読み手の評価が二極化する原因もそこにありそうですね。
お姉ちゃん達のお見送りで出発した私達だけれど、そろそろお腹が空いた。朝ごはんがまだだもんね。でもパパの計画では、朝ごはんはサービスエリアで食べることとなっていた。
「さぁ、着いた。先にお手洗いに行っておいで」
「クルマにお気を付け下さいね」
「は~い」
それでクルマから出ておトイレに向かおうとしたら、随分ヘンなところに止まっている。周りが観光バスばかりなのだ。
「普通のクルマはあっちじゃないの?」
「小さくてもこれはバスだよ、イリヤ」
「あ~、そっかぁ」
エルヴァに教えられるイリヤ。声に出さなくて良かった~。けれどバス用のエリアの方がトイレに近いんだね。
「どこ、おトイレ?」
「案内板だとここらだけど?」
入ったところは中庭みたいになっていて、パッとトイレがわからない。
「あ、あった。あそこだ」
トイレから出る頃にママ達がやって来た。
「先に入って何を食べるか決めておいてね」
「ここはお肉とネギが有名」
リズは来たことあるの?
「セラと何度かあるよ」
へぇ~。
『お嬢様。量が多いかも知れません。無理をしないで、取り皿を貸して頂きシェアされて下さいね』
ドイツ語だ。
「マアエモさんはなんて言ったの?」
「お皿か器を借りて、三人で分けなさいって」
「そうよ。違うのを二つ頼んで三人で分ければちょうどじゃないの」
「そうだね、そうしよう。あ、これ良いな」
「鹿肉カレーって、あんたはまた朝からぶっ飛んでるわね。それならこっちの鹿肉丼とネギうどんを分けた方が良いんじゃないの?」
「私、それが良いです」
そうしてメニューが決まった頃にパパがやって来た。一服吸ってきたな?
「さぁ、入った入った。ママ達の席も取ってあげないと」
「パパは何にするの?」
「但馬牛の焼肉丼とネギ餃子だよ。ママはネギラーメンだって」
何で朝からラーメン? イリヤのぶっ飛んだところはママ似だなぁ。けどマアエモさんも同じのを選んでいた。これはたぶんラーメンというワードに興味を引かれたからだとエルヴァが教えてくれた。
冬木から南に行ったここいらは、牛肉の産地でネギも特産物だった。また鹿肉なんかのジビエも知られている。だからセラとリズは鹿肉丼を選んでいた。
それとママとセラは、時々この辺りまでお肉を買いに来ているらしい。けっこう分厚いステーキが、タイミングさえ合えばかなり安く買えるそうだ。お野菜も冬木と少し違っていて、セラが言うにはなかなかなものなのだとか。
朝ごはんのあと、ママとマアエモさんとリズは黒豆ソフトを食べていた。私達もそれを舐めさせてもらった。タバコを吸いに行ってるよと言ったパパは、喫煙場所で鹿肉のコロッケを齧りながら煙を吐いていた。
レストランの前にも吸っていたよね? 味、わかるのかな?
クルマに乗る時、ママが後ろに乗ってきた。
「パパは?」
「まだ疲れていないから、後ろで楽しんでおいでって」
それで再び出発した私達は、山の中の道をどんどんと南へ進んだ。そこから高速道路に入って西に進んで、もう1回南へ海まで行く。それでフェリー乗り場まで行って海を渡れば目的地の島だ。
そこにある国民休暇村で二泊三日過ごして、フェリーで違う島へ行き、橋を渡って四国に入る。それからどこかでキャンプを2回して、四国から本州へ橋を渡って帰るのだ。
時間が余れば、帰りに温泉にも入るって言っていたから盛りだくさんだ。エルヴァに良い思い出ができるといいな。
「キレイな景色だね?」
「天気は晴れているけど、山しかないじゃない」
「クロお姉ちゃんはロマンがないね? こういう道をお姉ちゃんの運転で走ったら気持ちいいなって思わない?」
言ってくれるわね。オープンカーで風を受けながら走ったら……。
くねくねと曲がる道路。思わずお姉ちゃんにもたれる私。運転の邪魔になると思いつつ離れられない。
『クロエちゃん、喉が乾いていませんか?』
『乾いた』
『じゃ、あのカフェに入りましょう』
高台にある白いカフェ。そこでお姉ちゃんと向き合って、二本のストローでトロピカルなドリンクを飲む私とお姉ちゃん。さっきまで昼間だったのに、もう夕方だ。
『海が見たいな』
『何なりと。どこでも連れて行ってあげますからね』
『うん!』
「お~い、帰って来~い」
「イリヤ、クロエはどうしたの?」
「私が悪いんだけど、自分の想像の世界に旅立っちゃった」
ざざ~んと波の音が聞こえる。日は沈んだのに、海は夕日の残照で赤い。遠くからボ~ッと船の警笛が聞こえた。励まされたような気がする。だから私は意を決した。
『私、お姉ちゃんが好き!』
『私もですよ、クロエちゃん』
抱き合う二人。お姉ちゃんはそっと私の耳元でこんな事をささやく。
『今日は帰らなくても良いですよね?』
グフフフ……。
「イリヤ、クロエがヘンな笑いを……!」
「あ~。きっと、今一番良いシーンなんだよ」
「お、お姉ちゃん!」
うっわ。クロお姉ちゃんが隣のエルヴァに抱きついてキスをした。
「ク、クロエ! 落ち着いて!」
「クロお姉ちゃん!」
何とか引き剥がせば元に戻った。
「ヘヘヘ……い、良いわね……。イリヤ、ナイスアイデアよ」
ダメだ。自分が何をしたのか憶えていないらしい。
『奥様、これは……?』
「気にしないで。あれも姉妹愛の現われよ。無邪気で可愛らしいわ」
『そうなのでしょうか……?』
絶対に違うよ、それ。
「何を想像したの、クロお姉ちゃんは?」
「あんたにはまだ早い」
ろくでもない事らしい。
「ママ! お姉ちゃんはいつクルマの運転ができるの?」
