※この作品はR-18です。

プリズマ☆エルヴァ 第二部 並行世界篇   作:炭団

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58、ロシアより愛をこめて

 私とルヴィアにアサシンの三人はモスクワのシェレメーチエヴォ国際空港に降り立った。フルシチョフが西側のハブ空港に感銘を受けて作ったとされるこの空港はルヴィア曰く、共産主義の名残りで空港職員の態度が酷く、とても評判の悪い空港なのだそうだ。職員の応接態度のみならず、汚職やボッタクリに賄賂要求、市内へのアクセスの悪さなど良いところが一つもないとか。

 なので最近は各国の航空会社もドモジェドヴォ空港やヴヌーコヴォ国際空港を利用している。なのにここに着陸したのは便が無かったのもあるが、人と会う約束があったからだった。

 荷物が重い。エルにしろエルマにしろ、あの子達は便利だった。あ~もう! 入国審査の長蛇の列にイライラする。二百人以上並んでいるのに受付窓口は増やさないし、一向に進まない。

 

『時間がないんだ!』

『こっちを先にしてくれ!』

 

 押し合いへし合い、横入りする者は決まってロシア人か中国系だ。何食わぬ顔で横入りして大声でがなり立てる奴を、遠慮なくガンドで沈めた。昔の私では無い。師匠に習った呪い重視の見えないガンドだ。今頃はトイレで腹痛に唸っているだろう。

 

「どうなっているのよ、この空港は!?」

「…………」

 

 返事がないのでルヴィアを見れば……! 

 

「ルヴィア、ストップ! ブレイク、ブレイク!」

 

 彼女は見知らぬオッサンをスリーパーホールドで気絶させていた。相手はガタイが良くて190以上はあるムキムキ野郎だ。それを30センチも低いルヴィアが……ってか、相手の男性、泡を吹いてるわよ? 

 おまけに見渡せば、周りに7~8人ぶっ倒れているんだけど?! なんて攻撃力の高い奴だろう。そんなルヴィアの攻撃に耐え、反撃できた私は何だろう? 

 走って来る空港職員と空港警察が見えた。こりゃダメだ……。もう行け! 

 

「ルビー、チャンスを伺って職員を洗脳!」

『はいは~い!』

 

 向かって来る何人かを、私は強化した足で蹴り倒した。ルヴィアは相手の腕を、後ろで極めてスープレックスだ。ブリッジした後の爪先がとても綺麗。

 知ってる、それ! 確か藤村先生と似たような名前だったと思う。次いで次の奴にはスリーパーホールドを極めて、そのままスープレックス。こんなのもあるんだ? 

 これを見て、私は立ち技で相手を痛めつける役に徹した。ある程度仕上がったらルヴィアの方へ蹴飛ばす。思った通り、三人目は羽交い締めからスープレックスで、四人目は太ももを抱えてのスーップレックスだった。

 なんて多彩で華麗なんだろう。ルヴィアはこうやって組めば、最高の相棒だ。

 だけどこのままじゃマズい。私はここでもう一度ルビーに声を掛けた。職員達を洗脳注射するのだ。スープレックスの餌食とならず、空港ロビーに血の花を咲かせなかった比較的軽症な職員がおもむろに起き上がった。

 そして有無を言わさぬ命令で、唖然と突っ立っていた横入りの奴らを別のところへ誘導した。あいつらはどこに行ったんだろう? どうでも良いけれど。それで漸く列が落ち着いたのだった。

 カウンターの前まで行けば、審査受付職員がロシア語で何かを話していた。するといきなり身体強化したルヴィアが、職員をぶん殴った! 

 鼻血を撒き散らしながら吹っ飛んで壁にブチ当たる職員。サーヴァントに殴られたみたいに、人が3~4回転はしたんだけど!? どんな強化だ。ルヴィアは哀れな職員には目もくれず、自分のビザにスタンプを勝手に押しやがった! 

 

「毎回、毎回、ここだけはっ! 急ぎなさい、リン!」

 

 ここに到着したら毎回職員を殴るの?! スタンプを押した私達は空港の外へ一目散に逃げた。

 

「ハァ~、ハァ~。何か飲み物……」

「とんだセクハラ野郎ですわ。淑女のパンチをお見舞いして当然の相手でしたわね」

「スープレックスより淑女のパンチの方がキツイんだ……? 私ら、帰りに出国できるの?」

「サンクトペテルブルクからフィンランド経由で逃げましょう」

 

 何故か逃亡者になっていた。

 

「ミス・エーデルフェルト、ミス・トオサカ、こちらだ」

 

 その人はエーデルフェルトの雇われエージェントだった。ロシアの内情に詳しく、今回の仕事を快く引き受けてくれた女性だった。名をナタリア・カミンスキーと言う。そう、衛宮の小父様の師匠だった人だ。

 この人に会うためと言うか、この人の指定でこの空港だったのだ。どうしてこの空港なのかと聞けば、ナタリアさんと合流できれば、顔パスでスイスイだったのだとか……。あちゃ~。

 

「やってくれるな、君達は。坊やにも聞いていたが、名門エーデルフェルトの令嬢がここまでイケイケだったとは」

 

 乗り込んだボロいクルマの中での会話だ。アサシンも乗っている。

 彼女が案内してくれるホテルに着くまでに交通事故が4回もあった。どうなっているのだ、この国は!? 

