64、試験
7月27日。
ルヴィアの家に戻った私達は、エルマがアルバイトから帰った後、軽い反省会をした。エルヴァは朝から出ていて、反省会に参加しなかった。まぁ、彼女には何の問題も無いしね。
そして今回の私とルヴィアの評価はかなり高かった。点数こそ言われなかったが、先生からたくさん褒めて頂けた。
だけどエルマは70点だった。衛宮の小父様が前に出た事で、最初から-30点だったのだ。小父様が出なければ100点に近かったらしい。
だけどあの衛宮君でもまだマシな方だったとアーチャーは言う。次は私とルヴィアの番だ。アーチャーも全面的に協力すると言ってくれたし、セイバーを貸してくれるとエルヴァが申し出てくれていた。
ただし条件は時給680円と三食付きの、ご飯お代わり自由だ。時給は安いが、お代わりができる環境を構築しなければならない。ここが意外とネックかも。
そして上記の事からもわかるだろうが、問題は次回エルヴァとエルマが居ない事だった。師匠が検分役に同行してくれるのは心強いが、あちらにエルが居るかどうかは不明だった。
何故こんなに慌ただしく準備をしているのかと言うと、次の世界への出発が今夜だからだ。
衣類は向こうで洗濯もしているしケースに入ったそのままで良いのだが、エルマが居ないと持って歩くのも自分達だ。これは誤算だった。
まぁ、それはともかく私達は先生にどういう内容の仕事なのか概況を尋ねてみた。
「こんな言い方は冷たいけれど、あなた達は孫弟子であって弟子では無いのね。だからあなた達の師匠の凜が、どういう世界を選んで何をさせるのかを私は知らないのよ。まぁ、でもそんなに難しい事じゃないと思うわ」
う~ん。ステッキがあるから宝石はほとんど使わない。なので今までは懐が痛む事が無かったのだけど、師匠が何を考えて何を私達に求めるのか、そこは知りたかったなぁ。
ともあれ、合流ポイントまでは先生が連れて行ってくれるので、師匠と合流してから尋ねよう。
ミストレスへの質問が不調に終わった私は、リンがマルガリータさんとお風呂に行った後、オーギュストと話していました。
リンとマルガリータさんも仲が宜しいのですわ。ま、マルガリータさんにしてみれば、体を張った命の恩人ですものね。
「お嬢様は、心苦しい訳ですな?」
「そうですのよ……」
何が心苦しいのかと申しますと、私はミストレスから次回の内容を少し伺っていたからですわ。
行き先は第五次聖杯戦争の終わった世界ですの。今の私達より年上の時計塔へ渡ったリンやシェロ、二人の様子を探り内部に潜む謎を見付ける事が課題なのです。
リンに情報を与えなかったのは、彼女ならサクラを思う観点から、私とは異なるアプローチで探れるからですわ。
こうなると問題とはサクラの件だと思い込みそうですが、どうやらそれだけではなさそうですの。ではシェロ? そう単純でもないようです。意外とそこの私に問題があったりして。
「お嬢様と遠坂様のお仲が宜しいのは、エルヴァ様が居らっしゃってこそでしょう? その辺もあるやも知れませんな」
確かにそれは言えますわね。という事は高校を卒業して、時計塔で初めて出会い喧嘩三昧? う~ん……情報が余りにも少ないですわ。行ってみなければわかりませんわね。結局私の得た情報もリンとそう大差なかったのですわ。
それはそうと連れ帰った子供達ですが、こちらはエミヤの小父様がご自宅に引き取られました。イリヤとクロエが学校の行事で旅行中ですので部屋は空いているようですが、本人達にしてみれば居ない間に部屋を使われるのは余り嬉しくない事かも知れません。
そこを小父様も危惧されたそうですが、小母様には何かお考えがおありのようです。ですので暫定的にあちらで暮らす事となりました。
子供達の元の世界の座標割り出しは、リンのルビーとエルマのルビー、私のサファイア、そしてイリヤとミユが残していったルビーとサファイアがリンクして行っています。
要はあちらのミユが握っていたであろうサファイヤと、イリヤが失ったルビーを探索し、そこから元の世界を見付け出そうという訳ですわ。
また、同じく連れ帰ったランサーですが、彼は庭師兼ミユの兄のシェロの師匠として当家で雇いました。これはランスロットさんと同じ待遇ですわ。
魔力はエルマが送る事となり、現在ランスロットさんとともにシェロを訓練中ですのよ。それを見守る子供達。