「帰った頃には取っていると思うわよ。オーギュストさんが引き受けてくれたし。あと3回乗れば良いだけだから」
「でも、その後にもう1回試験があるんでしょう?」
「大丈夫よ、エルヴァちゃんなら」
そうだね。お姉ちゃんなら大丈夫だよね。
「パパはバイクに乗り始めたのがちょっぴり心配みたいだけど。でも、無茶はしない子だわ」
する時はするけどね。イケイケ・モードに入ったらクロお姉ちゃんでも着いて行けないもん。
「けれど、このクルマって後ろが静かで良いわね?」
「静かって?」
「気付かない? パパがず~っとカーステレオを鳴らしているのを」
山の中なのでラジオの電波が入らないらしい。それで予め音楽データを記録してあったCDで音楽を聞いているんだって。パパは昔の音楽が好きだから、きっと古いロックやポップスだろうな。
「皆んなも何か観る?」
「え? 観るって?」
「ジャジャ~ン! なんと、このクルマにはDVDプレーヤーがあって、映画やアニメが観られるのよ。ほら、パパとママとで揃えておいたから」
おお! 棚にはジ◯リや、ネズミーアニメがどっさりだ。
「あれ? でも私やリズお姉ちゃんが持っているのも混ざってる?」
「ううん。イリヤちゃん、それドイツ語吹き替えよ。あなた達が何を好きなのかをエルヴァちゃんに知って欲しいから」
ママ、やるわね!
それで私達はアニメを観たんだけれど、ドイツ語版なのに字幕は日本語を選べた。何これ?
「ノイントのお祖父様がね」
「あ~」
ネズミーに特注したんだ……。1本いくらだろう? そう考えたからジ◯リを確認したら、やっぱりドイツ語吹き替えの日本語字幕があった。
「どうしてドイツ語字幕じゃないの?」
「そっちはお家でね。今後はこうやって少しずつドイツ語も学んで欲しいわ」
あ~、そういう事か。そうだね。今はエメラルドのおかげでエルヴァは日本語を話しているけれど、この子は私達と話したくて日本語の勉強をしている。なら、私達も少しずつ覚えて行かなきゃ。
私達がアニメを観ている間、ママ達は後ろでゲームをやっていた。たぶんトランプだと思う。そしてそこからも小さく音楽が聞こえた。
このプレーヤーもラジオやテレビに音楽のCDが選べる。後ろのも同じだとしたら、運転席も含めると全部で3セットもプレーヤーがある事になる。凄いなぁ。
「次、なに観る?」
「アニメはいいです。もっとお話して下さい」
私とクロお姉ちゃんは顔を見合わせた。そうだね、お話しよう。
それでお互いに今まであった事なんかを、話し始めた。あのイリヤ達の世界でも話していたけど、エルお姉ちゃんの事もあってあまり話せなかったのだ。
「え? エルヴァって、秋から6年生になるの!?」
「スイスでも言ってたじゃない。半年ほど早いんだって」
「でも誕生日が遅いから、結構大変」
「どういう事?」
「だから、エルヴァからしたら、日本で言う2月生まれや3月生まれと同じなんだって。凛が言ってたでしょ。小学生の間は着いて行くのが辛い時があったって」
あ~……言ってた。
「エルヴァ、あなたもお姉ちゃんの妹なら負けたらダメよ」
「はい、クロエの言う通りです。お姉様方には負けられません」
「そうそう、その意気。あなたが私達の中で一番の出世頭で希望なんだから」
「え~」
「『え~』じゃないの。アインツベルンの総裁を目指せとかイリヤには言わないけど、エルヴァお姉ちゃんの半分くらいはしっかりしないと」
「クロお姉ちゃんはキビシイなぁ」
「何言ってんの。あんたが頑張ってるのは知ってる。私も負けないように頑張ってる。けど、あっちは転入してすぐ学年1位だよ?」
そうだよね。お姉ちゃん、賢いもん。あ、そっか。そううするとエルヴァもか。同じお父さんで同じママ。世界は違っても、お姉ちゃんはそれだけ努力したって事だ。そしてエルヴァもそういうタイプなのは間違いない。
「フフフ。楽しそうな事をお話しているわね?」
「ママ」
「これ、な~んだ?」
「何、なに?」
それは穂群原小学校の卒業アルバムだった。
「ホテルで見せてあげようと思ったけれど、そういうお話の流れなら今が良いかなと。これ、実はエルちゃんから私へのプレゼントなのよ」
「え?」
「良く見て。『第◯◯ 穂群原学園初等部 卒業記念』」
「あ! エルお姉ちゃんやイリヤお姉ちゃんの!?」
「そう。このアルバムはエルヴァちゃんのでもあるのよ」
「そっか。エルお姉ちゃんが?」
「うん。これと中等部のと。それと今までの家族旅行や修学旅行などの、あちこちに行ったスナップやビデオをね。全部焼き増ししたりダビングしてくれたの。それをマアエモさんと観たいなって持って来ていたのよ」
へ~、スゴい。それで今はアルバムだけを観る事になった。
「あ、お姉ちゃん。6年1組なんだ。あっちでは男女混合の名字順だから1番って本当だったんだ?」
「あれ? じゃ、イリヤお姉ちゃんは?」
「次のページよ」
「え? あ、本当」
ページをめくるとそこの1番に写っているのはイリヤお姉ちゃんだ。だけど笑い方がクロお姉ちゃんっぽい。前も思ったんだけれど、イリヤお姉ちゃんは超真面目なクロお姉ちゃんって感じなんだよね。
「6年2組だね。違うクラスだったんだ?」
エルヴァもマアエモさんも興味津々で観ている。
5年生の自然教室でのスナップで木の上に登って逆立ちしているのはエルお姉ちゃんで、6年生の組体操のてっぺんでポーズをとっているのもエルお姉ちゃんだ。
イリヤお姉ちゃんは、木の上で泣きそうな顔をしているし、組体操のてっぺんでは腰が曲がって落ちそうになっている。そしてリレーのトップでテープを切るエルお姉ちゃん。