 

「共産国家崩壊の余波さ。それが今も続いているのが、この国だ。いちいち苛ついていたら身が持たないぞ?」

 

 私達はモスクワ中心部から離れた、ロシニーオストロフ国立公園に近い安いホテルに案内された。ボロいと言えばボロいが、こんなものと言えばこんなものだ。何故こんなところかと言えば、今後私とルヴィアはもっと僻地で不便な生活も必要となる。だからその予行演習も兼ねて徐々にランクを落とそうと決めていたのだ。

 特にお嬢様なルヴィアは自分を良くわかっており、彼女の方からそうしようと提案して来たのだった。彼女もこの数ヶ月で随分変わった。今や私の頼もしいパートナーで親友と呼べる相手なのだから。

 

「これがゼルリッチが造ったという魔杖か」

『はい、私は妹のサファイアです』

『私がお姉ちゃんのルビーですよ。ルビーちゃんとお呼び下さい』

 

 異なる並行世界から来たのだから、本当の姉妹とは言えないのだが、そこはツッコまない。

 

「なんで日本語の『ちゃん』を付けねばならんのだ。で、あんたは?」

「私は彼女達に雇われたアサシンの英霊だ。名は……ハサンで通してくれれば良い」

「わかった。私は空港でも話したが、ナタリア・カミンスキー。エーデルフェルトからそちらの面倒を見ろと言われている。仕事の内容は把握しているし、今回会える相手もリストアップしてある。よろしくな」

 

 英霊に驚かないのは、以前スイスでエルヴァ達と会っているからだ。私達の仲間である英霊を詮索しない人、こういう面からも人を探していたのだが、未熟な私達を導け、闇の者の存在もやり口も熟知した人なると該当者は必然限られる。そこでスイスでのんびりと暮らされていたナタリアさんに打診したのだった。

 この件は礼儀として衛宮の小父様にも通した。すると彼女は適任者だろうと逆に薦めて下さったのだ。

 また今回連れて来たアサシンだが、何故か二つ名を教えてくれなかった。少し偏屈なところがあるようだが、アサシンのリーダーであるあの女性のみならず、エルマもエルヴァも一推ししてくれた人だった。

 理由は彼の異世界同位体が長年師匠の護衛だったからだ。そちらは倫敦にも行っていて、フランクという二つ名を師匠が贈ったそうだ。彼は今回のみならず今後も私達と組んでくれる。衛宮君と並ぶ大切なパートナーだった。

 ただ、ナタリアさんに対して少し硬い感じがする。きっとナタリアさんの醸す雰囲気で警戒が解けないのだろう。闇を生きた人独特の雰囲気は衛宮の小父様と似ているが、その奥というか違う方向でこの人ならではの空気感があるのだ。

 それは何だろうと後でこっそりルヴィアと話しあったが、賞金稼ぎの魔術使いが持つ空気だろうと結論付けた。これは先日の第四次の世界で会った衛宮さんと同じだ。

 彼女にとって兵器も銃器も魔術も、押し並べて目的のための道具でしかない。これは仕事人であるハサンに近い考えだ。同族嫌悪とまでは行かないだろうが、だからこそ気を抜けないのだろう。

 ともあれ固い握手を交わした後、私達はナタリアさんのクルマで、ノヴォデヴィチ女子修道院を対岸から眺め、赤の広場やクレムリンを案内して頂き、ボリショイ劇場を眺めてからカフェ・プーシキンに入った。

 

「そういや、あんた、食い物は大丈夫か?」

「ああ、仕事優先だよ。我々の仲間にはトンカツもとんこつラーメンも食えるタイプが居る。私もその一人だから、気にしないで欲しい」

 

 機内食も平気で全部平らげていたので、驚いた私が尋ねたのだ。それで教えて貰ったのだが、同じアサシンでもこういう人が居る。確かに潜伏先では、教義を守った食べ物を口にできない場合もあったろう。彼もまたプロだった。

 

「予約は1階だ」

 

 2階はやや高級路線で、1階はカジュアルなのだとか。メニューを見てもキリル文字はさっぱりだ。

 そこでナタリアさんがスープにパン、メインにデザートと四品に絞ってもお腹が一杯になると教えてくれた。そして二人でシェアして色々試してみろとも。なるほど。

 それならと私は定番のボルシチを選び、ルヴィアはウハーという魚のスープを選んだ。これはハサンも同じだった。パンはスタッフが何種類か持って来るので見て決めれば良いとか。そういうレストランは日本にもあったわね。

 メインはビーフストロガノフとパジャールスカヤ。パジャールスカヤは鶏の挽き肉を使ったメンチカツだという。この中にバターが入るとキエフ風になるのだとか。やった、カロリー抑えめ。

 そしてデザートはカフェ・プーシキン。お店と同じ名のケーキだ。ドリンクはモルスというベリーのジュースを選んだ。ナタリアさんはフレンノヴーハというホースラディッシュを浸けたウォッカを頼んでいた。クルマですよ? 

 

「事故らなきゃ良いんだよ。オマワリが昼間から酔っ払っているのがこの国だ」

 

 なんだかなぁ。ハサンも笑っている。

 そしてスープが届く前にパンを選んだ。ルヴィアは黒パンで私はピロシキみたいなパンを選んだ。やがてスープが届いたが、真っ赤なボルシチに赤い何かが浮かんでいる。何だこれ? 