子供達はここのシェロとはもう会っており、小母様が従姉妹と知らせたそうですが、毎度毎度よくそれが通りますわね。それを素直に信じるところがシェロの味だとも言えますが。
「それを簡単に鵜呑みにする兄貴ってどうなんだ?」
「そんなものだよ。お兄ちゃんらしいって安心したなぁ」
「むしろ私は美遊のお兄ちゃんがこういう人だったと知ってびっくりしたよ」
「そうか? ま、士郎と俺とではだいぶ違うだろうな」
連れ帰ったクロとイリヤとミユの兄のシェロですわ。食堂で休憩中のシェロとジュースを飲んでいます。
「料理好きなところなどは変わらないと思うけどな?」
「そうなんだ? でさ、私の元となったカードって誰かわかる?」
「どういう意味だ?」
「いや、元となった英霊はわかったの。でも、何人も居るみたいだし……」
「そっか。俺のこのカードや、向かいのクロエは2番目って聞いている。けど君もそうなのかは、俺にもわからないな」
「そうだよね……。その2番めってどんな人か知ってる?」
「ああ。以前ここに居たからな。見た目はアーチャーさんと同じだけど、エルヴァさん達のお兄さんだけあって色んな意味でタフな人だったなぁ」
「タフって?」
「強いんだよ、心も体も。そして考え方もあり方も大人だ」
まぁ、そうでしょうね。
そしてクロはエルヴァさんに聞くしかないと思ったようですが、その肝心のエルヴァさんは本日免許の試験で不在です。
さて、私も今夜の出発に備えて荷物を見直しませんと。
さて私ことエルヴァは今日も試験場に来ている。本日はクルマではなく、バイク免許取得のためだ。残念ながら私はエルの頃に持っていた免許証が使えない。
なので普通二輪から取り直しとなる。痛いのは2年間の無事故無違反の操縦実績だ。これが消えたので大型取得は再び2年後となる。
そうバイクに思い入れがある訳では無いので、どうでもいいと言えばいいのだけれど何か損した気分だ。
ま、それは仕方ないので諦めもするが、クルマは免許取得者に同乗して貰い、路上練習を最低5日は行わなければならない。これが実に面倒なのだ。
まず、お母様が助手席……? コーナーでサイドを引かれそうで怖い。アクセルを煽って回転を上げろとか煩そうだ。
お父さん……? 君の横は遠慮すると、既にバシッと断言されている。泣くぞ?
そうなると残る頼めそうな免許持ちは、セラとオーギュストさんのみだ。そしてこの二人はそれぞれの家の事で多忙でもある。本免許試験は伸ばせても3ヶ月。この期間内に最低5回の路上練習を終えねばならない。
な~んて事を考えながら操縦していたらあっさり合格してしまった。一本橋なんて1分近く掛けて渡ったそうだ。全然記憶に無いけれど。
ま、ともあれ昼からの筆記試験が通れば夕方には免許交付だ。こんな風にクルマも一日で終われば良いのに。
日本国政府はメーカーの思惑と異なり、大衆をクルマに乗せたくないらしい。狭い国土、高い保険料と燃料費に維持費。二重課税が堂々と罷り通る国家なんて、西欧ではあり得ない。
そんな事をブツブツ呟きながら食堂で梅昆布うどんを食べていたら、弓道部の1年生男子に声を掛けられた。
「エルヴァ先輩」
「へ? あら、君は1年生の?」
「はい。田上です」
「奇遇ですね? どうしてここへ?」
「うち、農家なんで。小型特殊免許を取って来いと親から。それを取ったら原付き二種の免許を取らせて貰えるんですよ」
「フルビット(全種類の免許を取得する事)でも狙っているのですか?」
「親父がそれですけど、俺はそこまでは」
「どうして125cc? 高校生なら普通を狙うでしょうに?」
「爺ちゃんの古い60年台のCB125を譲って貰えるんです。その代り、爺ちゃんのお金でこの夏に2級小型船舶を取る予定です」
は? 60年台のCB125? セミダブルクレードルのK1かK2だろうか? 実用バイクにも流用された2気筒の名エンジンだ。去年まで販売されていたCB125Tも同じエンジンで、デザインが良ければ欲しいと思った1台でもある。
「どうして船舶免許を?」
「あ。バイクの爺ちゃんは親父の爺ちゃんで農家なんですよ。けど船の爺ちゃんは母ちゃんの爺ちゃんで、漁師なんです。そんでもって俺が次男で親戚の若い男は俺達だけなんですよ」
