朝食を終えてエルヴァを見送った私は、ちぃさなイリヤを散歩に誘った。巫女のあの人の許可は頂いている。
『エルが再調整したのでしょう? どこまで運動が?』
『そう心配しなくて良いわ。昨日は新都からここまで歩いて帰れたし、ほんの少しなら走れるようになっているから』
『走れるんだ?』
『駆け足程度で20mくらいだけどね。それでも大したものだけど』
我が身を振り返ればその通りだと思う。
第五次のあの頃は、身体の7割が魔術回路であり令呪だった。走る事も運動する事も想定されていない、儀式のための『器』だったのだ。
それも四騎が限度で五騎を超えると人として機能しなくなる。三騎だったお母様よりは進化したのかも知れないけれど、それでも欠陥は欠陥だ。
「どこに行くの?」
「うん? ありふれているけれど、面白いところ」
「ありふれているけれど、面白いところ?」
「そう。ところでイリヤは動物が好き?」
「イヌは大丈夫だけれど、ネコはイヤ」
「わかるそれ。けどね」
「けど?」
「英霊になっちゃうと、そうも言ってられないのよ。敵がネコを抱いていたらどうする?」
「令呪で……。あ~、もったいないね?」
「でしょう? だから平気って事はないけれど、イヤだとか帰りたいとか思わなくなっちゃった」
「そうだよね。言ってられないものね。あなたは聖杯戦争に召喚された事があるの?」
「凜の魔法で並行世界には何度か行ってるけれど、召喚はなかったわ」
「じゃあさ、もしもだよ? 喚ばれたらどうする?」
「アーチャーだからね。そうね。凛をからかいつつ、シロウとの同盟を促して、そこのイリヤを救けてあげてってお願いするかな?」
「それで、キリツグの事も誤解だよって教えてあげるのね?」
「そうそう」
「あなたも優しいんだね。 あのイリヤにそっくり」
「うん?」
「巫女をやっているイリヤよ」
エルヴァも言ってたわね。そんなに似ているのかな? 通づるものはあると思うけど。
「彼女はいつから巫女さんを?」
「ん~。イリヤやエルが中学生になってからだって」
「へぇ~。どうしてか理由は知っている?」
「うん……」
「秘密なの?」
「ううん。そうじゃないけど、あんまり言っちゃいけないような気がする。でも、あなたなら良いのかも……」
うん?
「え~とね。シロウじゃわかんないか。2番目の」
「ああ、彼。それが?」
「うん。あのシロウは、もう座が壊れ掛かっていて消えちゃう寸前なんだって。だから、エルと出会わなかったら消えていたの」
「え? 座が壊れる?」
「うん。100人だったかな? それくらいのシロウが集まって英霊になっているの。でも、皆~んな消えていって。残ってるのが、たぶんあのアーチャーだけなんだって」
「じゃ、もしかして巫女さんをやっているのは願掛け?」
「うん。弟が消えないようにお願いしてるって言ってたよ」
そうか。それで冬木の神社に……。
「7年だって」
「何が?」
「大聖杯を閉じて中に7年も居たの」
「周りがアンリ・マユなのに?!」
「そう。初めて聞いた時、私も驚いちゃった。それでシロウ……じゃない、アーチャーやバ……ヘラクレスが彼女を守ってくれたんだって」
「もしかして、元の身体は?」
「溶けて消えちゃったらしいわ。それでギリギリのところでエルの宝具に入ったんだって」
「そうだったの……」
人前でシロウと呼ぶなと言われてるのかしら? ヘラクレスと言い直したのは、エル達に叱られるからだろうね。けれどあのアーチャーがそんな事に……。
どこまでも『お姉ちゃん』なんだなって思ったら、親近感が大きく増した。やっぱり似ているんだね。
「それで彼は大丈夫なの?」
「うん、エルが元気な間は大丈夫だって。それにエルもその後の事を考えているよって言ってた」
軽いなぁ、この子。けれど取り敢えずはOKか。
「それで本当はどこに行くの?」
「そこの角を曲がったところよ。大きなイヌがいっぱい居るから」
「本当に?!」
「本当、本当」
「わ~い!」
うっわ。今どき『わ~い』なんてマンガみたいに言う子が居るの……? ってか、昔の自分がそうだった……。
「え? ダブイリ?」
「ちょっとエルマ?」
そう、ここはエルマのアルバイト先だったのだ。
「イリヤさんは知ってるでしょう? その従姉妹のイリヤさんだよ、桜」
「は? どうして……こう、皆んな判子を押したような……」
「それ、エルマの影響? 何気に失礼だけど」
「いえ。トロンメルの影響です」
