聖杯の器たるアイリスフィールの封印処置が粗方終わった頃は、やがて日付が変わろうかという時刻だった。
意識を奪って安静にさせているアイリスフィールを大魔導師とアサシン数人に護衛を頼み、エルヴァ達は一路間桐邸を目指した。
途中何人か言峰綺礼のアサシンが居たが、会う者会う者に『破戒すべき全ての符(ルールブレイカー)』を刺していった。エルヴァにアーチャー、そしてイリヤの三人が使えるので効率が良い。
間桐邸には五人ほどのアサシンが張っていたが、彼らにもルールブレイカーを刺した。その都度、こちらのアサシンが連れ帰り、担当場所の見張りも代わって行うので、否応なく人員が二人ずつ減って行く。
魔術的素養の高いアサシン数名に、暇さえあればエルマもエルヴァも魔術を教えているが、まだまだ修行は必要だった。三分の一とは言わないが、四分の一くらいの人員が『破戒すべき全ての符』の開放を行えればもっと楽なのだが。
屋敷の結界に穴を開け、既に並行世界の桜から入手している解錠コードと呪文で、扉の鍵以外の見えない鍵を開けていった。
最後の鍵を開ければ一目散に隠し扉まで向かい、蟲蔵を目指した。セイバーとランスロット卿がバーサーカーを警戒する。ダイニングで酔い潰れている男をアサシンが確保した。
「バーサーカーの気配を感じません」
「昨夜の埠頭か街のどこかに出ているのでしょう。ラッキーですね」
エルマとアーチャーだけ書斎の方へ向かった。ある意味、今回一番重要な役割だった。
エルヴァや私達は2階にあった隠し扉から地下へ降りて行った。木の階段が石となり、徐々に湿りを帯びていく。そんな湿った階段なのにコケやカビは一切無い。それも蟲の餌なのだ。
ただ降りるに従って、昆虫独特の臭いは濃厚になっていた。
「何だかなぁ。虫かごに頭を突っ込んだような気分だわ」
「そこに真夏の干乾びたゲジゲジの臭いをミックスしたような感じですね」
「それを悪臭と言わない?」
「いえ。こんなものかなと」
「さすが、クローゼットで蟲を飼う人は言う事が違うわね」
「ゲジゲジってアシダカグモと同じで、ゴキブリを食べる益虫なのに。顔も正面から見れば可愛いですよ?」
「知らないわよ!」
なんて会話ですの……?
姉妹の会話を聞いていますと頭が痛くなりますわ。ですが、この作戦はエルヴァさんが居てこそです。
はぁ……気が重いですわね。今回の私には重要な役目がありますの。エルヴァさんの邪魔にならぬよう、リンを抑えなければならないのですわ。
気乗りしない重い足取りで下まで降りますと、視界の隅に浴槽かプールのようなものが見えました。そこに小さな裸の女の子が横たわり、手足を鎖で縛られて……。あれがサクラなのでしょうか……?
目が滲みます。何百という蟲が蠢き、少女を陵辱しているのです。あれは、あれは……あんな修行があってたまるものですか! あれは魔道ではありません! 単なる虐待です!
ハッとして横のリンを見ました。万一は腕ずくでも抑えなければなりません。ですが彼女は涙を流し、血が流れるほど唇を噛んでいたのです。
エルヴァさんの邪魔をせぬようにと、叫びたいのを必死に我慢して……。
「貴様達、マキリを狙う愚行を後悔しても、もはや遅いぞ?」
暗闇の中から、嗄れたデスボイスが聞こえた。とっくに声帯の耐用年数が過ぎている。間桐臓硯その人である。
シックな焦げ茶の羽織は三つ紋の正絹。その下の淡い茶の着物は正絹の縮緬。帯は正絹の博多織だ。西陣でないところに拘りを感じる。実にお洒落だ。和装の良さを知り抜いている。男性用でなければ持って帰りたい程だ。
「良いお召し物ですね?」
「ほぅ」
この人物は今でこそ境港市のストリートに並んでいそうな風体だが、若い頃は美青年として鳴らした人物だった。相手から請われて、長州藩出身の奥さんを娶っていたとも聞いている。
その長州藩士には毛利出身の人が多かったらしく、明智許すまじ、徳川許すまじで、この紋を歴代総理大臣の紋として残したのだとか。ちなみにその桐紋は五百円玉も同じデザインだ。
だからという訳ではないだろうが、間桐の家紋は太閤と同じ桐紋だった。その最初の奥さんの実家の家紋らしいと教えてくれたのは慎ちゃんだった。
ぬらりひょんが杖を床にカツンと付くと、ブワッと何千何百もの蟲が、薄暗い蟲蔵を舞った。
「マキリ・ゾォルケンの頃からお洒落だったようですね? センスが良いです」
む? と、訝しむ臓硯。
「何を言っとる。恐怖で狂ったか?」
「殺虫剤などの衛生薬品を製造する製薬会社の研究棟よりマシです。狭い室内にゴキブリが60万匹もカサカサと」
「ヒィ~!」
蟲の翁より酷い発言……叫んだのはイリヤだが、皆んながドン引きする。
「むむぅ……」
蟲は何をしておる?
