私が熱で倒れたその日、船は突如進路を変えた。明らかに普通ではないそれにより、私が起き上がろうとした所をマルコに止められ、叱られてしまう。
「俺は〝寝てろ〟と、ナミに、そう言わなかったかよぃ?」
「いわれ、ました……」
でも、私は航海士であって、進路を変えるなら私の意見も必要になる筈だと言葉を口にした所で、マルコから冷たい視線を投げ付けられた。曰く、病人が医者に逆らうなと言う事である。
だけど、航海士である事に誇りを持ってる私には、それは受け入れ難くて睨みあげると、マルコは呆れを隠さずに航海士は私だけでは無いと言う。それは確かにその通りで、この船には船医も航海士も船大工も、料理人だって1人ではない。
寧ろ各1人ずつしかいないのが、おかしいのだ。そう思って項垂れた私に、マルコは薬を差し出すと飲んだら大人しく寝てろと言って部屋を出て行く。
勿論薬を私が飲むのを確認してから出て行った訳だけど……なんか、異様に、眠……い。ちょっと、睡眠薬強すぎ、る、と……。
それから暫くして目が覚めたら、腕には点滴が繋がれていて、もしかして重病だったのかなと思い至る。それでも点滴がされている間は食事とかしなくていいからと、身体から力を抜くとドアがゆっくりと開かれた。
「ナミ、目覚めたのか。苦しいとか、あるか?」
「ェー……す、ぁ……かと、う」
声を出してみたら殆ど音にならなくて、私が驚く。でもそれにより心配そうな顔で駆け寄ってきたエースに抱き着かれて、大丈夫との意味を込めて頭を撫でると、困ったように笑われてしまう。
「こんな時、甘やかしてやれたらいいんだけど……ごめんな。俺さ、病気とかなった事ねェから、どんだけつらいのかとか分からねェんだ。……ただ、ナミが居なくなるんじゃねェかって、不安でさ」
返事をしようとして、声を上手く出せないのだと思い出した私は、エースにジェスチャーでペンと紙を持って来て欲しいと伝える。それを見て頷いたエースが私にそれ等を手渡してくれたので、言葉の代わりに文字を書く。
心配はいらない事、つらくもないし、寧ろエースが傍に居てくれて幸せなのだと言う事を伝える。そんな私に、エースは困ったように笑う。
だから、少し甘えてみようかと思って、喉が少しおかしいから暖かい飲み物が欲しいと紙に書いて伝えると、待ってろと言って立ち上がろうとする。頼んだのだから当然なのに、私はそれに慌てて腕を掴む事で止めていた。
エースが不思議そうに私を見るけど、私も焦る。なんで止めたのかって聞かれたら、答えは1つ。
でもまさか、1人になるのが寂しいなんて言えなくて、掴んだ腕をそのままに俯いてしまう。そんな私にエースが何を思ったのかは分からないけど、私の近くに戻って来てくれた。
「ナミ、襲えない時に、そういう可愛い反応は酷いと思う」
意味が分からなくて首を傾げたら、もう少し寝てろよと言って私が眠るまで傍に居てくれたらしいと知る。その為に飲み物を用意しては貰えなかったけど、飲み物よりもエースが傍に居てくれる方が私には必要だったらしい。
それから数日。寝たり起きたりだけを繰り返した私は、漸く動けるようになったかなって頃から、ナースのお姉様達にもみくちゃにされる日々が始まった。
それから更に3日程が過ぎた時、いい加減航海士としての仕事をさせて欲しいと願ってみたけど許可は出なくて、少しいじけつつ蜜柑の世話を楽しんでいる。でもその頃からやったら海王類に遭遇するようになった気がしているのよね。
それから更に2日程が経過した時、私は見える景色に驚いて声が出せなくなってしまった。甲板に座り込んでしまった私に、皆が笑ってるけど、だって、そんな……どう言う、事?
「親父様、マルコ、もしかして、私死ぬの?」
だから最期にって事?
