※この作品はR-18です。

プリズマ☆エルヴァ 第二部 並行世界篇   作:炭団

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長いので前後編でわけました。今回はその前編です。


67、トロンメル 前編

 あちらでのご挨拶やお礼を済ませ元の世界に戻ってみれば、7月28日に日付が変わったばかりの午前2時だった。

 志保さんとお話させて頂けば、それはまるっきりあの第五次で出会ったイリヤさんやエルヴァの姉のイリヤさんだった。声も顔も身長などの体格もぜんぜん違うのだけど、衛宮さんのお姉さんはイリヤさんとあり方がよく似ていた。

 自分の事にストイックというか。こういう点は私もルヴィアも似ているので、すぐに仲良くなれた。お姉さんの存在はここの衛宮君達には教えられないが、二人のどこかトボけたところや抜けたところは『弟気質』なんだなって妙に納得した。

 だからイリヤの兄の衛宮君にはエルヴァが合うのだろう。

 

 門の前に出て来たランサーとランスロットはギルガメッシュをかなり警戒していたが、私とルヴィアの説明と、そして師匠の存在を認めれば、思ったより素直に引き下がってくれた。

 取り敢えず家人が就寝している時間なので、迎えてくれたオーギュストさんにギルガメッシュとアルトリアさんへの部屋を指図して、師匠やトロンメルは私の横の空き部屋に入った。

 そしてその日の朝は皆んな起きるのが遅かった。月水金が部活のエルヴァは居ないし、イリヤやエルマもアルバイトだ。なのでトロンメルは食堂で、ダイオウグソクムシを突付きながらお茶を喫していた。

 見た目はエルマ。ただ髪の色が違い、部活のせいで日焼けしているだけ。だけれど、何を考えているのか謎の多い子だった。

 

「いったい、何を考えていますの?」

 

 たまらずルヴィアが代表して尋ねた。これは私やマルガリータさんの代弁でもあった。

 

「エルヴァ様のお考えなんですが、人類はいつか宇宙に出なければ破綻するって言うんですね。こうやって並行世界に来れる程、神秘を扱えるまでになっているのに、どうして宇宙開発なんだろうって」

 

 難しい事を言い始めた。

 

「確かにホシの寿命は日々カウントダウンされていますけれど、まだ40億年以上も残っています。太陽の膨張を考えれば、残りは17億ちょいらしいですが。そもそもそれまでに大陸移動に拠るスーパープルーム現象や、小惑星の衝突がないとも限りません。ですから宇宙開発は必要な事なんでしょう。だけどピンと来ないと言うか。自分が後何年生きられるかも謎なのに、どうしてそんな先の先の事をと、不思議なんですよ。そこがホムンクルスなのかなぁ……」

 

 そんなの誰にもわかんないわよ。エルはこの子を賢く造り過ぎたんじゃないの?

 

「そこをエルマと話したかったのに……」

 

 興味が湧いたのかマルガリータさんがトロンメルに尋ねた。

 

「トロンメルさんは、何か事業をなさっているんですか?」

「はい。個人ではWEBデザインをやっています。会社の体裁をとっているのは株の売買と競馬の予想ですね」

 

 競馬の予想ってなんだ?

 

「そういうアプリケーションを作って、予想させて、勝馬投票券で小銭を稼ぐんです。本当はこれも個人でやるべきなんですが、未成年なので成人している社員に買って来て貰っています。従業員は私を含め四人だけのベンチャーですが、他の三人も服飾品のデザイナーをやっている人や、地域密着型ポータルサイトを運営している人、私と同じく株の売買をやっている人です。出会ったのは今年の春で、会社にして2ヶ月目です」

 

 どうやら彼女が中心となって街で知り合った女子大生や、あまり人気のなかったタウン系ミニコミ誌を作っていた大学生なんかを誘って起業したらしい。

 一人一人だと収入を大きく望めなかった事、勇気が出なかった事などを四人がアイデアを出し合って、得意なジャンルのノウハウを教えたり助けたりする事で業績を伸ばそうという魂胆だ。

 今やっている服飾品のWEBショップをゆくゆくはもっと規模の大きな衣類専門サイトにしたい、そこにリアルなショップ情報も絡め、都市別ポータルサイトを開きたい……、株の売買から資金を得て、M&A事業に進出したい……。

 そんな夢を持って集まった仲間だという。だけど小規模の現在でも資金繰りは難しいものだ。年若く実績のない企業に融資してくれる銀行なんて今の日本では皆無だ。

 そこでエルの知識を持つトロンメルの存在が活きる。彼女がオリジナル・ブランドのモデルをする事で経費を削減し、マスコミに出たりするための表向きの『顔』でもあるという。確かにその方が話題になりやすいし、人々に興味を持って貰えるだろう。

 そしてこの2ヶ月で、仲間達1年分の給金や資金を稼ぎ出したという。彼女の予想は的中率がかなり高いようだ。寝かさないと価値の出ない株もあるので、実質今は馬券で食べているようなものだと苦笑している。

 けれど気心の知れた仲間と、そんな楽しそうな事業を行える環境を作った中心人物は彼女で間違いない。いつかは別々の道を歩むのかもしれないが、今は行けるところまで行き、それぞれが1億は稼ぎたいと語ってくれた。

 

 では姉妹であるヴンダーはどうしているかというと、この子はイリヤさんと同じ事務所に入り、欧州で企業モデルやナレーターをやっているらしい。

 トロンメルが言うには、下手に事業を起こすより自分の趣味を活かした方が伸びる、イリヤさんみたいなタイプなのだとか。

 そしてこの二人に、エルはアドヴァイスを贈っても支援は一切していないのだそうだ。エルヴァとエルの性格の違いだろうな。どちらが豊かで手応えのある人生を送れるか。そこが鋳造者と姉の違いのような気もする。

 

 ところでこの手のローカルでミニマムな仲間内の起業は、夢もあると同時に破綻しやすい。

 その昔、マウント深山の中にお婆ちゃんがやっていた天ぷら屋さんがあった。夫であるお爺ちゃんを亡くされ女手一つでお店を切り盛りしていたわけだが、寄る年波には勝てずお店を畳もうとした。

