俺がイワシの生姜焼きを焼いている横で、士郎は味噌汁を作っていた。シロウさんは後ろで監督だ。
ガスの開栓作業はさっき担当の人が来てくれた。水道は元々通っているので電気と同じく申し込むだけだ。後は電話だけど、固定電話を引かずに携帯電話にしろと俺はアドヴァイスした。
と言うのは、仕事の都合で携帯を持つと固定電話が美遊専用になるからだ。それなら家族割の効くキッズ携帯の方が安い。今後の生活を考えたら、無駄なお金は使えないからな。
引っ越しして最初の料理がイワシなのは、今の季節だと10~12センチくらいのが10尾も入って100円程度だからだ。この大きさだと手開きできるし、煮て良し焼いて良しの魚なんでレシピの幅が広がるからだ。
しかし寂しい台所だなぁ。包丁は1本だけだし、ガスコンロも一口だけ。味噌汁もおかずもそれで作り、ご飯までが手鍋炊きだ。
現在、片手鍋が二つに両手鍋が一つ、それと小振りなフライパン……。でも、妹と二人ならこれで遣り繰り出来てしまう。アウトドアもそうだけど、やろうと思えば案外最小の調理器具で料理は出来るものだ。
「今、刻んでいるネギがあるだろ」
来たぞ。
「はい」
「その青ネギと白ネギの違いがわかるか?」
「青ネギは細いんで薬味用、白ネギは煮物や鍋に入れたり出来るように太い。確か白くさせるために土を盛り上げるんでしたよね?」
「まぁ、間違ってないけど。だから白ネギは別名根深ネギとも言われている。じゃ、青ネギや葉ネギって何だ? 九条ネギや千住ネギって何だ?」
俺も以前訊ねられて困ってしまった。耳にした覚えはあるのに、実は案外知らない。スーパーや八百屋に行って見た目で判断していただけだ。
「大雑把に言うと、日本のネギには三種類あってな。一つは九条ネギに代表される葉ネギのグループだ。青い部分が多い細いタイプだな。だから青ネギとも言う。この中に京都の九条ネギや博多の万能ネギ、やっこネギなんかの産地で付いた名やブランド名がある訳さ。二つ目は根深ネギの一種で、太い白ネギの加賀ネギのグループ。夏に成長し、冬になると地面から上が枯れて休眠する、寒さに強いネギだ。北海道や東北に多く、西欧のポロネギもこの中の一つだ。日本だと下仁田ネギが有名だな。そして三つ目も根深ネギの一種で千住ネギのグループだ。中くらいの太さで長いのが特徴だ。世間で言う白ネギや根深ネギはほとんどこれだよ。それでこいつは冬でも成長する。その分寒さには今ひとつだけど、関東ではネギと言ったらこれだ。だからか、黒柄系、合柄系、その中間の合黒系とあって合柄系は黒柄系より寒さに強い。そうやって改良されてきたんだな。それでこの白ネギの葉の部分や二股の硬い部分。あそこも食べられるし、下拵えで臭み抜きに使われるのは知ってるだろ?」
「はい、煮付けや角煮で使いますよね」
「そう、そういう消臭効果が高い食材で、匂いというか発生するガスというか、あれや葉に溜まるネバっとしたのは身体に良い。正確に言うとあの匂いには血流を促す効果がある。そしてネバネバをヌルっていうんだけど、あれに免疫細胞を活性化させる効果があるんだ。だから昔の人は折ってヌルを垂らしつつ、首に巻いたりしていたんだよ」
「あれって意味があったんですか?」
「驚くだろ? オマジナイじゃなく、効果があったんだ。だから好き嫌いは避けて、冬のネギはしっかり食べるべきなんだよ。お前が美遊ちゃんの保護者なんだぞ? 参観日に行けなくても、体調は診てやれよ。それで今後二次性徴を迎えれば生理なんかも始まる。ルヴィアとしっかり相談しておけよ」
「な、何を言ってんすか!?」
バカ。俺なんてもっと言われたぞ。それも皆んなの前で……ダメだ、リコーダーを思い出した……。けど、こいつの側にエルヴァさんは居ない。ルヴィアさんや凛さんに頼るしかない訳だ。
だから恥ずかしかったけれど、言われた事を全部教えてやった。
「やっぱり、あの眠りこけているって人は頭がヘンなんだな」
どう聞きゃそうなるんだ!?