「古着屋に買い取らせますので、着物は汚さぬよう。さぁ、お前達。ここは寒いです。早く家に帰りましょう」
舞っていた蟲が臓硯に集った。一斉に臓硯を喰い始めたのだ。
一寸の虫にも五分の魂。魂を掌握された蟲はもはやエルヴァの使い魔だった。
「何じゃと? そ、そんな、馬鹿な事があって……」
蟲の王は10分掛からず喰い付くされた。同時に書斎の奥に隠された蟲は、魔力を内側に閉じ込め、外に漏れない容器にエルマが回収していた。
ピンセットを投影したアーチャーだが、エルマは鷲掴みして容器に放り込んだ。手に付着したぬめりをそこらの書類で拭い取り床に棄てた。
「ゴミ箱に入れろ」
「占領すれば後で大掃除しますから」
「そうなのか?」
「はい」
一方、地下では責め苦にあっていた少女へ凛が駆け寄り、エルヴァが蟲を下がらせた後に戒めを解いていた。青白く精気のない頬に自分を頬を擦り付け、ギュッと抱きしめた。
髪が薄紫に変色している。すみれ色の瞳も紫だ。その光の無い瞳に向かって凛は懸命に声を絞り出した。
「桜、桜、しっかり! 救けるから、必ず救けるから。頑張っ……ぅ、ぅううう……」
冷たい少女の頬に熱い何かが降り掛かる。それは見知らぬお姉さんの涙だった。
「お姉ちゃん……」
「桜っ! 桜!」
「リン、ここから出ましょう。もっと暖かな部屋で休ませませんと」
「ええ……」
金髪の友人に促され、凛は並行世界の妹を宝物のように大切に運んだ。
そこは何もない簡素な子供部屋だった。クローゼットの洋服も最低限。それとほとんど使われていない幼稚園の制服。幼稚園もまともに通わせて貰っていないのだと、そこで気付いた。
「エルヴァ……治る?」
触診していたエルヴァが答えた。
「良かった……。心臓に臓硯は居ませんし、内臓や筋肉も無事です。カウンセリングなどの心理的治療は必要ですが、肉体にはほとんど問題ありません。ただ、ヴァージンではありませんね」
「それ、蟲以外もって事!? そ、そいつを殺す!」
「犯人はわかっていますが、その人も被害者です。この家の者は皆んな、臓硯の奴隷だったのですから」
「凛さん?」
ワナワナ震える凛にエルマが声を掛けた。血走った目で睨んで来る凛に臆さず、エルマが透明な容器を差し出した。
気味の悪い大きめのナメクジのような蟲が蠢いている。
「これは?」
「それが臓硯です。まち針で刺すも良し、ナイフで刻むも良し、殺虫剤を掛けるも良し。こんなモノに人権なんてありません。一生イジメの道具として飼ってみては?」
目には目を歯には歯を。一瞬昏い情念がふつふつと湧き上がったが、凛はそれを振り払った。
「そこまで堕ちたくないわ」
エルマもエルヴァもニコリとした。
「まぁ、でも。間桐の財産を全部没収してこの子のものにしてあげたいわね」
「リン。エーデルフェルトと必ず話を着けますわ」
「お願いするわね、ルヴィア」
桜はもう遠坂に戻れない。