「ああ、なるほど。耕す土地はあるし、船や漁業権もしっかりあると?」
「さすが、先輩。そういう事です」
これもエルが持っていた。彼女、18歳になれば1級小型船舶と、第一種普通運転免許の普通自動車免許、大型特殊免許、大型二輪免許、けん引免許を取得すると宣言していたが、並行して既に幾つか取っていそうだ。
なにせフルビットを目指しているので、第一種原動機付自転車免許(原付き)や第二種原動機付自転車免許(小型)に小型特殊免許も持っているのだ。
姉のイリヤは原付きと小型を取らず、普通自動二輪のみだ。あの人は大型自動二輪と普通自動車免許を取ればそれ以上は取らないだろう。船舶も2級小型で十分だと話していたし。
「それで、田上クンは受かったのですか?」
「はい。交付まで時間があるので、今から昼飯ですよ」
「じゃ、そのバイクはお兄さんのお下がりでもある?」
「鋭い。けど、兄貴は軽トラとは別にCD125に乗ってます」
まさに荷台の付いた実用車だ。アデレードの別荘にはAG200を置いていた。あれでぶどう畑をよく走ったなぁ。
「先輩は?」
「午前中に実技を合格して、午後から筆記です。免許は普通自動二輪ですよ」
「え? 長袖だしヘルメットをお持ちだから、もしかしたらと思っていたら。先輩もバイクに乗るんですか? いや、それより一発試験?」
「そうです。海外では乗っていますので」
「ああ、そういう事でしたか」
そしてお昼の間他愛ない話をして私は試験会場へ向かい、彼は交付会場へ向かった。
「シロウ、再開しましょうか?」
「はい、今行きます」
美遊のお兄さんに付いて私達も裏庭に出た。エーデルフェルトの結界で囲われたそこには、もう一つの結界があった。道場で見たランサーのルーンによる結界だ。
その中で対峙するランサーとお兄さん。ランサーは以前の赤い槍でなく黒い大きな槍を握っている。お兄さんは私のより大振りな干将莫邪を左右の手に握っていた。
審判にはお兄さんの先生でもあるランスロットが入った。
「シロウ、今度はランサー殿が繰り出す槍を全部双剣で防いで下さい。ランサー殿、ではお願いします」
「よしっ。手は抜いてやるからな」
美遊が使っていたカードの本家本物。槍こそ違うけどあいつの腕は超一流だ。
「クロ、どう思う?」
「まぁ、勝てないだろうね。これはどこまで凌げるかのテストみたいなものだから。でしょう?」
「ええ。速さと長尺の柄モノが繰り出す点攻撃。こういうのは目で追っても間に合わないものです。だからと言って勘頼みでもいけません。今のシロウがどこまで気配や殺気を読めるかですね」
それでも何回かは防いでいた。だけど10数回目に持っていた剣が砕け、お兄さんは蹴り飛ばされた。
「お兄さん、死んじゃうよ~」
「大丈夫よ、イリヤ。お兄さんは身体強化を掛けているし、ランサーも強度を見た上で蹴っている。そもそもあの蹴りが最後の槍の代わりなのよ。心臓に刺せないから胸を蹴ったのよ」
もう一度投影を試みようとしても、肺の空気が一気に抜け呼吸も儘ならないお兄さん。意識こそ保っているが尻もちを付いてしまった。
「こいつは反則だったなぁ。おい、ランス。話してないのか?」
「今は戦術の……技巧を磨く時間です。あなたがクロ殿やエルヴァ殿と試合った経験があるとの情報を得ても、まだシロウにはそれを活かして工夫する余地がない」
「スパルタだねぇ」
「ええ。今の敗北から学んでいく姿勢と精神の方が大切ですから。そこから何千回何万回と鋼を鍛えるごとく打てば良い。磨けば良い。それがシロウですよ」
「そうだな。折れず諦めない、そのしつこさも才能だ」
「彼は護る戦いに特化しています。あなたの生き汚さは参考になるでしょう」
「褒めてんのかよ、それ?」
そこへフヨフヨと、まるでUFOのようにゾウケン君が飛んで来た。後ろにはエルマお姉ちゃんがいる。
エルマお姉ちゃんは白銀の甲冑と白銀の兜を被り、手には白銀の槍を握り、腰には剣を差していた。
そして見たこともない白馬に跨っていた。それが軽々と結界の中に入り、唖然としているランサーの前で二騎、三騎と増え、あっという間に合計七騎となった。
エルマお姉ちゃんが持つ、ランサーのカードだ。正体はワルキューレの戦乙女。魔力が保てば百騎には分裂できるという。しかもそれぞれが自由意志を持ち、個別に攻撃できて、その白馬は空を駆ける。