 だけど安くて美味しいと評判の天ぷら屋さんだ。店じまいは商店街としても痛かった。なので事業を商店街の有志で引き継ぎ、交代でお店をみていた。

 そこまでは良かった。一時は以前と同じく流行っていたのだ。だけどいつしか八百屋も魚屋も肉屋も、自分のところで売り切れなくなった、余った食材を入れるようになった。

 味が落ちた、魚の天ぷらが臭い、串カツでお腹を壊した……。こうなると評判はガタ落ちで、お店はとうとう潰れてしまった。

 その事をトロンメルに話してみた。それに答えたのは師匠だった。

 

「こちらでは、そのお店は今もあって流行っています。先輩が何人かのフリーターやアルバイターを募って有限会社にしたんです。そこで天ぷら屋から揚げ物専門店に変化させ、お持ち帰りの弁当事業に発展させたんですね。お隣のタオル屋さんも買い取って、夜は揚げ物で呑め、昼は定食のお店も開いています」

 

 こんなミニマムな、事業展開。それも私が悪い方の教訓として憶えていた事を、エルは小学生の頃にメイドを使って軌道に乗せたらしい。

 それは確かに凄い事だけれど、私がトロンメルに寄せた不安はそういうのじゃない。人が集まった時のお互いの感情や損得計算……そういう諸々の事情が事業を立ち行かなくさせる場合がある。そこが共同経営の難しさだ。

 エルの場合は元の事業を買い取り、部下にやらせている。だけどトロンメルは自分から仲間を募っている。その差は同列に語れない。だけど、それは杞憂のようだった。

 なぜなら、行けるところまで行くと言った彼女の顔は、とても爽やかで自信に満ちていたからだ。

 そして彼女は、こういう話なら真っ直ぐ前を見て話すタイプだった。先程までの所在なさ気な、何を考えているのかわからない雰囲気が消えたのだ。

 そこで私は、もう少しプライベートな事を聞き出そうと話題を絞っていった。

 

「エルのメイドって何人くらい居るの?」

「正式には四人ですね。そこにアルバイトみたいな待遇の学生が二人です。偉い順からマアエモさん、ルオンノタルさん、イルマタルさん、コティトンットゥさんです。更にイリヤ様のセラさんとリーゼリットさんが居ますから、合計で八人です」

 

 その八人にトロンメルやヴンダーだから多いわね。ちなみにエルのメイドはフィンランド神話から名付けられているのだそうだ。その内、最初の二人がエルの乳母だ。

 倫敦で出会ったマアエモさんが『大地の母』で、ルオンノタルというもう一人の乳母が『自然の精霊で女性の創造者』。なんとなくだけど、らしいなって思う。

 イルマタルさんは『大気を司る精霊』で、コティトンットゥさんは『家を護る精霊』という意味だそうだ。

 このイルマタルさんはイルマと呼ばれ、メカにかなり強いらしい。コティトンットゥさんはコティで、アジアに農場を幾つも持ち、薬味となるネギやショウガ、ハーブや葉野菜などを栽培し、カット野菜や野菜ジュースで一大ブランドを展開している事業主でもあるという。

 

「あのマアエモさんやルオンさんでも、ご自分を買い戻すまでは至っていないんです。ですがコティさんはご自分をエルヴァ様から買い戻しています」

 

 マアエモさんとルオンノタルさんは、スイスにいらっしゃるお祖父様が、現在稼働している型の祖となるユスティーツァという人を素にして造ったのだそうだ。

 なのでその型を、ユスティーツァさんのセカンドネームから取ってリズライヒ型と言うのだそうだ。

 そしてその二人の乳母をエルが買い取った事で、二人は晴れて自由の身となり日本で暮らしているのだ。それも情の厚い話だが、自分で自分を買い戻したというコティトンットゥさんが凄い。

 ただエルが造った人なので、かなり安かったような事をトロンメルは話していた。人造でも人身売買だろうとは言わない。そこはお互い魔術師だ。だけど値引きってどうなんだとは思う。

 この他にトンットゥという『精霊(家の周りに関する精霊全部を指す。ピハトントゥなら庭を護る精霊で、コティトンットゥなら家を護る精霊となる)』を表す名を与えられた現在高2のメイドと、ペッコという『大麦と醸造を象徴する農作物の神』を表す名を持つ高1のメイドが居るらしい。

 それがアルバイト待遇と話していた二人だ。

 

「何故学生なの?」

「あまり大きな声では言えませんけれど、あの二人は大きな事故に遭って救からない命だったんですよ。それをエルヴァ様が私達のような素体に魂と意識を移されて、第二の人生を与えたんですね。トントさんの魂なんて霧散しそうだったのを保管器に収めて、2年掛かりで治したそうです。だから学年は1年下ですが、本当はエルヴァ様より1歳年上なんですよ」

 

 これはペッコという人も同じようなものだったという。この世には僅か数百円にも満たないお金で、親や兄弟姉妹を食べさせるために売られていく人がいる。

 それは必ずしも裕福な家庭に引き取られ、大切に育てられるのではない。

 年端も行かないのに女の子なら売春宿に売られ、男の子ならある程度育ってから農場や工場で馬車馬のように働かされる。こんなのは昔からある。だけど社会の闇として世間ではないものとされている。

 そしてエルはこのような子供達をできる範囲で引き取り、オーストラリアに彼女が建てた寮へ預け、学校に通わせているのだそうだ。

 また障碍など不遇にもハンデを持ってしまった人の中で、縁があって知り合い、秘密厳守を通せる人であるなら、ホムンクルス技術を使って健康な四肢や身体を与える場合もあるそうだ。

 そのトンットゥさんやペッコさんのような新しい名と肉体を得て、社会に出ているわけだ。ただし全身入れ替えともなれば、その身体はアインツベルンの資産であり研究成果だ。

 なので制約もきつく、元の家族とは会えないし、絶対にエルとの関係を口外できない。これも神秘の秘匿のためだ。それでもその道を選ぶ人はそこそこ居ると言う。

 私は聞いていて目眩がした。これは神秘と人道を天秤にかける話だ。人としての私はエルを応援したい気持ちがある。だけど魔術師としての私は二の足を踏まざるを得ない。

 そして案の定というか、当然ながらこのような支援プログラムやサポートを、一族の長老達はビジネスとも魔術とも関係ないと忌避していて、大昔からお金で解決できる範囲の慈善活動しか行っていなかったそうだ。

 だからこれらは誰にも明かせない秘密であり、エルの弱点ともなり得る事なのだと師匠がトロンメルの話を補足した。

 あの兄のアーチャーやヘラクレスにセイバーはこの事を知っており、相談役が英雄王ギルガメッシュとアルトリアさんなのだという。

 彼女はこんな事もやっていたのか。そして彼女が英霊を仲間にするのは、こういう事を続けたいからではないか?

