55、アルバイト三景
元の世界に戻り、久々に学園に行けば期末テストの後半が残っていた。体感的には1ヶ月以上並行世界を渡っていたから、夏休み明けの小学生気分だった。まして試験だし。
私は問題無かったけれど、ルヴィアはかなりヒーヒー言っていた。彼女は今回の仕事は裏方だったけれど、かなり冴えていた。先生から何度も褒められていたのだ。けれど、テストの事は綺麗さっぱり忘れていたらしい。
問題を軽く解ける頭はあっても、感覚の対応は別問題だ。それでも手応えはあったみたいだから、大丈夫なのだろう。
二人で屋敷に戻れば、ほぼ同じタイミングでエルヴァも戻った。試験の間はトイレ以外教室から出る人は少ない。なのでエルヴァとは全然会わなかった。昨日の朝もそうだったが、お互いの制服姿が妙に新鮮だ。
3年生の中でも、エルヴァのA組はS.H.がやたら短いので有名だった。対して私やルヴィアの2年A組は、担任の葛木先生が生真面目なのでS.H.が長い。こういうのも担任の性格次第だ。
明日から試験休みなので、軽くエルヴァの予定を聞いてみた。すると、部活の試合と進路相談もあって、試験休みはほとんど潰れるという。やっぱり、3年生だものね。
それでなくとも大学受験に備えて、夏休みも特別授業や外部のゼミやらで忙しいのが高校3年生だ。けれど彼女は試合と練習の無い日はアルバイトを入れていた。それも夏休みだけでなく試験休みからだ。進路相談云々は何だったのだ?
それも詳しく聞けば変わったアルバイトで、海の家の期間限定ホール・スタッフと、縁日やお祭りの屋台の焼きそば売りだった。何でそんなのを?
どうやらバイト先は、イリヤの学年に居る嶽間沢龍子という子の家の仕事らしい。それを前々から手伝うと約束していて、面接も済んでいるのだとか。
また、コミケと言うの? あれのイベントにも数回協力するそうだ。こちらもイリヤの友人の栗原雀花という子との約束だという。何だかその子の姉の栗原火雀という人からも熱烈に頼まれているのだとか。
本当にコイツは魔術師なのか? 変わった人脈を広げて行く人だなぁ。
それで大学受験は大丈夫なのかと心配すれば、時計塔の降霊科と創造科から是非講師で来てくれと依頼が来ているそうだ。初耳だ。
追い出されたこちらとしては、何を言えば良いのかわからない。彼女もそれで私達に黙っていたらしい。
とは言え、階位授与があるので、倫敦に一度は行かなければならないんだけどね。その時はエルヴァだけでなく、エルや師匠も一緒だ。エルヴァは返事はその際にと連絡してあるそうだが、衛宮の小父様は反対しそうだなぁ。
「あなたなら自分でビジネスを立ち上げられるでしょうに?」
「スタートが遅いですし、同じするにしてもルヴィアや凛を軌道に乗せてからですね。そしてスイスのエルヴァと、一緒にできたらなと考えています」
「ああ、あの子と」
「なるほどですわね」
「ええ。何も無理をして、エルと同じ事をする必要はありませんから。先生からの依頼をこなしながら自分なりの事ができればなと。ですから、数年時計塔で教鞭を執るのも一つの手ですよね。それに、そうすればあなた達がプラハを出るまでの時間を無駄にしませんし、エルヴァも大きくなります」
「エルヴァさん? それ、オーギュストを通じて父と相談されていますでしょう?」
「はい」
「やはり。エルヴァさんによろしくとか、エルヴァさんを姉と思って仕えなさいとか、最近は手紙でも電話でも語尾語尾にそればかりですわよ」
ルヴィアがこう話すのも無理はない。実はエーデルフェルトでは既に地上や海底の知られざる霊地開発に着手していて、エルヴァはこの事業での顧問なのだった。
先日もダイヤモンド鉱山と呪体の鉱山が見付かり、彼女はとっくに億万長者になっていた。いや、冬木より大きな霊地を幾つか個人名義で所有しているので、セカンド・オーナーを飛び越えてファースト・オーナーとなっていた。
これもエーデルフェルトを介した申請ですんなり通っている。店子も時計塔のロードや講師が協力したので満杯の状態だ。それにより年内には、エルから借りている(貰ったはずだが、彼女は借りていると言い張っている)資金が返せるらしい。
恐ろしいのは呪体の鉱山だ。それは何かと言うとズバリ、太古の神獣や幻獣・妖獣の躯が堆積した化石だ。つまりドラゴンやワイバーンの化石なのだ。これら化石を精製すると錬金術や魔術の触媒となる偽霊鉱となる。
元々が神秘を思いっ切り内包した存在だ。それが私達にも加工しやすい鉱物となっている。中でも高純度の物は時計塔の地底にあるアルビオンでしか採れないと言われていた。
それと品質が然程変わらぬ物が採掘できる鉱山をエーデルフェルトは手に入れられたのだ。
今やエルヴァはエーデルフェルトの女神だった。下にも置かない、決して足を向けて寝られない人となっているのだ。
そんな子が海の家でドリンクを運んだり、屋台で焼きそばを焼くのだ。勤労意欲旺盛というか何というか。
「けどさ、こんなにアルバイト入れて。試合もあるんでしょう? あなた、免許を取るって言ってたじゃない? 教習所にいつ通うの?」
「試験休み中にバイクとクルマの仮免許を取ります。それで終業式前後に一発試験ですね」
「一発試験って?」
「運転免許試験場で試験を受けて免許を取る方法です」
「そんなのがあるんだ?」
「これが本来の取得方法ですから。何でもかんでも教習を受ける日本が特殊なのですよ」
「どんなのなの?」
「試験場で目の検査を受けて、筆記試験を受けて、コースを使った実技試験をその日の間に受けます。使い魔を放って教習ルートを頭に叩き込めば一発ですよ。後日、仮免許を受けて路上試験ですが、これなんかも簡単です。普通に受けても、1回目は無理としても2~3回で受かりますから。エルもイリヤ姉さんもこの一発試験でバイクの免許を取っています。凛もルヴィアも、来年受けてみればいかがです? せっかくここの庭は広いのですから」
「ああ、オーギュストに教えて貰えば……名案ですわね」
「良いなぁ。私だけが不利じゃない。何で誕生日が2月なんだろう」
「不利って……年齢なんて順番ですわよ?」
「わかっているんだけどね。それでエルマはどうしたの?」
そう、エルマがまだ帰っていないのだ。
「桜ちゃんの家ですよ。何でもお泊まりに誘われたらしくて」
「え?」
何とそこまでの仲になっていたのか。
「リン、これはもしかして、お返しでこちらに泊まりに来たり?」
「え、嘘。どうすんのよ?」
「知りませんわよ。どう対応するのかはご自分で考えなさい。場所は提供致しますから」
「ま、どうなるかはまだわかりません。ヌカ喜びの場合も考慮して落ち着きましょう」
「そ、そうね」
そこへふよふよと飛んで来たのは私のルビーと、ルヴィアのサファイアだった。
そう、ルヴィアは前回の世界でサファイアを手に入れていたのだ。それもタダ同然で。真相はこちらで知り得た魔術関連の内容との等価交換だと思う。あちらは10年前だしねぇ。ま、同族内での情報に留めたらしいから、先生もエルヴァも何も言わなかった。
また、前々回のアーチャーは私とルヴィアとで預かる事となった。向こうの凛が返せと言えば返さなければならないが、宝石剣を得るまでに最低2年は掛かるだろう。それまでの魔力タンクに指名されたのだ。
これは英霊を支えるとはどういう事なのかという実践的な勉強でもある。と同時に、私とルヴィアは投影品だけど一応宝石剣持ちだ。絶対他の世界の遠坂凛やルヴィアゼリッタ・エーデルフェルトには明かせない超反則技だけれど、最近やっと魔力をコントロールできるようになった。以前のような痛みも今はない。
確かに宝石剣無しなら、効率良く魔力を使わないとキツいものがある。宝石剣をコントロールする練習の賜物で、1年前の自分達とはダンチの魔力量とコントロール性を手に入れてもいる。
それでもキツいのだ。ルヴィアと二人でこれなんだから、一人で三騎も支えるエルヴァや、一種とは言え二騎支えるエルマは凄い。
「お向かい、どうだった? 仲良くなれた?」
『そこは大丈夫ですよ~。ですが、あちらの私は可愛い子をゲットしましたねぇ~』
「私は今更年増発言されても怒らないけど」
『何を仰って。リンさんにはマジカル・ロリンがあるじゃないですか』
等価交換で私はこいつの変身ごっこに付き合っていた。こいつもわかっているのか、室内でしか転身しないで済んでいる。今のところは。そのせいというか何というか、部屋のクローゼットに子供服がやたら増えた。これじゃ、少女趣味のイタい高校生だ。
先日も穂群原小学部の夏服姿に転身させられ、ルヴィアに見付かり微妙な顔をされてしまった。彼女も私の立場を理解しているし、今は友人であり仲間なので笑い飛ばしたりはしないのだが、あれはあれでキツいものがある。
だけど新たな発見もあった。高校生の年代で転身するより、若返って転身する方が、出力が20パーセントほど上がるのだ。若返る分、魔力を喰って出力が落ちそうなものなのに、上がるのはルビーの嗜好と合うからだろう。要はヤル気が出るのだ。
それを知ったルヴィアがサファイアで試してみたが、こちらは全然上がらなかった。というより若返り分の魔力が喰われて15パーセントは落ちる。可愛いルヴィアを見れたのは眼福だったが、予想通りというか予想外というか。
やはり人工精霊とはいえ、個性や嗜好が明確にあるのだと判じるしかなかった。
「でもね、ルビー。あちらに変なちょっかいを出さないでよ。そこの姉はキレたらマジで折りに来るから」
『らしいですね~』
こいつの話し方にも段々慣れて来た。気にしなければ、実は大した事は言ってないのだ。
『ええ。あちらの姉さんに念を押されました。ここの私はどちらに?』
「近い内に会えるわよ。美遊って子がマスターだけれど、ご近所だから。休みに入れば毎日会えるかもね」
『そうですか』
二人というか二本のステッキは、すっかりこの家に馴染んでいた。メイドの人とも仲が良いみたいで、結構お喋りを楽しんでいる。それと性格が微妙に違うらしく、私にはこのルビーの方が合う。
これはルヴィアも指摘していて、冗談は言うが無茶はしないし、命令すればやるべき事はやってくれる。最初のルビーより使えるステッキなのだ。
