今、私達は成田発フランクフルト空港行きの旅客機に乗っていた。メンバーは私にエルマ、そしてイリヤスフィールさんと衛宮士郎クンの四人。プラス、霊体化したセイバーとランスロットさん、そしてチケットを用意しろ、座席が欲しいと文句を言っていた姉の計七人だった。
アサシンは今回連れて来ず、大聖杯の解体に向けての準備をしているキャスターことメディアさんを手伝わせている。また、士郎クンのセイバーはカムランに戻った。
メディアさんは既に受肉のクスリを飲んで受肉化を果たしていた。セイバーは先生の手が空けば迎えに行く予定だ。凛も各所に手続きがあるので、書類を持って既に倫敦へ向かっていた。こちらには先生とアーチャーが着いている。
私の方の凛とルヴィアはセカンド・オーナーの残務を遠坂邸でこなしていた。これは凛から言い出した事だった。当然、ここのセカンド・オーナーである凛は大いに感謝して倫敦に渡った。
間桐の方はペルセウスがバーサーカーとともに還って以降静かだ。素体を手に入れたマコトが工房に籠もりっぱなしだからだろう。彼女とは二人だけで話した。全部は明かせないが、これまで思い悩んで来た事、これからしたい事などを聞かせて貰った。
彼女は間桐慎の名を、ここに残ったメドゥーサのマスターである子に譲り、自分は魔術師としてマキリを名乗るという。マコト・ゾォルケンだ。そして肉体を壊さない新たな水系の魔術を創り、間桐慎に授けるという。彼女が素体を欲しがったのはメドゥーサのマスターのためだったのだ。マコトの在り方に眉をひそめる人も居るだろうが、私はエルにも似たその在り方を実に魔術師らしいと思った。
また遊びに来ても良いかと尋ねたら、是非にとも頼まれた。そうして彼女は私の友人となった。
あの大団円を迎えたアインツベルンの森から帰った私はエルヴァさんとともに、ドイツのアーデルハイトに手紙を出した。その返事が航空チケットとともに届いたのだ。ぜひ逢いたいと。スイスのエルヴァにも声を掛けるので、お待ちしていますと。
そこで慌てるのが私と士郎の常だけど、エルヴァさんがこの返事を予測していたので、返事が来るまでにパスポートの再発行と新規取得は最短の六日間で済んでいた。
「姉貴、緊張してないか?」
「う~ん。してないと言えば嘘だけど。なるようにしかならないし。ハァ~。三つ子なんだって、私」
「青天の霹靂ってやつだな?」
「ね? けどさ、並行世界のエルヴァさんに先に会えたから、そこまで緊張はないかな。むしろ嬉しいって気持ち」
「俺はどうしよう。姉貴が三人に増えて、妹が81人だぞ?」
「そうなるけれど。士郎は私の弟であって、あちらの弟や兄ではないから。お会いしても変な事を言っちゃダメよ? なにせあちらは貴族に等しい方達なんだから」
「だよな」
「ユーブスタクハイト様にお会いするのは10年ぶりかしら」
「どんな人なんだろう?」
「人ではなく、アインツベルン城を稼働させる人工知能です。その端末が人型をしていて、現在稼働中なのが8機目なのですね。だからアハトなのです。また、5代目と6代目は偶然の産物であるユスティーツァ様をいたく気に入り、7代目の称号を贈りました。これを勘違いしたアハトが勝手に8代目を名乗ったので、5代目の子孫であるノイントのお祖父様が9代目を正式に名乗り、後を継いだ私が11代目となったのです。10代目は夭逝したお祖父様の息子さんに私が贈りました。それが私の世界でのアインツベルンです」
「へぇ~。じゃ、エルヴァさんにも姉貴が?」
「居ますよ。それまでお互いに姉妹が居るとも知らず、両親が第四次聖杯戦争に赴く寸前の8歳で出逢いました。イリヤスフィールさんみたいな尊敬できる姉ですよ」
「そっか。じゃ、エルヴァさんは親父やお袋さんともそこで初めて?」
「ええ。父親が東洋人だと知ってショックでしたね」
「なんでさ?」
「私の顔やお姉さんの顔を見て、どの辺に東洋系な部分を感じますか? もしあるとすれば、年齢よりも年若く見える点です。これがまた西欧人の目から見れば、中学生か小学生の高学年くらいにしか見えないらしく、結構困る事もあるのですよ」