 きっとこれらも今聞いた話が全部ではないだろう。もっと大きな、広範囲での活動もしている気がする。

 だけどエルはあちらこちらに手を広げてはいても、無理をせず、できる範囲での事でしかないのだと師匠は言う。そもそも彼女はその新たな肉体を得た人からお金を取っているらしい。

 日本円で1体6千万という。これでも格安だそうだが、その人達は健康を取り戻してもエルの会社で給料から完済するまで天引きされている。

 

 これはどうなのだ? 家族を棄てさせてとか、お金を取るのかと色々思う人はいるだろう。だけど私には否定できない。これも等価交換だからだ。

 ただ……方向性というかやっている事が、予想の斜め上を行っている。人形師と言えば真っ先に思い浮かぶのが蒼崎橙子さんだが、あの人とエルは考え方の根本がまったく違う。

 橙子さんの場合は、確か聞いた話だと数億も掛かるとか。だけど支払いを済ませ入れ替えた後は縁が切れる。そこが後腐れなくて良いという人も居るだろう。

 だけどエルの場合は、返済の義務を負った人を必ず自分の会社に入れているのだ。そしてその人達の忠誠度は絶大なのだとトロンメルは言う。

 

「神秘の秘匿のために家族と縁を切る必要はありますが、匿名や偽名で元の家族を支援する事も可能です。何より筋萎縮性側索硬化症や筋ジストロフィー、後天性免疫不全症候群などもそうですが、魂と意識を移し替えるので、遺伝子疾患も死に至る伝染病も関係ありません」

 

 私は本当にエルという人間がわからなくなった。エルヴァに聞けば教えてくれるのだろうか?

 

 そこへアーチャーが遅いブランチを運んでくれた。メニューは日本の夏野菜をふんだんに使ったラタトゥイユだ。オレガノやタイムが効いていて、とても美味しかった。

 

「セイバーはどうしたの?」

「アルトリアに誘われ、ギルガメッシュとともに学園だ。弓道部の練習を見に行った」

「大丈夫なの?」

「何か知らんが、宝具で姿を隠すらしいからな。というかあのアルトリアに『大丈夫』と言われれば逆らえん」

 

 う~ん……確かに。迫力、めっちゃあるものね。そもそもあのギルガメッシュと一緒だし。けれどエルヴァに会いたいって気持ちが純粋に伝わって来るので、嫌悪感も恐怖心もない。

 昨夜は遅かったので、寝ているエルヴァを起こさなかったのだ。そして今朝はエルヴァが出ていってしまった。きっと部活の帰りにでも語り合うのだろう。

 

「食べ終えたら皿を纏めておいてくれ。後で私が片付ける」

「忙しいの?」

「調理場でな。早朝から料理長のニコや士郎とてんやわんやだ。今夜の晩餐にと、ギルガメッシュに大量に食材を置いていかれたのだよ。最高級の神戸牛、つまりA5級の枝肉や、鹿児島の黒豚に阿波尾鶏といったブランド物の肉にフルーツ、そして有機野菜だ。魚介類はイワガキにクロアワビ、サザエ、ヨロイメバルにマハタ、クルマエビなどなど夏の旬がたんまり。そこにキハダマグロとメバチマグロがそれぞれ丸ごと一本だ。それの仕分けと仕込みにな……」

 

 何だかとんでもない事になっているようだ。

 

「保管する場所もないのでまだ出ておらんが、本命は200kgのクロマグロ丸ごと一本らしい。これはどうやら冬に釣ったのを宝具の蔵で保管してあったものだそうだ」

 

 あの蔵は固有結界より現実に即していると思う。

 

「言わんでくれ」

 

 以前エルヴァが嫌がりセイバーも避けていたが、本当に中では時間が止まるのだそうだ。これは便利だと思う。

 

「そのマグロを、エルヴァが帰ってから捌く事になっている」

「解体ショー?」

「この人数なら、全員厨房に入れるからそれも可能だろう」

「アーチャーはできないの?」

「一度見て覚えんとな。私は一般家庭のまな板に乗る30センチくらいまでの魚しか経験がないのだよ」

 

 普通はそうだろう。私にしてもエルヴァに教えてもらうまで、小さなイワシを指で開く程度だった。アジやサバで練習して、今はタイでもそこそこ捌けるけれど、皮剥きは時々失敗する。

 旬の時期を知り、脂の乗った良い魚を選び、ウロコを取ってエラを取る。大名おろしでなく本おろしで、背と腹に包丁を入れ三枚にして、腹骨をすいて中骨を抜くか落とすかして、皮を剥くか湯引きする……。全部一からエルヴァに教わったのだ。

 ヒラメやカレイの五枚おろしも教えてもらったが、それでも30センチはなかった。そもそもが自分で持ち込んだ三徳包丁だっけ? 家庭用の一般的な包丁。あれで捌ける範囲でしか教わっていないし経験がない。

 その包丁もエルヴァに研ぎ直してもらっていた。ドイツのツヴァイリングで、かなり良い包丁なんだけど、エルヴァに見せたときにこう言われたのだ。

 

