じゃ、帰りましょう。イリヤちゃん」
イリヤだって!? 僕は玄関を飛び出た。
「待て、待ってくれ! イリヤはまだ8歳だぞ?」
「私の名はイリヤスフィール・フォン・アインツベルン。馬鹿な父親の願いで母親を器にされて、アインツベルンの城で10年あなたを待ち続けた。そして第五次聖杯戦争が始まり、18歳でマスターとして出て、大聖杯を閉じようとした寸前に死んだの。その後、ガイヤの守護者に祀られて、世界を転々として、今こうしてあなたの前に立っているのよ。キリツグ、聞きなさい。聖杯は汚染されているわ。何故なら第三次でアインツベルンが喚び出したサーヴァントがアンリ・マユだったからよ」
な、何を言ってるんだ?
「アンリ・マユだって? 馬鹿な、神霊クラスは喚べない筈だ」
「中東でその名を被せられ、生涯を蔑みと侮蔑と暴力とで血塗られ死んでしまった若者が居たの。そんなスケープ・ゴートだった死霊が、被せられた呪いという信仰のみを背負って召喚されたのよ。その呪いが小聖杯をすり抜けて大聖杯に沈殿しているの。ここで聖杯を成しても、世界平和は来ないわ。全人類の抹殺で終わるのよ」
「何だって?」
「大体、聖杯は方法無き願いは受理されないのよ。方法をすっ飛ばしてくれるのは、お母様や私が持つ小聖杯の方だわ。ある敗退した英霊が、絶対に死ぬなと祈ってくれたから私はここに居るのよ。人殺しが願ったって、人を殺す以外の方法は例え無色透明な聖杯でも不可能だわ。キリツグ、あなたが聖者でない限り、まともな聖杯でも動かない。それが真実よ」
「そんな……馬鹿な」
気付いてしまった。この子は嘘を話していない。だって、だって……。彼女は泣きながら僕を叱っていたんだ。その顔は間違いなく成長したイリヤだった。僕は、僕は……。
黄色いオープンカーは何処ともなく走り去っていった。
「どう?」
「ナイス演技よ、お母様」
「イリヤちゃんもそうじゃない」
「お母様、女の涙は武器なのよ。いつでも流せるようにしないと」
「まぁ……。でも、そうね。けど、マイヤさんって人には悪い事しちゃったわね」
「十分に叩かれる理由はあるけどね」
クルマは深山町から冬木大橋を越え、新都に入った。やがて建築中の冬木市民会館の横を通った。
「この辺りよ、お母様」
会館の裏手には住宅が密集していた。入り組んでいて脇道を覗けば道路が突き当りになる箇所が多い。よく見れば道路でなく旗竿地の駐車場だ。マンションはなく、戸建の家ばかりだが余りにも雑然としている。
古い民家が多い深山町と違い、新都側は平成の頭まで田畑が多かった。この辺りも元は畑だったのだろう。自由建築の家より、ある範囲内の注文建築や建売住宅が多い。
駅前から市役所辺りまでを指す、市が指定する再開発地区とは異なるが、この川に近い辺りも人口増加の一端を担う重要な地区である。
だがエルヴァなら建築会社主導でなく、住宅ローンを組む銀行主導でこの辺りが開発された事を一瞥で見破り手を出さないだろう。
ローンは返済しやすいのかも知れないが、それくらい安普請な家ばかりだ。また消防法はどうなっているのだと首を捻るほど、住宅が密集していた。