「ね、士郎。言った通りでしょう? 私が顔にコンプレックスがあるのは、幼く見え過ぎるからなのよ? 別に両親や自分の顔を嫌っているのでは無いから」
「そっか」
そんな風に機内で過ごした私達が、フランクフルトに降り立ったのは2月の10日。凛の誕生パーティの1週間後だった。
予定ではフランクフルトのホテルで一泊し、翌日の午前中に迎えのクルマが来る手筈だ。となると、今が現地の午前9時。街を観光するのが正解だ。長旅疲れはあっても、時差ボケは日付変更線を逆行する北米に向かうほどでは無い。空港の到着口を出たところでセイバー達が実体化した。
「エルヴァ! イリヤ! おいで!」
実体化した姉が私とイリヤスフィールさんの腕を取った。ちなみに荷物はエルマが空間に収めているので、全員が小さなバッグしか持っていない。ホテルへ寄って先に荷物を預ける必要がないのは便利だ。
「姉さん! ヴルストを探す前に両替しませんと!」
「あ、そうだった」
「ヴルスト? フランクフルト・ヴルスト?」
「それのカリー・ヴルストよ」
「カレー? 何でカレー?」
「やっぱり、イリヤは知らなかったか。ドイツのストリート・フーズの代表的メニューなのよ。最近はケバブに押され気味らしいけど」
「へぇ~。知らなかった」
「姉貴?」
「士郎。私はドイツ人と言っても、田舎の山奥のお城育ちなの。こんな街中の流行りとか知らないわ。ドイツ語が話せるだけでも偉いと思ってよ」
「そりゃそうか。じゃ、両替が済んだら食べてみよう」
そうして両替を済ませた私達は、全員でカリー・ヴルストとポテトとドリンクで朝ご飯とした。
「美味しいと言えば美味しいけど、ちょっと安っぽいかな?」
「まぁ、立ち食いうどんと同じストリート・フーズですしね。路麺ならぬ路腸詰め? ともかく今はドイツのどこにでもありますよ。ですが、元はベルリン辺りが発祥だったと思います」
「ふ~ん。もっとドイツらしい料理って何だろう?」
「名前と料理が一致しないと思いますが、イリヤスフィールさんにとってはシュヴァイネブラーテン、ザウアーブラーテン、シュニッツェル、リンダーロウラーデン辺りでしょうか」
「ああ、シュニッツェルはトンカツでロウラーデンは肉巻きよね? そうそう、子供の頃に食べたわ。それとザウアークラウトにお肉のシチュー」
「グーラシュかな? 元はハンガリー料理ですが、今は南部ドイツならどこででも食べられます。後はチーズとワインにビール」
「そうそう。チーズは臭いのが多かった憶えがあるなぁ」
段々と思い出して、懐かしがるイリヤスフィールさん。姉さんの狙いもこれだったのだろうけど、カリー・ヴルストはこの場合は違うと思いますよ? 私の好物ではあるけれどね。
そしてアインツベルンの城は、バーデン=ヴュルテンベルク州とバイエルン州に跨るシュヴァーベン地方のバイエルン州側最南端にある。なのでこの地方の料理なら、お二人は食べ慣れていた筈だ。
先程もお店の人との会話で、南部訛りが出ていたのだが、本人達は余り気付いていないだろう。要はイリヤスフィールさんの前で知ったかぶっているが、姉さんも子供時代が懐かしいのだ。
「今日のフランクフルトなら、何があるのかな?」
「フランクフルトとくれば、アップフェルヴァインとリップヒェンにグリューネゾーセですよ」
エルマが士郎クンと話していた。
「何だろう、それ?」
「アップルワインと塩漬けの骨付き豚肉と、ハーブが使われた緑色のソースです。これとフランクフルタークランツというケーキ、それとベートメンヒェンというマジパンのお菓子もフランクフルトの名物ですよ」
「へぇ~」
「今夜はホテルでそれらを頼みましょう。ヴィースバーデンやマインツまで行けば、マウルタッシェンやシュペッツェレなどもストリート・フーズで出回るくらいありますけれど、時間がありませんものね」
そして私達はフランクフルト空港から電車に乗ってマイン川を越え、フランクフルト中央駅に行った。そこからホテルは近いが、観光がてらマインタワーや大聖堂などを見て歩き、2階建ての屋内市場に入った。
シーズンがシーズンならクリスマス・マーケットやカーニヴァルが楽しいのだが、今は季節外れだし、毎週金曜日の屋外マルクトも無い。なのでイリヤスフィールさんや士郎クンが好きそうな市場に来たのだった。
