ちなみに慎二はここでもブリーフ派です。
時臣師とエルヴァと名乗るアインツベルンの少女との会談は1時間以上に及んだ。すべて英語だったのでこちらはちんぷんかんぷんだった。
だけどあの子は終始友好的に話を進め、こちらの知り得ぬ情報や、凜ちゃんに対する希望をも語ってくれた。その希望に向かうには、僕は遠坂のためにも、そして弟の慎二のためにも死力を尽くすしかない。
僕の名は間桐慎一。間桐家の魔術師だ────。
弟の慎二が生まれたのは僕が4歳になる前で、当然のことながら母が生きていた頃だった。
父も母も慎二を可愛がった。それで僕が赤ちゃん返りすることもなかった。だって僕は弟が大好きだったから。慎二が最初に話した言葉らしい言葉は、『お父様』や『お母様』でなく『おにい~しゃ』だった。
『鬼医者』じゃない。『お兄様』が上手く言えなくてそうなった。僕は本当に嬉しかった。
だって僕の場合は────『お爺様』をお呼びすることが第一だったから。
赤ちゃんの頃から調整を受け続けていた僕は立って歩くのも早く、言葉を覚えるのも早かった。そして最初に叩き込まれた言葉は祖父と名乗る怪物────初代マキリ、間桐臓硯を『お爺様』と呼ぶことだったのだ。
ロシアのゾォルケン家は、そんなに有名な魔術師ではない。だけど帝政が倒れた革命後のソビエトの時代も生き延びている。そんなゾォルケン家のご先祖に、本格的な魔術を学ぼうと欧州に出た人がいた。
それがマキリ・ゾォルケン、間桐臓硯その人だ。お爺様は絶望と戦った人だった。マキリはその遺伝子に滅びの因子でも孕んでいるのか、子孫の魔術回路はどんどん減っていて、本家のゾォルケン家はとっくの昔に一般人になっていた。
それは土を替えても水を替えても、胎盤となってくれる配偶者を大金で迎えても同じだった。それが父の代では僅か2本だ。父より才能があった父の弟、つまり僕にとっての叔父にあたる雁夜さんでもかろうじて3本だった。
それも細い細い、まともに魔力を通せない代物だ。だから怒り狂ったお爺様は、祖父と祖母を蟲の餌にした。そして高校の卒業式後に出て行った雁夜さんに見向きもしなかった。
だけど僕は知っている。お爺様は歴代の当主に選んだ人や、少しでも芽のある人の写真は書斎の引き出しに残していた。そして一人孤独に絶望していた。
『儂の血のせいなのか……』。僕が物心つくかつかない頃に聞いた、お爺様の悲しい独り言だ。母が死んだのは慎二が生まれた翌年の2月下旬だった。
凜ちゃんのせいにはできないけれど、修練場、別名蟲蔵に母の着物が残っていたのだ。父はそれを発見した僕を抱きしめ、ただ泣いていた。お爺様が絶望しかない運命に抗う人なら、父は黙して享受する人だった。
雁夜さんは逃げる人かな? だけどこの感想に非難の気持ちはこれっぽっちもない。それも一つの方法だから。
僕がマキリのワザを得るために修練場へ入るようになったのは3歳からだ。僕は父と気質が似ている。けれど魔術回路はお爺様と変わらずあり、肉体だけでなく魂魄にも回路があった。
そう、これが枯れていく理由だ。魔術回路は肉体の筋肉に宿るケースと、神経やリンパ節に宿るケース、そして魂魄に刻まれるケースがあるのだ。そしてマキリは、この魂魄に刻むタイプだった。
それは通常の魔術回路より開くのが難しく、そもそも回路を宿さずに産まれる場合がほとんどだった。だから刻印蟲や回路蟲など、魔術回路を補う道具が開発された。
そして僕はその回路をお爺様と変わらぬだけ持って生まれた。なので殊の外、僕は可愛がられた。慎二が生まれるまでのお爺様は静かだった。だけど回路を持たない慎二をお爺様は何度も殺そうとした。