『イリヤちゃん、クロエちゃんと仲良くね。クロエちゃんは良いお姉ちゃんよ。エル? どうだろうね? エルヴァは可愛いと思うけど、エルはなぁ……だって、いっつも比べられるのよ? あんな運動神経バツグンの奴と』
イリヤお姉ちゃん、結構文句を言ってたなぁ。このアルバムを見たら納得だ。どんまい。
するとママがマアエモさんを呼んだ。ドイツ語だ。
『何でしょう、奥様?』
『これ。エルちゃんのはからいなの。あなたに渡してって、2セットあるのよ。どうぞ』
『え……? お嬢様が…………』
それは小学生時代のエルお姉ちゃんが、二人の乳母と並んで写っている写真だった。六つ切りっていうの? 写真館で撮った厚い紙に貼られたちゃんとした写真だ。制服でお花を持ったりしているから卒業式後に撮った写真かな?
マアエモさんと、もう一人の人はアインツベルンのメイド服だ。それは時間が止まったような、ハッとする写真だった。私は思わずエルヴァを見た。
「威厳というのか。お姉様は7歳から総裁だから、5年目なんですよね」
そうなのだ。6年生の最後だから、今の私やクロお姉ちゃんやエルヴァより背が高いだろう。だけどそれだけじゃなく、とてもしっかりして見えるのだ。
その写真はアルバムみたいになっていて、片方は六つ切りでもう片方はその半分のが2枚貼ってあった。全部違う背景で違うポーズだ。
ページをめくるとこれまた違う写真があった。エルお姉ちゃんが卒業証書を広げて眺めているのを、マアエモさんともう一人の人がそれを横合いから覗き込んで微笑んでいた。
真っ黒な背景なのに、浮かび上がったお姉ちゃん達の部分だけ後ろが暖かなオレンジ色。とても凝った写真だった。
そして次のページには皆んなが驚いた。お姉ちゃんの制服が中等部のに変わっているのだ。
「これって、もしかして同じ日に撮った?」
「ええ。撮影したのが4月の終わり頃なんだって。実はママが頂いた方には、もう一冊あるの。そちらにはママやパパとイリヤちゃんや妹さんしか写っていない分があるのね」
「どうして?」
「お仕事だったのかしら? 初等部の卒業式は遅刻ギリギリで、中等部の入学式は出れなかったそうなのよ」
エルヴァとマアエモさんが、困った顔で顔を見合わせた。そういう事なんだ。子供なのに会社をやっていたり一族を率いるって。
私はエルヴァにそんな寂しい思いをして欲しくないな。
「「イックシュン!」」
「エルヴァさん、風邪?」
「この炎天下で? 鼻がくすぐったかっただけですよ。おチビちゃん達、楽しんでいるかな?」
「ああ。天気は良いし、間違いなく楽しんでいると思うぞ」
それだと良いな。やっと念願の家族旅行だから。お父さんもお母様も張り切っていた。皆んなで楽しい思い出を作って欲しい。本当に今日は良い天気だ。
「エル、ゲズントハイト(ご健康に)。風邪?」
「ダンケ。誰かがエルヴァの噂を……」
「そこは自分じゃないんだ?」
「日本に来てそれが不思議だわ。何でニーゼン(くしゃみ)すると噂なの?」
「何でだろうね? 私も今だにわからないわ。けど、そういう言い伝えみたいなのがあるのよね?」
「出どころは中国の『詩経』らしいですね。『一つ褒められ、二つで憎まれ、三つは惚れられ、四つだと風邪だ』って、いわゆる俗信ですよ。英語圏だとこれが七つに増えますね。英国だと『月曜のくしゃみは危険の前兆、火曜のくしゃみは知らない人にキスされる、水曜のくしゃみは手紙がくるしるし、木曜のくしゃみは何か良い事がある、金曜のくしゃみは悲しい事が訪れる、土曜のくしゃみは恋人と良い事がある』という迷信がありますし、北米でも『一つめならキス、二つなら願い事が叶う、三つだと懐かしい人からの手紙が来て、四つならもっと良い事が起きる。だから五つは白銀で、六つだと黄金の価値があって、七つくしゃみが続けば、人にも言えない秘密の願望が叶う』とあります」
「無駄に詳しいわね?」
「ドイツでもあるよね? 確か『一回だけだと凶で、二度なら吉。朝三度続くと、幸運と歓びが訪れ、贈物や手紙が約束される』だっけ?」
「合ってますよ。多分ですけど、くしゃみは咳と違ってホコリで起きる場合もあるので、病気と直結しないでしょう? 悪い方へ転ばないようにという祈りがゴッド・ブレス・ユーやゲズントハイトという言葉になった訳で。昔の人はそれを曜日や朝昼晩と絡めたりして言葉遊びを楽しんだのでしょう。それが広まり今に伝わったのだと」
「ま、それが民間信仰よね。七つで願望が叶うって、聖杯かっての」
「私もそれをご本で知って驚いたなぁ。でも、噂って日本とその中国だけ?」
「古代中国と昔の日本だけですね。『誰が見ずともお天道様が見ている』って発想は、神道でアニミズムが残る日本くらいなものでしょう。東南アジアは仏教とイスラム教ですし、ネイティブ・アメリカンもキリスト教に宗旨変えしている人が多いそうですし」
「ふ~ん」
エルのくしゃみで思い出から現実に引き戻された私は、3人で仲良く新都から深山町まで歩いていた。けれど今日は暑い。ちぃイリヤが熱中症になったら大変だ。
「いい加減、バスに乗ろう?」
「え~、歩くのが楽しいのに」
「あなたは身体がまだまだ本調子じゃないんだから。魔術で外気遮断なんてしてないで、そこのバス停からバスだよ」
「むぅ~」
「何で、この『むぅ~』は全員同じ言い方なのかな?」
この子の姉は言わずもがな、私もちぃイリヤもそうだ。だけどエルもこれが口癖だという。シロウの『何でさ』と同じかな?