 

「それはリンゴだよ。この店のボルシチにはリンゴが入っているんだ」

「これは何ですの? お酒のようですが?」

 

 ルヴィアとハサンが頼んだウハーに、透明の液体が入ったコップが置かれた。

 

「ウハーにはウォッカが付くんだ。飲むんじゃなくて、ホンの少しスープに入れて味を引き締めるのさ」

「あ、トンカツは食えても酒はダメだ。引き受けて貰って良いか?」

「そうか、酒はダメなのか。じゃ、頂こう」

 

 そしてハサンはウォッカをナタリアさんに渡した。ルヴィアは試したいとの事で手元に残した。

 

 そして食事が始まったのだが。へぇ~~~。あぁ、ボルシチ、美味しい。これは日本人にも合うと思う。いや、国籍関係なく誰にでも合いそうだ。

 

「ルヴィア、これ美味しいわよ」

「どれ」

 

 余り褒められた事ではないが、私達はお互いのスープにスプーンを突っ込んでいた。ウハーも美味しいわね。

 次にビーフストロガノフが届いたのだが、給食のプレートみたいなのに盛られていて、大きなところにホワイトソースのビーフストロガノフ、小さな二つの部分は片方が輪切りのフライドポテトで、もう片方はピクルスだった。

 ハヤシライスみたいなビーフストロガノフでなく、クリーミーで美味しい。お肉はトロトロ。付け合せのピクルスがまたナイスだ。

 ナタリアさんは、何という名か知らないがエビ入りのサーモンを注文していた。盛り付けられたお皿の上で、エビがピースしている。美味しそうという前に可愛い。

 次に来たパジャールスカヤは見た目が鶏モモ丸ごとの唐揚げなのだが、中はミンチだ。珍しいのは衣。クリスピーでカリカリザクザク。そして香ばしく美味しい。これはハマる男性が多いだろうな。

 私はロシア料理がこんなに美味しいとは知らなかった。何でも食べて見るものね。だけど残念ながらこの段階で私達はお腹が一杯だった。

 思った以上に一つ一つの量が多いのだ。最後の真っ黒いケーキは半分残してしまった。美味しかったんだけれどこれ以上は無理だった。

 

「はぁ~、お腹いっぱい」

「ええ。思ったより美味しかったですわね」

「うむ。貴重な体験だった」

「そいつは良かった。これでホテルまで戻れば本日は終わりだ。明日の10時に迎えに行く。そして11時に第一のターゲットと交渉だ。こちらは比較的協力的だと思う。午後からは第二のターゲット。アポイントメントは2時ジャストに取ってある。気難しそうな爺さんだが、エーデルフェルトの名を出せば問題なかろう。ターゲットの氏名と、それぞれが持つ呪体や礼装のリストはこれだ。今回のビジネスで予約を取れたのはこれだけ。明日以降のアポの日にちと時間も記入してある。交渉は立ち会わなくて良いんだな?」

「ええ。それは私どもで行いますわ。こんな雑務で申し訳ありませんわね」

「いや、いい。むしろ半ば引退していた私にとっては良いリハビリさ。荒事も今後はあるだろうが、魔杖や英霊がある、あんたらなら大丈夫だろう。それに数年掛けて集める積もりだろう? 今後もご贔屓にしてくれるのなら、この程度の調べはしてやろう」

「お願いしてもよろしいんですの?」

「ああ。この仕事以外はパートタイム生活だからな。ぼちぼちと纏まった金が欲しかったところだ」

「でしたら是非とも。あなたの腕はキリツグ様からもお聞きしていますわ」

「おいおい。坊やの話だけで決めるのか?」

「私はエーデルフェルトでございますわよ?」

「調べは完璧か。わかった、こちらからも頼もう」

 

 そうして私達は再びホテル前で握手を交わし、部屋に戻った。ルヴィア一人に話させているみたいだが、事実その通りで最後はロシア語だったのだ。ルヴィアは思った以上に語学が堪能だった。

 

「本命はエーデルフェルト家とのパイプでしょうな。プラスアルファの仕事が欲しいのだと」

「でしょうね。ですがああいうタイプは好ましいですわ。裏切らない事が高確率でわかりますもの」

「ですな。裏返せば立場を明確にせねばならぬほど、これまでのブランクに臆しているのか、或いはそれだけの修羅場を潜って来たのか」

「両方でしょうね」

「私もそう思う。だからリハビリなんでしょう?」

「そうですわね。ハンター業に戻られるのでしょうか?」

「どうかなぁ。年齢的な体力や気力の衰えは感じているように見えたけど?」

「だからでしょう。寄らば大樹の陰で、エーデルフェルトとの太いパイプが欲しいのだと思われますな」

「そういう事ですわね」

「とはいえ……」

「やっぱりハサンはあの人を警戒しちゃう?」

「全盛期のあの者なら、『妄想幻像(ザバーニーヤ)』で分裂した我らに勝てたでしょう。三人以上で当たらなければ。いや、今でも勝てる場と条件を用意できると思いますな」

「分裂していても英霊よ? そこまで?!」

「ええ。ある意味衛宮氏より、柔軟な発想ができるタイプです。ああいう手合は侮れません」

 

 やはりナタリアさんは只者ではなかったのだ。柔軟な発想か。

 

「それはエルヴァみたいな?」

「そうですな……。今まで何を学び、何を習得し、何が出来るのか。その組み合わせと、それを活かしきる頭脳。言葉にすればこれだけですが、結局最後は経験と度胸ですよ」

 

 これには納得だ。この後、ハサンは隣の部屋に向かった。私とルヴィアが同室で彼が別室なのだった。

 翌朝は公園で運動だ。ホテルは広い公園の傍が最適だと最近の私は思ってる。ヨーロッパでもロシアはお初だ。遠くまで走ると危険な場合もあると思い、何年振りかに買い直した空手の道着に着替えてハサンの目が届く範囲をくるくる走った。