そしてお姉ちゃんはこのカードを使う時、神話を遡りノルン三姉妹のスクルドでもあった。「~だろう」という未来を司り、因果の逆転を許さない。
全部エルマお姉ちゃんからの受け売りだけど、それはイリヤには扱えないインチキカードだった。
「ひと仕事終えて、午睡を満喫していたら表が騒がしい」
「おぅ。起こしちまったんなら、悪ぃ。エルマ、一丁相手してくれや」
「わかりました」
「シロウ、あれはあまり参考にはならないでしょう」
「七人になっている段階でヘンだぞ?」
私とイリヤはお姉ちゃん達と知り合った後、カードを見せてもらった。それである意味、エルヴァお姉ちゃんよりヤバいのが、このお姉ちゃんが持つ能力やカードだとわかった。
馬から降りたお姉ちゃんが槍を構え直す。穂先をちょんと合わせ、二人は戦闘に入った。戦うのは中心にいるエルマお姉ちゃんだけだ。
お姉ちゃんが突く。とにかくめちゃくちゃに突く。それにランサーは自分の槍を合わせてかい潜ろうとするのだけど、必ず突きがどこかに入る。
横に大きくステップしようが、後ろに跳ぼうが、空中に飛んで逃れても入る。空間を跳ばしているのだ。そしてこれはランサーが望んだ練習方法だった。
「ちぃ~ッ! あれでも入れられるのか! おらッ!」
槍同士の基本的な戦い方は、棒のように振り回して相手を近づけさせず、叩いて叩いて相手が俯いたり戦意を失った瞬間に近づき、槍を短く持って急所を突くものなのだとか。
当然ランサーのような歴戦の勇士は、そんな新兵みたいな戦い方はしない。そのすべての突きが急所狙いだ。だけどそれはどれもエルマお姉ちゃんに届かない。
逆にエルマお姉ちゃんの突きは十数回に一回ランサーに入る。それなのに怪我はない。
「納得いかねぇ。なんだってんだ?」
「理論的には宝具に拠る空間操作と、それをさせまいとするあなたのルーンの発動抑制を同時に行っているだけです。槍術に関してはカードのチカラを最大限に引き出しつつ委ねているだけです。ワルキューレの乙女は一人でも全員の戦い方や経験に知識が並列化されます。そして伝説のクー・フーリンは彼女達にとってもアイドルなんですよ」
「俺が?」
「ええ。ですから徹底的に研究されていると考えて下さい」
「堪んねぇカードだな。けど、この間のライダーみたいに、エルマしか使えないと?」
「そういう事です。それと乙女達は剣士でもあり、弓使いでもあります。ライダーのブーディカやアマゾネスも似たようなものですね」
「そっか、お前のカードはどれもクラスで柄モノが限定されないのか?」
「そういう事です。今のあなたもそうでしょう?」
「違ぇねぇ」
今のランサーは、あの赤い槍も持っていた。エルマお姉ちゃんの薦めでランサーが限定召喚したのだ。これは後々の黒化英霊との戦いに備えてだった。
エルマお姉ちゃんもエルヴァお姉ちゃんも、お兄ちゃんにパパにママ、そしてセラもリズも……皆んな皆んな私達にとても優しい。それだけに、ここのイリヤや私の部屋を借りているのが心苦しい。
「イリヤ? こんな1週間も宿泊する行事なんて、あっちであった?」
「ううん、ないよ。二泊三日の林間学校ならあったけど。それも事前申し込みの自由参加だった。クロが来たのと、私の誕生日が夏休みに入ってすぐなので申し込まなかったんだ」
「やっぱりね。世界の違いかな?」
「だと思う」
今、イリヤのルビーは他のルビーやサファイアと一緒に、私達の元の世界を探してくれている。ここのイリヤ達が帰ってくる頃に見付かる可能性が高いとパパは話していた。
そしてルビーがあの子達の戦いぶりを見せてくれた。そこにはもうひと組み別の私達も映っていた。つまりふた組みの私達が活躍しているのだ。
それを観て思った。今の私達じゃ及ばない。それくらい大きな差を感じた。どっちの私達もお姉ちゃん達から鍛えられているのだ。だから────。
「エルマお姉ちゃん。私達も鍛えてよ」
「焦らないで。イリヤちゃんは私が担当で、クロちゃんはお姉様が担当ともう決まっているの。だけど私もお姉様も部活やアルバイトがあって、毎日は教えてあげられないのよ。それでも短期間である程度上達するような練習方法は考えてあるから。ただ、それはお姉様がお戻りになるまで待っていて」
あ、考えていてくれたんだ?