「士郎、アイツが起きたら制裁モンだな、これは……。ま、オレも若い頃『王の財宝』相手に闘ったよ。お前も頑張れば生き残れるかも……」
「ま、待ってくれシロウさん! エルさんは六つも七つも持っているのに?!」
俺は未成年でも生命保険に入れるのかどうかを考えた。
「ヒャ~~~~~~~~ッ!!!!!!!!!!!」
この声は!?
「お姉様と同じ声! エルお姉様ですよ!」
「やっぱり! 行きましょう!」
エルマを連れた私は、急いで2階へ駆け上がった。そして勢い込んでドアを開けたら「出て行け!」と怒鳴られた。うん、わかる。同じ立場なら私も同じ事を言う。
私が壁になったのでエルマは見ていない。それでも察する事はできる。廊下に出た私達は顔を見合わせ、頷きあった。暫く待つと中から声が掛かったので、私は再びドアを開けた。
「1週間も眠っていたらしいですね?」
掛ける言葉が出ず、涙だけがボロボロと流れ出た。私はパジャマ姿の彼女に抱きついた。
「エル、エル……」
この時、ようやく凜や他の人が部屋にやって来た。
「エルヴァ……感極まったからと漏らすとは……」
なんて事を言う。目覚める瞬間、彼女は人形にオシメを交換されていたのだ。この部屋に残る香りを私に押し付けようとしても無意味です。だって高校生なら想像が付くからね。
駆け付けた誰しもに声はない。ただ、ただ、涙を流すだけだ。そしてアインツベルンとは逆に白目が赤くなった頃、それぞれの言葉が出た。
「ご迷惑とご心配をお掛けして申し訳ありませんでした。もう、大丈夫ですよ」
ベッドに腰掛けながらペコリと頭を下げるエル。
「先輩、対価って?」
「本当に何万年も?」
これ以外の質問もあるだろうけど、まずはこれだ。
「対価に関しては詳しく言えません。敢えて言うなら、繰り返す人生のすべてで幸福になる事です」
どうやら前世を数万年は遡って、そのすべてで幸福を掴み取り、満足して一生を終える事が対価だったらしい。それって何人くらいだろう?
「数万年あっても、全部で100人も居ませんでした。そんなものかと思いましたよ」
そう聞いても驚く。90回も100回も人生をやり直すって。
「数回は明らかに並行世界にも転生していました。もしかしたら死とは第二魔法への近道?」
「ノーコメントです」
凜、その回答はうっかりに近いですよ。二人の凛と二人のルヴィアがガッツポーズをしているし……。でも、ヒントっぽく聞こえるだけで、理論的には何のヒントにもなっていない気がする。
「何か面白い事を聞かせて下さい」
こういう時のエルマは物怖じしない。
「面白い事? 面白い事と言えば、数回男性にもなっていた事です。でも後で思い出せばですよ? その時は普通に男性として産まれて男性として生きている訳ですから」
それはそうだろうな。セイバーとは違って偽りでも何でも無いのだから。
「笑ったのがそのうちのローマ時代かなぁ。まだ、ローマ軍が遠征する前の小さなお風呂しか無かった、バーデン=バーデンに従兄弟と遊びに行って。買った女の子が気に入って身請けして、挙げ句の果てに親族の反対を押し切って妻に迎えていました」
「女の子と結婚!?」
叫ぶな、凜。その時の彼女は男性だったと言ってたでしょう?