裏返せば最初のルビーはイリヤとやたら相性が良い。やはり世界間で個性が異なるのだろう。それもあって私は恥を忍んで、あれこれ実験しているのだ。また、サファイアは余り変わらないと私は思うのだが、それでも微妙に違うとルヴィアはいう。
私達には帰ったとの報告だったようで、二本はふよふよと廊下に出て行った。
「こういう違いも並行世界の指標となるのかしら?」
「それを調べても面白いのでは?」
「ね?」
ノックにルヴィアが返事をすると、カチャリとドアが開いてアーチャーが入って来た。アイスティーを入れてくれたようだ。三人でお礼を述べ、ストローに口を付ける。あら、美味しい。
「美味しいですわね?」
「アイスだから?」
「いや、アイスは本来難しいもので茶葉を選ぶのだよ。タンニンが多いとクリームダウンという、白く濁る現象を起こすのだ。こういう事は先にエルヴァに聞いた方が早いのでな、セイロンのディンブラを指名買いして来た」
「これもBOPだっけ?」
「そうだ。ブロークン・オレンジ・ペコーだな。クリームダウンし難いし、アレンジにも良いらしい。私も試飲したが、これは中々だったよ。記憶違いでなければ、倫敦でのルヴィアはアールグレイばかりだったからな。執事の人に教えて貰ったのだが、あれもクリームダウンし難い茶葉として知られるのだ。いや、君達と出会って勉強になる事が実に多いよ」
「夏休み頃にはエルとお兄ちゃんが来るらしいので、お茶合戦ですね」
「にわかには信じられんが、そんなに差があるのか?」
「腐す積もりはありませんが、あると思いますわよ?」
「今を楽しんで特訓すれば良いのよ。あちらの私が宝石剣を作るまで最低2年はあるんだし。もう座に還る気はないんでしょう?」
「うむ。どうやら大魔導師が、もう手を打ったらしいからな。それに2年目以降もここに残る可能性も無きにしもあらずだ」
「それは?」
「宝石剣云々でなく、お互いの気持ちさ。前回の第四次では本当に感動したからな。そしてここで聞いた、エルヴァ、君の在り方だ。良くもまぁ、一人で妹達を守って来たな?」
「ま、それは。それと父も母も夏には帰ると思います」
「そうか。ここのジイサンは、セイバーが話しやすい人だと言っていたな。やはり違うのか?」
「違うでしょうね。そのセイバーは食堂ですか?」
「いや、イリヤやランスロットと出て行った。何でもアルバイトを探すとかで」
「姉さんに感化された?」
「だろうな」
「二人の士郎クンには会いました?」
「ああ、話したのはミユという子の兄の方だが、どちらも私のようにはならんだろう。特に向かいの方は」
美遊の兄の衛宮君は、毎日ここに来て料理や掃除を手伝っていた。間を見て剣技などは、ランスロットさんが中心となって、セイバーやエルヴァも教えている。正当な報酬を支払っているそうなのだが、少しでも家の購入資金を返したい彼には物足りないらしい。
「そうそう、そうですわ。試験休み中に彼向きな仕事がありましたの」
「何?」
「当家に於けるスオミでの霊脈調査ですが、難しい仕事ではありません。単なる荷物持ちですわ」
「荷物持ち?」
「ええ。調査は専門家が行いますが、その調査用の礼装や装置に食料などを運ばねばなりませんの」
「ああ、なるほど。今時分に行うのは雪が無いから?」
「それもありますが、冬は凍結しているからですのよ」
凍結。かなり北なのだろうか。
「北部のイナリ湖辺りですよね?」
「やはりエルヴァさんはご存知でしたか。そうですわ。カルドアヴィという保護地区がありまして、その中ですのよ」
「原生環境保護地区でしたっけ? バギーか四駆で、決められた場所までしか行けない?」
「ええ。そこですの」
ほとんどスウェーデンとの国境らしい。ラップランドという辺りだ。完全に北極圏で今時分は白夜だったと思う。
問題はベースキャンプとなる別荘から、中継基地まで荷物を運び、そこから歩きで霊脈まで行かなきゃならないところ。それも食料や飲料などを何往復もして設営した前線のテントまで運ぶ。
冬なら犬ぞりが使えるそうだが、そうなると雪や凍結で調査が難しい。なのでこの時期に、毎年一気に行うそうだ。エーデルフェルト一族の若い男性は必ず体験させられる、結構ヘビーな仕事らしい。
「思い出した。倫敦時代に2年連続行った憶えがある。確か自転車や人力の貨物車は使えたと思う」
「三輪車ですね。それは一部しか走れなかったと思います。それにパンク修理ができませんと辛いですよ?」
「そうだ。空気入れも運ばねばならなかった。あいつはそういう事は?」
「夏でも雪が降るような過酷な世界でしたから。土蔵でのガラクタいじりはイマイチだと」
「では、特訓だな」
「いえ、魔力用の礼装を用意致しますよ? 一緒に行かれればいかがです?」
「何を考えている?」
「甘いかも知れませんが、血気盛んな年頃同士の詰まらない諍いです。あなたが嫌う過去のタイプと違い、彼はやり返すタイプですので。おまけにある程度、アーチャーの能力が使えますし」
「つまり私は手綱役か?」
「そういう事です」
「確かあれは、女人禁制だったか?」
「禁止という訳では無かったと思いますが、毎年男性だけでチームを組むのが恒例ですわね」
「なら、魔力タンクをもう一つ。それと万一の場合の補充方法と」
「ランスロットさんですね?」
「ああ。時間を無駄にはできんだろう? それに毎朝の訓練を見せ付けてやれば、突っ掛かる者も出んだろうしな」
「では、三枠で連絡を入れますわ」
「頼む。私はあいつに話してこよう。日程も教えてくれ」
日程は7月12日から26日までの2週間。美遊の誕生日も仕事になってしまうけれど、これは学生の衛宮君やエルヴァが何とかするだろうし、私達も考えてある。その摺り合わせは明日か明後日にでも行おうと学園で話していたのだ。
美遊もその辺は理解していて、彼は二つ返事でOKしていた。パスポートも今後の事を考え既に取得済みだった。なので、今週金曜日の7月9日にヘルシンキへ出発する事と決定した。
7月7日から8日に掛けて、俺は忙しかった。何せ初めての海外旅行だ。何を用意して何を着て行けば良いのか、それすらもわからなかった。だいたい仕事先が北欧だ。ルヴィアさんの故郷、フィンランドの最北部なのだ。地図を見てもピンと来ない。
仕事そのものは荷物運びなので簡単なのだそうだ。ただし重い荷物を持って長距離を歩くので体力勝負なところがあるとか。また、不思議な事に、往復の旅費や滞在費に食費まで持ってくれるのに、僅か二週間で40万は稼げるという。一日3万円だぞ? ちょっと普通では考えられない収入だ。
冬は過酷で夏は何もない荒野が広がるだけの大霊地。これが原生環境保護地区の中にすっぽり入っていて、クルマで行ける場所がかなり限られているのだそうだ。
霊脈の調査に調整などは専門の人が帯同していて、その人達の調査装置や礼装、食料などの大荷物を俺達が運ぶわけだ。
今時分だと真昼で30度前後になる日もあれば、冷夏だと夜に1度や2度に落ちる日もあるという。危険な事はまずないらしいけれど、体調管理が難しそうだ。
俺が金に拘るのは、家の借金もあるけれど妹のためでもあった。それにこういうのは勉強になると思えた。何故なら、エルヴァさんの元であるエルさんが居た頃、あの人から将来設計の方法を色々教えられていたからだ。
美遊一人を大学まで行かせ、一人前の大人に育てる──その年齢に至るまでの食費や衣類に授業料などをパパッと出せば、2千500万近く掛かる事がわかった。
その間、俺も食わなきゃならないし、俺自身にも生活費が掛かる。これを理解した時に生きるって大変だなって本気で思った。
エルさん曰く、『生涯懸けて稼いだお金も、ほとんどの人がその人生で使い切ります。資産を子や孫に残せるのはごく一部の人達だけですよ』と。
だから俺はこの仕事を受けた。焦りは禁物と自分に言い聞かせているが、それでも仕事が欲しかった。
「士郎、買い物に付き合え」
あの兄貴みたいだったアーチャーさんでない新顔のアーチャーさんが、俺とランスロットさんを誘ってアウトドア・ショップに連れて行ってくれた。
十万以上の金を使ってしまったが、これは先行投資であり仕事を請け負う上での必需品だ。
テントまでは要らないが、防寒防風対策された衣類に、長距離を歩ける靴、そして今後も必要になる可能性が高いアウトドア・クッキング用のストーブや食器などを揃えた。
それらをデカいリュックに詰め込んで、用意が整ったのが8日の夜だった。
「ごめんな、誕生日に居てやれなくて」
「ううん、わかってるから。元気に帰って来てね」
「ああ。それしか取り柄がないからな」
「フフフ……」
誕生日のプレゼントはエルヴァさんに一任した。男の俺だと何を贈ってあげればいいのかわからないからだ。
妹の笑顔に見送られて家を出たのが9日の朝6時。集合場所のルヴィアさんちに行けば既にクルマが待っていた。オーギュストさんと思ったけれど、空港まで送ってくれるのは厨房コックのニコさんだった。
オーギュストさんは別件の仕事でオーストラリアへ昨日の夜に出たらしい。今までも3~4日の日程で海外へ仕事で出る場合があったけれど、こんな急なのは初めてだったと思う。何の仕事かは知らないけれど、上手くやり遂げて元気に戻って欲しい。
だって、あの人はもう70歳近いんだ。普通なら孫に囲まれ穏やかで幸せな余生を送っても良い筈だ。なのに執事兼ボディガードとして人生の大半を費やし、今も第一線で活躍している。
俺はあの人を尊敬していた。何度かサウナに誘われ、語り合った事もある。俺にとっては人生の師匠であり、父親的な存在でもあった。
え? それは向かいの切嗣さんだろうって? あの人は俺の死んだ親父とは違う。また、俺にとっての養父は仲間みたいな関係だった。だから、あの人も仲間というか伯父のような感覚だな。
クルマが門から出る時、エルヴァさんと士郎が手を振ってくれた。エルヴァさんには姉的な感覚があるけれど、士郎は何だろうな? 友人というより、従兄弟かな? 今はそんな感覚だ。
成田でヘルシンキのヴァンター国際空港行き直行便を待つ。飛行機への緊張はさっきのフライトで収まったけれど、こうして何もしないでただ待つ事が何か落ち着かない。
