私はお仕えする女神様のお許しを頂き旅に出た。
荷物を担いで小さなジッグラト(聖塔)のような宿舎から出れば、幾つもの巨大な神殿や聖塔が建ち並んでいる。ここはウルクのエアンナ。都市神様であるイシュタル様を祀る、物心ついた頃から住んでいた神聖なる地だ。
そのエアンナの地から一歩出れば、清廉で清澄な空気が消え辺りは喧騒に包まれる。真向かいが市の立つ通りなのでウルク中の人々が集まるのだ。
通りの左右に並ぶ市を眺めながら、私は王宮までの道を歩んだ。祭祀長のシドゥリ様と会わなければならないのだ。お世話になった神官様には昨日挨拶を済ませた。
お忙しいシドゥリ様との面会は通行の『印』を頂くためだった。
「『印』の発行は構わないけど、あなたが旅に出るなんて。また退屈したイシュタル様が王宮に現れたりしないかしら」
「現れたら、帰ったら打ちのめすと言ってたとお伝え下さい」
「フフフ……あなたという子は。では善き旅を」
「はい」
そうして『印』を頂いた私はウルクの城壁を潜った。目指す最初の目的地はクターだ。そこにイシュタル様の姉であるエレシュキガル様を祀る廟があり、そこから冥界に住まうエレシュキガル様とお話できるのだ。
ウルクやウルが交易に便利なユーフラテス川のほとりにあるのとは違って、クターはユーフラテス川とティグリス川の間が狭まる、強い霊脈の上にある。
キシュやバビロンといった都市が近いのも、その辺りが古来より神々に重要な土地だったからだ。だけど霊脈を独占されてしまうと人は栄えない。
それでウルクやウルは利便性を取り、都市の内部に神殿を築き加護を得る事に成功した。そのチャンスを与えて下さったのが、当時新米女神だったイシュタル様だ。500年前の話である。
今の自由奔放でいい加減な女神様を知ると信じられないが、新米の頃は真面目で人々を愛するとても素晴らしい女神様だったのだ。
ロバが牽く台車の中は水瓶と僅かな着替え、後はエレシュキガル様へお供えする献上品ばかりだ。出立は王宮が開いてからだったのでクターに着いたのは夕方だった。
宿を取りロバに水と餌を与え、私も食事を摂った。明日は朝から廟に向かう。
翌日の朝食後、私は献上品を持って廟に詣でた。案内して下さった巫女様が言うには、エレシュキガル様は冥界から出ないので、地上であからさまな悪さをしないそうだ。
また、かなり控えめな性格でとても話しやすい人だとも言う。ただ、そのチカラは強大で。
「悪事を働くような方ではありませんが、病疫を招く方ではあります」
そこは仕方ないだろう。それがエレシュキガル様の役目だ。
廟の奥にある祭壇に、こちらの巫女様方が私の献上品を並べていた。その後揃って祈りを捧げれば、唐突に声が頭に届いた。
『もっと祭壇に近づくのだわ』
それで巫女様方を見れば皆様が頷いて下さったので、私は立ち上がり祭壇に近づいた。
『祭壇に手を預けるのだわ』
私は祭壇に手を置いた。クルッと意識が飛んだような気がしたが、目の前は真っ暗な埃っぽい世界だった。
「め、冥界……?」
「正解なのだわ」
ギョッとして振り向くと、髪型と服装こそ違えどイシュタル様そっくりな女神様が立っていた。慌てて跪き礼をした。
「疫病は誰しもが嫌うものだわ。それを司る私に、そこまで畏まる必要はないのだわ」
随分と変わった話し方をされる女神様だ。
「人は老い、病に苦しむものです。そしてその後に必ず死を迎えます。それは変えられぬ運命です」
「そうなのだわ」
「ですが人でないモノに於いても、死は免れないものなのでしょうか?」
「あなたの貢物は気に入ったのだわ。だから教えてあげるのだわ。どんなものでもいつかは壊れる。それがモノに与えられた死なのだわ。あの者はその滅びの瞬間を与えられてしまった。それは覆せない、確定してしまった事なのだわ。だけど、それをわかった上で探そうというのも、人の持つ業であり徳でもある。王が不死を求めるのも人であるが証拠。あなたが死を否定したがっている事と同じなのだわ。冥界は死者の国。だからどこにもなく、どこにでも繋がっている。念じればここを通ってどこにでも行けるのだわ。それで求めるのだわ。あなたの答えを」
そうして私はエレシュキガル様のご加護を戴き、念じるだけでどこにでも行けるようになった。ただし冥界を通るので、体ではなく心だけが旅をする。