「それで、その相手がエルヴァという名で……」
はぁ?
「……並行世界から転生した自分でした」
これは皆んなが叫んだ。そんな事があるの?
「それも今にして思えば、ですよ? それにその従兄弟と共同で研究していたのが……」
エルは自分のお腹を指差した。
「ご先祖様!?」
「はい。ファミリーネームはアインツベルンで、黒い森の近くでブドウ畑を持っていました。そこのワインの名もアインツベルンでした」
それってノインのお祖父様の直系のご先祖様の事だ。ベルン一の魔術師という称号は、何か誇れる『一』があって名乗れる、矜持に訴える名でもあったのだ。
そしてエルの立場なら簡単に何代前か調べられると思う。でも、しないだろうな。だってそれで黒い森の中にお墓が残っていたとかしたら嫌だよ。
「その前世の墓から掘り出した骨がホムンクルスの弱点ですよ」
また、電波なことを言い出した。この1週間、静かだったなぁ。
「あの奥さんはあなたみたいな性格でしたよ。元娼婦なのでテクが最高。死ぬまでヤッてました」
腹上死でもしたのか!?
「ちなみに従兄弟は私にこそ色目は使いませんでしたが、モノホンのゲイでした。女性相手もしていましたが、同性の相手は常に5~6人は居ましたね」
お前じゃないか。
「何を言って。私は彼女一筋でしたよ」
でも、それって究極のナルシズムだよね?
「あなたの初めてが私で良かった」
いい顔でサムズアップするんじゃない! セイバー達が崩折れているし、アーチャーさん達はしゃがみ込んでしまったじゃないか!
「言葉だけで二人のセイバーとアーチャーの戦意を奪っただと!?」
「できるこっちゃねぇよ……」
「ですね。モードレッドの言う通りです。戦わずして勝つとは、勝負事の極意ですよ」
どうでもいいわ、そんな感想。ともかく目覚めてくれて良かった……。再び流れてきた涙をそっと拭う私だった。その後、お腹が空いたというので厨房を借りて病人食を作ってあげた。
この病人食、日本人ならお粥や鍋焼きウドンが、まず最初に思い浮かぶだろう。だからウドン好きの彼女にもと思うのは早計で、弱った身体へ与える栄養だけでは足りない。心細くなっているだろう弱った心を包み込める料理が必要なのだ。
わかるかな? バックボーンに訴える料理。これが必要なのだ。そしてこればかりはママか私でないと作れない。姉さんとアーチャーさんが興味深そうに手伝ってくれた。
「バックボーン、そこはわかる。スイス料理でも?」
「それですと50点ですね。彼女は8歳から日本育ちですよ。風邪をひいた時にママに作って貰ったアレでないと」
それはすり潰したジャガイモとパスティーナ(小さなパスタ)の上にチーズを乗せたグラタンと、季節の野菜を細かく刻んでヨーグルトを掛けたサラダ、それと季節のフルーツを使ったタルトだ。
ここに少量の菓子パンか、カレー風味のトーストを半分ほど添えればより完璧だ。今時分ならトマトとキュウリのヨーグルト・サラダにナシのタルトだね。
「これが病人食なのか? グラタンというのが驚くな」
「家ごとに変わると思いますが、国民性と言うか育った環境は出て来ますよ。北米ならチキン・スープかチキン・ヌードル、英国ならマーマイトを塗りたくったトーストといった定番はどこの国にもありますが、だからと言ってお粥だとお腹は膨らんでも心が元気になりません。そこは大切ですよ?」
「なるほど。確かにな」
「ドイツなら野菜スープとマッシュポテト?」
「そこに少しだけのチキンかポークだよね。あの煮出した後みたいなパサパサのチキンが嫌だったなぁ」
「でもセラならソースに工夫してくれたでしょう?」
「うん。ポテトにもつけるから、すぐに失くなっちゃうけどね」
