冬島でも無い限り、いつもは俺より早く起きるナミがいつまでも起きない。それどころか俺から離れようとしないのだから、様子が可笑しいと気付かない筈もなかった。
「ナミ、どう……」
言葉は最後まで続けられず、荒すぎるその呼吸に慌てて布団を巻き付け、けれども離れる選択肢は無い。……俺の体温で暖を取ってるなら、離れるのは悪手だね。
「……エース!!」
俺が叫ぶように呼ぶとドアを突き破る勢いで開けて、エースが転がり込んで来た。まだやんちゃだった時期に少し可愛がってやったからか、エースは俺の声掛けに素早く反応する。
これについてはマルコから厳重注意を受けたが、ナミに襲いかかったんだから当然の処置だったと言える。それに今では普通に姉と弟になってるんだから、構わねェだろう。
「ど、どうした!?俺今日は何もまだやってねェぞ!?」
因みにだが、摘み食いが多過ぎてサッチにもやられたらしいが、サッチにはここまで素直でも従順でもない。つまり、サッチは甘いんだ。
焦り吃りながら告げられた言葉に、溜息が落ちたのはご愛嬌。俺だとてエースが憎い訳じゃねェし、寧ろ可愛いと思ってはいる。
「まだって事は、また何かやろうとしてやがったのか?なァ……エース」
「何も!俺はいい子です!」
「……分かった。なら、俺の代わりにここに入ってろ。わかってると思うが、襲ったら「襲いません!」……良い子だ」
そう言ってナミの抱き枕をエースに交代させると、暖かいからか少し呼吸が落ち着いた。問題は今寒がっている所にある。
人間は熱が上がる時寒気を感じて、熱が下がる時暑さを感じる。つまり……まだ、熱は上がるという事だ。
「ナミ、エースがいるから、そのまま少し寝てな。今色々用意して来る」
「いぞう、どこいく、の?」
「マルコ呼んできたりするだけさね」
俺の言葉に瞳を揺らして小さく、寂しい……なんて言うから、エースを蹴り落としてベッドに戻りたい衝動にかられる。だがそれでは何も解決しねェのも分かってるのだ。
だからこそ、人間懐炉や人間湯たんぽと呼べる程であるエースを呼んだのだから。俺も離れたくはないさね。
「少しだけ、待っていておくれな」
「んっ……」
そっとその額に唇を落として、軽く頭を撫でると擽ったそうに笑うナミに心が癒される。なんて可愛いんだ。
「エース、任せたからな」
「はい!」
ガチガチになっているエースに、流石に少し可愛がりすぎたかと過去を思うが、そんな事はどうでもいいかと意識の端に追いやって部屋を出る。まずは……と、時間を確認すれば朝食に少し早いそれだったのでマルコの元へ向かう。
「起きてるか?」
「よい」
「悪いが、急患だ。俺の部屋で苦しんでる」
「……ナミが?分かった、すぐに向かうよぃ」
「ありがとう」
俺が笑うとマルコは頷き返してから、いつものセットを確認したりして準備を始めてくれる。俺はそのまま厨房に向かうと、戦場には入らず外から声をかける事にした。
少しばかり移動は早足になったし、途中声をかけてきた隊員に後でなと言って通り過ぎる程度には余裕が無い。サッチは中で中華鍋を振り回してるが、それを気遣う余力なんざ欠片も残ってねェ。
「サッチ!いるな!!」
「なんだ!?どうしたこの1番忙しい時に!?」
「悪い。……病人が出たんでな。落ち着いたら病人食と湯たんぽ、氷嚢等を頼みたい」
「ナミちゃんだな、分かった」
何故皆即座にナミだと分かるのか。珍しい事ではあるが、誰であっても病にはかかる。
あの海賊王ですら、病にかかり痛みを軽減して貰いつつ先へと進んでいたと言うのだから、余程だろう。なのに何故、誰も他の可能性を誰も考えないのか。
それでも、忙しほうにしているサッチにそれ以上言葉は向けられず、俺は手を振ってサッチを戦場へと送り返す。直後に響く怒号のようなそれに、厨房はコックの戦場とはよく言ったもんだと小さく笑う。
サッチは恐らく、朝食時のそれが落ち着いたらすぐに対応してくれるだろうと考えて、今度は親父の元へと向かい歩き出す。すると途中で、すれ違う時に軽く挨拶だけ済ませようとした俺をビスタが呼び止めた。
「ナミに、何かあったか?」
「なんで、ナミだと?」
「イゾウがそんな顔になるのは、ナミの事だけだ。安心して良い」
何が安心出来るんだとそれに言いそうになり、辞める。恐らくそれは嘘偽りなく、俺がナミに関しては何も隠したりする余裕が無いという事なんだろう。