「ほら、ここのおチビちゃんのお兄ちゃん。あのシロウも『何でさ』って言う?」
「どうでしょう? 私は聞いた覚えがありません。そこはエルヴァに聞かないと」
「そうよね。あ、ナイスタイミング。バスが来たよ」
そうして私達はバスで深山町まで帰った。
『マアエモさん、この方に見覚えがある?』
『もう一人の乳母ですか。ルオンノタル。お館様の助手ですね』
『ああ、面識はあるのね。どうしてこの方はエルちゃんの乳母になったんだろう? あなたが居るのに』
『何となくですが、年齢差の気がします。私が乳母に抜擢された頃のお嬢様は、まだ培養槽の中で受精卵の状態でした。そこから私は万一の事があってはと、工房も使い魔で見張っていました』
『何かの事故を想定して?』
『はい。アハト様の工房とお館様の工房では違うのかも知れませんが、やはり栄養素や酸素の供給は欠かせなかったと思います』
『パイプ詰まりとかね。あったわ、そういうの。あ、そっか。それを本当ならルオンノタルさんが見張らなきゃならないのね?』
『ええ。もしかしたらですが、あちらの私が乳母になったのは胎児でなく嬰児になった頃かも』
『ああ、そういう意味ね。普通は母親でも子供と対面できるのはそこからだからね』
『はい。何があったとか申せませんが、きっと乳母に抜擢されるだけの事があったのだと』
『そうね』
不思議だ。面識があっても、助手として鋳造された優秀な彼女と、ハウスメイドとして鋳造された私とは接点がほとんどない。
なのに乳母……。あまり考えたくないけれど、あちらのお嬢様には何かがあった。だから研究助手から乳母に……たぶん指名したのはお嬢様だ。でなければ旦那様がお許しになるはずがない。
ご姉妹と仲良く話されている私のお嬢様。それを見ると、こちらに残られたエルヴァ様が気になる。エル様は総裁なだけあって、お館様を彷彿とさせる精神の強固さを感じられる。
それはエルヴァ様も同じはずなのに、どこか柔和だ。ある意味ではお嬢様より柔軟だとさえ思う。お嬢様もそれを感じ取っているのか、エル様をご尊敬申し上げていても、よりエルヴァ様に親近感があるようで贈り物をなさったりしていた。
『ママ、ママ!』
『は、はい。何でしょう、お嬢様?』
『むぅ~、何度も呼んでいるのに』
『申し訳ありません、少し考え事を……』
『お昼はどうするの?』
『フフフ。それも皆さんで決めて下さい。マアエモは今回お休みです』
『もう~』
お嬢様がご姉妹のところに戻られた。そうですよ。そうやってご相談して決められて下さいね。
「材料はあるの?」
「冷蔵庫にぎっしり。これをある程度使わなきゃならないんだって」
と言ってもクルマ用の冷蔵庫なので、そんなに大きくない。
「けど、フェリーの時間とホテルに入る時間があるから」
「そこだよね。やっぱりお店?」
「ところが、これだけ大きなクルマを止められるお店がないらしいのよ」
「じゃ?」
「そう、ここで作るしか無いのよ」
「って事は、ぼちぼち作らないと間に合わない?」
「そういう事ね。だからサービスエリアかパーキングエリアに入って貰って、そこで休憩がてら一気に作るのよ」
「何にしよう?」
「カレーかシチューが無難でしょう」
「そうだね、そうしよう」
それで私達は屋内電話で(これで運転席のパパと通話できる!)、次に休憩するサービスエリアでお料理するから止まって欲しいとお願いした。
結局夏休みで人やクルマが多いので、その次のパーキングエリアに入った。周りは大きなトラックやトレーラーばかりだ。トイレに向かうと、ベンチで寛ぐ運転手さんの会話が聞こえた。
「何日目?」
「3日かな。福岡-大阪で、今は帰りだわ。この後、福岡-東京だけんなぁ」
「ご苦労さん。俺は東京からの帰りだわ。もう、10日は家に帰っとらん」
二人の小父さんは同じ作業着なので同じ運送会社なのだと思う。10日も家に帰っていないって……。
「そういう人が頑張ってくれているから、世の中が便利になったんだよ」
エルヴァだった。
「ヨーロッパでもそうなの?」
「労働環境が日本と違うかもしれないけど、国を3つも4つもまたいで走るからね。スペインや南フランスなんかの暖かいところで採れた野菜を北欧や東欧に運んで、帰りしなにお魚を積んだりして」
「へぇ~」
「ほへ~。ちっこいのによう知っとるわ」
「日本語なんも驚きやけんど、あっちは食料なら冷蔵車が多いんかね?」
「そうやろうなぁ。お国を4つもまたぐって」
「信じられんよな」
エッと思って振り向いたら、手を振ってくれた。だから私達も手を振った。頑張れ小父さん。
「誰に手を振ってるの?」
「あ、パパ。あそこの小父さん達」
「トラックの……休憩中なんだね。さ、手を洗ったらお手並み拝見だよ?」
「うん」
クルマに戻ると、セラとマアエモさんがタマネギやニンジンを切っていた。
「どうして?」
「お手伝いではありませんよ? 時間短縮です」
そっか、フェリーの時間か。
「仕上げは皆さんで」
「わかった」
作って食べて洗い物まで含めたら1時間半が過ぎていた。やっぱり掛かるね。
「エルヴァお姉様ならもっと早いのかな?」
「早いだろうけど、そこまで変わらないと思うよ? 煮込み時間は同じなんだし」