「根っからの貧乏性だな、お前も」
「自分でもそう思う。何かしていないと落ち着かないというか」
「そこらの椅子でも磨くか?」
搭乗口前のロビーで椅子を磨くのか? それは変だろうと思いつつ、この人もそうだったのかなと思った。
「慣れですよ、シロウ。戦では待つ事も戦いの内でした。あなたは今、初めての戦いに臨んで緊張しているのです」
そうだな、これも緊張なんだ。ランスロットさんの言う通りだ。
「二人は魔力は大丈夫なのか?」
「ああ、問題ない」
「ええ、見事な礼装です。ただ、常時身に付ける必要があるので、霊体化できないのが難点ですね」
「それは必要ないだろう。それに行き先は、エーデルフェルトが持つ霊地だ。この礼装が自動的にマナを取り込んでくれるので、魔力切れの心配もない」
なるほど、便利なものがあるんだな。1時間ほど待って搭乗が始まった。今度は10時間ほど飛ぶ。
寝るのも仕事と言われ目を瞑ったが、そうそう眠れるものでもない。やはり慣れなのか、二人はスッと眠っていた。英霊でも眠るんだなと考えていたら、いつの間にか眠ったらしく、ゆすられて起こされた。
「ん……着いた?」
「まだだ。機内食さ」
「ああ、ありがとう」
イマイチな、弁当みたいな機内食をもそもそと食べた。空の上だから贅沢は言わないけれど、もう少しどうにかならないかなぁ。
「もう少しどうにかならんものか」
アーチャーさんが同じ事を言ってる。俺とは違った道を歩んで英霊となってしまったどこかの俺。でもこういう時に、根っこは同じだなと思う。
「食べられるというだけで十分ですよ」
ランスロットさんは本当に人間ができている。俺にとっては剣術や武術の師匠でもあるけれど、学べる事はそれだけでは無い。あっちの兄貴のアーチャーさんが薦めてくれた理由が良くわかる。
そして腹がくちるには足りないが、まぁまぁ満足したところで仕事の内容をもう一度確認した。俺はクルマやバギーなんて運転できないから、ランスロットさんと現地まで人力で運ぶ係だ。
アーチャーさんはクルマやバギーが中心だけど、人力もあるらしい。向こうでより詳しいチーム分けや仕事内容がわかると話してくれた。
ヘルシンキでタンデムローターのヘリコプターに乗り換えて、ラッピ県北ラッピ郡イナリ地方のイヴァロ村にあるイヴァロ空港まで飛ぶそうだ。もう慣れたけれど、フィンランド語って日本語っぽい単語が多い。
到着口を出てコンベヤで運ばれる荷物を受け取れば、エーデルフェルトの人がその部屋の外で待っていた。
名前というかコードネーム? クラウンというモヒカンの大男だ。黒人とネイティブ・アメリカンの混血の気がする。その人がニカッと白い歯を見せて、俺達を歓迎してくれた。
英語なのかな? 俺にはチンプンカンプンだけど、アーチャーさんが応対していた。空港内の従業員用通路? そんなところを歩いて滑走路に出た。7月なのに空気が乾燥しているからか、少し寒い。目の前の滑走路の傍に軍用みたいな大きなヘリコプターが停まっていた。
「さすがはエーデルフェルトか。ボーイングのCH-47チヌークを自家用で持つとは」
自家用か、凄いな。機内に入ると結構人が乗っていて、後数人乗れば出発だそうだ。
人数は全員で35人。基本八人ずつの4チームに分かれ、各チームに一人のリーダーが居る。4チームだからリーダーは四人居る事になる。
クラウンさんもチームリーダーで、全体のリーダーも兼ねていた。残る三人は霊脈担当の魔術師らしい。と言っても、皆んなエーデルフェルトに連なる人達で大半が魔術師らしいけれど。
機内の座席を見渡せば、皆んな若い。リーダーと霊脈調整の魔術師、それとアーチャーさんやランスロットさんを除けば、俺のような10代後半から20代前半だけだった。
聞けば荷物は既に輸送してあって、この大きなヘリコプター二杯分もあるという。つまり三回目のこれでやっと人員輸送となるのだ。
もう夜のはずなんだけど、ヘリの窓の外の太陽は低いところでずっと留まっている。1時間以上飛んで、ヘリはイヴァロ空港に到着した。
そこからクルマでエーデルフェルトの別荘へ。ここで一泊して、翌朝から荷物を積み込んで2チームがクルマで中継基地まで行く。この中継基地で荷物の受け入れ隊として1チームが残り、後の1チームが先発隊として調査ポイントまで荷物を運ぶのだ。
同時に受け入れ隊の何人かが別荘に戻り、荷物ともう1チームを運ぶ。これを繰り返して荒野の真ん中まで全員が行く段取りだった。
クルマはアーチャーさん達が運転するから、行きも帰りも必然的に輸送の一番多いチームに配属された。まぁ、不満は無い。むしろこれをチャンスと捉え、軽い英会話くらいは覚えようと思えたからだ。
調査ポイントは複数箇所あり、それぞれが数十キロは離れている。とは言え、行くだけ行ってしまえば、帰るまで後は楽らしい。
気を付けなきゃいけないのは、食事とトイレだ。ゴミも残飯も残せないので、全部持って帰らなきゃならない。また簡易的なトイレをテントで覆って設営するのだが、その排泄物を薬品で固めて、これまた持って帰る。
とにかく自然に影響を与えないよう、細心の注意が必要らしい。先導する人が通るところ以外は通っては駄目だし、疲れたからとそこいらに座る事も許されないのだそうだ。
そして俺はその排泄物を中継基地まで運ぶ係に指名された。消臭処理されていても、背負った荷物は皆んなの糞尿だ。
これは東洋人だからどうこうとかの、悪意も差別も関係ない。理由は至極単純。それは俺が皆んなと会話できないからだった。アーチャーさんがこいつにさせろと進言したらしい。
そして大荷物を持てるランスロットさんが機材や礼装担当だった。実際一番重いのがこの礼装で、モノによるが運ぶのに四~五人、交代要員を含めればその倍は人手が取られるので毎年悩まされるそうだ。
重いだけでなく、距離があるのがネックだ。おまけに一輪の手押し車もカートも使えない。使えるのはごく一部で、そんなところなら調査員の魔術師が自分で運んでしまうらしい。そりゃそうだよな。
そんなバカみたいに重い荷物を一人でひょいと持つランスロットさん。来年も頼むとクラウンさんに言われているらしい。
こういった仕事内容なので、翌朝からはクルマにバンバン荷物を運んだ。アーチャーさんが座席を確保しながら手際よく荷物を詰めていく。屋根の上まで満載だ。
これを全員送り出すまで続けて、最後に自分も乗った。中継基地で荷物を降ろし終えた頃には、ほとんどの荷物が先行した人達に運ばれた後だった。
思ったよりも楽だと思った。けれど同じ隊のヨハンネス・エーデルフェルトという奴がかなり参っていた。
アーチャーさんが言うには、北欧随一の名門と知られるエーデルフェルトでも、武闘派の本家と遠い一族末端には、うらなりの学者タイプもそこそこ居るのだとか。
良く聞けば他の家の魔術師なんて、体力のないこういう人ばかりなのだそうだ。つまり元気に歩ける奴が名門の割に多いのがエーデルフェルトの底力なのだという。家の格がそれでわかるだろうとも話していた。
確かに、これに限らずそう思わせる風格というか、うまくやってるなと感心させられる事は、厨房でも洗濯室でも見られる光景だった。
そんな家の倫敦別宅で、今のクラウンさんとほぼ同格まで行ったという若き日のアーチャーさん。この人も凄いよな。
そして、ヨハンネスだけど。彼は体力こそ無いが、性格はとても良い奴だった。言葉は通じないけど、荷物を多めに持ってやればお礼だとコーヒーを淹れてくれたり、お菓子を分けてくれたりした。
二日、三日と経つと、俺はヨハンネスと簡単な英会話をするようになっていた。当初の期待通りだ。けれど、どうやらアーチャーさんがヨハンネスに俺の事を頼んでいたらしい。
だってヨハンネスは俺との会話をフィンランド語を一切使わず、英語で通してくれていたからだ。なので、三日目には俺とヨハンネスは友人になっていた。
四日目の夜、ヨハンネスが身振り手振りで面白い事を話してくれた。彼は四分の一、サーミ人の血が入っているという。
スカンジナビア半島の北部をラップランドというらしいが、サーミ人はそのラップランドやフィンランドの横から突き出ているロシア領のコラ半島を、トナカイを遊牧しながら暮らしていた人々なのだそうだ。
今はどこかで定住している人がほとんどで、ヨハンネスのお祖母さんも定住を決め街の人と結婚したサーミ人だった。
サーミには季節が八つある。『凍てつく雪』『雪解けが輝く季節』『氷の割れるとき』『真夜中の太陽』『収穫期』『紅葉のとき』『初雪』、そして季節とは言い難い感じがするけれど『クリスマス』だ。
今は『真夜中の太陽』の季節だとか。白夜だものな。
白夜のピークは過ぎたらしいけれど、朝まで夕方が続く感じで体内時計が狂う。アイマスクを支給された意味が良くわかる。
そして明るいから見えないけれど、毎晩オーロラが出ているそうだ。サーミの伝説だとキツネが丘を走る時に尻尾が雪原と触れて、火花となって夜空を彩るのがオーロラだそうだ。
だからフィンランド語では狐火というレヴォントゥレットがオーロラを指す言葉なのだそうだ。なんだか日本の妖怪話みたいで面白い。
それで興味が湧いて他の伝説や神話を教えて貰った。北欧神話やフィンランド神話とも違う、聞き覚えのない話ばかりなので面白い。そしてやたら女神が多いのも特徴だ。
男性神だと天の神ウッコを教えてくれた。別名ホラガリス。雷の神でもあり雨の神でもある。両手にハンマーを持った巨人で、豊穣の神だという。
北欧神話のトールっぽいなと思えば、それにはディエルメスという別の神が居るそうだ。こちらもハンマーを持った雷の神だ。
天に架かる虹を弓にして、悪霊を射るホラガリス。虹を持つのに雷を放つ別の弓で魔物を射るディエルメス。同じのようで微妙に違うらしい。
部族の違いか、伝え聞く物語が分化したのか、そこは謎だけど。
また、狩りに出る男性の信仰と、家を護る女性の信仰対象が異なるところが面白い。家には家の神が大勢いるのだ。
そして五日目の朝。ヨハンネスの様子が変だった。何かよそよそしい。お昼ごろには元に戻ったけれど、体調が悪いのか?
