ガタガタと窓が音をたてるのに合わせて、腕の中に居る甘い果実が逃げようとする。……もう少し、堪能させろよとの思いを込めてその細い身体を無言で抱き寄せるけど、蜜柑はするりと逃げ出しちまう。
だがそれにより、俺の身体がバランスを崩さないようにと、枕を差し込んで毛布をかけてくるのは腕から抜け出す時の決まった行動だ。例えば冬島の海域でも無けりゃ、全裸で何もかけずに寝てたとしても隊長格が病気になるのは奇跡に近い。
それだと言うのに、ナミは誰かが寝ていれば優しい顔で毛布などをかけてくれる。それを知ってるから、わざと甲板で寝てる奴も居るんだが……まァ、その位は良いだろう。
心配そうにするナミを見て癒されるのは、何も俺だけじゃない。甘くて可愛い妹を愛でたいだけなら、俺としてもそれを拒む必要はないからな。
ただ、俺に対してだけは特別待遇であってくれと願う。頭を撫でる優しい手が、俺だけじゃなくてエースや親父にも与えられるのを知っているから、時に妬きそうになるんだ。
ナミは間違いなく俺の女ではあるが、自覚の薄い……自分をすぐに蔑ろにする困った猫でもある。前回の島では猫になって、その後も耳と尻尾が残り、それが消えたからと出航したのにも関わらず時々生えてきては、家族を混乱と半狂乱の渦に叩き落とした。
完全に尻尾が消えるまでは、尻尾が刺激されると色々不味いという事で、Tバックとミニスカートという羽虫を呼び寄せるような姿をしていた。温厚で優しいサッチお兄ちゃんであるつもりだが、今回ばかりは可愛い弟達を何度殺しそうになったか、既に分からない程だ。
そんな俺にナミは困ったように笑って、慰めるように甘やかして来たから耐えられたに過ぎない。当然毎晩のように貪ったのは言うまでも無いが、ここ数日は尻尾が生えなくなったのでもう大丈夫なのだろう。
その証拠にナミは今もパンツスタイルで甲板へ向かって……。え、甲板?
部屋に1人残された俺は慌てて身体を起こしたが、既にナミは1人で甲板に向かっちまってる。確か、この島は風が異様に強い春島だった筈だ。
慌てて飛び出した甲板では、呑気に島を眺めて楽しそうにしている姿があり、俺の杞憂だったかと息を吐き出した。その直後にスカーフ……いや、ショールか?が、飛ばされるのを見てしまう。
それを取ろうと海へと身を乗り出す馬鹿な姿に、俺は咄嗟に能力を使って手元に引き寄せたそれを持って歩み寄る。そんな俺を見上げる姿はあどけなく、それがまた愛しい。
折角取り戻したのだからと、ショールを首に巻き付け直してやろうとした時に指が妙な感触の部分がある事に気付く。それにより、端に刺繍されてる物に気付いちまえば動きを止めちまう。
……これは、俺のマーク?
もしも俺が海賊船を持っていたら、こんなマークを使うんじゃねェかなって感じの物が刺繍されていて、その横に蜜柑が刺繍されてる。つまり、俺とナミのイメージが並んで刺繍されている事になる訳で……。
本当に、ナミは可愛いな。頭を撫で回してやろうかと思った時、照れた様子で礼を告げられればそれは後回しだなと思う。
「海に落ちなくて良かった」
俺ももう、ナミを助けに海へ飛び込む事は出来なくなっちまった。これまでは馬鹿なエースを助けに飛び込むのは俺が担う事も多かったし、それに巻き込まれちまう不運な長男も俺がついでに抱え上げて来たが、今後は俺も助けられる側になっちまったからな。
そうなると、今後はこの細腕に守られる事になるのだろうか?
いつも誰かを守り、支えているのに、簡単に折れちまいそうな細い腕。愛しい女は、何処か儚い。
「ふふ……」
「ん?」
突然笑い出すナミに視線を向ければ、はにかんだような笑みを俺に向けて来た。それは少し幼くて、それでいて幸せそうに見える。
「私、甘ったれになったなぁって思って」
「……足りない」
甘えっぷりが、まったく足りてねェよ。もっと甘えろ。
そう思って視線をナミに固定した時、ナミはキョトンとした顔で俺を見上げて……浮かび上がった。……浮かび上がる!?
いくら細身で可愛いからって、風で飛ぶか!?