俺は簡単にナミが熱を出したのだと説明し、親父の元へ向かおうとしたらいつの間に寄ってきていたのか、ジョズが俺の肩を掴んで止めた。どうやら会話は聞かれていたらしい。
「親父には俺から話しておく。2人とも治るまで病欠だな」
「俺もかい?」
「ナミが病気の為、イゾウは心が病んで仕事にならねェと誰でもわかる。……やっと手に入れた新妻から、離れられねェだろ」
「ジョズ……お前な……」
「実際仕事にならんだろう。心ここに在らずでは、危険だ。大人しくナミの傍にいてやれ」
ビスタまでそんな事を言うから、俺は苦笑するしかなく2人に後の事を任せて部屋に戻る。部屋では相変わらずエースが抱き枕に徹していて、マルコが診察と治療をしてくれていた。
流石に仕事が早くて、蒼い炎でナミの事をなぞるようにしながら、痛みは無いかと問い掛けているマルコは完全に医者であり、兄貴だ。だが、その瞳が他の誰に向けるよりも甘い事に本人の自覚があるかは不明である。
「ナミは典型的な風邪だ。風土病的なものでも無いから、1日安静にさせとけば治る」
「1日で、大丈夫なのかい?」
こちらを振り向く事無く、手を動かしながら言われたそれに問い掛けると、マルコは手を止めて俺に振り返った。その顔は悪戯に笑っている。
「俺の腕を疑うのかよぃ?」
「いや、疑わねェけどさ。……ナミの事になると、余裕がねェのさ」
「そんなのは、皆分かってるよぃ。……今日は苦しむだろうから、ナミの傍に居てやれ。多分イゾウの前でしか、気を抜けねェだろうからなぃ」
どういう事かと思ってナミに視線を向けると、苦しそうな呼吸音が無い。呼吸は浅く荒いのに、声が1切聞こえて来ない上に、その表情は人形のように平然としている。
だからと言って楽になった様子ではなくて、眉間の皺さえ押さえ込んでいるのだと気付けば、それがどれだけの信頼か分からねェ筈もない。俺に、甘えて、頼ってくれていたのか。
「ナミ……ただいま」
「い、ぞ……?」
声をかけると薄く瞼を開いて、俺を呼ぶ。可愛くて、愛しくて……。
「ナミ、傍にいるから、安心して寝てな。今日は俺とナミを揃って、休みにして貰えたからね。後で薬飲むのに起こすから、それ迄は「て、にぎって、て、くれる?」」
なんだこの可愛い生き物は。いや、分かってる。
これは俺の妻だ。つまり、食っていい筈だよな。
よし、食おう。貪ろう。
「……今襲ったら死ぬよぃ」
俺の思考を読んだかのように良いタイミングで突っ込まれた言葉に、分かりやすく肩を揺らせばマルコからの圧が強まる。いや、襲う気は、少ししか無かったなんぞと言えば騒ぎが大きくなりそうだな。
実際、少しでは無かった訳だしね。後少し止められるのが遅ければ、少なくとも唇は貪っていただろう。
そうとは知らずに、ナミは嬉しそうに俺を見て、力の抜けた顔で笑う。それを見てそっと握った手は熱く、それでもホッとしたように笑うそれに俺も肩から力を抜いた。
「なァ……俺はいつまでナミに抱きつかれてたら良いんだ?」
それ迄空気同然だったエースが問いかけてくるので、サッチが湯たんぽ持って来るまで待てと言えば素直に頷く。そして……。
「ナミ、相変わらず熱上がると蜜柑の香りが強まるんだな……」
「……昔から、なのか?」
「あァ、ガキの頃から変わんねェよ。だから夏は探しやすいんだ。蜜柑の香り辿れば良いだけだから」
そう言ってナミの肩に顔を埋めるエースに、そんな事は許してないと眉間に皺を寄せるが、エースは気付かずにいる。俺の変化に気付いたマルコに頭を叩かれながら、サッチが来るのを待つ。
そんな状態にありながらも、ナミの手を握っていれば、エースは少しばかり居心地が悪そうになっていく。それはそうだろう、あえて存在を無視してナミに話しかけているのだから。
「ナミ、苦しくはないかい?」
「ありがとう、大丈夫よ。マルコが薬入れてくれたし」
「マルコやエースに変な事されて無いかい?」
「2人がそんな事をする筈無いじゃない。マルコはお医者様だし、エースは小さな弟よ」
この無防備な兎を丸呑みしてやりたい。そんな事を言ったら、俺の方が隔離されるのだろうか。
だが……本気で気付いていない所が恐ろしい。こんなにも想われてて、気付かないもんかねェ?