いつ、怪異を喚び込んでもおかしくない稀有な属性。協会に知られれば封印指定される可能性もある。それを撥ね退けるほどの名門でなければ、妹はまともに生きていけない。
凛は妹を養子に出した父、時臣を恨みはしたが、何故そうしたのかもきちんと調べたし、エルヴァ達の話も聞いていた。前回の第五次は希少な世界であった。離婚の原因は間桐に出そうとしていた事と、隠し子の問題だろう。本当の原因は知らないが、そんな風に予想している。
また元の世界も希少だったのだと今はわかっている。実妹の桜は衛宮・アインツベルン家に暖かく見守られていた。イリヤの母のアイリスフィールさんが桜に時々渡すお土産は、全部魔除けの礼装が仕込んであったのだ。
そして時計塔に踊らされ、必要以上の上納金を納めていた父。その苦悩や苦労の上に桜の属性。まだ二十代の父には限界だったのだろう。
だから、救えた桜はルヴィアの伝手でエーデルフェルトに託そうと、そう決めていた。だから、どこの世界に行こうとも気付けた私が、母の代わりに父に言わねばならない。だから、私は────
エルヴァは蟲蔵を焼きも壊しもしなかった。数が多過ぎるので、ある程度間引いて掃除をした後に、血を混ぜた野菜を与えていた。気持ち悪い造形の蟲達が、今はエルヴァに向かってチーチーと懐いている。
間引いた蟲の亡骸は、裏庭で見付けた薬草畑の土に埋めて手を合わせていた。何だろうな、こいつは。不思議な奴だ。
とはいえ人様の事をとやかく言える身分ではない。桜の事を何一つ気付けなかった己に吐き気がする。自己嫌悪に苛まれた私はこうして霊体化し、エルヴァの後を着いて回っていた。
屋内ではエルマや凛にルヴィアが掃除をしていた。窓を開き空気を入れ替え、布団やクッションを干し、桜の衣類やエルマに預けてあった自分達の衣類を洗濯していた。
昨夜の夜とは打って変わって、桜も元気だった。何故か凛にぴったりくっつき離れようとしない。
掃除が終わった今、凛は桜にせがまれ本を読んであげていた。お姉ちゃんと呼んではいるが、母のように思っているのかも知れない。勿論、並行世界の姉とは話していない。そういう誰かに甘えて当然の年頃なのだ。
その姿を見て和む筈が、私は真逆に怒髪が天を衝かんばかりに憤怒していた。どうして気付いてやれなかった。お前の罪はお前のもの。そして、家族ごっこ。エルヴァが話していた言葉が突き刺さる。
凛に馬鹿と言われて当然だ。毎朝、笑顔で我が家に通うあの子の苦悩をどうして……。
間桐雁夜は朝の暗いうちに戻って来た。玄関の扉を開けたところを不意打ちで昏倒させ、バーサーカーとの契約を切った。マスターはルヴィアが引き受け、試しに令呪で狂化を解けと命じた。
一画では曖昧だったが、二画使えば完全に正気に戻った。現在ランスロット卿とセイバーに引き摺られ、庭でコンコンと説教されている。特にランスロット卿は厳しい。まぁ、自分だしな。
イリヤはアサシン数名とアサシン狩りに出ている。現在五十数名、半数以上がこちらの手に落ちた。ちなみに私はサボっているのでは無いぞ?