 その後、型を取る。私は少年部で黒帯まで行ったけれど、エルヴァは社会人に混じってフルコンタクトで二段を取っていた。だから動きが全然違う。やっぱり身を護るには実戦的な空手の方が有利だと思い、実は2ヶ月ほど前からエルヴァに見て貰っていたのだ。

 そしてそんな私に感化されたのかルヴィアまでが空手をやり始めた。それで三人揃って美綴さんが居る道場の門を叩き、週に1~2回習っているのだ。今は私が緑帯の3級でルヴィアは青帯の7級だ。

 美綴さん曰く、私もルヴィアもセンスが良いらしい。特にルヴィアは本当の初心者からわずか1ヶ月で青帯まで行ったのだから。

 だけどそんな中でエルヴァだけが、あれよあれよという間に初段を取っていた。元が二段だからあっさりだった。

『前々から強そうな人だとは思っていたが、マジもんだあの人は。勝てる気がしない』と、美綴さんはいう。ちなみにエルヴァは前の段を流派が違うので棄てた事にしていた。

 ヨーロッパでは3歳からやっていたそうだが、実は冬木のあの道場には8歳から通っていて、元の二段もあの道場の帯なのだそうだ。つまり美綴さんとエルヴァは同じ流派の同じ二段だったのだ。

 それがあれだけ違って見えるのは、エルヴァがアサシンや葛木先生から違う拳法や体術も学んでいたからだった。葛木先生が並行世界ではキャスターのマスターで、暗殺拳の使い手だったと知って驚いた。だって私とルヴィアの担任なんだもの。

 

「セイッ!」

「ハッ!」

 

 型を終え、組手をする私達。それを公園を散歩する人や走る人が眺めていく。中には何をやっているんだと尋ねて来る人も居た。そんな中に犬を散歩させているお兄さんが居た。凄い筋肉の人で何か格闘技をやっているのは明らかだった。

 

「お~い、メスっ子。空手か?」

 

 英語だった。メスっ子って失礼な。

 

「ええ。初心者ですが」

 

 返事をしたのはルヴィアだった。

 

「そうか、頑張れよ。俺も俺の親父もサンボと空手をやってるんだ。知ってるか? ソ連時代は空手が禁止だったんだ。やっていたのはKGBと警察の特殊部隊だけだった」

 

 彼が話し始めると犬が横にちょこんと座った。賢いわね。そこから数奇な運命をたどったロシアの空手と、現在の状況を聞かされた。

 60年代の末期にソ連に渡った空手は広く普及し、70年代には600万人もの競技人口が居たそうだ。彼のお父さんもその頃に学んだ人らしい。だけどその急激な人気でボクシングやサンボ、柔道のプロ選手が空手に転向し、スポーツで国威発揚を図りたい当局にとって段々と目の上のたんこぶとなっていった。

 そして更に悪い事にギャング達にとっても人気の格闘技になってしまった。何故ならこの新しい格闘技に警察は対応できないし、鉄のカーテンに阻まれロシアの空手は独自の血生臭い格闘技に変化してしまったからだ。

 試合中の負傷は当たり前。中には生命を落とす者までいたという、とことんまでの人体の破壊。だから1981年に全面的に禁止となった。この禁止が解かれたのは1989年だったという。だけどその時にはもう、以前のような空手人気は戻らなかったそうだ。

 このお兄さんも空手家で、空手の新たな普及を目指しているという。だから私達を見て、ついつい声を掛けてしまったのだそうだ。彼は私達に幾つかの型を見せてくれ、悪いところを指摘してくれた。お礼を言えば、後ろ手に手を振り犬とともに走り去って行った。

 

「嬉しかったのでしょうか?」

「そういう事でしょう。空手が繋ぐお友達の輪って感じ?」

「ですわね。言葉遣いは乱暴ですが、当家のガードマンのような雰囲気がありましたわ」

 

 それで嫌な顔をしないで受け答えしていたのか。実際話すとストイックで真面目な人に思えた。犬もとても良くいう事を聞き、おとなしかった。躾が良いだけでなく、仲が良いのだと思えた。ああいう人に悪い人は居ないだろう。少し遠巻きにしていたハサンが戻ったので尋ねてみた。

 

「今の人をどう思う?」

「その空手という武道に強い思い入れがあるのでしょうな。普及を目指すとは本当の事でしょう。邪気は一切感じませんでした」

 

 やはり。私は何故かあの男性が気になった。

 

「そろそろ朝食ですわね」

「ええ。戻りましょうか」

 

 朝食はエルヴァが話していたブリヌイだった。けれど私の耳にはブルヌイと聞こえた。日本語に直すと難しいわね。

 他は炒り卵の乗ったスライストマトとマヨネーズたっぷりのサラダ。そしてサーモン。高級じゃないけど、こういうので良い。量は男性には少ないかな? けれどその場合はブルヌイをお代わりできるし、お粥も頼めるらしい。あれだ、エルヴァが言ってたソバのお粥だ。

 

「明日は移動日よね?」

「ええ。今日の仕事を終えれば荷物を纏めませんとね。道着は朝食後クリーニングに出しましょう」

「うん、そうすれば午後の仕事が終わった頃に仕上がるだろうし。ニジニ・ノヴゴロドだっけ?」

「ええ。モスクワから東へ400キロメートル。そのニジニ・ノヴゴロドで一泊して仕事後に直ぐモスクワ。飛行機でノヴォシビルスクですわ。本当の強行軍は明後日ですわね」

「今回は、そのノヴォシビルスクでの1件を含めて計4件ね」

「ええ、何度も打ち合わせした通りです。この辺が限度ですわよ」

「確かに。焦ってもしょうがないしね」

 