「お姉ちゃんなら、野菜を揚げたりして、そこにレトルトを掛けるんじゃ?」
ちらりとセラを見たら頷いていた。時間短縮に重点を置くなら、お姉ちゃんならそうするだろう。そうすればセラ達の手を借りずに済んだ。しまったなぁ。
出発したクルマは高速道路を乗り換え、一気にフェリー乗り場まで走った。待ち時間の間にもう1回お手洗いに行ってフェリーにクルマが乗り込んだ。
フェリーに乗っている時間は10分ちょいなので、甲板に出て景色を眺めているだけで時間が来ちゃった。パパも喫煙室を探していたら到着だよとボヤいていた。吸い過ぎだって。
クルマが目的地の島に上陸した。ここはウサギがたくさん居るよってお姉ちゃんが教えてくれた。だからとっても楽しみだ。フェリー乗り場に降りると、パパがクルマを駐車場に入れた。
「どうしたの?」
「うん、島内通行禁止でね。ここからは歩かないとダメなんだ」
まぁ、それも良いかと必要な荷物を降ろせば、エルヴァが全部エメラルドに取り込んでくれた。冷蔵庫の中身も全部だ。
「助かるなぁ。これで冷蔵庫のガスを無駄にせず済むよ」
「便利ねぇ。ルビーちゃんは出来ないの?」
『ママさん、私には無理ですよ~』
左手に海を見ながら歩くと、カーブの先に砂浜があった。
「あそこがキャンプ場ね」
へぇ~。するとすぐ目の前に建物があった。
「びじたぁせんたぁ?」
「クロお姉ちゃん、あっち! ど、ど、ど……」
「何よ?」
「毒ガス資料館ね。ここは戦争中、毒ガスの研究所があったらしいわ。山の上には砲台の跡もあるそうよ」
「そこが今はウサギの島?」
「そう」
昔は怖いところだったのね。あ、あれだ。正面に宿舎が見えた。思ったより近い。宿舎にチェックインすれば部屋に入ってまずは予定確認だ。
「え~と、今日は夕ご飯まで、このままゆっくり。明日は朝からテントを建てて午前中に海水浴。午後は自由時間か」
「テントで泊まらないの?」
「それは明後日からだよ。四国のオートキャンプ場を予約してあるからね。だから明日は、日除けのタープを張るだけだ。言ってみればビーチパラソルだよ」
「で、パパはビールを飲んで一眠りするのね?」
「運転で疲れているんだから、明日だけは勘弁してよ」
まぁ、今日と明日はゆっくりして貰おう。明後日からまた運転だからね。
「あなた、私達お風呂に行って来るわ。子ども達をお願いね?」
「え?」
「は~い。パパのお相手をしておくから」
「よろしくね、クロエちゃん」
「え? 立場が入れ替わってないかい?」
「良いの良いの。はいはい、タバコを持って。ウサギを見に行こうよ」
「仕方ないなぁ……」
そこで僕は子ども達と一緒に表に出たんだけれど。本当にウサギだらけだ。ハハ……追い掛けられて慌てるイリヤ。ウサギを抱こうとして逃げられるクロエ。ウサギの後ろを一緒になって跳ぶエルヴァ。なんて穏やかなんだろう。
そうだ、クルマの冷蔵庫にあった野菜。あれを少しエメラルドに言って出して貰おう。
「イリヤ、クロエ、あれ」
「え? お父さん?」
「パパ、めっちゃ癒やされてる……」
パパはウサギに囲まれ何かを配っていた。地面に座り込んでニコニコしている。
『ええ。士郎クンから相談を受けてその島を紹介しました。何故かって? お父さんが一番癒やされるからですよ』
お姉ちゃんはパパの事をよくわかっていた。きっとママ達がお風呂に行ったのもそういう事だ。素の自分を出せるように放おっておいたんだ。
『パパって動物好きなの?』
『それはもう。そんな事はないって顔をしていますけど、イヌとかネコとか大好きですよ。お母様やセラさんが反対しても、あなた達がネコを飼いたいと言えば賛成してくれます。実はそういう人なのですね』
エルヴァが笑ってパパのところへ駆けて行った。それでパパから分けて貰った野菜をウサギに配っていた。二人を見ていたらジ~ンと来た。
「イリヤ、私達も行こう?」
「うん!」
「そんなに慌てないの、クロエ。あ、イリヤは食べすぎ!」
黒っぽいウサギに真っ白なウサギ。その子らに人の名前を付けて呼んでいるエルヴァ。だけどパパはとても嬉しそうだった。ま、いっか。
ウサギと思いっ切り遊んだ私達は部屋に戻った。するとママ達も戻っていて、また写真を見ていた。そこにはウサギを抱いている美遊とお姉ちゃん達が写っていた。
「あ、この美遊って?」
「お姉ちゃん達の妹の美遊だろうね。どう見ても5年生に見えないもの」
「だね」
「これって、高校に入ったばかりの頃みたいよ。ほらこっちは……」
それぞれウサギを抱いているエルお姉ちゃんとイリヤお姉ちゃんで、こっちは5~6年生くらいだ。そうか、何回かここに来ていたんだ。だからパパの癒しになるって……。
だってお姉ちゃん達のパパがすっごく優しそうな顔で写っていたから。
「これがエル君達のお父さん?」
「鍛えているわね?」
「だね、僕とは思えないよ。正直、悔しいな……」
そうなのだ。水着の上の筋肉がスゴいのだ。アーチャーのお兄ちゃんに負けないくらいあると思う。
「あ、ママとマアエモさんだ」
「あらまぁ、お揃いの水着なのね?」
マアエモさんが目を丸くしている。この写真はきっとエルお姉ちゃんの作戦だ。エルヴァお姉ちゃんは知っているのかな?