イリヤと交代するまで狩りをしており、朝帰りだったのだ。そこで鉢合わせした雁夜を昏倒させた訳だ。その後は薬で眠らせてあった間桐鶴野を病院に放り込んだり、清掃を手伝ったり、結構色々していた。いや、動かんと自己嫌悪が酷いのだ。
ただ、鶴野はエルヴァの診立てでは肝硬変でもう持たないだろうとの事だった。これは雁夜にしてもそうだ。この二人を救うにはあるアイテムをゲットする必要がある。それは騎士王が持つ聖剣の鞘だ。
聞けばセイバーは、ある人物に授けてしまったと言う。どこかの衛宮士郎が返してくれたものを、別の世界で誰かに残してきたのだ。エルヴァですら聞いていないというのだから驚きだ。まぁ、敢えて聞いていないのだろうが。
何れにせよ、あのセイバーは何かが違う。悪しきものを一切感じさせない。きっと鞘も、人助けに置いて来たのだろう。
「鞘はここのセイバーから奪うのか?」
「いえ。アイリスフィールさんがお持ちだと思います。実は既に先生がアイリスフィールさんとこちらに向かっています。お話もある程度済まされていて。それで私は動けないのですよ。姉さんもじきに戻るでしょう」
聖杯戦争が始まって、かれこれ3日になるがまだ誰も脱落していない。
ランサーは山を元気に走り回っているし、ライダーはマスターと新都で買い物だ。バーサーカーはマスターが交代しただけで健在だし、キャスターは幼い妹に絵本の読み聞かせ中だ。
アサシンも健在と言えば健在だし、アーチャーことギルガメッシュは最後の最後にしか出ないだろう。
となれば、セイバー陣営の動きが気になる。動くとすれば今夜辺りだろうか。
言峰教会、執務室。
恰幅のいい白髪の神父が書類に目を通しながら、電話を取っていた。
「何? 入国の記録映像に映っていない? 御苦労。名前か……それがわかれば苦労はせんよ。しかし、あれ程の手練が聖堂教会の記録にも魔術協会から入手した記録にも無いとは。ああ、デビュー戦な。確かにその線はある。となると彼女達はこの日本育ち? いや、私も武道は好きなのでね。あんな姉妹の活躍は聞いた覚えが無い。ああ、知らんよ」
敵なのか味方なのかより、今は儀式を掻き回して欲しくない。言峰璃正神父が少女達を探す理由は、惜しんだからだ。ハンターなら秘匿のために消す必要はない。むしろこちらに引き込めば良い。サーヴァントと渡り合えるあの腕は惜しい。
セイバーは落ち込んでいた。自分が目を離したためにアイリスフィールが消えてしまった。きっとどこかの陣営に拐われたのだ。
キリツグには謝ったが、当然返事は無い。侮蔑の眼差しすら無かった。この失態は余りにも大きい。到底許されるものでは無い。
なので自分から願い出て、アイリスフィール捜索を兼ねた、敵陣営の探索を行っていた。手掛かりとなるのは、あの二人の少女だ。あれだけの魔術師だ。何かを知っている可能性が高い。そうして今日も街中を与えられたバイクで走っていた。
新都を粗方周り、深山町に戻った。少し道を変えたら、活気のある通りに出た。こういう場所はアイリスフィールが好きそうだし、誰かの噂話から手掛かりが得られるかも知れない。そう考え、少し外れた公園横にバイクを止めた。
徒歩でその通りまで歩けば、突如後ろから声を掛けられた。
「アーサー?」
「はい?」
何者だ。しかし、武装しようにもここは商店街だった。人目が多過ぎる。それにまだ日も高い。
「はい? 私の事ですか?」
だから、落ち着いてスーツの裾を翻らせぬようにゆっくりと振り向いた。そこに立っていたのは何かの袋を抱えた、かつての友だった。袋から甘い良い香りがする。
「ま、まさか……貴公は……。ランスロット卿?」
「はい、お使いの帰りですよ。王は散歩ですか?」
そんな訳があるかと言いたいが、何故彼がここに? 何より彼からはサーヴァントの気配を感じない。転生したのか?
