戦勝の宴が始まると言う時に、血の気の引いた顔でフラリと足を縺れさせたナミを即座に支えると、ナミが虚ろな視線を俺に向けた。震える手で、俺の着物を握りながら。
相変わらず軽いなと思うが、その軽さがあの身軽な動きを下支えしてるのも分かってる。蜜柑の香りが香るそれに、変な形で汗をかいてるらしいと気付いた。
「ナミ、どうしたね?」
「イゾウ……予兆、が……」
その言葉で全て理解した。即座に親父に視線を向ければ、親父に張り付いていたマルコがそれに気付き親父へと耳打ちしてくれる。
約束してくれていた通りの言葉で伝えてくれたナミに、それ以上の説明は求めないさね。その言葉を聞かないで済む事を願っていたんだがねェ。
前から聞いていたサッチの事。共にいる時間の長いティーチを信じて、自分の言葉は信用されないと思っていたらしいナミから、その話を聞き出すのには苦労したが……ね。
実際起きてもいない事で仲間を裁く事は出来ないし、不吉な予言をしたからとナミを責めるなんて事も出来はしない。そしてティーチはナミを少し遠巻きにしてはいたが、それなりに可愛がってくれていた。
その遠巻きにしていた理由も、俺が近寄る男を威圧していたからだと言うのだからティーチに悪い所はない。それもあってか、それともまだ起きていない未来だからなのか、ナミもまたティーチを嫌ってる訳ではなかった。
なので問題が起きないくらい、いや、起こせなくなる位にここが居心地の良い場所になれば良いだけだと親父とも話していた。だが、船長である親父の他、当事者となるサッチ、そしてその右腕と呼ばれるマルコにだけは話を通していたのは不可避であったと思っている。
前兆なんざ、永遠に来なければと思っていたんだがね。それでも、今ならばサッチが襲われる場合の対策をとりつつ、事を起こさせないなんて事も可能かも知れねェ。
そう思った時、サッチが嬉しそうにしながら手にしていた果物を口にするのを目撃してしまう。もしかしてあれが理由かと気がついた時には、既にサッチはそれを飲み込んだ後で……。
「ナミ、まさか、アレが理由か?」
「う、ん。サッチの持ってるその実を、狙ってたの。だから……」
ならばせめて食べ尽くしてくれれば、サッチを殺した所で何処にいつ、その実が生じるのか分からないだろうと思った。だがサッチは、その実のあまりの不味さにのたうち回り、食べ尽くすのは不可能と分かっちまう。
そもそもサッチは、食い物を捨てられねェからな……。そうなるとあの実を手元に残しちまう可能性が高……い?
そこまで考えて、どうしてサッチが殺されるに至ったのかを知る。食っていなければ、譲る事が有り得た。
だが、食った後であり、欠けてはいてもその場に実が存在するならば、食った奴が死ねばその実はその場で復活する。その実の持つ能力を手に入れたい人間からしたら、殺すしか選択肢なんざ無いだろう。
これは不味い事になったと考えた俺と、同じ答えに行き着いたらしい親父の視線が絡む。マルコはサッチの肩を掴んで何処かへ連れ去って行くが……とりあえず今は、サッチを1人にしないのが先決かね。
「ナミ、大丈夫だよ。親父とマルコが動いてるからね」
「え?どういう事?」
「親父とマルコには報告義務があり、サッチは当事者だから伝えさせて貰ったのさね。あまり広まっても困るから、他には話してない。安心しな」
俺の言葉に何やら考え出したナミは、俺の首に突然腕を回してくる。そして、耳元で囁くように言った。
艶めいた様子で、色気を振り撒いて……。なのに、口にしたのは色気なんざ何処にもない問い掛け。
「鎖帷子って用意出来る?」
「……そんな物、良く知ってたね」
少し驚きつつも、用意できるがと続けた俺にナミは破顔した。つまり、何か思いついたのだろう。
それならばとナミの考えに従う為に、部屋にある鎖帷子を用意して手渡せば、大切そうに抱き締めてサッチの所へと向かう。……何に見聞色の覇気つかってんだかねェ?
ついて行けば親父の部屋で頭を抱える二人の姿があり、そこでナミが鎖帷子をマルコに差し出した。……マルコに!?