だから私は翌日ウルクに帰った。神殿でお勤めしながらどこにでも行けたからである。
あれから1年。どこに行き、誰かを見ても必ず病に伏せ老いていき死んでしまう。
「エルヴァ、昨日はどこに行っていたの?」
「海を渡った先のもっともっと先にある大陸です」
「あれ? 前も大陸があったって言ってたわよね?」
「それは間違いでした。そこはこの大地と繋がっていました。あの遥か彼方の山々はアララト山より高いでしょう」
「そうね。あの山々は高いわよ」
「はい。それで島々の国を越えて更に大きな海を渡りました」
「そっちから行ったんだ? 反対から行く方が近いのに」
「そうなのですか?」
「ええ。あなたも空を飛べればね。このホシが丸いなんてすぐに気づくのに。先にエレシュキガルの加護を受けちゃったから、天から眺められる加護は与えられないし。でもそうやって色んなところを見て来なさい」
そう言って微笑むイシュタル様。
「そうですね。これからも学びたいと思います」
私は出奔した王の所在を知っていた。だけど誰にも言えなかったし言わなかった。イシュタル様も敢えて何も問わない。それはあの方なら振り切って、自らの意思でウルクに戻られると信じているからだ。
ウルクの民は日々減っている。王の威光なきウルクは徐々に閑散としていった。それなのに祭祀長のシドゥリ様は王宮に毎日登り玉座を磨き、ご不在の王に代わって政(まつりごと)を取り仕切っていた。
その分、元々巫女でありウルク一信仰が篤かったあの方の足が、神殿から遠のいた。その事に対する不満もイシュタル様は一切述べなかった。
王が戻られたのは更に1年後だ。この時のイシュタル様のはっちゃけぶりは凄かった。それまでどこに貯めていたのだという巨額の財を使って神殿を新たに築かれたのだ。
それはこじんまりとしていたが、とても豪奢な造りで、シドゥリ様の寝所に近かった。何と王宮の真横なのだ。これでシドゥリ様はウルクの端にある神殿まで来なくていい。政も信仰も両方に邁進できる。
「本当はあの子が一番苦しい時に建てるべきだったのでしょう。でもね、お祝い事にしてあげた方が気楽でしょう?」
それをわかっていたから、王宮内の空いた土地を王は寄進したらしい。本音は心の中の友にしか明かさないと思うけど。
いつかは今の王朝も代わるだろう。それでも王は言い残すだろう。その神殿を壊してはならぬと。
「ほら、これよ」
「これが?」
「そう。特別にシドゥリにも分けてあげる。女神からのご褒美よ」
「こ、これは」
「ね? 神殿一、いえ、ウルク一の名人だわ、あの子」
「本当に美味しい。エルヴァにこんな才能があったなんて……」
「何を騒いでおる」
「これは、王……」
「ほぅ。エレシュキガルを落としたという菓子か」
「はい」
「あの者は菓子だけではないぞ、シドゥリ」
「あら。ギルガメッシュはあの子を知ってんの?」
「たわけ。我の知らぬ事があるものか」
旅先で偶然出逢った王に、私は食事を献上した。そのお返しとお話を聞かせて下さったのは二人だけの秘密だ。
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「ローマのアウグストゥス帝が死んだそうだが、知ってるか?」
「いつ?」
「さぁ。去年なのか、一昨年なのか。こんな田舎に情報が届くのは数年遅れと決まっている」
「じゃ、新しい皇帝の名がわかるのは来年以降だな」
「だろうな。さてこれで合ってるはずだ」
「お前の目板(もくばん)、そろそろ削り直せ。真っ黒で術式が読めないぞ? え~と、これが……ここだな」
「そう、そこに当て嵌めるんだ」
「なるほど」
僕と従兄弟のアントニーは人が持てる宝具を研究していた。名前だけは決まっている。『ラインの黄金』だ。基礎となる術式は曾祖父(ひいじい)さん達が残したものだ。
そこに現代魔術の理論を上乗せしたり、代替して簡素化できないかと試行錯誤しているのだ。基本的な部分は終わったので、応用部分は皇帝の名がわかる頃には完成するだろう。
「けど、こいつが使い物になるのは後10回くらい皇帝が代わってからかな?」
「嘘だろ? 俺はローマが滅んでもまだ掛かる気がしているよ」
「そりゃ、何世代後だ? 初代皇帝の名を戴きながら不敬だな?」