「よもや、転生?」
「いいえ、召喚に応じて現世に。ただ、聖杯戦争とは関係ありません」
「そうでしたか……」
「王よ、何かお悩みのご様子。少しお話を致しませんか?」
そして誘われるままに公園に行き、ベンチに座れば熱い紅茶の缶を手渡された。
「疲れた時はこれですよ。お一つどうぞ」
それはたい焼きなる食べ物だった。勧められるままに一口齧れば甘くて美味しい。かつての部下の前でセイバーは涙が止まらなかった。涙声で今の状況を打ち明ければ、ランスロットは親身に聞いてくれた。
「アーサー。失敗は誰にでも付き物です。ですが一度着いた汚名を払拭するのは難しいものです。あなたは信用を取り戻したいのですね?」
「そうです。失態を無かった事にはできない。何としてもアイリスフィールを……」
「わかりました。不肖、このランスロット。王には大きな借りが御座います。その方の容姿や特徴、並びにあなたの連絡先をお教え下されば。微力ながら私もお探し致しましょう」
「卿よ……」
こうしてランスロット卿は、容易くセイバー陣営のアジトの在り処をゲットした。だが、悪用はしない。アイリスフィールのお届け先を調べたまでだ。
しょぼくれるかつての雇用主を見送った後、ランスロット卿は独りごちた。
「王よ。誰しもが成功した人生を歩めるものではありません。常勝のあなたでも最後はああだった。ですが、今回のあなたは勝ちますよ」
そこに一人の金沙の髪を持つ少女が近づいた。
「ほぅ、エル達を裏切ると?」
「まさか。わかっておいででしょう? 真実の勝利を」
「ですね。ベビーカステラも手に入りました。戻りましょうか?」
「はい」
二人は家路を急いだ。マスターや桜が待ってくれている。そして仲間の皆んなも。
間桐邸の近くまで戻るとあちらからアーチャーがやって来た。
「どうされました?」
「夕飯の買い出しだ。今夜は私が担当なのでな」
「おお、それは楽しみですね」
「ああ、期待していてくれ」
「ランスロット、私の分のこれも頼んで良いですか?」
「どうぞ、アーサー。この人数ですと荷物が多くなりますからね」
そしてアーチャーとセイバーが買い物に行く姿を見送った。ランスロットが家に入ると騒ぎ声が聞こえた。
(カリヤ、目が覚めましたか)
「だからっ! 小父さんの言ってる事って変でしょうがっ! 父を殺しても意味は無いのよ! 桜は魔道の大きな家に行かないと生きていけないの! 魔道を歩む者が視野狭窄なのは認めるけど、小父さんも視野狭窄よ!」
「本当に? 本当に普通に生きられないのか?」
「無理。まして小父さんみたいな人だと絶対に無理。だって、後先考えなしじゃない。どうして間桐に帰る前に、間桐の実態を父に話さなかったの? 0才児ならともかく、5歳になろうかって子を養子に出すってのは、臓硯がそれだけ良い条件を出したからなのよ。けれど、それは覆せたかもしれないわ。小父さんの証言で。なのに間桐に乗り込んで、身体をズタボロにされて、挙句の果てに召喚したのがバーサーカーって。急拵えの魔術師もどきが扱える存在じゃないわよ!」
「じゃ、他にどんな手が!」
「最初に言ったじゃない。落ち着いて間桐の実態を話せば良かったって。私、今こそわかった。桜を直接苦しめたのは臓硯だったけど、小父さんも桜を苦しめていたの。出来もしない、嘘っぱちで出鱈目な口約束を垂れ流して。小父さん、仮に聖杯を手に入れても、臓硯が桜を手放すと思うの? 約束なんて、全部口約束でしょう? 小父さんが死んだ後ならどうとでもできるわ。魔道を嫌うのは構わない。薄汚い面も確かにある。けどね、何にも知らない人があの臓硯に対してできる事なんて何一つ無いのよ!」
意識を取り戻した間桐雁夜は、現況を異世界から来たという遠坂凛に詳しく教えられた。そして幾つかの並行世界の話も聞かされた。しかも未だかつて見た事もない臓硯の本体を証人として、次々と真実を明かしてくれたのだ。なのでこの子が並行世界の凛ちゃんだと、意外なほど簡単に納得できた。
だけど、自分のやってきた事を頭ごなしに全否定されてしまった。だからこんな口論に発展してしまったのだ。