そもそもエースはもう、小さくはない。身長もナミより随分高いのに、どうしていつまでも小さい弟と思うのか。
「イゾウ、大好き」
「……ナミ、嘘はいけないな」
「嘘なんて、言ってな「ナミは、俺を愛してるだろう?」」
俺の言葉に赤くなったナミは言葉を無くし、蜜柑の香りが強くなるとエースが呻き始めた。諦めろ、ナミは俺のだ。
ふふんと笑った時ドアが開かれてサッチが姿を見せると、湯たんぽと入れ替わりで開放されたエースがマルコに泣き付いた。その様子にニンマリと笑えばサッチがボソリと性格悪いなと言っていたが、聞こえなかった事にする。
「ナミちゃん、食えそう?粥にしたんだけど」
「ありがとう、食べるわ」
「デザートに蜜柑入の牛乳ゼリーもあるから、頑張れよ」
サッチの言葉に嬉しそうに笑うナミを見て、そっと身体を支えれば俺にもたれ掛かる愛しい温もり。身体を預けてくれるそれに、嬉しくないと言えば嘘になる。
薬を用意してくれるマルコと、優しく声を掛けながら粥を食べさせるサッチを見て、ふとエースが消えた事に気付く。
「おや、エースは?」
「……水浴びてから仕事するって言ってたよぃ。今日はエースの所が甲板掃除だからねぃ」
ナミの香りを身に纏っていては、仕事にならねェとはエースもまだまだ若い。……だからこそ、心配なんだかね。
「エースに、甘えちゃったわ……」
「たまには甘えてやればいいさね。エースは〝弟〟から〝兄貴〟に変わりたいと言ってんだからね」
「……難しいと思うの。どうしても、エースが可愛いもの」
その答えに少しだけエースを憐れに思いながらも、やはり嬉しく思うのだから俺も歪んでいる。そうして薬を飲んだナミの身体を起こしたまま支えていれば、マルコから10分位そうしていてやれよぃと言われて2人にされた。
それについて不思議そうにするナミに、逆流させない為だと言えばそこまで重症じゃないわなんて笑われちまう。でもな……ナミには多少過保護になっても許される気がしている。
「ナミが自分に厳しいから、周りが少しくらい甘くて調度良いさね」
「ちょっとじゃないわ」
「なら、俺が風邪ひいたらナミは、甘やかさないと言えるかい?」
問い掛けるとナミは狡いなんて言うが、それが答えだろう。愛しい女をそっとベッドに寝かせて、俺は小さく笑うとマルコの言いつけを無視する事に決める。
少し動いただけで鼻腔を擽った蜜柑の香りが、理性を奪う。熱い吐息と潤んだ瞳が、誘ってるようにしか思えない。
「俺に風邪を、移してみるか?」
「へ?」
キスだけで我慢できれば良いんだがね。そんな事を思いながら、俺はそっと俺の香りに包まれている愛しくも恋しいナミの唇に、己の唇を重ね合わせた。