「わ、私なの?」
この三人は仲が良いわね。
「実はこの子にイヌを見せてあげたくて」
「ああ、それで。どうぞ庭の中に。ただ、花壇とか置いてあるものには触れないで下さい」
それでエルマが声を掛けたら大型犬が5匹くらい現れた。どの子も吠えないし尻尾をフリフリで人懐っこい。
「うわぁ~」
大喜びだ。正解だね。それでイリヤとイヌの戯れを30分くらい眺めていた。
「あの人のためっていうのはわかりますが、いきなりどうされたんですか?」
「最近、桜と会ってないから元気かなって」
「大丈夫ですよ。トロンメルとも仲良くなったし。お姉様から?」
「ううん。私の思いつき」
そこへ桜とトロンメルが、冷たい麦茶を入れてきてくれた。それを頂いて、イヌ達とサヨナラして堤防伝いに帰った。すると堤防の上を英雄だったはずの人が真剣に風になって走っていた。
「ランサー!」
「バカ! 大声を出すな! 見付かったらどうすんだ?」
ランサーが私達のところに降りてきた。
「ん? そこだ。そこの横道に入ろう」
「どうしたの?」
「オッサンだ。ヘラクレスのオッサンがラーメンを食いに行こうって……」
「行って来れば良いじゃない。昨日奢ってもらったんでしょう?」
「ちっこい嬢ちゃん、無茶言うな。それでえらい目にあったんだぜ?」
それで昨日あった事をランサーが教えてくれた。
「ヘ、ヘラクレスってそんなに食べるの!?」
「うん」
元マスターなのに、そんなの初めて聞いた。そこまで大食いだったとは。
「絶対に今日も大食いチャレンジだぜ」
「どうかな? 昨日でランサーやモードレッドの限界を知ったんだから、今日は違ってたと思うな」
「そうなのか?」
「うん。たぶんね、今日は量じゃなく辛さで競ったと思う」
「辛さ……? あのオッサンはマーボーとか好きなのか?」
「マーボー? ああ、コトミネの? あんなの序の口よ。張りがあって食用に一般的なレッド・ホット・ペッパーでしょう? シロウが言ってたよ。あいつのマーボーは辛い物好きならまだ食べられる、ウマミのある範囲だって。何だっけ? あ、そうそうハバネロだ。ああいうシワクチャなレッド・ホット・ペッパーになると、辛さの先に苦味があってあまりオイシくないんだって。けど、ヘラクレスはそれも平気みたいで。よく激辛料理にチャレンジしているよ」
「何だって!? あの……オッサン! 本当に無敵か!?」
ランサーが言うには、モードレッドは捕まって引きずられて行ったそうだ。それを彼だけは野生の勘で回避したという訳だ。
路地を抜けるとラーメン店があった。エルヴァに教えて貰ってから、私も時々利用しているお店でかなり美味しい。新都でなく深山町のこんな住宅地で、鶏白湯のクリーミーで上品なスープを提供している。
一杯800円と少々値は張るが、市外の人も通う名店だった。並行世界だと他の市で出店していて、エルの世界だと新都にあるらしいが、どこも行列が凄いらしい。
「ランサー? 奢ろうか? あそこは美味しいって有名なんだよ」
「お、良いねぇ」
それで私達はラーメン店の暖簾を潜った。イリヤのあまりはランサーが引き受けてくれたので、鶏白湯二つと鯛ダシを券売機で選んだ。
鯛ダシは私だ。いつもの鶏白湯はイリヤとランサーにお任せだ。10分ほど待って出て来た鯛ダシは、さっぱりしているのにコクと旨味があってとても美味しい。エルヴァが言うにはアサリのダシも入っているそうだ。
「あ~、美味しい」
「いや、ウメぇよこれ。安っぽさが無いな」
「うん、上品な味だね。オイシいよ」
「そっち、一口良いか?」
「どうぞ」
ランサーが私のラーメンからレンゲでスープを掬った。
「ウメぇ。このさっぱりした味も良いな?」
「でしょう?」
「私にもちょうだい」
「どうぞ」
食べ終えた私達は大満足だった。
「暑い~。オイシかったけど暑い~」
「そこが良いんじゃない。体温調整は苦手?」
「そういうのヤメとけ。ルーンで風を送ってやっから」
「うわぁ、涼しい~」
「悪いわね?」
「構わねぇよ。こっちこそ悪ぃと思ってんだ。奢らせちまって」
「良いわよ。私も元はヘラクレスのマスターだったからね。何だか悪い気がしちゃって」
「ヘヘ。オッサンが悪気ないのはわかってんだ。けどなぁ、桁外れなんだよなぁ」
「だよね」
家に帰るとランサーは裏庭に戻った。かなり機嫌が良くなったようだ。シロウが刺されたり色々ある関係だけど、私個人はあのさっぱりした性格が嫌いではない。