本当の姉さんにはマアエモ・ママやルオン・ママが居たので、私と変わらないものを食べていた。けれどこちらの姉さんはずっとお城だったからそういう思い出がない。
どこのイリヤスフィールもセラやリーゼリットにこだわるのは、あの二人が心が許せる相手だったからだ。
「アーチャーは風邪をひいたり熱が出た時とかどうしていたの?」
「それがほとんど記憶にない。卵酒を作ってくれた記憶が薄っすらとある」
「タマゴザケ?」
これは知らないだろう。男親が作りそうなものだ。
「日本酒を温めて、ある程度アルコールを飛ばします。そこに砂糖を入れ、卵を落としてかき混ぜて完成です。砂糖を入れない人も居るでしょうし、完全にアルコールを飛ばす人も居ます。シンプルな分、バラバラな料理ですよ」
「なるほどね。その程度ならキリツグでも作れるか」
「いや、ジイサンだったのか藤ねえだったのか、そこも憶えていないよ」
それで完成した料理を彼女の部屋に運んだ。部屋の隅に備え付けられた椅子にはあの人形が座っていたが、今は稼働していない。眠っていた間の記録を読み取るために出しているのだと説明された。
起こしてあげると、料理を見た途端介護を断り自分で食べていた。風邪ではないのでホットワインは用意しなかったが、随分と満足した顔で完食してくれた。
食器を下げて部屋から出ようとしたら、ベッドに座れと呼び止められた。
「何か?」
「命を救った対価」
これは覚悟していた。
「向こうに帰ってからで良いですか? それに1回や2回では返せないでしょうし」
「体で返すと?」
「そうなのでしょう?」
「私があなたに執着した態度だから勘違いさせましたね。対価はもう先に頂いています」
「え?」
先に? どういう事だ?
「総裁として必要な記憶ですよ。エルヴァちゃんもあなたには話さないでしょう」
という事はエルヴァちゃんは知っているって事だ。何だろう?
「そうやって考え込まない。あなたは……ただ、あなたらしく生きて幸せを掴めば良い。何ならそれを対価にしましょうか。一人分の一生ですから、楽なものですよ」
軽く言う。大勢の人がそれで悩むというのに。だけど彼女は前世を遡ってそれを成し遂げたのだ。
「あの?」
「はい?」
「あの、ブリテンが現れたという召喚魔術は……?」
「総裁とは関係ありませんが、私の宝具に刻まれた私だけの魔術です。だからエルヴァちゃんにも出来ません。きっとあの子もあれは何だったのだと悩んでいる事でしょう」
「教えてあげないのですか?」
「知る必要は無いでしょう。あの子は並行世界の私ですが、やはり異なる人生を歩む別人です。あの子なりの幸せを掴んで欲しいですね」
横に並んで座る彼女は、とても優しい顔をしていた。
「マーリンに相談したって本当ですか?」
「え? ああ……人形から漏れていたか……」
「ふと思ったのですが、前世でブリテンに?」
「いえ。自分達の土地を護るため、ブリテンに移民を送り込みました。そして双方に武器を売りました。それで儲けた莫大な財産がアインツベルンの基礎となったのです」
「まさか!?」
「そうです。侵略者のルートをブリテンにしたのも、その侵略者達やブリテンに武器を売ったのも私でした」
そんな……。そんな死の商人が前世だと言うのか……。
「私は一族の長であるだけでなく、各部族を取り纏める長でもあったのです。こちらの被害を最小限にし、チカラを貯めるチャンスでした。エルヴァ? 総裁もそうです。アインツベルンの親族百家、そこに連なる一門や眷属を護るためなら、私は神にも悪魔にもなります。だからですよ。だからあなたは私の『希望』です」
マコトだ。規模は違うが、彼女の心境はあの間桐マコトと同じなのだ。そしてライダーと暮らす子が私なのだ。
部屋を辞した私は食堂で待つ姉さんにしがみついて泣いた。