そう思って親父様とその隣にいるマルコに視線を向けたら、1瞬驚いたような顔をした2人が、揃って笑い出した。その声につられるように家から飛び出して来たらしい島の人々は、船を確認すると即座に大騒ぎとなる。
そして、動けない私をヒョイっと抱き上げたイゾウにより船を降ろされてしまえば、混乱を極めてしまうのも無理無いだろう。そのまま私は運ばれて行き、到着したのは……。
「お届けに上がりました。仕上げは、宜しく頼みます」
「「任せて!」」
最愛の家族が待っている、実家だった……。そっか、もう死ぬんだと絶望した私に、なんて顔してんのと呆れを隠さない2人に、だってと言葉を詰まらせたら、事情説明してないんだと笑うイゾウ。
それを受けて、2人は後は任せてと言ったけど、ふと足を止めたノジコがイゾウに問い掛ける。その声は本当に、不思議に思ってますって感じで。
「伴侶殿は、どうしてんの?」
「あァ、そりゃ勿論……殴られに。……その為に主役を送り届けたのが、俺になったんですよ、お嬢さん。とは言え、普通だとエースは殴れないからね、海楼石の仕込んである手袋をお貸ししてある筈だよ」
「そう迄して殴らせなくても……」
そう言って呆れたような顔をしたベルメールさんに首を傾げたら、そっと私を抱き締めてくれた。その温もりに身体から、力が抜けるのを感じた直後に気付く。
ベルメールさん、歩いてる!?
「ベルメールさん!?」
「ナミ?」
「足!歩いて!ベルメールさん!?」
「普通の言語喋ってよ……」
冷静に突っ込んで来たノジコに視線を向けて、ベルメールさんを指さしながら何を言いたいのかも分からずに口をパクパクと動かす私。それを見て、ノジコは盛大に笑い出した。
「ノジッ!#*&%!?」
「もう、何を言ってるのか分からないわ。ナミ、とりあえず落ち着こうか」
そうして話を聞けば、リハビリを繰り返して先日漸く室内でならば、杖無しで歩けるくらいにまで回復したのだと教えて貰えた。どれ程つらいリハビリだったのかと思ったけど、気鬱が回復を妨げていたのも大きかったらしい。
その気鬱の原因は、アーロンであり、間違い無く私だったのだろう。ごめんなさいと呟くように言った私に、2人は明るく笑ってそう思うなら従いなさいと言って私を磨き上げ、見覚えのないドレスに着せ替えられてしまった。
明らかに1人で歩き回れないデザインのそれに、何事かと思うけどなんか2人は楽しそうだからいいかと笑えば、何故か泣きそうな顔をされてしまった。私、何かしたかな?
「……ほら、完成よ」
「綺麗ね。幸せになるのよ。……何かあれば、いつ帰ってきても良いんだから。どんなに恐ろしい懸賞金がかけられても、帰ってきたなら……今度は私達が守るから。誰にも、害させないで守るから!」
そう言って言葉を切ったベルメールさんは、大粒の涙をその目尻から落とした。それに驚いて言葉を失っていたら、ノジコがその言葉を引き継ぐように言う。
「……だから、遠慮せずにいつでも帰って来な!いいね、ナミの家はここなんだからね!」
それに返事をしようとしたタイミングで叩かれたドア。それに振り向けば、ゲンさんが立っていて……。
「ナミ、綺麗だな」
「ゲンさん……」
「手放したくは無いが、仕方のない事だな。……ほら、行くぞ」
何処へ?