それに今は仲間だし、何より『イリヤ』の体調を気遣ってくれたのが嬉しかった。やっぱり彼は魔術師としても一流だった。ラーメンを啜りながら、あの子の魔術回路などが変化しつつある事に気付いたようだ。
これがエルの調整なのだろう。『イリヤ』はもう『人間』だった。その事が私は堪らなく嬉しかった。
家屋に入ると、エルと巫女のイリヤがアーチャー達と掃除をしていた。
「クリーニングするものはありますか?」
「あるけど、悪いよ」
「構いません。一緒にした方が手間が省けます」
それで部屋の鍵を開け、私やエルヴァの洗濯物をお願いした。すると巫女の彼女が入ってきて掃除を始めた。
「いや、そんなのしなくても!」
「良いから、させて? それとも可愛い妹の部屋に入って欲しくない?」
彼女は少し笑みを零し、こう言った。
「クローゼットの中まで掃除しないから。イリヤのためにありがとう。ラーメン美味しかったって」
「昔の自分もああだったんだよね」
「そうね。でも来年の春から中学生なのよ」
「やり直すんだ?」
「うん。良く決心したなって思うわ」
「友達がたくさんできると良いね?」
「ね? 運動も少しずつ出来るようになって来たし、これからよ」
そうだ。あの子にはこれからがあるのだ。それはなんて素敵な事なのだろう。
「エルは凄いね?」
「うん。でも、時々ぶっ飛んでわけのわかんない事をするのよ」
「フフ、そうだね。でもあなたみたいな人が居るなら安心だな」
「そう? お互い、苦労してそうな顔をしているから?」
笑って流すのが正解なのだろう。でも笑えない重みがこの人にはあった。一体……?
「記憶を流そうか?」
片目を瞑ってそんな事を言われた。エルヴァの事を思えば抗い難い誘惑だ。だからOKした。記憶の交換。終わった後、やって良かったと思えた。
「顔の似た別人でなく、本当に私と同じタイプなのね?」
「そうかも」
「ああ、エルの事は詮索しないであげて。あくまでもエルヴァのためを思ってだから」
「うん、わかってる。あの子、記憶を削られている事に気付いているよ?」
「でも背負うべきはエルであってエルヴァじゃない。その事も理解できる子でしょう?」
「そうね」
「だから、遊びにいらっしゃい。ドイツでもどこでも案内してあげるわ。それにあっちのアハトは生きているわよ」
「端末もって意味?」
「そう。あそこの土地も広いからね。出城じゃないけど城から離れたところに小さなお城があって。今はそこで静かに暮らしているわ」
うん?
「敷地と城も、今はイリヤが相続しているの。あの子が領主なのよ」
エルやエルヴァの姉の事だ。それで、冬木の森はエルが相続していた。そうか……。
「それに城で働かされていた大勢のホムンクルスも、2年掛かりで延命処置したり身体を入れ替えたりして、今は皆んなアインツベルンのどこかの家か、エルの会社のどこかで働いているわ」
「全員の面倒を?」
「うん。身体を入れ替えた人の中には、結婚されて子供を産んだ人も居る。記憶から見えたでしょう?」
見えた。イリヤが手縫いの靴下や手袋を贈り、エルだけでなくミトやパミがそれを配りに行ってる。それは東欧であったりロシアであったり……皆んな皆んな幸せそうだ。
そしてどうやって旦那様を見付けたのか、子供は皆んな魔術回路が豊富で。エルだけの百家が揃いつつあった。
「あのアーチャーって……?」
「そう、エルが居てこそなの。シロウの記憶も存在も。だからエルを構成する要素が欠けたら怖いの」
構成する要素と聞いてカチンと来てはイケない。この人はリアルをリアルとしてちゃんと受け止めている。その上で周りをきちんと見ている。
ロシアの奥地であった様々な冒険は、アーチャーの自我を取り戻し、この人との確かな絆となった。
「だから、エルヴァに会いに来たのよ」
とても優しそうな顔でそんな事を言う。とても優しく奥深い。
「奥深い? そんな事はないわよ。イリヤと同じ。エルの影響だわ。それとドイツのアホ妹の」
ミトの事だ。そのロシアの大霊脈開発と並行して行われたオーストラリア沖の海底霊脈開発────。
バルト海や北極海に沈めた光ケーブルや、ガスパイプの工事と並行して行われた海底霊脈開発を通じて、今のアインツベルンは押しも押されぬ全世界で一番の魔術一族となった。
あの時計塔────魔術協会が、エルの一言で右往左往するそうだ。