野菜売り場に並ぶこぶし大のマッシュルームや、子供の腕くらいあるエリンギや、30センチはあるサヤエンドウに驚く二人。
「フルーツが意外と安いわ」
「ハムや肉の種類はいっぱいあるのに、魚が何も無いんだなぁ」
日本で言う乾物屋さんには、様々なナッツ類やドライフルーツが透明な袋に入って並んでいる。日本とは食生活が全然違うのだと実感するのはこういう市場ならではだ。
「無理をして高い和食を探すより、ソーセージとパンとチーズにじゃがいもで過ごす方がドイツは楽しいです。とにかくどれもこれも信じられないくらい種類がありますし、地方色も豊かです。お城に行けばこれまた違う味のソーセージばかりなので驚くと思いますよ」
「じゃがいもにあんなに種類があるとは思わなかった。数えたら30種類を越えてたぞ?」
「私はあの尖ったキャベツが不思議だったわ。あれは何?」
「あれがザウアークラウト用ですよ。生では食べられません。オクラがあったのは気付きました?」
「ええ、気付いたわよ」
「実はフランクフルト中の市場を全部回っても、あの店にしか無いと思います。時々、ドイツ在住の日本人の方が買いに来るそうですよ。夏場だとマクルトにも出回りますが。ちなみにオクラはドイツ語でも英語でもオクラです」
「マクルトって?」
「マーケットの事ですが、市場というより決められた日に出る屋外マーケットを指します」
「へぇ。白ネギもあったなぁ。5センチくらいの太さだけど。それと縮れた白菜。鍋料理ができそうだ」
「ダシもないのにどうするのよ」
「ああ、そっかぁ。ダシが無いんだ」
ここに連れて来て正解だった。料理好きは市場か食器屋を案内するのが正しいのだ。それと敢えて言わなかったが、ドイツの野菜は何を食べても日本の野菜の3分の1程度の味しかしない。
どれもこれもが肉やソーセージと煮込まない限り、イマイチなのだ。特にキュウリなんて、ピクルスにするかシチューに入れない限り生で食べるものではない。
これはフルーツも同じで、値段なりの味しかしない。とかく日本の野菜や果物は美味し過ぎる。ダシの文化の行き着いた先なのだろう。
市場から出た後はレーマー広場で旧市街を眺めつつソーセージを買い食いしてみたり、マイン川を眺めつつ橋を渡りザクセンハウゼン地区へ行きアップフェルヴァインを飲んだりして色々楽しめたと思う。けれどこのゆったりとした時間が、士郎クンや日本の生活に慣れたイリヤスフィールさんには少々苦痛だったかも知れない。
「そうでもないよ。のんびりできて良かったよ」
それならば、良かった。頃合いも良くなったので、私達は中央駅方面に戻りホテルにチェックインした。部屋はツインが三つだったので、士郎クンとランスロットさん、イリヤスフィールさんとセイバー、私とエルマと姉さんとした。
これは万一の場合を考えての事だったし、騎士二人にガードを任せるのはメディアさんとの約束でもあったからだ。セイバーには第四次での裏話を話しても良いと言ってあった。
しかし欧州有数の金融都市のホテルなだけあって、ビジネスホテルに毛が生えた程度にしか感じない自分は贅沢だろうか。レストランもしょぼい。勿論、口には出さないけれど。
食後、部屋に戻った私達は、レーマー広場近くのワインショップで手に入れた白ワインやアイスワインと、屋内市場で買っておいたおつまみを各部屋に配った。その後交代でお風呂に入り、ワインでパジャマパーティーをしていたらイリヤスフィールさんがセイバーとやって来た。11時半頃までおしゃべりして歯を磨いて眠った。このところ私は寝相が良い。姉さんと睡るようになってからだ。この人は私にとって癒やしの人だ。
翌朝は6時に起きて、トレーニング・ウェアに着替えた。日課のランニングだ。
エルマはまだ眠っていたので姉さんと走った。路面電車が走る、駅前の通りを南へマイン川に向かう。
フリーデンス橋を越えて川向うの河川敷に降りて、カヤッククラブやボートハウスの横を抜け、ホルバインシュテクという歩行者専用の橋やウンターマイン橋を通り過ぎ、アイゼルナーシュテクという歩行者専用橋も過ぎ、アルテ橋で市街に戻った。