バーサーカーの狂気が、パスを通じてマスターの思考を混乱させるのだとも説明された。今となれば時臣を殺せば、葵さんからは夫を奪った憎むべき敵で、凛ちゃんからは親の仇だ。こんな当たり前の事が思い付かない狂気。それもこれも急拵えのマスター故なのかと自覚できた。
だからそれはわかる。そこは理解する。でも、俺は桜ちゃんを救けたかった。そこだけはわかって欲しい。だけど、感情に任せて大人気なく口論すれば、そんな事を理解してくれた上で凛ちゃんは論理的に俺を叱っている事に気付けた。なのに止まれなかった。要は引っ込みが付かなくなったのだ。悪い癖だと自分でも思う。
『雁夜よ、お主の負けじゃ。諦めい』
「う……うう……」
容器の中のナメクジが喋った。
「臓硯。雁夜小父さんって昔からこんな人だったの?」
『応よ。主の母親にフラれても、未練タラタラでのう。普通、会うか? 自分をフッた女の子供と』
「言われてみればそうよね」
『普通はあちらが幸せなら、こちらもそういう家庭を築こうと思うものじゃ。この家を出たんじゃぞ? 何もあの女に縛られる必要も無かろうに。ましてそのような行動は厳に慎むべき事じゃろう?」
まぁ、そうだ。父も嫌だろうし、何より母が迷惑だ。幾ら母の幼馴染みとは言っても、血の繋がった叔父でも無いんだから。
「友好を保ちたいなら、お互い子を遊ばせられる年代になってから交流を再開しても良かったんじゃ』
「まったくだわ」
一流の魔術師は世の常識とは掛け離れた所業を生業とするが、意外と常識に詳しいものなのだ。それは擬態でもあるが、そうでなければ世間を渡って行けないからでもあった。
また、間桐臓硯は冬木に於いて、遠坂に並ぶ名士であり穂群原学園のPTA会長でもあったのだ。
『そもそも今回戻った雁夜に、聖杯を取れと儂は一言も言っとらんのじゃ。コヤツが桜との等価交換を自分で申し出たんじゃぞ?』
「だろうなと思ったわ」
「ぅ……ぅぅ……」
『塩を振りかけられたナメクジみたいに縮み上がっとるの?』
何故かこのマキリ・ジョークに誰もツッコまなかった。
そして凛は考えた。後継者であろうと胎盤であろうと、臓硯には桜が必要だった。真に桜を取り戻すなら、桜に代わる対案や方法を提示しなければ駄目なのだ。それが等価交換だ。
となれば臓硯の願いを後押し、或いは補う方法を考えなければいけない。
永遠の生命。それは聞いていた。ではどうすれば、聖杯を使わずにそれができる?
「臓硯? あなた、アインツベルンのご先祖さまと仲が良かったのよね?」
『おぅおぅ。ユスティーツァな。主の先祖の永人とも仲が良かったぞ』
「その永遠に生きたいっていう願いを二人に話した?」
『何……?』
臓硯は黙ってしまった。そこで大魔導師の先生がとんでもない事を言った。
「マキリ・ゾォルケン?」
『何じゃな? 大魔導師殿』
「今も永遠に生きたい?」
『できればな』
「なら。『魂のアインツベルン』の中でも最高の術者がここに居るの。彼女があなたから取り出した魂を、私と彼女とで宝石に練り込んであげる。宝石だからほぼ劣化しないわよ? それにその宝石が無限に魔力を得られる宝石剣なら、あなた次第で永遠に生きられるわ」
『動けんではないか?』
「その宝石剣を核として、ホムンクルスの肉体を得るのよ。わかる?」
『おお! その手があったか!』
「フフ……。これね、若い頃のマキリ・ゾォルケンがユスティーツァに語った方法なのだそうよ?」
『何じゃと?』
ああ、臓硯はやっぱり天才だ。けれど、忘れてしまったんだ。
「『でも、私はしない。私の夢は恒久的な悪の廃絶だ。それをユスティーツァ、君が残してくれる聖杯で必ず実現する』。あなたはそうも話していたそうだけど?」
恒久的な悪の廃絶。それが本当の目的だったんだ? そうか。研究しても研究しても時間が足りないから。だから永遠に生きたいと考えたんだ。いつしか手段が目的となってしまって、この人は摩滅して行ったんだ。
エルヴァが言っていた。臓硯はユスティーツァが好きだったのではないかと。だから彼女の残した大聖杯を無駄にしたくなかった。意味のあるものにしたかった。なので聖杯戦争に拘り続けたのだと。