そして現在のイヴ有限会社グループは18歳になったパミがCEO(最高経営責任者)兼、COO(最高執行責任者)となって組織を運営し、ミトがCSO(最高経営戦略責任者)となっている。
5~6年前の彼女達を支えてきた社長達は取締役になり、一部は今までの部門の会長として今も働いていた。
「それで私とヘラクレスにシロウの3人は、エルが経営しているイヴ人材派遣会社に登録していて。トラックの大型免許と牽引免許なども取らされてさ。時々スポットで貨物を運んでるわ。主にシロウだけどね。それとあっちのランスロットもミトの部下でね。採石場で巨大なショベルカーやダンプを操縦してるのよ」
その人材派遣会社には協会を辞めたバゼット・フラガ・マクレミッツや、元ハンターのナタリア・カミンスキーも登録しているという。
だけどあちらのキリツグは、ノイントのお祖父様の会社だそうだ。それでも仕事先で、そのナタリア・カミンスキーと組む事が多いらしい。
「その大型機械メーカーのイメージガールを、小学生時代からイリヤがやっていてね。あの会社のパンフレットやイメージビデオに出ているわよ。あそこの顔になっちゃったから、イヴが頼めなくなっちゃって困ってるのよ。エルやミトにパミだとイリヤと被るし、エルヴァだとちょうど良いかな?」
同じ世界ならそれも良いかも知れないけれど、違う世界だしなぁ。そうだ。もう少し大きくなったら、あのイリヤに。
「あの子はダメよ。夢があるから」
それは?
「児童文学の作家になること。それと翻訳家。翻訳はもう始めていて、何冊かドイツ語・日本語・英語と訳しているわ」
姉のイリヤは8歳から日本なので、少々ドイツ語が危ない時があるそうだ。それで最新の料理本は一部、あのイリヤがドイツ語に訳したという。
「皆んな、凄いね?」
「一族の皆んなが幸せなのもエルのお陰だからね。頑張らないと申し訳ないでしょう?」
そういってウィンクした彼女は他の部屋の掃除に向かった。
「海って面白いね?」
「そうね。エルヴァは何度か行った事があるの?」
「日本の海は初めてだけど、毎年コート・ダジュールに遊びに行っていたから」
ビーチベッドで寝転んでいたパパが教えてくれた。モナコやカンヌといった有名な街のある南フランスの海岸で、イタリアのサンレモから開発が始まり、フランスのトゥーロン辺りをまでを指す高級リゾート地帯らしい。
そのイタリア側はリヴィエラというそうだ。
「そんなところに行くの!?」
「うん。別荘があるから」
「お祖父ちゃんの?」
「ううん。私の」
これにはパパも起き上がった。
「別荘を持ってるの?」
「はい。5歳の時の調整明けでプレゼントして頂きました。道を渡ったらハーク・ビーチです」
「モンテカルロ?」
「いえ。プラージュ・デュ・ラルヴォットの東隣で、モナコとイタリアの間です」
「フランスなんだね。それでも一等地じゃないか……」
それで『来年はそこに行こうよ』『ぜひ遊びに来て』とイリヤとエルヴァで盛り上がっていた。けどね……。
「パパ、来年は私達12歳だよ」
「……うん……小児料金じゃなくなるね。まぁ……頑張るよ」
飛行機の運賃が大人と同じになるのだ。イリヤは簡単に言うけど、痛いぞそれ。
「それでパパ、『紺碧海岸』と『エーゲ海』に『太陽海岸』ってどこ?」
「うん? 『紺碧海岸』がコート・ダジュールだよ。『エーゲ海』はギリシアとトルコに囲まれた、地中海の一部だ。あの辺りは同じ地中海でもイタリアとクロアチアに挟まれたアドリア海や、ギリシアと挟まれたイオニア海とか、国が多いだけに名前が色々あるんだね。『太陽海岸』はスペイン語のコスタ・デル・ソルを日本語に訳した名前で、スペイン南部のアンダルシア地方の南西側と、ジブラルタル海峡のあるカディスと跨る辺りを言うんだ。そこの海はアルボラン海って言うんだよ。どこも有名なリゾート地だね」
「やっぱり。そこを含めて20数ヶ所? エルお姉ちゃんは別荘を持っているんだって。オーストラリアで真夏のスキーもやった事があるそうよ?」
「勘弁してくれ……それでクロやイリヤに美遊ちゃんだろう? あちらの僕を尊敬するよ……」
「全部お姉ちゃん持ちらしいけど?」
「本当に?」
「たぶん。それにあっちのママは『太陽海岸』と『アデレード』だっけ? そこに別荘があるんだって」
「アデレードって、さっき君が話していたオーストラリアだ。凄いね?」
「うん……凄いんだろうなって思うけど、知らないからさぁ。全然ピンと来ない」
