俺だって、頭では分かってる。俺が無茶したから、ナミが無理して……俺が死にかけたから、ナミが犠牲になるところだったんだって事は。
普通に考えたら、ナミは元々俺の姉で、その後に恋人になって、妻になったんだ。俺に尽くしてくれる事に喜びこそしても、憤るのはおかしい。
それでも、狙われやすくて、細くて、小さくて、体力も無くて……なのに、優しくて、優秀で、可愛くて、美味しそうな身体してる事を少しは自覚して欲しい。俺はナミを……喪いたくないんだ。
俺が悲痛になるのも、ある意味当然だろう。何せ俺に言い寄る女が居ても、ナミは自ら部屋を開け渡そうとするし、少し目を離したら縄張り内だと言うのに厄介な男に目を付けられた。
もう、縛り上げて閉じ込めたいと思っちまってもおかしくない筈だ。勿論、そんな事は出来ないけど。
そんな事をしたら、萎れちまう。笑顔を見せて貰えなくなる。
深く溜息が落ちたその時、ピアノの音が聞こえて来た。時計を見てみれば、時間的にナミが弾いてる可能性に気付く。
さっきまで部屋に居たから、何か書いてたのは間違いねェ。だとすると、完成した曲のミスとかチェックする為にって所かな。
何かを作ったりしてるナミは楽しそうで、だから俺はそんなナミを見てるのが好きだ。ピアノの所へ到着すると、案の定ナミがいて、そのまま歌い出した。
その歌声が悲しくて、歌詞云々より先にその心が痛みを与えて来る。その上で繰り返される歌詞は、恐らくナミも俺と同じような痛みを抱えてるって事なんだと思い知らされちまう。
なァ……いつまでも独りだと思うなよ。俺もいるし、親父もいるだろ。
兄貴達だっているし、ナミにはナミが愛する家族がいるじゃねェか。なのにどうして……人を愛するばかりで、自分に向けられる愛を信じようとしないんだ。
悲しみなのか怒りなのかさえ分からない感情が、俺の中で渦巻く。そんな俺に気付かないまま歌い続けるナミは、本当にある意味で愚かだと思う。
歌が終わるのに合わせて大股で近付き、何か言ってるのを聞き流しながら、立ち上がったタイミングでその身体を掻き抱く。力を強めに入れたら、それだけで砕けそうなその身体で……どうして俺を甘やかそうとするのか。
「必要としてる」
どうして、わかってくれないんだと思いながら口にしたそれに、ナミは微笑む。本当に嬉しそうに。
「うん、ありがとう。私も防災の日は必要だと思うわ」
返された言葉に俺は思考が止まるのを感じた。いや……マジで、何言ってんのコイツ。
何も分からない様子で首を傾げるナミを見て、そうだコイツ変な所で鈍い上に阿呆だった。そう言うのを〝天然〟って言うんだよな。
前にハルタが言ってたから知ってる。つまりナミは天然だ。
なら、軌道修正してやるのが俺の役目だよな。そう思って、唇を寄せたら不思議そうに俺を見つめる可愛いナミに、気がついた時には俺の方が溺れてた。
考えて見りゃ当然だよな。どんな料理も、元の素材が天然の方が基本的に美味しんだからさ。
部屋まで連れ帰る余裕もなく、近くの倉庫に連れ込んだ俺が、声を抑えるナミに興奮してちょっと酷くしちまったのは不可抗力。その為に後で、フォッサに殴られたのはご愛嬌だろう。
そんな事があった翌日、夜もしっかりナミを充電して気力満点な状態にあった俺は、ただひたすらに眠かった。食事中にいつものように寝たら、皆から怒られたけど、まァ問題無いだろうと思ってる。
そんな日の午後、親父やナミの指導の元、万が一にもモビーが持たない時の脱出訓練と言うのをやる事になった。後は船内から素早く全員が脱出する為の、避難訓練もやるらしい。
つまりは突然の防災訓練開始である。……必要とは、思えねェんだよなァ。
モビーが沈むのなんて考えられねェし、それってつまり親父や兄貴達が負けちまうって事だろ。もしくはナミがサイクロンに気付けないって……んな事ある筈もねェ。
そう思って、マストを登り見張り台より更に上に腰掛けると少しだけ伸びをして眠る。ロギアである為に、万が一落ちても打撃扱いだから俺にダメージ無いんだよな。