「アーユーOK? ヨハン?」
「アイムOK。サンクス、シェロ……ヤァ、ノープロブレム」
きっと違う尋ね方があるだろうし、ヨハンネスなら異なる答え方を知っているだろうと思う。けど、気のいいコイツは俺の英語力に合わせてくれている。勉強って大切なんだなって痛感した。
その夜。俺は中々寝付けなかった。何時だったろう? テントの皆んなが寝静まっている中、外でヒソヒソ話が聞こえた。
音を出さぬよう、そうっと寝袋から出て、テントの外を覗いてみた。あれ? 暗い? この辺りは北緯66.6度より高いから、もっと明るいハズなのに。
気になって出てみると、アーチャーさんとランスロットさんだった。さっきまでクラウンさんと話していたらしい。
「何か問題が?」
「いや。霊脈からマナが一気に吹き出てな。夏至からひと月が過ぎた今時分に起こる、この地特有の自然現象なのだよ」
「ええ、それに私が驚いてしまって。そこを見回りしていたクラウンさんと出会ったので、少し話していたのです。これは凄いですね。今なら礼装なしでも大丈夫ですよ」
礼装がなくても英霊が現界できる程の魔力が得られるのだとか。そりゃ驚くよな。礼装の魔力もパンパンらしい。不思議な事もあるもんだ。
「あれはお前には何に見える?」
アーチャーさんが指差したのは、真上と言ってもいい上空だった。
本当はもう少し明るいんだろうけど、俺の目には真っ暗に見えた。月も星も見えないんだ。本当なら出ている筈なのに。
そんな吸い込まれそうな漆黒の空で、緑や赤のカーテンがゆらゆらと踊っていた。思わずため息が漏れた。
「オーロラ?」
「珍しいだろう? 上空のどこかの土地から風に流されたマナが、地上から湧き出るマナと反応しているのさ。これも色んなパターンがあってな。感じ方も人それぞれだ。私が一番感動したのは、ある国の霊脈の真上にある湖上で見た、蜃気楼のような乙女達の踊りだった」
「それもマナ?」
「ああ。そしてそんな風にどう見えるのかも個人差がある。私もあれはオーロラに見えるが、あの赤がお前の場合は緑だったりする場合もあるだろうな」
ああ、回路の違いや目の違い。色々あるんだろうな。そういうのを昔の人が見て神話や伝説が産まれたのかな?
「昔の人の方が魔術回路が多かったろうし、何より誰しもが持っていただろうからな」
俺達はそうして小一時間ほどカーテンの踊りを眺めていた。大自然の不思議さに雄大さ。対して、こんなところまで来て金を稼がなきゃならない自分のちっぽけさ。でも惨めな気分にはならなかった。
その幽幻な現象は、お前もホシの仲間なのだと声を掛けてくれている気がしたからだ。本当に心が暖まる。
そんな事があるはず無いのに、腰に美遊が掴まっている気までした。それくらい暖かな気持ちだった。
「風邪をひくぞ? ぼちぼち寝ろ」
それもそうだと思い、トイレテントに行った後、寝袋に戻った。その六日目の朝。ヨハンネスの気持ちが俺にもわかった。
その夜、夢を見たんだ。とんでもない夢────
寄せ合った唇はとても柔らかく──カサッとした自分を恥じる。
絡み合う舌の感触──寝る前に、もう一度歯を磨けば良かった……。
『来て』
その人の手で導かれる俺──その柔らかな手で握られただけで爆発しそうになる。
グッと腰を沈めれば、俺の下からくぐもった声がする。
柔らかく暖かく、そしてヌルっとしているのにキュッと締め付けて来る感覚。思わず俺は抽送を繰り返す。
喘ぐ相手の声が可愛い──俺だけじゃない。この人にも歓んで貰いたい。だから腰を打ち付ける。
俺の首に回す腕が愛おしい──人を愛するってなんて素敵なんだろう。
そして見やった顔は、ルヴィアさんであり、凛さんであり、エルヴァさんで、最後は再びルヴィアさんだった。
耳元で『シェロ』と呼ばれた気がした。
ええっ! と目が覚めた時、俺の下着はベトベトだった。
そして隊のほとんど全員が、俺と同じバツの悪い顔をして朝食を掻き込んでいた。
『精霊の悪戯』という現象らしい。これからこの地を離れるまでの間、俺達魔術回路のある人間は様々な夢を視るそうだ。今朝のような夢だと、最後に見た相手が結婚相手に向いた人なのだという。本当かよ?
だから男性限定なのか? だから若い奴ばかり集められているのか? しかしリアルだった。胸がデカ過ぎだ。あ、いや……。
けれどそういう夢ばかりでなく、事故で死んだり殺される夢とかもあるらしい。それを占い代わりにする人も居るのだとか。
つまり、こういう大霊地では時々起きる現象で、大昔のシャーマンなんかはこういう方法でも占っていたそうだ。だから部族と密接な霊地は重要だったのだとアーチャーさんが教えてくれた。
そうだよな。北アメリカとか南アメリカとか、アジアの島々とか、そういう事だよな。
「アーチャーさんも人だった頃に体験したのか?」
「さてな。それに英霊は夢を見んからな。ただ、これは言っておこう。ルヴィア達女性はこのイニシエーションの真相は知らんそうだ。なのでわかっているだろうが、日本に戻っても話すなよ?」
ルヴィアさんの名が出て来たのでドキッとした。
調査のおまけらしいが、オーロラ以外にこんな怪現象があるなんて。サーミの人でも知らない、いや知っているのかな? ともかくエーデルフェルトの男性が必ず体験する通過儀礼。そんなのに参加させて貰った俺。良いのかよ?
「次期当主が直々に貴様向けの仕事だと紹介してくれたのだ。彼女のためにも堂々としていろ」
そうだよな。
淡々と昼の作業をこなし、再び夜がやって来た。
「シェロ? これ」
何だとヨハンネスの顔を見れば、少し恥ずかしげだ。そして手渡されたのは避妊具だった。
俺とお前で?! と思うのは早とちりで、下着を汚さないようそれを着けて寝ろという意味だった。はぁ~、なるほどな。
しかし、ヨハンネスもルヴィアさんと同じでシロウと言えないのか?
「シェロ? ショロ? ショショ、ショロウ?」
かなり難しいようだ。ショロウって初老のように聞こえたぞ?
ともあれトイレテントへ行き、軽く臨戦態勢にして装着し、歯を磨いてから寝袋に入った。歯磨きの間に萎えてるんだけど良いのか?
そして夢を見た。相手はハッキリとルヴィアさんだった。
『…………』
『ええ、あなたの望むままに……Minä rakastan sinua ihan hirveästi, Cielo』
そうしてひざまずく彼女の口を犯し、次は後ろから襲う俺。最低だ。けど俺は、俺は、俺も『愛してる』──『とてもとても愛してる』。
唐突に、彼女が呟いた『Minä rakastan sinua ihan hirveästi』の意味がわかった。
俺に寄り添い、俺の胸を枕にして寝息を立てるルヴィアさん。
俺はこの人とともに歩もう。この人とともに美遊を見守ろう。そしてこの人との子供を作ろう。そう思った。
だから目覚めは素晴らしいほど幸福感に包まれていた。トイレで装着したものを見て腰が抜けそうになったが。
どんだけ出すんだ、俺……。
日程を消化し、調査や調整も終ってそろそろ帰るからと荷物を纏めた頃、全員が集められ箝口令が敷かれた。それも啓示だと受け止めるか、霊脈から溢れるマナの副作用と思うかは自由だとも言われた。
また、視野が狭くなったり暗く感じたり、見えないものが見えたり、聞こえない音を聞いたり感じたりするのも、膨大なマナに触れて酔うからだそうだ。魔術回路がなければこのマナ酔いは起きず、夢も見ないらしい。
なるほどなぁ。アーチャーさんの視覚にも影響があるから、オーロラと話してくれたのか。
本家に近い者は五年十年と続けるらしいが、俺みたいな外部のアルバイトは誰もが数年で終えるらしい。きっと、これがあるからなのだろう。それなのに2年連続行ったらしい生前のアーチャーさんは何だろうな?
「何故、私はアーサーの夢を……」
あれ? 英霊は夢を見ないんじゃ? いや、それもタイプなのかな? けど……?