「それでどこだって聞いたの?」
「そう」
目の前には海。ママ達は遊び疲れてマットの上で眠っている。それでビールを飲んで休んでいたパパと交代して、今はパパが私達を見てくれている。
今日は本当にのんびりだ。お昼も宿舎で摂って、午後からは島を探検するだけ。散歩みたいなものだとか。
その分、明日から忙しい。明日はすぐにフェリーに乗ってしまなみ海道から愛媛県に入って、香川県に近い森の中のオートキャンプ場に行く。そこで2泊してから、香川県の岬にある海の前のオートキャンプ場だ。
その後どうするかは今のところ未定。たぶん温泉に入って帰るだけだと思う。有名な温泉は愛媛県に多いらしいけれど、途中どこにでもあるらしいから大丈夫だろう。
「お兄ちゃん、買い物に付き合って下さい」
「洗濯は済んだのか?」
「はい」
「悪いが、この後シロウとクルマの修理だ。4番目のアイツもランスロット達の手伝いがある。貴様はどうだ?」
「私は本日の夕飯を担当するだけだ」
「なら丁度良い。エルも買い出しだろう。行ってやってくれんか?」
「良いぞ、任されよう」
それでクルマの助手席に乗っている訳だが。
免許は問題ない(問題ありだが)。本人はきちんと免許を取得していた。普通自動車のみならず、小型自動車、特殊自動車の一種(牽引)、二種(ロードローラーなど)、三種(その他特殊作業など)まで持っていた。
バイクなら原付き、小型(軽自動二輪)、普通(側車付自動二輪車にチェック入り)、限定解除の大型だ。凄いな、小柄な女の子が。
この他には一級小型船舶免許にクレーン運転士、デリック運転士、揚貨装置運転士などを初め、フォークリフトやローラー運転、果てはチェーンソーなどの危険有害業務従事許可証に、ボイラー免許、網・わな猟の狩猟免許まで持っていた。何だコイツ?
「コンプリートでも目指しているのか?」
「いやぁ、食品衛生責任者資格とふぐ調理師資格は取りましたが、実店舗での経験がないので調理師資格がありません」
本当に凄い。資格マニアというやつだろうか?
上がりは飛行機か旅客機だと思えば、大型のフルトレーラーだと言う。
「フル? 確かトラックの後ろに別の荷台が付くのだったか?」
「そうです。オーストラリアでトレインを見掛ける度に、ああいう仕事がしたいなぁと思っていました。残念ながら、その仕事を人に任せる立場になってしまいましたが」
このトレインとはオーストラリアでしかまず見掛けない、ロードトレインという100mはあろうかという牽引トラックの事だ。その貨車の編成は6~8両にも及ぶそうだ。
彼女はスポーツカーも好き(特にラリー)らしいが、トラックが好きだという。そんなトレインなんて凄まじいものを見ればそうなるのもわかる気がする。
「日本でも山口県の宇部まで行ってトラックを見てきましたよ」
形式としてはセミトレーラーで、後ろにもう一つの貨車が付く。なのでダブルス・トレーラーと言うそうだ。80トンにも及ぶ貨物を運ぶ、私道専用の特殊車両らしい。
そんな話にも興味を惹かれたが、彼女が持って来たというクルマにたまげた。
「こ、これは……!!」
エーデルフェルトのガレージにあったそのクルマは、色こそメタリックブルーだが、サイドはマットブラックの地に白と地のメタリックブルーを活かした立体文字で『elf』とあった。
オイル会社の回し者なのか?
「エルフ・フォン・アインツベルンで11代目って意味ですよ」
なるほど。そこはまぁ納得しよう。だが、これは無いだろう? そのクルマはカラーリングの異なる現金輸送車だったのだから。
「日野デュトロのルートバンで、私のお買い物用ですよ。芋虫みたいで可愛いでしょう?」
「可愛いのか? こんなのでスーパーへ乗り付けられたら、周囲の人が驚くだろうが」
女の子が選ぶお買い物用がこれなのか?
「これ、小型と言っても2トン以上あるだろう?」
「ええ。4613ccのディーゼルでマニュアルです」
そんな現金輸送車モドキをドレスアップなんかして……。そこらのワンボックスやバンでブイブイ言わせている男性が裸足で逃げ出すような押しの強さだ。
内装は落ち着いた木目。ハンドルもイタリアンのウッドで、シフトノブまでウッドだ。と言うか内張りが、質の良い生地に全部換えてある。
カーステレオはマッキントッシュと凝っているし、スピーカーはJBL? 実用車に? エアホーンなんて付けているのに(それもどうかと思うが、デコトラ感覚なのだろうか)?