あれは慎二が3歳の誕生日を迎えた頃だ。お爺様はとうとう慎二を修練場の片隅にある蟲の餌箱に放り込んだ。この頃は僕も蟲の支配権を持っていた。なので間一髪で慎二を救けられた。
そして僕はお爺様を殺した────。
その身を形作る蟲のすべてから水分を奪い、干乾びさせ、殲滅した。間桐の吸収。その変形で僕にしか使えない魔術だった。前々から試していたけれど、あの日がこの魔術が完成した日だった。
慎二は蟲蔵の恐怖は憶えていても、僕がなにをやったかは憶えていない。ただ、兄が救けてくれた。これだけを覚えている。だから慎二は僕にだけは逆らわない。これも束縛なんだろうな。
穂群原の初等部に入学した慎二はクラスの人気者だった。明るく真面目で頭も良い。兄バカだけど本当に良いやつだ。大人になったら間桐の資産運用を任せたい。父とそんなことを話したことがある。
「ただいま」
「おかえり、慎一」
「慎二は?」
「部屋で宿題だ。慎一が戻るまでにできるかって賭けてたんだ」
「そういう焚き付け方は良くないよ?」
「だから罰の料理を今やっているだろう? だけど、あいつは反発心を煽るほうが伸びると思うよ」
そうかもなぁ。
慎二はお爺様と気質が似ていた。今の僕は普通に男の格好だ。女の子の服や細々したものは、遠坂にある僕の部屋に置いてきた。鍵付きなので凜ちゃんも桜ちゃんも入れない。
自室に戻り制服から私服に着替える。クローゼットの中は半分が女の子の服だ。これは別に趣味ではない。魔術の修行に近い感覚だ。それが日常であり、食事と同じような感覚。
『擬態』の一種とでも言おうか。僕は身体の中に司令蟲という女王蟻や女王蜂のようなものしか宿していない。その数は10匹程度。これで十分に蟲を操れる。
だけど遠隔操作に難があった。全身を蟲に変えれば擬態は思いのままなので、第三者を装って蟲を操れる。だけどそこまでしてもメリットは知れている。そこで思いついたのが変装だった。
これに関して父も協力してくれた。3~4歳頃から、僕は娘として父と過ごす日がある。父としても全身を蟲に換えられるのならと考えたのだろう。なにしろこのアイデアを披露した頃はお爺様が健在だったからね。
そしてお爺様は魔除けのために幼児の頃は女の子として育てられていた。ここが琴線に触れたのか、お爺様も協力的だった。今にして思えば聖杯戦争が近いのもあったと思う。
どちらにせよ、慎二のことがなかったら……僕はお爺様を嫌ってなどいなかったのに。
ともかくそんなだから、七五三の写真も初等部入学の写真も男の子と女の子の両方が残っている。おまけに幼稚園には女の子として通っていた。
ベッドと机、後はクローゼットだけという狭い部屋を出て、隣の部屋を覗いた。
「慎二、ただいま」
「おかえり、お兄様」
「鉛筆を持ったまま飛びつくなって。危ないよ?」
「あ。ごめんなさい」
慕ってくれるのは嬉しいけれど、ときどきこういうことをやらかす。そこも可愛いけどね。
「どう? 宿題、わからないところはない?」
「大丈夫だよ」
「そうか。兄ちゃんと違って賢いな。高校生くらいになったら、兄ちゃんに勉強を教えてくれな?」
「え~~!」
慎二は表情がコロコロ変わる。心の動きが百面相のように現れるんだ。だから、たとえ魔術回路があったとしても魔術師には向かないだろう。
それでも僕の可愛い弟には変わりない。間桐の魔術は僕に任せろ。慎二はしっかり勉強して僕を支えてくれ。慎二がいるから僕は人間でいられる。
この先、魔道を極めてもそれだけは間違いない。お爺様にはそういう身内がいなかったのだろうか……。
「ほら、面白い顔をしてないで。もうじきご飯だから」
「はい!」
そして僕はダイニングで配膳の手伝いに掛かった。