また下に降りて河川敷公園を戻っても良いのだが、姉さんの希望でエッシェンハイマーの公園まで北上した。暫く走ってわかったが、この公園沿いにはレストランがやたら多い。倫敦を思い出す。
公園でストレッチをした後、旧オペラ座を曲がり、マインタワーを横目で見ながら、中央駅前に戻った。ホテル前でマイン川の方角からやって来る、イリヤスフィールさんに士郎クン。
エルマもセイバーも居た。河川敷で軽い運動をしてきたそうだ。部屋でシャワーを浴び、着替えてから空いたボトルを回収してレストランで朝食だ。
迎えのクルマが来たのでチェックアウトした。運転して来たメイドが言うには2台でここまで来たそうだ。ロビーを出て余りに場違いなクルマに少し驚いた。
その2台はG500のロングだったのだ。荷物はエルマだしなぁ。結局1台目にイリヤスフィールさんに士郎クン、ランスロットさんにセイバーが乗る事になった。2台目は私と姉さんとエルマだ。出発はジャスト9時だった。
ここフランクフルト・アム・マインから南下し、ハイデルベルグの傍を通って、シュトゥットガルトからウルムを抜け、更に南の山間部を登って行けばアインツベルンの城がある。
全部で350Kmの旅だ。アウトバーンを使って4時間半というところだろう。高速道路だけなら楽なのだが、チロル側に向けて高速が途切れ、その先はどんどん山に登るのだ。結界の中は万年雪だろうし。それ故のゲレンデヴァーゲンだ。
途中2回ほど休憩を取った。クルマ酔いではない。理由は運転手にあった。その赤い瞳は皆んな同じだが、白目の部分が血走っていたのだ。
聞けば、昨夜かなりの働きを徹夜でこなした上で、ここまで運転して来たらしい。その二人のメイドは、アーデルハイトさんが廃棄処分から救けたセラとリーゼリットだったのだ。
当然二人のメイドとの関係なんてイリヤスフィールさんはご存じない。だから休憩してコーヒーを頂いている時に教えて差し上げたのだ。と言うか、姉さんが煩かった。なんでリズが運転できるの? と。
そりゃ、ここのリーゼリットは天の衣とは関係ないから、あんな重いハルバートを持てるほど改造されていない。私達の世界のリーゼリットと同じで12時間以上起きていられるし、知能劣化も起こしていないのだ。
だから免許くらいは……。
「ぶつけないで、ちゃんと運転できた! 初めて!」
ダメだ、無免だった。一万歩譲ってそこに目を瞑っても、寝不足は頂けなかった。なので城の手前で交代するので寝なさいと、私と姉さんとでわかれて運転を代わったのだ。こちらも無免許だが二人よりも運転はマシだ。
拠って1号車は私がドライバー、そこに寝かし付けたセラとリーゼリット、イリヤスフィールさん。2号車は姉さんがドライバーでランスロットさんにセイバー、そして士郎クンとなった。
イリヤスフィールさんが私の方に乗ったのは、セラとリーゼリットの事をより詳しく訊くためだった。だから幾つかの世界での事をより詳しくお話した。
イリヤスフィールさんは士郎クンが居ないので、かなり突っ込んだ事も聞いて来た。バーサーカー亡き後、士郎クンと仲良く暮らす話だけでは満足せず、姉さんの存在を突かれ聖杯を閉じるパターンを聞き出されてしまった。
「そう……。あの人は士郎や、士郎を取り巻く人々のために聖杯を閉じようとしたんだ……」
だけど閉じる前に臓硯に殺されてしまった。唯一取り込んだアーチャーの願いと祈りで守護者となり、喚び出される現象となってしまった。イリヤスフィールさんも察したのか、その世界がどうなったかは尋ねて来なかった。
代わりに鋭い質問をされた。勿論言葉は濁したけれど。
「あの遠坂さんの赤い英霊。彼の使う解析魔術の波長が弟と似ているわ」
「それにあなたがお姉さんと呼ぶあの人の魔術も。となると小聖杯に入ったそのアーチャーも」
「何よりあなたが」
私は冷や汗ダラダラだった。そして再度の休憩を挟み、クルマは城に着いた。
大きな扉の向こうは、冬木の城の7~8倍はありそうな広く高い玄関ホールだった。とは言ってもお祖父様の城ほどでは無い。セラに促され前に歩むと、正面の左右にある階段途中で二人の少女が立っていた。どんな演出だ。
右の少女の瞳を見た。私の後ろにいるイリヤスフィールさんを見詰め、目を潤ませていた。この人がアーデルハイトさんだろう。