しかも流れているのは米米CLUBの『君がいるだけで』だ。身につまされる歌詞……わざとなのか……?
そして前席3人乗りで、後ろはフルフラット。言ってみれば屋根付きのトラックだ。
「トランスポーターでもありますので」
自転車やオフロードバイクを運ぶのだそうだ。う~ん……。
「どこのトラックが一番好きなのだ?」
「型でなくメーカーですか? ひっくるめて言えばスカニアの4シリーズTタイプ、それとタトラのT815やウラルの4320なんかは好きですね。普通に舗装路を走る貨物輸送車として選ぶなら、大型だとスカニアかボルボです。会社ではマンも入れていますが」
「日本だと日野か?」
「そうですね。中型だとレンジャーは有名ですよね? いすゞのエルフならダブルキャビンが良いですね」
「ダブルキャビン? 何故だ?」
「あれこそジャパニーズ・ピックアップだからですよ。荷台にコンクリ撹拌機なんか積んだら最高でしょう?」
「いや、わからん」
軽トラックならオリーブドラブのシートをぴしっと被せるべきだとか、砂漠の砂塵をものともしないハイラックスよりもっと怖いのはハイエースだとか言われてもピンと来ない。
「まぁ、ハイラックスはよく走っていたな」
「AK、ハイラックス、カシオの腕時計は砂漠に於ける三種の神器ですから」
詳しいな。その通りだ。カーステレオからはバービーボーイズ、BOØWYに続いてユニコーン? 誰の趣味だ?
「お父さんにヤラれた。CD入れっぱだ」
君の父の衛宮切嗣はこういうのを聞くのか!?
彼女の予定通りに、品を買い揃えた帰りだ。
「ガキンチョを騙すのがロックで、いい大人を騙すのがジャズでありクラシックですよ」
「うん?」
「全世界の人を幸福という幻想で騙し通すのがビジネスで、その中でも食料品というのは一番見返りが確かにある、と実感を抱かせられます。一番優しい嘘だと思います」
そうなのかもな。
「国の違い、育った環境の違い。髪や皮膚や瞳の色の違い。幾ら声高に何がわかるのだと申し開きをしても、その人がどういうヒエラルキーに属するのか、儲け話の出来る相手かどうなのかは一目瞭然でわかります。そのように人は隠したくても隠せないものがどうしても出て来ます。だから『成金』なんて言葉がある訳で」
そうだな。
「そんな中で食べ物というのは、身分や身体能力を越えて一番平等だと思うのですね。この世で一番残酷なのは、味覚障害ではないかと」
う~む……収入や金銭的な面を考えると難しいところだが、ある側面では的を射ているとも思える。良いものは高い。当たり前の事だ。悪いものは安い。これまた当然。
しかしこの方程式を覆さんと、安くて良いものを探し求めた学生時代の日々。ここに調理技術が加われば、食材のランクは何段階も上がる。それがあって初めてお得だったと思えるのだ。
ところが、彼女はそういう表面上の意味で話したのではないようだった。
「技術も確か。目利きも確か。それでも越えられぬものはあります」
「何だ?」
「個々人の持つ嗜好と味覚です。ピーマン嫌いな子に美味しいと言わせるより、喉が詰まるほど青唐辛子をツッコんだ方が物事が早く解決します」
「待て。突然、何を言い出す?」
「吊橋が切れたとしましょう。切れ掛かった細いロープにしがみつく人が居ます。手を伸ばせば何とか届きそうです。ですがその人の重量で、こちらに残るロープも切れそうです。おっと、ポケットにナイフが。命拾いして帰って食べた料理の何と美味しい事か」
「どこその神父のような事を言うな」
「ところがそんな人が、あの極限の世界では人を励ますラーメンを作っていた。個人の味覚は別として、その心意気を汲めないあなたではないでしょう?」
忘れたいと心に蓋をしていた記憶だ。あの言峰は違った。私には辛いだけで美味いとは思わなかったが、あそこに残ってラーメンを作り続ける姿には思うところがあった。
何と意外な角度から、人の心理を突く言葉を投げつけるのだ。
「この気温が35度を超える、暑い午後に黒シャツと黒いスラックスって。暑さも感じないバカは良いですね?」
「うるさいわ! エーデルフェルトのメイド服で買い物に出る君の方が可怪しいだろうが?!」
「そうやって自分は物知らずだとパーソナルデータを垂れ流す」
「は? どういう意味だ?」
「実はこの服、高機能繊維で出来ていて、速乾性でベタつかず、風通しもいいので暑さをかなり軽減してくれます。高温多湿な日本に合わせて新たに開発したそうですよ?」
