終わった書類を手に親父の元へ向かえば、親父は数人の新人ナースの資料を代わりに寄越してきた。それに目を通せば、溜め息も落ちようと言うもの。
「暫くは泳がすのかい?」
「それ程かからねェだろうからな。ここは疑ってる薬を扱う店が幾つかある。既に使用してるなら、そこへ行かない事は有り得ねェ」
そう言って渡された資料には喫茶店と裏カジノが1店舗ずつ、そして酒場が二ヶ所の合計四店舗記載されていた。前回は誰が担当だったかと考えて、ジョズだったのを思い出す。
書類仕事とかはあまり得意では無いから、そっちに謀殺されて気付けなかったんだろう。雑な訳では無いが、時に抜けてる所があるんだよな。
「今回はそれで俺に担当しろって言う事かね?」
「悪いな。デートに行きたかっただろうが、我慢してくれや」
「たまには別行動して、途中でばったり遭遇なんてのも楽しめそうだから構わないさね」
親父とそんな軽口を言い合って、入団テストをしに向かう。船を降りようとしたところでナミを見付けて、俺は無意識で声をかけていた。
「ナミ」
ただ、名を呼んだだけで愛らしい笑顔を振りまきながら、飛び込んできてくれる愛しい温もり。何年でも待つつもりではいるが、この無防備さは時に毒だ。
まァ、これでも俺を男として意識してはくれてるようだし、怯えさせるつもりもないからまだ耐えてやるさと内心で笑いながら頭を撫でてやる。ふわふわとしたその髪が、撫でる度に俺の手に甘えるように絡み付くから、そんな些細な事が心を慰めてくれるのを感じていた。
「ナミはこの後予定はあるのかい?」
「消耗品の買い足しと、親父様に何か買って来ようかと思ってる位よ」
「……ナミ、親父を甘やかすとマルコに叱られるぞ?」
先日のはナミも悪かったとは思うが、随分と叱られていたのを思い出して言ったそれに、ナミはビクリと身体を震わせた。親父を大好き過ぎるナミは、それでも長男から叱られた時の事は怖かったらしい。
まァ……叱られた事よりも、迷惑を掛けちまった事が怖かっただけなんだろうがね。俺の大切なお宝は、自分の価値をこれっぽっちも理解しちゃくれねェ。
「ナミを着飾りたいって言っても無駄の1言だし、俺の心が萎れたらどう責任取ってくれるんだい?」
問いかければその瞬間に赤くなる頬。それによりあまりの愛しさに顔がニヤけそうになる。
「……っ!彼女より綺麗な恋人が、何を言ってるのでしょうかね?」
「確かに俺は綺麗だが……ナミは、誰より可愛い」
菊に比べれば、俺の美しさなんぞ大した事は無いだろうと思う。だが、ナミは菊にも似たような反応を示すだろうかと、そんな詮無い事を考えちまった。
その為に、遠く離れている幼い姿のまま時を止めている記憶の中にしか居ない弟へ軽く嫉妬する。無駄な事だと、頭じゃわかっちゃいるんだがな。
「買い物、楽しんでおいで」
そっと解放してやればナミが寂しそうにその瞳を揺らす。俺とて離れたくはねェが、怪しいのが数人居るからそれの証拠を集めて叩き出さなけりゃならねェんだよ。
家族中に蔓延させられたら、たまったもんじゃねェからな。……マルコも今日は買物に行くと言っていたから、途中でナミの護衛を自主的にやるだろうと今回ばかりはそれに期待しちまう。
……閉じ込めておきたい。湧いてくる羽虫から守って、俺しか見えないようにして……だが、そんな事をしたらお前ェさんは萎れちまうだろう?
猫のように自由に、海のように広い懐で、家族を愛する俺のお姫さん。それは同時に、海のように荒れ狂うと手が付けられなくなるのも、誰からでも求められちまう事も知っている。
今回の面接で俺が落としたのは、全体の半数で……厳しくねェーか?と首を傾げるナミュールに笑っておく。続きの方は頼んだと任せて、親父から貰った資料を手に島を降りる。
カジノは兎も角、他の2ヶ所は俺だと目立ち過ぎる。さてどうしたものかと歩いていると、苛立った様子のマルコを発見して何故1人なんだと不審に思う。
「マルコ!」
「イゾウ!!親父から聞いてるなぃ?」
「ん?あァ……それを調べて回ろうと「それの監視対象者であるナースに、ナミが連れて行かれた」」
言葉を遮られた事等どうでもよく思える。何故、ナミが狙われるんだかね?