「ナミ、マルコは不死鳥だぞ?」
「わかってるわよ。……マルコ、これに血液パックの古くなったやつを装着して欲しいの」
「……成程な。狙いとしちゃ、襲撃時に生死を誤魔化して追撃を防ぐ……って所か?」
珍しく真剣なサッチからの問い掛けは、俺でさえ威圧感に驚かされるってのに、ナミはそれを受けても平然と、いや……いつもよりも冷静な様子で頷く。そして、硬い声と表情で、言葉を返した。
「皆優しいから、きっとギリギリまでその凶悪性を疑うし、信じたくないって思うでしょう。凶悪性に気付いたとしても、どうにか考えを改めて欲しいとか考えるのは分かってるわ。……その考えは、私も分かるから。でも……」
そこで言葉を切って、ナミは泣きそうな顔でサッチを見る。……サッチもナミに惚れてるのをわかってる身としちゃァ、辞めてもらいたい所だがこればかりは仕方ないか。
ナミはただ、家族としてサッチを愛してる。大切に思ってるだけなんだとわかっているのに、情けない話だな。
「思い止まらせる事が出来なかったら、私の知ってる未来に進んでしまったら……取り返せない。死んだ人は還らない!私、サッチを喪いたくない……!」
そのまま静かに泣き出したナミに俺の羽織ってた反物を被せて、そっと抱き寄せれば甘えるように擦り寄ってくれる。それでも泣きやめずに苦しそうにしているから、後でしっかり鳴かせてやろうと決めた。
そうでもしなけりゃ、泣く事さえ上手く出来ないナミが少しばかり哀れだがね。強くある事が必要で、子供では居られなかった不運な少女。
「マルコ、できるか?」
「……追撃する事ができなかった場合は騙せて、追撃する場合も油断は誘える。古いのでやるなら損害も無い。つまり、メリットはあってもデメリットはないんだからねぃ。……やるよぃ」
「賢い奴らは話が早いね」
「ナミちゃん」
宥めるような優しい声でサッチが声をかければ、ナミは泣き腫らした顔でサッチを見る。その顔は幼く……何処か痛々しい。
そんなナミを見てサッチは〝兄貴〟の顔で笑った。ナミを愛しそうに見つめながら。
「ありがとう。ちゃんと生きるから、大丈夫。……今夜は親父と寝るから安心してくれ!」
「俺の許可取ってから言え、アホンダラァ……!」
突然割って入った親父の声に、その図体で気配消すなよと笑うサッチと俺。そんな俺達に驚き、それから笑ったナミは、良かったと言って1筋の涙を流す。
その涙が美しくて、その笑顔が儚くて、その場にいた全員が息を飲まされたのに、当人はそれについて全く自覚していなかった。愛しい妻は、相も変わらず無意識で周りを虜にしている。
その日の夜は嫉妬もあった事から、俺が満足する迄美味しくナミを堪能し、その後は数日の期間が平和に過ぎた。だが、その宴の日から5日……恐れていた事態が発生し、その場になんとナミが居合わせてしまったのだ。
それは既に不運では収まらない。俺が現場に到着した時には、大怪我を負ったナミが飛び出そうとするエースを止めている所だった。
マルコはサッチの様子を見たり、弟達を宥めたりと大忙しだ。長男としての役割がマルコに私人である事を許さない。
「やめて、えーす、いかないで……」
「ナミ!!だが!」
「エースがその状態だと、ナミは治療も受けられねェぞ」
声をかけた俺に驚いた顔をしたエースは、だがティーチは自分の隊員だ……と言って唇を噛む。そんなエースの頭をぽふっと撫でて、サッチへと視線を向ける。
大量の血液を流して放心してるサッチは、だが恐らく肉体的には無傷だろう。だが、あの姿とナミの姿を見ればエースの気持ちもわかっちまうから、サッチを軽く睨んで声を落とす。
「サッチ……」
ビクリと身体を揺らして、虚ろな表情で俺を見る。罪悪感と悲しみ、そして、憤りと無力感により押し潰されそうになっているのだろう。
「……悪い。俺が、油断したから。本当に、ごめんな」
「詳しく話せ。無傷だろう?」
俺の言葉でその場にいたナミ以外の全員がサッチを凝視した。それにサッチは頷いてから、ティーチが悪魔の実を見せて欲しいと言って近付いてきたのだと言って、ゆっくりと、だが要点を纏めて分かりやすく話し始める。