「こんなところまでローマは来ないよ。ところでお前?」
「何だ?」
「あそこに金を出したんだって?」
「ああ」
「胡散臭さいっぱいだぞ?」
「そうか? 何らかの相互扶助は必要だという彼らの言葉に嘘はないよ」
「ホント、お前は人が良いな。魔術師なんて騙しあってナンボだぞ?」
「そんな事を言ってるからお前も俺も独身なんだよ。こんな薄暗いところで男二人肩を寄せ合ってさ。お前、身体を洗ってるか?」
「臭いか?」
「めちゃくちゃ匂う」
「そうか……。今週末はバーデン=バーデンにでも行くか」
「おお、良いな。あそこはもっとローマ風にならんかな?」
「そのうちなるんじゃないか?」
「宿も女の子の居るところでさ、ニシシシィ……」
「気持ち悪い顔で不気味に笑うな」
「失礼な奴だな」
そんな感じで、僕は従兄弟で共同研究者のアントニーと一緒に週末バーデン=バーデンに向かった。
「アントニー、見ろよ。美人が多いな?」
「あれれ。前より宿が増えたんだな?」
「みたいだ。あの子なんてどうだ?」
「おっと、お目が高い。良いなぁ」
「けど、先に風呂に入ろう」
「そうだな」
僕達はめっちゃ臭かった。薬草の煮詰めた匂いがこの身に染み付いている。
「入浴お断りって言われたらどうしよう?」
「そりゃ困る。女の子と遊べないじゃん。先に川で洗うべきだったかな?」
「風呂に行くのに先に洗うのか? 面白い事を言うな」
「でもな……それがエチケットってもんだろう?」
「ローマ帰りの奴はジャボ~ンと飛び込んでるぜ?」
「だから田舎者って言われんだよ」
そんなだから僕達はきちんとお湯を先にかぶり、軽く流してからゆっくりとお湯に浸かった。時間が時間なので客はまばらだ。それでも行儀よく入っていた。
「垢すり、いかがすかぁ~」
「二人頼む」
「へ~い。お二人さん、毎度あり~」
寝台に並んで寝そべり、垢を垢すりヘラでこそぎ落として貰うのだ。このバーデン=バーデンにはローマで学んだオッサンやオニイサン、オバサンやオネエチャンが多い。
今はシケた露天風呂と小さな屋内風呂しかないけど、そのうちローマの最新式の風呂になるだろうと僕とアントニーは信じている。来たれ、ローマ兵!
「兄さん達は以前も見たねぇ。どこからなの?」
「近いよ。そこの黒い森の真ん中辺りさ。そこの暇な地主のドラ息子だよ」
「へぇ~、領主さんか」
「いやいや、そんな良いもんじゃないよ」
「けど、ワインは自分トコが一番って思ってんだろ?」
「当たり前だろ!? ガリアやゲルマニアに負けるもんか!」
この時代のローマとゲルマニアの地図は、東がライン川、北がドナウ川で区切られていた。それでアントニーの家のぶどう畑はライン川のほとりまであった。
「ワインってモーゼル(マウザー)?」
「いんや。アインツベルンって言うんだ。もっと南の親族はヤギのミルクからチーズを作ったりしているよ」
「あ、なんか聞いたことある気がする」
「だろ? 今はあっちが本家だから」
「あっちの方がローマの支配は強いだろうに」
「それでもうまくやって行けるから本家なんだよ」
「なるほどねぇ。よっしゃ、兄さん上がったよ」
「おお、ありがとう。って、すげえ垢だ……」
「な? ヘラいっぱいだ。けど、誰でもこんなもんだよ」
「そうなんだ……」
「次は俺だな。バッチリ頼むぜ?」
「ああ、任してくんな」
そして僕達は垢すり名人の紹介で『白の宿』に入った。『黒の宿』やら『緑の宿』なんか今まであったけれど、この『白の宿』はここ数年で建ったらしい。
『あそこは出来たばかりなんで、サービスが良いですよ。女の子も上玉揃いだしね』
で、入ってみると本当にカワイコチャン揃いだ。
「おい、あの子の源氏名……?」
「クレオパトラ? やるね。顔も身体も僕好みだ。あの子にするよ。君は?」
僕は共同研究者で従兄弟で親友の彼に尋ねた。
「決まったよ、あの子だ」
その子の源氏名は『エルヴァ』といった。
「おい、君と同じ名だぞ?」
「そうだよ。だから面白いんだろ? 自分が女になった自分を抱くみたいで」
そしてその子は、本当にエルヴァを女の子にしたみたいな顔をしていた。
あのめくるめくバーデン=バーデンの退廃的な日々以降、僕達の研究は一気に進んだ。それでもってエルヴァは妻にエルヴァを迎えた。
本当に変わった奴だ。