簡単に、そういった物に手を出すような愚かさは無い。そして、警戒心もあり、知識も豊富な方だ。
それでも、狙われたなら力づくと言う事も有り得る。相手が女なら……ナミは抵抗が出来ない可能性さえあるのだ。
「……どこへだい?」
「ナミに牽制されて、ついて行けなかった為に分からねェ」
「二手に別れるぞ。俺はカジノへ行く。マルコはどうする」
「待て、俺は候補地を知らねェよぃ!」
俺はマルコに候補地のそれを見せてやり、それを見たマルコは近くの酒場に行ってからカフェに向かうと言う。……確かに、女が気軽に入れそうなのはカフェだな。
酒場が1件残っちまうが、それは最悪他の連中が知らずに遊びに行って解決する可能性もある。最悪最後の酒場に連れ込まれていても、ナミならばきっと耐えきるだろう。
「俺もカジノの後でカフェへ向かう。……合流して二人で入れば、カフェでもそれ程おかしくもねェだろ」
俺達は、互いに頷き合って駆け出した。そして到着したカジノでは、怪しんでいた二人の内片方が楽しんでいて、もう1人は明らかに巻き込まれてると理解してそれを助ける。
片方は親父に言うまでもなく降ろすが、1応沙汰待ちにして……問題は巻き込まれた感じのコイツだな。押しに弱過ぎてこうなったなら、また同じような事にいつならねェとも限らねェ。
「お前、海賊に向いてねェかもな」
「そ、そんな!!」
泣きそうな顔を向けられて、だが俺達も決して憎くて言う訳じゃねェ。家族として思うからこそ、キツくても現実を教えてやる必要があるんだ。
「自分の確固たる意思を持て。そうしなけりゃ、気付いたら手遅れって事にもなりかねねェぞ」
「うっ……」
「……こいつを、親父に届けろ。それくらいもできないってんだったら、海賊止めて……故郷に帰れ」
そう言って報告書を纏めて封筒に入れた物と、縛り上げた男をそれに託して俺はカジノを出る。件の喫茶店は何処だったかと1応の当たりをつけて向かってみたものの、店が見付からなくて辺りを見渡した時、フワリと蜜柑の香りがして視線を向けた。
しかし、そこにナミの姿は無くて、代わりに別な方向から問題のナースが声をかけてきた。それも、泣きながら。
「イゾウさぁん!!」
そこは、隊長だろうが。そんなに親しくなった記憶はねェよ。
俺の愛しのお姫さんを、傷付けた可能性が高い女。共に居ないなら、ナミが逃げたか……コイツが陥れたか……。
「ナミちゃんが、ホテル行こうって声掛けられて、私、止めたのに着いてっちゃって……!!」
「ナミが、男に、ついて行った?」
どんな夢見てやがる。性的な対象に見られるのを怯えるナミが、それでも俺を気遣って時に勇気を振り絞ってキスしてくるのが精一杯なナミが、そんなのついて行く筈があるか。
大人気なくも、殺気立ちそうになる。冷静になれと己に言い聞かせて、少し考えてみた。
コイツがナミを売り飛ばして、麻薬を手に入れた可能性が限りなく高い。もしくは……コイツを人質に取られたってんならわかるが、その場合コイツの発言はおかしすぎる。
つまり、どちらにしてもコイツは黒だな。……俺のお姫さんに、何してくれようってんだかなァ……?
笑いが込み上げてきそうになる。なァ……指一本でもその男がナミに触れていたら、俺はその辺り1帯を焦土へ変える自信があるぜ……?
だが……先程蜜柑の香りがしたから、多分あっちに居るだろう。姿を隠して逃げ出して来たって所だろうと判断すれば、多少気も晴れる。
「イゾウさぁん……あの、私「なら、ナミを探さねェとな」」
言葉を遮り歩き出せば、女は焦った様子で着いてくる。だが、上着を掴まれれば何だと振り向いたのも仕方ないだろう。
「ナミちゃん程上手くないとは思いますけど、私もそれなりですから……少し、遊びません?」
「……何言って「だって、恋人のイゾウさんがいるのに、ナミちゃん他の男の人とホテル行ったんですよ?少しくらいイゾウさんも遊んでいいと思うの。……ね?イゾウさぁ」黙れ。俺は、ナミにしか興味が無い」
しないからと変になる程若くも無く、どうしてもの時は手があるから問題はねェ。どうでもいい女に、不快な臭いつけられながら放つくらいなら、自分でする方が幾分マシだ。
……それにしても、常習者か。随分と、嫌な臭いになってやがる。
早くナミに会って癒されたい。普段は癒しを振り撒く小動物でしかないナミの様子を思い出して、それでいてイザとなると日本刀を思わせるあの美しさと鋭さに堕とされたのだと内心で笑う。
そうして歩けば、建物の影から蜜柑の香りを感じ取り足を向けた。そこで声を押し殺してる様子のナミと、それを抱きしめている男の姿に1瞬呼吸を忘れる。
……マルコがナミに無体な事はしないとわかっているが……仲睦まじい様子に苛立たない訳では無い。ナミも、マルコには警戒ゼロだからな。
「何してるのかって、聞いてもいいかい?」
「あァ、それは俺も聞きたいねぃ。イゾウ、そんなの連れて、何してるんだよぃ?」
「ナミさんが、ナンパしてきた人達に付いて行ったので、1人で心細くて……1緒にいてもらってたんです!イゾウさんは、善意で!」
……そういや、こいついたな。まァ、親父に届けなきゃならねェから突き放さなかったんだから、居るに決まってるが。
だがそうなると、何がどうなって俺が善意で1緒にいた事になってんだか謎過ぎるがね。俺は、存在さえ忘れかけていたってのに。
それよりも、親父からのそれを知ってて威嚇して来るとは……マルコの奴……。本気で、俺からナミを奪えると思ってんのかねェ?