憧れ、恋い焦がれた友が礎となって消え、永人という親友も天寿を迎え、子や孫の世代に代わった。それでも一人孤独に聖杯を護り続けたと。
臓硯を覆う醜悪な皮をタマネギのように次々剥けば、中には一途でピュアなマキリ・ゾォルケンがあった。
真実を突き付けられる事ほど残酷なものはない。
ここまで生きなければ、綺麗なままで死ねたのに。そんな風に私は思った。
『オ? オォ? ぁあ! ああ……そうじゃった……儂は、儂は……。オオオオオオォ……』
涙も流せないナメクジは容器の中で慟哭した。雁夜も唖然としていた。
ナメクジは生態不明な部分が多いが、雑食性だ。後で猫缶か屑野菜の餌をあげようと思うエルヴァだった。何故こんなどうでもいい事を考えたのかというと、別の意味の修羅場がこのリビングの反対側で起きていたからだった。
「じゃ、じゃ、キリツグのやったことは?」
「全部無駄だったの。私を置き去りして、こんな素敵な街を焼いて、可哀相な人達を大勢作って。それを止めるために私達はここに来たのよ、お母様」
お母様と呼ばれる側が今は年下だが、そこはツッコめない。
「大体よ? 妻や子供が可愛いなら──聖杯の器にしたくないなら、身体を入れ替えろで済むじゃない? エルヴァはそれが楽勝でできるのよ? アハトができない筈が無いわ。何をビビったのかキリツグは……。お母様がアハトに逆らえないよう命令を埋め込まれているのは明白でしょう? なら矢面に立ってアハトに進言するのはキリツグの役目なの。なのにそれをしなかった。つまりはあの男はちっぽけで自分勝手で、自分の頭の中で妄想している平和という嘘を、人に押し着せる利己主義のテロリストなのよ。 私はよ~くわかった。とことんまで追い込むわ!」
そして間桐邸に次々と銃器が運び込まれる。アサシンが行った密輸品の強奪だ。勿論、受取人は衛宮切嗣と久宇舞弥だ。
これ以外にも当然あるだろう。なのでそちらの受け渡し場所には姉さんが一人で行くと言っている。引っ叩いて離婚を迫るのだそうだ。
捨てられた子供の恨みは本当に強い。おチビちゃん達の両親がそうではなかっただけに、反動が大きいのだろう。
勿論私は、受け渡し場所には絶対に行くなと念を押した。もっと効果的な方法があるからだ。それを姉さんに耳打ちしたら、大いに頷いてくれた。
「このマイヤって人は誰?」
「キリツグの愛人よ。あいつ浮気してたのよ、お母様。おまけに愛娘の一つ下に男の子まで居るから」
「え~~ッ!」
そして第五次聖杯戦争のマスターとして日本に来るまでの、18年間城から出た事が無いこと──
衛宮切嗣は息子だけを愛し、一切迎えに来なかったこと──
なので自分はマスターの頃、とことんまで改造を受けて、18歳なのに身長が133センチしかなかったこと──
今の身長は英霊化したからで、享年が18歳だったこと──
などを淡々と話していた。中々に凶悪だ、この姉は。大団円に持って行くための嘘混じりだとわかるが、酷くないか?
いや、息子だけを愛し迎えに来なかった──嘘はこの部分だけだし、それすらも嘘と言いきれないところが凄い。何故ならその息子が舞弥さんとの隠し子だとは一言も言っていないのだ。
主語を削る事で、最悪な状況で拾った養子であった事実をわざと隠している。だってそうすれば、後で冬木の災害をより詳しく話した時に、衛宮士郎の悲しき人生に感情移入しやすくなるから。あくどいと言うか、アレンジ力の高い人だなぁ。
「エルヴァは止めたの。そういう干渉は良くないよって。でも、でも、私がお母様に会いたかったの。たこ焼きを一緒に食べられて嬉しかった……」
「イリヤちゃん……」
「ううん。私は並行世界のイリヤだよ。これ……」
「え、何かしら?」
アイリスフィールさんは、促されるままに紙袋の中を取り出した。
「あのショップのお洋服。お母様のイリヤに着せてあげて。そして桜の花や夏の雲をイリヤと一緒に見てあげて?」
アイリスフィールさんは、洋服を抱き締め泣いていた。大団円後に渡すプレゼントを今出すのか?