「エルヴァ?」
妹達が遊びに出ているので助かった。今はこうして泣かせて欲しい。何でも反対していたあの頃ではない。彼女の選択を間違っているとは一概に言えない。だって自分達を護るための、それも一つの方法だと理解出来るからだ。
それがわかるだけに、前世も今世も泥を被る覚悟のある彼女が、ただひたすらに哀しかった。
クロとイリヤが無事帰って来てから、僕達は何度も家族会議をした。そしてこの会議には士郎にも参加して貰った。
勿論、魔術の事や並行世界の事は秘密だが、アイリの実家が南ドイツの旧家である事、クロとイリヤに妹が居る可能性がある事は話した。
自分達にも、その子が存在するのかどうかを調べて欲しい。それがクロとイリヤの願いだったのだ。だけど僕もアイリもそのノイントという人の下で働いていなかった。
9代目の存在は知っていたが、これまで接触がなかったのだ。ここが並行世界間の違いだろう。それでも連絡の取りようはある。
「そんな訳で、お盆が明けたらスイスに行ってくるよ」
残念な結果になる可能性もある。そのノイントから、今まで連絡が無かった点もそれを裏付ける気がする。それでも何かしらの痕跡はあると思う。
僕達の士郎がそうなるとは思えないが、シロウ君の事もアーチャー達の事も聞いた僕達はその生い立ちを詳しく聞かせて貰った。
僕とアイリは今まで家族を護るために戦って来た。けれどその家族の一面しか知らなかった事実に驚かされた。だからエルヴァを探したいというクロとイリヤの願いは、とても良く理解できたんだ。
ましてや母親であるアイリならなおさらだろう。お腹を痛めた子では無いにせよ、向かいのエーデルフェルトに逗留しているエルヴァ君やエルヴァちゃんの事を毎日考えているようだ。
だから眠り続けているエル君の事をとても心配している。士郎が居るので、その存在を明かせないし見舞いにも行けないが、子供達に花を持たせていた。
そして本日、士郎が部活の練習に出た後にエル君が目覚めたと連絡が来た。僕達はセラが用意してくれていたクッキーの詰合せと、フルーツのカゴを持ってお向かいに行った。迎えてくれたのはエルヴァ君だ。
「エルヴァ君、エル君が目覚めたと聞いたんだが」
「はい。食事も終えていますので会えると思います」
それがどういう魔術なのかはイマイチ不明だが、エルヴァ君はエル君がたくさん持つ思考というか意識の一人だったらしい。それが今はこうして一人の人として生きている。
そしてこの子はとても良い子だった。クロもイリヤも大変お世話になったそうで、『お姉ちゃん』と呼んで親しんでいる。今も僕達から離れて、二人はエルヴァ君にべったりだ。
だけど扉の隙間から彼女の本当の妹達が覗いている。それは嫉妬と自慢がないまぜになった面白い顔だった。そんな自慢の姉を譲ってくれている子供達に僕が軽く頭を下げる中で、横のアイリはあからさまに手を振っていた。
当然そうなるとクロとイリヤも扉の外に気づく。
「え!? 皆んな、見ていたの?」
クロとイリヤが恥ずかしがるが、向こうの三人は思ったより余裕だ。何故ならエルヴァ君が三人を招き入れ抱きしめたからだ。そしてその後、我が子達も抱きしめてくれた。
なんて嬉しそうなんだろう。こんなクロとイリヤの表情は滅多に……いや、イリヤに限定しても記憶にほとんどない。仕事にかまけ過ぎたのかも知れない。
家族のためと信じて頑張って来たけれど、こんな表情を見てしまえば……。
その後、エルヴァ君は僕達をエル君の部屋へ案内してくれた。
「目覚めたのね、良かった……」
「わざわざありがとうございます。お父さん、お母様。ご心配をお掛けしました。もう大丈夫ですよ」
パジャマ姿の彼女は僕達を『お父さん』『お母様』と呼んでくれた。アイリはそれだけで感極まって泣いていた。