そんな通りに、子供達の元気な声が響いていた。
「さっき通った建設中の建物を中心に、ここから向こうに見える三つ先の信号までと、あっちの二つ先の信号の向こうに見えるタバコ屋さんの辺りまでが全部が燃えてしまうの。さっきの子供達もあの子達の親も全員死ぬのよ」
「ああ……」
ゆっくりとクルマを進めているが、アイリスフィールはその長閑な景色に涙が止まらなくなった。
なので、イリヤは涙をハンカチで拭けるように端に寄りクルマを止めた。そしてお茶を買いに自販機を探した。
「お姉さん? 大丈夫?」
オープンにしていたので、見ず知らずの子供に心配されてしまった。
「え? ああ、目にゴミが入ったの。ありがとう、大丈夫よ」
「そっか。カッコ良いクルマだな?」
「フフ……」
それはサッカーボールを持った少年だった。
「シロウ! 早く来~い」
「すぐ行く~! じゃ」
「ええ」
お茶を抱え戻って来たイリヤは唖然とした。そして走り去る赤毛の少年の後ろ姿をずっと見詰め続けたのだった。
「どうしたの? イリヤちゃん?」
「あ、ああ。こんな道路でサッカーなんて。男の子だなぁって」
「そうね。でも元気で可愛いじゃない。ああいう息子が欲しいわ」
息子にしちゃダメなんだよとは言えなかった。
「お母様? 運転してみる?」
「良いの?」
「うん。ただ、LSDがかなり効いているから、ステアリングでなくアクセルを踏んで曲げないと」
「へぇ~。つまり滑らせるのね?」
「まぁ、そんな感じ」
そして深山町に戻らず、冬木山のワインディングをドライブしてみた。最初はぎこちなかったが、LSDの特性を掴み始めると中々だった。
「慣れるの早いね?」
「そうかしら? やっぱり日本の道路だと右ハンドルね」
「300SLは?」
「持って来てるわよ。森のお城に置いてあるの」
「あれを日本の夏に乗ると大変よ」
「どうして?」
「日本の夏って高温多湿なのよ。古いクルマだからエアコンは無いし、窓も開くんじゃなくて取り外しでしょう? 外せば置き場もないわ。真夏だと軽く死ねる暑さよ」
「あれ、そんなのなんだ? 確かにね。元がレーサーだし、乗り降りも大変だものね」
「そう、エンジンの性能は当時として凄いと思うけど、ブレーキにクセがあって怖かったな」
「それはイリヤちゃんの?」
「うん。本当のお母様の形見。でもステアリングが倒せても、タイヤが真っ直ぐじゃないとちょっとしか倒せないし、ガルウィングは格好良くてもスカートじゃ乗り降りが難しいし。じゃ、後期型のオープンかと言われると今更手に入れるクルマかなぁと思うしね。けどね、血だなぁ。私はこういう軽くて、クイクイ曲がるクルマに乗るのが本当に楽しくて好きなの」
「ね? 私も気に入っちゃった。これ買おうかな?」
そうだよ、買えば良いのよ。ここのイリヤのお母様には未来があるのだ。
何度も何度も夢見て来た。お母様を救けてあげたいって。でもそれは、英霊となったこの身体でも一人じゃ絶対に無理だ。エルヴァや皆んなが居るからできる事だ。
私はあの子が好きだ。異世界に一人残ったあの妹が。さぁ、英雄王は何をしてるのかしら?