『ドイツのゾーリンゲンも今は地に落ちています。凛のはツヴァイリングなのでまだマシですが、ヘンケルスだとまず間違いなく日本製です。それに品質もホームセンターにあるものと変わりません。何よりアウトドア・ナイフでもキッチン・ナイフでも、世界を席巻しているのは日本製ですよ』

 

 えっと思ったけれど、ナイフの世界ではヘビーデューティーなものを除いた、安価で良く切れるナイフはほとんど日本製なのだとか。特に新興ブランドほどそうらしい。

 それでその研ぎ直してもらった包丁は、鶏皮でも何でも今はスパスパ切れる。シャープナーでない、何段階も砥石を代える熟練者の研ぎ。それがここまで凄いものだとは知らなかった。

 

『ヘンケルスで一番安いロフトフライでも、しっかり研いで刃付けをすれば切れますよ』

 

 問題があるとすれば、そこまでの切れ味を求めるなら月に一回は研がないと駄目なところよね。けれどあの切れ味を覚えてしまうと元に戻れない。

 なので今は私のみならず、料理長のニコさんも美遊の兄の衛宮君もエルヴァに研ぎ方を教わっている。だけどルヴィアの家でも、肉はともかくこんな大きな魚は扱わない。なので道具がないのだ。

 これは生前のアーチャーも同じだったと思う。例え投影魔術に目覚めたとしても、一人で食べきれないほどの大きな魚を買う理由がないものね。

 

「考えてもみろ。普通、マグロを一本丸々買うか? 200kgともなれば1m4~50センチはあるだろう。安くとも一本500万は下らんし、それ専用の包丁も必要なのだぞ?」

 

 そういう事だ。けれどエルはイリヤと一緒にシロウさんから、そういう大型魚の捌き方を学んでいたらしい。シロウさんが捌いていた、あの巨大なヒラメを思い出す。

 私は知らないが、マハタやクエといったハタ科の大型魚を二人は何度も捌いてきたという。それも5~60kg、1m超えのものを。

 そしてその200kgものマグロは、ギルガメッシュが3時間も掛けて自分で釣ったものなのだそうだ。

 

「時計塔を出てからは戦場の、それも砂漠地帯がほとんどだったからな。そんな大型魚を捌いた経験がない。それでも束の間の休息で欧州の港市場で買ったものは、よく捌いたし料理もしてきた。しかしなぁ……」

 

 アーチャーが懸念しているのは、エルヴァがそれをできるのかどうかだろう。私はできると思う。包丁などの道具は投影するのかしら?

 厨房にはニコさんの包丁がズラッと並んでいるが、あれでも追っつかないだろうなぁ。

 

『ニコさんはわかっていますね。お使いなのはグローバルのプロ・シリーズを中心に、藤次郎のプロとミソノのパフォーマーです』

 

 エルヴァが言うにはどれも日本のブランドで、洋包丁の中では最高峰なのだとか。魚をよく食べる国民性のフィンランド。その国の料理人であるニコさんは、駆け出しの頃から日本のグローバルを愛用していたそうだ。

 プロ・シリーズは日本限定販売なので、ニコさんは真っ先に買い求めたという。だけどペティ・ナイフや皮剥き、大きな牛刀などは輸出用の方が充実していたそうで、どうしても日本で手に入らない物があった。

 そこで仕方なく、逆輸入品の皮剥きと大きな牛刀を3本揃えたと聞いていた。

 そして偶然だが、エルヴァの包丁もこのグローバルのプロで、スライサー(GP-5/21cm)と牛刀(GP-14/24cm)、パーリング・ナイフ(GP-1/7cmとGP-2/11cm)2本と、ペティ・ナイフ(GP-4/16cmとGP-11/11cm)2本の計6本も持っていた。

 今となってはあまり使わないそうだが、お向かいのイリヤの家にも彼女の包丁が置いてある。そちらは全部和包丁で、衛宮君やセラさんが使っているそうだ。

 内容はホームセンターでぶら下がっている、安物の出刃と刺し身、それと菜切りだとか。

 

『庶民の包丁は室町時代の菜切りに始まり、そこに江戸初期に開発された出刃や先丸の刺身包丁が足されていきました。菜切りは刃の断面が『V』になった両刃で、出刃と刺身は刃が『レ』のような片刃です。この片刃だけの鍛接と、裏透きこそが和包丁を究極の料理包丁足らしめているのです』

 

 裏透きて何? そう尋ねたら、彼女は出刃包丁を投影してくれた。

 

『ここですよ。この裏側の凹んだところ。ここが裏透きです』

 

 本当だ。右手で持てば、つるつるした左側が少し凹んでいる。そして段がシュッとなった右側は刃の方に近づくと色が変わっている。

 

『そうです。そこから先が鋼です。つまり裏側は丸々鋼ですよ。そして裏透きがあるから切った食材の身離れが良くなり、研屋さんに頼まなくとも、自分でも研ぎやすい訳です。勿論、裏押しという凹みの外周が失くなってしまえば包丁の寿命ですから、そうならないよう表側を重点的に研ぐ事などを知らないといけません』

 

 ちょっと面倒くさくない? 確かに専用品には劣ると思うけど、普通の包丁で良いじゃない。

 

『確かに便利な部分はあります。今みたいな『三徳包丁』が現れたのは第二次大戦後の高度成長期で、初期型は峰が角張った『文化包丁』でした。これは明治の文明開化や大正の文化住宅とは違って、団地のような集団住宅がモダンに見做されていた頃の命名です。凛の昔の家が大正の文化住宅ですよ。ですが戦後の復興期は白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫が三種の神器と呼ばれ、長屋のような関東でいう〇〇荘といったアパートが関西圏では文化住宅でした。やがて大阪万博を迎え、家庭の三種の神器がカラーテレビ・クーラー・クルマとなる頃、輸入品で高価だった十徳ナイフにあやかって、三徳栓抜きとともに今の峰の丸い『三徳包丁』と進化したのです。当然食生活の変化も背景にあります。『文化包丁』は野菜・魚・肉を卸せると言いますが、切っ先の形状から見てもどちらかと言えば魚向きです。つまりは和包丁の進化型なのですね。対する『三徳包丁』は牛刀により近い形状です。なので洋包丁の一種とも言えます。そして両方とも専用品には負けます。料理の上達を望むのなら、『三徳包丁』は揃えない方が良いかも知れません』

 

 やっぱり専用品には負けるか。でも包丁は一本で十分という人も多いと思うけれど?