「あれ? これはセイバーさんじゃないよね?」
「それがエル君やイリヤ君のお姉さんのアルトリアさんだよ」
私達が自然教室で会えなかった、お姉ちゃんのお姉ちゃん。その人がパパと一緒にビールを飲んでいる。その横には妹の美遊と遊んでいる、巫女さんのイリヤさんも居た。大家族だなぁ。
そこからミニ・アルバムに挟まれた写真をたくさん見た。どれもこれも皆んなが幸せそうに写っている。
「キリツグ! 写真とビデオ!」
「ああ、持ってきているとも」
「たくさん残してあげましょうね」
「勿論さ」
そのミニ・アルバムは年代別になっていた。3年生、4年生、5年生、6年生。小学校の間はこの4年間。自然教室に修学旅行に運動会。全部揃っている。
アルトリアさんやあの王様は最初から写っていたけど、アーチャーのお兄ちゃんや巫女のイリヤさんは6年生からだ。
そして中学の1年、2年、3年。キャンプファイヤーで何かをやっていたり、班の人と料理をしている写真。1年生の春から3年生の冬までたくさんあった。
それを過ぎて、次は高校の1年と2年だ。エルお姉ちゃんはなんとロックバンドでギターを弾いていた。
「キーボードもだよ?」
本当だ。それにイリヤお姉ちゃんもキーボードを弾いていた。ほんっとに何でもするんだね?
バイクでツーリングに行った写真や自転車で走っている写真もある。市民マラソンで走っている写真も空手着で型をとって構えている写真もあった。
「何だかエルヴァちゃんの全部がわかったような気分」
「ママ、これはエルお姉ちゃんだよ。私達はエルヴァお姉ちゃんとの思い出を残そう?」
「そうよね。それでまずはあなた達からよね」
「うん」
そこから休憩を挟んでパパに、ウサギと写真を撮って貰った。浴衣姿のママ達も写ったし、交代してパパとも写った。ビデオをずっと撮っていたセラは、エルヴァとマアエモさんの写真もパパにお願いしていた。
同じメイドとしてマアエモさんが遠慮しているのを気付いちゃったんだね。ママがしまったって顔をしていたから。
撮影が終わればちょうど晩御飯だった。
「ビュッフェスタイルで、今時期はタコだね」
食事場所はバイキングで本当にタコだらけだった。パパはタコの天ぷらにタコの塩辛を取ってビールを頼んでいた。ママはマアエモさんにあれこれとドイツ語で説明していた。
そして楽しい晩御飯が終わったら、次はお風呂だ。
『お嬢様をお願いします』
うん?
「エルヴァちゃんはあなた達とは何回か一緒だったと思うけれど、ここは一般のお客様も居るの。わかるかしら? ヨーロッパでは大勢の人が一緒のお風呂に入る習慣って無いのよ。そういう場所では大抵水着着用だからね」
あ~……。
「昔、奥様に誘われて公衆浴場に入って悲鳴が出ました……」
セラもそうだったんだ……。
「お姉ちゃんとお風呂に入ったら、こうやって入るんだよって教えてくれた意味がやっとわかった」
「お風呂のマナーでしょう? それをあっちの美遊の家で、イリヤもエルヴァに伝えていたじゃない。大丈夫だって」
だけど脱衣場で色んな人が居るので、やっぱりエルヴァは驚いていた。でも私達がササッと脱いでお風呂場に向かったら、勇気を出して着いてきた。
言葉? タオルでエメラルドを包んで入ったのよ。
「ルビー、盗撮したらお姉ちゃんに言うからね?」
「アルさんに引き裂いて貰おう。エルお姉ちゃんに頼めば次のルビーもすぐ手に入るだろうし」
『ヤ、ヤメて下さい。大人しくしていますから……』
結局、普通に大人しく入って身体や髪を洗って、普通に出てきた。
「緊張しちゃった……人前で裸になるって勇気がいるね?」
「あ~、そうかも。でも、慣れだよ。日本はそういうのが普通って言うけど、やっぱり自然学校で恥ずかしいっていう子も居たしね」
「うん。それでそんな子でも最後は普通だったよね?」
「う~ん……言ってる事はわかるけれど。それをして『普通』って言われるとヘンな気持ち」
「……そうだね。言い方が悪かったわ。お姉ちゃん風に言うなら文化の違いだよ。ワクワクして楽しんだ者が勝ちなのよ、エルヴァ」
「あ~、楽しんだ方が『勝ち』か。お姉様らしい話し方だね。納得」
「あなたもお姉ちゃんと同じタイプでしょう? 私もそうだからわかるのよ」
部屋に戻ったらパパがお風呂に行って居なかった。明日も早いから私達は先に眠った。
アルバイトを終えて家に帰ったら、玄関のライトの下でエルが自転車を調整していた。寄って来る蚊や羽虫が、エルの使い魔に次々と食べられている。
「私の蟲を食べたりしていませんよね?」
「ん~、匂いでわかるでしょう」
彼女から食わせたりはしてないだろうけど、何匹か食われた可能性はあるな……。
「コリブリばっかり?」
「ええ、子ども達に心配を掛けましたからね。お詫びです。それと……」
「それと……?」
彼女の後ろにはプジョーのPA25とUO18?