今日もセイバーは独り寂しくバイクで走っていた。
キリツグもマイヤも武器の調達や作戦会議で忙しいのか、この数日一切会話していない。先日奇遇にもランスロット卿に出逢ったが、恩讐やら感慨やらを感じる前に不満と不安をぶつけてしまった。
不甲斐ないと思う。卿は優しく探してみると言ってくれたが、実際のところ難しいだろう。
キリツグにしても、アイリスフィールが人質として交渉の俎上に載って欲しくはない筈だ。となれば、最悪はアイリスフィールを切り捨てる。そういう決断をする。それは彼が何としても聖杯を得たいからだ。
これは私にしてもそうだ。騎士道を捨て外道に堕ちたくはないが、すべてはこの自分の失態から始まっている。ならば──。
そんな昏い情念に囚われつつある頭の中の雑念を振り払えば、黄色いやけに目立つクルマが視界の隅に映った。
信号が変わって発進する時の交差点で左右を確認した時に、一本筋違いを走っていたのを見付けたのだ。こちらの大通りは信号が多い。そしてあちらの裏通りは一旦停止こそあるが信号は少ない。
だけど気になったのはそんな事ではない。乗っている女性が二人とも見事な銀髪だったのだ。顔は確認していないが、どちらかがアイリスフィールの可能性もある。
だから、クラクションを鳴らす人々に心の中で詫ながら、追い越し車線側から左折した。
ヤマハ VMAX。Vブーストシステムで1198ccのV型4気筒エンジンから、145ps/9000rpmの最高出力を発生し、12.4kg-m/7500rpmもの最大トルクを絞り出す。
対するロードスターは、最高出力が130ps/6500rpmで最大トルクは16.0kg-m/4500rpmだ。車重は283kgと990kg。それにこのVMAXはキリツグがサーヴァント用にと業者に手を入れさせているので、更に馬力とトルクがアップしているし、フレームが捩れる怖さもない。補強が的確なのだ。
また、4連ダウンドラフトのミクニBDS35キャブレターもメインジェット経を大きくしてある。アイドリングは安定しているし、ジェットニードルもクリップ位置が決まっているのか、中間のバラツキは感じない。
ただ、パーシャル域から一気に全開にするとややモタつくのが難だ。
こんな知識を流し込む聖杯に何の疑問も持たず、セイバーはロードスターを追った。やはり慌ててアクセルを開けたので少し息継ぎをしてしまった。
しかし交差点を二つ超えるまでに横に並ぶ事ができた。ドライバーは思った通りアイリスフィールだった。
「アイリスフィール!」
「あら? セイバー!」
少し走った先に駐車スペースのある喫茶店があったので、そこにクルマとバイクを止めた。
「アイリスフィール、一体今まで……」
「ごめんなさい。コトミネのサーヴァントがアサシンなのよ。それも宝具で分裂できる」
「な!? まさか?」
「そう、そのまさか。それで必死に逃げているところを彼女達に救けて貰って」
「そうでしたか。そちらの方、ありがとうございました。ん?」
「たこ焼き、一緒に食べたでしょう?」
「あの時の! 髪の色が……?」
「変装よ。ランサーと戦っていた時はこの髪に戻っていたはずだけど?」
「ああ……! あの時のお二人は見事でした。特に妹御が」
「あの子は特別よ」
「改めてお礼を申し上げます。失礼ですがお名前は?」
「妹の名はエルヴァ・フォン・アインツベルン。私の名はイリヤスフィール・フォン・アインツベルンよ、セイバー」
ご冗談をと言いたいがアイリスフィールと同じ髪に同じ瞳の色が嘘では無いと主張し、当のアイリスフィールが頷いている。その答えは並行世界の娘達だった。
今朝、一旦武家屋敷に行ったが、キリツグとケンカをしたという。こんな時に何をと言いたいが、こんな時だからこそ募る思いもあるのだとイリヤスフィールに言われた。確かにそうかも知れない。
「それで、どうされるのですか?」