 今回の旅が試験的な意味が大きいのは、私達が人と会いどれだけ情報を得られるかを探りたかったのもあった。呪体や礼装は何も旧ナチのものだけでは無い。場合によっては帝政ロシアやそれ以前の貴重な物が手に入る可能性もあるのだ。

 それを買い取ったり、売ったりして、次の取引材料や資金にする。エルやあちらのルヴィアが言うように、この手のテーマが絞られたトレジャーハントは、資金は必要だがリスクが少ない。

 あのサジェッションを得てからの私は、こういう商売を霊地以外で行いたいと思うようになっていた。何より私はルヴィアと子族契約を交わしている。手伝いつつ学べる事は大きい。それに何故かこれが第二魔法に近い気がしていた。

 そしてこの仕事に懸ける思いはルヴィアも同じだった。あちらのルヴィアからの指摘でわかった事だが、ルヴィアのお父様はこの旧ソ連の聖遺物や呪体などを売買するブローカーであり、コレクターでもあったのだ。

 おまけに家業の方はエルヴァの情報やアイデアでどんどん膨らみ、後継者としての彼女は安泰。とても気楽な立場になってしまった。

 だから、私とこうしてロシアを巡る事に大きな意義が出て来たのだ。察するに、あちらのルヴィアも同じ立場なのだろう。だからルヴィアにこれがライフワークと話したのだと思う。

 

 朝食を終え荷物を整理し、汚れ物をクリーニングに出した私達は10時ジャストにナタリアさんと合流し、市内のあるアパートを訪れた。

 シワが深い100歳近いお爺さんが、質素な室内へ迎えてくれた。

 

「よう来た。入んなさい」

 

 老人はテーブルに私達を案内し、棚から木箱を取り出した。

 

「これじゃよ」

 

 白い手袋をはめ鑑定させて頂く。それは呪体だった。単独では余り価値はない。だけれど、宝石と組み合わせると結構使えそうな気がした。日本円で50~60万ってとこかな? これ以上出す魔術師は居ないだろう。

 

「30万ルーブルでいかがでしょう?」

 

 そうルヴィアが値踏みした。日本円で50万ちょい。私の値踏みとほぼ同じだ。すると老人がもう一声と言ったのでルヴィアは後5万ルーブル足した。これだと60万を越える。これはどうなのか。

 なのにルヴィアは挑むような笑顔だ。老人もそれと同じ笑顔になり、棚から別の木箱を出した。なるほどね。ルヴィアの方が商売人だわ。

 中にはくすんだ振り香炉が入っていた。正教会で使われるあれだが、漂う魔力の残滓が普通じゃない。老人はニヤリとして今度は600万ルーブルで買ってくれと言った。日本円で1千万を越える。私はギョッとした。高いと思ったのではない。安いと思ったのだ。

 

「よろしいんですの?」

「老い先短いこの身じゃからな。若いあんた方が持つ方が良いじゃろ。それで介護人も雇える」

 

 奥の部屋から咳き込む声が聞こえた。誰かが居る。

 

「倍の1200万ルーブルをお支払い致しますわ」

「良いのか……?」

「ええ」

 

 その振り香炉を魔香炉という。時計塔にも魔香炉はあったので、その性能や効能にバリエーションはある程度知っていたが、このクラスになると個人で使用するものではない。集団に何らかの事を働きかけるものだ。

 催眠や暗示なのか、魔術回路を活性化させるものなのか、そこはわからないけれど。

 ルヴィアの説明では、ロシアのこれはこの世に九つしかなく、内六つをルヴィアのお父様が持ち、残る三つを長年探されていたらしい。

 そして言い伝えでは、九つ集めてある種の香を焚くと門が開くのだという。どこへ繋がる門なのか。魔界なのか天国なのか、或いは並行世界なのか。その先は不明だが、ここまで感じ取れるものなら何かがあるだろう。

 そしてこういう品は共産国家ではご禁制だったと思う。だから長年人目に触れさせる事もなく、死蔵させていたのだと老人が説明していたらしい。

 倍で買い取った事で、彼は幾つかの情報をルヴィアに話してくれていた。帝政時代の礼装を持っている者、彼のように現金に換えたがっている老人の居場所などだ。

 帰りのクルマでルヴィアに尋ねた。

 

「どういう人だったの?」

「あの方は魔術師の三男だそうですわ。御本人は魔術師ではありませんが、ニコライ2世の施政下で長年政府の下で働き、ロシア革命で欧州を転々とし、ソビエト崩壊でモスクワに戻り住むようになったとか」

「お幾つなの?」

「お聞きはしていませんが、150から200歳くらいだと思われますわね」

 

 ああ、エルヴァのお祖父様が150歳くらいだった。だけど見た目が全然違う。私は100歳くらいかと思ったのだ。

 

「魔術回路とは別に、魔術的な才能か適正があったのでしょう。父親から何か長命を得る施術を受けていたそうですわ。奥で咳き込まれていた方は五番目の奥様だと仰られていましたわね」

 

 その奥様のために現金が欲しかったらしい。

 何らかの魔術の実験で肉体を変化させられた人の悲しい末路は、大概その者の突然死や重篤な疾病を背負った闘病生活後の死で終えるものだ。また、これといった病気をせずに、生き延びられても極端に短命な場合が多い。