慌てて腕に抱き締めたが、俺まで浮かぶ勢いの風に小さく舌打ちがもれる。だと言うのにナミは何だか楽しそうにしていて、緊張感が途切れちまう。
そのまま風に乗って浮かび上がり、ナミを抱く腕に力を込めれば問題は解決だ。物を引き寄せる力を利用すれば、俺が物に近付く事も可能なのは分かっていたのでそうやって島へと降り立つ。
「サッチ、すごいわね」
「ん?」
「もう、能力を使いこなしてるじゃない!」
恐らく本気で言ってるのだろう。そうと分かるから、自然と頬が緩む。
俺は、この能力を特に強く希望していた訳じゃねェが、ナミは俺の為に文字通り生命をかけてくれた。ならば……使いこなせるようにならない、と言う選択肢は無いだろう。
「……折角ナミが、俺の為に手に入れてくれた能力だからな」
「えっと……?」
「命懸けで、俺の物にして貰ったのに……扱いきれないとか言えるかよ。それなりに努力もしてんだぜ?」
笑って伝えた俺の言葉に、ナミは泣きそうな顔をして笑った。運命を捻じ曲げちゃったのよ……なんて呟くそれは時に未来を知るナミだからこそだろう。
だが、未来はまだ起きてない現象だ。捻じ曲げて何が悪い。
「だが、だからこそ、俺もナミも今、生きている。……次からは、頼ってくれないと俺だけじゃなくて家族皆が暴れ出すから気を付けてくれよ」
ウィンクを送りつつおどけて口にした言葉は、八割以上本気だ。だからなのかナミも小さく頷いて、気をつけるわなんて言う。
今は、それに満足しておく。人は簡単には変われないのだから、少しでも変化に前向きになってもらえれば、十分過ぎる成果だと分かる。
風に飛ばされて来たから、船に戻る手段は今のところは無い。まだ早い時間であり、人も余りいないのでとりあえず島の測量でもするかとナミを誘い歩き回る。
それにはナミも素直に喜んでくれるから、測量しているナミを眺めつつ今後の予定を考えてみた。そうなるとこれが案外悩ましい。
この島は春島だが、特にイベントがある訳でもない。キッチンも無いから、山菜詰んで弁当作るって訳にもいかねェから花見ってのも難しいか。
……と、そこまで考えて、何も俺が作らなくてもナミは俺が先に食った物なら食えるんだったと思い至る。なら、買い食いしながら……?
いんや、駄目だ!ナミは少食だから、貴重な胃袋の隙間を変な物で埋められねェ。
「ナミ」
「なぁに?」
「何か、食いたい物あるか?」
本来ならば朝食の時間だ。何か食いたくなる筈だろう。
いや、食いたいと思ってくれ。頼む。
祈るように問い掛けた俺の言葉に逡巡したナミは、けれども少し恥ずかしそうに俺を見て、笑う。これは二人の時にしか見せてくれない、甘えた顔だ。
「……サッチの手料理なら、なんでも嬉しいわ」
……何この子、俺をどうしたいの?
あ、俺に料理されたいのか。成程、ナミは蜜柑だから、食材だもんな。
コックさんに剥いて欲しいと。ならばそのご要望には、応えないと悪いか。
「ここは春島みたいだから、天麩羅は定番としても……あ!」
「ん?」
「ふき味噌とか、あると便利そうじゃない?」
キラキラと輝く眼差しを向けられて、ピンクに染まっていた脳が落ち着いた。そうだよな、ごめんな。
とりあえず、山菜摘みに行こうとするのは阻止しよう。そう決意して口を動かす。
「……山菜とか野草採って帰る系じゃなくて、買い物しような。買出しとかって言い訳しないと、俺、風に飛ばされた情けない隊長とかって事で有名になっちまう」
「あ!そうね。なら、インクと紙と「俺は、コックなの!!食材が必要なんだよ!」」
言葉を遮った俺に、ナミは冗談よと笑うが……その瞳が本気だったのを気付かない筈、ねェだろ。この場で食うぞこら。
そんな事を思いつつもナミを抱き寄せて、そろそろ店も開いた頃だろうと歩き出せば案の定だ。その中で売られている物を見たナミが、キャベツを見て困ったような顔をする。
「春キャベツだわ」
「春島だからな」
「サラダにすると美味しいけど……」
「火を通すとなァ……わかる。奴ら茶色い物しか食わねェもんな」
ふんわりと育つ春キャベツは、火を通すと小さくなりすぎてその姿を消してしまう。だが、サラダにした時の美味さは果てしない。
火を通したら味が落ちると言う訳では無い。ただ、カサが消えるのだ。
「あ!ロールキャベツなんてどう!?」
「ああ、それなら春キャベツでも美味しくいけるな。よし、買うか」
総勢二千人近いクルーの為に買うから、買うとなればそれなりの量を頼む事になる。持って歩けないのは当然なので、船まで運んでもらうように話を付けて、他の食材を選べば蕗の薹が売られているのに気付く。
「ちと、遅いんじゃねェか?」
俺の問い掛けに店主は山には雪も降るから、山に行けばいつでも旬だと教えられる。それならば納得だとそれもある程度買うが、どうしてもそれ程の量は必要ないのでキャベツから見れば少ない購入となった。
「あれ?それしか買わないの?」
「苦いからな」
「そう?」
小首を傾げるナミは可愛いが、これは本気で分かってねェな?
料理をしない訳じゃないからこそ、このギャップには驚かされる。寧ろプロレベルなところが多いから、知らない事に驚かされちまうとも言えるのかもな。
「蕗の薹1個で、ふき味噌がどれだけ出来ると思ってんだ。天麩羅もそんなには食えねェぞ、口が麻痺っちまう」
「あら?そんなに苦かったっけ?」
「夏島出身者はこれだから。いいか、蕗の薹ってのはな」
そうして蕗の薹談議に花を咲かせながら、他の食材を選んで行けば、またもや吹き付ける強風。いい加減にしてくれと思いながら、ナミを即座に抱き締めて真面目に踏ん張れば飛ばされる事はない。
春一番が春を連れて来る風だと言うのなら、俺からナミを奪わないでくれよと思う。春の女神を思わせるナミだからって、風が俺の春を奪わないでくれ。
愛しい女は、俺の腕の中で楽しそうに笑っている。その現実がどれ程尊いか、俺は身に染みて分かっているのだ。