ここは間桐が所有するあるマンションだ。間取りは3LDK。以前の家を思えばかなり狭い。だけど父と僕と弟の三人にはちょうどだ。
家族の気配があり、笑い声や泣き声も全部聞こえる。だから父も僕も、慎二のことがすぐにわかるし、僕のことも父はわかるだろう。
だけどそれでいい。それが家族だ。他人に秘密を持たなきゃいけない魔術師だからこそ、普段はオープンでありたい。使い魔の蟲なんてビルの地下でも、施錠してある屋上のプレハブでも、どこででも育てられる。
それに僕は中等部を卒業したら、別の部屋を借りて独立するつもりだった。父には本当に迷惑を掛けた。間桐のあの家を売り、資産を吐き出し、新都のある一画を買い上げてもらったから。
僕が見た新都が燃える夢。それを避けたいという、子供のたわごとを信じてくれた父には感謝しかない。
だから、僕は…………。
〈バーサーカー?〉
〈はい、ここに〉
〈あのアインツベルンの子が裁定を下すときは……〉
〈覚悟しています。シンイチの仰る意味は王への贖罪ですね?〉
〈うん。あの子なら絶対に言って来るだろうね〉
〈シンイチも大概ですが、あの子も聡いですな〉
〈それだけ調整を受けているってことだね〉
〈はい……因果ですね?〉
〈それが魔術師だよ〉
〈……はい〉
〈明日は服を買おうか〉
〈よろしいのですか?〉
〈だって、うどんを食べたかったんでしょう?〉
〈これは……シンイチ……〉
トオサカの家を後にした私たちは父に連絡を入れた。するとちょうど今、深山町にいるのでそこまで来て欲しいとのことだった。
「場所はセイバーが知っているだろうって。どういうこと?」
「令呪を持つのはキリツグだ。エルと同じように私の過去を見たのだろう」
「ああ……」
それで私たちはそこに歩いて向かったのだけれど、周囲の景色というか家の作りがガラッと日本らしく変わった。じょじょにとかではない。本当にガラッと変わったのだ。
それも新都で見たり、ここに来る途中にあったような家ではない。空港から冬木に入るときや、今朝田園の向こうに見えた家でもない。
「なんなの、この家?」
「武家屋敷と言って、昔侍が住んでいた一画らしいな」
「サムライ! チョンマゲ! セップ~ク! アレ~~オダイコンサマ! オネシモワルヨネ!」
「日本語がおかしい。しかも、ろくなことしか知らんのだな……?」
セイバーがここだと言った家は壁が白く、下は黒いバッテンがあって黒いレンガがチョンマゲみたいに乗っていた。
「お前の解説だと何がなんだかわからん。上のこれは装飾用の瓦だ」
そうだカワラだ。門の中に入るとそのカワラが落ちそうなほど乗っている、日本にしては大きな家があった。
「さぁ、入ろう」
ガラガラと戸を開けて家に入ったセイバーが、中の一段高いところで腰掛けた。
「このエルヴァ・フォン・アインツベルンにオミアシをナラエと?」
「お前はスイスでなにを見ていたんだ? お御足を洗うのは旅先の宿だろう? そうではなく、ここで靴を脱ぐんだ。ブーツだと座った方が脱ぎやすいからな」
「ああ!」
なお、西欧でも雪がよく降る高緯度では玄関で靴を脱いだり、スリッパに履き替える。これはスイスでもそうだし、ルヴィアの家でもそうだった。
ただ基本は靴のままだし、ルールも家ごとにまちまちなので、その家の人に尋ねるのが無難だ。
余談だが、数ヶ月後ここに来た姉は土足のまま廊下を走って行った。更に数ヶ月後にやって来た母に至っては、ブーツで畳の上まで来てイスを探していた。
舞弥さんが来てスリッパを出してくれた。
「中はホコリだらけで汚いですが」
それでも一応掃除はしてあるようだ。廊下に座るとスカートが白くなりそうだけど。