 そして成功した成果は後継ぎや後継ぎの子孫が掠め取って行く。

 だけど稀に実験の恩恵で特殊な能力を得たりして生き残る人も居る。彼はその珍しいケースだったのだ。刻まれたお顔の深いシワ。今まで想像もつかないような事がたくさんあったろう。あの老人と桜がだぶる。

 

「あんたも身内にそういう者が居るのか?」

 

 桜の事をナタリアさんは知らない。だから悪気なく聞いたのだろう。

 

「はい。妹が」

「そうか。跡取りは生きる意思だけじゃ足りない。生かされているんだって知ってこそ血は繋いで行けるものなんだ」

 

 この人にも何かあったのだろうか? それは知らないけれど、その言葉は遠坂の再興を目指す私には、とても重い、そして意味のあるものだった。

 

 クルマは次の交渉場所へ向かう前に、ライオンなんとかというところに停まった。幸先良い交渉で気分がノッたルヴィアの希望で寄り道したのだ。

 そのルヴィアが、お昼は屋台でホットドッグを買おうと提案した。まぁ、別に反対する理由はない。

 

「ロシアにホットドッグなんてあるんだ?」

「ありますのよ。それを持って、次に行きますわよ」

「次? はしご?」

「はは~ん。ここからだと雀が丘か?」

「はい」

「あれを知ってるとは。フィンランドの人もジャガイモ好きだなぁ」

 

 ナタリアさんが感心している。へぇ~、何だろう? 

 クルマで展望台まで行くと駐車場の傍に『カルトーシカ』という緑色のお店があった。カルトーシカとはジャガイモという意味だそうだ。

 

「日本語でなんと言いましたっけ? ジャガイモとバターの?」

「ジャガバタ? そのままよ?」

「それですわ。その短縮の仕方が私にはもう一つ法則が掴めないのです。ともあれロシア語ではクローシュカ・カルトーシュカと言って、あちこちで食べられるファストフードですのよ。バターだけでなくトッピングを選べるのが特徴でしてね。この展望台のお店は父のお薦めでしたの」

 

 ああ、ルヴィアのお父様の。トッピングは色々あるなぁ。迷うのでルヴィアと同じサーモンとピクルスにした。

 ハサンはナタリアさんのアドヴァイスでピクルスとカニカマのサラダにしていた。私はカニカマがある事に驚いた。ナタリアさんはホワイトソースを選んでいた。

 お店の人が蒸かしたジャガイモを二つに割った。結構大きい。そこにバターとディルを塗り、少し混ぜてからトッピングを乗せてくれる。スチロールのお皿に乗ったこれを、プラのフォークで掻き混ぜて食べるのだそうだ。

 公園のベンチでドリンクとホットドッグを取り出し、ジャガイモと一緒に頂く。量が多いなぁ。けれどその味は。

 

「イケる! これ!」

「でしょう? モスクワのこのジャガイモが意外と美味しいのですわ」

 

 そういう友の横顔は、展望台から遠くを見詰めていた。美遊を見るような優しい顔だ。

 

「子供の頃にお父様と食べたの?」

「ええ……」

 

 そうか。きっと幼い頃にお父様や妹さんとここに来て、一緒に食べたんだ。

 

「手紙、出してあげれば?」

「そうですわね。そしてエルさんに治して頂けたなら、一緒にプラハへ行ければ。ああ……ですが私が決めると嫌がりますかしら?」

「どうだろうね。どういう性格の方か知らないから何ともだけど。でも、仲は良いんでしょう?」

「ええ。大切な妹ですわ。それに、私ども二人だけにしか使えない魔術もありますので」

 

『双子』。なんて不思議な魔術属性だろう。それを代々継承するエーデルフェルトは、歴代当主が双子で女系でもあった。

 何を受け継ぎ、何を次に残すのか。婿養子である小父様は、幼いルヴィアと妹さんに何を話したのか。それは知らないが、兄弟姉妹を養子に出さずとも済む名門エーデルフェルトでも悩みは尽きないものらしい。

 

「これ、多いわねぇ」

 

 さすがに量が多いのでナタリアさんもホットドッグに手を付けなかった。

 

「ホットドッグはどちらか1本を持ち帰って夕飯にすれば良い。何なら私のホットドッグは進呈しよう。カルトーシカ屋に寄ると知っていたなら注文しなかったぞ」

「すみません」

 

 ハサンは両方食べきっていた。

 

「むぅ、このジャガイモは良いな」

 

 かなり気に入ったみたいだ。でも、わかる。本当に美味しいのだ。国籍や民族を越えて、食べられない人はまず居ないと思う。

 

「これはヒットだわ。エルヴァが教えてくれなかったのは、忘れていたから?」

「たぶん、そうでしょう。ありふれていますものね。これとかジョージアのチュルチヘラなどは絶対にお食べになられているはずですわ」

 

 食事を終えるとナタリアさんはクルマでデパートに寄ってくれた。トイレ休憩だ。覚悟はしていたけれど、ロシアのトイレ事情は本当に酷い。

 まず公衆トイレを見ない。あっても便座が行方不明。紙もないし、その紙を流すなとロシア語と英語で書いてある。もう少しましなコイン式公衆トイレが現れるのは数年後で、この2004年の最初の旅は色んな意味で勉強になった。

 ナタリアさんも女性なだけにこの手の機微は理解してくれ、彼女の案内で救われた事が多かったのだ。大きなお店かデパートに行かないとまともなトイレがないのは本当に辛かった。