左の少女の瞳を見た。私を微動だにせず見詰めている。心の底から、いや、魂から揺さぶられる。大本のエルに限りなく近い。この人がこの世界でのエルヴァさんなのだ。
サロンでお茶を頂いていた。アーデルハイトさんはイリヤスフィールさんと手を取り合って話し込んでいた。勿論、弟の士郎クンにも涙声であれこれ質問していた。
「立派な弟さんです」
「そんな、まだまだですよ」
「いいえ。姉さんの愛情ある導きがあったればこそです。お父さんを許す気にはまだなれませんが、士郎クンを見て、心の底から良かったと思います。姉さん、ご苦労様でした」
イリヤスフィールさんの目から大粒の涙が溢れ出た。とうとうアーデルハイトさんと抱き合って泣いていた。
そうだ。イリヤスフィールさんは今まで気を張って来た。衛宮切嗣の罪を知るだけに、あの災害から唯一救い出せた士郎クンの規範足らんと自らを戒め、愛情を以て接して来たのだ。その苦労をアーデルハイトさんは労ったのだ。
それがわかるという事は、この城でもたくさんのドラマがあったのだろう。私はジーンとしていた。
だけど、エルヴァさんは表情一つ変えずに私だけを見詰めていた。
「単刀直入に言います。数分で済みますから、あなたの記憶を覗かせて下さい」
「エルヴァ、失礼よ。お客様に」
アーデルハイトさんが止めに入ったが、私はそれを許した。その方が早いと思ったのだ。そして精神を繋げた際に、彼女は等価交換で自分自身の人生を見せてくれた。彼女はスイス訛りのドイツ語がヴェルデンベルク訛りでなく、チューリッヒ訛りだった。そこに興味が惹かれたのもあった。
幼少期は私の知るエルと同じ。左腕を切り落としてはいないが、『ラインの黄金』を得たのも同じ。だけど、彼女が両親や姉妹が居ると知った時には、第四次聖杯戦争が終わった後だった。城に残っていたのは、イリヤスフィールさんの予備、本来は第六次聖杯戦争の器だったアーデルハイトさんとアハトだけだった。
そう、システムに成り下がったゴーレム・ユーブスタクハイトを再調整し、ヘヴンズ・フィールの永久停止計画を実行させたのはエルヴァさんだったのだ。彼女はこの功績により、近日10代目アインツベルンになるのだという。実際はこの功績でなく、切っ掛けだろう。成れるだけの実績をかなり残しているのだと思う。
「ああ……。あなたは、お祖父様のご長男に10代目を贈られ……。わかりました。私も11代目で申請し直します」
両親に逢い、日本に行き、アルトリア姉さんや英雄王や征服王に出逢った私と、出逢わなかった彼女。違いはそこだけだった。
だけど私と言うかエルは、7歳にしてアインツベルンを継いでいた。親族一同に長老会を黙らせるだけの実績を10歳になる前に出してしまった。イケイケのバカだったからできた事だ。
一方、彼女にも9歳頃にチャンスがあった。けれど彼女はお祖父様の薦めを一旦保留した。貪欲さ? 積極性? 流された記憶からは、それが足りないようには思わなかった。
思慮深いのか、欲がないのか。それは私にもわからないが、何故か彼女は私の知るエルでなく、47番であった私に似ていると感じた。
やっている事業もそう変わらない。だけど彼女は時計塔の理事では無かった。なのに理事に一族の人を送り込んでいる。要点は押さえているのだ。
この違いは考えるに、アーデルハイトさんの存在だろう。エルや私には居なかった、もう一人の姉。最初は妹と思ったが、順番でいうと実は姉だった。
案内された部屋で暫し寛いだ後、イリヤスフィールさんの希望で散歩に出た。厚いコートとマフラーを着けた皆んなの息が白い。城の外は銀世界だった。
「姉貴、この雪も魔術?」
「うん。結界の中の気象を変えてるのね。クルマが登りやすいように晴れにしてくれたのだと思うわ」
「昔、幼いあなたがキリツグに肩車されて散歩していたのを城の窓から見掛けました。あの時はアイリスフィールがお茶を淹れてくれ、それを頂いていました。娘のあなたを語る彼女の瞳は、どこまでも優しかった」
「ドキッとしたけど、それは並行世界の私とお母様よね?」
「ああ、そうでした」
「ドキッとしたって事は姉貴も同じ思い出が?」