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「邨長(むらおさ)殿、これ以上の引き止めは無理ですぞ」
「どうしても海を渡ると?」
「ええ、私も部族長の一人だ。あなたから受けた恩は忘れないが、一族だけではない。皆んなのために新天地に行かなければならない」
こうしてまた一つの部族が海を渡る決心を着けた。
私達は森の中でひっそりと暮らしていた。よそ者も暖かく迎え入れていたし、去る者は追わなかった。そうして平穏に森の中で生きていた。
なのに最近一番遠い東の部族が、邨(むら)を追われた。東の果てから異文化を持つ人々が、暴力を伴って次々と現れるのだ。
「邨長。このままでは……」
「わかりました。やりたくは無いが、ご先祖様から預かったこの地は護らねばならない。海の向こうの人々に詫びなければならないね」
そうして私は、ご先祖様から伝わった魔術書や処方箋などの写しを馬の背に乗せた。彼らはガリアを抜け西の果てで暮らすのだ。
また、同じ写しを別の者達に持たせ船で旅立たせた。この者達は先程の長達と同じくブリテンを目指す。こうして万一の時のために我らが秘術を分散した。
そして次なる手は、剣や槍などの増産だった。青銅ではない。折れず切れ味も抜群な鉄の武器だ。それを海を渡る者達や東で留まる者達に売る。
東へは焼け石に水だろう。だけど海を越える者には価値が大きい。そして空いた土地へ東の者達を住まわせる。これが一番被害が少ない。
私はもう一度呟いた。
「海の向こうの人々に……詫びなければならないね」
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家の図書室で私は古い書物を読んでいた。
娘が何を読んでいるのか興味津々だった父は、忍び足で私の後ろに立った。
「父さま、これって?」
驚かそうとしていた父の方が飛び上がった。
「もう、お前だけは。私がここに来た事を気付いていたんだね?」
「はい。それでこれは?」
「ああ、これはね。我がアインツベルンの古い古いご先祖様のお話だよ」
「東の果てから現れるって、もしかして?」
「そう、民族大移動だ。そして私達は敵対するのでなく海を渡る人々に武器を売った。ヒッタイトから伝わったとされ、その後錬金術で改良されていった当時最新鋭の鉄器だ。これをブリテンにも売りつけたっていうんだから、ご先祖様も大概だね」
私は父の顔をまじまじと見た。
「それもこれもこの秘術を護るため?」
周りには大きな、背が届きそうもない本棚がたくさん並んでいる。
「そうだ。西の果てで『第一魔法』に関する書物は消えた。ブリテンで『第二魔法』に関する書物が消えた、な~んて面白おかしく話す親族も居るが、実はどれも『第三魔法』に関する書物さ」
「つまり、ここにある?」
「そう。これらの原本に纏わる話だよ」
魔導書はとても貴重だ。特に魔法に関わるものは。だから空気の流れが良い、こんなところで保管している。地下の工房だと本が傷んでしまうからだ。
私の家はこの貴重な本を、代々受け継ぎ後世に残している。ひいひいおじいちゃん(高祖父)が、初代アインツベルンだった魔法使い(魔法体現者)から直接頼まれたのだ。
頭首(総裁)は持ち回りで、現在は3代目。父はその総裁候補だったけれど選挙で負けた。だけど負けたおかげてツンツンしていた部分がなくなった。
年の離れた兄は言う。
『僕やお前の子が、5代目に成れたら面白いんだけどな』
『お兄さまは4代目を目指さないの?』
『そこまでの野心は無いな』
兄は聞き分けの良いお坊ちゃんだった。だけどこの家を継ぐに相応しいと私は思う。
だって護るべきものをきちんと護れてこそ魔術師だもの。
「さて、今日の分を片付けよう」
そう言って父は執務室に戻った。パピルスで綴られた本を羊皮紙に書き写すのだ。原本と入れ替える保存用、総裁や総裁から許可を得られた各家の当主の閲覧用などを父の代と兄の代で写し終えないといけない。
そして子や孫の代で異なる記録方法が出てくれば、それに変えていかなければならない。
私の家はそんな家だった。だから私も読書好きだった。
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