「セイバーも一緒に来て? そこでこの聖杯戦争の真実をすべて話すから」
そして30分後、オープンカーと大型バイクは間桐の家のガレージに収まった。
ガレージ内にはターボは付いていないが、LSDを付けたMR-2Ⅲ型・Gと、先月出たばかりのインテグラDC-2タイプRに、4ドア・ハードトップのDB-8タイプRが鎮座していた。
MR-2はストロングブルーメタリックのノンターボ。Ⅱ型までの165psから180psに上がっている。Ⅰ型のようなプロトタイプ感は当然の事、物足りなかった足回りも熟成されている。
この後のⅣ型は主にABSの4チャンネル化が変更点で、ターボ車でないとあまり意味はない。何故ならエルヴァはこのGにオプションのABSを最初から付けていないからだ。
これに積まれる3S-GEは、NAならアルテッツァ用として可変バルブとなった210ps版が最高だが、ターボはセリカのGT-FOUR以上のボディでないと、160kgもある鋳鉄ブロックのヨー・モーメントと245psのパワーがハンドリングに悪影響を及ぼす。
そんなエンジンの重さがマスとなって、ギリギリ手の内に入るのがⅢ型のGだった。
DC-2はミラノレッドでDB-8はグラナダブラック・パールだ。発売僅か一ヶ月後で、チャンピオンシップホワイト以外の色を手に入れたのは勿論エルヴァだ。いわゆる96スペックだが、95年生産モデルはかなり珍しい。
奥にはヤマハ R1-Z(3XC3)などバイクも数台ある。また現在、ECR33 GTS25t TypeM ニスモのディープマリンブルーも発注中だった。折角の10年前だ。往年の名車を新車で手に入れねば損だった。
だがそんな事はセイバーの預かり知らぬ事だった。ただただ、イリヤとアイリスフィールが目を輝かせるのみだ。
「この家は?」
「マキリ……マトウの家よ」
「な! 敵の家ではないですか?」
「もう大丈夫。マキリは降りたわ」
「こんなとこで話し込まないで、中で話しましょう?」
そうして促され、中に入ればかなりの人が居る。
金髪と黒髪の少女に薄紫の髪を持つ幼女。そして埠頭で活躍していた妹の方。こちらも少し色合いは違うが、銀髪で赤い瞳だ。それに肌が思った以上に色濃い。更に妹と紹介された白い肌で銀髪の少女。
ここまでは良い。ここまでは。先程から私達にお茶やお菓子を用意してくれる、褐色の少女と同じ肌を持つ男性は明らかにサーヴァントだ。なのに直感はこの聖杯戦争と関係ないと訴える。この人物も変なのだが、もっと変なのは、自分の前に座る少女と男性だった。どう見ても、自分とランスロット卿だ。
「あ、あなたは?」
「騎士王だが、何か?」
そしてエクスカリバーと鞘を見せ付けられた。本物? では、私は何だ?
「卿よ。あなたは確か、先日?」
「はい、お会いしましたね。尋ね人が早く見付かって良かったです」
いけしぁあしゃあと。絶対にあの時点で知っていたろう?
が、私もそこまで馬鹿ではない。怒るより、何があってどうしてこうなっているのかに興味が湧いた。そもそも自分が自分に会う時点で摩訶不思議だ。
喫茶店で聞かされた並行世界が答えなのだろうが、聖杯から離れてサーヴァントを使役できるものなのか?
いや、目の前の私や卿からはサーヴァントの気配がしない。ここにも何かからくりがあるのだろう。
「なんと!? ではあなたは聖杯戦争とは関係なく召喚されたと?」
「そうです。ともあれ私どもはあなた方がたどるであろう悲劇を知っています。それを避けて欲しいから、ここに来たのです。現在、バーサーカー、キャスター、アサシン、ライダーがこの戦いから降りました。ランサーも実質的に降りたも同然です。残るはあなたと、トオサカのアーチャー、英雄王のみです」
英雄王。メソポタミアはウルクの王。そんな者がアーチャーだったとは。そして残る陣営は我々とアーチャーだけ? そんな馬鹿な!