ああ、魔術師でなくとも魔術回路はあるのか。何より昔の人だしな。
「マナ酔いか? 下手に騒ぐと、こちらの事を調べられるぞ?」
「ええ……そこは、注意します。でも、何故?」
「深刻に受け止めるな。酔っただけだ」
「ああ、そうですよね」
アーチャーさんがぽそりと言った。
「魔術回路を思いの儘に扱えるようになれば、こんな影響も受けなくなる。つまり夢を見ない事がイコール一流の証なのだ。そして生前の私は夢を見なかった」
そうだったのか。
「お前が夢を見たと知って安心したよ」
「なんでさ?」
「当時の私は悪夢の方の話を知らなくてな。結婚に向いとらんのかと信じ込んでしまったからだよ」
それもまた。冗談なのか本気なのか。この人は前のアーチャーさんよりわかりにくいけれど、案外と味のある人なのかも知れない。何故か俺はそう思った。
士郎には明かなさなかったが、懐かしい夢を観た。
高校生ではない、倫敦の時計塔で知り合ったもう少し大人になったルヴィアの夢だ。
ルヴィアはこの調査を兼ねた儀式の内容を本当に知らないのだろう。ただ家の者から、本当に好きになった男性を誘えとのみ言われていたと思う。
私は自分の時、そこに気付けなかった。あのルヴィアも本気で私を愛してくれていたのだ……。
士郎、お前は妹が居る。あの子のためにも家庭を築き、幸せになれ。そしてお手本となれ。それが兄貴の役目だ。
試験休みが始まった7月7日からエルヴァは海の家でアルバイトを始めた。試合や練習がある時は、事前連絡さえ入れればかなり自由がきいた。朝の10時から夕方の5時まで営業。
この日は朝から出勤した。支給されたスタッフTシャツをビキニの上に着て、裾を腰で縛りプロポーションを強調する。ホールスタッフと言いつつ、エルヴァは呼び込みでもあったのだ。
誰が何をどう広めたのか、出勤初日から穂群原の学生がウジャウジャ居た。
『先パ~イ、こっち見て~』と携帯で撮影する女子も多い。体育祭で有名になったエルヴァは、穂群原学園の中での人気はうなぎ登りだった。特に同性の下級生からの人気が凄い。
この海の家を経営している嶽間沢家は代々浜茶屋の営業権利を、県土木部の土木事務所から得ていた。それは昭和31年に施行された海岸法の頃からの世襲で、龍子の父、嶽間沢豪兎で二代目らしい。
アルバイトには大学生の息子、嶽間沢黎一と嶽間沢凱介も入る。龍子が自慢するだけあって二人の兄は結構なイケメンだった。
三兄妹の母は嶽間沢ステラという帰化された米国人だが、気さくで商売上手な人だった。エルヴァを一目見て採用したのもこの人だった。
嶽間沢家の本業は祖父から引き継いだ嶽間沢流武闘術道場の経営だが、無名の古武術なので弟子が少なく夏場はこうして海の家や、夜店や縁日の屋台を開いて糊口を凌いでいた。一家五人が1年食べて行こうと思えばかなり稼がないと厳しいものがある。
だからエルヴァは一所懸命に客引きをした。3千円以上落としてくれるのならば、ツーショットにも応じた。男性の列が溜まる一方だ。
「あの子に来て貰って正解ネ。お客さん一杯ョ」
「だよな。屋台も任せられる腕前だし、今年は期待が持てるぞ」
メニューは豊富だ。定番の焼きそば、ピラフ、カレーにカツカレー、特製ラーメン、おでん、焼き鳥、カツ丼、焼き鳥丼、フランクフルトにアメリカンドッグ、フライドポテトにかき氷。
この他にも色々あるしドリンクやアルコール類も多い。レンタルも貸し浮き輪が各種に、ビーチマット、パラソル、サマーベッドと盛りだくさんだ。
そして売れ線は、豪兎が仕込むラーメンとステラが責任者の具沢山なオリジナル焼きそばだった。ラーメンは豚骨と鶏ガラのダブル・スープでこってり系。醤油味や味噌味とか選べない。特製ラーメン、これ一本だ。
面接の日にエルヴァはお呼ばれしたのだが、少し獣臭さは残るがコクが芳醇で、合う人にはとことん合うだろうという味だった。これだけでお店が開けるレベルだ。
しかし格闘家でもある豪兎は、飲食店経営は季節モノであって、本業にしてはならないという考えがあるらしい。実に惜しい事だが、経営理念は事業主の自由だ。
正社員でなく、単なるパートタイマーのエルヴァが口を出せる事ではなかった。
また、二大看板商品と言うだけあって焼きそばも中々だった。使い込まれた大きな鉄板で野菜と麺を別々に炒め、真ん中でミックスしてお客に出すのだ。
タマネギ抜きやキャベツ多めとか、目玉焼きトッピングなども応じている。
厨房担当は嶽間沢家に限られるのだが、焼きそばはバイトが焼く場合もあった。呼び込みをやっているエルヴァの後ろで、本日焼きそばを焼いているのは士郎だった。
お揃いのスタッフTシャツで、頭にタオルを巻いている。必死で焼きそばに集中しているのは、目の前にメガホンで客引きをしているエルヴァのキュッと引き締まったお尻があるからだ。
声は妹と似た系統の可愛い声。耳障りなところが何一つ無い。けれど身体は高校生……体育祭のブルマより際どい。
両サイドに結び目があるショーツはローライズで結び目は腰骨の辺りだった。下にTバックでも重ねているのか、腰紐がもう一つ上に飛び出ていて、そちらは高い位置にある腰で止まっていた。
後ろからだとTの紐が下に伸びているのがわかる。けれどその上に穿いている水着が紐の行方を遮っている。あれはどうなっているのだ? あの下はどこに行くのだ? 17歳の男子にはキツ過ぎる。目の毒だった。
だが、悶々とはしていられない。その横のパラソル下のベンチでかき氷を食べているのは、水着姿の桜とエルマだった。
1年生の中でも1~2を争う可愛らしさの二人だ。エルマはサングラスをしているが、それでも通りゆく男性が二人を眺めていく。
「この店、レベルが高いせいかお客の子まで可愛いな?」
「だ、だよね? け、けどさ、ヌ、ヌリカベとネズミ男みたいな、お、俺達じゃ話になんないよね?」
「悲しい事を言うな。その現実を忘れるために、ここに来たのに」
「だ、だから三次元は怖いんだよ。は、早く家に帰ろうよ?」
「来たばっかりだろ? お前は表に出るクセを付けろ。さもないと中年になっても初老になっても家から出られなくなるぞ? ともかく今日は日に焼けて帰れ」
「け。けど、怖いよ。あ、あの銀髪の子なんて、二次元だか三次元だか……わ、わかんないよ」
それはエルマの事か? エルヴァさんの事か?
「確かに、アニメ顔かな? けど、可愛いじゃん。到底俺達には縁がないだろうけど」
「あ。あ、そっか。縁がないんだ。じゃ、怖くないよね?」
怖くないとわかった途端に吃りがマシになった。なんて悲しい会話だろう。
耳に届いた声の主が目の前に立った。ネズミ男は一つなのに、ヌリカベは焼きそばを三つも買っていった。毎度あり~だけど、食い過ぎじゃないか?
何を話しているのか知らないが、ベンチの二人はぺちゃくちゃと笑いながら話し合っていた。その二人の姿に、ビーチバレーでは無いだろうが、ビニールボールを持って海へ走る少年達が重なった。
掛かっているBGMは店長の好みなのか、古いトレンディドラマの主題歌だった。アクアマリンがどうとかって歌だ。何故か二人にとても似合う音楽だと思った。
だけどその二人は目の毒だった。妹のイリヤが成長したようなエルマならまだ我慢できる。上に羽織ったTシャツで水着が見えないのもあるが、おとなしいあの子はエルヴァさんほど際どくはないだろう。
だけど、真向かいに座る、桜のあのたわわな胸は……。それも今年からビキニだぞ? 去年はワンピースだったのに。俺を見に来たんじゃなく、もしかして見せに来ているのか?
「衛宮~! オッス!」
き、弓道部の奴ら……。なんでさ?
「ここが天国に一番近い海の家か?」
「知らん! ご注文は!」
「これ。お客様への言葉遣いはもっと丁寧に。いらっしゃいませ。ご注文はお決まりですか?」
「ア、アインツベルン先輩!?」
あ、こいつら知らなかったのか?
「お薦めはラーメンと焼きそばですよ、藤原クン、大橋クン、唐澤クン。今日は衛宮クンの激励に?」
「は、はいっす!」
「先輩、ラーメンって美味しいんですか? 俺、こう見えてもラーメンにはウルサイっすよ?」
大橋……失礼な奴だな。
「ここのは最初の一口目に若干獣臭さが残りますが、ゲンコツと鶏ガラで採ったダブル・スープは後味が良いです。塩しかありませんが、海の家で塩一本で行く心意気を感じて下さい。トッピングはチャーシューと刻みネギにナルトと海苔にメンマだけです。もやしの増量はありません。追加も口頭でのネギ多めしか受け付けていません。クセはありますが、ハマる人はハマると思います」
「おおっ、じゃ、俺それで!」
「俺も!」
「俺もお願いします」
そして席に着かないで、熱々の丼を手に持ってラーメンを啜る大橋や藤原達。汗だくでエルヴァさんを見てんじゃねぇ!