 倫敦で文句を言ってはダメだ。日本は天国だ。あれを基準にしたら世界中のどこにも行けない。

 

 クルマは北東の方向に走り、モスクワ市を出た。向かうは衛星都市ムィティシの郊外。機械工業が盛んな産業都市でロシアで最初の上水道が通った街でもあるらしい。高速道路の右手にとても大きな森が広がっている。

 

「あれって公園? 大きいわね」

「リン、あれはホテルの前にある、ロシニー・オストロフ国立公園ですわ」

「え?」

「ホテルはこの反対側にありますのよ」

 

 何とあの公園は南西から北東までの一番長い部分で16キロ近くあるらしい。幅も広いところで6~8kmはあるのだとか。

 ルヴィアに見せられた地図を見た限り、形としては琵琶湖っぽいと私は感じた。高島市から長浜市を結ぶ線より北側が米原市や彦根市側に出っ張ったような。勿論面積としては琵琶湖の方が広いけれど、首都からはみ出るほどの公園って他にはあまり無いような気がする。

 地図には、モスクワ市全体の図もあった。それはジャガイモだった。市の外周に沿ってモスクワ環状道路があるのだが、ここからはみ出た街がジャガイモに生えた芽のように見える。隣にも大きな街があるのは主に南西側だ。

 

「この西区の飛び地が凄いわね?」

「そこがどういう成り立ちでそうなったのかは存じませんが、ロシアは飛び地が多いですわね」

 

 有名なのはカリーニングラードね。元の名はケーニヒスベルク。ドイツ騎士団が造った街で、古くから琥珀で知られる。第二次大戦でソ連領となり、不凍港として造船業が盛んな軍事都市だった。

 ところがソ連の崩壊に伴い、1990年のリトアニア独立で飛び地化。翌年のラトビア、エストニアの独立で完全に見捨てられた。それにより経済は崩壊、麻薬取引や人身売買が蔓延る犯罪都市と成り下がり、欧州の頭痛の種となっている。

 ちなみにルヴィアはバルト三国は全部行っており、中でもエストニアはお気に入りでしょっちゅう行くそうだ。バルト海を挟んでヘルシンキと近く、交流が盛んなのだとか。エーデルフェルトとしても経済支援をかなり行っているらしい。

 そりゃ、フィンランド人の彼女達はソ連に思うところがあるだろうしね。

 

「あそこは何なの?」

「そこはゼレノグラードという、言ってみればロシアのシリコンバレーですわ。レーダーなどが作られていたので、昔は造船のカリーニングラードと同じ閉鎖都市でしたのよ。予定しているニジニ・ノヴゴロドも以前は閉鎖都市だったのですわ」

 

 ニジニ・ノヴゴロドは旧名がゴーリキーだっけ。世界史で耳にした軍需都市なのよね。

 

「もしかして、ソ連は呪体や礼装で兵器を開発しようとしていた?」

「関連性も真相も不明ですが、私もそう睨んでいますわ」

 

 やはりか。時計塔で魔術を追っかけてるだけじゃ見えないものが見えて来る。あのエルやルヴィアは、こういう情報を商売の緒(いとぐち)にしているのだろう。想像する以上のもっと先を行くのだろうけど。

 

 午後からの目的地は元共産国家の家とは思えない邸宅だった。並行世界で見た間桐ほどではないが、遠坂よりは大きい。共産党の幹部だったのかしら? 

 時刻は午後の2時少し前。門から前庭に入ると尻尾を振った犬が飛び付いて来た。えっと身構えたら、同年輩くらいのとんでもなく可愛い女の子が犬を制してくれた。

 

『ゴルビー、静かに。お座り!』

 

 お人形さんみたいに可愛い子だが、聞き間違いじゃなければ、何とも言えない愛称の犬だ。

 瞳の色は意思の強そうなグレイ。倫敦のグレイとは違ってブルーの色素が抜けきった感じだ。髪の色は亜麻色と茶色が混ざったよう。一部染めているのかも。そしてスラブ系らしく耳たぶにはピアスがあった。

 

『ポリーナ、どうした?』

『兄さん、お客様にゴルビーが』

『ん? ありゃ、娘っ子達じゃないか?』

 

 何とポリーナさんの兄であるらしき男性は、今朝公園で犬を連れていたあの人だった。良く見れば尻尾を振る犬も今朝の犬だ。お兄さんが制したら、ゴルビーはおとなしく座った。

 ここからホテル前まで散歩? 何キロあるんだ? あ! この白い犬、おでこの上に茶色の斑点がある! 

 ルヴィアが言うには、英語だからニュアンスがメスっ子になっただけでロシア語だと娘っ子だったらしい。しかもかなり上質な育ちをロシア語からは感じられるとか。何だそれ。お兄さんの英語力、無茶苦茶だぞ? 

