その日は、特に何かが起きてたりした訳じゃない筈だと思う。これ迄にも、たまには戦いになる事もあったし、俺が活躍すればナミも含めて家族は皆それを手放しで褒めてもくれた。
その日もいつものように敵船と戦う事になったんだ。そして、その戦いの中で俺が少し苦戦した時サッチが敵船に飛び移ってきて、俺と背を合わせるようにして戦ってくれた。
俺がロギアだから、周りを巻き込む事がどうしても少なくないからと、俺のサポートにはいつも隊長である兄貴達がついていた。例外はナミとティーチだろうか。
俺が怪我をした時の対処は基本的にデュースで、ナミの時はマルコだ。スペード海賊団時代はデュースがナミの治療もしてたけど、ここに来てからは間違いがあった時不味いからって理由で、他の案件でも多忙な筈のマルコが診てくれてる。
つまりはサッチがって限定すると確かに珍しいけど、俺の戦いに参戦するって意味では特に大きな違いは無いように思う。なのに……どうしてだろう、ナミが戦いを終えた宴の席で突然顔色を無くして震え始めたのは。
それには隊長達が全員即座に反応したし、代わる代わる声をかけたが首を振るばかりだった。ただ、サッチが眉間に皺を寄せてナミに何かを囁いた時、ナミは涙目でサッチを見詰めて静かに頷いた。
それによりサッチが苦笑しつつナミの頭を撫でたのを見て、何故か背筋が冷たくなったのは間違いない。……嫌な、感じがするのは何でなんだろう。
その日の夜、俺がいくら問い詰めてもナミは何も教えてくれなくて、ナミを全力で抱き潰して翌日マルコに蹴り倒された。……でもよ、ナミは俺の妻だし、元々は俺のクルーだし、俺の幼馴染だし、何より俺に隠し事とかしたのが悪ィだろ?
つまり余り反省してない訳だけどよ。そんな俺にサッチがそっと近付いてくるから、身体が僅かに強ばる。
「エース……悪いな」
いつものようにマルコに叱られた後は、飯と共にサッチからも説教が飛んで来ると思っていた俺は、その言葉に息を飲む。何が、起きてんだ?
俺がナミになんかした時に、叱らないだけでも可笑しいってのに、謝るだと!?変な天気になったらどうしてくれるんだよ!?
「ナミは、俺を気にしてんだよ。……親父と同じ病の可能性があるんだと。マルコも個人情報だから、隠してんだ。まだ、皆には言うなよ?」
「え?」
「賢い子だからな、俺の戦い方で気付いたらしくて、予想でしかないからって誰にも言えなかったらしい。……責めてやるなよ」
サッチはそう言って寂しそうに笑うから、俺はそれに静かに頷いた。それを確認してから、サッチが真剣な顔で言う。
「これから暫くの間、マルコか親父が良いと言うまで、ナミから目を離すなよ。何かしでかしかねねェ」
人の命が関わった時、確かにナミは無茶をするからと考えた俺がそれに素直に頷けば、サッチはホッとしたように息を吐き出した。その様子の違和感を俺は確かに感じてたのに、それを病気のせいなんだと信じちまった自分を呪う事になるとは、この時はまだわかってなかったんだ。
それから数日後、ナミが夜になると前よりも頻繁にサッチのところに顔を出すようになったと気付く。元々眠れない時とか、仕事溜まってる時とかまァ色々なタイミングでたしかにサッチの所には行っていた。
それをナミに指摘すれば保健室に通う生徒みたいなもんよ!と、意味の分からない事を言ってたけどよ。
今回は尋常じゃ無い回数行くんだよな。
行ったら最後中々帰って来ないしよ……。何だってんだろうか?