「どうしたのですか?」
「新都の自転車屋さんの天井にぶら下がっていました。フランスから手に入れた中古と新古品だそうです」
本当だ。PA25が随分と綺麗だ。だけどUO18もシャンとしている。
「PA25は持って帰りますが、UO18はあなたのお姉さんに。セイバー達には食事で。それで良いですか?」
「あ、ありがとうございます」
「安心しましたよ」
「え?」
「英霊のイリヤさん。とても良い人で。巫女の姉さんがべた褒めでした」
この『褒める』というニュアンスは伝わりにくいと思う。巫女の姉さんは7年も聖杯の中に閉じ込められていた。そこでの経験があの人を大きく変えたみたいで、楽天家なのに内面はとても大人なのだ。
そしてそれは英霊の姉さんにも言えた。きっと出逢った瞬間に『認めあった』のだと思う。そして……。
「そんな褒められるものでもないけどね」
帰りのバスが同じなんだから、当然一緒だ。だけどそれくらいでエルは動じない。
「ちょうど良かった。こちらの自転車を受け取って頂けませんか?」
「どうして?」
「ご心配をお掛けしたお詫びに」
しばしの躊躇と逡巡の後、姉さんはこんな事を言った。
「それであなたの気持ちがスッキリするなら喜んで頂くわ。でもね……お詫びをすべきは私よ。ゴメンね。あの時、エルヴァを守れなくて」
「いいえ。その点はエルヴァのミスであって、イリヤさんのミスではありません。空間転移・空間跳躍、これらの魔術が理性なき者には使えないと高を括っていたのは紛れもない事実です。そしてそれは私も同じでした。だから、エルヴァを救うために特大の魔術を使いました。この子にはもう新たな両親と妹達や弟だけでなく、セラやリーゼリットという家族も居る。それだけでなく、凛やルヴィアにマルガリータさんという友人も居る。何よりあなたという姉が居る。今後もこの子と一緒に走ってあげて下さい」
自転車なのか人生なのか。私は英霊の姉ともども、新たな姉となってしまったかつての自分に頭を下げた。
部屋に戻りバッグから、アルバイトで着ていた水着やタオルにTシャツを洗濯カゴに放り込んだ。
「あの子はどういう人生を歩んで来たんだろうね?」
「以前も話した通り、相当記憶を弄られたり削られています。かつての自分とは思えません。わからない事だらけです」
「そう……。あの『精神の旅』って、何だったんだろう?」
「それもわかりません。でも、本当の事なのでしょうね」
「だよね」
「姉さん?」
「何?」
「一度、元の世界に戻ろうと思います」
「それで何かが埋まるなら反対はしないわ。でも、あのお姉さんのイリヤとは……」
「コンフリクトですね。ですけどご挨拶程度に会うだけで、本当に会いたいのはかつての仲間です」
「あなたと同じく、彼女の分割思考の産物だった人達ね?」
「はい。ですから行き先はドイツです」
「ほぇ? その会いたい人達はドイツに居るの?」
「はい」
「なら、着いて行くよ」
「ええ、お願いします」
あの世界から帰って以来、私と姉さんは同室で暮らしていた。着替えの衣類はご自分の部屋だが、片時も私から離れない。それが煩わしいかと言えばそれもない。
以前なら困ったと思うけれど、姉さんが私を心配するように私も姉さんが心配だ。この人は私を救けるためなら、何の躊躇いもなく自分を対価にするだろう。
エルはそれを見越して、ああいう大魔術を使ったのだ。そしてその事を姉さんも理解している。天然を装っていても、どこまでも賢くて、自分を犠牲にできる割り切りの良さ。
その本質は巫女の姉と同じだ。『本当の意味』で、並行世界の同一人物ではないかとさえ思う。それをお互いに感じ取っているのだろう。だからこんな事までわかってしまう。
「私、明日は休みなのよ。ちぃさい方のお姉さん、借りても良いかな?」
「私に許可を求められましても」
「ン? そうね。じゃ、巫女のあの人に話そう。ちょっとお出掛けしたいのよ」
「何を企んでいますか?」
「企むって、人聞きが悪いわね? 楽しい事よ。せっかくだからさ」
「わかりました」
姉を部屋に残して厨房へ行けば、マルガリータさんとエルが料理をしていた。料理長のニコさんや士郎クンも休みに入っているので、エルの自主行動は正直助かる。残っているメイドさん達の食事があるからね。
さて、本日のメインは豚バラとナスの旨辛炒めだ。豚バラは片栗粉でコートし、ナスは素揚げしておく。この時、しっかりはたいて片栗粉を最小限に抑えるのがコツだ。
この豚バラの片栗粉コートは、豚キムチや生姜焼きにも使える。タレが良く絡むので、手間を惜しまずやってみよう。そして彩り用に半分に切ったプチトマトも一緒に炒め、味醂・砂糖・醤油に豆板醤を絡めたソースを仕上げに掛ける。
中華鍋一つで作れる中華じゃない炒めものだ。お皿にレタスを敷き、その真ん中に盛り付ければ完成だ。