「わかったよ。待ってる」
夕方、お姉様が帰って来た。バス停で会ったらしく、イリヤさんも一緒だった。セイバーさんは30分ほど前に帰っていた。
私は早速お姉様の免許証を見せて頂いた。なんとその写真の背景は、ピンクのグラデーションだった。事前に写真館で撮ったものを持って行ったらしいが、こんな色でも通る事に驚いた。
自治体にも拠ると思うが、無地の背景なら基本何色でも良いらしい。それとグラデーションはバックライトを焚いているからだ。
学園の卒業アルバム作成や各種行事を撮影して下さっている写真館だが、撮影が上手い。
トップライトが効いていて、艷やかなお姉様の髪に天使の輪が輝いている。アイキャッチも綺麗に入っているし、肌の質感も柔らかい。
「ここのバンクは浅胴のウェハーでなく深胴のキミーラです。それを真横に向けて芯を避けていますからね。それでお肌の階調が豊富なのですよ。フロントはデフューズしたアンブレラですが、対比が上手です」
エルヴァお姉様のお言葉だが、これはエルお姉様時代の知識だ。エルお姉様とイリヤお姉様は趣味でカメラを持っている。
イリヤお姉様はデジカメの一眼レフで、エルお姉様はマミヤのプラウベル・マキナやリンホフのマスターテヒニカ45などを愛用しているそうだ。
それらに白黒のブローニー・フィルムやシノゴのシート・フィルムを詰め、ドイツの自宅にある暗室で自家現像して、印画紙に焼き付けていらっしゃるのだという。
どちらが凝っているかは言うまでも無いだろう。エルヴァお姉様もメトールやフェニドン、ハイドロキノンなどの現像主薬と、現像保恒剤の亜硫酸ナトリウム、現像促進剤のホウ砂などなどの配合量を見ただけで、何の処方か一発でわかるという。
D-76、D-23、D-25、D-19、POTA、ID-3、ID-13、ID-60、ID-68、クロウリーにアンスコ、バートンにアグファ、D-76のハイドロキノンをアスコルビン酸に、メトールをフェニドンに置き換えたビタミンC系の処方。
上記は全部、白黒フィルム用の有名な現像処方の名前だが、こんなのが次々頭に浮かぶ私も大概だ。時代はデジタルなのにね?
だけどこれがわからないと錬金術師とは言えない。料理と同じく基礎の基礎だからねぇ。
凛さんやルヴィアさんも、何の処方かは知らなくとも、それがどういう作用を起こす薬品なのかは薬品名を見ればわかるだろう。
だけどお姉様が言うには、撮影している内容はイリヤお姉様の方がセンスがあって良かったそうだ。
「エルお姉様は何を撮影なさって?」
「そこらで遊んでいる子供や草花、キッチンに転がっている食材とか、そんなのばかりでしたね。ジナーに袋蛇腹を付けて、スーパー・アンギュロンで煽って撮れる腕前はあっても、忙しすぎて被写体が思い浮かばないと言いますか……」
ここでハッセルブラッドとかライカとかが出ないところが凄い。暗室の引き伸ばし機もオメガやべセラーを愛用し、それら用にシュナイダーのコンポノンやローデンシュトックのロダゴンを揃えられているとか。
そして印画紙はイルフォードの多階調で、特にマットがお好きらしい。
夜のショーウィンドウを雨の中、8×10のディアドルフで写した写真が、ポスターサイズでお部屋に飾ってあるそうだが、誰も正当な評価が出来ないのが本当のところだとか。
それはそうだろう。雨が降る中で、濡れたら不味い蛇腹の大型カメラだ。布を被って逆さまに写る画像のフレーミングを決めて、ルーペでピントを合わせなきゃいけない。
そんな旧態依然のカメラで、道路に三脚を立て、夜中にカンで長時間露光撮影をされていたのだ。
このディアドルフは、カメラの中のロールスロイスと言われる存在で、現在は手に入らない。それを1988年以前のシカゴ時代の旧製品と、1996年までテネシーで再生産されたものと3台お持ちなのだ。
「水たまりや路上駐車しているクルマが反射する様々なイルミネーションとショーウィンドウの灯り、かなり覆い焼きで露出を合わせて、しっとりした良い写真でしたよ。何より土砂降りでしたからね。よく撮れたものだと感心します」