そんな事はもう、聞くまでも無い。1歩表に出るとヴァージンロードと思われる物が敷かれていて、悔しそうな顔で手を出すゲンさんがいて、裾を引き摺らないように持ってくれるノジコが居る。
涙を強引に拭ったベルメールさんが、杖を手に追いかけるように家を出て来て、倒れ込むように私を強く抱き締める。それを咄嗟に支えるように抱き締め返せば、震えるその身体が、何だかとても小さく思えて……。
苦しめてごめんと思いながらも、同時に思うもう1つの言葉を口にした。きっと今は、謝るよりこれが正しい。
「ベルメールさん、ノジコ、ゲンさん」
大切な私の家族。愛しい、守るべき人達。
「愛してくれて、育ててくれて、ありがとう。私、本気で愛する人が居るの。……人を、愛せる私に育ててくれて、ありがとう」
あんなにも過酷な状況の中にあっても生きてくれて、我儘で身勝手な私の行動を支えてくれた。そして、今も優しく包みながらも背を押してくれる。
家族からの愛に包まれて、私はもう1つの家族の元へと歩き出す。私から離れた事でベルメールさんが倒れないように、ビスタが当然のように来てくれた。
先に奥へと進む2人のそれを見送ってから、私もゲンさんの腕に己の腕を絡めて先へ進めば、蜜柑畑の入口で待機している真っ白な衣装に身を包むエースが居た。その横にはドクターがいて、私を見てその口元を緩ませるとエースの肩を軽く叩いたのが見える。
「ナミ……」
「エース……。いつから、準備してたの?」
「ナミが倒れて、その時……今なら気付かれずに準備出来るって気付いて、つい、な」
「……ありがとう。でも、この先は式場になりそうな場所は無いわよ」
私の言葉にエースは笑うと、私がノジコにこの村を買い戻す事を誓ったその地の他に、結婚式をあげるのに相応しい場所なんてないだろと笑われてしまう。私が慈しみ、私を育てた蜜柑畑を抜けて、あの日涙を涸らした誓いの地で、今度は……2人で誓おうと笑うエースに、ゲンさんはそっと私を引き渡す。
「泣かせたら、容赦はしないからな」
「……ごめん、おっさん。俺、ナミを泣かせる」
「な!?」
「俺はさ、もう……ナミに泣くの我慢させたくないんだ。だから、沢山泣かせるよ」
その言葉にノジコは楽しそうに笑い、ゲンさんに諦めなよと言うと、私に優しく微笑みかけた。それは、穏やかで優しい。
「幸せに、してやるつもりなんでしょ」
「うん、私……エースの家族になって、エースを幸せにするわ」
「それでこそ、私の妹だわ!……楽しくやんなよ!」
そう言って笑ったノジコは、エースに宜しくねと言った後、空を見上げた。ノジコは、涙を耐える時、いつもそうする。
ノジコが私の嘘に気付けるように、私もまたノジコの感情の機微には聡いのだ。だけど今、抱き締めたりしたら怒られるのも分かる。
大切な家族、愛しい両親と、祖父と、姉。皆に大切に愛されたから、私はこの場に立てている。
「お爺ちゃん、お父さん、お姉ちゃん、愛してるわ。ありがとう!」
そう笑顔で言ってからエースと共に歩き出せば、その先に待っていたのは愛しい親父様で、それに驚けば神父の役割はどうやら親父様らしいと気付く。でも、紡がれたのは神父様のそれでは決して無い。
「汝ら、戦闘時も、騒がしい者達に囲まれる時も、変わらず支え合うと約束するな」
「「はい!」」
「どっちが欠けてもお前らは生きられなくなるんだ。相手を思うなら生き急ぐなよ。分かってんだろうな?」
「「はい!」」
「なら、誓え!この海に!そして、蜜柑と、お前達を愛する家族に!」
その言葉に、こんな形で誓いをたてるなんて想像もしてなかった私は、少しの驚きと身から溢れんばかりの幸福に包まれて笑う。それはエースも同じだったようで、互いに顔を見合わせてから、声を揃えた。
「「誓います!」」
「忘れるなよ。お前達が産まれて、俺の息子と娘として在る事を、俺は幸せに思っている。他の兄弟達も含めて、この場に集まってる奴等は全員、お前達が生きている事を望んでるんだ」
静かで、優しいその声に私は言葉を失う。横ではエースが静かに涙を流していて、親父様はそれを優しい眼差しで見詰めている。
「ほら、メインイベントだ。誓のキスをさっさと済ませろ!」
そうして、涙で瞳を濡らしつつ恥ずかしげに笑ったエースと、何も言えずに居る私は見つめ合い、僅かな時を経て互いの唇が重なる。すると少しではなく乱暴な言葉の混ざった野次と共に、歓声が沸き起こった。
相手を幸せにすると誓ったのは、共にこの先を生きるという決意の現れ。自分が死ねば、絶望なんて言葉では言い表せない世界に相手を落とすと知った私達は、受け止めきれない程の愛情に包まれながら笑い合う。
この日……私は潮と蜜柑の香りに包まれながら、ポートガス・D・ナミになった。