それを更に簡略化するならば、サッチはティーチの様子を見て、その実を咄嗟に海へと落とした。それにティーチが悲鳴を上げた所で、わざとじゃないんだと謝れば暫し考え込んだ後突然刺されたのだと言う。
何故と問い掛けたサッチに、新たに生じて貰うにはこの方法しかねェだろうと言葉を口にした。その後ゼハハハハと笑ったティーチに、親友を失った事を痛感させられその場に崩れ落ちたらしい。
そして、今度は念の為にと首へと向けられたその刃を見て、抵抗しないとと思いながらも動けずにいた。そんな時に、ナミがサッチを突き飛ばして自らが代わりにその刃を受けたという。
「……ナミらしいね。まぁ、回復したらお仕置だがね」
「俺の、責任だ。準備もしてもらってて、話も聞いてたってのに……よ。だから、ナミを、責めないでくれ」
「なら、せめてエースを抑えとけ。そうでもしなけりゃ、ナミが死ぬぞ」
「なんで、そんな冷静なの、お前……」
その言葉に対して、自分でも驚く程に冷たい声が出た。冷静に見えてんなら良かったと思ってるのに、何故かそれが気に入らなかったのは間違いない。
それぞれに立場があり、状況もある。わかってるってのに、情けないやね。
「……隊長格がマルコの他、揃って使い物にならねェ現状で、俺まで取り乱して……誰がこの場を終息させるんだ。……ナミは、毒にも怪我にも慣れてる。庇ったなら急所は外れてるだろう。……そう思わなけりゃ、お前達2人を海に沈めてるところだ」
「イゾウ、口調が……おい、口調……」
「戦闘時のそれになってんぞ、イゾウ」
「何か、言ったかね?」
「「いいえ!」」
俺がニッコリと笑ってやれば、借りて来た猫のように大人しくなるエースとサッチ。本当にこの阿呆共は。
それによりエースが飛び出す事は無く、サッチも無傷で助かった。ただ、出血が多過ぎたナミを助ける為に緊急でナミと同じ血液型のヤツらが血を抜かれて、検査する余裕さえないままに輸血される事態となったが。
それから数日後……。ウトウトしていた俺に、待ち望んだ声が届く。
「イゾウ……心配、かけて、ごめん、ね」
「目覚めたのかい?」
「うん、ずっと、いてくれたのね。ありがとう……隈ができてるわよ?」
「誰かさんが心配で、もう何日も寝てなかったからね。今、マルコを呼んで「なら、ここに来て。二人でも、寝られると思うから」」
苦しそうな息をしつつ、俺に笑いかける優しい生き物。蜜柑の香りをさせながら、そっと俺の袖をひく。
……最近、顔色の悪い姿しか見てないね。全く、俺のお姫さんはどうしてこう、突拍子も無い事ばかりをしちまうのかねェ。
それがまた、正解と呼ばれる行動だと言うのがタチの悪さだ。頭ごなしに叱り飛ばす事もできやしねェ。
その為に、歳若い妻に俺が出来るのは、震える声で縋る事くらいなもの。本気で、思うままに言の葉を音にしてしまうくらいには、俺も必死だ。
「ナミ……独りに、しないでおくれな」
「ごめんね、心配かけて。大丈夫よ。……イゾウ、来て」
「元気な時に、そうやって誘って貰えたら……嬉しいんだがね」
俺の言葉の意味に気付かないのか、小首を傾げつつ早くと急かすように腕を掴む。それに対して、はいよと言ってベッドに入れば、ナミの香りが強く感じられて睡魔が恐ろしい速度で侵略を開始した。
そんな俺の頭をナミが撫でる。優しく声をかけてくれながら。
「大丈夫よ、もう、悪夢は終わったの。皆、生きてる。だから……今はゆっくり休んで」
人を気に掛けてる場合かと叱ろうとした言葉は、唇から出る事なく消える。代わりに歌う事で傷が痛むのか、いつもとは違い小さな声で、それも時々乱れている声と音程で、ナミは歌う。
愛しそうに、俺の頭や背を撫でながら。今度、回復したら俺から歌を贈ってやってもいいかもしれないと、そんな他愛ない事を思いながら、俺は静かに眠りに落ちた。
失った家族が1名。だが、彼は今別な場所で五体満足な状態を保ちつつも生きていて、他には被害も無い。
それはある意味で、夢のように幸福な結末だろう。歌うように進むモビーの中で、互いを守るように抱き締め合い、深く眠る2人の姿がそこにあった。