本当によくそんな中で撮影したものだ。中学生頃のエピソードらしいけれど拘り方が半端ない。だけどその分マニアック過ぎてわかる人にしかわからない写真になってしまっている。
やはりイリヤお姉様が撮影された『自転車のハンドルとサドルに手を預けつつ、トップチューブに腰を下ろして夕日を眺める制服の少女』、こんなのが万人受けするものなのだろう。
本当のタイトルは『思いを馳せて -希望-』だ。
こちらはイリヤお姉様が学園からの帰りに、冬木大橋の歩道から堤防の上で夕涼みするエルお姉様をたまたま発見し、これまたその日たまたま学園に持って行っていたE○S 10Dで、良いアングルになる場所まで移動して撮影したのだそうだ。
レンズは単眼の50ミリマクロ。夕焼けから紺色に変化する空のグラデーションが大きく入るように縦位置で撮影され、露出は絞り優先オートだったとか。
それが冬木市主催の写真コンテストで金賞を取り、長らく市のパンフレットに使われ、一時JR構内にも大きなポスターが飾られていたらしい。
たまたま被写体となったエルお姉様も堪らないだろうな。エルヴァお姉様は笑って話して下さるけれど、これ以上は聞くに忍びない。
なおエルヴァお姉様はカメラにあまり興味がないそうだ。
お部屋にはモノクロで黒く滲んだ縁のある、遠峰先輩や美綴先輩と肩を並べた写真が飾ってあるが、あれも頂いたカラーのL版をフラットベッドでスキャンして、レタッチソフトで白黒加工し、レイヤーで縁を付けただけだとか。
引き伸ばし機のネガ・キャリアを、ヤスリでガリガリ削って暈した縁を付ける時代は終わったのだ。35mmも100フィート缶はやがて消えるだろう。各種シートフィルムや印画紙も風前の灯火だ。
だからこそ、逆に私はカメラを始めたいと思った。そんな風にセイバーさんも新しく始めたいと思ったのだろう。
「エル、私も免許を取るべきでしょうか?」
「う~ん……。正直セイバーは、ルヴィアを通して国際免許を偽造した方が良いですよ?」
「偽造? それはどうなのでしょう……」
「あなたは本来この時代に居ない人です。国籍を取得して新たに戸籍を造る方が大変なのですね。そこは理解して下さい」
「……そうですね」
後日ルヴィアさんのはからいで、セイバーさんとランスロットさんは英国の社会保障番号とパスポートを取得した。
イリヤさんは小父様がスイスのものを用意し、私やお姉様と本当に姉妹になってしまった。もっと詳細を述べると、ノイントのお祖父様が動いたらしく、以前お姉様方が話した事を参考に故アルトゥル様の養子になってしまったのだ。
つまり私はまだ会っていないが、私達3人がエルヴァちゃんの姪になるのだ。ま、戸籍上だけどね。
アーチャーさんは保留中で、アサシン達は固辞した。やっぱりって感じだ。
「それでお姉様、クロちゃん達が焦っています」
「そうでしょうね。やる気を起こさせるためにルビーの映像を観せたのは正解でした。エルマはレギュラーではありませんから、今週からお盆明けまで部活はお休みですよね?」
「はい。ですから明日28日の朝練は桜だけが参加で、私はアルバイトです」
「今日みたいに早く終わりますか?」
「いえ。今日は疲れていたのでペットの午後の散歩をアサシン達に頼んでしまいました。この後、もう一度出向きます。平常なら夕方の6時上がりです」
「朝も6時からとなれば、拘束時間が長いですね?」
「早いのは犬の散歩だけですよ。猫は本を読みながら遊んであげるだけで十分ですし。宅配や郵便に不慮の事態などは使い魔で見張らせています。それにお姉様程では無いにせよ、私も空間転移は使えますから。ですのでお姉様。練習メニューを出して頂ければ、1~2時間の監督はできますよ? それにランスロットさんとランサーは残りますから」
「なるほど。場合によれば美遊ちゃんの士郎クンに頼んでも良いですね?」