そして知らぬ間に桜達が居ない。上手く逃げたなぁ。
「アインツベルン先輩。これ、イケますね?」
「でしょう?」
「うむ。チェーン店では味わえない味だ。ハマる人にはハマるという意味がわかりましたよ、先輩」
「良かった。大橋クンにダメ出しされないで」
「安心して下さい。万一大橋が文句を言えば海に還しますから」
そうだ。沈めて来い、唐澤。副部長の俺が許す。
「そして俺がレギュラーゲットだって? 唐澤クン」
「その通りです。こいつが中や落前だと弛むでしょう? 衛宮もやり難いと思うんですよ」
「そこは相楽クンがいますから」
俺達男子のレギュラーは、3年の秋月先輩が大前で、2年の藤原と大橋が二的と三的、そして相楽先輩が落前で俺が落、そして補欠の唐澤の六人だった。秋月先輩に相楽先輩、そして俺はほぼ決まっているが、藤原と大橋は唐澤と時々入れ替わっている。
以前の3年生が卒業して、俺と秋月先輩が大前と落に行ったので、真ん中を引き締める奴が居ないのが今の男子のネックだった。
以前は1年ながら俺が大前だったのだ。そして補欠が藤原だった。大橋も唐澤も練習はちゃんとやっている。だけど春は結果が出なかった。
そこが悔しいのか、唐澤は冗談めかして藤原と大橋にレギュラーを譲れというのだ。藤原と大橋も悔しいのは同じ筈なのに、唐澤の苦言を笑いながら聞き流している。
この1年で大人になったと言う前に、元からこういうちゃらんぽらんなところがある奴らだった。
それでも、何だかんだ言いながら仲が良いのが俺達だ。だからなのか、エルヴァさんは藤原と大橋や唐澤に優しいところがある。弟分の俺の仲間だからだろう。
「先輩、そうじゃありません。来年ですよ」
「なるほど、来年ですか。その来年は、遠峰さんの弟クンが入って来ますよ?」
「う、嘘?」
「マジです。中等部の3年生ですよ。知りませんか?」
唐澤は外部受験組だしなぁ。遠峰の事は知らないか。
「何度か射を見ていますが、唐澤クン、彼は即レギュラーに入れるほど上手いですよ?」
「え、え~っ」
「ついでに。私の妹が先月頭に編入しましてね。今高1なのですが、弓道部に入ると思います。入ったら揉んであげて下さい」
「せ、先輩みたいな可愛い子?」
「俺、知ってる。間桐といつも一緒の子だ」
「へぇ~。間桐な。あの子も良いよなぁ?」
「大和撫子って感じで。な?」
黙って聞いていれば……。藤原は俺と桜の事を知っている。唐澤も以前食堂で藤原がバラしたから知っている筈だ。だけど大橋は知らない。藤原、お前はもうしゃべるな。本当に口の軽いやつだ。
「お前ら、食ったらサッサと泳いで来い!」
一服付いて周りを見渡せば、あいつらのみならず、クラスメイトに、弓道部の他の知った顔も多い。どうしてこうなった?
夏にアルバイトをする事は早くから決めていた。去年も酒屋でビール運びをしていたのだ。今年は対面が良いなと探していると、イリヤの友人から声を掛けられたのだ。
これ幸いと応募して面接を受け、迎えた初日。まさかエルヴァさんが居るとは夢にも思わなかった。『奇遇ですね。頑張りましょう』と声を掛けられれば、やはり嬉しかった。
でも、初日からこんな試練が待ち受けていたとは。これで小学部が短縮授業に入れば、あいつらも来るんだろうな。今年の夏は色んな意味で熱く? もとい、暑くなりそうだと思う俺だった。
一方、ホールで注文を聞いたり、ドリンクや料理を運んでいるのは従姉妹のイリヤさんだった。あの人もかと驚いた。
イリヤは思った。エルヴァに誘われ始めてみたアルバイトだが、やってみれば意外と楽しい。何より人の会話を聞いていると面白い。エルヴァの言う通り、自分に向いた何かのヒントを得られそうに感じる。
仕事の内容も聞いた注文を間違わずに伝票に書き、厨房に伝え、出来上がった料理を注文したテーブルに届けるだけ。実に簡単だ。
飽き性の自分に合わせてエルヴァが紹介してくれたアルバイトだ。7~8月の2ヶ月だけなので問題なくやり遂げられるだろう。
横目で声を張り上げる妹と、汗だくで焼きそばを焼く並行世界の弟を見る。なんて幸せなシロウだろう。下手に関わると壊してしまいそうなので、エルヴァから日本の大学に留学中の従姉妹と紹介して貰っている。
その範囲での付き合いに留めているのだ。それでも十分に幸せだ。
イリヤの記憶では聖杯は閉じれなかった。だからあの世界はアンリ・マユに滅ぼされたのだと思っている。もう、シロウ達に会えないと思っていた。
現象となって時々世界からのシゴトをこなし座で睡る。自分っぽいなと思ったし、睡っている間は生きていた頃の事を思い出さずに済む。
そんな何もかもを諦めていた心が解けて行く。そして解けてできた隙間にじんわりとしたものが沁み込んで行く。自然と顔が綻んで来る。この日、何人ものファンを無意識で作っていたイリヤだった。
陸上部三人娘は蒔寺楓の補習のせいで、この何だかわからない波に乗り遅れていた。氷室鐘は三枝由紀香と喫茶店で女子トークを楽しんでいた。
「鐘ちゃん、聞いてるカナ? 3年のアインツベルン先輩が海の家でアルバイトを始めたって」
「らしいな。クラスの男子どもが騒いでおった」
「そうそう。体育祭での大活躍で一気に有名になったもんね?」
「うむ。その後、弓道部での総体出場決定だしな。校舎に垂れ幕が掛かるに至り、もはや知らぬ者などおらぬ状況だ。天も気まぐれなのか、二物も三物も与える場合はあるのだな。返す返すも陸上部に欲しい人材であった。まさか、あそこまで秘めた実力があったとは。蒔の字の勘も馬鹿にはできんな」
「ね? 蒔ちゃん、真剣に惚れたって言ってたもんネ?」
「まぁ、それはな。私も先輩の才能には惚れたよ。生徒会長もべた褒めだ。やはり実績は大きい。そうだな……由紀香、私達も行ってみようか?」
「お仕事中だョ? お邪魔じゃないカナ?」
「客として注文し、食事の間眺める程度なら許されるであろう」
「まぁ、そうだネ」
そして鐘と由紀香は楓の補習日程が終われば行ってみる事にした。
遠坂凛はこの日、倫敦から届いていた荷物を整理しに自宅へ戻っていた。エルマに頼み、アサシンを五人ほど借りていた。整理整頓や掃除とか、そういうスキルがあるのかと疑うほどテキパキと動いてくれ、お昼前には片付いてしまった。
空き家にしていた間の大掃除も終わっている。洗濯を終えた女性タイプのアサシンが衣類やシーツに布団を干してくれている。放ったらかしで忘れていた、コートなどクリーニングに出すものも既にお店に預け終えている。
そんな彼らに振る舞うべく、凛は野菜中心の天丼を作っていた。味醂にはアルコールが含まれるため使えない。それで砂糖と昆布ダシと醤油を混ぜてタレを先に作ってあった。買い置きしてあったお米は捨て、天ぷらの種を買い揃える際に新しいのを買ってあった。残りはルヴィアの家に持って帰る段取りだ。
「できたわ、どうぞ」
わらわら集まる五人衆。割り箸とスプーンを用意したが、皆んな器用に割り箸で食べていた。チャイは食後で、食中は麦茶。そう気を使わないで欲しいとか、何でも手伝うから気軽に声を掛けてくれと言われた。有り難い。でも、どっちだろう?
「五人は五次? それとも四次?」
「五次で召喚された方ですよ」
「何か待遇差があったりする?」
「それはありませんが、別のマスターに仕えていたからと、萎縮している者が居ますね。それだけ今の待遇が良いので恐縮してしまうのだと」
「なるほど。夏休みに入ったら宝探しをするのよ。何人か手伝って欲しいのだけど」
「仕事内容はエルマ様からお聞きしたあれですね?」
「ええ」
「それなら、その手の作業に最適任者を含む者が二人、つまり四人居ますので。どちらもサブリーダーですから、一人連れて行かれれば、10人前後に分裂できます。二人で20人です。どちらでも宜しければ見繕いますよ?」
「じゃ、取り敢えず一人10人で。一回試して足りなければ、またお願いします」
「承知致しました」
もしかしたらルヴィアからも、既に声が掛けられている可能性があるが念のためだ。
彼らは誰も受肉していない。その方が仕事があるし、元の一人、或いはサブリーダーの人数まで戻れば生活費も抑えられるからだった。
本物は誰だ? それを識るために聖杯戦争の喚び掛けに応じた彼ら。これは単純なアイデンティティの問題だけでは無い。誰が第19代の教主なのかという深い問題もあったのだ。
無宗教な私達なら全員がそうでしょう? と、軽く言ってしまいそうだが、エルマにせよ、エルマがお手本にしているエルにせよ、何か彼らの琴線に触れる言葉を掛けているのだと思う。
ストイックで余り報酬に拘らない、その分やり甲斐のある仕事かどうかに拘る。エルヴァはプロなら報酬にも拘るものだが、彼らは宗教家なので贅沢は好まず、全員で分け合うという砂漠の掟が根底にあるのだろうと話していた。
要はと、単純に要約するのは難しいけれど、職人気質な人達だなとは思う。
平素はアインツベルンの森に住み、田畑を耕したり、一般人に紛れ込んでアルバイトをしている。ガソリンスタンドやコンビニ、ファストフード店の店員。こういうのが多い。
中には特殊清掃に従事している人も居た。これはエルマがアサシン達のために立ち上げた事業だった。アサシンだからってそういう仕事をさせる?