「うん、あるわよ。くるみの新芽を探してたの」
「へぇ~。親父も姉貴には優しかったんだな」
「そうね」
「あのさ、エルヴァさんは養子に出ていたからわかるんだ。けど、アーデルハイトさんはここに居たんだろ? 姉貴は何で知らなかったのさ?」
これはエルヴァから記憶を見せて貰った私が答えた。
「地下工房の調整槽で眠らされていたらしいです。イリヤスフィールさんが日本に連れ去られたから、稼働させられたそうですよ」
「どうして60年後じゃなく?」
「第四次の終わり方で、第五次が早く始まるのがわかっていたからだそうですね。その後、エルヴァさんが訪れ、アハトに廃棄か永久停止か再調整かを選べと迫ったらしいです」
「何て言ったんだろうね?」
「大抵の事はそうですが、三回やってもできないなら、才能がないか向いていないからですよ。アハトより以前の人は一回目で、これは無理だなと考えていたそうですし。令呪のない二回目はサーヴァントを制御できず自滅、勢い込んで三回目は呪われているだけのアンリ・マユを召喚して早々に敗退。衛宮切嗣を招き入れての四回目も失敗。それはエルヴァさんから見れば、アハトが使えないのは明白です。彼女は概ねこのような事を突き付けたのだと思いますよ?」
「じゃ、あなたが采配するならどうなる?」
「もし聖杯が汚染されていない第四次であるならという前提ですと、聖遺物の流れを追いつつ、大聖杯の令呪システムを読んで、マスター候補を絞り込み家族構成を含んだ詳細なプロフィールを作成します。そして次が他陣営の構成に対応できる、自陣営のメンバー構成ですよ。セイバーとマスターは動かせない訳です。そしてこちらのアドバンテージとなり、足枷ともなるのが、器の存在ですよね?」
「淡々と……。まぁ、そうだけどさ。でも他に方法なんてあるの?」
これに答えたのはエルマだった。
「ありますよ。これは一つの手ですが、現地で50頭くらい訓練された同じ犬を揃え、その内の1頭に聖杯を埋めます。それを森で飼えば良いと思います」
「私ならクルマに仕込むかもですね」
イリヤスフィールさんの疑問に答えたエルマに私が続けた。
「危機を察知して自分で考え行動する。だからヒトガタにするってやっぱり変だよね?」
姉さんの言う通りだ。こんなところもアハトは詰め寄られたに違いない。大体、二~三騎取り込んだら動けなくなるなんて欠陥以外の何物でもない。この状態で送り出す点からも、アハトは使えないヤツだ。
夜になり晩餐会が始まった。この時はエルヴァさんもイリヤスフィールさんと親しく話していた。
ドレスで着飾った女の子達の中で男性は士郎クンとランスロットさんだけだ。おまけに従者として空気を読んでいるランスロットさんが何も話さないので、士郎クンの緊張は最高潮だった。だから私は席を立ち、士郎クンに耳打ちした。
「一緒に着いて行ってあげますから、お姉様方のグラスにワインを注ぎなさい。そして『お招きありがとうございます。これからも姉をよろしくお願いします』と話しなさい。それを私が通訳しますから」
晩餐会で席を立つのは余り褒められた事ではないが、お酒を注ぎに行く場合は許されるシーンというのはある。問題は女性がやってはイケないところだ。しかし士郎クンは男性で、しかも全員の目下になる。これは友好の証として許されるのだった。
かなり緊張しているが、何かを持ったり何かをさせると緊張が解れる場合がある。そこを期待して促したのだが、もう一つの狙いは、アーデルハイトさんに近付くためだった。
日本に残っている妹達の年長者の何人かが、アーデルハイトさんの身を案じていた。そこが気になったのだ。果てさて。
「お、お、お招きありがとうございます。 今後も姉をよろしくお願いします」
最初にこの館の実質的主人であるアーデルハイトさんに。次がエルヴァさんに。そして自分の姉に。
「士郎、私にまでお招きありがとうって。大丈夫?」
それを私が通訳した事で全員が笑った。給仕に付いているメイドまでが苦しそうだ。やったぜ!
「僭越ですが乾杯の音頭を取らせて頂きます。皆様方の再会を祝し、これからのご多幸をお祈りしまして、乾杯!」
プロージットとは言いましたが、グラスを割ったりはしませんよ?