「そうなのか?」
「そうです。あの家も大概ですよ」
落としたいのか上げたいのか、彼女の言葉は先が読めない。そしてこの後何を言うのだと身構えたら、そこで言葉は終わった。とことんこちらの思惑を裏切って来るな……。
「大豆を茹でて絞り出し、その絞り汁を凝固して野菜を加え型に入れます。それをチルドして大根おろしを加えた甘めのソイソースを付けています。ヴィーガンにアホほど売れるんですね」
豆腐ハンバーグだ。自分の売りたい物と顧客が望む物は異なる場合はあるだろう。……そうか、人は多種多様であると言いたいのか。
「十人十色であるべきものを十把一絡げに見てはいけません。中にはその災害を自分で選べなかった死へのチャンスだと考えた人も居たのでは?」
「言いたい事はわかるが、それは意地が悪すぎるぞ?」
だが果たしてそうだろうか? シロウは救けた後に食事を与え、遊びや手に入る食材での調理の仕方まで教えていた。それが2番目に教えられた事実だった。
そしてそれは明日への扉を開く道筋だった。対する私がやってきた事は、どこまでも自己満足でしかない。まったく相手を見ていない。相手の好みを無視した料理にも等しい。
「君はエルヴァと違って、話し方が難しい」
「え? もっとレベルを下げろと?」
おまけに辛辣だった。しかしながら家に入る際は、かなり丁寧に礼を返された。これが育ちなのか……。
『さて、仕込みに掛かるか』と、買って来た食材を仕分けていると掃除を終えたらしき巫女のイリヤが寛いでいた。
「おかえり。その顔はエルに遊ばれた?」
「少々な」
「まぁ、許してあげて」
「元より争うつもりはないし、腹を立てたのでもない」
そこでクルマの中で話した内容を少し彼女に披露した。
「ドイツにはゲシュマックスザッヘという言葉があるの」
「ゲシュマックスザッヘ?」
「ええ。意味は『好みの問題』。それで前部分のゲシュマックが『味』って意味なの」
「ほぅ」
「だから広義的には『個性』を指す言葉でもあるのね。そしてドイツはクルマが盛んな国でしょう? なのでアウトゲシュマック、『クルマの味』なんて言い方もあるの」
ジャガイモの皮剥きを手伝ってくれながら、そう話してくれるイリヤ。
「エルの話し方はそういう文化的背景から来ていると?」
「そうね。そこもあるだろうし、敢えて一つのテーマに絞らず多種多様なヒントだけを散りばめている可能性もあるわ」
「それでは伝わらんだろう?」
「何を? ここで重要なのは、エルヴァや凛にルヴィアの良き仲間であって欲しいという願いだけだもの。あなたの視野が広がって、より多角的なものの見方が出来ればなお良いというのはあるだろうけど、偏ってるのはあなたやシロウの『味』だわ」
「否定しづらいな……」
だが、私から言わせると味があるのは彼女の方だった。
「それで何を作るの?」
「ああ。ジャガイモとナスにピーマンの炒めものだ」
「雑誌で見掛けた? 地三鮮(ディーサンセン)じゃない」
「やはりバレるか。とは言え敢えて皮を剥くところに私なりの工夫がある」
「という事は小鉢だ。メインは別にあるって事ね?」
「中華は得意ではないし、ルヴィアの味覚に合うかどうかも考慮せんとな」
「居候だものね?」
「そういう事だ」
あちらの世界(イリヤとクロの世界)から戻ってから、ルヴィアと凛は師匠の凜と暇さえあれば工房に籠もっている。ルヴィアは先日海へ行ったきりだし、凛にしても自分の家の清掃と空気入れ替えに一度帰っただけだ。
士郎と進展があったのかルヴィアのモチベーションが凄い。それにアテられたのか、凛も頑張っているようで師匠の凜が褒めているシーンを何度か見た。
何より驚いたのが、あのマルガリータまでもが工房の入室許可を得ている点だ。ウマがあっただけでなく、彼女もまた魔術の申し子で、前々から魔術談義のような事をしていたらしかった。
「あなたってレンタルなんでしょう?」
悔しいがその通りだ。
「期間は?」
「本来の召喚人である凛が宝石剣を作るまでだ」
「それは断れるのかしら?」
「どうだろうな。気持ち的にはここが気に入っているので残りたい。しかし、あの凛がどうしても私を必要とするなら」
「請われると弱いのね?」
「そうだな」
と言いつつも戻る気はほとんどない。けじめは必要だろうが、元守護者だったが故に通せる我は通そうと考えるに至った昨今だ。