けれど県や市からも仕事が入るし、他府県にも出向くのでアサシンの給料がラクラク稼げるらしい。やっぱりあの子も賢いわ。
少しでもアサシンに多く残そうと、エルマ本人の給料は13万ほどと安いらしい。
そこまで安くするなら103万以下に抑えろよとも思ったが、良く考えたら福利厚生でも保険関係は基本エルマしか受けられない。戸籍の関係でそうなる。
またこれは、アサシン一人一人が従業員でなく個人事業主であり、個別契約しているからでもあった。そうするとエルマはアサシンの社会保険を考慮せずに済む。要するにエルマは、お小遣いと保険代が稼げれば十分なのだ。
じゃ、大人になったらどうするのと言えば、何と彼女は油田と鉱山を一つずつエルヴァから譲られていて、エーデルフェルトに委託していたのだ。
年間何億というお金を生み出す油田や鉱山の儲けは、ほとんどエーデルフェルトが持って行くそうだが、彼女の手元にも年間5千万は確実に残るらしい。
変に頭を痛めずに済むなら、こういうのもアリなのだろう。だけど中抜きが大き過ぎないかとルヴィアに尋ねれば────
『違いますわよ。売上げから手数料を頂き、5千万を彼女の口座に振り込み、残りを積み立てていますの。当家を通して霊地を買って頂けるのです。10年は掛かりますが、良い霊地を確保していますのよ?』
エルマは霊地購入をルヴィアに申し出、予約をしていたのだ。つまり10年後の彼女はセカンド・オーナーだ。これは凄い。
勿論エルヴァからの油田と鉱山の支援があってこそだけど、そこから霊地購入は中々視野に入らないものだ。何より、その10年でエーデルフェルトはそのお金を様々に運用できる。
また、こんな若い魔術師が買ったという実績も大きい。時計塔というか魔術協会は、今大きく動こうとしていた。
そしてそのアサシン達は、礼装を解くと言うのかな? 仮面を外すと、褐色のアラブ系の人にしか見えないところが不思議だ。唇や瞼を切り落としたとか伝承があるのに、仮面の下は濃いイケメンが多い。また、髭率がやたら高い。本当に不思議な人達だ。
倫敦に居た頃、こんな未来が待ち受けているとは全然予想していなかった。こうして知り合えた縁を大切にしようなんて強く思うほど、自分が変わるとは思わなかった。縁が大切。師匠の言葉は正しい。
「桜は夏休みにアルバイトしないの?」
「エルマは何かするの?」
いつまでも店先に居座るとお邪魔だし、男子の先輩方がやって来たので、私ことエルマは桜を誘って海でひと泳ぎした。持って来たパラソルの下でオイルを塗って寝そべる私達。
「うん。洋館のハウスキーパーを三軒ほど」
「ハウスキーパーって、どんなお仕事なの?」
「語源としては……日本風に言うと家政婦かな。でも私の場合は、バカンスで母国へ帰ったりバケーションに出掛ける人に代わって、家の中や庭の掃除をこなしつつ、ペットの面倒をみたりする仕事なの」
「そんな求人ってあるの?」
「無いよ。自分の足で営業したんだってば。アメリカでもこういうアルバイトって多いんだよ?」
「ああ、ベビーシッターみたいな? ドラマか何かで見たなぁ」
桜は目上の人や他人と話す時は口調が丁寧でやや固い。けれど私と話す時はやたら砕ける。もうすっかり親友だ。
「それでさぁ。そんな事をやってくれる人が居るのかって、口コミが広まって。もう二軒ほど入っちゃったんだよ。どう? やってみない?」
「お掃除は良いけれど、ペット?」
「犬なら決まった時間に散歩と餌の用意。猫なら基本室内だから、給餌とストレス解消で遊んであげる程度だけど。大きな犬もいるし猫は気難しいから、ペットの面倒は私がみるよ。それぞれの家が近いから、交代も仕事の交換もできるからね。バイト料は五軒分を二人で折半。どう?」
「面白そう。エルマとならお父さんも反対しないだろうし。うん、やってみるわ」
その後バスで家まで帰り、食堂でアイスティーを飲みながら細かな部分を説明した。各家の清掃道具の場所や荷物が届いた場合の方法は、初日に全部回って教える事にした。だいたい一軒につき、10日から20日は家を空ける。10日で3万。20日で6万。平均4万としても五軒で20万だ。お留守番で一人頭10万だと御の字だ。
だって四六時中滞在する必要は無いし、来客も宅配も使い魔でわかる。結界を張れば泥棒も入らない。ペットも魔術で手懐けられる。そしてこの程度の魔術なら桜に見られても問題ないのだった。
桜は私やルヴィアさんに凛さんが魔術師なのを知っている。これは記憶の問題もあったけれど、桜に対して私が余りコソコソしたくなかったので、皆さんに相談の上でオープンにしたからだ。
さすがにお姉様が魔術師だったと知った時は驚いていたが、アインツベルンはそういう家だと話せば納得していた。
それにどうやら、桜はイリヤちゃんの何かを知っていて黙ってくれているのだ。多分、ルビーとの会話を聞かれでもしたのだろう。だからこちらも、そこは話していない。年下の女の子達を護ろうって気持ちは彼女にもあるのだ。
「エルマは良いなぁ。そういう便利な魔術が使えて」
「まぁね。けれど桜は魔術師にならないんでしょう?」
「うん。でも便利だなって。きっとそこまでになろうとすれば大変なんだろうけど」
「そうね。それに生まれついての向き不向きもあるし。例えば私は流体を扱うのが苦手でね。水とか、ああいう液体を扱うのが全然だわ。その分、火とか空気を扱うのは得意なの」
「火って? 何もないところで火が出たり?」
「そう、そんな感じ」
「ふ~ん。もし私が魔術師なら何に向いてたんだろう?」
「技術家庭」
「え?」
「冗談よ。属性って知らない?」
「ああ、火とか水とか?」
「そうそう。空、火、風、地、水とに分かれるの。私はその中の火と風、そして地に適正があるのね」
「あれ? 空って空気じゃないの?」
「空気は風だよ。この空は科学では否定されるけれど、アリストテレスが提唱した第五元素エーテルの事なの。解釈はその魔術師が継承する内容や流派ってのかな、そういうので左右されるけど。それでもって、この五大属性の他に虚無って属性があってね。これも虚と無で分かれるんだけれど、まずこれを扱える魔術師は居ないわ。それくらい希少な属性なの」
「へぇ~。じゃ、さっきのは私がそれだと?」
「それは知らないよ。五大を五教科に見立てて技術家庭とは言ったけれど。でもね、魔術ってできない事の方が多いし、知れば知るほどがっかりするよ? それを成すまでの下準備やプロセスが多過ぎて。しかも労力の割に得られるメリットも効果も少ないから」
「そうなんだ?」
「そんなものよ。箒に跨って空を飛べても、飛行機の方が早くて便利だわ。けれど、飛行機にも燃料は要るしメンテナンスは必要だし、家から家には飛べないでしょう? つまり一長一短。いえ、短の方が目立つのが魔術なのよ」
けれど、家から家に飛べるのが箒だったりする。問題は目撃者をどうするのか、行政の知るところとなった場合どうするのかだ。
それに操縦がとてもムズい。上空を飛べば寒いし、スピードを上げれば目も開けていられない。バードストライクで墜落死した魔女も一人や二人では無い。
つまり周囲にずっとそういう鳥避けの結界を張らなければならないし、飛ぶのも自分の魔力だ。シートもなければベルトもないので、バランス感覚が必要だし。気を抜けば失速して、これまた墜落だ。疲れるばかりなのが魔術だった。
となれば近ければ自転車やスクーター、距離があるならクルマや電車、もっと距離があるなら新幹線、海外なら飛行機が断然便利だ。科学技術というものは、本当に優れていて便利で楽だと思う。
「それで免許を?」
「うん、原付きのね。そのバイト代と貯金を足してスクーターを買おうかなって」
「エルヴァ先輩、反対しない?」
「ううん。覚醒剤を打ちますとか、売りますとか、売春しますとか言えば殴られるだろうけど、スクーターは法の範囲だもの。気を付けなさいくらいしか言わないよ、お姉様は」
「その『お姉様』って、前も言ったけれど浮いてるよ?」
「自分でもそう思う。でも、『姉さん』でも『お姉ちゃん』でも無いのよね。私にとっては『お姉様』だわ」
「まぁ、あれだけ凄い人の妹ともなれば、色々複雑なんだろうね。それで、弓道部はどうするの?」
「うん、決めた。次の練習に出て、正式に入るよ」
「やった!」
「けど、期待しないでよ? あそこまでできるお姉様が特別なんだから」
「そのプレッシャーはキツいよね?」
「そう。桜もわかってたでしょう? それがあって弓道部と陸上部で悩んでたんだから」
「だね。あ~あ。何で私の誕生日って3月2日なんだろう」
スクーターに乗りたいのでなく、誕生日が遅い事で今まで色々不都合があったのは聞いていた。
「それで彼氏は4月15日。実質2コ上なんだよね?」
「うん。けれど子供っぽいところがあるから、精神年齢的には合ってるなぁ」
「うわぁ、段々開き直って来たね?」
「まぁ、学園では一応秘密だけど。イリヤちゃんも、クロエちゃんが来てから変わったし。以前を思えば進展したなぁ」
「良いなぁ。彼氏欲しいなぁ」
「エルマなら選り取り見取りでしょう?」
「それで男の子と付き合いだしたら、三つ子のお姉様方がギャースカ言うのよ。特に身近にいるエルヴァお姉様が」
「ああ、真面目な方だしね。けれど、こっそり私の事を応援してくれたりする人よ?」
「そりゃ、士郎さんに桜がぴったりだと第一印象から感じていて、小父さんや小母さんも応援していたって知ったからだよ」
「エルマは小父さん、小母さんなんだね?」
「うん。お姉様とはまた立場が違うからね。イリヤちゃんやクロエちゃんのためにも今の距離感が良いと思うんだ」
「なるほど。イリヤちゃんそっくりな顔で話されると説得力あるなぁ」
「まぁね。三つ子のお姉様も、従姉妹のイリヤさんも、皆んな同じような顔だしね」
「何でお姉さんの名前と従姉妹の人も同じなの?」
「縁起の良い名だからよ。イリヤちゃんもそうやって名付けられたから。一族内の流行りみたなものね」
「なるほど。そう言えば、綴りが違うみたいな事も聞いたなぁ。それで、今日は誰も居ないの?」
「居ないね。凛さんは自分の家の片付けだし、ルヴィアさんは本国に出す書類を纏めて大使館に行っちゃった」