なお、アーデルハイトさんには何もなかった。エルヴァさんが来た事でアハトが失脚した訳だ。おそらく、最初の六人はアハトの横暴も知っているし、エルヴァさんの怖さも知っている。それでアーデルハイトさんにも、何某かの罰があるのではないかと恐れていただけのようだ。
また、アーデルハイトさんは私と姉さんが、セラとリーゼリットを寝かし付けた事をご存知だった。恐縮してお礼を述べられた。ここのセラはアーデルハイトさんの信任も篤く、この城の副メイド長にまで抜擢されていたのだ。
徹夜の仕事も私達を迎えるこの晩餐会のセッテイングなどを、他のメイドと行っていたからだそうだ。
「頑張り屋なのはあの子の美点ですが、徹夜はいけません。この辺が欠陥だったのかしら?」
「却って人間らしいと私は思いますが」
姉さんもエルヴァさんも頷いてくれた。
「そうですね。私もそこが個性だと思い、あの子とリーゼリットを専属にさせたのです」
アーデルハイトさんは良き主人だった。私は異なるパターンの幸せなセラとリーゼリットを知ったのだった。
夜。姉さんとエルマの三人でワインを楽しんでいた。晩餐会ではカビネットという辛口だったので、甘いドイツワインが飲みたかったのだ。そこでメイドに頼みワインセラーを見せて貰った。フランス産の高級品もあったが、圧倒的にドイツのワインが多い。
その中に七大産地でないヴェルテンベルクのロゼと、大産地モーゼルで一番有名なツェラー・シュヴァルツェ・カッツがあったので頂いてきた。ヴェルテンベルクはバーデンと並んで赤ワインで知られる。ここのロゼは私の好みだった。
また、ドイツワインと言えば、甘口の白ワインだ。この甘さにも等級があり、最上が貴腐ワインのトロッケンベーレンアウスレーゼ、二番目が凍った実を収穫するアイスヴァイン、三番目がベーレンアウスレーゼ、四番目がアウスレーゼ、五番目がシュペトレーゼ。最も低糖度なのがカビネットだ。
そしてツェラー・シュヴァルツェ・カッツは『ツェル村の黒猫』という意味で、その昔ツェル村に買い付けに来たワイン商人が、最上のワインを決めかねていた時にある樽の上に居た黒猫が商人を威嚇した。そこでインスピレーションを得た商人はその樽を買って帰ったという伝説から来ている。本家はツェル村のペータースボルン畑と カベルヘン畑の物だが、現在は ツェルの他の畑や、近隣のメルやカイムトの村でも作られている。
これはラインヘッセン地方のヴォルムスにある聖母教会のぶどう畑で作られたワインが『聖母の乳(リープフラウミルヒ)』として有名になったので、周辺地域までが同じ名で売り出し混迷を極めた事と同じだ。
厳正なワイン法があるというのは品質の保証を指す前に、他人の商標を盗むバカが多かったという意味でもある。
驚くべきはこの城のツェラー・シュヴァルツェ・カッツは、正真正銘のツェル村産で、甘さはシュペトレーゼだった。試飲すれば激安の甘ったるいワインもどきではない。それで、バイエルンのチーズとソーセージを用意して貰い、2本も持って来てしまったのだった。
「へぇ~。シュヴァルツェ・カッツなんて安物のモーゼルワインだと思ってたけど、甘さを控えたら結構イケるね?」
「でしょう? 私も最初は何故この城にと訝しみましたが、試飲させて貰えば中々でした」
「お姉様、こんな夜更けにソーセージまで。太りますよ?」
「表が雪で走れないなら、城内を走れば良いだけです。無駄に広いので場所に事欠きませんよ」
翌朝、本当に走ったら、メイド長に叱られたのは余談だ。
昼間の晴れ具合とは打って変わって、吹雪が暗い窓を叩いていた。これ見よがしな結界はセンスを感じない。何よりそれは情報の扱いが下手であると露呈している証左のようだ。
「それでさ、エルヴァ? アハトのお祖父様は、どうなったの?」
「明日、お会いできるそうですよ。それも端末が直々に本体までご案内下さるそうです」
「ふ~ん」
そしてベッドは三つあるのに、毎度の如く姉さんと眠った。エルマがブツブツ言う文句が聞こえた気がした。
翌朝、朝食の終わる頃にアハトが突然やって来た。
「食事はそのまま続けなさい。食後に儂が案内しよう。そこで積もる話を語らおう。なお、願いがある」
願い?