「やぁ来たね。エルヴァは畳、大丈夫?」
「オスッ!」
「あ、そうか。空手を習っているって言ってたね」
案内された畳の部屋には、電話機やファクシミリにパソコンが並び、紙の資料が辺りに散乱していた。
そこから今朝からの一連の流れを話した。
「気になるのは二点だ。アーチャーとキャスターが何を考えているのかと、聖堂教会の動きだね」
「キリツグ。言い難いが、アーチャーたちはエルを調べていたように思える」
「う~ん……。どちらにせよ一度会って話さないとなんとも言えないね。現段階では情報があまりにも少なすぎるよ。だけど聖堂教会の方は調べようがある。言峰親子が絡むか絡まないかも裏が取れるまでは保留だな」
そして父は紅茶の缶を手渡してくれ、こう言った。
「今、これを追求するのは意味がないのかも知れない。けれどセイバー? 君はこの第四次聖杯戦争のみならず、第五次聖杯戦争にも参戦しているね? 知っている限りを話してくれないか?」
セイバーは大きなため息の後、ぽつりぽつりと話してくれた。
一番最初の部分が私の見た夢と違っていた。新都の街が燃えているところから始まったのだ。
「その前の第四次で私はキリツグの命により、アイリスフィールであった聖杯を破壊した。それがマズかったのかどうかはわからないが、呪いの泥が溢れ街を焼いたらしい。どれだけの家が焼けたのか。その災害で死んだ者は500人を越えていたと再度召喚された第五次で知った」
召喚者はその災害で父が救けたエミヤシロウ。もう、夢で知っていたのか父は驚かなかった。ただ私と同じ、なんとも言えない顔をしていた。
セイバーに流れたエミヤシロウの視点もあるので、話はより詳細で立体感があった。全部を聴き終えた父はただ一言、『アリガトウ』と残した。
この会話は英語とドイツ語だったのだけれど、そのアリガトウが日本語のお礼だったと後で知った。
バーサーカー戦での父は泣きそうな顔になっていた。シロウを斬り、サクラを斬り……その世界の姉がどうなったかは不明だった。
父がタバコに火をつけようとするとセイバーが奪い取った。
「ホムンクルスにタバコは有害だと聞いた。縁側に行かないか?」
そうして父とセイバーは縁側に行った。私は舞弥さんと2本目の紅茶を飲んでいた。
父の精神的な補助部品だというあり方は、私にはわかる。その補助には肉体関係も含まれることを察してもいた。父の頭の中、舞弥さんの頭の中もすでに読んだ後だ。
だからこんな紅茶でも彼女なりのオモテナシだと理解している。オモテナシとは漢字で『お饗し』と書き、接遇を意味する。だけど私はなにを勘違したのか、高等部に上がるまで『裏がない/下心がない』という意味に捉えていた。
少なからずこのときの舞弥さんは、かなり私に気を使っていた。
窓からの光はすっかりオレンジ色だ。そろそろ帰らないと。ママたちが心配してしまう。
信じらないだろうけど、当時の素の私は優良な子供で夜ふかしをしなかったのだ。だから父とセイバーが真っ暗になってから戻ったとき、私は少しすねていた。
だけどセイバーも父も、お互いに腹を割って話せたようだ。
「二日後が楽しみだね? その前に彼らをそこに留めさせなきゃならないけど」
「そこは策ありです」
短めですがこの回想は重要ですし、エルに語らせると説得力がありません。
18歳の彼女が語り部のようなシーンも入れていますが、基本語り部は8歳の彼女です。
リアリティを求めて、ひらがな多めの文体も意図してです。これはイリクロもそうですが、エルのほうが日本語に疎いという表現でもあります。
そういう意味で、国籍の異なるマスター同士で会話が成り立つのが不思議です。