だから、舌を出してこっちを見るなよ、姉さんは。この人は本当にエゲツないなぁ……。
そしてアイリスフィールさんの同意の上で小聖杯の最終封印を行い、前回の世界で譲って貰った英霊を送還する礼装を起動した。
勿論、『全て遠き理想郷(アヴァロン)』も取り出した。当然セイバーに命じ、間桐雁夜と桜ちゃんに使った。深夜、病院に忍び込み、間桐鶴野にも使った。
エルが居れば『王の財宝』の中のクスリが使えるし、あちらのセイバーは『全て遠き理想郷(アヴァロン)』持ちだ。こんな回りくどい事をする必要はない。
だけど、私達のパーティは、こうやって一つ一つアイテムを手に入れるしか無い。なにせこちらは Lv.3くらいなのだから。次は遠坂かな?
教会、地下の礼拝堂。
『どうしたのかね、綺礼。何ッ!? アサシンが全滅した? 誰かと交戦したのか? 暗殺? 馬鹿な。暗殺者の英霊が逆に暗殺されたと? そうか……令呪が消えたか……。わかった。では君は、璃正さんを手伝ってあげたまえ。ご苦労だったね』
何故か、この報告がとても愉しい綺礼だった。本当なら遠坂邸に出向いて、直接時臣師に報告したいところだ。
「ククク……」
いかん、想像するだけで。
しかし、冗談でなく本当にアサシンが暗殺されたとしか思えない。朝の招集でやたら人数が減っていたが、任務に就いているものと思っていた。すると午後には令呪が消えていたのだ。どんな敵だ?
ともあれ、今の時臣師の慌てふためく声は良かった。もっとあの声が聞きたい。何かを掴み掛かっている綺礼だった。
マウント深山。スーパー・トヨエツ前。
「アーチャー、こんなものでしょうか?」
「ああ、全部揃った。戻ろうか、セイバー」
その和やかな会話をある少年と巨漢が回転焼きを頬張りながら聞いていた。
「坊主、聞いたか?」
「ああ。セイバーとアーチャーだ。手を組んでいたんだな?」
「腕は組んではおらんかったぞ?」
「そういう意味じゃない!」
「だがなぁ、坊主。お前さんは、あの金ピカがアーチャーだと言っとたろう?」
「ああ、前にな」
「となるとだ。バーサーカーとは思えんし、ライダーは余。アーチャーとセイバーは目の前。ランサーは先日の優男。では、あの金ピカは何者だ?」
「アサシンは黒い奴だから、キャスター?」
「かも知れんな。それに坊主。あの金ピカの後ろから宝具らしきものが出たとも言っとったよな?」
「ああ、なるほど。それが宝具と言うか、何かの術だったと?」
「応よ。でだ、坊主。セイバーはどこの陣営だと見る?」
「ハッキリとはわからないけど、喚ぶとしたらアインツベルンかな?」
「それは?」
「この聖杯戦争を仕掛た御三家の一角だとまでしかわからない。ドイツの名門らしいけど」
「つまり、このサーヴァントを喚ぶ方法を思い付いた奴らか?」
「そうなるかな?」
「では、後の二家は?」
「その金ピカが居たトオサカと、マトウってとこだ」
「なるほど。となるとだ……む、動きおった。あ奴らを着けるぞ?」
「ああ、あの買い物は食料だ。居場所を調べられるかも」
そして後を着ける凸凹コンビ。当然、アーチャーもセイバーも気付いているが、そのまま帰って来いとの念話だ。
「ライダー。ここってたぶん、マトウの家じゃないか?」
「なるほど。決まったな」
「ああ。アインツベルンと逆かも知れないけれど、両陣営のサーヴァントはセイバーとアーチャーで決まりだ。三騎士の二騎を取るって手堅いな」
「よしッ!」
「バ、バカ~! インターホンを押すな!?」
玄関先でスッタモンダしているとドアがガチャリと開いた。金髪ドリルな女の子と黒髪の女の子が迎えてくれた。
「ようこそ。征服王イスカンダルさんに、ウェイバー・ベルベット先生」
「先生?」