 

『ライフスタイルも食生活もその人のものですが、五大元素を持つあなたが、五感を高め、回路をベストコンディションで維持するための食生活や音楽などを疎かするのは問題ですよ。でしょう?』

 

 そう、そこがあるのだ。私のアロマ好きもそこにあるからね。気分的なものが大きいけれど、そのリラックス効果が回路に大きな影響があるのは事実だ。

 

『それにアウトドアではないのですから。家なら、より高度で繊細に作業できる専用品を使うべきですよ』

 

 う~ん……確かに、それは言えると思う。あなた、刺身と言ったけれど、柳刃という時もあるわよね? どういう事?

 

『柵から寿司ネタや刺し身を引くのが刺身包丁です。柳刃も蛸引きもフグ引きも、全部刺身包丁ですよ。ちなみに柳刃や蛸引きが生まれたのは明治以降で、江戸時代は先丸や剣型の刺身包丁でした。関東が蛸引きなのは、江戸っ子が喧嘩っ早いだけでなく、明治政府の発足した東京のお膝元なので、廃刀令と関係あるのかなと思いますね』

 

 ざっくりと纏めたけれど、この時のエルヴァの包丁の歴史解説はもっと長かったのだ。そして私に和包丁をしきりに薦めていた。

 それも菜切りと小出刃と刺身包丁。

 つまり衛宮君の家に彼女が置いているのと同じものだ。菜切りは野菜で、後は魚だと思うと甘い。エルヴァ曰く、小出刃で鶏肉を捌き、刺身で牛肉や豚肉をスライスするのだという。

 気分的に何か違うような気もするが、彼女曰くそれらの包丁を自分向けに育てられるのならかなり便利なのだとか。言いたい事はわかる気もするけれど、包丁って育てるものなの?

 

『その通りです。自分のクセや腕前のレベルもありますが、どういう仕事に就いているかでも変わります。昨今は見掛けなくなりましたが、建具屋さんが表装に使う包丁は裏透きのない出刃包丁です。鶏専門店(関西のかしわ屋さん)が使う包丁も牛刀でなく出刃が多いですよ。それはほんの少し仕上げ砥石か研ぎ皮を撫でるだけで鶏皮がスパスパ切れるからです』

 

 だから小出刃で鶏肉なのか。ちゃんと理由があったんだ?

 

『当然ですよ。魚だけでも漁師の包丁と水産加工業に就いている人の包丁、そして仲買人や小売店の人の包丁は変わってきます。お寿司屋さんのツケ場に立つ花板さんの柳刃が鶴首だったら恥ですが、鮮度を保つための血抜きや活け締めを優先なさる漁師さんや加工専門の人だと鶴首は理に適っています。また、魚の大きさで出刃を替えると言いますが、骨の付き方や身質で出刃より牛刀や三徳包丁の方が捌きやすい魚もあります。つまりは規格化されていないプラスネジやマイナスネジなのですね。その都度、自分が綺麗に捌ける包丁をチョイスするべきなのです。それをあなたは、モンキーレンチや差し替え式の山の甘いドライバーで全部締めると話していたのですよ?』

 

 う~ん……。その例えは衛宮君向けだと思う。

 更に彼女は魚を捌くだけなら、水産加工業で使われる業務用の身卸包丁やイカ割きの方が、安くて便利だと言い切った。野菜なら関東の薄刃より、関西の鎌形薄刃と剥き物包丁が最高なのだとも。

 けれど桂剥きや野菜の細工も、刺身包丁で代用できるのだそうだ。だから普段遣いは片刃の和包丁でなく、両刃の菜切りが良いと教えてくれた。

 そんなものなのかなぁ? 普通は西欧人なら、牛刀とペティだと私は思う。今の彼女はそういう風に包丁を揃えている訳だし。なのに菜切りを買えというのは、何とも不思議だ。歴史の重みを知れとかそんなところもあるのだろう。

 そこで菜切りと薄刃というのを投影してもらった。薄刃は見ただけで使えないと思ってしまった。だけど菜切りは……。

 

『あ、禅城の……』

『お祖母様が菜切りを?』

『うん、この黒い包丁はお婆ちゃんの包丁だわ』

 

 これまた納得してしまった。

 そこで私は尋ねた。普通なら絶対に知りようもなかった事を。

 

『あのさ、師匠のお母様ってどんな包丁を?』

 

 これは師匠を羨んでいる訳ではない。純粋な疑問だ。そこを勘違いせずに聞いて欲しい。

 

『葵小母様の包丁はグローバルのGシリーズとGSシリーズですよ。あの家では小母様も凜も桜ちゃんも皆んなグローバルを使っています』

 

 へぇ~。そしてエルヴァやニコさんは、それのプロ用な訳だ。そこから私はグローバルの包丁を少しずつ集めるようになった。結局包丁を4本も5本も使い分けるようになったのだ。

 上手く乗せられてしまった訳だが、洋食を作る事も多い私にはぴったりな気がした。ああ、父と母は洋食派だった。そしてエルヴァもここでは洋食を作る場合が多い。そういう事だったのか……。

 

『あなた、中華包丁は?』

『エルだった頃は丸いまな板と杉本の中華包丁を使っていましたが、今の環境では専用のコンロが使えないでしょう? そんな業務用コンロを使わない範囲の中華料理なら、仕込みの方が重要だとも言えます。それに単に具材を切るだけならどんな包丁でも使えますからね』

 

 そうなのよね。私も中華は多少なりとも作るけれど、師匠や先生ほどバリバリの中華派ではない。特に先生は中華料理原理主義なほど酷いと、師匠ですら嘆いていた。

 だからこそだ。同じ遠坂凛(漢字は異なるけれど)だけど、私ならではの発想や行動に意味がある。例えば今頃なら、戻りカツオの甘酢あんかけとかどうだろう?