 

『そうか、爺さんのお客ってあなた方だったのか。爺さんが待ってるよ、どうぞお入り下さい』

 

 男性は驚きの名で、イリヤというそうだ。これがロシアでは歴とした男性名で、「ヤハウエは神である」という意味の「エリヤフ」が語源なのだとか。

 屋内の応接間で老人が待っていた。名はウラジーミル・オストロフスキー。8代続く水系の魔術師で、旧ロシア時代から連綿とこの地で暮らしているそうだ。息子夫婦は水文学の学者でもあり、ウラジーミルさんもその手の専門家だった。

 なるほど、そちらの顔で共産党の目を誤魔化したのか。空手やサンボなどの武道も、そういう側面があったのかも。

 ともあれ、ナタリアさんの事前情報通り。取引は簡単に終わった。やはりエーデルフェルトの名は大きかった。

 買い取ったのは琥珀に包まれたドラゴンの爪。それの原石。12~13センチの大きさの透けたアンバーの中に、6センチくらいの恐竜の爪みたいなものが閉じ込められていた。買取価格は2億ルーブル。日本円で3億5千万くらいだ。

 本物か偽物か。並行世界のルヴィアがとっくに調べていて、彼女がリストアップした中に『オストロフスキー、ドラゴンの爪、本物』と既に書かれてあった。勿論、手に取って私達なりに鑑定もした。

 解析魔術を掛けると、セイバーっぽい感触が返って来る。その前から尋常じゃない魔力を放っているんだけどね。価格に関してもあちらのルヴィアは2億2千万~2億5千万ルーブルと書いてくれていた。

 折り合いを着けるまでに、彼女はオストロフスキーさんを三度も訪れている。なのに私達は一回だ。これを良しとできるほど、ルヴィアも私も面の皮は厚くない。今度会ったらきちんとお礼をしようと決めた。

 難しいのは支払い方法だ。当然現金の持ち合わせなんてないし、金額が金額なので午前中みたいな小切手も使えない。そこで打ち合わせ通り、後日サンクトペテルブルクから人をやって品物と現金を引き換える事とした。

 これにも理由がある。ロシアにはまだまだ共産時代の監視網が一部残っており、余り大きなお金を動かすと当局というか、政府の目に引っ掛かる事が予想できたのだ。なので後日現金をこっそり渡すしか方法が無いのだった。

 そしてこれはオストロフスキーさんを守る事にも繋がる。

 

 無事取引を終えたところで私達はお茶をお呼ばれした。オストロフスキーさんが私達を気に入ってくれたのだ。だから私達が探している品に付いてだけでなく、面白い品や興味ありそうな品を次の機会までにリストアップしてやろうとまで申し出てくれた。

 だから再度ロシアを訪れる際は、必ず立ち寄りなさいと言ってくれた。とてもありがたい事だ。

 そして最後の最後に、オストロフスキーさんからある相談を受けた。それはポリーナさんの将来についてだった。聞けば彼女がオストロフスキー家の9代目継承者だった。

 この際年齢は問題ではない。問題は、この国には魔術師がほとんど残っていない点だった。だからロシアには魔術協会も無い。

 家の魔術はキチンと継承されているようだが、若いポリーナさんには単なる家の伝統であって、魔術そのものに意義を感じないらしい。

 根源やら何やらを伝えても、他に魔術師が居ないのでお爺様の言葉はポリーナさんにはピンと来ないのだ。何よりオストロフスキーさんですら、話せば水系でも基礎的な部分で停まっている感じだ。

 1922年から1991年までのソビエト社会主義共和国連邦は、ロシアの魔術をここまで遅れさせたのだ。旧ロシア時代から残る在野の魔術師は居たと思う。だけど、魔術もある意味兵器だ。なのでそれを利用したい共産党にとっては、トップシークレット中のシークレットだったのだ。

 国家転覆を恐れ、魔術師狩りみたいなものもあったそうだ。それで皆んな野に散るか国を出た。オストロフスキーさんは体制側に入る事で難を逃れた。と同時に、オストロフスキー家の魔術を停滞させてしまった。

 お歳をお聞きすればウラジーミルさんは72歳で、ガタイの良いイリヤさんは21歳。妹のポリーナさんは17歳だった。イリヤさんは格闘家として名を売り、空手を再び普及させるという夢があるので最初から魔術の勉強をしていない。そしてそれはこの場に居ないお父様とお母様の意向でもあるらしい。

 共産党が崩壊するまで待たねばならなかったのだ。そこでお爺様っ子なポリーナさんが、一応平和になった今、自ら魔術師を志願したのだという。

 だけど、今のままだと時計塔の基礎クラス・レベルにも行ってない。全体基礎科か個体基礎科で一からやり直す方が早いと思う。それでエーデルフェルトで支援するから、高校卒業後に時計塔かプラハに入ってはどうかとルヴィアが薦めた。

 

 万事解決とは行かないし、まだまだ課題も残る。けれど宝石魔術の幾つかを見せてあげたらポリーナさんもノッてくれ、興味を持ってくれたようだ。

 オストロフスキーさんはレベルの違いにショックを受けていたけれど。でも直ぐに気を取り直し、ポリーナさんに広い世界を見て来なさいと話していた。

 やっぱり神秘の秘匿にも限度はあるって事だ。身近にともに学ぶ仲間が居ない事の虚しさは、上がらないモチベーションや寂しさの前に、比較対象となる相手が居ないという点だ。

 もはや孤独とか孤高とかそういうレベルじゃない。断絶だな、これも。

 だけど今後はポリーナさんのような人が、最新の魔術を学びロシアの魔術を底上げするだろう。オストロフスキーさんはそういう時代が来ると信じていたと呟いた。

 国家のせいで碌な教えも伝えられないのに、ただひたすら信じて子や孫を成したオストロフスキーさん。

 確かに繋がっている。間違ってなんかない。今後の事も次回に詰めましょうという事で、私達はオストロフスキー邸を友好的に辞したのだった。

 私は死んだ両親のためにも、また桜のためにも遠坂の魔術を前に進めなければならない。その事を強く強く考えさせられた訪問だった。




事件簿のようなミステリーではないけれど、ああいう世界観を凛やルヴィアを中心に書いてみました。
助っ人もこのプリズマ世界だから出せる人をチョイス。
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