「はい。実はそれが一番早いような気もします」
「いえ、クロちゃんからのフィードバックでエミヤ化しても困ります。ランスロットさんは良い感じに彼を育てています。なので軽い相手を頼む程度で抑えませんと。私が憂慮していたのはランサーの直ぐ熱くなるところです。子供相手に本気になられてもね?」
「そこでしたか?」
「ええ。では今日中にメニューを作りますね」
「お願いします」
この後、私はアルバイトを〆るために出ていったのだが、お姉様とマルガリータさんは夕食を分担して作られていた。お姉様がおろしミルフィーユ・トンカツで、マルガリータさんはカインチュアというベトナムの甘酢っぱいスープだった。
このカインチュア。使われている野菜は、日本で比較的簡単に手に入る範囲のもので抑えたり代用したらしいが、なんとパイナップル入りだ。だけど戻ってから頂けば、思いの外トンカツとよく合った。
これはお姉様がマルガリータさんの作るスープを見て、急遽ポン酢でなく甘じょっぱいタレに換えたからという理由もある。そしてこのヒタヒタになった和風のタレだ。
梅肉やポン酢は使われていないので酸味はない。だけど甘くて醤油の風味はある。何だろう?
そしてマルガリータさんのスープだ。お姉様もスップ(スープ)とカン(ベトナムのお味噌汁的存在。スップとは明確に区別される)は、色々試された経験がエルお姉様からの記憶としてあるそうだが、これにはかなり驚かれていた。
マルガリータさんは和・洋・中と万遍なく作れるそうだが、特にエスニックものが得意なようだ。あのお姉様が真剣にレシピを聞き出し、メモを録っていたのだから。
料理の知識などは、現在日本のどこかに居る聖典トライテンから流入して来るそうだが、その人は一体何をしている人なのだろうか? 一度会ってみたいものだ。
凛さんとルヴィアさんが先生に伴われ出発した後、イリヤさんがお姉様にこんな事を言った。
「カレーフェアとかじゃなくて、思いっ切りお国の名前を前面に出してフェアをやっている喫茶店があるのよ。知ってる?」
「どこですか?」
「新都の駅前通りから2本入った通りにあってね。メニューやフェアとか関係なく、注文すれば出て来ない料理は無いとまで言われているの」
「何でもですか?」
「うん、何でもって聞いたよ」
「食材のストック的にあり得ないでしょう?」
「そのお店の隣がね、エスニック料理の食材を扱っているお店で、近くに普通のスーパーや業務スーパーもあるのよ」
「立地条件が良いのか……」
「うん。それで買い置きできない材料で作るメニューを教えて欲しいのよ」
「何でまた?」
「いやね、それで食材店がお休みの日に行こうかなと」
「もし作れなかったら、何か特典があるとか?」
「ううん、そういうのはなかったわねぇ」
「要らぬお気遣いですよ。場所もだいたいわかりました。お店の名前は?」
「アーネンエルベよ」
「ヒムラーの? 北方人種思想?」
「普通に遺産の意味でしょう? あなたがナチスを嫌っているは知っているけどさぁ。でね、偵察を兼ねて入りたかったんだけど……お昼はアルバイトがあるしねぇ」
「いや、お店でしょう? 偵察って。何よりどこでそのお店の事を?」
「だからバイト先の海の家で。ほら、陸上部の三人が話してたのよ。それで気になったから教えて貰ったの。あの子達もイタリアンはどこが良いとか、ベトナム料理はどこだとか結構知ってるのね?」
「なるほど。情報源はあの子達でしたか。なら、今度皆んなで行きましょうか」
「そう来なくちゃ」
イリヤさんも単に驕って欲しいだけでは無いだろうなぁ。目がキラキラしている。確かに面白そうなお店だ。傍で聞いていた私もマルガリータさんも、とても気になった。
これは試験的に一度寄ってみるべきだろう。お姉様もそのお積もりみたいだし。
現在並行して、聖杯戦争の一端を目撃してしまった写真部員の話を書いています。
そのせいで写真に纏わる話が今後増えると思います。