「あのちぃさい方のイリヤは?」
「部屋で本を読みながら休んでいるわ」
「かなり読書好きらしいな?」
「ええ、持って来たのを全部読んじゃって。それでエルが本を買いに走ってくれたのよ」
それでスーパーに入らなかったのか。
私、イリヤはラーメンを食べた後、イリヤをイリヤに返してお話と記憶交換をした。それで本日は休みで本当にやる事が何もない。なのでガレージに回ってシロウとエルヴァが兄と呼ぶアーチャーの作業を眺めていた。
「よし、これで大丈夫だろう」
「年式が年式だからな。ここまでよく保ったと言うべきか」
二人が治していたクルマはベンツェの300SEL6.3だった。ルヴィアのものでなくオーギュストの個人所有で、ルヴィアの父親から譲られたクルマだそうだ。
「旦那様がこれのAMG6.8をお持ちでして。お揃いですので、頂いた当時はとても嬉しかったものです。これまで元気に動いておりましたのに、日本の高温多湿にやられたのか先日からウンともスンとも言わなくなりました。それで困っておったのですよ」
「治って良かったね」
「はい」
懐かしい。これ、お城にあったのよね。お母様の300SLと並んで止めてあった。あれもエアサス(W109)の6.3だ。
「何とお礼を申し上げれば良いのか。ささやかですがお茶をご用意致しました。どうぞお召し上がり下さい」
慇懃にオーギュストがお礼を言った。
「気にしないでくれ。これはエルヴァ達がお世話になっているお礼みたいなものだから」
まぁ、そんな謙遜合戦を繰り返しつつ、何もしていない私までがフルールの美味しいタルトをご相伴に与った。
そんなところへ工房に居たはずのルヴィアがガレージまで飛んで来た。
「お嬢様。いかがなさいました?」
「いえ、オーギュストではありませんの。シロウさん、奥様のミストレスがいらっしゃいました。只今、ミストレスが応対しておりますわ」
「リンが? ありがとう。どうしたんだろう?」
大魔導師のリンが来たみたい。何かあるのかな? 食堂に行くとリンの話を凜とあのイリヤが聞いていた。
「どうした、リン?」
「ああ、ごめん。ほら、あんたと私だけで回ってた世界群があったじゃない? あそこでまた聖杯戦争が始まる世界を見つけちゃって」
「まさか。あの領域は全部の第四次に入って終わらせたのに。分岐を見落としていたのか?」
「うっかりじゃないわよ? 突然始まったって感じ。このパターンは嫌だな」
「ああ、漂流か?」
「みたいね」
並行世界の構造がどうなっているのか知らないけれど、大魔導師達は世界を幾つかの領域に分けて分類していた。それである領域の、聖杯戦争が起きる世界への介入をすべて終えていた。
にも関わらず、再びその領域で聖杯戦争が起きる世界が発見された。理由は不明だが、AだかBだかCだか、元がどこの領域だかわからない分岐したての世界が、介入済みのD領域へ流れてきたのだ。
分岐したばかりの新しい世界は元の世界と軽い反発力を持つらしく、自然とある距離まで離れていくものなのだそうだ。ただ中には今回のように領域を越えるほど離れる場合もあるらしい。
リンが嫌だと言ったのは、その世界が元の世界の影響下から離れた事で取り扱いが難しくなるからだそうだ。それはもしかしたら『新しい可能性』を秘めた世界の場合もあるからだ。
「言っても仕方ない。ちゃっちゃっと終わらせよう。エルを呼んでくれ。夕飯までに終わらせよう」
魔法使いの旦那様はとんでもないくらい軽く言った。このシロウにはどうやら日常茶飯事の事らしい。
「ともかくアルさんが戻らんとな」
「ああ、モードレッドと出てるんだっけ?」
だけどタイミング良く、ヘラクレスとモードレッドは数分後に戻った。
その後大魔導師にシロウ、エルにヘラクレスとセイバーに彼女のアーチャー(4番目)が出発する事になった。
「あなたは行かないの?」
巫女の彼女に聞いてみた。
「イリヤが居るから留守番するよ。私の代わりに行ってみる?」
そんな事を言われたので俄然行ってみる気になった。それを見たモードレッドとランサーも行きたがった。モードレッドは本日オイシイ思いをしたようで、ヘラクレスとすっかり仲良くなっていた。
「念願の味噌ラーメンが食えたぜ。ウマかった~」
「手前ェ、いい思いしやがって」
「あなたには鶏白湯を奢ったでしょう?」
「そっちもじゃねぇか!」
そんなこんなでワイワイガヤガヤと私達は世界を渡った。