「でも、どうして二人の呼び方が違うの?」
気になって訊ねてみると。
「ああ……。お聞きだと思われますが、私は8歳まで両親の存在を知りませんでした。知ったのは第四次聖杯戦争の前です。日本へ赴く前に会わないと二度と会えない可能性がある、これが二人と会える最後のチャンスだからと、お祖父様に連れられアハトの城へ行きました。そこで両親と会い、聖杯戦争という儀式を知り、それを調べたのです。それで大聖杯の中身が汚染されているにも関わらず、行かせようとするアハトを殴り、母という存在を犠牲にしても聖杯が欲しいと言うショボい東洋人を血みどろにしてやりました」
彼女の世界の僕は半殺しの目に遭ったらしい……。
「それで叱りつけました。器を別に用意しろと言えないのは、母や姉のイリヤを愛していないからだろうと」
「そ、それを8歳の君が言ったのかい!?」
「はい。この儀式は失敗法でしかない。そこでまずは母の身体にある聖杯を封印し、普通に生きられるよう変質させる施術を行いました。次に姉を。その後、別の器を持って父と既に召喚済みだったセイバーとで冬木に向かいました。他陣営と話し合い、聖杯戦争を起こさせないためです。父には『正義の味方』になれと訴えました」
なんて事だ……。本当に『僕』を止めたんだ。僕はアイリの訴えとイリヤの存在で諦められた。だけど諦めず、後ろを、家族を振り向かない『僕』が居た事を、英霊になったイリヤから聞いていた。
こういう言葉は良くないが、あんな娘を見たら張り裂けそうになる。止まれて良かった。止めて貰って良かった。エル君の父親はなんて……なんて幸せな僕なのだろう。
そして彼女やエルヴァ君の言葉によれば本当にアインツベルンの総裁で、就任してから既に10年が過ぎているという。そこで小さなエルヴァに聞けば、あんな風になりたいとはにかんで話してくれた。
あちらのイリヤが応援したいと言い、クロエが手伝いたいと言った。それを優しく見守るエルヴァ君とエル君。僕はこの奇跡の出会いに感謝した。
「それで、その聖杯戦争を通じて親密になったと言いますか。それから『お父さん』と呼ぶように。ただ、言い難いですが母を『お母様』と呼ぶのは抵抗がありました」
おや?
「あら、どうして?」
「乳母が二人いまして。その二人が私にとっての『ママ』だからです」
「その……お二人に育てていただいたのね……?」
「はい。ですのでお祖父様から買い取り、今も一緒に暮らしています」
何とも不思議な話だが、よくよく聞けば彼女はアイリを嫌っておらず姉のような存在に感じているのだという。だから呼び方こそ『お母様』だが『ママ』ではないのだそうだ。
小さな方のエルヴァも頷いていたので同じような境遇なのだろう。そこのアイリの気持ちを考えれば残念だけど、こればかりは仕方ない事なのかも知れない。
「ところで、エル? お昼はリクエストがありますか?」
「食材は?」
「魚ならイワシにカンパチ。スルメイカとクルマエビもあります。お肉と野菜はいつも通りですね」
「なら海鮮天津飯で白甘酢と赤甘酢の二種がけで」
「わかりました。それなら子供達も食べやすいですね」
白甘酢と赤甘酢?
「白甘酢って? 普通は赤いと言うか茶色いよね?」
「フフフ。白甘酢は白だしとお酒がベースです。白だし2にお酒が2、砂糖が1にお酢が1~2です。対する赤甘酢は醤油・味醂・お酒・砂糖それぞれ1の割合にお酢が2でケチャップを5入れて作ります。ただし以上の割合は目安です。家族の口の好みや肉団子なのか酢豚風の鶏もも肉なのか、イカの天ぷらなのかで配合は変えています」
僕もアイリも驚いた。確かにイリヤやクロからエルヴァ君は料理が上手だとは聞かされていたけれど、これって学生のレベルじゃないよ?