俺はサッチに目を離すなと言われていたのに、ナミがサッチの所にやたら通ってるって言う違和感に気付いた事で満足しちまっていた。それが、直後の悲劇に繋がるなんて……知らなかったんだ。
妙に湿ってる夜だった。ナミがいつものようにサッチのところに行く背中を見送り、でもなんか俺も貰おうと足を向けると争うような物音が聞こえて来た。
驚き駆けつけた時、その場には信じられない光景があったんだ。いや、信じたくない光景……だろうか。
ピチャン……と、短剣から落ちた赤い物……。細いその身体にジワジワと広がる、赤い染み。
それを支える太くて大きな腕が、怒りと絶望に震えているのが伝わる。どれもこれも、よくできた物語のようで、誰かが……ハルタ辺りがナンチャッテ!という札を持って現れる事を期待しちまうような、現実感の無い光景。
現実なら、痛みが無いなんて有り得ない。なのに、ナミは表情を歪める事もなく、呻くような事も、叫ぶ事さえしない。
そんな中で声を出したのは、動きを見せたのはサッチだった。それが、俺の思考を僅かに動かし始める。
「ナミ!なんで、庇った!?」
「さっち、けが、ない?」
「怪我してんのはナミだろうが!!……ティーチ、お前……何考えてんだよ……お前もナミの事可愛がってたろ!?」
信じられないと、信じたくないと、サッチの瞳が言ってる。ナミが怪我した事も、それをやったのが親友のティーチである事も……。
「ゼハハハハハ!!あァ、だからナミを刺すつもりは無かったんだぜ?なァナミ……勝手に飛び出すなよ。俺の狙いは……サッチだけなんだからなァ」
「その目的が悪魔の実なら、もう俺が食ったぜ?」
「だから、殺すしか無いんだろうが。1口齧っただけなら、その場にある悪魔の実が回復する。後はお前を殺せば俺がその能力を手に入れられる」
ティーチは、何を言ってるんだろう。どうして、俺は微動だに出来ないんだろう。
そんな俺の視界の中で、ティーチが困った時に何かを頼む時と同じトーンで言葉を口にした。それは……悲しくなる程に本気である事を、つまりはその狂気を伝えて来る。
「……親友だろう、サッチ?なァ……頼むよ。俺の為に……死ね!!」
「ティーチィッ……!!」
そうして目の前で始まった戦いは異次元のものだった。だが、やはりわかっちまう事がいくつかある。
まず、怒りにより冷静さをかいてる上に、仲間だから友だからとどうしても攻撃が甘く後手後手に回ってるサッチは押され気味である事。更には、怪我により動けないナミを庇っているから、実力を出し切れてねェ。
それなのに対するティーチは明らかに殺すつもりで、迷いも躊躇いもない。それどころか、時に挑発までしている。
動け、俺も参戦しなけりゃサッチが負けちまう。ナミを避難させるだけでも、絶対違って来る。
「サッチが死んだらナミも連れってやるよ。悪魔の実は親友の俺の物になり、俺と共に居るのと変わらねェ。ナミの事お前も好きだろ?喜べよ……!」
「ナミは、エースの女だ!!」
「ゼハハハハハ!!何綺麗事言ってやがる!俺達は海賊だぜ?欲しい物が他人の物なら、奪うのは当然だろうが……!!」
その言葉にサッチが床を蹴れば、ティーチが迎え打ち……サッチの腹部に先程ナミを傷付けただろう短剣が埋め込まれる。そして……聞き慣れたその笑い声が甲板に谺響して……。
「見てるしか、できなかったなァ?エース隊長?それともまだ、夢だとでも思ってんのか?」
「ティーチ……お前、どうして?」
掠れた声が出る。俺は、どうして動けなかったんだ。
「ナミの事は悪かったな、殺すつもりは無かったんだぜ?……貰うつもりだったからな」
「ティーチ?」
「ナミはいい女だ。体型も男好きするもんだし、賢く金も生み、戦える。見目麗しく……能力も稀有なものだ。だが、甘過ぎるのが玉に瑕か。惜しい女だった」
その言葉により、ティーチはまだ2人とも息をしてるのに死んだとして話してる事に気付く。そこでまさかと思う。
怪我をさせた時点で、ティーチの勝ちなのか……?
俺が〝その答え〟に行き着くと同時に文字通り燃え上がると、それに合わせるように甲板に人が集まって来る。サッチが齧っただろう実の残りを手にしてるティーチは、そのまま逃げようとするから俺はその実を燃やし尽くす事を決意した。
マルコやデュースが、他にも何人もいる船医達がナミとサッチを見て対処をしてくれてる。マルコは戦いたいだろうに、治療を優先してくれてるんだから、2人が死ぬ筈ねェ!!
なら、今俺はさっき動けなかった分も、今は戦う必要がある。せめてサッチの生死が分からなくなるように、そして万が一にもサッチが死んだとしてもティーチの野郎にその力が行かないようにする。
俺はティーチを、許さねェ。ナミもサッチも、何もお前にしてない筈だ……!!