だが何とか激昂しそうになる自分を抑えて話を促した。すると彼女達は聖杯戦争の真実を語ってくれた。嘘偽り無く。
聖杯戦争とは七騎のサーヴァントを小聖杯に焚べて、大聖杯なるものを回し根源へ至る孔を開ける降霊儀式だった。私は、私達はその生贄だったのだ。
確かに願望器としての側面もあるらしいが、私の願いを叶える程の魔力量は無く、また大聖杯が前回の戦争で汚染されており機能不全だという。
この事だけでも頭に来るが、その七騎を竈に一気に焚べる事で穴がしっかり空くのだそうだ。なので斃されたサーヴァントの魂を一時的に溜めるモノが必要となる。
それが小聖杯で、なんとその役を担わされているのがアイリスフィールだったのだ。キリツグはそれを知っており、アイリスフィールも当初は覚悟の上でこの地に来たのだと話してくれた。
だが、並行世界の娘達に出逢い、話をし、諭され、何としても生きたい、娘の成長を見守りたいと気持ちが変化したという。
それは当然だろう。あんな幼い子を母親から離してはいけない。キリツグの願いもわからなくは無い。だがそれは愛すべき家族を壊してでもやる事ではない。
「人類から争いを失くしたい。それは美しい考えよ? けどね、それは何世代も何世代も掛けて、少しづつ変えていくモノであって、願望器なんかで強制的に変えるものではないわ。政治家になってその国の政治を変えつつ教育を充実させる。教育者になって次世代に希望を託す。大金持ちになって教育機関を援助する。できる方法は幾つもあるの。そんなのは遅いというのは結局エゴなのよ。自分がそれを見たいからそう言うだけなの。強制的に変えられた人類は人類じゃ無いわ。養鶏場に並ぶ鶏よ。あの男は人類に毒を撒き散らす悪なのよ」
イリヤスフィールの言葉が突き刺さる。彼女は並行世界で両親の帰りをずっと待ち続け、最後は第五次でのマスターとなり、その短い生涯を閉じたのだという。
英霊になれたのは奇跡の賜物で、通常では考えられない偶然が幾つも重なった結果だと話してくれた。それはそうだろうと思う。
そして愛すべき家族を、壊してでも夢を叶えようとするキリツグは悪なのだと私は思ってしまった。となれば彼に与する私も……?
しかし、私には聖杯が何としても必要だ。だけど、それはアイリスフィールに死ねと言うのも同然だ。私は、私は……。
少女達の話がどこか遠くに聞こえる。
「私がセイバーを召喚した時の呪文はこうです。告げるの部分から、日本語で。『告げる──汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。自身の信念に嘘偽りなければ、この意、この理に従いて応えよ。誓いを此処に。我は常世総ての善と成る者、我は常世総ての悪を滅する者。我は迷える貴女を導く者。汝三大の言霊を纏う七天、抑止の輪より来たれ、天秤の護り手よ』」
「ね? 『我は常世総ての悪を敷く者』、こんな事を誓う奴が何を望むのよ?」
「いや、それが呪文なのでは?」
「呪文は『素に銀と鉄』から『満たされる刻を破却する』までよ。告げるは召喚する英霊に対する宣言で、誓いは英霊との約束なの。『私は悪い事は致しません、悪い事を見逃しません』。そういう事よ? 聖杯を得るためなら、人を殺しても構わないなんて、二回目以降に暗黙で決まった事よ。『悪を敷く者』は自己暗示なのよ、誤魔化すための」
そういう意味なのか……。
「なるほど。フフ……マスターらしいアレンジですね。『我は迷える貴女を導く者』ですか」
「この手の自らを証明するアレンジは重要です。サーヴァントの召喚ではありませんから」
「ですね」
少女達は全員頷いている。
「アイリスフィール、これは正しいのですか?」
「わからないわ。大聖杯を使わずに英霊を召喚するなんて、そんなの初めて聞いたもの。呪文の事も。それに、たぶんだけど幻獣や悪魔の召喚より難しいと思うわ」
それはそうだろう。エルヴァという少女を見る。目が会えばニコリと微笑み返す彼女に昏さは無い。だが、彼女は恐ろしい事を話し始めた。
「この聖杯戦争は後数日で終わります。最終決戦は英雄王との戦いになるでしょう。その前に禅城から凛ちゃんを誘拐し、桜ちゃんともども可愛がってあげましょう。そして二人をビデオに撮り、遠坂に送り付けます。娘が可愛いなら令呪を棄てろと」
征服王の棄権で無効試合でした。