「それで、部屋で食べますか?」
「いいえ、降ります。エルマの手が空いているならお風呂に付かせて下さい」
「わかりました。伝えておきます」
それでエル君がお風呂に向かうついでに僕達もお暇しようとしたら、食べていって欲しいとエルヴァ君に引き止められた。
「良いカンパチなので、お刺身とカマの塩焼きをお作りします」
それでお言葉に甘える事にしたんだけれど、小一時間も経った頃に出てきた料理は凄かった。まずこんなカマの塩焼きなんて家では出ない。刺し身も見事で飾り付けも綺麗だ。お昼なのにお酒が欲しくなる。
子供達とアイリが先に手を付けていた天津飯も、とても美味しそうだ。いや、実際美味しいのだろう。皆んな満面の笑みだし、魚が得意でないアイリがパクパク食べている。
「あんが二種類って面倒な事をしたものね?」
「ですが美味しいですわよ。このような料理は初めてですわ」
「エルヴァさんはお料理上手ですのよ。私やリンの料理の師匠ですの」
「あら。習われているのですか?」
「ええ。今のままですとミユにも負けますもの。そこは姉として譲れませんわ」
凛君と凜君、そして二人のルヴィア君も美味しいと褒めている。しかもあちらの二人には料理を教えているらしい。この腕前なら確かに教えて欲しいという人がいて当然だろう。
そして食後のお茶をよばれてから僕達は家に戻った。
「エルマ?」
「はい」
「エルは気付いていましたか?」
「はい。お風呂に入る前に私の方の『是、ラインの黄金・改』に家財道具は移し替えました。後であちらにアーチャーさん達と伺います」
「良かった。そうしてあげて下さい。それとこちらのルヴィアに渡すクスリは?」
「私の方で取り込んでいた分を、ルヴィアさんの口添えで既に渡してあります」
「すみません、本当に。エルの事で頭がいっぱいだったもので」
「それは無理ありませんよ、お姉様」
「ありがとうございます。それで調査の方は?」
「一昨日の中間報告通り、ここにもエルヴァちゃんは居ました。ですが、衛宮の小父様とノイント様は本当に面識がないらしく……」
「アハトの方は?」
「ノイント様が地下のシステムを運び出したようです。廃墟になった城は空っぽでした」
詳しく聞いた訳ではないが、ここの新都にはそれなりの広さの公園がある。もの寂しく残るワクワクざぶ~んの跡地といい、ビルやマンションの数といい、明らかに私達の冬木より人口が少ない。おそらく数万人規模で少ないだろう。
そして間桐は居らず、遠坂も凛一人だけ。大聖杯はグチャグチャに壊され、呪いの泥も消えていた。たぶんセイバーの宝具だ。それにより霊脈を伝って拡散したのだろう。
凜が言うにはかなり希釈されているようなので、喫緊の危険は無いそうだ。だけどこれに拠って、アルトリア姉さんの座を探る事は不可能となった。
「この世界はもう一度伺うべきでしょうね」
「そう思います。それと凛さんの周辺と桜の行方ですが」
「どうでしたか?」
「やはりあの凛さんは妹が居る事を知らないようです」
「となると赤ん坊の頃に?」
「はい。凜さんのアドヴァイスでエディンバラを探らせました。結果は正解です」
「では、その家に?」
「はい、養子として。家族仲も大変良く、何の問題もありません。そして彼女はもうスコットランド人なのでしょうね」
「日本の記憶もなければ、日本語も話せない?」
「はい」
「これで凛の方だけが憶えていたら悲惨ですが、それもないならそっとしておくのが正解かな?」
「そう思います」
似ているようで全然違う世界なのだ、ここは。