「……ナミがナンパしてきた人達に付いて行った?馬鹿も休み休み言えよぃ。俺と、イゾウと、親父以外が触れると怯えたような瞳になる女が、そんなに簡単に男について行くか!」
それもホテルにとさっきは言っていたが、どうやら何も無かったらしい様子のナミにより言葉を変えたらしいと気付く。ホテルだと言っていたら、マルコに蹴り飛ばされてただろうに、惜しい事だ。
それよりも、そう言えばナミは赤髪の所の奴らにも簡単に触れさせるし、時には自分から甘えに行くと言う事を思い出す。怯えない程度なら、昔馴染みだからと許せるんだがねェ。
「まァ、それはそうだが……。あァ、赤髪の所の船長サンと副船長サンにも触れられて平気だったかい?」
「あの2人は、師匠と兄みたいなもので……」
知ってる。そう答えようとした時、蔑むそれを隠そうともしない声が割って入った。
「……なんの師匠?まさか、夜の事?得意そうだものね、ナミってば」
だがそれに俺やマルコが反応するよりも早くナミの空気が変わった。いつもなら自分は何を言われても黙って微笑む女が、珍しい。
「……お黙り、小娘。私の事は何を言っても構わないわ。でもね……私、大切な人を馬鹿にされて黙っていられる程、大人じゃないのよ」
怒りをその瞳に宿したナミは、出逢ったあの日の空気に似たものを纏っていて……それが本当に愛しい。ナミの気高さが、俺の心を縛る。
そうか、あの言葉からナミは、自分以外の誰かを貶められたと判断したのかと思えば、成り行きを見守ったのも分かるだろう。この状態のナミになら、俺は殺されても本望だ。
「イゾウも、マルコも物じゃないし、貴方の自由に出来る人じゃないの。……シャンクスはともかく、ベックを幼女趣味の変態みたいに言うなんて……許さない」
赤髪は良いのかよ。内心で突っ込むが、それは……それだけ赤髪が特別でもあると言う事でもある。
少しばかり、妬ましいね。蔑まれても大丈夫と思える位に、ナミは赤髪を慕ってるって事だからな。
そう思った時、ナミが迷い無くクリマタクトを使い、雷を女にだけ器用に落下させた。他に被害を出さないそれは、常人にはできない事だろうと思う。
ナミはゆっくりと女に歩み寄る。女は引きつった悲鳴を上げ損ねて、妙な声を出していたが、それを気にせずに言葉を発した。
「……基本的にね、私女の子と子供には手をあげない主義だけど、許せない事もあるのよ」
「こ、んなことして、許される、はず……」
「貴方、麻薬やってるわね。寧ろ親父様は……それ許さないと思うけど?」
親父はナミには教えてない筈だ。だと言うのに、ナミは的確に言い当てる。
そうだ、これがナミが天才と呼ばれる所以。そして、優し過ぎるナミは、こんな馬鹿の為にも傷付き、悲しむのだ。
「それと……私はね、海賊のオモチャじゃなくて、アーロンのオモチャだったのよ。おかげで今でも、サッチ隊長が目の前で作ったもの以外安心して口に出来ないわ」
その言葉に、俺の頭は白くなる。……まさか、性的な対象に見られるのを怯える理由がそれか?
あの魚に、ナミは手篭めにされて……?