マルガリータさんは東南アジア風味付けのたたきキュウリを作っていた。ピリ辛に輪切りの唐辛子を入れても、ゴマ油で和えずナンプラーで仕上げてある。添えられた新タマネギのスライスが爽やかだ。
で、エルはと言えば、一口大に切ったサバのカレーソテーだった。フィレにまで捌いたサバをキッチンペーパーで拭き取り、一口大に切る。それをポリ袋に入れ、カレー粉と薄力粉を入れ馴染ませる。
粉が万遍なく行き渡ったら、オリーブオイルを引いたフライパンで焼くだけ。ヘタな味付けは要らない。輪切りのトマトを敷物にしてサバを盛り付け、乾燥パセリを振り掛ければ完成だ。食べやすいのでお魚が苦手な子供でも向いている。
ちなみにムニエルは小麦粉の衣付き焼き物で、揚げないで焼くカツレツだと思えば良い。皮目や表面を少し固めにバターで焼いて、中の水分と旨味を残す事が重要。だから焼くには火の加減やフライパンとの距離などコツが必要だ。
ソテーは小麦粉を使わない焼き物で炒めものという意味に近い。強火でフライパンを振って焼くので、野菜炒めのイメージだ。そして最後のポワレは、皮目を重点に焼いて身をふっくらとさせた物だ。
こうして並べると、干物の骨の際、あれを調理法で狙っているのが良くわかる。サンマの開きで背骨に残った方の僅かな身。あれが究極のポワレだと私は思うのだ。
お味噌汁はオクラとミョウガ。これもエルが作った。食堂に皆んなが集まった。さぁ晩御飯にしよう。
「どうした? 皆んな、随分と食が細いな?」
「これは一体?」
「どうしたのでしょうね?」
何時も元気にがっつくモードレッドとランサーの箸が進んでいない。それを訝しがるシロウとセイバーにランスロット。
「ヘラクレスにヤラれたのだろうさ」
「少年、私は勝負を挑んだ覚えは無いぞ? お代わりを頼む」
「オッサン……」
「まだ食えるのか……」
実情に想像が付く2番目は、私と顔を見合わせ溜息を吐いた。
「モードレッドよ、彼の偉大さはこんなものではない。豚丼12杯にハンデで白飯12杯。あの量を12回は繰り返す。それが彼ですよ」
「も、もう相手にしねぇ……」
「負けたのですか! モードレッド!?」
声を荒げたのはエルヴァのセイバーだ。アルバイトで彼の偉業を見ておらんからなぁ。しかし、事前にヘラクレスの量を聞かされていたのか、本日の内容を聞けば大人しくなった。
まぁ、そうだろう。誰のリクエストだったのか。今夜は山盛りの唐揚げなのだから。それも胸肉ばかりだ。
皮を剥き筋肉繊維とは直角にそぎ切りされた肉は、前日の夜から下味に漬け込んである。それも定番の生姜にニンニク醤油だけでなく、黒酢を加えたものや、塩麹に漬けたものもある。
敢えてスティック状に切ったものもあった。これにフライドポテトを添えれば子供に受けるだろう。
「よくもまぁ、これだけ色々揚げるものだな?」
「手を抜かないのは言わずもがなだが、バリーエーションが多いのはシロウの特徴であり趣味だな」
「趣味? まぁ、ここまでやるなら料理が趣味というのは納得だが」
「違う違う。作るのは趣味ではない。食べた人の笑顔を見るのが趣味なのだ。ちなみに2番目のあいつはレシピを考えるのが趣味だ。これは妹のエルの影響だろうな」
「では、貴様は?」
「アルトリアの笑顔を見る事だ」
「言ってろ」
「フン。しかしこのオーソドックスな生姜とニンニク醤油でも、何かが違うのはわかるだろう?」
「ああ。漬け込み時間だとか、下処理段階で麹か重曹で揉んだのかとか、思い付く事はあるが……。今一つ読めんな?」
「だろう? 答えは隠し包丁だ」
「唐揚げの下拵えで?」
「そうだ。それがあるから下味の漬け込みが生きるのさ」
タネを明かせば簡単な事だ。だが同時にその難しさにも理解が及ぶだろう。胸肉なのに柔らかくジューシー。それを隠し包丁だけで成し遂げようと思えば、筋繊維のどこをどの程度切るのかを熟知しなければならない。
そうなると胸肉の大きさや筋繊維の走り方で、唐揚げの大きさも変えねばならん。つまり似たような大きさにしたければ、仕入れの段階から肉を見極めなければならないのだ。
そして唐揚げに邪魔となる、肩に近い部分はバッサリと落とす。それはフードプロセッサーでスープの具にしたり、後日ハンバーグのタネに使ったりする。
と言うか、見栄えがよく美味しい部分は人様に出して、自分はそういう端っこばかりを食う。それがシロウだった。
実際、賄い料理がウマそうに見える店はチラホラあるものだ。そういう店の腕は高確率で高い。そして、そういう店で料理を食えば自分の視野が広がる。
2番目のあいつは姉(巫女のイリヤ)と二人で、いつもそういう店に出入りしている。そうやって新しいレシピを見付け出す参考にしているのだ。
私も二軒三軒と回ってそういう事を調べたいのだが、アルトリアの大食いで大抵一軒目で終わってしまう。残念だがこれも仕方のない事なのだろう。