今この場でティーチを始末できるなら、それがいい。だがもしそれが無理なら、せめて実を燃やし尽くしてやる!!
だがティーチは状況判断が得意で、のらりくらりと攻撃を躱して逃げて行く。そんな中で何とか悪魔の実を燃やし尽くせば、ティーチが悔しそうにしながらそれでもとりあえずはと逃げちまう。
このまま残った所で、制裁の対象だ。逃げるしかないだろう。
それでもティーチが長年モビーにいた理由がその悪魔の実であったのなら、その計画は今頓挫した事になる。この先ティーチがどう動くのか、もう誰にも分からない。
小舟で逃げて行くティーチを、ストライカーで追いかけようとした俺を止めたのはイゾウの1言だった。それは、普段の優しい兄貴の声ではなく、隊長としてのイゾウの声。
「エース、ナミの最期に立ち会えなくなるぞ」
「……さい、ご?」
そんな筈ねェよ。だって、マルコがナミを診てた。
でも、凄ェ大量に流れ、広がっていた赤い物を思い出せば身体が震える。喪う恐怖に思考が止まり瞬きさえできなくなっちまう。
そんな俺をジョズがストライカーごと引き揚げるから、俺はふらつく足取りでナミの元へ向かう。血の気の失せたナミが、赤い水の中で浅い呼吸を繰り返している。
「ナミ?」
「ぇ……す……」
「ナミ、ナミ!!」
名を呼ぶ事しか出来ない俺にナミは微笑う。そして、唇の動きだけで、サッチは?と問い掛けてくるから視線をサッチに向けると腕をグルグルと回してる元気そうな姿が見える。
……待てよ、ティーチのさっきの言動的におかしいだろ。助かったんなら嬉しいが、おかしいだろ。
「あー……俺は、ナミから聞いてたからイゾウに頼んで鎖帷子着込んでたんだよ。んで、それに血液パックつけといたから広がってんのは血液パックの血な」
軽い調子でネタバレしたサッチは、ティーチに死んだと思わせる為にわざと倒れて、背後を狙おうとしたが俺が暴れてたから任せたのだと説明してくれる。なら、ナミは?
「ナミは、素直に毒の塗られた短剣を受けてるよぃ」
「そんな!?」
「だが、血を流した事でだいぶ毒は抜けてるし、ナミは毒に耐性がある。……ナミの血液型と合うパックが足りれば、助かるよぃ」
微妙な言い方に俺がナミの手を握れば、ナミは困ったように笑って大丈夫よと唇を動かした。そして、静かに瞼を閉じようとするから、それが怖くて声の限りに叫び続ける俺がいる。
「落ち着けエース。X型は珍しい型じゃねェからちゃんとストックあるし、足りなきゃマルコ隊長が提供するだろうさ。だから、お前がしっかり傍で支えてやれ」
肩を掴まれて言われたそれに視線を向ければ、何処か呆れたような、でも優しい顔をしてるデュースがいた。それにより、悪かったと、助かったと言えばクツクツと笑われちまう。
そして、妙に優しい声で言葉を向けられる。……そうだ、俺が、俺と対になるように名を……俺がエースだからって……。
「名付け親が変な状態になれば心配位する」
そう言われてからナミに視線を向け直せば、確かにマルコがいるんだったなと気付く。俺は血液型が違うから、こんな時何もしてやれないけどよ。
その後ナミが自力で動き回れるように回復するまで、俺は何だかんだと引き止められていた。それにより、ティーチを追い掛けるチャンスを失った事に随分遅れて気付く。
結果的に誰も死ななかった上に、ティーチの望んだ実をティーチは手に入れられなかった。だから、罰としてはそれなりにあるだろうと笑った親父の言葉に、俺は頷くしか無かった。
ナミには無茶をした事によるお説教と、常に誰かが傍にいるという事が十分な罰になったからと、それ以上のお咎めはなかった。サッチが親父やマルコとその後も何やら話し合っていたのは知っているが、俺には関わらせてくれないから細かい事はわかっていない。
とりあえず、モビーは今日も歌い出しそうな顔で、楽しそうに波間の向こうを目指している。人が死なずに、それにより運命が大きく変わった事を知るのは……ほんのひと握りの人間だけだ。
もう赤い物は身体の中に流れるのみ。大切な人を喪う恐怖に震える時間は終わったのだ。