 春はエルヴァが、カツオでカルパッチョを作ってくれた。これはルヴィアが食べやすいようにだ。彼女は家主であるルヴィアにかなり気を遣っていて、鯛とハマグリのアクアパッツァなど魚介類の洋食メニューを良く作る。

 和食や中華も得意な彼女は、ブイヤベースやバーニャ・カウダ、当然フォンデュなんかも作れるので冬に出すと話していた。ここにエスニックのマルガリータさんが加わったので、ルヴィアも私も女性として負けていられない。

 コックのニコさんに付いて、このところのルヴィアも腕をメキメキ上げていた。

 しかしカツオねぇ……。エルヴァ自身は大量のシソを散らして、ニンニクを溶かしてポン酢で浸けた、純和風なタタキの方が好きだって言ってたのよね。

 どこの人間よって思うけれど、ポン酢のタタキってご飯に合うものね。うん、この夏のチャレンジはカツオに決定。ちょっとレシピを考えてみよう。

 

 ウィ~~ン、パシャッ。

 

 トロンメルがラタトゥイユをデジカメで撮影していた。手に持っているのは銀色のスッキリしたカメラだ。

 

「何を写しているの?」

「何を食べたかの記録ですよ。カメラは買い替えたのかな? 前のと同じペン○ックスですけど、違う機種ですね」

 

 師匠の説明にトロンメルが答えてくれた。

 

「前のはOptio Sで、これはOptio S4iですよ」

 

 ふ~ん。便利そうではあるのかな?

 

「それはもう断然便利ですよ。ややこしい術式や魔方陣など、いちいちメモしないでデジカメで撮って家で整理するほうが楽ですから」

 

 おっと。師匠はそういう使い方をするんだ?

 

「師匠はどんなのを使っているの?」

「これですよ」

 

 ポーチから取り出して見せてくれたのは、ちっちゃくて四角くて薄い、真っ赤なカメラだった。と言うか、カメラに見えない。

 

「コ○カミ○ルタのDiMAGE Xgです。この前がXtで、その前のXiはパスしましたが、一番最初のXから使っていますよ」

 

 師匠は携帯電話も楽勝で使いこなす人だ。あちらにも撮影機能があるなら、何らかのメリットを感じてわざわざカメラだけを買い揃えていたって意味だ。

 時計塔での講義室で板書された術式程度ならともかく、複雑な魔方陣は写した方が早いだろう。何より買い上げた呪体や礼装を写してファイリングすれば、後々どれだけ役立つだろう。

 

「高いの?」

「オープン価格ですが、店頭では4万円程度です。先輩の30万もするデジカメから思えば安いですよ」

 

 私はこの時、ニ○ンやキ○ノンなんかの一眼レフを思い浮かべていた。だけど師匠が言うエルのカメラは今月出たばっかりで、ピントも自分で合わせる昔風のデジカメなのだとか。

 

「エ○ソンのR-D1でしたっけ? それを2台一度に買われて、それにアダプターリングですか? そういうのを着けて、ヨーロッパ製の古いレンズを着けていますよ。トロンメル、あのレンズって何でしたっけ?」

「シュ○イダーのスーパーアンギュ○ン21mmですよ。APSで1.6倍して33mmくらいですから使い勝手が良いらしいです」

 

 師匠とトロンメルが何を話しているのかサッパリだ。だけど私はこの後に出たX50と、やや値下がりした師匠と同じXgを8月に買ってしまった。

 何故ならエルマはおろか、マルガリータさんもルヴィアも日本製のデジカメを持っていたからだ。なので前々から気になっていた。一言で言うなら、大変便利で買って正解だった。

 

 

 そこへ休憩と称してエルマが帰って来た。

 今日の彼女はフロントボタンの赤いワンピースだった。赤と言っても、小さな赤と白のギンガムチェックだ。襟は白い丸襟。清楚で可愛い。第一ボタンを外して襟を開いているが、そんな着こなしもエルマにとても似合っている。

 そして私はこの手のワンピースに見覚えがあった。デザインこそ違えど……あれだ、英国だ。英国の公立小学校や中学校の女の子が夏に着ている、Summer dressだ。

 最近はポロシャツやブラウスってのも増えているけれど、保守的な地域では昔ながらのサマー・ドレスも多い。これって色と型が学校から指定されるだけで、デザイン違いやボタンかファスナーかは自由なのだ。

 ポニーテールを結わえているシュシュも同じ柄だから、これは完全な指定品だな。しかし似合うなぁ。亡き父が好きそうだ。

 

「これ、英国のよね?」

「あれ? オーストラリアやニュージーランドと思いませんでした?」

 

 あ、英国連邦下は同じなの?

 

「いえ、南半球はもっとラフな服装が多いです。サマー・ドレスももっと地味な色合いですね。ですから、英国で正解です。珍しいでしょう?」

「そんなのどうしたの、エルマ?」

「この襟の白いのと共柄のを通販で取り寄せました。桜にもピンクを贈ったので、部屋着にしているそうですよ」

 

 うわぁ~、あの子も似合いそう。

 近くで見れば、価格を抑えるためなのか生地が安っぽい。それでもこういうのを知っていて、着こなせる子ってまず日本には居ない。そういやこの子はテニススコートを私服にするような子だった。

 あの時に聞いたのだが、そういうリセ風なコーディネートが好きなのであって、エルヴァみたいなコスプレ好きとは違うそうだ。

 

「元々はエルお姉様がこの手のを日本で着られていたんです。こういう英国のもそうですが、オーストラリアのドラマで使われていたのとか」

「ドラマ?」

「『ホーム・アンド・アウェイ』です。季節が夏しかないサマーベイっていうビーチタウンを舞台にした、人間模様を描いたドラマです。オーストラリアではネイバーズと並ぶ国民的長寿ドラマですよ。撮影はシドニー郊外のパームビーチで、お土産屋さんにはその学校の制服が本当に売られているそうです」

 

 へぇ~。そんなのあるんだ?