そんな事を思いながら皆の声を聞きつつ深く眠り……起きたら怒りに満ちた瞳が俺を貫いていた。何だろうと思ったら、俺はどうやら落ちたらしい事と、それによりモビーの1部が燃えた事を知る。
「いや……その……悪かったよ!!」
「避難訓練もサボりやがって……」
船大工達が愚痴愚痴と俺を責める。基本的に俺は船大工から、そういう意味では嫌われているのを理解してた。
でも、ナミの人気も高過ぎるだろうと思う。まァ、それでもナミは俺のだけど。
「そうは言ってもよ、モビーが沈むなんて考えられねェし、そもそ「エースがモビーを寝てて燃やそうとしたように、いつなんどき何が起きても不思議はないでしょ?」」
俺の言葉を遮るナミの表情が、笑ってるのに……怖い。嫌な汗が流れるのは、纏うそのオーラのようなものがドス黒いからだろうか。
正直、本気で怒ったナミは俺より強い。普段は甘く優しいからそんなに戦えないだけで、イザとなったら無敵に近いんだ。
そんなナミが俺に、真っ黒な微笑みを向けていて……。すっと立ち上がり、即座に逃げ出したけど……まだ動き出してないナミが異様に怖い。
「皆、避けてて。エース、しばいてくるわ」
「……程々にな」
イゾウが困ったようにそんな事を言ったのが聞こえた気がした直後、ナミがクリマタクトをくるりと回したのが何となく見えた。嫌な予感しかしないと思って、足を早めたけど……考えてみたら逃げ隠れでナミに勝てる筈も無い。
それもここは船の上だ。やべェ……逃げ場所がねェ!
「エースー……!!」
「ぎゃー!!」
名前を呼ばれたからと言って、振り向かなけりゃ良かった。雷を纏いながら、全速力で追いかけて来るナミの姿に恐怖しか抱けねェ!
その上移動速度が異様に早い!!やべェ、追い付かれる!!
バチバチと耳元で聞こえたと思った瞬間、慌てて身を捩ったが……それが正解だったと知る。ギロりと俺を睨むナミが、容赦なく俺を電撃で攻撃して来ていた。
これが普通に戦ってるとかなら別だけど、戦った時点で詰むと分かってる現状では逃げるしか道は無い。それでもどう足掻いても逃げ切れないのも分かる。
ならばどうするべきかと考えた俺は、潔く負けを認める事にした。逃げれば逃げた分だけ、人を指さして笑う兄弟を喜ばせるだけだと気付いたから。
「わ、悪かったー!!ちゃんと防災訓練受けるから!!」
「本当に?」
「本当に!!俺が悪かった!」
「良かった……。実際ね、とある実験が行われた事があるの」
「ん?」
そこでバーサーカーを思わせる状態から、天使モードに戻ったナミが語ったのはとある実験の話。同じ空間に同じ人数を座らせて、片方は順番に出て貰い、もう片方には早く出た人から順に多くのお金を提供するとした実験についてだ。
これは〝飛行機〟という乗り物を使った実験らしい。順番に出た方は杖歩行の人を含めても25分で乗客を全員降ろせたのに対し、早い者勝ちのお金をかけた方は健康な若者だけだったにもかかわらず、最後の1人が出て来るのに2時間以上かかっているらしい。
パニックになった人間や、助け合いの精神を失った人間の弱さと恐ろしさを語るそれに、俺だけでなく多くの兄弟が顔を引き攣らせた。その為にも、脱出経路の確保や海に飛び込む訓練等は重要であると言われれば、今更逆らう気にもならない。
……何よりも、ナミの手に握られている電気を放つ棒が恐ろしい。その上、船の上においてはナミから逃げるなんて不可能だと、俺が身をもって教えちまったのが不味い。
「私は、家族を喪いたくないわ」
そう言って寂しそうに目を伏せたナミに、俺達が勝てる訳も無い。悪かったと皆も頷き、そしてやはり誰しもが大切な人には生きていて欲しいと願うのだと気付かされる。
当たり前の事なんて何も無いのだと、あの戦争を経て尚忘れがちな俺達は、けれどもこの幸福を手放したくも無いと願ってると気付かされた。今日もやっぱり、俺の周りは笑顔と愛で満ちてる。