少女と呼ぶより、まだ幼女の域だったナミを思い出して……あの巨体に貫かれて泣いてる姿を想像した時、俺の中の何かが切れた。だと言うのに、悲しそうに、苦しそうにナミは言葉を続ける。
「……ねェ、逃げ場所のある貴方には分からないでしょうけど」
逃げれば、拒めば、あの村の人達が殺されるからと受け入れるしか無かった幼いナミを想う。……親分に渡さずに、切り刻むべきだったな。
「……同じ歳で、こうも違うのね。その薬、すぐに止めないと、貴方が1番嫌だと思う記憶に永遠に追い回されるわよ」
そんな事を知ってるという事は、つまり、使われた者を見た事があるのだろう。ナミはそれを使った形跡が無い。
その時泣きそうな気配で、けれども自分を呪う瞳で、虚ろな表情となっていたナミにマルコが話し掛けた。それにより瞳に色が戻り、ナミが俺に視線を向けてくれる。
「……ナミ、おいで」
どんな経験があろうと、ナミはナミでしかない。必ず俺が守って、幸せにしてやると心で誓いを新たに手を広げればナミがふらりと立ち上がった。
そのまま飛び付いてくる、軽い身体を強く抱き締める。過去に戻れる能力があるのなら、戻って助けたいと……そう、心から願う程には、愛しているんだ。
だからこそきっとナミは、俺に花街へ行く事を勧めたりしたんだろうと思えば、切なくなる。俺は、ナミの為ならしなくともこの際構わねェと思うが、そう言えば確かに反応が良かったのを思い出す。
身体への負担を考えてあの時は最後まではやらなかったが、やっちまえば良かったか。全ての記憶を、感覚を、塗り替えてやるべきだったのだろうか。
「……ナミが男達に誘われて付いていくなんて、考えもしなかったし、有り得ないと鼻で笑い飛ばせるがね。……マルコといるのは……マルコに抱き着いてるのは、看過出来そうもねェんだよ」
「イゾウ?」
後悔だらけの本音は沈めて、そっと情けない嫉妬の感情を露わにする。そんな俺にナミは小首を傾げるから、その様子に少しだけ心が軽くなったのを感じていた。
「ナミが実家の家族以外に心許してる男は、全員俺の敵さね」
その瞬間、ナミが困ったような顔をする。なんだろうか。
「……それは、困るわ。イゾウが知らない敵が、後三人居る事になっちゃうもの」
「……それは、大事だねェ。撃ち殺していいかい?」
何だってナミの周りには血の繋がらない、ナミを女として狙ってる家族が多いのか。羽虫と違い撃ち殺せないのが本当に厄介だ。
許可をおくれな、ナミ。綺麗に片付けてやるからと内心で語りかけながら微笑めば、指で俺の唇をそっと押さえる。
それがまた妙な色気を持っていて、それでいて母性を感じさせる眼差しで俺を見るのだ。まだ少女と呼ぶに相応しい歳で、この色気は危険過ぎるだろうさね。
「三人とも、私の弟みたいなものなのよ。だから、辞めて」
「相手から見ても姉なら問題ねェさ」
喋る時目の前にあって邪魔だった指先を舐めてやれは、可愛い悲鳴があがる。本当に無垢な様子に、さて本題へと腰を抱く腕に微かに力を加えながら思う。
「……さっきの、アーロンのオモチャって所。聞かせてくれるね?俺も、大人である前に男だから、惚れた女の事では理性なんて常に風前の灯なんだよ」
冷静に考えれば、インペルダウンに入る程の奴じゃねェからな。幾らでも侵入したり、囚人を惨殺したりする事は可能だろう。
そう思いながらナミを甘やかすように撫でれば、ナミが微かに戸惑いを残しながらも語り出した。それは、性的なそれではなく、暴力的な拷問の詳細。
精神的にどれ程追い詰められていたかも、その端々から伝わる。飲食物に毒や媚薬を使われた現実に、絶え間なく続いた肉体的な拷問。
媚薬を用いて最後までされはしなくとも、辱められ貶められた過去。能力の他価値が無いと刷り込まれた現実。
それを知り、奴がいるのがインペルダウンでも構うものかと、始末しに行こうとした俺をナミに必死に止められる事となった。親分への仁義なんぞ、この際殴り捨ててくれる……!!
「やだ!イゾウまで居なくなったら、私もう、生きていられない……!!」
その言葉で簡単に動きを止めた俺は、そこではたと正気にかえる。気付いた時には、近くで屍のようになって倒れている兄弟の存在があると気付く。
どうやら理性を失い暴れた時に、この惨状を作り出したらしいと理解して、苦笑する。その時視線を戻せば、泣きそうな顔で、行かないでと……独りにしないでと震える愛しい女がいた。
「ナミがそう言うなら辞めようかね。……さァ、部屋に帰ろう」
兄弟を置き去りにして、ナミを抱いて部屋に戻れば既にブーイングさえ起きない。後始末は、ナミを抱き締めていたマルコがやるだろうと、地味に根に持っていた俺は完全に丸投げしたのだった。