 

「あります。そのサマー・ドレスをあっちではチュニックと言うんですが、チェックの布地は撮影場所に近いピットウォーター・スクールのジュニア(中学生)用や、シドニーのドムレミー・カレッジのを流用しているらしいです。ピットウォーターでは袖の部分を折り返して、白い部分を隠すのが学生の着こなしだとか。なんでこんな知識があるんだろう?」

 

 知らないけど、エルの知識でしょう? マニアックね。

 

「エルヴァ様はそのドラマのファンだもの。パイロット版は赤じゃなくて、青い制服だったのもエルヴァ様の知識だし。あの方は1988年の最初期から全部ビデオで持っていらっしゃるのよ。ほら、トムとピッパが五人の子供の里親になっていたでしょう? あの中のサリーにずっと肩入れされているの」

 

 トロンメルがエルマに応えたんだけれど、こちらはポカ~ンだ。エルはホント、マニアックでワールドワイドだなぁ。

 

「毎年10月頃に市民ホールを借り切ってチャリティ・イベントを開催していらっしゃるそうです。その時にエルヴァ様とイリヤ様がそのドレスを着て、テーマソングをデュエットで演奏するんです。エルヴァ様がベースでイリヤ様がピアノだったかな」

 

 二人は近隣の高校からも参加者を募り、高1の頃からそういうイベントをやっているらしい。師匠や師匠の妹の桜さんも中学生の頃から参加しているのだとか。

 あちらのお母様やアイリスフィールさんも、家で余った様々な用品やこのイベント限定のグッズを、他の保護者とともにロビーで販売していてそちらの売上も寄付金になっているそうだ。なんてアクティヴなんだろう。

 

 

「エルマ。相談に乗って欲しいんだけど、時間ある?」

「食事を終えたら、すぐ戻らなきゃいけないんだ。トロンメル、夜で良い?」

 

 本日が初対面ではないだろうけど、名前……。そっか。私達が知らなかっただけで、こっちで活動していた頃から名前があったみたいね。

 トロンメルはわかったと一言残して部屋に戻ってしまった。一応、部屋で本を読みたいと私達にも声を掛けていってる。だけど少々返事は暗かった。

 

「どうしたの、あの子? 元々読みづらい子だけど、今テンションが急に下がったわよね?」

「間違いなく恋愛相談ですよ。好きな人がいて、その人に振り向いてもらえないんで悩んでいるってところでしょう」

「ああ……」

 

 ここでルヴィアがピンと人差し指を立てた。

 

「エルマ? あなたはエルヴァさんに転嫁し、ヴンダーさんはイリヤさんに転嫁し、二人は姉妹愛に昇華できた。ところが彼女は……と、こんなところですか?」

「ルヴィアさんも似たようなものでしたものね。正解です。そしてあの子……たぶん、数回はエルお姉様と関係を持っていますね」

 

 思わず聞いてしまった。

 

「どういう事よ?」

「時間がないんで簡単に話しますが、私達ホムンクルスは大なり小なり鋳造者へ特別な感情を持っています。それは造物主への畏敬や思慕となる場合がほとんどなんですが、感情面が発達したタイプは思慕が恋愛に変化しやすいんですね。ですけど、頭では理解しているんです。それは不毛で、鋳造者にとっては迷惑になるって。それで別の誰かへ感情を転嫁したり、感情の方向をずらすんです。私は最初からエルヴァお姉様を尊敬していましたし、エルお姉様と離れて暮らしているので転嫁も転換も比較的楽でした。ヴンダーは私やトロンメルよりおとなしい性格ですから、エルお姉様への思いをイリヤお姉様への尊敬と思慕に昇華したんでしょうね。そしてトロンメルは当たって砕けるつもりで告白して……その時のエルお姉様のお気持ちはわかりませんが、受け入れられたんでしょう。ところが何かがあって遠ざけられた、その結果が凜さんの家への放逐でしょう?」

「エルマ……」

 

 師匠が窘めたけれど……。

 

「だから不毛なんですよ。あの方は超一流の人形師ですよ? 私も畏敬の念は当然ありますし、慕ってもいます。また、あの方も私達一人一人を愛されている事でしょう。ですがそれは作品への愛であって、恋愛感情ではありません」

 

 嫌な言い方をする。魔術師だから学術的表現としてなら受け入れられても、人としては許容し難い。

 

「私達三人は姉妹であると同時に、次の型のプロトタイプでもあるんです。そりゃ、頼めば抱いてもくれるでしょう。ハナから性差認識が低いのが私達ですから。ですがそれは鋳造者として、こちらの反応を診ているんですね。勿論それだけとは言いませんが……そういうのが辛くて口論でもしちゃったのかな?」

 

 それを煙たがられて遠ざけられたって事? 憶測もあるだろうけど……そうだ、エルヴァが倫敦で話していた。性差認識が弱いって。性に積極的な事も話していた。もしかしたらエルって、同性の愛人や恋人が居る?

 

「あのさ。答えられないならいいけど、エルは同性の恋人が居たりする?」

 

 師匠が頷き、エルマが答えてくれた。

 

「居ます。4歳上の方で、かれこれ6~7年は付き合っていらっしゃいます」

 

 待て! エルの年齢を逆算したらおかしいじゃないの!?