先日、私は桜の家に泊まった。二人だけの女子会だ。それから桜はこうしてエーデルフェルトに出入りするようになった。今日が3回目かな。泊まって行けと誘っても、今のところ断られている。どうも、エーデルフェルト先輩の家だからと遠慮してしまうらしい。
ま、それはわからなくもない。だけど、こうして遊びには来てくれる。これは大進展だろう。凛さんとも話す機会が増えたしね。後でお礼を言われたくらいだから。
「遠坂先輩ってもっと怖い人かと思ってた」
「そんな事はないよ。魔術師は自分のテリトリーを持つからね。そこもあったのかもよ」
「なるほど。衛宮の小父さんみたいな感じかな?」
「そうだね。だけど士郎さんには内緒だよ?」
「それはもう。イリヤちゃんやクロエちゃんのためだし、私も小父さんや小母さんに嫌われたくないわ」
桜は真面目だ。
「それで、キス以上は行ったの?」
ぐでっと脱力してテーブルに突っ伏した桜は、蚊の鳴くような声で呟いた。
「……まだ……」
奥手だなぁ。知ってる限りキスもまだ2~3回だ。
そんなだから、エルヴァお姉様と士郎さんの事であらぬ心配をしちゃうのだ。そんな事は無いってわかっているのに、バイト先が同じだったと知っただけで慌てふためいて。
不安解消になるなら、営業妨害にならない程度に海の家に朝から張り付くのも良いけれど、こっちは初めての海も楽しめない。
急に一緒に来てと言われても、こちらは学園指定の水着しか持っていない。なので私はエルヴァお姉様からお借りしたのだ。お姉様はお尻が引き締まっているので、私にもピッタリだったのは助かった。
だけどお持ちの水着は際どいのばっかりだった。おとなし目なワンピースを選んだつもりだったが、海の家で着替えると背中はバカッと開き、サイドは腰より上に行く超ハイレグだったのだ。お尻もほとんど紐だし。
お蔭で私は恥ずかしくて、カバンに入れていたロングTシャツとサングラスを慌てて着ける羽目に陥った。
試験の苦しみから開放された若人は、自ずと開放感のある場所へ向かう。あれはお姉様の噂だけでは無いだろう。
『アインツベルンさん、大胆!』
『けど、似合うなぁ』
『美人だもんね』
いや、それなりに楽しんだし、満更でもなかったけれど。だけど。
『うひゃ! あれ、1-Dの。お前んトコの女子だろう?』
『ああ、間桐とアインツベルンだ』
『姉ちゃんに似てるなぁ。けど、お尻丸見えだぞ?』
『クラスじゃおとなしい子なんだけど、人は見掛けによらないなぁ』
『俺、告ろうかな』
知り合い多過ぎ! これが桜の選り取り見取り発言に繋がる。夏休み明けと言わず、終業式が怖い。
しかも海の家でかき氷を食べ終えた後、席を立つ時にTシャツが捲くれ上がっていて。それで士郎さんにお尻をバッチリ見られてしまった。
しかもエルヴァお姉様が私のお尻をパンッと叩くので、周囲の人にまで見られるし。手形が付いてるよと桜に言われて、お姉様を恨んだ。
7月9日。
「お客様、ご注文は以上で宜しいでしょうか?」
「ああ、それで」
「承知しました。暫くお待ち下さい」
セイバーは面接に行ったその日からお店に入っていた。新都の喫茶店で、桜の家の近所にある店だった。求人広告が出ているのをエルヴァが教えてくれたのだ。しかもこのお店は6S(整理・整頓・清潔・清掃・作法・しつけ)がしっかりしているし、ウリのセットものも豊富で、定食も味付けが良いので儲かっている。なので勉強になるだろうと薦めてくれたお店なのだった。
ランスロット卿やイリヤが付いて来たのは、良いお店だと評判なので興味本位だったのと、イリヤが新都のヴェルデで買い物があったからだ。
だから面接を受けるのはセイバー一人だった。受け答えや接客の作法などは、事前にエルヴァが親身に教えてくれた。また、お店の作法もあるからしっかり周囲を見て学べとアドヴァイスも贈ってくれていたのだった。
「アルトリアちゃん、上がって良いよ」
「はい」
バックヤードでお店のロゴが入ったキャメルのエプロンを外し、ユニフォームの黒いシャツを脱ぐ。下は家から穿いて来たジーンズだ。カジュアルなスタイルがウリの店なので、ダメージジーンズでもない限り、そう煩く言われない。その分、接客の作法は厳しい。けれどエルヴァの言った通りで、良く見て良く聞けば、お客に飲食サービスだけでなく、その空間も提供しているのだと実感できた。
マスターの人柄も良い。こういう接客が本当に向いた人なのだとわかる。慣れだけではなく好きなのだろう。アルバイトを始めてから三日になるが、学べる事が実に多い。
(以前、シロウもアルバイトをしていましたね。あれは確か飲み屋を兼ねた酒屋だったか。倉庫の整理に配達、カウンター内での調理……思えばシロウ向けの仕事でした)
そんな事を考えながらバス停まで歩けば、反対側のバス停にクロエとイリヤが居た。走り去るバスが見えるので、あれに乗って新都に来たばかりなのだろう。
時刻は午後の3時過ぎ。学校が早く終わったのは想像できるが、制服にランドセルの小学生が二人だけで新都に来るのは感心しない。年長者として何か言うべきだ。急ぎ横断歩道を渡り、二人に追い付いた。
「家にも戻らず子供だけで新都ですか?」
「え?」
「アルトリアさん?」
説教をする前に理由を聞いてあげた。
「ごめんなさい。水着の下見をしたくて……」
「そうそう。ヴェルデでサッと見てサッと帰るつもりだったのよ」
来週から短縮授業なので海の家に行き、新作の水着姿をエルヴァやシロウに見て貰いたい。焦って話すので順序も何もバラバラだが、要約するとそんなところだ。
視界の隅にホッとした表情のアサシンが数人入った。声も掛けられず困っていたのだろう。
「わかりました」
エルヴァから与えられている携帯電話でセラに電話を入れ、その下見に付いて行く事にした。
ヴェルデの水着売り場に行けば、二人は一目散にジュニア物が陳列されているハンガーに飛んで行く。まったくと思いつつも、少女達の笑顔を見ると心が和む。実に平和だ。
結局、30分も掛けず目当ての物が見付かったようだ。今日が金曜日なので、明後日の日曜日にセラと買いに来るという。それは二度手間だし、今はシーズン真っ盛りだ。明後日に来ても売り切れていたら可哀想に思う。
とは言え、ここで立て替えるのも甘やかし過ぎな気がする。こういう時にマスターのエルヴァならばどうするのだろう?
エルヴァはアルバイト中だ。そこで彼女の携帯でなく、もう一度セラの携帯に電話を掛けた。すると後でお返しするので、立て替えてあげて欲しいと頼まれた。
少々疑問に思えば、その日曜日に母であるアイリスフィールが戻るのだそうだ。帰国直後で疲れているだろうし、買い物の付き添いには無理がある。なので電話後にレジに行こうと誘った。
二人分で1万5千円。高いのか安いのかわからないが、財布の中にはお釣りの5千円しか残らなかったので、結構な出費に思えた。領収書を発行して貰い、三人で家路についた。
バスの中で二人には、子供だけで勝手に新都に行かないよう約束させた。戻ればセラからも叱られていた。けれど水着の入った袋を抱えて、ちゃんとお礼を言ってくれる。本当に可愛らしい。二人が部屋に戻るとセラが言った。
「本当に申し訳ありません。無茶も悪い事もしない子達ですが、思い付いたら直ぐ行動で。良い事なのか悪い事なのか……」
「そうですね。直ぐに行動できる事は美点ですが、立ち止まって考える事も重要です。その行動が正しいのかどうか。人の迷惑にならないかどうか。こういう事の積み重ねで学んで行くのでしょう」
「ああ、見付けて下さったのがアルトリアさんで良かった。本当にありがとうございます。これ、お代です」
そして私はエーデルフェルトの家に戻ったのだが、子育ての大変さが少しわかった気がした。知らなかったとは言え、モードレッドに対して、私は責任放棄していたに等しい。
もっと早くあの子の存在を知り、手元で育てておれば……。いや、そう思えるのも今の私だからですね。
食堂に入るとエルマが居た。いつも一緒のサクラが居ない。
「サクラは?」
「新都のバス停で別れました。私もさっき帰ったところですよ」
高校生ともなるとこうしてスイスイ新都へ行ける。それまでの我慢だ。
「何か買い物でしたか?」
「はい、弓具を。来週から弓道部の練習に出ますので」
ああ、弓道部に入ると話していましたね。
周囲を見渡せば人の気配がしない。コックやメイドは休憩中だろうか。アーチャーもランスロット卿もシロウとともに今朝旅立った。オーギュストも居ない。キャメロットもそうだったが、普段は人が多い広い場所に人が少なくなると、何とも物悲しい。
「リンやルヴィアは?」
「工房です。来週からロシアに行くそうなので、持って行く宝石などを吟味されています」
「例の? シロウが居ないのに?」
「下見を兼ねた現地調査ですよ。雰囲気というか感触を掴みたいのだと」
「なるほど」
「アルバイトは慣れましたか?」
「ええ。日々、気付かされる事が多いですね」
「それは良かった。お姉様はあなたに期待されていますから」
「期待?」
「はい。王というジョブから離れた、アルトリアという人物が何をするのかを」
「ああ……」
エルマも聡い。エルヴァの元がエル。そのエルが自らに代わって、種々の事柄ができるように鋳造した特別製のホムンクルスがエルマの身体だ。それがエルヴァを補佐すべく、大幅に改良されていると聞いている。
そしてそんな高性能な身体に相応しく、彼女にはエルを元とした良質な魂と堅牢な意思がある。淡々とした話し方なので怜悧さが際立つが、実はエルヴァ並みに暖かな人物でもあった。でなければ妹達があそこまで懐かないだろう。
そして彼女はアサシンのマスターでもある。今日、私が新都で行った事を既に知っているのだろう。
「セイバーさん。これからもよろしくお願いします」
ペコリと頭を下げ、ニコリと笑う。イリヤに似て可愛らしい。だけどその顔はイリヤやクロエほど幼くなく、エルヴァに近い。なのにエルヴァと見比べると幼く感じる。その中庸性がエルマなのだった。
どの士郎で、どのアーチャーなのか?
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