「下に来る者は、イリヤスフィールと英霊となったイリヤスフィール、そして半英霊のエルヴァにエルマ、並びにアーデルハイトとエルヴァのみとする」
ああ、招くのは一族だけだと。なるほど。
心配する士郎クンをセイバー達に任せ、私達はアハトの先導で階段を下っていった。地下にある広い広い工房。幾つかの扉を開けた先には数えきれない程の調整槽や培養槽が立ち並んでいた。
似たような装置の中で窒息し掛かったこちらとしては、見ていて余り気分の良いものでは無い。
「あなたも同じ経験が?」
「ええ。その弊害で寝相が悪いです」
「私も。今朝も毛布にくるまって、ベッドと全然違うところで目を覚ましました」
苦笑いしながら告白するエルヴァさん。こちらも苦笑いだ。
この人は私と似ている点があるが、エルとはどこか違うと思う。だが記憶を見る限り、時計塔関連以外はエル並にやるべき事をしていた。
あのスイスの幼いエルヴァと間逆にも感じる。性格でなく生き方というか、これまで行って来た事が。
幼さ故に時流に乗れず、まだ何も成していないスイスのエルヴァ。聖杯戦争に出なかったので、機会を幾つか掴み損なっているエルヴァさん。
もう、私の記憶を見たのだから、今後は変わって行くだろう。だから二人を会わせたら面白いだろうなと思った。
「ここじゃ」
ガチャリ、ガチャリと幾つもの鍵と魔術鍵を解錠するアハト。
入った部屋の中央には、デザインこそ有機的だが、天井にまで繋がった直径5メートルくらいの円柱があった。
ただ、円柱と言っても、紡錘形とは逆で中央部分がへこんでいる。中央部は直径3メートルといったところだろう。ここが透明で逆さになったアハトが浮かんでいたり、巨大な脳髄だけが浮かんでいればさもありなんだが、現実は不透明で蝉の腹みたいなもので覆われていた。
『よく来た。孫達よ……』
アハトは円柱の傍の椅子に腰掛けていて、一言も発していない。この声は円柱からだった。
『イリヤスフィール。儂はアーデルハイトに跡を譲り、相談役として引退する。よってここでヘヴンズ・フィールの終結を宣言する』
イリヤスフィールさんは複雑な顔をされていた。母を奪い、父を狂わせ、気の毒な弟を作り出した聖杯戦争。何を言えば良いのだろう。
『イリヤスフィール。幸せか?』
「はい、幸せです。お祖父様。弟が……家族が居ますから」
『そうか、弟か。ならば頼みがある。エルヴァとともにアーデルハイトを支えてやってくれ。姉として』
「ですが私は日本に……」
『構わんよ。手紙でも良い。使い魔でも良い。たまに連絡を取ってやってくれ』
「それならば。わかりました」
『うむ。アーデルハイトよ』
「はい」
『どのみち解体の経過を視察せねばならんだろう?』
「はい、数ヶ月先ですが」
『そういう事じゃ、イリヤスフィール。こやつの滞在先を頼んで良いか?』
「は、はい。お任せ下さい!」
『うむ。エルヴァよ』
「はい」
『事業もあろうし、お前はノイントの娘だ。なので無理は言わんが、姉妹を支えてやってくれ』
「はい」
そうして会談は終わった。謝罪の言葉も反省の言葉もないのはシステムだからだ。今後は沈黙し、城の機能としてのみ動くのだろう。そして端末のアハトが相談役としてアーデルハイトさんを支えるのだ。
地上階に戻った私達は、セイバーや士郎クンと合流して礼拝堂へ案内された。アインツベルンのこれまでの歴史を象ったステンドグラスが、鈍く綺羅びやかな光を堂内に散りばめていた。
並行世界では何度か入った由緒ある礼拝堂だ。セイバーが声にならない声を出した。あの祭壇の前に描かれた召喚陣から、彼女は喚び出されたのだ。
士郎クンやセイバー達は二列目以降の席なのに、私と姉さんにエルマはエルヴァさんやイリヤスフィールさんと同じく最前列を指定された。
やがて端末のアハトが祭司となり、アーデルハイトさんへの継承の儀が執り行われた。荘厳なまでの色とりどりな光がアーデルハイトさんを包んでいる。この時ばかりは、千年の歴史を重荷でなく、誇りとして感じられる。
これでアーデルハイトさんはアハト系アインツベルンの正式な当主となった。私と姉さんにエルマはその見届人だったのだ。
この先、彼女達がどうなるのかはわからない。
未来は誰にも見通せない。運命は何時だって暗闇の向こうからしか来ないのだから。だけど立ち止まる者に未来は訪れない。そして彼女達は歩み続けるだろう。幸せを求めて。
第五次聖杯戦争篇 完
次回は第四次聖杯戦争です。
あの悲惨な物語はどうなるのか?