 

「同族の魔術師なんですが、その方は致命的な疾患を抱えていらっしゃっるんですよ」

「どんな?」

「魔術回路を回すと、どことも知れないところへ魔力が奪われて行くんです。それで吸い上げられて、何度か死に掛かったそうです。しかもその方は一族の中では3番目か4番目に有力な家の人らしく、おまけに一人っ子なんですよ。他に跡取りは居ないし、礼装はおっつかないしで……」

 

 魔術回路に纏わる疾患は時々耳にする。お気の毒と思うし、同じ魔術師として他人事ではない。何故なら自分の子や孫がそうならないとは言い切れないからだ。

 それくらい私達は神秘と引き換えに、異様な行為を繰り返している。

 

「それで最初は一族を救けるための、純粋な医療行為だったハズなんです。ですがミイラ取りがミイラになったと言いますか……お互いに知識はあれど、まだまだ未熟な頃です。そして相性も良かったんですね。ともに相手を気遣える人なので、そのままずっと。まぁ、恋人同士の方が気が楽だと思います。ああいう行為は。とは言え、エルお姉様に乱れがちな頃があったのは、それが原因でしょうね」

 

 なるほど……。エルヴァが倫敦のホテルで暗黒史だと言ったのはそういう意味か。けれど、エルなりの線引きはあるみたいに感じる。

 

「エルマが自意識を持った時期と、他の二人がそれを得た時期は微妙に違いますの?」

 

 ルヴィアの質問だけど、そこは私も感じていた事だ。ただ、この質問の意図がわからない。

 

「そうですね。私は二人を指揮する立場でしたので、市内をクルマで夜中に走った頃には自我を与えられていました。後の二人は私がアサシンさん達と海外に行っている間に、人形から自我を持つ個体に変わっていました」

「やはりその頃でしたか。表現が難しいのですが、あなたがエルヴァさんを選んだように、エルヴァさんもあなたを選んだのでは?」

「ああ……」

 

 エルマがルヴィアに頭を下げた。ここに来て質問の意図が読めてきた。

 エルマの方がトロンメルより、自分を客観視できている。この確認だ。それは取りも直さず、自分の中に反対派が居るって事だ。

 つまりより人間に近い。きっとこれがトロンメルに抱いた違和感の正体だ。

 例えば師匠の気持ちに気付いていても、エルと師匠はそういう関係にならなかった。これはエルの中のエルヴァが反対していたとも取れるワケだけど、同時にそれがエルの人らしさでもある。

 だって先に師匠を『妹』として受け入れていたのだから。だけどエルマもトロンメルもエルにとっては、高性能な新型の素体に、自由意志を与えたに過ぎないワケだ。でもエルヴァはそうじゃない。

 人権云々を言うなら、エルの事だ。きちんと生活の面倒はみている事だろう。学園に通わせている段階でそういう事だ。だけど感情は別物なのだろう。エルマを妹として受け入れているエルヴァが特別優しいんだろうな。

 

「それと、お姉様にはこの話は絶対にしないで下さい。きっと……ここでのその方は既に亡くなられている可能性が高いので……」

 

 あ~……そうなるのか……。私とルヴィアは首を振るばかりだった。あ、そうだ。

 

「エルマの本当の名前って『ウーア』って言うの?」

「ハイドンの。気付かれました? ですが……そこがミソッカスなのか、元の名はフランス語なんですよ」

「フランス語? どの時計?」

 

 こう聞いたのはあれだ、英語のクロックとウオッチの違い。こういうのはどの国の言語にもある。

 

「置き時計や時計全般を指すhorloge(オーロージュ)や振り子時計のpendule(パンデュル)、腕時計のmontre(モントル)でもなく、reveil(レベイ/二つ目のeにはアキュート・アクセントが付く)です……つまり目覚まし時計って意味なんですね。それがどうにもしっくり来なかったので、お姉様に名付けて戴いたんですよ」

 

 エルマが詳しく説明してくれた。だけど本人は嫌だったのか。レベイなんて違和感ないのになぁ。

 

「発音が似ているので嬉しかったですね」

 

 食事を終えたエルマはそう言い残してアルバイトに戻った。

『エルマ』に『エルヴァ』。確かに似ている。けれどそれはエルヴァが敢えてそうしたのだと思う。エルヴァはヴンダーやトロンメルも妹と考えているのだろうか。

 

 

 

 射位で弓を引いていると背後……正確には控えからビシビシと視線を感じた。けれど、その視線を投げ掛けている二人の姿は、他の部員に見えていないし気配すら感じていないだろう。

 懐かしくも暖かな気配。今朝会ったオーギュストさんに聞いていたが、本当に姉さん達が来ているとは。

 道場までの案内はセイバーが行ってくれたようで、アルバイト先からの念話で報告があった。彼女のシフトにモーニングの時間帯はない。色々戸惑った事だろう。

 

〈あなたの姉は、何故私と見た目があそこまで異なるのですか?〉

(姉さんは第四次、第五次と経験した後に、私の世界の第四次に召喚されました。そして前回の第五次で偽の聖杯に囚われ反転してしまったのです)

〈では今も?〉

(いえ。そこの聖杯戦争は終わっていますので聖杯の影響も切れています。ただ姉はその五次の後、座に入っていないのです。つまりあなたと同じで最初の第四次と次の第五次までは、カムランの丘で生きていたのです。その後私達の世界で死を受け入れ、魔導師の先生が連れ帰って下さり姉妹となったのですよ)

〈エル、何がありました? 隠している事があるでしょう?〉

(ハァ……。姉は第五次で自分の元マスターとマスターを殺しています)

〈え?〉

(想像通りですよ。元マスターの衛宮士郎と、偽の聖杯となった間桐桜を殺しているのです。だからイリヤ姉さんは朝食に出なかったのです。顔を合わさないように避けてくれているのですよ。姉さん達二人が帰るまで、新都のホテルで外泊するそうです)

〈ああ……どういう方法かはわからないが、その事を知ってあなたを気遣った……。聖杯を閉じた彼女にしてみれば……〉

(そういう事です。今の私の姉はあのイリヤであり、あなたです)

〈そう言って下さるのは嬉しいが、あなたもエルです。その家族だった、暖かな記憶を棄ててはいけない。そうさせないためにイリヤは外泊という方法を取ったのでしょう〉

(そうですね)




京都/有次、京都/菊一文字、築地/東源正久、築地/正本、浅草/かね惣、墨田区吾妻橋/正本総本店、築地/杉本、日本橋/木屋、合羽橋/つば屋。
関/ミソノ刃物(パフォーマー)、燕/三条藤次郎、燕/吉田金属(グローバル)。
日本の著名な包丁のブランドやメーカーです。勿論、この他にも有名なブランドやメーカーがあります。
イリヤの兄の士郎には、合羽橋/つば屋の包丁を握らせたいですね。
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